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刺客
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結局、ここは応接間という事なのだろうか。
午後三時、鍵と笹桑は、最初に祈部豊楽と面会した同じ広間でまた豊楽に会っていた。鍵としては別に豊楽の部屋で話しても良かったのだが、そんな畏れ多い事を、自分の立場をわきまえなさい、と戸女に責め立てられて、この場所で会う事になったのだ。
「すまんな探偵さん。戸女も悪気がある訳ではないんじゃが」
一段高い場所で、豊楽はいささか申し訳なさそうな顔をしているものの、部屋の隅では戸女が敵意を視線に込めて鍵をにらみつけている。正座をした探偵は小さく苦笑すると、了解したという風に片手を上げた。
「それはともかく豊楽さん、いまのうちに基本的な質問をしておいていいでしょうか」
「いまのうち、とは」
「そのうち警察の対応で忙しくなるでしょうから」
「それはちと面倒臭いのだが、本当にそうなるかの」
腕を組んで片眉を上げる豊楽に、鍵はうなずいた。
「おそらくは」
「ふうむ……まあええ、それで聞きたい事とは何じゃね」
「まず、馬雲千香さんは豊楽さんの弟の孫、という関係で良かったんでしたね」
豊楽は一瞬キョトンとした。
「はて、それが六道の行方不明と関係あるのかね」
「あるかも知れませんし、ないかも知れません。何がどこでどうつながってるのか、まだわからない段階ですからね、一応という事で」
豊楽は納得したような、していないような顔で「そういうもんかの」とつぶやいた。
「まあ確かに、アレはワシの弟の孫娘じゃが」
「当然、六道さんとの面識はあるんですよね」
「ある。千香が子供の頃から知っておる」
「最近、と言うか、千香さんがプロのバイオリニストになってからはどうです」
「どうと言われてもな。年に何回か、千香がここに来るときには会うておるはずじゃよ」
「会ってましたか。普通に」
「言うとる意味がよくわからんのだが、探偵さん」
すると鍵はしばし考え込み、話題を少し変えた。
「八乃野いずる君ですが」
「いずるがどうしたね」
「彼もこの家の関係者なんですか」
「ああ、いずるの両親は二人とも、この家で使用人をしておったのよ。ほんの十五年ほど前、ここにもう何人か使用人がおった頃だ」
「そのお二人とは、いまでも交流がある?」
それを聞くと豊楽は、急に険しい顔になった。
「いや、あの二人は亡くなっておるのだ」
「二人とも、ですか」
「痛ましい事件じゃったよ。ワシの口から詳しい事は言いとうない。ただ両親が死んで、いずるは馬雲の家に引き取られた訳だ」
それだけ話すと、豊楽は口をつぐんでしまった。鍵はまたしばらく考え込むと、不意に戸女に目を向けた。
「六道さんと四界さんは、どんな兄弟でしたか」
「な、なんですか、いきなり」
「いや、使用人の立場からどう見えたのかな、と思いまして」
戸女はムッとした顔を鍵に向ける。
「使用人の立場で、あれこれ言える訳がありますか」
「なるほど、つまりあれこれ言いたい事はあったと」
「揚げ足を取りなさんな!」
怒鳴りこそしなかったが、戸女の視線は厳しい。しかし鍵は気にも留めない。
「兄弟仲は良かったんですよね」
その誰にたずねるでもない問いに、豊楽が答える。
「あの二人はな。うちの家族の中でも特別に、双子かと思うほどいつも一緒におったの」
「たとえば……そう、たとえば何か秘密を共有するくらいの仲ではあった」
豊楽はうなずいた。
「さあて、二人の秘密があったかどうかまではわからんが、それくらいあっても不思議ではなかったろうな」
「でも、四界さんは六道さんの行方を知らなかった」
「ワシがたずねたときには知らんと言うておった。だがいまにして思えば、本当は知っておったのだろうか。もっとキツく聞いておけば良かったのかの」
悔やむ豊楽の表情に、嘘はないと鍵には思えた。ただ、それ故に浮かび上がる違和感。この違和感の正体をたずねれば、豊楽は無理のない返事をしただろう。それで終わってしまう。ならば、ここではたずねない事としよう。この違和感が何かにつながるかも知れないのだから。
鍵と笹桑が寝室に戻ろうと廊下を歩いていると、渡り廊下で霜松市松とななみが立ち話をしているのを見かけた。ななみは何度も頭を下げると、母屋から見て南東側の小さな離れの方に走り去って行く。近付いた鍵に気付き、霜松市松も歩み寄った。
「豊楽さんには会えましたか」
「ええ、まあ。母親の診察ですか」
離れの方を見ている鍵に、霜松市松はうなずく。
「週に一度の診察です。このところ安定しているので、医者としては楽なものですが」
すると、鍵は急に話題を変えた。
「豊楽さんは、六道さんと四界さんの事を可愛がっていましたか」
霜松市松は、少し間を置いてこうたずねた。
「突然ですね。何かあったのですか」
「思いついた事は、なるべく早めに解決しといた方がいいと思っただけですよ。何日も無駄飯を喰らう訳にも行きませんし」
その返事に、霜松市松は遠い目をした。イロイロと思い出しているのだろう。
「ふむ、世間では馬鹿な子ほど可愛いと言います。その点では豊楽さんも例外ではありませんでした」
「ただし、家は九南さんに継がせたいと考えていた」
「信頼と愛情は別物ですからな」
「その信頼も愛情も、勝ち得なかった息子がいます」
すると霜松市松は、口をつぐんで鍵を見つめた。鍵は続けてたずねる。
「豊楽さんは、三太郎さんの事をどう思ってたんです」
しばし疑わしげに鍵を見つめた後、霜松市松は答えた。
「簡単に言うなら、困っていた、というところかと」
「しかし、幾つもの会社で役員を任せている。優秀だったんじゃないですか」
その指摘に静かにうなずく霜松市松。
「頭は良かった。ただ、他人から愛される人間性ではなかった。人の輪の中に入って汗をかかせるより、独りで部屋に閉じ込めておいた方が祈部の家には利益が大きい。豊楽さんはそう思っていたのかも知れません」
「そんな三太郎さんが、会社の金に手をつけた」
「だから困っていたのでしょう」
なるほど、これか。豊楽と話したときに感じた違和感の正体は。
あのとき自分は馬雲千香、八乃野いずる、そして六道と四界について豊楽にたずねた。九南と三太郎には触れていない。
だが九南については家の跡を継がせようというのだ、信用も信頼もあろう。ところが一方の三太郎はどうだ。つい二日前に殺されたばかりの三太郎に触れなかったのに、豊楽は気に留める様子もなかった。
もしや豊楽は、三太郎が死んで喜んでいるのではないか。鍵はそう思ったが、その問いを霜松市松には向けなかった。代わりに。
「八乃野いずる君の両親をご存じですよね」
鍵の問いに、霜松が眉を寄せる。楽しい話題ではないらしい。
「ええ、もちろん」
「何故二人が死んだのかも?」
「心中と聞いておりますが」
「心中する心当たりは」
「私にある訳がない。遺書もありませんでしたし、いずるも知らないと警察に答えていたはずです」
「何年前の話です」
「確か五年になります。いずるが六年生のときでしたから」
鍵は腕を組むと、虚空に視線を飛ばした。霜松市松は首をひねる。
「いずるの両親の件が、六道さんと結びつくと?」
すると鍵も首をかしげた。
「それはわからないですよ、どこで誰と何が結びつくか。わからないから頭に入れておくんです。入れとけば、たまには瓢箪から駒が出る事もありますしね」
それを聞いて、霜松市松は感心したように言う。
「あなた、本当に探偵なんですね」
「たまに言われますよ」
鍵は苦笑した。
警察は午後、日が高いうちに帰って行った。数坂を始めとした刑事連中は、昨日の朝からぶっ続けで働き詰めだ。いかに体力に自信があろうと、そろそろまとまった時間眠らなければ倒れるのではないか。そんな心配をおくびにも出さない鍵ではあったが。
夕方、鍵と笹桑は風呂に入り、夕食を霜松市松と摂った。メニューはミートソースのスパゲティ。もちろん鍵はコショウで真っ黒にしたのだが。その後、二人はまた寝室に籠もる。他にできる事もないし仕方ない。
薄暗い天井を見ながら、探偵は頭を回転させた。自分のついた嘘とは何だ。それをいま思い出すべき理由は何だ。あの部分が書かれたとき、まだ三太郎と四界の事件は起きていなかったはず。ならば、あの言葉は国田満夫の事件と関わっているという事だろうか。
しかし三太郎と四界の、そして国田満夫の死は当面どうでもいい。興味がないわけではないが、自殺でない可能性が高いなら、それは警察案件、自分が関わる必要などないだろう。考えるべきは六道の行方である。生死を問わず、だ。
もし仮に、六道が生きていたとしよう。その場合、問題はいまどこにいるかではなく、何故姿を隠しているのかである。
隠れる事に何の意味がある。誰から隠れるのだ。たとえば警察か。誰かを脅迫している事がバレそうになった、とか。だが現実に警察はその線では動いていない。自意識過剰という可能性もあるか。
もし仮に、六道が死んでいたとしよう。その場合、問題はいまどこにいるかではなく、何故死体が見つからないかである。
ここよりもっと深い山奥、あるいは海の真ん中など、見つからない場所で殺されているのかも知れないし、都会の裏でコンクリート詰めにされているのかも知れない。だが実際、誰がわざわざリスクを冒して殺すというのだ。過大評価の可能性もあるか。本当に自殺の可能性だってなくはない。
祈部豊楽の依頼は、六道の居場所を探し出し、問題が起きているなら金で解決する事だが、それは二次的、三次的な解答である。生きている場合、身を隠す理由によって居場所にたどり着けるだろうし、死んでいるにしても、そうなった理由次第で死体も見つかる事だろう。ならばまず、どちらの蓋然性が高いと言えるのか。
事を左右するのは馬雲千香の存在だ。六道は馬雲千香のレコードを持っていた。それは単なるファン心理なのか、もしくは身内から有名人が出た事の誇らしさなのかも知れない。
しかし、もし仮定の話として、そのレコードを持って馬雲千香に接近したら。「サインが欲しい」と言われたら、馬雲千香は六道を遠ざけただろうか。
近付いて言葉を交しさえすれば、脅迫は可能だ。一言で済む。
「○○を知っている」
基本的には、それだけで十分。後は相手の反応次第でどうとでもなる。
無論、その反応の中に「殺意を向けられる」というのもある訳だが、それを恐れるようなヤツが何度も脅迫を繰り返すはずがない。
頭に引っかかっているのは、国田満夫が盗聴中に聞いたという事件だ。あの男、馬雲千香に殺されたかも知れない男が、もし祈部六道なら。そこから国田殺害までは、つながると思える。ただし、三太郎と四界を殺す理由は見当たらない。
鍵は一つため息をついた。六道以外の事件については考える対象から外したいのだが、どうにも絡みついてくる。ならば、それらはまとめて考えるべき事なのだろうか。
推理はロッククライミングみたいなものだと思う。まず、手を伸ばさなければ始まらない。
もちろん手を伸ばした先が砂の塊なら、谷底に落ちてしまう。だから体重をかけるかどうかは慎重に決めなければならないが、手を伸ばす前に無理だと決めつけるのは、ただの馬鹿だ。
そこに可能性があるのなら、とにかく手を伸ばし、少しでも引っかかる部分があるなら、それをつかむ。これを繰り返して上を目指すのだ。多少強引であろうとも。
いつの間にかうつむいていた顔を上げたとき、鍵の脳裏に浮かんでいたのは霜松市松の顔。それは腹立たしげな、あるいは悔しげな。その顔を見たのは昼間の渡り廊下。この直前、自分は何と言ったのだったか。探偵は思い出した。
――その信頼も愛情も、勝ち得なかった息子がいます
確かそうだ。この言葉が気に入らなかったのだろうか。何がだ。どこが気に入らなかった。わからない。そもそも自分はどうして霜松市松が気になっているのだろう。わからない。何か理由があるようにも思うのだが、一度考えを整理する必要があるようだ。
「……ま、今夜は寝るか」
その小さなつぶやきに、笹桑が食いついた。
「一緒に寝たげましょうか?」
「お断りです」
即答でキッパリ断ると、鍵は部屋の端に畳まれていた布団を引きずり、入り口の障子の手前に敷いた。何かあったらすぐ逃げられるように。
「霜松市松に目を付けたか。なるほど」
真っ暗な寝室で、ノートPCのモニターライトが鍵の顔を浮かび上がらせる。鍵蔵人であって鍵蔵人ではない人物の顔を。音もなくキーボードを叩きながら、ジョウ・クロードはニンマリと微笑んだ。
「霜松市松に関する疑問点としては、と。そうだな、まず何で鍵蔵人に目を付けたのか、そこがイマイチ明解じゃない。六道が自殺する心配をしたのだとしても、他に探偵はいくらでもいただろう。あれは何か隠している気がする。父親の話は、どこまで本当なのか。豊楽に借金があるのは、四界の言葉があるから間違いないんだろうが。八乃野いずるとの関係も、気になるっちゃなるな。俺の印象では、やけにかばっている気がする。後は女中のななみとの間柄か。果たして、ただの医者と患者の家族ってだけなのか。ななみと言えば、何でななみが四界の死体を発見したんだ」
そこまで打ち込んで、ジョウ・クロードはため息をついた。
「なあ『雲』。こいつに嘘を思い出させて、どうする気なんだ」
そして、何かに耳を傾けるかのように首をかしげると、眉を寄せた。
「いや、念を押せじゃねえよ。どうするのかって聞いてんだろうが……ハイハイ、わかったよ。まったく、おまえは頑固だね。誰に似たんだか」
不満げな言葉を漏らすと、また一つため息をつく。
「て言うか、こいつもこいつだ。俺が書いてるのを読んでるくせに、何で返事を書き込まないんだよ。嫌な野郎だ」
そうつぶやきつつ、暗い部屋で楽しげにキーを打ち続ける。延々と赤い文字で。
深夜。針を落としても響きそうな静寂の中を、小さな明かりが動いた。左手に一本のロウソクを持つ、白い着物を着た女の影。祈部邸の母屋の廊下を、足音もなく東側の離れに向かって。
東側の離れには、霜松市松の部屋、そして鍵と笹桑の眠る客用の和室。
和室の障子が音もなく開くと、ロウソクの明かりの中、すぐ手前に布団を敷いて、うつ伏せで眠っている鍵の姿が浮かぶ。着物の女の右手には、金属光沢を放つ、細長く鋭い物。女はそれを、目の前の首筋に突き刺そうと振りかぶった。
しかし、女の視界を突如覆ったのは、跳ね上がった掛け布団。そのまま女に布団ごと抱きつき、押さえ込んだのは鍵。ただし。
「悪いが、まだ殺されてやる訳には行かなくてね」
袈裟固めで余裕の笑みを浮かべるのは、鍵蔵人であって彼ではない。バタバタと女の抵抗する音に、笹桑が目を覚ました。
「なーに暴れてるっすかあ。夜這いなら静かに……」
「ああ、悪いけど警察に通報してくれないかな、可愛いお嬢さん」
一瞬呆気に取られた笹桑だったが、慌てて枕元のスマホを手にした。
午後三時、鍵と笹桑は、最初に祈部豊楽と面会した同じ広間でまた豊楽に会っていた。鍵としては別に豊楽の部屋で話しても良かったのだが、そんな畏れ多い事を、自分の立場をわきまえなさい、と戸女に責め立てられて、この場所で会う事になったのだ。
「すまんな探偵さん。戸女も悪気がある訳ではないんじゃが」
一段高い場所で、豊楽はいささか申し訳なさそうな顔をしているものの、部屋の隅では戸女が敵意を視線に込めて鍵をにらみつけている。正座をした探偵は小さく苦笑すると、了解したという風に片手を上げた。
「それはともかく豊楽さん、いまのうちに基本的な質問をしておいていいでしょうか」
「いまのうち、とは」
「そのうち警察の対応で忙しくなるでしょうから」
「それはちと面倒臭いのだが、本当にそうなるかの」
腕を組んで片眉を上げる豊楽に、鍵はうなずいた。
「おそらくは」
「ふうむ……まあええ、それで聞きたい事とは何じゃね」
「まず、馬雲千香さんは豊楽さんの弟の孫、という関係で良かったんでしたね」
豊楽は一瞬キョトンとした。
「はて、それが六道の行方不明と関係あるのかね」
「あるかも知れませんし、ないかも知れません。何がどこでどうつながってるのか、まだわからない段階ですからね、一応という事で」
豊楽は納得したような、していないような顔で「そういうもんかの」とつぶやいた。
「まあ確かに、アレはワシの弟の孫娘じゃが」
「当然、六道さんとの面識はあるんですよね」
「ある。千香が子供の頃から知っておる」
「最近、と言うか、千香さんがプロのバイオリニストになってからはどうです」
「どうと言われてもな。年に何回か、千香がここに来るときには会うておるはずじゃよ」
「会ってましたか。普通に」
「言うとる意味がよくわからんのだが、探偵さん」
すると鍵はしばし考え込み、話題を少し変えた。
「八乃野いずる君ですが」
「いずるがどうしたね」
「彼もこの家の関係者なんですか」
「ああ、いずるの両親は二人とも、この家で使用人をしておったのよ。ほんの十五年ほど前、ここにもう何人か使用人がおった頃だ」
「そのお二人とは、いまでも交流がある?」
それを聞くと豊楽は、急に険しい顔になった。
「いや、あの二人は亡くなっておるのだ」
「二人とも、ですか」
「痛ましい事件じゃったよ。ワシの口から詳しい事は言いとうない。ただ両親が死んで、いずるは馬雲の家に引き取られた訳だ」
それだけ話すと、豊楽は口をつぐんでしまった。鍵はまたしばらく考え込むと、不意に戸女に目を向けた。
「六道さんと四界さんは、どんな兄弟でしたか」
「な、なんですか、いきなり」
「いや、使用人の立場からどう見えたのかな、と思いまして」
戸女はムッとした顔を鍵に向ける。
「使用人の立場で、あれこれ言える訳がありますか」
「なるほど、つまりあれこれ言いたい事はあったと」
「揚げ足を取りなさんな!」
怒鳴りこそしなかったが、戸女の視線は厳しい。しかし鍵は気にも留めない。
「兄弟仲は良かったんですよね」
その誰にたずねるでもない問いに、豊楽が答える。
「あの二人はな。うちの家族の中でも特別に、双子かと思うほどいつも一緒におったの」
「たとえば……そう、たとえば何か秘密を共有するくらいの仲ではあった」
豊楽はうなずいた。
「さあて、二人の秘密があったかどうかまではわからんが、それくらいあっても不思議ではなかったろうな」
「でも、四界さんは六道さんの行方を知らなかった」
「ワシがたずねたときには知らんと言うておった。だがいまにして思えば、本当は知っておったのだろうか。もっとキツく聞いておけば良かったのかの」
悔やむ豊楽の表情に、嘘はないと鍵には思えた。ただ、それ故に浮かび上がる違和感。この違和感の正体をたずねれば、豊楽は無理のない返事をしただろう。それで終わってしまう。ならば、ここではたずねない事としよう。この違和感が何かにつながるかも知れないのだから。
鍵と笹桑が寝室に戻ろうと廊下を歩いていると、渡り廊下で霜松市松とななみが立ち話をしているのを見かけた。ななみは何度も頭を下げると、母屋から見て南東側の小さな離れの方に走り去って行く。近付いた鍵に気付き、霜松市松も歩み寄った。
「豊楽さんには会えましたか」
「ええ、まあ。母親の診察ですか」
離れの方を見ている鍵に、霜松市松はうなずく。
「週に一度の診察です。このところ安定しているので、医者としては楽なものですが」
すると、鍵は急に話題を変えた。
「豊楽さんは、六道さんと四界さんの事を可愛がっていましたか」
霜松市松は、少し間を置いてこうたずねた。
「突然ですね。何かあったのですか」
「思いついた事は、なるべく早めに解決しといた方がいいと思っただけですよ。何日も無駄飯を喰らう訳にも行きませんし」
その返事に、霜松市松は遠い目をした。イロイロと思い出しているのだろう。
「ふむ、世間では馬鹿な子ほど可愛いと言います。その点では豊楽さんも例外ではありませんでした」
「ただし、家は九南さんに継がせたいと考えていた」
「信頼と愛情は別物ですからな」
「その信頼も愛情も、勝ち得なかった息子がいます」
すると霜松市松は、口をつぐんで鍵を見つめた。鍵は続けてたずねる。
「豊楽さんは、三太郎さんの事をどう思ってたんです」
しばし疑わしげに鍵を見つめた後、霜松市松は答えた。
「簡単に言うなら、困っていた、というところかと」
「しかし、幾つもの会社で役員を任せている。優秀だったんじゃないですか」
その指摘に静かにうなずく霜松市松。
「頭は良かった。ただ、他人から愛される人間性ではなかった。人の輪の中に入って汗をかかせるより、独りで部屋に閉じ込めておいた方が祈部の家には利益が大きい。豊楽さんはそう思っていたのかも知れません」
「そんな三太郎さんが、会社の金に手をつけた」
「だから困っていたのでしょう」
なるほど、これか。豊楽と話したときに感じた違和感の正体は。
あのとき自分は馬雲千香、八乃野いずる、そして六道と四界について豊楽にたずねた。九南と三太郎には触れていない。
だが九南については家の跡を継がせようというのだ、信用も信頼もあろう。ところが一方の三太郎はどうだ。つい二日前に殺されたばかりの三太郎に触れなかったのに、豊楽は気に留める様子もなかった。
もしや豊楽は、三太郎が死んで喜んでいるのではないか。鍵はそう思ったが、その問いを霜松市松には向けなかった。代わりに。
「八乃野いずる君の両親をご存じですよね」
鍵の問いに、霜松が眉を寄せる。楽しい話題ではないらしい。
「ええ、もちろん」
「何故二人が死んだのかも?」
「心中と聞いておりますが」
「心中する心当たりは」
「私にある訳がない。遺書もありませんでしたし、いずるも知らないと警察に答えていたはずです」
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鍵は腕を組むと、虚空に視線を飛ばした。霜松市松は首をひねる。
「いずるの両親の件が、六道さんと結びつくと?」
すると鍵も首をかしげた。
「それはわからないですよ、どこで誰と何が結びつくか。わからないから頭に入れておくんです。入れとけば、たまには瓢箪から駒が出る事もありますしね」
それを聞いて、霜松市松は感心したように言う。
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「たまに言われますよ」
鍵は苦笑した。
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薄暗い天井を見ながら、探偵は頭を回転させた。自分のついた嘘とは何だ。それをいま思い出すべき理由は何だ。あの部分が書かれたとき、まだ三太郎と四界の事件は起きていなかったはず。ならば、あの言葉は国田満夫の事件と関わっているという事だろうか。
しかし三太郎と四界の、そして国田満夫の死は当面どうでもいい。興味がないわけではないが、自殺でない可能性が高いなら、それは警察案件、自分が関わる必要などないだろう。考えるべきは六道の行方である。生死を問わず、だ。
もし仮に、六道が生きていたとしよう。その場合、問題はいまどこにいるかではなく、何故姿を隠しているのかである。
隠れる事に何の意味がある。誰から隠れるのだ。たとえば警察か。誰かを脅迫している事がバレそうになった、とか。だが現実に警察はその線では動いていない。自意識過剰という可能性もあるか。
もし仮に、六道が死んでいたとしよう。その場合、問題はいまどこにいるかではなく、何故死体が見つからないかである。
ここよりもっと深い山奥、あるいは海の真ん中など、見つからない場所で殺されているのかも知れないし、都会の裏でコンクリート詰めにされているのかも知れない。だが実際、誰がわざわざリスクを冒して殺すというのだ。過大評価の可能性もあるか。本当に自殺の可能性だってなくはない。
祈部豊楽の依頼は、六道の居場所を探し出し、問題が起きているなら金で解決する事だが、それは二次的、三次的な解答である。生きている場合、身を隠す理由によって居場所にたどり着けるだろうし、死んでいるにしても、そうなった理由次第で死体も見つかる事だろう。ならばまず、どちらの蓋然性が高いと言えるのか。
事を左右するのは馬雲千香の存在だ。六道は馬雲千香のレコードを持っていた。それは単なるファン心理なのか、もしくは身内から有名人が出た事の誇らしさなのかも知れない。
しかし、もし仮定の話として、そのレコードを持って馬雲千香に接近したら。「サインが欲しい」と言われたら、馬雲千香は六道を遠ざけただろうか。
近付いて言葉を交しさえすれば、脅迫は可能だ。一言で済む。
「○○を知っている」
基本的には、それだけで十分。後は相手の反応次第でどうとでもなる。
無論、その反応の中に「殺意を向けられる」というのもある訳だが、それを恐れるようなヤツが何度も脅迫を繰り返すはずがない。
頭に引っかかっているのは、国田満夫が盗聴中に聞いたという事件だ。あの男、馬雲千香に殺されたかも知れない男が、もし祈部六道なら。そこから国田殺害までは、つながると思える。ただし、三太郎と四界を殺す理由は見当たらない。
鍵は一つため息をついた。六道以外の事件については考える対象から外したいのだが、どうにも絡みついてくる。ならば、それらはまとめて考えるべき事なのだろうか。
推理はロッククライミングみたいなものだと思う。まず、手を伸ばさなければ始まらない。
もちろん手を伸ばした先が砂の塊なら、谷底に落ちてしまう。だから体重をかけるかどうかは慎重に決めなければならないが、手を伸ばす前に無理だと決めつけるのは、ただの馬鹿だ。
そこに可能性があるのなら、とにかく手を伸ばし、少しでも引っかかる部分があるなら、それをつかむ。これを繰り返して上を目指すのだ。多少強引であろうとも。
いつの間にかうつむいていた顔を上げたとき、鍵の脳裏に浮かんでいたのは霜松市松の顔。それは腹立たしげな、あるいは悔しげな。その顔を見たのは昼間の渡り廊下。この直前、自分は何と言ったのだったか。探偵は思い出した。
――その信頼も愛情も、勝ち得なかった息子がいます
確かそうだ。この言葉が気に入らなかったのだろうか。何がだ。どこが気に入らなかった。わからない。そもそも自分はどうして霜松市松が気になっているのだろう。わからない。何か理由があるようにも思うのだが、一度考えを整理する必要があるようだ。
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「一緒に寝たげましょうか?」
「お断りです」
即答でキッパリ断ると、鍵は部屋の端に畳まれていた布団を引きずり、入り口の障子の手前に敷いた。何かあったらすぐ逃げられるように。
「霜松市松に目を付けたか。なるほど」
真っ暗な寝室で、ノートPCのモニターライトが鍵の顔を浮かび上がらせる。鍵蔵人であって鍵蔵人ではない人物の顔を。音もなくキーボードを叩きながら、ジョウ・クロードはニンマリと微笑んだ。
「霜松市松に関する疑問点としては、と。そうだな、まず何で鍵蔵人に目を付けたのか、そこがイマイチ明解じゃない。六道が自殺する心配をしたのだとしても、他に探偵はいくらでもいただろう。あれは何か隠している気がする。父親の話は、どこまで本当なのか。豊楽に借金があるのは、四界の言葉があるから間違いないんだろうが。八乃野いずるとの関係も、気になるっちゃなるな。俺の印象では、やけにかばっている気がする。後は女中のななみとの間柄か。果たして、ただの医者と患者の家族ってだけなのか。ななみと言えば、何でななみが四界の死体を発見したんだ」
そこまで打ち込んで、ジョウ・クロードはため息をついた。
「なあ『雲』。こいつに嘘を思い出させて、どうする気なんだ」
そして、何かに耳を傾けるかのように首をかしげると、眉を寄せた。
「いや、念を押せじゃねえよ。どうするのかって聞いてんだろうが……ハイハイ、わかったよ。まったく、おまえは頑固だね。誰に似たんだか」
不満げな言葉を漏らすと、また一つため息をつく。
「て言うか、こいつもこいつだ。俺が書いてるのを読んでるくせに、何で返事を書き込まないんだよ。嫌な野郎だ」
そうつぶやきつつ、暗い部屋で楽しげにキーを打ち続ける。延々と赤い文字で。
深夜。針を落としても響きそうな静寂の中を、小さな明かりが動いた。左手に一本のロウソクを持つ、白い着物を着た女の影。祈部邸の母屋の廊下を、足音もなく東側の離れに向かって。
東側の離れには、霜松市松の部屋、そして鍵と笹桑の眠る客用の和室。
和室の障子が音もなく開くと、ロウソクの明かりの中、すぐ手前に布団を敷いて、うつ伏せで眠っている鍵の姿が浮かぶ。着物の女の右手には、金属光沢を放つ、細長く鋭い物。女はそれを、目の前の首筋に突き刺そうと振りかぶった。
しかし、女の視界を突如覆ったのは、跳ね上がった掛け布団。そのまま女に布団ごと抱きつき、押さえ込んだのは鍵。ただし。
「悪いが、まだ殺されてやる訳には行かなくてね」
袈裟固めで余裕の笑みを浮かべるのは、鍵蔵人であって彼ではない。バタバタと女の抵抗する音に、笹桑が目を覚ました。
「なーに暴れてるっすかあ。夜這いなら静かに……」
「ああ、悪いけど警察に通報してくれないかな、可愛いお嬢さん」
一瞬呆気に取られた笹桑だったが、慌てて枕元のスマホを手にした。
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片田舎に探偵事務所を構える20歳の探偵、星見スイ。その友人の機械系研究者である揺と豪華客船に乗ってバカンスのためにメキシコのマンサニージョへと向かう。しかし、その途中で、船内に鳴り響く悲鳴とともに、乗客を恐怖が襲う。スイと揺は臨機応変に対応し、冷静に推理をするが、今まで扱った事件とは明らかに異質であった。乗客の混乱、犯人の思惑、第二の事件。スイと揺はこの難事件をどう解決するのか。
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
雨屋敷の犯罪 ~終わらない百物語を~
菱沼あゆ
ミステリー
晴れた日でも、その屋敷の周囲だけがじっとりと湿って見える、通称、雨屋敷。
そこは生きている人間と死んでいる人間の境界が曖昧な場所だった。
遺産を巡り、雨屋敷で起きた殺人事件は簡単に解決するかに見えたが。
雨屋敷の美貌の居候、早瀬彩乃の怪しい推理に、刑事たちは引っ掻き回される。
「屋上は密室です」
「納戸には納戸ババがいます」
此処で起きた事件は解決しない、と言われる雨屋敷で起こる連続殺人事件。
無表情な美女、彩乃の言動に振り回されながらも、事件を解決しようとする新米刑事の谷本だったが――。
【完結】少女探偵・小林声と13の物理トリック
暗闇坂九死郞
ミステリー
私立探偵の鏑木俊はある事件をきっかけに、小学生男児のような外見の女子高生・小林声を助手に迎える。二人が遭遇する13の謎とトリック。
鏑木 俊 【かぶらき しゅん】……殺人事件が嫌いな私立探偵。
小林 声 【こばやし こえ】……探偵助手にして名探偵の少女。事件解決の為なら手段は選ばない。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
深淵の迷宮
葉羽
ミステリー
東京の豪邸に住む高校2年生の神藤葉羽は、天才的な頭脳を持ちながらも、推理小説の世界に没頭する日々を送っていた。彼の心の中には、幼馴染であり、恋愛漫画の大ファンである望月彩由美への淡い想いが秘められている。しかし、ある日、葉羽は謎のメッセージを受け取る。メッセージには、彼が憧れる推理小説のような事件が待ち受けていることが示唆されていた。
葉羽と彩由美は、廃墟と化した名家を訪れることに決めるが、そこには人間の心理を巧みに操る恐怖が潜んでいた。次々と襲いかかる心理的トラップ、そして、二人の間に生まれる不穏な空気。果たして彼らは真実に辿り着くことができるのか?葉羽は、自らの推理力を駆使しながら、恐怖の迷宮から脱出することを試みる。
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