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【四ノ章】借金生活、再び

第六十話 宴の始まりだぁ!

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 実技を終えた俺達は三日ぶりの我が家で荷解きを行い、落ち着いた頃合いで早めの昼食を取ろうという事に。
 ユキとの生活の様子を聞かせてもらおうとリーク先生、オルレスさんも交えてテーブルを囲んでいた。二人もユキの獣化の件も含めて話をしたかったようなので、丁度よかったとも言える。

 なお昼食のメニューは程よい手抜きで手早く出来るスープと買い置きのパン、適当に野菜を千切ったサラダ、迷宮内で消費し切れなかった多様な加工肉だ。
 所々味が濃く、栄養バランスの欠片も無い献立ではあるが、オルレスさんには冒険者らしいと好評だった。それでいいのかお医者様。
 リーク先生は燻製肉を噛み切れなくて、ずっと口をもごもごと動かしている。めっちゃ顎ツラそう。
 いつも飲み物かお菓子で栄養補給してる不摂生な人なんだから、偶には良く噛んで食事をしてください。
 そうして、たっぷり数分かけて咀嚼し、嚥下えんげしたリーク先生が口を開く。

「最初は問題無さそうに見えたが、時間が経つにつれてやはりストレスが溜まっていったのだろう。獣化こそしなかったが、折角の可愛い顔がへちゃむくれになる様をまざまざと見せつけられるのは堪えたぞ」
「さらっとユキの可愛さに懐柔されとる……」
「「当然だな」」

 お黙り姉弟。気持ちは分からなくもないが。

「他の子達と学園で交流していても親しい関係、特に年長の人物が離れているという状況に不安を抱いていたみたいだね。病院の仕事で子どもの相手は慣れていたつもりだったけど、不甲斐ない話、完全に払拭する事は叶わなかった」
「私達だけでは手に負えず、急遽シルフィに協力してもらえるように頼み……結果はまあ、君達が知っている通りだ」
「なるほど……」

 二人の話にカグヤが相槌を打つ。
 チラリ、と隣に座るユキを見れば。大口を開けてパンに食らいつき、満面の笑みを浮かべていた。
 聞いていたような精神的な疲弊は見せていないが、聡い子だからなぁ。無理に我慢させたくはないよね。
 透き通るような白い髪を乱さないように注意しながら、ゆっくりと手を置いて撫でる。

「今回は実技で家を離れてしまったけど、しばらくは遠出する用事も無いからね。この家で生活していく中で、のびのびと成長していけばいいと思います」
「ええ。その為の努力は惜しまないつもりです」
「そうか…………なんだか君らが言うと歳の割に頼もし過ぎるな」

 ジト目を向けながらスープを飲むリーク先生に、オルレスさんが笑いかける。

「気持ちは分かるよ、リーク。ただ今回の件は僕達にとってもありがたかったよ。短い間とはいえ同じ屋根の下で子どもと生活する経験なんて、そう簡単には得られない。将来的な事を考えて“こんな風になれたらいいな”と、思わず想像してしまったよ」
「オルレスさん達がで過ごせるようになるのは遠くないかもしれませんね」
「ふふっ、どうかな? 僕は構わないと考えているけど……大切な事だからね」

 話の渦中にいると気づいたのか、リーク先生は怪訝そうな眼差しを向けてくる。
 そんな彼女の方を見て微笑みを浮かべながら。

「君達の、特にユキの問題が片付けば、何年も前から抱えていた重石をようやく下ろせる。本当の意味で、そこから始められるんだよ」
「ひとまずケリが着くまでは、ってところですかね?」
「うん。ところで君、茶化してはぐらかそうとしてるみたいだけど、怪我したのを隠してないかい?」

 微笑みが急激に冷めてこちらを向いた。緩んでいた頬がスンッ、と元に戻る。
 馬鹿な……制服も朝には直ってたし、傷も完璧に治して見た目も動きもおかしくないのにバレてるだと!?

「なぁに言ってんすかオルレスさぁん! 早く食べないとスープ冷めるっすよ!」
「急に三下のような口調にならなくてもいい。とにかく後で右腕を診させてもらうよ」

 ダメだ、言いくるめが効かない。何もかもバレてる。必要以上に詰めてこないけど、無言の圧に食べ物が喉を通らなくなりそうだ。
 ただでさえ魔科の国グリモワールで何度も言われてるのに、一向に改善しない所も含めて怒られるかもしれない。
 せ、誠心誠意な説明で酌量の余地が出来たりしませんか……?

 食後の紅茶を楽しんでいる彼に内心ビクビクしながら、食べ終わった食器をカグヤと一緒に片付けていると、玄関の扉をノックする音が聞こえた。手が離せないのでエリックに頼んで出てもらう。
 随分と話し込んでるようで、洗い物が終わっても戻ってこない。布巾で手を拭いつつ玄関へ行けば、そこにいたのは今朝解散したばかりの七組メンバーだった。
 どうやら俺達が逃げるように迷宮から帰ってしまい、素材を渡すタイミングを逃した為、こうして家に直接届けに来てくれたようだ。

 疲れてる所に手間をかけさせて申し訳ない、と頭を下げて。四台のリアカーに山積みされたカルキナの素材を見上げて、ふと思う。
 鑑定したから分かってるけど、これ全部普通の蟹みたいに食えるんだよね。刃脚や鋏はもちろん、甲殻に付いたままの肉も。
 しっかり剥がして調理すればすごく美味しい……いや待って? 確実に俺達だけでは消費し切れないでしょコレ。
 仮に毎食、連日の食卓に並べたとしても一週間ぐらいは蟹尽くしの日々になるぞ。飽きるわ。
 借金返済の目的がある以上、武具の作成に使う分を確保して余りをギルドに売却するのも一つの手ではあるが、それはなんだかもったいない。心の底に眠る貧乏性がささやいている。
 エリックに言われて迷宮主の食材をユキへのお土産に、と考えていた訳だが──せっかくなら、もっと盛大にやるか。

「みんな、ちょっといいかな? 一つ提案があるんだけどさ……」

 興味深そうに耳を傾ける彼らに思いついた考えを伝える。
 七組の面子は基本的にノリがいい。バカ騒ぎが出来るとなれば必ず喰らいついてくるだろう。
 話を聞いてる内に実技の疲れなど消え去ったのか、俺の思惑通り彼らの表情は乗り気になっていく。
 様子を見に来たカグヤとセリスに呆れた視線を送られながらも、楽しい作戦会議はとんとん拍子に進んでいった。

 ◆◇◆◇◆

 冒険者は迷宮攻略、もしくは依頼達成後に組んだパーティで打ち上げを行う。必ず、という決まり事ではないが、疲れを癒しお互いを労う意味を兼ねた食事会みたいなもので、欠席する人は中々いない。
 今回は七組の中で参加意思のある人を募り、実技試験のお疲れ様会。そして俺達が国外遠征からお世話になった方々に声を掛け、一緒に楽しんでもらおうと考えたのだ。

 最低でも孤児院の子ども達、サリファ夫妻は確定。シルフィ先生とついでにフレン学園長はしれっと混ざってそうな気がするから置いといて。
 俺は筆記で力を貸してもらったリード、忙しくて顔を出せなかった鍛冶の師匠である親方と孫のレインちゃんを。
 エリックとセリスはいなくて。カグヤは相部屋だった生徒とちゃんと話をしたいそうなので、その子を呼んでもらう事に。大丈夫? 出会った瞬間に俺、殺されないよね?

 不安を押し殺しつつ、連絡を取り合っている間に七組の参加者も決まったようで。一部の生徒は遅れてからになるが、なんと全員が参加すると言ってくれたらしい。
 マジかよ、ノリが良すぎるぞアイツら最高かよ。しかしそうなると四十人近く集まる訳だが……食材がカルキナだけでは足りない。
 全員が何か持ち寄って来ればどうにかなるとはいえ、今度は場所も道具も……学園の食堂を貸し切るか?
 学食のおばちゃんに交渉しに行こうか、と行動を始めようとした所に。

「面白そうな話をしてるじゃない。私も混ぜなさいよ」
『げえっ、学園長!?』

 家の壁に寄りかかり、腕を組んでニヒルに笑う学園長がいた。コイツいつの間に……!
 どうも抱えていた仕事がひと段落ついて時間が空いたそうで。俺達やユキの様子を見に家まで足を運んだら、この騒ぎを耳にして。気づいていない状況を良い事に素知らぬ顔で盗み聞きしていたらしい。神出鬼没にも程がある。
 そんな彼女だが打ち上げについて大賛成で、相談の途中から既に学食の方へ連絡をつけてくれたようだ。サンキュー学園長、一瞬でもハブろうとか考えてごめんね?
 快く承諾してくれた学食おばちゃんズは食材の調理も手伝ってくれるとのこと。そうと決まれば話は早い。
 リアカーにカルキナ以外の食材も詰め込み、学食へ引き返しおばちゃんズと調理を行う班と、足りない物を大通りへ買い出しに向かう班。

 二手に分かれて、改めて行動開始。
 呼ぶ面子に連絡を送り、カルキナをメインに山のような量の料理を作り。空が茜色に染まる頃には、食堂に大勢の人だかりが。
 途中から子ども達とレインちゃん、カグヤなどの料理が出来る組が手伝ってくれた時点で人手が足り過ぎていたのだ。人口密度が半端じゃない。

 幸い初めて顔を合わせる人同士でも気後れせず話しているので、和やかな空気が漂っている。子ども達も俺やエリックの知り合いがほとんどだからか、積極的に話そうと頑張っていて良い雰囲気になっていた。厨房からその様子を覗き見て思わずほっこり。
 そして準備も終えて、参加者全員に飲み物が行き渡ったところで。
 主導した俺が乾杯の音頭を取れと言われ、視線を一身に受けながら。

「えー、突然の招集にもかかわらず予想以上に人が集まり驚いていますが、まずは感謝を──言うとでも思ったかぁ! もう腹は減ったし疲れたし、まどろっこしい挨拶なんていらん!」
『おいっ!』
「いいんだよ、元々バカ騒ぎしようぜっていうノリに便乗して集まったんだから。堅苦しくなる必要は無し! でも協力してくれた学食の方々にお礼の意を込め頭を下げつつ、とにかく食べて飲んで楽しみましょう! 乾杯っ!」
『かんぱーいっ!』

 七組一同のツッコミを流し、果実水の入ったグラスを掲げて叫ぶ。
 宴の始まりだぁ!

 ◆◇◆◇◆

「よっしゃあ! 茹でたカルキナの脚いっただき~、うわうっまナニコレうっま!」
「お前、せめて討伐したクロト達が食うまで待つべきだろうが」
「いいよいいよ、いっぱいあるんだし。食いそびれる前に食っとかないとね」

 割と容赦なくメインの料理に手をつけていくデールに声を掛けながら、皿の上から適度な大きさにカットされた脚を一本取る。
 不気味な赤黒い殻は茹でられた影響で鮮やかに変色し、甲殻類特有の香りを漂わせていた。抜き取ったその身は細身な脚にぎゅうぎゅうと詰め込まれていたようで、照明の明かりを受けて宝石のように赤く輝いている。
 ほー、と漏れ出た感動と共によだれが口内に溜まっていく。意を決してパクリ──うわうっまナニコレうっま!

 さっぱりと、しかし濃厚で上品な甘みがあって。噛めば噛むほど海鮮の旨味が口いっぱいに広がる。
 日本では正月とか特別な節目の時期にしか口にした事がないが、その味と比べるのもおこがましいくらい、非常に美味い! さすが迷宮主だぜ。
 学食のおばちゃんが言うには“シンプルな調理法だからこそ素材のポテンシャルを完璧に引き出せる”らしい。なるほど、これは確かに職人の技が光る味だ。
 茹でた物でコレなら……焼きガニ、カグヤの案で作った天ぷら、カニ雑炊とか美味すぎて舌がねじ切れるんじゃないか? 楽しみだな。
 ちなみに学食おばちゃんズは片付けをちゃんとするように念押しして、仕事を終えたらクールに去っていきました。お礼にカルキナの食材を持たせてあげたかったけど、若者の笑顔が報酬で十分と言って。かっけぇ。

 存分に味わってからその場を離れて、食堂内を練り歩く。年齢にかかわらずいくつかのグループが形成されており、思い思いに食事を楽しみ、会話に花を咲かせているようだ。
 エリックやセリス、シルフィ先生は打ち解け切れていない子ども達と共に。
 同年代で親しみやすいレインちゃんを中心に男女問わず集まり、親方とサリファ夫妻は何故か俺の方をチラチラ見てため息を吐いている。
 筆記の恩人リードは目を輝かせながら、一つのテーブルを占領して料理を食い荒らし、周囲のクラスメイトがドン引きされていた。遠慮しなくていいとは言ったが限度がある。

 カグヤは……ギャンギャン泣いてる女子生徒をなだめつつ、料理に舌鼓したづつみを打っていた。七組の生徒でもなく、カグヤ以外では関係性が一切無い人なのだが、ちゃんと食べてる辺りしたたかな精神をしている。
 厨房に居たのに察知できるほど、鋭く睨みつけてきてたし楽しめてるかは分からないが、お腹いっぱいになるまで食べていいのよ……?
 なんとかカグヤが彼女の殺意を納められるように祈り、喧騒の端っこで皿いっぱいに集めた料理を頬張る。
 騒ぐのも好きだが蟹を食べるってのは静かで豊かで、なんというか救われてなくちゃあいけないからな。
 初めはゆっくり食べよう──なんて考えていたら。

「やっほ、クロトくん。隣いいかな?」

 乾杯の時は確かにいなかったはずの学園長が返答を待たずに椅子に座る。こいつマジでどこから現れてるの?
 スーツ姿ではあるもののオフの時間である為か胸元のボタンは外され、覗き見える鎖骨がどこか艶めかしく感じる。しかし荘厳なラベルが貼られた酒瓶を携え、ロックグラスに琥珀色の液体を注いで呷り始めた姿に、わずかでも残っていた色気がぶち壊された。
 なんて良い顔して飲みやがるんだ。というか学園に酒持ち込むなよ……って。

「ちょっと! 他にも皿あるんだから俺のから取らないでああっ、狙ってた肉串がッ」
「いいでしょ、減るもんじゃないんだし。おつまみよ、おつまみ。んーおいしー!」
「そういう問題じゃない! んもー、お前の分も取ってくるからちょっと待ってろ!」

 頬を膨らませてご満悦な彼女に、急いで別の大皿に料理を盛り付けて眼前に置く。
 ぱあっと花が咲くように目を輝かせたかと思えば、カルキナの身に豪快にかぶりついて“これよこれ、こういうのでいいのよ”と。飲む、食べる、飲むを繰り返していく。

「はあ……やっぱりタダで食べられるご飯ほど美味しい物はないわね。いつもよりちょっとお高いお酒も空けて最高よ!」
「いつから今回の打ち上げが参加費無料だと勘違いしていた?」
「えっ、嘘でしょ」
「冗談だよ」

 こちらを見る学園長に剥いた焼きガニを差し出す。その勢いのまま口に放り込まれた身を恍惚とした表情で咀嚼する。
 その様子を見て、自分も一口。網で焼かれた香ばしい風味と水分を飛ばされ凝縮された旨味。繊維が千切れる小気味よい食感、炙られて出来た焦げ。食欲を増進させる、茹でた物とは別ベクトルの美味しさに思わず唸る。

「んー、んまぁい。武具の素材としても食材としても一級品だなぁ、カルキナ」
「ほんとにねぇ……手が止まらないわ」
「うんうん、わかるわかる。ああ、そういえば生徒会長のノエルって人が魔剣の適合者らしいよ。レオが言ってた」
「へぇ、そうなん…………はっ?」

 呆けた声を上げて、落っことしかけたグラスを掴む。そのまま持たせて酒を注ぐ。

「実技の見回り教師の中に何故かノエルがいて、その時に判明した事だったんだけどね。色々考えたけどとりあえず学園長に丸投げしようって話になったから、後で取り次いでくれたら助かる」
「え、えっ、あぇ? おかしいわね、私は楽しくお酒を飲んでいただけよ……そう、頭を悩ます新情報をしれっと伝えられて混乱するなんて」
「ついでに冷蔵庫に入ってたミノホルスのチーズ、迷宮での食事で使っちゃった。ごめんね」
「どこ探してもないと思ったら君のせいかぁ!? トマトとチーズでワインを楽しもうと考えてたのに勝手に使わないで!」
「めっちゃ美味かったよ」
「そりゃよかったわねぇ!!」

 眉間に皺を寄せ、肩を掴んで抗議する彼女を落ち着かせる。

「はぁ……一日の終わりにそんな重い話題を打ち明けないでほしいわ。ただでさえ子ども達や君のシェアハウスの件で奔走したのに」
「あれ、なんか問題あった?」
「なんだかんだ言って年頃の男女が一つ屋根の下よ? おまけに教師まで関わってるんだから。ガルドみたいに私の事を嫌ってる教師からすれば、突けば落ちてくる疑いの種なんていくらでもあるのよ」

 事前連絡も無しに決まってしまった子ども達の入学に、シェアハウスに関しては急過ぎて疑問を持たれるのは当然とも言える。
 肩を竦めて、しかし嘲るように笑みを浮かべて。

「だから論破してやったわ。完膚無きまでに全力で」
「ヒューッ! 最高だな!」
「でっしょお!? 見せてあげたかったわぁ、反論を許されず顔を真っ赤にして、生まれたての小鹿のようにプルプル震える奴らの顔を! なぁにが不純異性交遊だ囲い込みだっての……三十後半にもなって童貞拗らせてんじゃないわよ馬鹿がぁ! ケケケッ」
「あれ、もう酔ってる?」
「よってにゃい!!」

 女性らしさをかなぐり捨てた否定の叫びを上げて。水の入ったコップを用意した瞬間、奪って一息に飲み切った。
 呂律が怪しく頬が赤く色づき始めている。酔いが回りとろけた目で遠くを見つめ、それでも手は食事を止めていない。

「こいつ、食欲に吞まれてやがる……!」
「お前こんなところで食ってたのか、って学園長やべぇなオイ」

 料理の山が凄まじい速度で減っていく光景に戦慄していると、皿と飲み物を片手にエリック達がやってきた。さっきの学園長の叫びを聞いて来たようだ。
 各々が同じテーブルの空いた席に座る中、呆れ顔のシルフィ先生が魔法を発動。
 空中に浮かんだ野球ボール程度の水球を操り、モグモグと咀嚼している学園長の顔面に叩きつける。容赦も躊躇いも無かった。
 湿り気のある破裂音。顔からしたたり、飛び散る水は風の魔法で急速に乾かされ、濡れ鼠だった桃色の髪がサラサラと流される。

「──ハッ! 私はいったい何を……?」
「彼女はストレスを溜め込んだ状態で酒に溺れるとこうなるので気を付けましょう。水をかければ酔いもある程度は醒めて正気に戻るので、覚えておくといいですよ」
「あっ、はい。……いつもやってるんですか? こんなの」
「ええ。でも、今日はまだ軽い方です。酷いと店先の在庫を全て食べ尽くす勢いで料理を注文しますから」
「ひえっ」

 過去のアルバイト経験から察する危険性と地獄のような忙しさが思い起こされる。
 飲み放題を良い事にひっきりなしに寄越される注文、人員削減による人手不足、空調が壊れた夏場の蒸し暑い厨房。
 注文しない癖に閉店ギリギリまで居座る性根の腐ったお客様、ああ待ってビール瓶で殴らないでください普通に警察沙汰ですクソお客様──ウッ、頭が!
 隣に座ったユキの頭を撫でながら、精神安定を図る。

「ふーっ、なんだか清々しいわ……心まで晴れやかになったような気がする」
「恐らく気の迷いだと思います。ともかくクロトさん達に伝える事があるのでは? また酔いが回る前に話してください」
「今更だけどシルフィ、私に対する当たりがきつくない?」

 流し目で促す先生に気圧されて、咳払いを一つこぼして。先程よりは赤みが薄れた顔で皆を見渡してから。

「子ども達の編入は以前からエリック君に相談を受けていて、今回の国外遠征を機に段取りを組んだって事にしたわ。共同生活についても“学園が支援した住居で冒険者クランとしての生活を疑似体験し、参加した生徒の生活力・実力向上を目的とした新しい試み”と言っておいた。少数派ではあるけど似たような取り組みをしてる生徒は他にもいるから、下手なやっかみは受けずに済むでしょう」
「「…………冒険者クランって何?」」

 同じ疑問が浮かんだのか、セリスと共にエリックの方を見る。
 俺は一応ゲームとかで言葉としては知っているが、それがこの世界でも同等の意味を持つのか分からないので。セリスは単純に知らない。

「人員が固定化したパーティがより連携を取りやすくする為、ギルド側からの特別な依頼にも対応できるように組むことが出来る個別組合みてぇなもんだ」
「実力のあるクランですと専用の物件を購入して住居兼拠点としたり、ギルドから独立して活動する事も可能です。許可があれば所属クランの名義で商売を始める事も出来ますね」

 カグヤの簡潔な補足説明も入り、クランについてはある程度わかった。やはりオンラインゲームのギルド制度みたいなのと一緒だな。

「クラン活動で上げた名声が人気に直結するし、下地があるから簡単に独自のブランドを立ち上げられるのか。便利だねぇ」
「なるほど……後で詳しく教えとくれ、分かりやすく」
「理解を放棄するんじゃねぇよ。まあ、ちゃんと覚えておいた方がいい要項だしな」
「そうそう。他のクランを組んでる生徒は個人所有の住居だけど、君達は学園の支援を受けてるんだからね。“アカツキ荘”のメンバーとして悪評がつかないように努めなさいよ?」
『アカツキ荘?』

 学園長以外の全員が、初耳な単語に首を傾げる。
 頷いて、真横にいる俺を指差しながら。

「一応表向きはさっき話した通りの理由で、曲がりなりにもクランとして活動する訳じゃない? 高ランク冒険者の二人と比べて君とセリスは低ランクで、実績も経験も無いから名義はまだつかないし依頼も来ない。だけど暫定的にでも呼び名はあった方が楽でしょう?」
「それでアカツキ荘って訳か。いいんじゃねぇか?」
「あの家も元はといえばクロトさんの住まいです。私達はそれを間借りしているようなものですからね」
「ええ……じゃあ、俺が大家さんみたいな立ち位置になるの?」
「「ぶっちゃけ今もそんな感じじゃん」」

 息ピッタリな姉弟の返答に、ふと顎に手を当て思い返してみれば、確かにそうだ。
 衣類の洗濯は個人でやるようにルールを決めたが、率先してお風呂を沸かしたり掃除したり、朝と晩の食事も誰かしら手伝ってくれるとはいえ主導は俺だ。
 ……よくよく考えてみたら働き過ぎなのでは……? 嫌ではないけどもう少し負担を分散させてもいいよね。
 新しい家に自分専用の工房に。立て続けに嬉しい出来事があって、テンション上がってハイになってたかも。
 気づかず続けてたら倒れてたかもしれん。帰ったらその辺も相談しようかね。

「まっ、誰がリーダーかなんて決めたところで君達は気にも留めないだろうし、今まで通りに過ごせばいいわ。──それじゃ、頭の固い話はこれまで。後はただただ美味しい料理を楽しんで、大いに騒ぎましょう?」

 氷の冷えた音を鳴らしながら、学園長がグラスを掲げた。
 この短期間でそれぞれが尽力していた結果で、こうして今がある。
 見えない所で努力していた人も、努力を後押ししてくれた人も、それを受けて成長した人も。
 隠れた部分は知られることなく、だけど手にした日常を守りたくて。移りゆく関係に揉まれながら、これからもずっと生きていく。
 その場の全員が、口には出さずとも自然と同じようにコップを掲げた。

「では改めまして──乾杯!」
『かんぱーいっ!』

 ◆◇◆◇◆

「そういえばクロトくんが言ってたけど、私が冷蔵庫に置いてたミノホルスのチーズって君達も食べた?」
「「めっちゃ美味かったっす」」
「すみません、気づいた時には既に手遅れだったので……でも本当に美味しかったです」
「くうっ……! いいなぁいいなぁ、私も食べたかったなぁ!」
「迂闊に放置してた貴女の負けですよ。名前でも書いておけばよかったでしょうに」
「え? 全面的に私が悪いみたいな流れになってる?」
「おいたわしや、学園長……」
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