自称平凡少年の異世界学園生活

木島綾太

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【四ノ章】借金生活、再び

短編 ちびっ子カルテット~巻き込まれた凡人~《本編》

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 冒険者の育成を目的とした学園を中心とする国家《ニルヴァーナ》。
 各国から性別・種族を問わず様々な人が集まるこの国で。

「ああ……ああ……」
「一目で疲れてるのが分かるくらいの衰弱っぷりですね」

 冒険者のドタバタ騒ぎがきっ腹に響く、ギルドの酒場にて。
 俺はクラス検査用の水晶を抱きかかえて椅子に座っていた。
 なぜ、ダンジョン攻略を禁止されているのに俺がギルドにいるのか。その理由は決して、学生らしくモンスターへ対策を考えるために図鑑を調べに来たとかそんなものでは無い。
 現状、優先すべき目的である借金の分割返済にやってきたからだ。
 いつも通り、依頼で得た資金を全てギルドの口座に振り込み、終わった頃にはちょうどお昼時だった。なので手近なテーブルにあった砂糖と塩、そして水を持ち出し、昼休憩に入っていたクラス適性鑑定士のシエラさんと一緒に昼食を食べている。
 ああ、今日も今日とて鉄管ビールが美味い。
 隣で広げられたサンドイッチが視界の端に映り込むたびに惨めな気持ちになるけど、気にしたら負けだ。

「最近、固形物を食べてないから体の調子が悪くて悪くて……。やっぱり水と調味料だけじゃ栄養は取れないや」
「さすがにご飯はしっかり食べましょうよ。冒険者は身体が基本なんですから」
「そうしたいんですけど、借金を抱えている環境が許してくれないから厳しいです。どっかに転がってませんかね? 学生冒険者がダンジョンに行かなくても楽に金が稼げる話」
「普通にバイトしたらいいと思いますよ? ギルドでも募集してますから、一度面接を受けてみては?」
「バイトかぁ……」

 今の俺にとっては地獄に垂らされた蜘蛛の糸くらいの救済措置だが、ほとんど月給制なのが痛い。
 日本に居た頃はアルバイト三昧ゲーム三昧の日々を送っていたが、この世界では学園の依頼を多くこなしたほうが稼げる事実に気づいた今だと、あまり旨味を感じなくなってしまった。
 経験はまだしも、足りない技術はある程度スキルで補えてしまえるし、金の生る木であるダンジョンが存在している世界だ。
 多少、命の危険が伴うリスクを差し引いても余りあるリターンが返ってくるダンジョン攻略を行ったほうが経済的、かつ国の資源も豊富になり、より多くの資金が回る。
 そんな環境が誰にでも許されているのに誰が好き好んで最低賃金ギリギリの仕事をするだろうか。
 コミュニケーション能力を鍛えたい、幅広い人間関係を構築したいのであれば話は別だが。

「まあ、焦って返済しても身体を壊すだけだし。これからはちょっとお金を残して、栄養のあるご飯を食べようかな」
「……よかったら、これ食べますか?」
「いや、いきなり味のある物を食べると体が過剰に反応してお腹が痛くなるので遠慮しときます。情けは無用でございまするのです」

 水晶のひんやりとした感触を堪能しつつ、差し出されたサンドイッチをシエラさんに押し返していると。
 ふと、入り口に人だかりが出来ていたことに気づいた。
 ギルド職員とその場にいた冒険者も集まり、何かと困ったような顔をしている。

「……なんか、入り口の方が騒がしいですね 」
「本当ですね。何かあったのでしょうか?」
「ダンジョンで倒れた人が搬送されてきたんですかね? でも、それにしては急いでる様子にも見えないし……」

 そこまで言って、耳を澄ませてみる。


「なあ、ちびっ子ども、悪いことは言わねえ。学園の生徒でもない限り、ギルドは子どもだけで入っちゃいけない場所なんだ。今すぐ回れ右して家に帰るか、もしくは親を連れてからまた来い」
「だーかーらぁ、何度も言ってるけどちびっ子じゃないって言ってるでしょ! こう見えてあなたより何倍も生きてるのよ!」
「あわ、あわわ……ひ、人がいっぱいいるよぉ……!」


 …………はて、どこかで聞いたことのある幼い声がしたような……いや、きっと気のせいだな。
 ストレスとか空腹とか色々あって頭が混乱してるに違いない。
 口には出さずに自分に言い聞かせ、納得し、作っていた砂糖水を飲み干して。

「イ、イレーネちゃん、やっぱり帰ろうよぉ。私たちの個人的な問題に下界の人を巻き込む訳には……」
「ダメよシンリ! ようやく仕事を片付けて余った有給を消化してここまで来たのに、今更引き返す訳にはいかないわ!」
「……嘘やん」

 確信した。言い争っているのは間違いなく、あの二人の女神だ。
 しかし何であいつらがここにいる? 神様ってそんな簡単に現世に現れていいのか? そもそも何をする為に来やがった?
 次々と浮かんでくる疑問に痛みを覚え、思わず眉間にしわが寄ってしまう。
 大丈夫、大丈夫だ。あいつらの目的が分からないにしろ、ここで息を潜めていれば俺の存在はバレない。
 過度に面倒事に巻き込まれることもなく、ただ安穏と平和な日常を愛するだけの一般人を演じていれば、絡まれることはないはずだ!

「でも、下界の人に任せたら、命がいくつあっても足りない……」
「だから一刻も早く彼を見つけ出して私たちに協力してくれるように頼むのよ! 残りの休暇は三日しか残ってないんだから、急がないと私たちの信仰が薄れて神性が失われちゃうのかもしれない。危険な賭けだけど、彼の海のように深く山のように高い寛容さとチョロさを利用すればスピード解決間違い無しよ。だからアカツキ・クロトって子を呼び出して! 彼に頼みたいことがあるんだから!」
「アカツキ? ……どっかで聞いたことのある名前だな」
「子供の方、アカツキさんの名前を呼んでませんでしたか? わざわざ名指しで呼び出すなんて……」
「シエラさん、これ返します」
「へっ?」

 俺は水晶玉を手渡し、一目散に駆け出した。
 未だ言い争いを続けるバカの元へ、全速力で。

「まったくもう埒が明かない! こうなったら直接学園に行って……って、あれ? クロトくんじゃない! よかったー、探す手間が省けた」
「お前こんなとこで何してんだぁああああああああッ!!」
「ああああああぁ数日ぶり三度目の痛みぃいいいいああああああああああっ!」
「イレーネちゃん! って、わあっ!?」

 イレーネの頭を鷲掴み、シンリを脇に抱えてギルドを後にした。

 ◆◇◆◇◆

「さあ、この世で最も信仰されているセラス教の神様ともあろうお方が、わざわざこんな所にやってきた理由を洗いざらい話して貰おうか? 言っておくが、拒否権は無いからな」
「話す、話すからその前に手を放して!? メキョってなる! 落ちて潰れた柘榴ざくろみたいになっちゃうからぁ!」
「あわわわ……」

 ギルド近くの路地裏に二人を持ち運び、問い詰めるが顔を鷲掴みにした手を必死に叩くイレーネ。仕方ないので、話が出来るように下ろしてやる。
 二人ともあの白い世界で見た派手なドレスのような服ではなく、子どもらしい洋服に身を包んでいる。
 異様に目立つ──若干後光が差してるように見える──銀髪と金髪には目を瞑るとしても。
 はたから見れば確かに子どもと思われても仕方がないと思う。

「つ、潰れるかと思った……!」
「イレーネちゃん、大丈夫? はい、タオルとお水」
「ありがとう……あー、染みる。痛みに染みるわー」
「仕事帰りのおっさんか。……で、お前らなんでここにいるんだ? 前に忙しいから会えないみたいなこと言ってたじゃないか」
「何言ってるの、仕事なんて速攻で終わらせてきたわよ。今回は個人的に深刻な問題が起きたから、前もって作っておいた仮初めの肉体で下界に降りてきたの」
「無駄にしっかり用意してるな。まさかとは思うが、神様って結構な頻度でこっちに遊びに来てんの? ……おい、露骨に目を逸らすな」
「や、やめてぇ! 手をバキバキ鳴らしながら寄ってこないで!」
「……凄い。美味しそうな食べ物がいっぱいある」

 物陰に隠れたイレーネを引きずり出そうとする間、シンリは興味深そうに路地裏から首を出し、キョロキョロと見渡していた。
 こいつはともかく彼女は初めてのようだ。

「全く、こちとらギルドじゃ悪目立ちしてるってのに……待てよ。お前、確かさっき俺にしか頼めないとか何とか言ってなかったか?」
「そ、そうそう。この世界の人じゃちょっと荷が重いから、私たちの事情もある程度知ってる君なら、どうにか出来ると思いまして……」

 うろちょろしないように首根っこを掴み、持ち上げたイレーネは申し訳なさそうに笑いながら。

「実は作り置きしてた神器の整理をしてたのよ、仕事の合間に」
「ほう、“冥土返しの宝珠”みたいな物の整理を。それで?」
「はい。ちょうど良かったのでシンリと一緒にやってて、その中でも取り分け扱いが難しい、特有の結界を展開するタイプの神器があったんですよ」
「……で、どうした?」
「いやぁ、さすがに人が使うとなると危険だし、そのくせ人間にしか効果が発揮されない出来損ないの神器だったので処分しようと思ったんですが──」

 目の前の女神は、ペロッと舌を出して。



「間違えて下界に落っことしちゃった! てへぺろっ!」



 …………は?

「いやはや、まさかゴミ箱に投げたと思ったら下界の穴に投げちゃってたとはね。よく見てなかったのも悪かったけど、あんな近くに落下式直通ルートを作った他の神も頭がおかしいわよね? つまり私は悪くないのよ」
「頭おかしいのはお前だあああああああああっ!」
「ギャアアアアアアアアアアァッ!」
「な、何やってるんですか!? それ以上はイレーネちゃんの頭が、頭がっ!」

 再びアイアンクローを仕掛け、激痛に悶えるイレーネ。心配して駆け寄ってくるシンリはあたふたと慌てている。
 だが、やめる気はない。

「止めるなシンリ! こいつが愚行を働けば働くほど俺の身の安全が失われていくんだ! だったら今ここでこいつの頭を破壊したほうが世界のため、そして俺の未来の安寧を保証する証明になる!」
「どれだけ恨みが溜まってるの!? こんな風にいじめられるほどのことはしてないわよ!」
「ああ、そうだな、転移をミスって森の中に突き落としたことはまだ許そう。死にかけた状態の俺を助けてくれたのは素直に感謝する」

 だけど。

「仮にも女神だとか言われてるヤツが、よりにもよって自分の不注意でヤバい代物を失くすとかふざけるな! お前この間、実はこの世界のバランスを保ってる凄い神様なのよ、って無い胸張って自信満々に言ってたくせに、さっそくこんな不祥事起こしやがったのか? お前ほんとに神様!?」
「か、神様なんて基本そんなものよ! 些細なことで喧嘩した余波で世界に天変地異が起きても責任を負わされるから後始末なんてしないし、かと言って真面目に迷える子羊を救えば妄信的な信者が現れて宗教戦争起こしちゃうし!」
「開き直るな、根本的な原因はお前らの愚策だろうが!」
「ぐぬぬぬぬぅ……!」

 揺さぶられる残念女神は、俺の一言に押し黙った。表情は見えないが泣きそうな気配を感じたので、仕方なく拘束を解く。
 その場で崩れ落ちるイレーネに、慌てた様子でシンリが駆け寄った。

「イレーネちゃん、平気?」
「……ふ、ふふっ。大丈夫、大丈夫よシンリ。私は強い子。こんなことでへこたれるほど、神格の下がった女神ではないわ」
「自分に言い聞かせてる時点でアウトじゃん」
「お黙りっ! ここで負けたら女神としての名が廃るのよ! 有給使ってまで下りてきたんだから、絶対に協力してもらうからね!」

 ダメだ、何を言ってもこいつには効かないらしい。借金もまだ片付いていないのに、また厄介な荷物を背負うわけにはいかないんだ。
 ただでさえ最近は色んな事に巻き込まれてる。休みが欲しい。ついでにお金も欲しい。

「そうは言ってるけど、俺が得する要素が一つも見当たらないだろ。静かで、豊かで、緑溢れる自然と同じ空間の中、植物のような生活を送りたい平凡な人間に対してさ。……期待を裏切るような発言だろうけど、俺は聖人君子なんかじゃない。メリットが一ミリも無ければ首を突っ込むのも躊躇ためらうよ」
「ぐ、ぬぬぬ」
「そんなぁ……」

 二人してそんな顔されても困るんですよ、本当に。

「……あーあ、せっかく神器発見器も持ってきたのになー……」
「何それ?」
「シンリと徹夜して作った、神器に関する情報に対してアラームが鳴る道具。索敵対象の神器に関係する人や物、間接的な情報でも反応する優れ物よ」
「逆になんでもかんでも反応しそうで判断しづらそうだな、それ」

 ひとまずこんな所で話し込むのもアレなので酒場に戻ろうと提案し、首を振った二人を連れて出口に入った瞬間。


 ビーッ!! ビーッ!!


 目覚まし時計すらしのぐのではないかと思えるほどのアラーム音が響いた。
 ……マジで? 反応してるって事は、ここに神器に繋がる情報があるってのか?
 周囲の目線がこちらに突き付けられる。ごめんなさい。でも俺のせいじゃないはずです。
 間近で聞いている俺が耳を塞いでいるにもかかわらず、イレーネ達は平然と鳴り出した神器発見器を持ち上げながら辺りを見渡す。
 そして、受付カウンターの方に向けた発見器の音が強くなった。
 それを確認したイレーネがスイッチを切る。騒音で揺さぶられた頭を抑えていると、シンリに手を取られた。
 イレーネを先頭に受付カウンターに行くと、そこには。

「──お兄さん?」
「や、やあ。こんにちは、レインちゃん……と、そっちの子も」

 俺が師事している親方の孫娘レインちゃんと、茶髪で犬耳を生やした見覚えの無い女の子がポカンと口を開けて突っ立っていた。

「なるほど、紛失した神器にこの子達が関係しているのね……! おまけにクロトくんの知り合いっぽいし、事情を聴きやすいはず……私が積み重ねてきた徳がここで発揮されるなんてツイてるわ!」

 イレーネ、頼むから少し黙ってろ。

 ◆◇◆◇◆

 いつまでも受付の前で固まっている訳にも行かず、イレーネ達を連れてテーブル席に座る。
 おずおずと申し訳なさそうに席に着いたレインちゃんと犬人族の子を前にして、俺は店員に果実水を三つ頼んだ。
 隣で私の分は?  みたいな顔してるイレーネは無視する。
 シンリは見知らぬ女の子二人にビクついてるが、なんとか平常心を保っているみたいだ。
 ……俺の制服の裾を掴んでるのは見なかった事にしよう。

「あ、あの……」

 視線を前に戻すと、犬人族の少女が困ったように声を上げ、そわそわと身体を動かしていた。
 レインちゃんはともかくこの子は俺の事なんて知らないだろうし、突然連れてきちゃったからな……緊張を和らげてあげよう。

「いきなりごめんな? 俺はアカツキ・クロト、学園の高等部二年生だ。今は……あー、近所に住んでる子どもの面倒を見てる最中でさ。散歩してたらギルドに入っていく二人を見掛けて、そしたらこいつらが二人と話がしたいって騒ぎ始めちゃってね……」
「わ、私はミュウといいます……よ、よろしくお願い、します」
「怖がらなくても大丈夫だよ、ミュウ。お兄さんはお爺ちゃんに鍛冶を習ってる人だから」
「えっ? レインのお爺さんって、滅多に弟子を取らないんじゃ……」
「あはは……まあ、ほとんどレインちゃんの言ってる通りだよ。まだ半人前にも満たない素人だけどね。この間、見様見真似で作ったネックレスだって微妙な作りになっちゃったし」

 ポケットの中を探り、作成したネックレスをテーブルの上に広げる。
 羽を模したペンダントトップをチェーンに括りつけた簡素な物。
 銀鉱石を用いて作り上げたのだが、初めてという事もあり全体的に歪んでいて違和感を抱かせる。
 鍛冶とは作業の質が変わるので、スキルによる知識と技術があっても図画工作レベルの代物になってしまった。不甲斐ない。
 それでも二人にとっては新鮮なようで、手に取って眺めている。

「正直あまり出来は良くないけど、真剣に作りあげてるから素材が応えようとしてる。良い素質を備えてるわ」
「こっちの得意顔で偉そうに腕組みしてるおませな子がイレーネ。恥ずかしがり屋だけど、自分から変わろうと頑張ってるこの子がシンリって言うんだ」
「シンリとの差が酷くない? 他に言い方なかったの?」
「うぅ……は、初めまして」

 運ばれてきた飲み物を三人の前に並べて、俺とイレーネの前に水の入ったコップを。
 イレーネが恨めしげに睨んできたが、果実水分のお金を店員に払い、空っぽになった財布の中身を見せる。一瞬で憐れむような目に変わり、ポンっと肩を叩いてきた。
 別に意地悪してる訳じゃないんだ、金が無いだけなんだよ……。

「さて、ひとまず落ち着いたところだろうし。どうしてギルドに来たのか聞いてもいいかな?」

 イレーネの持っていた発見器が誤作動でなければ、二人は失くした神器の関係者ということになる。
 “冥土返しの宝珠”の効果を俺は身に染みて実感している。だからイレーネ達が自ら回収に来るほど脅威を抱いている物を紛失した、という事実は恐怖でしかない。
 しかもそれに知人とその友人が関係している。世迷言と否定せずにきちんと対応しないと、どんな目に遭うか分からない。
 お節介だろうとウザがられようと不審がられようと。
 既に否応なく巻き込まれていても、被害をもたらさない為には神器探しを手伝うしかない。心底イヤだが……やるしか、ないんだ……!
 苦い表情が出ないように奥歯を噛み締めながら、レインちゃんからペンダントを受け取る。

「え、えっと──いいのかな?」
「うん。お兄さんなら、きっと力になってくれるかもしれないし」

 意を決するが如く息を整える二人を見て、数秒前の決意が揺らぎそうになった。
 そんな覚悟を決めて一体なにを話されるのだろう……ふふ、怖っ。

 ◆◇◆◇◆

 合間にレインちゃんが補足を入れながら、語られた内容を簡潔にまとめると。
 ミュウちゃんの母親は病気に罹っていながら花屋として生活していたが、最近になって病状が悪化し寝たきりになってしまった。
 かかりつけの医師に状態を診てもらい、処方された薬で今はなんとか持ち直している。しかしこのままだと花屋の稼ぎだけでは薬代も払えず、いずれ衰弱していき……という危険な状況なのだとか。
 完全に治療する薬を作るには特別な材料が必要で、その材料がギルドで取引されていないか確認の為に来たらしい。
 レインちゃんとは同じ教室の友達で事情を知っている為、材料探しを手伝っている。

 そして治療薬に必要な材料というのが“血仙花けっせんか”と呼ばれる薬草。
 血のように真っ赤な花弁、葉脈のようにひび割れた線が茎にはしるなど。派手な見た目とは裏腹に、花弁から根っこまで全てが万病に効く薬の材料になるのだと言う。
 滅多に市場に出回らないほど珍しい物で、ギルドにも結局なかったそうだ。
 理由としては迷宮ダンジョンでの発見例が全く無い上、確認されたのは地上の霊峰でのみ。ニルヴァーナ周辺の山々にも生えているのは判明しているが、時期が悪い。

「この時期だと──竜、ワイバーンがいるみたいなんです」
「…………ふぁ!?」

 たっぷり時間をかけて情報を噛み砕き、理解して、驚いてコップを落としかけた。

「なっ、ちょ、ワイバーンだとぉ……!? ファンタジーの定番みたいなのが出てきよったぜおい……」
「け、血仙花が育つ条件が竜の血を吸っているから。迷宮の外に出た竜が、山を好んで縄張りとするので。お、お互いの居場所を守ろうと戦い、血を流す場所で育つのだと、ほ、本に書いてありました」

 遠慮がちに口を開いたミュウちゃんが追加で情報を教えてくれる。
 俺の心にファンタジー色強めの情報に対する高揚感と、ワイバーンに対する底知れぬ恐怖心が同居し始めた。助けて。

「でも、そうか。?」

 俺の言葉に少しだけ肩を震わせ、二人はしゅんとうつむいた。
 血仙花は希少な薬草で高価かつ出回らない。ギルドには無いし、あったとしても変えるだけの資金がミュウちゃんには無い。
 ならば依頼として血仙花の採取をギルドに貼ってもらえばいいって? 依頼の発注には金が掛かるのだ。希少素材が対象となれば安くは済まない。

 おまけに今の時期なら近くの霊峰で採れるそうだが、ワイバーンが生息していて縄張りをかけて血みどろの戦いを繰り広げている。
 学園の授業で習ったが、ワイバーンは鋭い鉤爪かぎづめに刃のように鋭利な翼。極めつけには業火とも揶揄やゆされる火球、高威力の属性に応じた魔法の吐息ブレスを放つとんでもない存在だ。
 そんな奴らが殺し合ってる最中に採取してきてね、なんて言われて素直に頷く奴はいない。命を捨ててこいと言われてるようなものだ。

 以上を踏まえて、長く細く息を吐く。
 マジで言ってるの? 異世界に来て数週間しか経ってない現代っ子にこんな事を? と正気を疑う視線をイレーネに向ける。
 何も言わず、目を瞑っているが小刻みに身体が震えていた。脇腹を突いてテーブルの下に誘導し、小声で話す。

「今の話、どの辺りに神器が関係してるの?」
「ふ、二人に対して調整しても発見器が動かなくて……ワイバーンの話題が出た瞬間に作動しましたぁ」
「つまり?」
「十中八九、ワイバーンの近くに神器が存在しているのだと思いますぅ……」
「死ねと?」
「ぴいぃ……!」

 小鳥のさえずり染みた悲鳴のおかげか、逃避しかけた思考が戻る。
 彼女達はギルドに頼れる存在がいない。俺に話したのも苦渋の策に近く、わらにもすがりたい気分だろう。
 ここまで踏み込んで聞いた上で、“そっか、大変だね。頑張って”などと無責任に放り投げる訳にはいかない。関わる意思を見せた時点で後戻りはできないのだ。
 沈んだ表情を取り繕ったイレーネと共に座り直し、頑張って会話しているシンリ達を見渡す。

 初対面のミュウちゃんはともかく、レインちゃんは親方も合わせて日頃からお世話に──鍛冶でも食事でも──なっているので恩を返したい。
 あと神器を放っておくのは心身に悪影響を及ぼすので早急に解決したい。イレーネ達もタイムミットがあるみたいな話をしてたし。
 今の俺は迷宮攻略を禁止されているが、霊峰は魔物が湧くけど迷宮に区分されていないので。向かう分には問題ない、怒られはしないはず。
 調べたら霊峰最寄りの村まで送迎してくれる、日帰り馬車もあるみたいだから移動は楽だ。金欠だが、へそくりを崩せば一日だけなら乗れる。

 一番の懸念はワイバーンだな。神器の状態が不明なまま決め付けるのは早計だが、恐らく縄張りか本体のどちらかに“ある”のだろう。
 出来れば遭遇しないに越した事は無いが、対策は考えておくべきか。
 ……そういえば学園の備品倉庫に耐火・耐魔法特化のマントが放置されてたな。どうも学園教師の誰かが間違って購入した物らしく、使われないのか随分とほこりを被っていた。
 倉庫の肥やしにするくらいなら使ってやった方がいい。無断拝借してくるか。
 大体の流れは把握した。バレたら色々とマズいが背に腹は代えられない。
 上手くいけば採取して怪我も無く戻って来れるだろう、上手くいけば。

「……よし! 二人とも、血仙花の件は俺に任せてくれ。なんとかしてみせるよ」
「わあっ……本当ですか!?」
「うん。報酬とかそういうのも考えなくていい」
「い、いいんですか?」
「ギルドの規則としてはダメだろうけど、個人で受けた依頼には干渉しないし、無理に払ってもらうのも心苦しいからね」

 ふふふっ、君達に比べたら大人なのでね。立派な姿を見せなくては。

「かっこいい……のかな?」
「そういう風に見えるでしょ? 内心超絶ビビってるからね」

 やかましいぞ諸悪の根源。

 ◆◇◆◇◆

 その後ひとまず解散という流れになり、別れ際にミュウちゃんから何度も頭を下げられたが、どうにか抑えてもらって。
 レインちゃん達は母親の元へ容態を確認しに、俺と女神ーズはギルドを出て公園に移動。近場のベンチに腰掛けて作戦会議を始める。

「さて、と。とりあえず明日、依頼で学園には行けないって先生に連絡すれば納得してもらえるでしょ。各ポーションを用意したら早速マントを借りに……日中はダメだな、今日の夜に忍び込むか」
「ねえ、さっきから犯罪の匂いがする言葉しか聞こえないんだけど」
「そりゃそうさ。だって俺、前に備品倉庫の点検で教頭の壺を割ってから、異様に目をつけれるようになったんだもん。迂闊に近寄れないなら盗み取る……無断で借りるしかないんだ」
「「ええ……」」

 白昼堂々と窃盗の計画を立てる俺に二人がドン引きしている。
 元はと言えば君達の、特にイレーネのせいなんだが?

「とはいえ警備員に見つかった時の言い訳──カバーストーリーは必要だな。単純に夜の学園とかめちゃくちゃ怖いから一人で行きたくないし、シノノメと行こう。“学園に忘れ物したから取りに行きたい”って言えば手伝ってくれるはず」
「で、でもそういうところって、鍵が厳重に掛けられてたりするよね?」

 シンリの問い掛けに指を二本立てる。

「魔法的なロックと南京錠の合わせ技だったかな、スキルや魔力を無効化する素材で作られてるヤツ。魔法陣のパズルは時間経過で答えが変わるけど難しくないし、南京錠は普通にピッキングすればいい」
「あれ、スキルは使えないんじゃ……?」
「スキルの《鍵開け》でなくても南京錠程度なら針金で開けられる。あのタイプなら二〇秒もあれば余裕だ」
「計画的犯行がたった一人の高すぎる技量によって成立しようとしてる……」

 こころなしか二人との距離が開いた気がする。解せぬ。
 とりあえず明日、諸々の問題を一気に片付けるのだ。血仙花も採取し、神器探しもする。両方やらなくちゃあいけないのが、凡人のつらいところだな。
 手帳に書き記した内容を見直して胸ポケットに仕舞って、ふと思い出す。

「……そういえば二人は今日どこで寝るの? 宿? お金あるの?」
「野宿でいいかなって思ってたけど」
「うん、お金はあるけどもったいないから」
「正気か貴様ら」

 あっけらかんとした二人に、抑揚の無い本音が漏れた。
 見た目は子どもだが中身は女神。雰囲気は他者とは逸脱しており、容貌は人形の如く可愛らしい。
 誰かに二人をとある貴族の令嬢と紹介すれば、容易に納得する光景が想像できる。
 治安の良いニルヴァーナといえど悪者がいない訳ではない。特に他所の国から流れてきた冒険者なんかは素行が悪く、たびたび傷害沙汰を起こしている。直後に牢屋にぶち込まれたようだが。
 良くない考えを持った連中に目を付けられて、面倒事に発展させたくない。
 いくらニルヴァーナの警備組織が優秀だとしても危険だ。放置してはおけない。

「寮住まいじゃなくてよかった……仕方ないから、今日は俺の家で過ごしてくれ。学園の敷地内に入る時は木箱に隠れてもらって荷台で運ぶから」
「えー、何もそこまでしなくても」
「いいから」

 なぜか渋るイレーネの肩を掴んで説得。サスペンスドラマで殺人が起こった後のお気楽キャラみたいなマネさせるか。
 無言の圧に黙って頷いた二人を、ギルドから借りてきた木箱に食料ごと──これはイレーネが払ってくれた。ありがたい──押し込んで学園に戻る。
 ボロ小屋を見て悪辣とも言える環境に同情されたりもしたが。二人分の眠れるスペースを作り、ポーションを作成しながら夕焼けに染まった窓の外を眺める。

 思えばとんでもない事態になってしまった。ただ借金返済をするだけだったのに、下界にやってきた女神の騒動に巻き込まれて。
 レインちゃん達の問題も絡んできて、ワイバーンと対峙する可能性があるとは。
 今更、自分の選択を嘆くつもりはないが……ここで俺が動かなきゃ後悔するだろうし、腹は括るさ。
 さあ──作戦を始めよう。

 ◆◇◆◇◆

「ごめんね、面倒事に付き合わせちゃって。ちょっと夜の学園って怖くてさ」
「大丈夫ですよ。それにしても、図書館の本を備品倉庫に忘れるとは災難でしたね」
「ほんとだよ。倉庫整理の休憩時間に読んでたら置いてきちゃったみたいでね。返却期限は明日なんだけど、つい忘れそうでしょ? そうなったら司書の人に怒られるから」

 月明かりの光が差し込む校内を二つの足音が進む。
 日中の喧騒はどこにもなく、ただただ静寂に音が沈んでいく。会話で気分を紛らわしても意味が無いくらい超怖い。
 表向きは本を取りに行くという理由で、デバイスで連絡したシノノメと共に目的地である備品倉庫へ。
 会話も小声で、常に周囲の気配は探っている。幸いにも警備員や見回りの教師に鉢合わせてはいない。

「初めて夜の校舎に入りましたが、なんだかワクワクしますね。身近な環境が昼夜逆転するだけでここまで印象が変わるなんて」
「すごいな、怖くないの?」
「はいっ」

 シノノメは鈴の付いたかんざしを器用に揺らさず、ちょっと興奮気味に両手を握る。最近の女子は心臓が鋼で出来てるんだろうなぁ。
 新たな発見を得て頷きつつ、無事に校舎一階の倉庫へ辿り着いた。
 早速魔法陣のパズルに挑戦。失敗したらけたたましい警告音が響き渡る、傍迷惑な防犯設備だ。今回のは少し難しめかな。

 まあ、パズルゲームだと思えば気が楽だ。実際、一分も掛からず解除できてしまったことだし。
 問題は南京錠なんだが……ポケットに手を突っ込んで、チラリとシノノメの方を見る。首を傾げる彼女に罪悪感が湧く。
 倉庫の鍵は借りてるって嘘ついちゃったんだよなぁ。

「っ……シノノメ、悪いけど階段の方を見てきてくれる? 近づく気配があったら教えて」
「分かりました」

 倉庫の近場にさっき下りてきた階段がある。ここは倉庫以外の部屋や廊下が無い、区切られた区画なので。そこを封じられると袋のネズミ状態になるのだ。
 もし警備が回ってきたら、逃げられるのは倉庫だけとなる。故に速攻で鍵を開けなくてはいけない。

 階段に向かう背中を一瞥してから錠前を見下ろす。
 ポケットから取り出した針金を鍵穴に差し込み、神経を研ぎ澄ませる。暗闇に慣れ始めた目で、近くに寄せた耳で、微細な変化を感じ取りながら。
 呼吸も忘れるほどの集中を数十秒。小気味よい音を鳴らして外れた南京錠をポケットに押し込めて、シノノメを呼んで室内へ。

 布を被せた物が雑然と置かれた倉庫の中で息を吸い、吐く。整理のついでに掃除をしたにもかかわらず、埃っぽい空気にむせそうになった。
 口元を手で覆い、部屋の照明は点けずにデバイスの明かりで探索開始。手分けして探そうと提案してくれた彼女に頷きつつ、最速で目的のマントを回収。
 厚手というほどでもないので綺麗に折り畳んで懐に仕舞う。
 その傍らで、見慣れない本が目に留まった。
 丁寧な装丁が施された絵本だ。クレヨンで描かれたような、温かいタッチの表紙には“眠れぬ獅子とまどろむお姫様”と題名が書かれている。

 ──思わぬ誤算だ。確かこの本は図書館の返却リストに載っていたはず。蔵書点検の依頼の時に見た記憶がある。
 長らく貸与されたままだった為か、強調して書かれていたのでよく覚えている。
 恐らく初等部を担当する教師が教材として使おうと借りたまま、他の備品と共に倉庫に置きっぱなしにしたのだろう。折角の縁だ、持ち帰って代わりに返却してやるか。
 シノノメに本が見つかった旨を伝え、倉庫を出ようとして……近づく足音に息を呑む。

 顔を見合わせて後ずさり、倉庫の引き戸を静かに閉めた。曇り硝子の窓枠から逃れるようにしゃがんで、物陰で息を潜める。
 マズいな、南京錠はそのままにしておくべきだった。手元にあるせいで違和感を抱かせるかもしれない。
 この場を切り抜けるにしても有効的な方法はパッと思いつかない。どうする……いや、待てよ? 案外簡単かもしれないぞ。ここは倉庫だ、使える物ならいっぱいある。
 見渡して、目的の物を捉えた。思わず頬が緩む。

「シノノメ、そこにある網と布を貸して」
「何をするんですか?」
「ちょっと暴徒鎮圧用装備をマネしようかなって」

 不思議そうに眉を寄せながら、手渡された道具を組み合わせて簡易的な捕縛網を作成。
 捕縛網の両端を右手に、反対側を彼女に持たせてハンドサインを送る。互いに頷いて、扉を軽くノック。
 足音が止まり、再度歩き出す。ライトで照らされた明かりが窓枠から差し込む。

 失敗はできない。心臓の鼓動が早まる。
 静かに扉が開かれて一歩、二歩と踏み出す足が見えた──瞬間。
 足下から掬い上げるように、床に敷いた捕縛網を持ち上げる。
 あくまで自分からバランスを崩して倒れたと思わせるように。手では触れず、息を合わせて警備員をグルグル巻きに。

 無力化成功。突然の事態に混乱して声も出なかったのは僥倖だ。
 程よく暴れれば解けるくらいの緩さで放置し、南京錠は廊下側の扉の下に。最初からそこに落ちていたかのように置いて、早足でその場から退散。
 二階に上がり、遠目に見えたライトに背を向けて走る。

 ひとまずの危機は乗り切ったが、人の気配が段々と近づいてきているな。行儀よく出入り口から脱出するのは難しいか。
 校舎間を繋ぐ渡り廊下の前方から乾いた音が。後ろからも徐々に接近してきている。
 挟まれて逃げ場が……仕方ない、強行手段だ。

「ごめん、この本を持ってて」
「えっ? あっ、はい」

 本を差し出し、受け取ったのを確認して学園外周側の窓を開ける。
 高さは四、五メートルってところか。右手親指の付け根を噛み切り血液魔法でロープを形成。
 近くの階段の手すりへ伸ばして結び、ぐっと力を入れて外れない事を確認。痕跡を残すのは好ましくないが、致し方なし。

 先の行動を察したシノノメに止められるより早く、身を外に放り出す。
 一瞬の浮遊感。風の切る音が霧散した直後、体重の負荷が掛かった両腕が軋む。
 痛みを我慢して音も無く着地。渡り廊下を見上げて、ロープで降りるよう合図を送る。

 逡巡しゅんじゅんするように廊下とこちらへ何度も顔を向ける彼女に両腕を広げた。
 意を決して下唇を噛んで、本を抱えた腕とは反対の手でロープを掴み滑り降りてくる──が、片腕で体重を支えるのは難しかったのだろう。
 体勢が崩れた。背中から落ちてくる身体と地面の間に割り込んで、横抱きにしたまま勢いを消す。
 周囲から見れば踊っているような、そんな動きだったかもしれない。
 血液魔法のロープで窓を閉めて体内に戻しながら、腕の中で安堵の息をこぼした彼女を下ろす。

「っ、はあ……ありがとうございます、アカツキさん」
「こちらこそごめん、無茶させて。怪我は無いよね?」
「はい、大丈夫です。……っ、見回りが来たみたいですね」

 廊下の明かりを見上げる。二人だ、やはりあのままだったら挟み撃ちにされていたか。
 明かりが去っていくまで音を出さずに立ち止まり、離れた頃合いを見てその場から歩き出す。
 学園内に留まるのはアウトだが、外周の道なら門限前にランニングしてる生徒がいたりするので咎められはしない。
 胸を撫で下ろしてゆっくりと深呼吸。ここまで時間にして三十分程度──ステルスミッション成功。
 明日に向けた事前準備はこれで万全だ。

「それにしてもアカツキさん、絵本を借りてたんですね」
「ん? あっ、うん。ちょっと気になっててね。意外だった?」
「そんな事は。ですが、私はあまりそういう物を読んだ覚えが無いので」
「マジか、って俺も司書の人に紹介されて読もうと思った口だし、人の事は言えないか」

 受け取った絵本の表紙を眺めながら、街灯に照らされた道を進む。
 ちなみに絵本を紹介されているのは本当だ。蔵書点検の依頼を共にこなす司書にやたらと推されているので、今度何冊か借りようと思っている。
 それも霊峰から無事に帰れたら、の話になるが。

 本日何度目かになるため息をこぼす。エリックにもシノノメにも、もちろん先生にも言えない秘密の依頼だ。
 ギルドや学園で受ける正規な物ではなく、ただの口約束。けれど絶対に成功させなくてはいけない。
 女子寮に続く分かれ道でシノノメを見送り、懐から取り出したマントと本を片手にボロ小屋へ帰る。

「ただいまぁ」
「おかえ……うわっ、ほんとに盗ってきたんだ」
「人聞きの悪い言い方しないで。無断で借りてきただけだから、後でちゃんと返すから」
「も、物は言いよう……」
「やめてシンリ、そんな冷めた目で見ないで」

 パンと揚げ物で夕食を楽しんでいる二人にボロクソ言われた。ちくしょうめ。

 ◆◇◆◇◆

 揺さぶられる馬車の中で湧き出そうになった吐き気を抑えて。
 ようやく着いた霊峰のふもと。そこにある村でなんとか気分を整えてから、改めて霊峰を眺める。
 晴天の下で照らされた山は木々よりも少しの緑や岩肌が目立ち、頂上へと続く砂利の山道が緩やかに続いていた。登山用の靴を用意できればよかったのだが、資金的に無理だった。スニーカーで気張るしかない。
 幸いにも霊峰と仰々しい名前の割に見た目は台地というべきか、標高はあまり高くなさそうだ。とはいえ人や植物にとっては空気環境や土壌的にも相当過酷なはず。だからこそ血仙花のように凄まじい効能の薬草が育つのだろうか。

 疑問は胸の内に仕舞い込み、さらに目を細めてよく観察する。
 ここから飛行物体の影は見当たらない。しかし、わずかにだが肌を刺すような威圧感がある。
 これまで対峙してきた魔物とは比べ物にならない……あそこにワイバーンが生息しているのは間違いないようだ。
 魔物モンスターの中でも高位に位置するワイバーンが数体も飛来し、激闘を繰り広げ頂きに君臨し、流された血で確かに花咲く命がある。

「……なるほど。霊峰と呼ばれるのも納得できるな」

 この世界特有の生態系を想像し、より一層気が引き締まった。拝借してきた耐火・耐魔法マントを羽織り直す。

「──で、なんで君達ついてきたの?」

 気持ちを新たに振り向いた先に並ぶ、四人の子どもに問いかける。
 いつの間に準備していたのか、登山用装備に身を包んだ子ども達へ。
 イレーネとシンリはまだいい、彼女らの目的は神器の探索及び回収だ。責任もあり、発見器での捜索も行うのだから自らおもむくのはおかしくない。昨日、そういう話をつけたのもしっかり覚えている。

 一番の問題はレインちゃんとミュウちゃん。これが本当にわからない。なんでいるの?
 いや、実際は馬車の中で気づいてはいたのだ。ただ吐き気を抑えるのに夢中で指摘できなかっただけ。

「そこは私が説明するわ!」

 何故か得意げに胸を張るイレーネが一歩踏み出し、二人に手を向けて話し出す。
 彼女が言うには出発前にレインちゃん達が接触してきたらしい。本当は見送りだけで済ませるつもりだったのだが、イレーネとシンリまで霊峰に向かうのかと問い詰めてしまった。
 さすがに神器を探しに、とは言えない。あることないこと言って言いくるめようとしたのだが、二人は納得しなかった。

 それもそうだ。中身は女神だが見た目はレインちゃん達より幼い子どもが二人、ワイバーンのいる地に行くなんて正気を疑われても仕方ない。常識的に考えれば誰でも止めるだろう。俺だって止める。
 しかし行かないように説得するには時間が足りず、しかも相手は簡単に野宿を提案するほど常識的な部分が欠如した女神ーズ。
 それぞれの思惑が交通事故を起こした結果。

『じゃあレインちゃん達も来る?』
『えっ』

 思わぬ言葉に呆けたまま立ち尽くす二人に、登山用装備を持たせて馬車に放り込み、ここまで来てしまったそうだ。道理で目を点にしながら呆然と突っ立ってる訳だ。
 溜め息を足下に落とし、頭を抱えた。乗り物酔いとは別ベクトルの痛みにうずくまる。
 マジで言ってるの? 遠足じゃないんだぞ。しかめっ面を見せないようにイレーネを手招きする。

「お前、どうするんだよ……これから向かう場所がどんだけ危険か分かってる? 親方とか保護者とか学園に何も言わずに連れてきて。最悪、採取してくるまでこの村で待ってもらえばいいと思うけどさぁ」
「大丈夫よ、いざとなれば私が守るから。ちなみに装備は私が買い与えた。安くない出費だけど、問題ないわ」
「そういう話じゃないのよ……」

 既に彼女達と一緒に霊峰へ挑む算段になっていて戦慄する。女神様は人の心が分からない。
 キリキリと痛む腹を押さえて立ち上がると、レインちゃん達が近寄ってくる。

「あの、迷惑かもしれませんが──私達にも血仙花探しを手伝わせてください」

 どうして? 心の中で建て直した何かが音を立てて崩れた。
 かろうじて動いた首を傾げて、続く言葉を待つ。

「に、人数が多い方が探しやすいと思って。五人でやればあっという間に探し終えるんじゃないかな、と」
「そのぶん広く霊峰をうろつくから危険だよ……」
「でも、それはお兄さんも一緒ですよね。私達の理由で危険な目にあわせて……だから」

 ぐっと拳を握り、二人は見つめてくる。
 言葉は少なく、けれど確かに。幼い身体に年齢不相応な強い意志を感じる。
 幼いながらに大人にも勝る責任感を携えた子達だ。……本当なら止めるべきだけど、捜索に時間を掛けるだけ不利になるのは事実。

「…………わかった、皆で行こう。ただし、危ないと判断したら迷わず逃げること。命を大事に最優先だ。いいね?」
「「っ……はい!」」

 元気の良い返事だ。二人の頭を撫でる。
 ワイバーンだろうがなんだろうが、この子達に被害が及ぶのなら容赦はしない。いざとなれば身体を盾にしてでも守る。
 そう決意して歩き出し、後ろに着いてきたイレーネ達へ。

「イレーネ、シンリ。どういう手段で守るかは知らないけど、もしワイバーンに襲われたら……俺の事は考えなくていいから二人を必ず守ってくれ」
「もちろんよ。でも、貴方を見捨てたりはしないわ」
「は、はいっ! 任せてください!」

 こうして突発的に子ども四人、大人一人のパーティが結成された。
 うーん、見た目は完全に学校行事の引率してる先生だなぁ。行くところは超危険エリアだけど。
 ……いや、ダメだダメだ。常に警戒するくらいの意気込みで挑まないと。両手で頬を叩き、道具類の入ったポーチの紐を握り締める。
 ギルドの依頼で常駐しているのであろう冒険者の方──めっちゃいぶかしげな目線を送られた──に頭を下げて、霊峰への道を進む。

 ◆◇◆◇◆

「そういえばこの霊峰ってワイバーン以外に強力な魔物とかいるのかな?」
「わ、私はちょっと、分からないです。レインはどう?」
「うーん……あっ、でも」
「何か知ってる?」
「お爺ちゃんが言うには“見る者を魅了する鮮やかな羽根を持つ鳥”がまれに姿を現すそうですよ。過去の文献にも詳細は載ってないけど、見かけたって人が多いとか」
「鳥? へー。昔から見られてるくらいだし、霊峰と呼ばれる所以ゆえんもそこから来てるのかもね」
「希少存在は伝承になりやすいからねぇ、ご利益があるかもってだけで若干の神性を得たりするんだもん」
「ひ、人の思いが、存在を昇華させるんだよ。私は少し、勝手が違うけど」
「リアル女神が言うんだからその通りなんだろうな……」

 ◆◇◆◇◆

 村で焚かれていた強烈な魔物除けの匂いは薄れ、視界には生きた緑から灰色の岩が多く映り込んでくる。
 やはり遠目で見た通りの砂利道で、時折ゴロゴロとした石が転がっていた。緩やかであってもスニーカーで歩くには厳しい。イレーネ達は登山用のブーツな為、ある程度の負担は軽減されているだろうが。

 標高があまり高くないとはいえ肌寒く、風が吹けば頬を裂くような感覚があった。しかしマントや防寒着を着込んでいるので、寒さで行動が制限される事は無い。
 問題は大気中の魔素マナが乱れているせいか、酸素が少ないようで。霊峰に入って数分で軽い頭痛や吐き気が身体を襲い始めた。高山病とか勘弁して。
 急いでイレーネ達も含めて、血液魔法で体内の酸素循環を補助したので悪化はしないはずだ。けれど少しづつ休憩を挟んで、体調を整えさせる必要がある。体力の消耗も抑えたいからな。

 そして休憩する為にも大切なのは周囲の安全確認だ。いくらワイバーンが生息しているといえども、他の魔物がいない訳ではない。
 ランクはガクッと下がるが群れていたり、息を潜めてこちらの様子をうかがっている奴がいた。
 俺だけで対応できる魔物がほとんどなので助かるが、霊峰の環境で生存しているだけあってか妙に知恵が回り、地形や状況を万遍なく使って襲ってくる。

 非常に厄介なので素直にイレーネとシンリを頼った。二人はなんと魂の反応だかで索敵が可能らしく、範囲に入れば隠れていても関係ないのだとか。
 故に魔物が先手を取る前に速攻で潰す作戦が取れた。
 魔物の位置を逐一報告してもらい、すぐさま殲滅しに行くのがこれまでの流れになっている。

 全員の体調に気を配り、時に血液魔法で補助を。
 隙あらば血仙花と神器の捜索を行い、危険が及ばないように率先して魔物を討伐。
 安全な道でもないので、落石だったり崩落していた箇所で皆を助けたりと。
 そんなやりとりを続けてかれこれ二時間弱。
 霊峰のちょうど中腹辺りにあった休憩所で。

「かふっ、こひゅ……」

 ──凄まじい運動量から身体をむしばむ疲労で倒れていた。予想はしていたが四人分のフォローを一人でやり切るのは、肉体的にも精神的にもキツイ、キツ過ぎる。
 シンリが差し出してくれた水代わりの各種ポーションを流し込んで、なんとか意識を繋ぎとめた。

「だ、大丈夫ですか……?」
「へ、へへっ、心配するなって。ちょっと眩暈めまいと頭痛と吐き気と身体が痛むくらいだ、なんてことはない」
「満身創痍じゃない」

 顔を引きつらせたイレーネの言葉に、ですよね、と返す。
 魔力もスキルも使える物はフル活用して身体を酷使しているのだ。おかげでここまで四人とも無傷だが、こっちは古傷が開きそうでツラい。
 ポーションで幾分か楽になった身体を起こして、軽く武器の調子を確認する。

 最近完成したばかりのロングソード。何度も鉄を打ち直し、かろうじて親方から認められた俺の武器だ。
 今までの戦闘にも耐えられるほど耐久性はあるが、段々と切れ味が落ちてきていた。予備の武器もなくこれ一本で済ませてるせいだとは思うが、だからと言って血液魔法の剣で戦うのはリスクが高い。
 もう少し持ちこたえてくれと願いつつ、警戒はおこたらずに携帯用砥石で手入れを始める。

「あの、アカツキさん」
「んお?」

 布で汚れを拭っているとミュウちゃんが話しかけてきた。

「どうした、お腹空いた? よかったら俺の携帯食料あげるよ」
「う、ううん。そうじゃなくて、その……」

 何か言いたげに指を絡ませる。ふむ、なるほど?
 道具類を片付けて隣に座れるスペースを作り、ポンポンと叩く。おずおずと座った彼女へ、残り少ない水筒の中身をコップへ移して手渡す。
 温くなった水をゆっくりと飲む彼女の顔色は悪くない。他の三人も具合が悪そうな子はいない……女神ーズはともかく、レインちゃんもまだまだ元気そうだ。子どもと言えど、学園の授業で鍛えられているおかげだろうな。
 感心するように頷いていると、空になったコップを返された。

「落ち着いたかな」
「うん。ありがとうございます」
「いいよ。……で、何か言いたい事でもあった?」
「んっと、お礼を言いたくて。私の、お母さんの事情に巻き込んじゃってるから。無関係なのに力を貸してもらって、今もこうして迷惑をかけちゃって……」

 纏まらない言葉で呟いて。力なく犬耳を垂れさせたまま俯いて、抱えた膝に顔を埋める。
 確かに俺は外野の人間だから負い目を感じても仕方ない、やるべき事もたくさんある。だが自分から話を聞いて首を突っ込んで、なんとかしてみると虚勢を張ってここまできたのだ。
 頼られて嬉しかったというのもあるが、何より子どもながらに思考して、真っ先に行動を始めた彼女達に報いようと思った。
 正直、素直に敬意を表するよ。伸ばした手で頭を撫でる。

「気にしない気にしない。冒険者は助け合いってね」
「でも……」
「そんなに言うなら、君のお母さんが元気になった後でいいから、割引して花を買わせてくれないかな。部屋の中が殺風景だと寂しくてね、オススメの花とか教えてもらえると嬉しい」
「っ! うん、もちろん!」

 勢いよく顔を上げて花咲く笑みを向けてくる彼女に笑い掛ける。悩みを吹っ切れたようでよかった。
 そのあと観賞用の花や錬金術に使われる薬草などの話をしていると、イレーネがこちらに歩み寄ってくる。
 そのまま自然な動きでミュウちゃんとは反対側に座り、耳打ちしてきた。

「クロトくん。念入りに調べてみたんだけど、この中腹の一部で神器の反応が強まったわ」
「っ……あるのか、ここに。てっきり山頂かと……という事はワイバーンも?」
「神器の干渉が強くて魂の判別が難しいけど、可能性は高いわね。同時に血仙花が生えてるかもしれないけど、どうする?」
「どうするも何も、行くしかないだろう」

 立ち上がり、汚れたスニーカーのつま先で地面を叩いて履き直す。
 鞘に納めた長剣を腰に下げて、イレーネから伝えられた内容を全員に知らせる。休憩中の緩やかな空気が引き締められた。
 太陽の位置から察するにもう少しで十二時だ。ニルヴァーナ行きの馬車が出発するのは午後三時半。下山に掛かる時間も考慮すると、急がなくてはならない。
 携帯食料で若干お腹を満たし、休憩所を片付けて。
 イレーネを先頭にシンリ、レインちゃん、ミュウちゃん、殿しんがりに俺の順番でいざ出発。

 ◆◇◆◇◆

 歩き出して数分。次第に肌を刺す重圧が強くなってきた。
 周囲の状況もおかしい。妙に岩肌が抉れていたり、焼け焦げ、溶解した跡が見られたりと。激しい戦闘が繰り広げられていたと思われる惨状が、進むたび酷くなっていく。

 ぐっと拳を握り締めて、しっかりと脚を踏み出す。
 そうして辿り着いた先には──スプーンでくり抜いたかのような、巨大空洞が。
 溶けて固まった岩の足場、垂れ下がった鍾乳石、生き物だった何かの肉片と燃えかす
 強烈な光景に思わず目を伏せたレインちゃん達の肩を掴み……急いで近くの岩場へ身を隠す。

 いた。空洞のど真ん中、鳥の巣の如く骨で組まれた寝床に。
 丸まった状態でもその巨体は四メートル以上。腹の底に響くイビキは呼吸を荒くさせ、冷や汗が噴き出す。
 蛇やトカゲと近しい肉体は、光を反射する滑らかな緑の鱗に覆われていた。しかしヒビ割れ、剥がれ、付いた傷跡が歴戦を生き抜いた存在であると、言葉なく理解させられる。
 厳しい生存競争を制した強者はとぐろを巻いて身体を休めて、寝ぼけた尻尾がゆらゆらと空を泳ぐ。

 一瞬でも可愛らしいとよぎった思考は、刃物を連想させる鋭さを持った翼と、残虐さを醸し出す鉤爪に切り裂かれる。
 ファンタジーの代名詞に遭遇し、身体が震える理由は歓喜か、恐怖か。
 いずれにせよ間違いない。あれが、あれこそがワイバーンだ。

「いたな」
「いますね」
「は、初めて見た……」

 それぞれの反応を聞き流しつつ、勘付かれないように観察する。
 全体を見て、違和感のある場所を注視。竜の巣の中央、胸元に抱え込んだ所にキラリと光る何かがあった。
 陽の光で反射したそれは拳より大きな、ひし形の結晶体のようで。首から下げた“冥土返しの宝珠”と同じ感覚があった。
 あの結晶体がイレーネ達の探していた神器だろう。発見して嬉しい気持ちはあるが、よりにもよってワイバーンの胸元に…………ダメだな、気づかれずに盗み取るのは無理だ。

「はあああぁぁ……マジかぁ」

 岩に背を預け、深いため息をこぼしながら考える。
 ここまで来たんだ、もはや迷う必要は無い。子ども達には血仙花の捜索を頼み、神器を盗る為に俺一人でワイバーンと対峙するしかないんだ。
 四人に意識が向かないように、俺だけを視界に映すように。
 寄せ集めの装備となけなしの勇気を振り絞って。
 覚悟を決めろ、日和ひよるなよ。

「……みんな、俺がワイバーンの注意を引くから、血仙花を探して採取してくれ。恐らくこの近くに生えているはずだ。でも、を忘れないで。いいね?」
「「は、はいっ」」
「気をつけてね、クロトくん」
「が、がんばってくださいっ」

 無言で親指を立てつつ、岩陰から竜の巣へ向かう。
 一歩、また一歩と近づいていくほど心臓の鼓動は早まり、足が震えて転びそうになる。
 だけど怯まない、逃げない。絶対に生き残ってやる。
 見上げるほどの距離まで接近し、ワイバーンの瞳が開かれた。縦に割れた瞳孔にギョロリと睨まれる。
 ぞくり、と死の予感が背筋を奔る。だが、俺をカエルだと思ったら大間違いだぞ。
 睨み返し、長剣を抜く。交戦の意志を見せた事でゆらりと立ち上がった全貌は洗練されており、一挙一動で膨れ上がる筋肉が皮膚下でうごめく。
 大きく広げた翼が空気を叩き、暴風を生み出した。

『ガァアアアアアアッ!』

 次いで──咆哮。耳をつんざく叫びに思わず耳を塞ぐが、身体の芯を揺さぶられる。
 それでいい。ああ、そうだ。俺を敵だと認めろ。縄張りに踏み込んだ不埒ふらちやからを排除する為に向かってこい。
 マントの襟を口元まで上げて、長剣を構えて。
 大口を開き、喉奥から炎をほとばしらせるワイバーンへ跳びかかった!

 ◆◇◆◇◆

 ──マズい、死ぬ……!
 とにかく思考に割り込むのはそれだった。戦い始めてから何分経っているだろう。
 顔の横スレスレを過ぎ去った鉤爪、直後に迫る超質量の跳び蹴り、鞭の如くしなる尻尾の殴打。
 巨体でありながら軽快に動くワイバーンの攻撃は休みなく、流れ作業のように途切れない。
 疲労から来る肉体の悲鳴を押し殺して、スキルでその場から離脱。蜘蛛の巣状に割れた地面を駆けて、死角に回って長剣で切りつける。

 通り抜け様に振るい、速度も乗った斬撃は鱗に全く傷を付けられず。悪態を吐く暇もなく再び疾走。さっきまでいた場所が砕けちった。
 大粒の汗が垂れ落ちて染みになる。一撃でも、それどころかかすっても死のイメージが脳裏にチラつく。
 予測を一瞬でも怠れば肉塊になるのは俺だ。しかし常にワイバーンの動きを見極めて、予測し続けた脳が熱暴走を起こしそうだった。

「かっ、つぅ……!」

 歯を食いしばり、巨大空洞内を跳び回る。ミシリ、と両足が嫌な音を鳴らす。
 必死だ。当たり前だがワイバーンは飛行する。翼の機動力を巧みに使い、安全圏からの超加速攻撃を織り交ぜた、フェイント染みた動きで翻弄してくるのだ。やめてほしい。
 これでまだブレスも吐いてないとかマジ? 余力があり過ぎるだろ。

 激しい戦闘のせいで神器は取れないし、攻撃しようにも長剣は弾かれるし、こっちは死に物狂いなのに向こうは余裕だし。
 荒れる息を整えて、後方から迫るワイバーンの顔を見る……いまアイツ、笑わなかった? 笑ったよな? おい。
 ぼかぁ段々イラついてきたぞ。ふざけんなよちくしょうめ。

「ッッッ!」

 頭の中で何かが焼き切れた気がした。お前の余裕が迂闊うかつになると知れ。
 直地と同時に後ろを向いて、目があった。口内の奥で輝く赤が勢いを増す──タイミングに合わせて胸元から爆薬を取り出し、狙い澄まして投擲。
 ブレスの直前は口を開くから頭部の構造上、視界は狭くなり、横はともかく直線上は映らない。

 スキルの影響もあってか、煌々と白く光る爆薬はかなりの速度で、吸い込まれるように口内へ入っていった。うむ、ストライク。
 唐突に異物を放り込まれた衝撃で立ち止まったワイバーン。吐き出そうと首を振った瞬間、轟音と共に頭部が爆炎に包まれた。
 浮遊していた巨体が地に堕ちる。

「っしゃあ! 目に物みせてやったぜぇ! 人間なめんな!」

 最悪を想定して持ってきた、俺の特製爆薬だ。威力は味わってる通り強力だろ?
 長剣を杖代わりに爆風に耐えて、いつでも走り出せるように構えたまま、立ち込める煙幕の向こうを睨む。
 特製爆薬は確かに凄まじい威力を誇るが、あれで倒したとは到底思えない。
 例え口内という柔らかい弱点を狙ったところで、ワイバーン自体が強靭な肉体をしている。ダメージを負っていたとしても油断は出来ない。
 事実、煙の向こうで影がうごめいていた。
 正直、生命力の高さにドン引きする。生物として死んでいて欲しいのだが。

 ──というか、今の内に神器を回収するべきか。

 戦闘の余波で破壊された竜の寝床へ視線を向けて、警戒は解かずに近寄る。寝床を挟んで煙を確認できるように立ち位置を取って調べる。
 地球の物語には“竜は宝を巣に持ち帰り、蓄える”習性があるとされていた。所詮、幻想の生物の話だが、この世界の竜も同様なのか。寝床の残骸には様々な物が転がっていた。
 まず目に付いたのは、骨と共に組み込まれていたのであろう血まみれの武器や防具。この霊峰に挑戦した冒険者の遺品だろうか、中々良質な装備だ。
 しかし顔も名前も知らない相手の物を無闇に触ろうとは思えず、静かに両手を合わせて。

 次いでキラキラと光を反射させる鉱石群に、高純度の魔力結晶が散乱している中で。
 明滅を繰り返す自己主張の激しい結晶体を拾う。
 ひし形の表面を奔る、幾何学的な模様が絶えず変化し続けているそれは、見ているだけで頭痛がしそうだ。ポリゴンショックと同じ感じがする。
 イレーネが懸念していたのはこの不調の事か。きっとそうだ。

「とりあえずミッション完了……!」

 ポーション類を消費してスッカスカになったポーチへ神器を押し込み、蓋を閉めたところで。

「お兄さんっ!」
「あったよ、血仙花!」

 女神ーズと二手に別れて捜索していたのか。
 紅い花を掲げて、レインちゃん達を見る──俺だけでなく、ワイバーンまでもが。
 煙の影が一際大きく動いて、周囲の魔素がざわつく。紫電を散らし、高まっていく魔力の圧に。
 ぞくり、と。背筋が泡立つ感触に身体は叫んでいた。

「二人とも離れろぉ!!」

 駆ける。握り直した長剣で煙幕を裂いて、紫電の発生源へ突っ込む。
 煙の晴れた先には流れる血で池を作る、顔を半分焼き焦がしたワイバーンが。自身の魔力で更に焦がされようと構わず、片目になった瞳で遠くの子ども達を捉えている。
 生きているのが不思議なくらいの損傷具合だ。そんな状態で魔法のブレスを放つつもりか!?
 撃てたとしても身体は自壊し、下手をすれば魔力暴走によって自爆する。前者も相当だが後者は遥かにマズい。
 これだけ高密度の魔力が暴走したら、辺り一面が焦土になる。俺はもちろんのこと、レインちゃん達も無傷では済まない。

 ──やらせない、やらせてたまるか!

 左手の甲を噛み切り、血液魔法で短剣を創作。こちらを見向きもしないワイバーンの横っ面へ跳びかかり、鱗の剥がれた部分に刺して魔力を奪う。
 心臓が跳ねた。呼吸が乱れる。
 全身を巡る、痛みを伴う痺れた感覚に逆らわず。黄色の線が短剣を埋め尽くすまで奪い取る。

 喉奥から血が溢れた。息が詰まる。
 吐き出し、抜いた短剣を顎下から力の限り振り上げた。
 接触した瞬間、膨張する魔力に圧壊した短剣が砕け、顔が上を向く。
 直後に鼓膜を破りかねない轟音とほとばしる稲妻が空へ昇っていく。それは魔法のブレスと共に一筋の閃光となり霧散した。

「がッ、は……!」

 その余波で冗談みたいに身体が吹き飛ばされた。視界が後ろに延びて、背中から地面に激突する。ゴロゴロと転がってようやく静止。
 息が止まりそうだった。胸を叩いてショックを与え、なんとか上体を起こす。視界が赤く染まり点々と赤い染みが足下に落ちた。
 マントのおかげで魔法的なダメージは最小限に抑えられたが、硬い岩のせいで頭を切ったらしい。
 ふらつきながら立ち上がり、ワイバーンの方を見る。

 魔力を自爆させて、その被害を一方向へ集中させた訳だが……頭部は見るも無残な状況に。翼は焼け焦げ、巨体は鱗ごとヒビ割れたような見た目になっていた。
 だというのに、あれだけやったにもかかわらずワイバーンは未だに健在だ。もはや何も映していないであろう双眸は、それでも確かにこちらを視ている。
 お互いに限界で、ワイバーンに至っては生きているのが奇跡なレベルだ。幾ら頑丈でも致命的な攻撃を二度も耐えるなんて。
 歴戦を乗り越えた意地が、奴を諦めさせないんだ。

『ガ、ッア……!』

 証拠に今も残った力を振り絞り、喉奥から火球を吐き出そうと溜めの姿勢に入った。
 死んでも俺だけは仕留める、そういう気概を肌に感じる。
 レインちゃんやミュウちゃんが狙われるよりはマシだが……!

「あぐっ!?」

 赤くなった視界がぐらつき、その場で膝をついた。
 誰かが俺を呼んでいるが応えられない。溜まった疲労で脚が言う事を聞かない。ここでガタが来るか。
 さすがに火球の直撃をマントで防ぐのは不可能だ。這いずってでも逃げて、いや、間に合わない、ダメだ、くそっ……!
 まとまらない思考の先で巨大な火球が放たれた──瞬間。

『──!』

 甲高い鳴き声が空洞内を木霊こだまし、高速で飛来する何かに消し飛ばされた。驚く暇もなく巻き上がった土埃に咽る。
 突如として視界に飛び込んできた何かはワイバーンより一回り小さい、それでも巨大な鳥だ。その鳥が、俺とワイバーンの間で静かにたたずんでいる。

 赤色に染まっていても分かる鮮やかな長い尾羽、煌びやかに光沢を発する全身の羽毛は太陽のようで。
 背中側に流れる真っ赤なトサカを揺らし、孔雀くじゃくのような洗練されたフォルムに備わった緑色の瞳が、こちらを一瞥した。
 ……敵意が込められてる訳じゃない。優しいというか、温かいというか。気配も魔物とは全く違う。
 威圧されているとは思わないが、独特の雰囲気がある。同様に感じているのか、あのワイバーンが怯えたように身体を縮こまらせたのだ。

 つまりこの巨大な鳥が、ワイバーン以上の力を持った存在である事実を、如実に表している。
 息を呑むと同時に、レインちゃんの言葉を思い出した。
 “この霊峰には見る者を魅了する鮮やかな鳥がいる”と。

霊鳥れいちょうフェネス……」

 いつの間にか近づいてきていた四人の内、イレーネが呆然と呟く。
 シンリに預けていたポーションで身体を回復させ、立ち上がって問う。

「フェネスって?」
「伝承云々うんぬんの話で薄々と想像はしていたけど──あの子は召喚獣よ、その中でも上位の存在」

 別名は虹尾羽にじおばね、再生する者、光輝なる冠。
 山々に作りあげた縄張りを転々と移動して過ごす特徴がある。高潔な精神を持つようで群れる事は無く、生態も相まって人目に付く機会は全くない。

「だから自分から人前に姿を現すようなタイプじゃないんだけど……さっきの稲妻に惹かれたのかもね」

 なるほど、道理で。ありえる答えに頷く。
 フェネスを見上げるレインちゃんやミュウちゃんは、口々に感嘆の言葉を漏らしている。その声を聴いたのか、フェネスは嬉しそうに翼を広げてワイバーンを睨んだ。
 何を、と疑問を口にする前に。
 フェネスから溢れ出した橙色だいだいいろの、キラキラと粒子を放つ焔の塊が。
 空洞内を照らしながらワイバーンへ向けられ、火柱を昇らせる。っ、凄まじい威力だ。ワイバーンのブレス以上だぞ!?
 子ども達の前にマントを広げて立ち、全員を襲う超高温の風圧に耐える……必要は無く、フェネスが翼を盾にして守ってくれた。

「助けてくれた……? さっきも火球を防いでくれた、よな」
「ええ。理由は分からないけど君を、私達を守った」

 困惑した表情で見つめたフェネスの先で、焔が消える。
 燃え跡には大量の灰が山盛りになっており、吹いた突風に攫われ散っていく。
 あっけない終わりではあったが、この数十分の戦いは非常に濃密で。絶対強者を相手にした、厳しい生存競争の一部を実感させられた。

 最後まで戦い切ったワイバーンの遺灰へ両手を合わせていると、フェネスがじっとこちらを見つめてくる。
 そういえばお礼を言い忘れていた。言葉を理解しているように見えたし、言っておかないと。

「助けてくれてありがとう。君のおかげでみんな無事だ」
「わ、私達も!」
「ありがとうございます!」
「感謝するわ、本当に」
「う、うんっ!」

 各々が感謝を口にして満足したフェネスは、一際大きく鳴き声を上げた。
 そのまま飛び去るのかと思ったが、ノシノシと歩み寄ってきて背中を向けてくる。

「えっ、何? まさか乗れって?」

 小さく唸り、フェネスは首肯する。マジか、送ってくれるのか。
 聞いてた話じゃ人嫌いというか、避けてるイメージなんだけど。

「……もしかしたら、クロトくんの行動を密かに観察していたのかも。たった一人でワイバーンに立ち向かう彼の姿に感化されて、助けに入った」
「魂の感知範囲外から見られてたの……? だとしても、一人の人間にそこまで影響されるなんて」
「まあ、本人はビビりで意地っ張りだけど、なんだかんだやってる事は善い行いに直結する人だからね。十分、手放しで称賛されてもいいくらいよ」

 女神ーズの推測を聞き流しつつ、レインちゃんとミュウちゃんを背中に乗せる。うっわ、高級羽毛布団レベルの反発性で触り心地がすごく良い。

「二人とも、血仙花はちゃんと仕舞った?」
「うん。このカバンにいっぱい入ってるよ」
「これでお母さんの治療薬を作ってもらえます!」
「そりゃよかった。落とさないようにしっかり掴まってろよ」

 満面の笑みを浮かべる二人に和みつつ、難しい顔をした女神ーズを背中に放り投げる。
 見た目以上に深い羽毛へ埋まっていった犬神家状態のイレーネではなく、礼儀正しく正座するシンリに神器の入ったポーチを渡す。
 さて、俺も。と手を伸ばそうとして、フェネスが体勢を変えて向き直った。

 あっれ、もしや男は乗せたくない感じですか? 徒歩で帰れって?
 割と厳しいのだが、と軽く絶望していたらフェネスの顔が眼前に。あらやだ綺麗なお顔。
 見惚れているのも束の間、斜めに傾いたクチバシが大きく開かれて。
 ガシッと、胴体を挟まれた。…………えっ? 捕食?

「いや、違うか。でも待って待って待って? このまま飛ぶのか本気で言ってるのか正気かぁ!?」

 五人分、下手すれば大人三人分の体重を乗せながら。フェネスは難なく持ち上げて羽ばたこうと翼を広げる。
 今さら泣き喚いても時すでに遅く──身体にとてつもない上昇負荷が掛かったかと思えば、視界は高く空が近かった。
 安定感はあるが身体が強張こわばって、それでも視線は動かせた。

 見下ろせば戦闘で半壊した巨大空洞があり、それだけでなく霊峰全体を見渡せる。
 数時間前に通った山道には何人かの冒険者が歩いていた。たぶん、ワイバーンのブレスやフェネスの焔が村から見えた為、調査に来たのだろう。
 よく目を凝らせば上を見て、もっと言うとフェネスの方を指差している。そりゃ目立つよね、うん。

「でも、そうか。彼らと鉢合わせる可能性もあったから、乗せてくれたんだね?」

 フェネスの性格上、大勢の目に付くのを嫌うはず。
 遅かれ早かれ巨大空洞に来るであろう彼らと出会わない為にも、その場の全員で退散した方が面倒がないと判断したんだ。
 子どもを四人も連れた一人の大人とかいう怪しさ満点の即席パーティもいる訳だし。

「……となれば、麓の村で俺達を下ろすのも難しいよな。あっちの方に大きな壁があるでしょ? あの壁の近くで下ろしてくれる? 誰にも見られないように森の中でいいからさ」
『──ッ』
「あーっ! わかったわかった! 俺の推測通りなのはわかったから揺らさないでぇえええええええええ……!」

 ガックガクと世界を掻き混ぜられながら。
 喜ぶフェネスを宥める叫びと大空を飛ぶ子ども達の歓喜を響かせて。
 世にも不思議な即席パーティはニルヴァーナへと飛んでいった。

 ◆◇◆◇◆

「し、心臓が口から出るところだったぜ……」
「まあ、さすがに咥えられて超高度飛行とか怖過ぎるわね」

 同情の視線を向けてくるイレーネに差し伸べられた手を取り、立ち上がる。
 たっぷりと空の旅を堪能した俺達はニルヴァーナ近くの森にいた。
 麓の村まで片道数時間も掛かっていた訳だが、地形を無視すればここまで早いのか。想定では夕方くらいになるはずだったのに。
 下りる直前に高速落下した時は肝が冷えたが、子ども達とシンリには好評だったようで。フェネスの前で満足そうに笑っている。

「とにかく無事に帰ってこれたんだし、ニルヴァーナに戻ろうか」
「そうね。──神器は?」
「安心しろ、シンリに渡してある」

 真面目な顔で耳打ちしてくるイレーネにそう言って、どこか得意げな表情のフェネスを見上げる。

「ここまでありがとうな。お礼とか何も出来ないのは申し訳ないんだけど、これ以上留まらせたらバレるかもしれないし……お別れ、だな」

 俺達を万遍なく見下ろして納得した様子の彼……彼女? は小さく鳴き、首を器用に尾羽の方に回した。
 そのままゴソゴソとまさぐったかと思えば、咥えた虹色の尾羽を二枚、レインちゃんとミュウちゃんに落とす。
 木々の木漏れ日を受けて輝く尾羽は鮮やかな模様をしており、光の粒子を放っている。とても幻想的だ。

「これ、二人にくれるのか?」
『──っ』

 こくり、と頷いた。
 子どもながらに勇気を振り絞って行動した彼女達に対する、フェネスなりの称賛の証だろうか。もしくは今日出会った記念に、とか。
 どちらにせよ、不思議な縁の巡り合わせで得た物だ。

「ありがたく貰っておきなよ。大切な物だからね」
「うん!」
「ありがとうございます!」

 それぞれが頭を下げるとフェネスは顔を近づけて擦りつけて。
 続いて俺の方に目を向けて、なぜかクチバシで身体をついばんでくる。なんで?
 困惑しているともう用が済んだと言わんばかりに翼を羽ばたかせ、草木や木の葉を巻き上げ飛び立った。
 大きく手を振って後ろ姿が青空に消えていくまで見送り、俺達は互いに顔を見合わせうなづいて、ニルヴァーナへと向かう。

 少し歩いたくらいで森を抜けて、外壁周辺に広がった牧場地帯を横切る街道に出た。
 そのまま進んでいくと内外を隔てる巨大な扉に辿り着く。行商の馬車や徒歩でニルヴァーナに訪れた人の行列に混ざり数分後、ようやく見覚えのある街に戻って来れた。
 安心感からか、なんだか急に疲れが出てきたな。身体が重い。しかし倒れるのは家に帰ってからだ。

「ミュウちゃんは早速お母さんの所に向かうんでしょ? レインちゃんも付き添う感じ?」
「そうしようかなって。あっ、でも、血仙花の事で問い詰められるかもしれないです……学園の事とかも」
「ああ、確かに聞かれそうだな。んー……よし、俺も一緒に行くよ。誤魔化し……言いくるめ……ちゃんと説明すれば分かってくれるだろうし、学園には今日の事を連絡しておく。俺はこの金銀コンビを家まで送ってくるから、用意が出来たら一旦ギルドで合流しよう」

 俺の提案に同意した二人と別れて近場の路地裏に女神ーズと一緒に入る。
 人気の無い奥まで入り込んでから、シンリに渡していたポーチを指差して。

「一応、二人が探してた神器はそれで間違いないんだな?」
「ええ。正しくこれよ」
「よかったです。誰かの手に渡ったら、きっと国が一つ潰れて……」
「恐ろしいこと言ってるな……」

 いったいどんな能力を持った神器なのか。気にはなったが、スルーしておく。

「二人の用件もこれで済んだ訳だし、帰るんだよな?」
「長居しても自分の首を絞めるだけだから、早々に退散するわよ。仕事も溜まってるだろうし」
「お前、有給取ったって言わなかった?」
「何したって勤めてる以上、溜まるもんは溜まるわ」

 悲しげにイレーネは目を伏せる。悲しいなぁ。
 そのまま何も言わずに、胸元から光る鍵を取り出して虚空に突き出す。唐突に現れた金色の門が開き、奥には何度か訪れた白い空間が広がっていた。
 あの精神空間に繋がっているのか。

「それじゃあ、また向こうで会いましょう」
「ああ。シンリもまたな」
「うん……っ」

 颯爽と門に入っていくイレーネに続こうとして、シンリが振り返る。

「どうした?」
「えっと……ずっと迷惑を掛けて、何もせずに帰っちゃっていいのかなって」
「ふむ……シンリ、下界に来て楽しかった?」

 目線を合わせた俺の問い掛けに、彼女は表情を緩めて静かに首肯する。

「だったらそれでいいんだ。俺もなんだかんだ言って面白かったし、珍しい経験が出来てよかった」

 金髪の髪を撫でて、思い出す。
 彼女は変わった。初めて出会った時と比べて、確かに成長している。
 自分から上がり症な部分を直そうと、レインちゃん達と積極的に話していた。
 食料を購入する際も自ら屋台を回って買い物をしたり、霊峰に挑んでからも良い空気を保たせようと行動したり。

 所々フォローされる部分もあったが、それでも彼女は一回り大きくなったように見える。
 変わろうと意志を持って過ごした二日間の冒険は、良い影響を与えたに違いない。
 人だろうと女神だろうと、その価値はかけがえのない物だ。

「だから気に病まなくていい。今日の冒険は宝物だった、その思い出がシンリに残っていれば嬉しいよ。それが俺にとっての、何よりの報酬だ」

 ちょっと格好つけたセリフを言ってみて、ぐっとサムズアップ。
 呆けた様子で見上げるシンリはハッと我に返り、同じように親指を立てた。互いに笑い合い、手を振って、扉に消えていく背中を見つめる。
 静かに門が閉じられ、やがて光の泡となって霧散した。

 ……さて、大仕事は終わったけどやるべき事は残ってるな。レインちゃん達を待たせる訳にもいかないし、さっさと連絡しておくか。
 纏っていたマントを畳んで脇に抱えたままデバイスを操作し、彼女達の担任教師へ通話を掛ける。前に特待生依頼で知り合った時に連絡先を教えてもらっていたのだ。
 初めのコールが鳴った瞬間に出た教師へ事情を説明しながら、俺は大通りの喧騒にまぎれてギルドへ向かった。

 ◆◇◆◇◆

 それからの話をしよう。
 ミュウちゃんのお母さんは血仙花のおかげで完全な治療が行えるとのこと。
 治療費に関しても、必要数以上の血仙花をお医者様が適性価格で──少し交渉した結果、お互い不穏になる事もなく四割ほど高くして──買い取ってくれたので。これまでの分も合わせて全額支払う事が可能となり、生活費にも回せるようになった。

 なお血仙花の入手経路については全て話した。さすがに女神ーズ、ワイバーンやフェネスの話はある程度ぼかして、ミュウちゃんを勝手に連れ回し、危険に晒してしまった事も含めて土下座して説明。
 誠実な謝罪を受けて、毒気が抜けたお母さんは快く受け入れてくれた上で。“ありがとう”と呟き、涙を流していた。
 そんなお母さんに抱き着き、ミュウちゃんは胸に顔をうずめて嗚咽を漏らす。
 俺とレインちゃんはこれ以上邪魔しては悪いと思い、お医者様に挨拶してから病室を出た。

 次に親方の元へ向かい、開幕五体投地。
 訳の分からないまま首を傾げる親方が話を理解した途端、般若の相が垣間見えた。
 あっ、死ぬ。金槌でアタマ殴られる、などと震えているとレインちゃんが必死の説得を行い、徐々に般若から菩薩へと変化していった。孫パワーすごい。

 結果、呆れられつつも許しを得て。“男として意地を張ったな”なんて評価を貰ってちょっと気分が良くなったり。
 フェネスの尾羽を見てテンションが爆上げになったが、“宝物だからあげない”とそっぽを向かれてしょんぼりしていた。実に百面相。
 とにかく関係を悪化させる事もなく二つ目の難関を乗り越え、最後の砦である学園へ。

 生徒用昇降口で仁王立ちしていた、レインちゃん達の担任教師にスライディング土下座。
 事前にミュウちゃんはお母さんの代わりに花屋の入荷や接客を。レインちゃんは親方の鍛冶が忙しく店の対応をせざるを得なくなり、俺はその両方を手伝って駆けずり回っていた、と。
 真実味のある嘘の説明をしていたおかげであまり怒ってはいなさそうだ。しかし連絡くらいは送れよ、というごもっともな指摘を頂き、ぐうの音も出なかった。

「ただでさえ昨夜、学園構内に侵入者が出たとかで朝っぱらから職員会議だぞ? 心配にもなるっての」

 やっべ、バレてたか。さすがにやり過ぎたもんね。シノノメが怪しまれていないといいんだけど。
 当事者を前に愚痴る教師へ適当に返答し、学園の校舎に入る。自らの教室に戻っていく教師と別れて、備品倉庫に。
 キープアウトの黄色いテープが廊下中に張られており、何人もの教師が出入りをしていた。“深華月みかづき”で全員の瞬きの隙間を縫って侵入、入り口からマントを放り投げて即座に退散。

 多少の違和感は抱かれてしまったかもしれないがマントの返却は完了だ。
 これでやるべきタスクは全てこなした。後はすっごい疲れたから、今日はボロ小屋に帰って寝よう──なんて欠伸をしていたら、デバイスが振動する。
 画面を見れば、初等部の授業で扱うワイルドボアという魔物が脱走した為、捜索及び無力化の後に保護してほしい、と。
 事務的な文面で書かれた特待生依頼が、メッセージに届いていた。どれだけコンディションが悪くとも拒否は出来ない。

「……はあああああぁぁ」

 思わず漏れ出た長いため息を地面に落としながら。
 日が傾き、茜色に染まり始めた空の下。
 疲労で重い身体を引きずって、魔物の捜索に出向いた──。
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