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【五ノ章】納涼祭
第一〇〇話 “ドレッドノート”
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空気を切り裂く音。
結界に叩きつけられる瓦礫の音。
錐揉みする視界は定まらず、身体の奥が熱を持つ。
たっぷり十数秒。身動きの取れないままエリック達は灯りの無い穴を落ちていく。
《イグニート・ディバイン》によって身体を保護してはいるが、この落下速度で叩きつけられたらひとたまりもない。
クッキーの入った箱を落として箱だけが無事だったとしても、中身が砕けてしまうように。
冒険者としての知識と経験からもたらされる、走馬灯の如き刹那の間隙から現実を見て。
訪れる悲惨な未来を回避するべく、エリックは《イグニート・ディバイン》のイメージを切り替える。
針すら通さない強固で堅牢な盾から、柔らかくも分厚く破れることの無い水膜へと。
弾き返すのではなく、受け止める。エリック達を包む覆う薄赤色の結界がぐにゃり、と変質した。
厚みを増した不安定な泡と称すべきそれは、数瞬も経たず地面に叩きつけられる。柔軟な感触を押し付けられた三者はくぐもった声を漏らす。
硬い地面へ着地した衝撃を吸収し、玉のように跳ね転がり、役目を終えた結界が消失した。
「っ……くそ、ひでー目に遭ったぜ。二人とも、無事か!?」
「は、はい!」
「なんとか、ね」
投げ出された三人がそれぞれの状態を確認。
突発的な事態ではあったがエリックは目論み通りに事が済み、安堵の息を落とす。しかし安心はできない、と彼らは瞬時に自覚する。
湿り気のある空気。肌に纏わりつくような独特の重圧。無遠慮に向けられる何かの視線。
すり鉢状の大広間。地上まで続く吹き抜けから覗く斜陽の光。流れ込んでくる外気の魔素に当てられ、煌々と輝く魔力結晶。
ありとあらゆる全ての要素が、単なる地下空間ではないと物語っている。転がり落ちた地はまぎれもなく迷宮なのだ、と。
それに。
──あの叫び声。並みの魔物が放つものじゃねぇ。
緊張の糸を締めて、警戒度を引き上げるエリックの額から汗が垂れる。
地面を陥没させるほどの威力を持つ、魔力の込められた咆哮。
建材を土塊に。
土塊を土砂に。
人体のみならず環境を容易く変化させてしまうような魔物が潜んでいる。その事実が呼吸をわずかに乱す。
その変化に、気づかない迷宮主ではなかった。
『──』
ズシンッ、と。
重量のある音へ、自ずと三人は視線を向ける。そこに佇む巨大な輪郭を視界に入れた。
徐々に近づいてくるそれは魔力結晶に照らされ、全貌を露わにする。
全長一〇メートルはある四足獣。
はち切れんばかりに紫紺の表皮を膨張させる、筋骨隆々の肢体。
一踏みするごとに四肢の先に延びた鈍色の爪は岩石を切り裂く。
不機嫌そうに獅子のようにしなやかな尾をぶらつかせ、それでも尚エリック達を視界にすら入れず。
ただただ姿を見せるだけに留まった迷宮主の頭部には、対を成す頑強な捻じれ角と血のように赤い眼球。
そして、白磁の牙を垣間見せる口腔から肉塊を垂れ下げていた。
──肉塊は、無残にも食い散らかす直前のルーザーだった。
誰かが記憶を呼び起こす。
光の無い目と凄惨な姿だが、あれは確かに魔科の国の──と。
誰かが歯を食い縛った。
もはや生存の余地は無い。だとしても、あんな惨い死に方なんて──と。
誰かが武器を握り締めた。
奴の視界に入っていないのは食事に夢中だからだ。それが終われば──と。
誰もが息を呑む。気づけば、周りにいた魔物どもの気配はどこにもなかった。
否、彼らの眼前に立つ迷宮主の威圧に畏れ、気圧され、正常な判断を失った矮小な命を自ら断たせたのだ。
空を舞う灰の残滓が彼らの肌を撫でる。わずかに残った魔物すら、気配を悟られぬよう尻尾を巻いて去っていく。
生まれながらにしての王であるとしても、通常の迷宮主ではありえない異常現象。
当然だ。何せこの迷宮主は己の牙城である迷宮を広げ、再開発区画に現存する全ての迷宮を平伏し、己の糧とした正真正銘の怪物。
生物としての圧倒的な格の違い。
迷宮主の中でも特段に危険とされ、凶暴性と闘争本能の塊とも揶揄される魔物……ベヒーモス。
その最上位種たる名を──“ドレッドノート”と。
恐れを知らない絶対的暴君は咥えた餌を一息に口内へ。
嫌に響く咀嚼音。肉が千切れ、骨が砕け、人が人でなくなる音。
目を逸らしてはならない。耳を塞いではならない。背を向けてはならない。
一度隙を見せれば角が、牙が、爪が、一瞬で命を刈り取るだろう。それが分からないほど甘えた思考を彼らは備えていない。
『──』
やがて食事を終えたドレッドノートは肉片混じりの衣類を吐き出し、静かに次の餌を睥睨する。
警戒を極限まで高めた彼らは即座に飛び退く。直後に、先ほどまで立っていた場所が前肢で踏み抜かれ、陥没。
衝撃と爆音。直撃を受けた後の光景など、言うまでもなく想像できる。
「くそったれ! あの野郎、最期にとんでもねぇもん残しやがった!」
何故と問いたい理由も、解明したい真相も山ほどあった。真犯人がルーザーであったとするなら尚更だ。
しかし、その願いはもう叶わない。とにかく、今は生き残ることに集中しなくては。
悪態を吐きながら、エリックは無刃の大剣《スクレップ》を構える。
「クロトの手伝いをするだけ、のはずだったのにな」
「すみません、まさかこのような事態になるとは……」
「君が謝る必要は無いよ。どの道、誘拐犯を捕まえてそれで解決になるとは思ってなかったし……」
どことなく諦観が込められた声を落としながら、ルシアは自らの獲物であるナイフを抜いた。隣に並ぶカグヤも同じく、腰に佩いた“菊姫”の鯉口を切る。
逃げ場など、どこにもないのだ。ならば、立ち向かうしかないだろう。
臨戦態勢に入った三人を見下ろし、ドレッドノートは双眸を吊り上げた。
「──来るぞッ!!」
あまりにも小さな影が三つ。
あまりにも大きな影が一つ。
対峙し、咆哮を轟かせて。
全てを統べる王との戦いに身を投じるのだった。
結界に叩きつけられる瓦礫の音。
錐揉みする視界は定まらず、身体の奥が熱を持つ。
たっぷり十数秒。身動きの取れないままエリック達は灯りの無い穴を落ちていく。
《イグニート・ディバイン》によって身体を保護してはいるが、この落下速度で叩きつけられたらひとたまりもない。
クッキーの入った箱を落として箱だけが無事だったとしても、中身が砕けてしまうように。
冒険者としての知識と経験からもたらされる、走馬灯の如き刹那の間隙から現実を見て。
訪れる悲惨な未来を回避するべく、エリックは《イグニート・ディバイン》のイメージを切り替える。
針すら通さない強固で堅牢な盾から、柔らかくも分厚く破れることの無い水膜へと。
弾き返すのではなく、受け止める。エリック達を包む覆う薄赤色の結界がぐにゃり、と変質した。
厚みを増した不安定な泡と称すべきそれは、数瞬も経たず地面に叩きつけられる。柔軟な感触を押し付けられた三者はくぐもった声を漏らす。
硬い地面へ着地した衝撃を吸収し、玉のように跳ね転がり、役目を終えた結界が消失した。
「っ……くそ、ひでー目に遭ったぜ。二人とも、無事か!?」
「は、はい!」
「なんとか、ね」
投げ出された三人がそれぞれの状態を確認。
突発的な事態ではあったがエリックは目論み通りに事が済み、安堵の息を落とす。しかし安心はできない、と彼らは瞬時に自覚する。
湿り気のある空気。肌に纏わりつくような独特の重圧。無遠慮に向けられる何かの視線。
すり鉢状の大広間。地上まで続く吹き抜けから覗く斜陽の光。流れ込んでくる外気の魔素に当てられ、煌々と輝く魔力結晶。
ありとあらゆる全ての要素が、単なる地下空間ではないと物語っている。転がり落ちた地はまぎれもなく迷宮なのだ、と。
それに。
──あの叫び声。並みの魔物が放つものじゃねぇ。
緊張の糸を締めて、警戒度を引き上げるエリックの額から汗が垂れる。
地面を陥没させるほどの威力を持つ、魔力の込められた咆哮。
建材を土塊に。
土塊を土砂に。
人体のみならず環境を容易く変化させてしまうような魔物が潜んでいる。その事実が呼吸をわずかに乱す。
その変化に、気づかない迷宮主ではなかった。
『──』
ズシンッ、と。
重量のある音へ、自ずと三人は視線を向ける。そこに佇む巨大な輪郭を視界に入れた。
徐々に近づいてくるそれは魔力結晶に照らされ、全貌を露わにする。
全長一〇メートルはある四足獣。
はち切れんばかりに紫紺の表皮を膨張させる、筋骨隆々の肢体。
一踏みするごとに四肢の先に延びた鈍色の爪は岩石を切り裂く。
不機嫌そうに獅子のようにしなやかな尾をぶらつかせ、それでも尚エリック達を視界にすら入れず。
ただただ姿を見せるだけに留まった迷宮主の頭部には、対を成す頑強な捻じれ角と血のように赤い眼球。
そして、白磁の牙を垣間見せる口腔から肉塊を垂れ下げていた。
──肉塊は、無残にも食い散らかす直前のルーザーだった。
誰かが記憶を呼び起こす。
光の無い目と凄惨な姿だが、あれは確かに魔科の国の──と。
誰かが歯を食い縛った。
もはや生存の余地は無い。だとしても、あんな惨い死に方なんて──と。
誰かが武器を握り締めた。
奴の視界に入っていないのは食事に夢中だからだ。それが終われば──と。
誰もが息を呑む。気づけば、周りにいた魔物どもの気配はどこにもなかった。
否、彼らの眼前に立つ迷宮主の威圧に畏れ、気圧され、正常な判断を失った矮小な命を自ら断たせたのだ。
空を舞う灰の残滓が彼らの肌を撫でる。わずかに残った魔物すら、気配を悟られぬよう尻尾を巻いて去っていく。
生まれながらにしての王であるとしても、通常の迷宮主ではありえない異常現象。
当然だ。何せこの迷宮主は己の牙城である迷宮を広げ、再開発区画に現存する全ての迷宮を平伏し、己の糧とした正真正銘の怪物。
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その最上位種たる名を──“ドレッドノート”と。
恐れを知らない絶対的暴君は咥えた餌を一息に口内へ。
嫌に響く咀嚼音。肉が千切れ、骨が砕け、人が人でなくなる音。
目を逸らしてはならない。耳を塞いではならない。背を向けてはならない。
一度隙を見せれば角が、牙が、爪が、一瞬で命を刈り取るだろう。それが分からないほど甘えた思考を彼らは備えていない。
『──』
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衝撃と爆音。直撃を受けた後の光景など、言うまでもなく想像できる。
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何故と問いたい理由も、解明したい真相も山ほどあった。真犯人がルーザーであったとするなら尚更だ。
しかし、その願いはもう叶わない。とにかく、今は生き残ることに集中しなくては。
悪態を吐きながら、エリックは無刃の大剣《スクレップ》を構える。
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逃げ場など、どこにもないのだ。ならば、立ち向かうしかないだろう。
臨戦態勢に入った三人を見下ろし、ドレッドノートは双眸を吊り上げた。
「──来るぞッ!!」
あまりにも小さな影が三つ。
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