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【五ノ章】納涼祭

第七十一話 手の届く範囲は守りたい《中編》

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 ──逆三角のような頭。エルフにも似た耳と同じく、側頭部からは捻じれた両角が生えていた。
 黒い瞳は何も映しておらず、ただただ眼下を見下ろしていて何を考えてるかは読めない。頬まで開く大口からは、牙と長い舌がシュルシュルと伸びる。
 色白と言うにはあまりにも生気の無い、まるで石膏のような肌色。
 三メートル近い、細身の体。背後には一対二枚の蝙蝠羽が規則正しく羽ばたいている。
 枯れ木のような腕、脚の先には鋭く伸びた爪が生えていて、こすりあって耳障りな音を鳴らす。

 全体的に骨ばった見た目にもかかわらず、肌の奥で引き締まった筋肉が静かに主張していた。
 巨大な岩から彫り出した石像が動いている……そんな錯覚を覚えたが、滲み出る強い生命力がその無機質な認識を否定する。
 周囲に風属性の魔素マナが揺らめいてた。視界に映るほど高密度であり、それが高速飛行と滞空を可能としているのだろう。

 風属性の魔力器官を備えた、その魔物モンスターの名は──ガルヴィード。
 ガーゴイル系魔物の迷宮主であるそいつが、突如としてニルヴァーナの上空に飛来した。
 過去にもガルヴィードの襲撃を受けた事があり、その事実を知る住人も知らない者も含めて。
 不意に訪れた強力な魔物の登場に、平和な街は恐慌におちいった。

 ◆◇◆◇◆

「《コンセントレート》!」

 魔力操作で強化した四肢に光輪が出現する。
 一瞬で引き起こされた恐怖と混乱に耳を塞いで、助走を付けて跳ぶ。
 両脚の光輪が砕け、石畳がひびれる。気にも留めず、今度は建物のへりに制服の帯を伸ばし、巻き付けて。
 ギチギチと千切れそうなほどに。左腕で力を込めて引っ張り、光輪が弾け飛んだ。
 体に掛かる上昇負荷、後ろに流れる視界、遠ざかる喧騒──眼前に迫るガルヴィード。
 色々と気になる事はあるが、自警団の警戒網を容易に突破する魔物を相手に、出し惜しみはしない!

「落ちろぉ!!」

 既に抜いていた片手剣を、体を捻じって渾身の力で振り下ろす。
 いきなり現れた俺の姿を捉えたガルヴィードはかすかに反応し片腕を構えた。
 衝突。凄まじい衝撃が右腕を突き抜けると同時に、残った最後の光輪が粒子となり重低音が腹の底に響いた。
 鉄のように硬い皮膚だ。傷一つ付いておらず、逆にこちらの刃が欠けている。
 やはりでは力不足だ。丹精を込めた自作品ではあるが、迷宮主に通用する武器じゃない。
 それでも無視できないダメージだったのか、苦悶の声を上げたガルヴィードは体勢を維持できず、よろめいて落下していく。逃がすか!

「このままもう一撃……っ」

 追撃を仕掛ける為にガルヴィードの胴体に帯を伸ばし、接近しようとして奴の翼が振動している事に気づいた。
 頭の奥がじわりと熱を持つ嫌な感覚に従い、帯を別の建物に巻いて落下の軌道を変える。
 直後、翼が動く。俺が落ちていた上空を圧縮された風の魔力が通り過ぎた。
 風の余波で揉まれながら何とか屋根に着地。高密度である為、緑に色づいて可視化された風に目を向ければ。
 それは進行上にある大気の魔素すら吸収し、肥大化して一直線に飛んでいき、遠くの雲を両断した。

「風の刃、鎌鼬かまいたちってわけか」
『あと数瞬、判断が遅れていたら、あの雲の代わりに我らが真っ二つになっていたな』
「射程距離で威力が減衰した様子は無く、常にあれを放たれる可能性があるなんて……ぞっとするな」
『──ッ』

 頬を伝う汗を拭い、レオの平坦な声に応えていると。
 体勢を整えたガルヴィードが品定めでもするかのように凝視し、爪を擦り合わせていた。
 恐らく、自身にとっての支配領域である空にいながら攻撃を受けた事実が信じられないのだろう。
 身動きの取れない空中だというのに、風の刃さえも避けられたのだから。必殺の流れを断ち切った相手を警戒して観察する気持ちはよく分かる。

 しかし翼を持たない俺と自由に飛行できる奴では、戦略の幅に圧倒的な差がある。文字通り、雲泥の差だ。
 馬鹿正直に降りて戦うわけもなく、遠距離から風の刃を撃たれ続けられたら……俺だけじゃない、街にも被害が及ぶ。
 そうなれば最悪の場合…………思わず、剣の柄を強く握る。
 迂闊な手段は取れない。冷静に、かつ早急に対処しなくては。

 互いに出方をうかがう空気の中、視界の端で巨壁の上から弓や魔法でガルヴィードを狙う自警団の姿を確認できた。
 街中に散開していた団員も集結し、役割を分担し行動を始めている。
 迅速な避難誘導によって近隣の人気ひとけは急速に消え去り、建造物の強度を高める魔法が展開された。

 土属性の魔力が建物に染み込み、次いで地面が淡く輝いて、半透明な結界が南東地区全体を覆い尽くす。
 街の至る所に仕込んである、簡易的ながらも並の上級魔法程度では砕けない結界だ。風の刃だろうと容易く弾き飛ばせるだろう。
 だが、凄まじい効果の代償として術者の魔力を常に消費していくはず……複数人で負担を分担させて展開しているとはいえ、あまり時間は掛けられない。

「頼りない武器を片手に自警団と協力して迷宮主を討伐する、か。しかも時間制限付きで? ……キツイな」
『せめていつもの長剣であれば、やりようはいくらでもあるのだが。もしもの時は我を使うのも考えておけ』
「四の五の言ってられる状況じゃあないからね……」

 体に眠る魔剣の鼓動を感じながら、周囲の異変に気づいて辺りを見渡すガルヴィードに切っ先を向ける。
 相変わらず、研ぐように擦り合わせていた爪がピタリと止まった。
 次いで獰猛な笑みを浮かべた奴は、翼を大きく羽ばたかせて風を起こし、上昇する。全身に纏う風属性の魔素が強まった。
 やはり自分の得意な土俵で戦うつもりらしい。翼を持たない俺では太刀打ちできないと理解している。
 いいだろう、その挑発に乗ってやる。

「ソラ、アレをやろう」
『キュ、キュッ!』

 召喚陣から飛び出した、やる気十分なソラを懐に押し込む。
 体に展開された複数の魔法陣を見やり、剣を握る手の甲を噛み切る。
 魔力の通った血液が空中で螺旋を描き、片手剣の刀身をコーティングし明滅する魔装具へと転身させた。
 これから飲んでる暇は無い。制服の裏にあるホルダーからポーションを抜き取って、一息に飲み干す。
 この状況で出来るだけの策は施した。幾分かマシになるはずだ。

 右脚をぐっと踏み出し、風が巻き起こる。
 背中を押す衝撃に流されるまま、空中へ身を投げ出し──足下に出現した、を踏み台にして大きく跳ぶ。
 次々と空中に広がる魔法陣を移動しながら、余裕そうな表情を止めたガルヴィードの眼前に。
 過ぎ去り様に、風の加速を加えた横薙ぎを叩き込んだ。鉄の皮膚を切り裂き、右肩を抉る。
 別の屋根に着地し、狼狽うろたえる奴を見上げた。

「空中戦をご所望なんだろ? 付き合ってやるよ、魔力が切れるまでな」
『──ッ』

 二度も先手を取られ、痛手を負わせられ、煽り返される。
 自身よりも遥かに劣る存在が成し得た事実が、保っていた平静の境界線を決壊させたのか。
 血飛沫ちしぶきを撒き散らし、驚愕と不快な感情が混ざった叫びと共に。
 鋭い爪を繰り出してきたガルヴィードの一撃を逸らし、即座に距離を取った奴を追う。
 ニルヴァーナを襲おうとした報いは受けてもらうぞ!

 ◆◇◆◇◆

「エルノール団長、報告です! 現在、東の大通りにて迷宮主相当の魔物モンスターが襲撃してきました! 外見の特徴から、ガルヴィードであると!」
「チッ、何年か前に来たのと同じ奴か……避難状況はどうなってる?」
「住人の避難は四割ほど! 土属性魔法による建物の保護、展開した結界での逃走阻止は完了しております!」
「人手が足りなければ他の支部で待機してる団員を走らせろ、怪我人がいるやもしれん。俺も今から至急、東の大通りに向かう」
「はいっ、わかりま……えっ?」

「どうした?」
「し、信じがたい情報ですが……臨時依頼で参加した人員の一人が、ガルヴィードに空中戦を繰り広げているそうです!」
「…………はぁ? なんだってそんなトンチキなマネを……待て、戦ってる奴の服装は?」
「は、白衣のような物を着ている男で、風貌から察するに学園生徒ではないかと」
「……心当たりがあるな。アイツならやりかねない」

 ◆◇◆◇◆

 住宅街の上空で火花が散る。交差する爪と剣の衝突だ。
 片や緩やかで自由のある軌道を描く飛行で。
 片や直線的で鋭角な飛行……ではなく、制服の帯や血液魔法で作りあげた血のロープを用いた特殊移動。
 重力に逆らいながら、視界が上下左右に目まぐるしく切り替わる。
 時には張られた結界すら魔力を込めた脚で蹴って、縦横無尽に駆け巡る。
 加速、停止、急加速。どれも容易なガルヴィードに上手く戦えていると思う。あちらは大した制限が無く、こちらは体力や魔力が無くなればそれで終わりだが。
 小細工でそれなりに差を埋めているとはいえ、やはり決定的な違いは着実に歪みを生み出している。

「ぐっ……!」

 度重なる着地と瞬時に距離を埋める高速移動は関節に負荷を掛け、徐々に動きの精細さを欠いていく。
 ポーションの修復と損傷を繰り返す熱が思考を邪魔する。
 こちらの事情なんて知った事ではない奴は、狂ったように爪で切り裂こうと距離を詰めてきた。
 かろうじて魔力操作の強化のみで凌げているが、防げば防ぐほど手元の剣は削れ、刃こぼれし、切れ味が下がっていく。

 爪だけじゃない。隙を見ては風の刃が放たれ、空気を穿うがつ。
 その標的は俺だけでなく、援護しようとする団員達にも向けられる。放つ寸前で阻止したり注意を引き付けてはいるが、カバーしきれない分は避けるか相殺するのに必死で、彼らの動きが制限されていた。
 弓や魔法は結界を通り抜けるらしいが、俺達の戦う背後に市街地がある為、避難できていない住人に当たる可能性がある。
 故に手が出せない。同様の理由で爆薬を使うのも躊躇われる。

「歯がゆいな……! 決定打が無い!」
『守りに徹していながら討伐するのは厳しいぞ。汝の体も限界が近いであろう?』
「そうなんだけど、ねッ!」

 空中での鍔迫り合いから弾かれ、浮ついた体が落ち始めた。
 またどこかに着地しようと帯を伸ばしかけて、ガルヴィードの視線がどこかへ向いているのに気付く。
 追うように目を動かした先で、逃げ遅れたのであろう家族が尻餅をついていた。怯え切った表情のまま体を震えさせていて、立ち上がれそうにない。
 そんな彼らを見逃すほど奴は甘くなかった。翼が振動し、今にも風の刃が発射されようとしている。

「させるかぁ! 《コンセントレート》!」

 着地と同時に光輪が両腕に回る。衝撃で全身に走る痛みを嚙み殺し、跳ぶ。
 滞空したガルヴィードを越えて上段に構えた剣を振り抜き──ぐりんっ、と。
 気味の悪い首の動きで、捻じれた両角に絡め取られた刀身が……なかばで折れる。
 手に掛かる感触が軽くなり、刀身を覆う血液が液体と化した。くそっ、ここでガタが来るのかよ!
 手元に残った剣を見下ろした先で、奴と目が合った。
 大口は愉しげに開かれ、翼の魔素が一点に集中している。まさかコイツ、最初から至近距離で放つ為に、わざとあの人達を狙って……!?

『──ッ』
「まずっ……!」

 折れた剣を強引に突き刺したところでどうにもならない。
 標的の変わった風の刃が、ガルヴィードすら巻き込んで炸裂した。体を抱くように交差した両腕が裂かれ、頬を切り、腹部に生暖かい感触が広がる。
 即座に襲い掛かる激痛が視界を白黒に反転させた。身動きの取れない体を掴まれ、無造作に投げられる。
 ソラを守るように胸元を押さえ、東の大通りメインストリートに続く広場の噴水へ叩きつけられた。
 石造りの彫刻が粉砕する。受け身も取れず、血の混じる水飛沫が飛び散った。
 脳が揺れる。視界の焦点が定まらない。
 激しく揺れ動いた臓器によって生じる吐き気が気力を擦り減らす。

「ぐっ、が……」
『キュキュ、キュイ!』
『っ、なんという痛みだ。気が狂うぞ』
「耐え、られない、なら……痛覚、接続を、切れよ……」

 どこか焦りを滲ませるレオにそう吐き捨てて、血液魔法で止血を施し、傷を癒す。
 最近練習し始めたソラの回復魔法と、少ない魔力でなんとか立ち上がるほどには回復した。だが、胸元に忍ばせていたポーションの瓶が全て割れてしまった。爆薬の瓶も同じだ。
 攻撃、回復手段をほとんど失い、対峙するガルヴィードは自傷による赤い線が目立つがまだ余力が残っている。
 苦し紛れに突き立てた剣を抜き捨て、奴は今まで以上に翼を震わせた。

 強まる耳鳴りに応じて魔素が収束し、辺りに強風が吹き荒れる。
 まるで竜巻の中心だ。屋根の木材が、石畳が剥がれ飛んでいき、多くの建物が軋み、悲鳴を上げている。
 最大出力の風の刃だ。そんな物が放たれれば、まず無事では済まない。
 避けれたとしても余波に巻き込まれ、この地区一帯が全壊する。
 自警団が力を合わせても打ち消せない。この場に頼れるアカツキ荘の誰かがいれば、と湧いて出た思考を振り払う。

「使うしか、ないのか」

 誰かの目に留まる可能性を考慮しても、周りに魔剣の存在が知られても。
 このまま街を傷つけてしまうのだとしたら、守りたいモノを守る為なら。
 恐れられても、気味悪がられても、手が届かないのなら選ぶだけだ。

「っ、レオ──」

 胸に手を当て、魔剣を顕現させようとして。



「「お兄さぁーんっ!」」



 暴風の音に負けない、避難させたはずの子ども達の声に振り向く。
 避難先の一つである自警団支部のある通りから。両手を口に当てて拡声器のように叫ぶ彼女達の後ろに、鍛冶の師匠である親方が立っていた。
 力強い眼でこちらを見据える親方は、片手剣より少し刀身の伸びた長剣を掲げ……流れるような動作で放り投げてきた。
 鞘に入った長剣が狙い違わず俺の手に納まったのを見やり、ニヤリと笑みを浮かべる。

「クロト! お主の力を見せてやれぇ!!」

 体の芯から熱が起きるような、心の底から力が湧いてくるような。
 思考に混じっていた諦めを消し去るほどの声援に頷き、長剣を抜く。
 ──リンッ、と。鈴を鳴らすような音に次いで、を抜き放つ。
 鍔があるべき箇所にはゴテゴテとした機械的な部品“トライアルマギア”が取り付けてあり、二つのスロット機構には属性の異なるアブソーブボトルが二本、既に装填されていた。

 両手で構えた長剣のグリップを三度回す。
 クリアカバーに秘められた歯車、サークルギアが駆動し光りだした。同時に光芒を散らして、幾何学きかがく模様の線が刀身をはしる。
 赤と黄。火と雷。
 相反するだけの属性は見事な調和を見せて、本来あるべきでない赫雷かくらいの輝きを見せる。

 異常を察知したガルヴィードが、溜め切った風の刃を間髪入れずに撃ち出した。
 目にも止まらぬ音速の刃を前に、視界の色が消え失せた。
 青空は灰色に、刀身は黒く染まる。
 街路樹のざわめきと壊れた噴水の湧き出る音、軋む建物を意識から外せば、後に残るのは俺の感覚だけ。
 この瞬間だけは、体に激痛が走っていても変わらない。

 音も、光も、時間も。全てが緩やかに進む世界を見据え、辿り着くべき答えを得る。
 一、十、百、千……いくつもの虚像が現れては煙のように薄れゆく。そうしてほころびを捉えた。自然と体が動いた。
 徐々に輪郭を取り戻していくのは、実現できる最良の選択肢。
 未知なる相手だろうと、これまでの経験が未来を確固たるモノとする。

 ──暁流練武術初級“天流あまながし”

 グリップのレバーを握り、振り抜いて。
 見えざる風刃を、あかき稲妻が切り裂いた。
 稲妻の向こうにいたガルヴィードの片翼を焼き落とし、青を取り戻した空が一瞬で焼ける。
 超高威力の耐え切れなかった結界が砕け、魔力の欠片かけらが降り注ぐ。
 耳障りな悲鳴を上げながら墜落し、よろめきながら立ち上がるガルヴィードに、生まれ変わった長剣の先を突きつけた。

「さあ──第二ラウンドだ」
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