警察案件――双頭の死神

柚緒駆

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すべて、幕は下りる

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 霜松市松が顔を上げた。もう観念する寸前だ。探偵はそれを横目に続ける。

「考えてみれば、ずっとおかしかった、タイミングがな。同じ一人の人間が計画してたら、こんな立て続けに事件が起きるはずがない。人の死ぬタイミングだけに注目すれば、ほとんど衝動殺人だ。なのに自殺を偽装し証拠が残らない。その時点で頭が二つある事に気付くべきだったんだろう」

 探偵の眼に楽しさはない。高揚感も爽快感もない。ただただウンザリしていた。

「中でもタイミングが最悪だったのが、戸女殺しだ。まさか、幾谷いつみをけしかけて探偵を襲わせた同じ夜に戸女が殺されるなんて、逆を言えば、戸女を殺した夜に探偵が幾谷いつみに襲われるなんて、どちらも想像してなかった。頭が二つあるから起こった巡り合わせだ。この二つの事件が同一犯だと考えるのは、いくら何でも無理がある」

「それが、それが決め手だったというのか」

 震える霜松市松の言葉は、ほぼ自白と言って良かった。しかし、探偵は首を振る。

「いいや、疑惑が確信に変わったのは、いずるの一言だよ」

 いずるは目を細め、首をかしげた。

「僕が何か言いましたっけ」
「おまえ、ゴミの中から軍手を見つけたとき、こう言ったよな。『一つじゃないかも知れませんよ。あと三つくらいは出るかも』」

「それが?」

「軍手は一つ見つかった。あと三つ出たら合計四つだ。つまり二組だ。この屋敷で起きた三つの殺人事件からは指紋が出ていない。おまえは九南が手袋をして実行したと踏んでいた。そして三つの事件のうち二つは、すなわち三太郎と戸女の事件は自分が実行していない事実を知っている。だから軍手は二組あるはずだ、無意識にそう考えたんじゃないのか」

 いずるは平然と見つめ返す。

「僕が勘違いをしているのかも知れない」
「そうだな、その可能性はなくはない。だがそれが、おまえが勘違いをしていない可能性を否定する理由にはならない。少なくとも、話の筋はその方が通っている」

「証拠としては弱いですよ」
「言っただろ。俺には証拠を元に推論を立てなきゃならん義理はない。ただし」

 誘導するように視線を築根に向ける。

「警察を動かす程度の説得力はあるかも知れん」

 しばしの間を置いて、いずるはまた微笑んだ。しかし、そこにいつも見えていた薄っぺらさはない。

「探偵さん、一つ聞いていいですか」
「何だ」

「僕の計画の、どこに穴があったんでしょう」

 それは事実上の自白。もしくは敗北宣言。それにある者は身を乗り出し、ある者は目をみはる。探偵は静かにいずるを見つめると、こう答えた。

「遺書だ」
「……遺書?」

「自殺する人間が、必ず遺書を書くとは限らない。おまえは両親殺しの成功体験からそう考えたんだろうし、事実その通りだ。だがな、遺書ってのは死を決断した人間の最後の心の叫びだ。本当は、そこにあって当然の物なんだよ」

 そう、妻の遺書はあった。その内容も、いまは思い出せる。

 いささか不満げに、いずるは言った。

「三太郎さんみたいにですか」

 探偵は思わず鼻先で笑う。

「あれは確かに酷かったさ。だがあんな酷い遺書でも、本人が書いた可能性を最後まで否定はできなかった。おまえなら、もっとちゃんとした遺書が書けたろう。そうすれば、事件が発覚しない可能性もあったのに、おまえは自分でそれを潰したんだ」

「なるほど」

 いずるは天井を見上げ、残念そうに大きく息を吐き出した。やはり何も見えなかったのだろう。

「探偵さん。あなた、僕の同類なんじゃないですか」
「そういうのは豊楽に言ってやれよ」

「それは勘弁してください」

 その言葉が合図となったかのように築根は立ち上がり、原樹の方を向いた。

「急いで令状を取れ」
「わかりました」

 原樹が走ると、築根は正面の祈部豊楽に向かって告げた。

「この件は県警捜査一課が担当します。令状が取れ次第、あなたの部屋を手始めに屋敷のすべてを捜索します。なお、これはこの場にいる全員に向けての言葉ですが、警察は自首を勧めます。それは裁判でも有利に働く事でしょう。よく考えておいてください」

「あのう、一ついいでしょうか」

 その少し間延びした緊張感のない声に、一同の視線は部屋の隅へと移った。十瑠が小さく手を挙げている。

「結局のところ、戸女さんを殺したのは誰なんですか」

 その問いに、探偵は自信なさげに答えた。

「鍵蔵人は豊楽だと思ってるがね。あの殺し方は、いかにもカッとしてやっちまった感があるし。一連の事件について、戸女が感付いた事でもあったんだろう。おそらくは、九南に指示を出してる余裕がなかったんだ」

「そうですか……」

 十瑠は豊楽に目をやる。この小さな王国の絶対君主は、いま滅亡を前に口を固く閉ざし、じっと畳を見つめていた。



「認めない! そんな事、絶対に認めない! 放して、私たちに触らないで!」

 千香が叫んでいる。任意同行という名の身柄拘束。ああ、明日になれば美人バイオリニストの殺人事件は、マスコミの格好の餌食となるのだろう。けれど、僕にはもうそれを心配する必要がない。

――なあいずる、おまえどこまで殺す気だった

 ここに気付かれたのなら、しょうがない。僕の負けだ。旅はこれで一旦終わる。すべてはチャラだ。

 とは言え、祈部六道の死体が出たところで、僕が殺したという明確な証拠は見つからないだろう。容疑を否認し続ければ――まだ十七歳だ――千香よりは、かなり早めに自由になるに違いない。本当の問題は、その後どうやって生きて行くか。それをいまのうちに考えておかなくては。

 次こそは、誰にも負けないように。



 夜の暗い駐車場。グロリアの周りには、赤色灯を回したパトカーが何台も並んでいる。警官が走り回る中で、鍵は自分の車のボンネットに腰掛け、疲れ果てたように大きなため息をついた。ジョウ・クロードが表に出ている間の記憶はない。しかし状況的に見て、必要な事はすべて解決したのではないか。そう、必要な事は。

 祈部豊楽の部屋からは、布団袋に詰められた六道の死体が出た。死体遺棄の現行犯で豊楽は逮捕され、それ以外、つまり九南と霜松市松、馬雲千香の三人は任意同行、そして八乃野いずるは保護の名目で身柄を拘束された。広い屋敷には十瑠とななみだけが残される事になったが、二人がこの先どうするのかは、役所の管轄であって探偵の出る幕ではない。それに。

「鍵さん、これからどうするんすか」
「事務所に帰って仕事を待ちますよ」

 グロリアの助手席側に立つ笹桑ゆかりにそう答えた。霜松市松から受け取った前金はまだまるまる残っているが、そういつまでも持つものではない。次の仕事が見つからなければ、簡単に干上がってしまう。

「ねえ、このまま旅行とか行かないっすか。ついでって事で」

 助手席側のドアを開けた笹桑が、グロリアの屋根に腕を乗せて言う。しかし鍵はジロリとにらんだ。

「何のついでですか。そんなお金はありません」
「いやっすねえ。お金くらい出しますって」

「後が怖いんで結構です。だいたい、笹桑さんだって仕事があるでしょうが」
「何とかなるって思っとけば、何とかなるもんすよ」

 何とかさせられる人たちに同情しながら、鍵もドアを開けて運転席に座った。すると助手席に着いた笹桑が小声でささやきかける。

「ところで鍵さん」
「……何です」

 思わず小声で聞き返してしまった探偵に、笹桑はニッと笑う。

「私にも紹介して欲しいんすけど、相方さんの事」

 鍵は数秒キョトンとしていたが、ようやく意味がわかったのか、真顔でこう答えた。

「あなたにだけは紹介しません」
「えー、どうしてっすか」

「日頃の行いです」

 そう言ってエンジンをかけたとき。窓の外に立つ人影が。

「あの、鍵さん」

 多登キラリが、ちょこんと立っていた。申し訳なさそうな、でもどこかちょっと不満げな顔で。鍵が窓を開けると、キラリは思い切ったかのように勢いよく頭を下げる。

「本当にお世話になりました。数坂からもよろしくと」
「別にしたくてお世話した訳じゃないですから、お礼はいいです」

 小さく苦笑して「それじゃ」と車を出そうとした鍵を、キラリは呼び止めた。

「最後に一つ、一つだけいいですか」
「何ですか」

 少し迷惑そうな鍵を、キラリは窓に手を置いて真剣な目で見つめる。

「もし鍵さんが止めなかったら、八乃野いずるは、まだ殺人を続けてたんでしょうか」

 ヘッドレストに頭を押しつけ、遠い眼で正面を見ると、鍵は少し考えた。

「……もし止められなかったら、そしてそれが必要な状況になってたなら、霜松市松さんも、馬雲千香さんも殺したんじゃないですかね。まあ、当の本人たちがどう考えてるのかは知らないですが」

 緊張した顔のまま、キラリはまた頭を下げた。

「ありがとうございます」
「それじゃ」

 鍵はグロリアを発進させた。ゆっくりと、静かに走り出す。バックミラーの中で、キラリはいつまでも見送っていた。多少の罪悪感はあったが、それを振り払うようにアクセルを踏み込む。

 事件は解決したんだ。それがすべてではないのだとしても。



                                  ◇ ◇ ◇



 蔵人君へ

 ごめんね、こんな事になって。何から謝るべきなのか、言葉が見つかりません。この一年は、とても楽しい一年でした。そして同じくらい、苦しい一年でした。私の事は忘れてください。蔵人君なら、すぐに素敵な人が見つかります。本当にありがとう。ごめんなさい。

 お腹の子供は連れて行きます。あなたの子供ではありませんから。



                                  ◇ ◇ ◇



 深夜。鍵探偵事務所の窓に、薄ら明かりが差した。ノートPCのモニターの明かり。いつものように業務フォルダを開くと、国田満夫のファイルを表示する。画面をスクロールさせれば、現れる赤い文字の群れ。その最後まで移動したとき、ジョウ・クロードは見慣れない文字列を見つけた。黒い文字で書かれた短い文章。しばし首をかしげながら記憶を探り、こう言った。

「なあ『雲』、わざわざ思い出させる必要あったのか」

 数秒の間を置き、ため息をつく。

「確かに、いつまでも忘れたままって訳には行かないが、『もののついで』はないだろう。立ち直るまで時間がかかるぞ、これ」

 そしてまた首をかしげる。

「俺がお人好しなんじゃなくて、おまえがシビア過ぎるんだよ」

 ジョウ・クロードは苦笑した。



                                  ◆ ◆ ◆



 数ヶ月後、暑い夏の日。蝉時雨の降り注ぐ中、陽炎の立つ坂道を上る白いワンピース姿の少女。右手には二束の黄色い花、左手には水桶。やがて坂を上り切ると、くたびれたように大きな息をついた。

 目の前に広がるのは墓地。ここに来るのは二度目だが、あの墓の場所はよく覚えていない。小さな墓石だった事は間違いないのだけれど。

 しばらく迷いながら探して、ようやく見つけた。茶色くてボロボロの、京川家先祖代々の墓。納骨以来誰も来ていないのか、枯れてカラカラに乾いた仏花の残骸が侘しい。それを取り除いて花立てに黄色い花を供え、柄杓で桶の水を入れる。

「戸女さん、久しぶり。あんまり来れなくてゴメンね。ここまで遠いから」

 祈部十瑠はしゃがみ込むと、笑顔で手を合わせた。

「報告が三つあるんだ。まず一つ目ね。お母さんがうちに住んでくれる事になったの。会うの三年ぶりでドキドキしちゃったけど。とりあえずしばらく一緒に住んで、その後で新しく家を買って街に住もうって。まあ、あの家は不便だし、病院も遠いしね。仕方ないかな」

 その顔には、どことなく寂しさが漂っているように見えた。

「次に二つ目、死神様が消えたよ。うちの屋敷の中から、死神様が一匹もいなくなったの。これがいい事なのか悪い事なのかはわからないけど、たぶんもう私には必要なくなったんだと思う」

 そして十瑠は小さなため息をついた。

「で、三つ目。お祖父ちゃんの裁判、決まったんだ。他のみんなはもう始まってるけどね……ごめんね、戸女さん。お祖父ちゃんが酷い事して。本当、最低な人だよ。バレたからって、戸女さんを殺すなんてさ。だけど、もうあの人は何も言わないかも知れない。警察にも裁判所にも本当の事を話さずに、全部お墓にまで持って行くつもりみたい。最後くらいは信用してあげようかな、って思う」

 そこに遠くから、聞き慣れた声が聞こえる。

「お嬢様、どこですか」

 十瑠は立ち上がって手を振った。

「ここだよ、ななみちゃん」
「もう、待っていてくださいって申しましたのに」

「お墓参りは終わっちゃったよ。帰ろっか」

 蝉の声が一瞬止んだ。

「あ、そうそう」

 十瑠は立ち止まると、もう一度墓を振り返り、ワンピースの上から最近大きくなり始めたお腹に触れた。

「戸女さんも知ってたよね。祈部の家の跡取りだよ。どうせ男の子だろうけど」
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