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【六ノ章】取り戻した日常
第一二〇話 強烈な目覚め
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鳥の囀りが鼓膜を揺さぶった。
白む瞼を開けば、朝日の差し込む窓と見慣れた天井が映る。アカツキ荘の自室だ。
確か、後夜祭の片付けをシルフィ先生と眺めてる内に、疲れのせいか寝落ちして。
ちょうどいい機会だと思って、紫の魔剣の精神世界にカチコミをしかけたんだ。
その後、名前を貰って興奮したリブラスをレオ達に任せて現実世界に戻り……朝が来たのか。開かれた窓から入る温い風が頬を撫で、あることに気づいてパッと目が覚める。
もしかして先生が俺を部屋まで運んでくれたのかな? だとしたら、後でお礼を言わないと……
「あんなことに巻き込まれたばかりなのに、坊やってば早起きね。もっとゆっくりしていてもバチは当たらないでしょうに」
「…………ん?」
身体を起こそうとして、押さえるように胸板へ置かれた白磁の腕が邪魔をする。細いのに押し退けられない。
いや、気になる所はそこじゃない。耳元で、聞こえるはずがない人の声に囁かれた。全身の毛穴が広がり、嫌な汗が肌を伝う。
馬鹿な、そんな訳ないだろ、と否定したくなる思考を頭の隅に追いやって。
錆び付いた緩慢な動きで、声のする方へ顔を向けたら。
「おはよう、坊や」
「──キャーッ!?」
乱れた衣服から艶やかな肢体を晒し、こちらを見つめるシュメルさんが居て。
自分でも驚くほど飛び出た甲高い悲鳴と、仰向けのまま跳び上がるという初体験が室内を揺らした。
「わあ。まるで猫ちゃんね」
「あだっ!」
緩やかに進む視界と部屋の中心に落ちる身体。
抑揚の無い声音で呟くシュメルさんに返答する間もなく、背中をしたたかに打ちつけた。
「いやいやいやっ! 聞きたい事が山のようにありますけど、なな、なんで俺の部屋に!?」
「不用心な君がいけないのよ? 同居してる他の皆が気を使ってくれたんでしょうけど、窓を開けて眠るなんて」
「玄関から入ってきた訳でもなく不法侵入!?」
驚愕の真実に叫びつつ、シーツを手繰り寄せ、身体に這わせるシュメルさんから視線を外して。
朝の六時を指し示す時計、武具の設計図で埋もれた机、壁のフックに掛けられた俺の改造制服と女性物の上着。
順に巡らせ、開け放たれた窓を見れば確かに、サッシの部分に靴跡が残されていた。ベッドの傍には踵を揃えた靴も置かれている。
「ちゃんと土は落としたから、部屋を汚してはいないわよ」
「問題はそこじゃないんですよ!?」
ニコリと笑って、あたかも自身に非が無いように言ってのけるシュメルさん。
当然、これだけ騒いでアカツキ荘の面々が起きないはずもなく、複数人の足音が近づいてくる。
なんかレオが侵入してきた時と似た既視感を抱く……って、呆けてる場合じゃない! なんて言い訳したらいいんだ!? 歓楽街のトップがはだけた格好で男の、しかも学生の部屋にいるとかスキャンダルまっしぐらだろ!
「デバイスにメッセージ連投されてて、なに言ってんだコイツと思ったらこういうことか! 人様の家で……ってかどうやって……窓から入ったわね!?」
しかし誤魔化しの思考よりも早く、扉が開け放たれる。
真っ先に入ってきたのは寝間着姿のフレン学園長だった。
「ふふっ、サプライズ成功ね」
「のほほんと言ってる場合か、普通に犯罪だっつーの!」
「事前に断りを入れておいたのに?」
「了承してから入れっ! しかもこんな朝っぱらに来る必要なんて……ああもう、とにかく出なさい! みんな混乱してるから、落ち着いてから話をするわよ!」
「あらあら……」
学園長はずんずんとシュメルさんへ詰め寄り、シーツごと包むとそのまま抱えて部屋を出ていった。上着と靴をきっちり回収して。
「……あさからつかれた」
「まあ、そういうこともあるだろ。詳しい話は俺らが聞いとくから、お前は二度寝しとけよ」
「うん」
シュメルさんは良い人だが予測不可能で、エキセントリックな言動を取るという認識が植え付けられているのか。
エリックは半ば諦めきった物言いで提案してくれたので、厚意に甘えてベッドで横になる。
突然の事態に巻き込まれたと言うのに。
「まだ眠っていても構いませんよ」
「私達に比べてクロトさんはずっと働いていましたから……」
シルフィ先生とカグヤが別室から毛布を持ってきて。
「にぃに。ちゃんと休んでね?」
「そうそう。後夜祭から丸一日寝たきりになってたんだから、しっかり体力を戻しておくれよ」
ユキとセリスがぬいぐるみを持ち込んで枕元に置いて。
労うように言葉を掛けてから、全員が部屋を後にした。
静寂が訪れた室内に響く時計の針の音、木々のざわめき、鳥の鳴き声。
どれもが寝起きの頭に優しく降りかかり、次第に眠気を誘っていく。
ベッドの中で何度も寝返りを打ちながら、ついさっきまでの騒動がまるで嘘かのように、段々と意識が薄れ──
「待って。今、丸一日寝てたって言ったか?」
驚愕の真実を思い出し、眠気は綺麗さっぱり吹き飛んだ。
◆◇◆◇◆
シュメルさんの添い寝事件から一時間後。
「おはようございます! 早速で悪いけど、もしかして俺、納涼祭の振り替え休日を一日無駄にした!?」
「寝てていいっつってんのに、そこが気になって目が覚めたのか」
「身体は万全だからね!」
聞き捨てならない情報に意識がはっきりしてからは早かった。服を着替え、ベッドを片付けて。
ぬいぐるみを返すため脇に抱えて、呆れたような口ぶりのエリックを尻目に。
皆で朝ご飯を食べているリビングに降り立った。そこには人目に出ても問題ない恰好をしたシュメルさんもいた。
「元気がいいわね、坊や」
「いいんですか、学園長? 仮にも彼女、不法侵入者ですよ」
「よくはないけど言っても無駄よ。いつ来てもおかしくないシュメルがいるのに、窓を開けていた私たちが迂闊だった。それだけのことよ」
「寝込みを襲われてるようなものだったんですが?」
「大丈夫。さっき説明したけど、手は出してないわ」
「安心できる要素どこ? というか馴染み過ぎでは?」
漫画でしか見たことが無いような、山盛りになったトースト。
テーブルに並ぶ各種ジャム、スクランブルエッグにこんがり焼かれた腸詰め肉、彩り野菜のサラダ。
ご機嫌な朝食のラインナップの中から、トースターを一枚取って。
以前、手隙な時に作ったマナベリーのジャムを塗りたくり、口に運ぶシュメルさんへツッコミながらカグヤの隣に座る。ぬいぐるみはリビングのソファーに置きました。
「なんだかんだ言ってお世話になった人だし? しかも昨日も見舞いに来てくれた流れで朝飯を一緒に食ったし、別にいいかなって」
「そん時もね、にぃにの横で添い寝してくれてたんだよ。早く起きてくれますようにって」
「前科有りかよ。マジでなにやってんですか?」
「でも、昨日はちゃんと玄関から入ってお見舞いの理由を説明して、人目を盗んで坊やの部屋に侵入して添い寝してあげたわ」
「前半はともかく後半はおかしいですよ」
頬をいっぱいに膨らませたセリスとユキ、言い分がおかしいシュメルさんに頭痛が生じる。
俺が寝てる空白の一日に一体何が起きていたんだ……?
「大丈夫ですか、クロトさん? お気を確かに」
「ありがとう、カグヤ。あんまり日常生活で聞かない言葉だけど、労わってくれてるのは十分に理解できる」
牛乳を注いだコップと皿を差し出してきたカグヤにお礼を言いつつ、みるみる減っていくトーストの山から二枚抜き取る。
「しかし暴動事件の後始末で忙しいでしょうに、こんな所で遊んでていいんですか?」
「問題ないわ。再開発区画の直近として歓楽街に被害は出たけど、そこまで深刻ではないから。ただ、色街の機能を発揮できるのは当分かかるかもね」
バターを塗って、トーストを二つ折りにしてかぶりつく。
ん~、香ばしい風味とまろやかな甘みが口の中に広がるぅ。空いた腹にこれは暴力的ですわよ。
「それに花園の子達が君を心配してて、復興作業に集中できてないみたいだし。安心させる為に様子を見に来る必要があったのよ」
「んじゃあ、本当にお見舞いに来てくれただけなんです?」
「ええ。半分くらいは」
「半分くらいは」
言外にまだ理由があると言いたげなシュメルさんに思わずオウム返し。
イタズラ好きで含みのある言葉を好む彼女のことだから、何か意図があるのだろうか?
「シュメル。私達は既に聞かされていますが、クロトさんは起きたばかりで何も知らないんですよ。もったいぶらないでちゃんと教えてあげてください」
「はいはい。もう、昔っから貴女は真面目よね」
キッチンから追加のトースターを持ってきたシルフィ先生が、おちゃらけた様子のシュメルさんを諫める。
後夜祭の時から薄々と感じてはいたけど、二人とも面識はあるっぽいんだよね。学園長っていう共通の知人がいる以上、当然と言えば当然なんだろうけど。
……学園長とシュメルさんに挟まれた先生、か。想像するだけで胃壁が擦り減りそう。
「クロトさん、おかわりはいりますか?」
「あっ、いっぱい欲しいです。後夜祭から何も食べてないんで」
「ふふっ、食べ過ぎて動けなくなっても知りませんよ?」
自然と空いていた俺の隣に座って、トースターを取り分けてくれた先生に頭を下げる。
スクランブルエッグ、サラダを乗せてパンで挟み、簡易的なサンドイッチを作成。大口を開けて頬張れば、塩コショウと調和したタマゴにサラダの瑞々しさが加わる……大満足な食い応えだ。
というか先生、距離近くない? ダイニングテーブルは大きいから、もう少し間隔を開けてもいいんですよ? 肩がぶつかるくらい近いじゃないですか。
『だからこそ、貴方に知ってもらいたい。私が私であった秘密を、証明を……貴方に刻んで欲しい』
……後夜祭の時に抱き締められた感覚を思い出すから、ちょっと恥ずかしい。
いま思えば、あのシチュエーションで二人だけの秘密の共有とかちょっとエッチだよね。思春期の男子にアレは毒ですよ。
──ダメだダメだ! 納涼祭やらルーザーの事が落ち着いたから、思考が煩悩寄りになってやがる! 去れっ、今は必要ない!
「坊やがいきなり頭を振り出したけど……具合悪いの?」
「考え事してたら余計な思考が入ってきて混乱してる時の症状ですね」
「偶に見掛ける発作みたいなヤツなんで気にしないでください」
「人の癖を病気みたいに言うんじゃあないよ! まったく失礼だね……んで、アカツキ荘に来た別の理由ってなんですか?」
「ああ、そうそう。食卓が楽しくて忘れちゃうところだったわ」
口端に付いたジャムを紙ナプキンで拭き取り、紅茶で喉を潤すシュメルさんに話を促す。
「そうねぇ、色々と詰めなくちゃいけない部分は多いんだけど……」
ぼやきながら、持ち込んできた手提げカバンを探る彼女を前に予想を立てる。
歓楽街のある南西区画は再開発区画の間近。今回の件で人や建物の損害が少なからず出ているとして、治療費やら修繕費が必要になるはずだ。
加えて本人が色街の機能を取り戻すまで時間が掛かると言っていたように、再開するまでの補填を考えなくてはいけない。
いくら“麗しの花園”が潤っていて、説明会のように補う余地があるといっても限度がある。尚且つ、色々な思惑が交差した結果、丸く収まったように見えてその実、不利益しかもたらしていない馬鹿がいる。
そう、俺だ。協力関係だとしても学生禁制の歓楽街に入り浸り、無断で商いをしていた事実を、俺はシュメルさんに握られている。
ただでさえ事情を知らない住民から鼻つまみな扱いを受けているのに、俺と関わってしまった。そのせいで謂れの無い悪評が波及的に広がる可能性がある。
人的、建物、風評。三種の被害について、やり手の経営者たるシュメルさんが何も思わないと考えられるだろうか? いいや、ありえない。
初対面時ですら豪快でありながら繊細に、狡猾な根回しを企んでいた女傑だ。恐らくぐうの音も出ない正論を叩きつけながら、補填について語り出すに違いない。
勝手に巻き込んだ上に、事件の尻拭いに付き合わせてしまった相手に逆らうようなマネはしたくない。
だから何を告げられようと言い訳も言い逃れもしない、が…………また、借金をこさえる可能性が出てきたな。
子ども達の入学金すら返済し終えてないのに、新たな負債を背負うのか。ふふっ、いつまでも借金から逃げられない……
「とりあえず真っ先に固めたいのはアカツキ荘と“麗しの花園”の共同提携について、ね」
「……ん? きょうどうていけい?」
「そうよ。分かりやすく言えば──坊やとお金稼ぎをしたい、ってところね」
スラリとした指を一本立てて。
シュメルさんは悪戯っぽく、笑いかけてきた。
白む瞼を開けば、朝日の差し込む窓と見慣れた天井が映る。アカツキ荘の自室だ。
確か、後夜祭の片付けをシルフィ先生と眺めてる内に、疲れのせいか寝落ちして。
ちょうどいい機会だと思って、紫の魔剣の精神世界にカチコミをしかけたんだ。
その後、名前を貰って興奮したリブラスをレオ達に任せて現実世界に戻り……朝が来たのか。開かれた窓から入る温い風が頬を撫で、あることに気づいてパッと目が覚める。
もしかして先生が俺を部屋まで運んでくれたのかな? だとしたら、後でお礼を言わないと……
「あんなことに巻き込まれたばかりなのに、坊やってば早起きね。もっとゆっくりしていてもバチは当たらないでしょうに」
「…………ん?」
身体を起こそうとして、押さえるように胸板へ置かれた白磁の腕が邪魔をする。細いのに押し退けられない。
いや、気になる所はそこじゃない。耳元で、聞こえるはずがない人の声に囁かれた。全身の毛穴が広がり、嫌な汗が肌を伝う。
馬鹿な、そんな訳ないだろ、と否定したくなる思考を頭の隅に追いやって。
錆び付いた緩慢な動きで、声のする方へ顔を向けたら。
「おはよう、坊や」
「──キャーッ!?」
乱れた衣服から艶やかな肢体を晒し、こちらを見つめるシュメルさんが居て。
自分でも驚くほど飛び出た甲高い悲鳴と、仰向けのまま跳び上がるという初体験が室内を揺らした。
「わあ。まるで猫ちゃんね」
「あだっ!」
緩やかに進む視界と部屋の中心に落ちる身体。
抑揚の無い声音で呟くシュメルさんに返答する間もなく、背中をしたたかに打ちつけた。
「いやいやいやっ! 聞きたい事が山のようにありますけど、なな、なんで俺の部屋に!?」
「不用心な君がいけないのよ? 同居してる他の皆が気を使ってくれたんでしょうけど、窓を開けて眠るなんて」
「玄関から入ってきた訳でもなく不法侵入!?」
驚愕の真実に叫びつつ、シーツを手繰り寄せ、身体に這わせるシュメルさんから視線を外して。
朝の六時を指し示す時計、武具の設計図で埋もれた机、壁のフックに掛けられた俺の改造制服と女性物の上着。
順に巡らせ、開け放たれた窓を見れば確かに、サッシの部分に靴跡が残されていた。ベッドの傍には踵を揃えた靴も置かれている。
「ちゃんと土は落としたから、部屋を汚してはいないわよ」
「問題はそこじゃないんですよ!?」
ニコリと笑って、あたかも自身に非が無いように言ってのけるシュメルさん。
当然、これだけ騒いでアカツキ荘の面々が起きないはずもなく、複数人の足音が近づいてくる。
なんかレオが侵入してきた時と似た既視感を抱く……って、呆けてる場合じゃない! なんて言い訳したらいいんだ!? 歓楽街のトップがはだけた格好で男の、しかも学生の部屋にいるとかスキャンダルまっしぐらだろ!
「デバイスにメッセージ連投されてて、なに言ってんだコイツと思ったらこういうことか! 人様の家で……ってかどうやって……窓から入ったわね!?」
しかし誤魔化しの思考よりも早く、扉が開け放たれる。
真っ先に入ってきたのは寝間着姿のフレン学園長だった。
「ふふっ、サプライズ成功ね」
「のほほんと言ってる場合か、普通に犯罪だっつーの!」
「事前に断りを入れておいたのに?」
「了承してから入れっ! しかもこんな朝っぱらに来る必要なんて……ああもう、とにかく出なさい! みんな混乱してるから、落ち着いてから話をするわよ!」
「あらあら……」
学園長はずんずんとシュメルさんへ詰め寄り、シーツごと包むとそのまま抱えて部屋を出ていった。上着と靴をきっちり回収して。
「……あさからつかれた」
「まあ、そういうこともあるだろ。詳しい話は俺らが聞いとくから、お前は二度寝しとけよ」
「うん」
シュメルさんは良い人だが予測不可能で、エキセントリックな言動を取るという認識が植え付けられているのか。
エリックは半ば諦めきった物言いで提案してくれたので、厚意に甘えてベッドで横になる。
突然の事態に巻き込まれたと言うのに。
「まだ眠っていても構いませんよ」
「私達に比べてクロトさんはずっと働いていましたから……」
シルフィ先生とカグヤが別室から毛布を持ってきて。
「にぃに。ちゃんと休んでね?」
「そうそう。後夜祭から丸一日寝たきりになってたんだから、しっかり体力を戻しておくれよ」
ユキとセリスがぬいぐるみを持ち込んで枕元に置いて。
労うように言葉を掛けてから、全員が部屋を後にした。
静寂が訪れた室内に響く時計の針の音、木々のざわめき、鳥の鳴き声。
どれもが寝起きの頭に優しく降りかかり、次第に眠気を誘っていく。
ベッドの中で何度も寝返りを打ちながら、ついさっきまでの騒動がまるで嘘かのように、段々と意識が薄れ──
「待って。今、丸一日寝てたって言ったか?」
驚愕の真実を思い出し、眠気は綺麗さっぱり吹き飛んだ。
◆◇◆◇◆
シュメルさんの添い寝事件から一時間後。
「おはようございます! 早速で悪いけど、もしかして俺、納涼祭の振り替え休日を一日無駄にした!?」
「寝てていいっつってんのに、そこが気になって目が覚めたのか」
「身体は万全だからね!」
聞き捨てならない情報に意識がはっきりしてからは早かった。服を着替え、ベッドを片付けて。
ぬいぐるみを返すため脇に抱えて、呆れたような口ぶりのエリックを尻目に。
皆で朝ご飯を食べているリビングに降り立った。そこには人目に出ても問題ない恰好をしたシュメルさんもいた。
「元気がいいわね、坊や」
「いいんですか、学園長? 仮にも彼女、不法侵入者ですよ」
「よくはないけど言っても無駄よ。いつ来てもおかしくないシュメルがいるのに、窓を開けていた私たちが迂闊だった。それだけのことよ」
「寝込みを襲われてるようなものだったんですが?」
「大丈夫。さっき説明したけど、手は出してないわ」
「安心できる要素どこ? というか馴染み過ぎでは?」
漫画でしか見たことが無いような、山盛りになったトースト。
テーブルに並ぶ各種ジャム、スクランブルエッグにこんがり焼かれた腸詰め肉、彩り野菜のサラダ。
ご機嫌な朝食のラインナップの中から、トースターを一枚取って。
以前、手隙な時に作ったマナベリーのジャムを塗りたくり、口に運ぶシュメルさんへツッコミながらカグヤの隣に座る。ぬいぐるみはリビングのソファーに置きました。
「なんだかんだ言ってお世話になった人だし? しかも昨日も見舞いに来てくれた流れで朝飯を一緒に食ったし、別にいいかなって」
「そん時もね、にぃにの横で添い寝してくれてたんだよ。早く起きてくれますようにって」
「前科有りかよ。マジでなにやってんですか?」
「でも、昨日はちゃんと玄関から入ってお見舞いの理由を説明して、人目を盗んで坊やの部屋に侵入して添い寝してあげたわ」
「前半はともかく後半はおかしいですよ」
頬をいっぱいに膨らませたセリスとユキ、言い分がおかしいシュメルさんに頭痛が生じる。
俺が寝てる空白の一日に一体何が起きていたんだ……?
「大丈夫ですか、クロトさん? お気を確かに」
「ありがとう、カグヤ。あんまり日常生活で聞かない言葉だけど、労わってくれてるのは十分に理解できる」
牛乳を注いだコップと皿を差し出してきたカグヤにお礼を言いつつ、みるみる減っていくトーストの山から二枚抜き取る。
「しかし暴動事件の後始末で忙しいでしょうに、こんな所で遊んでていいんですか?」
「問題ないわ。再開発区画の直近として歓楽街に被害は出たけど、そこまで深刻ではないから。ただ、色街の機能を発揮できるのは当分かかるかもね」
バターを塗って、トーストを二つ折りにしてかぶりつく。
ん~、香ばしい風味とまろやかな甘みが口の中に広がるぅ。空いた腹にこれは暴力的ですわよ。
「それに花園の子達が君を心配してて、復興作業に集中できてないみたいだし。安心させる為に様子を見に来る必要があったのよ」
「んじゃあ、本当にお見舞いに来てくれただけなんです?」
「ええ。半分くらいは」
「半分くらいは」
言外にまだ理由があると言いたげなシュメルさんに思わずオウム返し。
イタズラ好きで含みのある言葉を好む彼女のことだから、何か意図があるのだろうか?
「シュメル。私達は既に聞かされていますが、クロトさんは起きたばかりで何も知らないんですよ。もったいぶらないでちゃんと教えてあげてください」
「はいはい。もう、昔っから貴女は真面目よね」
キッチンから追加のトースターを持ってきたシルフィ先生が、おちゃらけた様子のシュメルさんを諫める。
後夜祭の時から薄々と感じてはいたけど、二人とも面識はあるっぽいんだよね。学園長っていう共通の知人がいる以上、当然と言えば当然なんだろうけど。
……学園長とシュメルさんに挟まれた先生、か。想像するだけで胃壁が擦り減りそう。
「クロトさん、おかわりはいりますか?」
「あっ、いっぱい欲しいです。後夜祭から何も食べてないんで」
「ふふっ、食べ過ぎて動けなくなっても知りませんよ?」
自然と空いていた俺の隣に座って、トースターを取り分けてくれた先生に頭を下げる。
スクランブルエッグ、サラダを乗せてパンで挟み、簡易的なサンドイッチを作成。大口を開けて頬張れば、塩コショウと調和したタマゴにサラダの瑞々しさが加わる……大満足な食い応えだ。
というか先生、距離近くない? ダイニングテーブルは大きいから、もう少し間隔を開けてもいいんですよ? 肩がぶつかるくらい近いじゃないですか。
『だからこそ、貴方に知ってもらいたい。私が私であった秘密を、証明を……貴方に刻んで欲しい』
……後夜祭の時に抱き締められた感覚を思い出すから、ちょっと恥ずかしい。
いま思えば、あのシチュエーションで二人だけの秘密の共有とかちょっとエッチだよね。思春期の男子にアレは毒ですよ。
──ダメだダメだ! 納涼祭やらルーザーの事が落ち着いたから、思考が煩悩寄りになってやがる! 去れっ、今は必要ない!
「坊やがいきなり頭を振り出したけど……具合悪いの?」
「考え事してたら余計な思考が入ってきて混乱してる時の症状ですね」
「偶に見掛ける発作みたいなヤツなんで気にしないでください」
「人の癖を病気みたいに言うんじゃあないよ! まったく失礼だね……んで、アカツキ荘に来た別の理由ってなんですか?」
「ああ、そうそう。食卓が楽しくて忘れちゃうところだったわ」
口端に付いたジャムを紙ナプキンで拭き取り、紅茶で喉を潤すシュメルさんに話を促す。
「そうねぇ、色々と詰めなくちゃいけない部分は多いんだけど……」
ぼやきながら、持ち込んできた手提げカバンを探る彼女を前に予想を立てる。
歓楽街のある南西区画は再開発区画の間近。今回の件で人や建物の損害が少なからず出ているとして、治療費やら修繕費が必要になるはずだ。
加えて本人が色街の機能を取り戻すまで時間が掛かると言っていたように、再開するまでの補填を考えなくてはいけない。
いくら“麗しの花園”が潤っていて、説明会のように補う余地があるといっても限度がある。尚且つ、色々な思惑が交差した結果、丸く収まったように見えてその実、不利益しかもたらしていない馬鹿がいる。
そう、俺だ。協力関係だとしても学生禁制の歓楽街に入り浸り、無断で商いをしていた事実を、俺はシュメルさんに握られている。
ただでさえ事情を知らない住民から鼻つまみな扱いを受けているのに、俺と関わってしまった。そのせいで謂れの無い悪評が波及的に広がる可能性がある。
人的、建物、風評。三種の被害について、やり手の経営者たるシュメルさんが何も思わないと考えられるだろうか? いいや、ありえない。
初対面時ですら豪快でありながら繊細に、狡猾な根回しを企んでいた女傑だ。恐らくぐうの音も出ない正論を叩きつけながら、補填について語り出すに違いない。
勝手に巻き込んだ上に、事件の尻拭いに付き合わせてしまった相手に逆らうようなマネはしたくない。
だから何を告げられようと言い訳も言い逃れもしない、が…………また、借金をこさえる可能性が出てきたな。
子ども達の入学金すら返済し終えてないのに、新たな負債を背負うのか。ふふっ、いつまでも借金から逃げられない……
「とりあえず真っ先に固めたいのはアカツキ荘と“麗しの花園”の共同提携について、ね」
「……ん? きょうどうていけい?」
「そうよ。分かりやすく言えば──坊やとお金稼ぎをしたい、ってところね」
スラリとした指を一本立てて。
シュメルさんは悪戯っぽく、笑いかけてきた。
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万年Fランクの【永遠の新米おじさん】と言われた宮下の成り上がり劇が今幕を開ける。

「残念でした~。レベル1だしチートスキルなんてありませ~ん笑」と女神に言われ異世界転生させられましたが、転移先がレベルアップの実の宝庫でした
御浦祥太
ファンタジー
どこにでもいる高校生、朝比奈結人《あさひなゆいと》は修学旅行で京都を訪れた際に、突然清水寺から落下してしまう。不思議な空間にワープした結人は女神を名乗る女性に会い、自分がこれから異世界転生することを告げられる。
異世界と聞いて結人は、何かチートのような特別なスキルがもらえるのか女神に尋ねるが、返ってきたのは「残念でした~~。レベル1だしチートスキルなんてありませ~~ん(笑)」という強烈な言葉だった。
女神の言葉に落胆しつつも異世界に転生させられる結人。
――しかし、彼は知らなかった。
転移先がまさかの禁断のレベルアップの実の群生地であり、その実を食べることで自身のレベルが世界最高となることを――
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