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【三ノ章】闇を奪う者
第四十八話 夜明けに浮かぶ、心の行き先
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静かな寝息が響く室内を眺め、扉を閉めて深く息を吐いた。
肩を寄せ合い、毛布に身を包ませた子ども達。事情を説明し、着いてきてくれた分校の生徒達は壁に背中を預けて。ずっと気を張ってくれていたカグヤさんやオルレスさんも横になった途端、糸が切れたように眠りについた。
怪我の処置、食事の用意を手伝ってくれたタロス。不思議な雰囲気を漂わせるイヴという魔導人形も、今はスリープ状態に移行していた。
エリックさんはセリスさんの傍を離れようとはせず、どんなに声を掛けても頑なに耳を貸さず、食事を摂らずに看病し続けている。
故郷を焼かれ、家族を失いかけ、壮絶な仕打ちを受けて。
既に限界が近いというのに、細い糸で保っている意識を手放すまいとしている。
どこか虚ろで自責の念で押しつぶされそうな姿は、まるで昔の自分を見ているようで──いっそ魔法で眠らせてしまおうとも考えましたが、さすがに強引過ぎる。
割れた窓から崩れた街を見つめながら、一瞬でもそう思ってしまった自分に驚き……同時にクロトさんなら間違いなく、躊躇わずにやるという確信があった。
攫われたユキを助けに行くと言ってからもう何時間も経っている。日付けも変わり、街を照らすのは鋼鉄と化した特殊な鉱物が映す地上の灯りだけ。
未だに連絡は無く、こうしてただ待つだけというのはもどかしく、二人が無事に帰って来られるように祈ることしか出来ない。
「けほっ……。血の匂いが、濃いですね」
肺の底に溜まる異臭に、ここまでの道中で見た凄惨な光景が想起させられる。
必要な物資を背負い、《ディスカード》への階段を下りた先で。一目見て脳裏に浮かんできた言葉は、“惨状”だった。
以前降り立ったガレキの街の姿はどこにもなく、建物は火に焼かれ、赤黒く染められ、咽るほどの鉄錆にも似た生々しい異臭を放つ液体──血が街の全域に広がっていた。
周囲には企業の私兵と思われる亡骸が。その傍には四肢を失い身体を抉られ苦悶に歪んだ表情の老人達が横たわっていた。
半信半疑でついてきた生徒の中には想像を絶する光景に気を悪くする者もいて、それでも目を背ける訳にはいかず。灰と血溜まりの道を進み、この建物に辿り着いて……結果はこの通り。
この血の匂いについては恐らく、発生した火災を静める為にクロトさんが地底湖を血の湖に変化させて操り、雨のように降らせたのが原因でしょう。
他に手が無かったから仕方がない、と言えばそれまでのこと。しかし、《ディスカード》全域にまで影響を及ぼす程の魔法を行使する魔力量などクロトさんには無かったはずです。
第二位階への到達──憶測ではありますが、それが関係していると見て間違いない。このまま放置しては魔法の制御が効かず常に暴走する危険が付きまとう。
手遅れになる前に根本的な部分から手を加えなくては、ああ、でも学園長からの話もエリックさんに伝えなくてはいけませんしそれが何より最優先……なんにせよ、全ては彼が戻ってきてからの話で──ゴトッ──すから……?
「物音……?」
振り返って廊下を見回すが、風で倒れるような物も、魔物の仕業かと気配を魔法で探っても反応は無い。しかし確かに音がした。
妙な胸騒ぎを抱えながら、子ども達の眠る部屋へ戻る。静かに開いた扉を後ろ手に閉じて、特に変化がないことを確認し、エリックさんが居る別室の扉へ手を掛けた。
逸る鼓動を抑えながら、ガチャリと開けた扉の先で──仮面を付けた黒衣の男が、倒れ伏すエリックさんの傍に立っていた。いや、正確にはベッドで眠るセリスさんの口に、容器に入った謎の液体を流し込んでいた。
一瞬で思考が白み、全身の肌がざわつく。そして強張った身体が、指先が反応した瞬間、魔法を全身に巡らせる。
「あっ、先せ」
男がこちらに気づき、口を開こうとしたが、遅い。
音も無く眼前に踏み込み、固く握り締めた拳を鳩尾に叩き込む。鈍い音が右腕に伝わる。
浮ついた身体を掴んで窓から放り投げ、自分も後を追う。もんどり打って転がり、うつ伏せに倒れた男に近づく。カラカラと音を立てて倒れた仮面を踏みつけ、砕く。
先ほど何を言い掛けたのかは分からないが、エリックさんとセリスさんの元へ現れた以上、《デミウル》の刺客である可能性が高い。まさかこの場所を突き止めてまで殺しに来るとは……。
今すぐにでもセリスさんに飲ませた得体の知れない物、おそらく毒物の類であろうが、それを処置しなくてはならない。魔法で対応できればいいが、彼女の容態を悪化させてしまうだけだ。何の毒か分かれば、手元にある材料だけで重症化する前に解毒薬を作るのも難しくはない。
故に、この男に詳細を吐かせなくてはならな…………ん?
「これは……」
男の腰に佩いた長剣に、どこか見覚えがあった。それどころか着ている黒衣も、色は違えど彼が着ている制服にそっくりだ。さらにさっき砕いたはずの仮面の欠片がどこにも無く、代わりに赤黒い液体となり地面の染みと化している。
とてつもなく嫌な予感がした。急速に顔の温度が冷えていくのが分かる。
い、いやいやいや。まさか、そんな訳ないじゃないですか……もしそうだとしたら、私はとんでもない過ちを犯して……。
耳元で声を掛けてみる。反応なし。
震える手でピクリとも動かない彼の身体を揺すってみる。反応なし。
一つ、深呼吸して。いざ、意を決して仰向けに返す。
「ひぅ!?」
ひきつった悲鳴が喉奥から溢れる。想像していた通りではあった。
確かに目の前に居るのはクロトさん本人だ。──異常な程に青白い顔で満面の笑みを浮かべ、気を失っていることに目を瞑れば、いつもの彼だった。
「なんで腹パンされたんだろ……エリックは死んだ魚みたいな目で起きてたから気絶させて、ちゃんとユキはベッドに寝かせてたし、エリクシルも飲ませたから問題は無いはずなのに」
魔導列車で訪れてからしばらく行かなかった白い空間で、膝を抱えて座りながら、気を失う前の出来事を思い出す。
ルシアのおかげで《ディスカード》まで降りられたのだが、ガレキ市場の遺体を放っておく訳にはいかない、と。
辛そうに顔を歪めながら遺体を運ぶ彼女を見ていられず、俺も手伝い──ユキもぐっすり眠っていたので丁度良かった──住人のほとんどを埋葬してから。他の場所にも遺体があるかもしれないと探しに行った彼女と別れて、避難先であるルシアの家に向かった。
時間で言えば夜中の零時を過ぎた辺りで。
もはや両手の感覚が鈍すぎてユキの重みくらいしか分からなかったが、適当な部屋から入ればいいやと跳び込んだ先にエリックがいた。
なんでまだ起きてんだ? そんな純粋な疑問が頭の中で右から左へ流れていき、気づけば流れるような動きで後頭部を蹴り抜いていた。
精神的にボロボロなのに肉体的にも追い詰めてどうするんだっての。
白目を向いて倒れたエリックを放置してユキを毛布で包んでベッドに寝かせ、そしてエリクシルを飲ませてたら──殴られてサッカーボールみたいにぶっ飛んで、そこで意識が途切れた。
おかしい、これのどこに怪しい要素が……待てよ。
「……そういえば仮面つけたままだったな。事前に連絡入れるのも忘れてたし、突然現れた不審者が得体の知れない液体を寝てる人に飲ませてたら、そりゃ正当防衛も許されるか。そんな状況に直面したら誰だってそーする、俺だってそーする」
結論、全面的に俺が悪い。起きたらエリックと先生に謝ろう。
納得して頷きながら立ち上がり、周囲を見渡し──項垂れた様子のイレーネを発見。
近づいていくと勢いよく顔を上げ、俺の顔をじっと見つめながら。
「…………えっ。な、なんともないの……? 使ったんだよね、あのスキル」
「お、おう。《異想顕現》のことだよな? まあ、仕方なく……もう使う気はないけど。それがどうかしたか?」
「身体の調子は? 変な声が聞こえたりとか、幻覚が見えるとか、異常はない?」
「使った直後は確かにだるかったけど、特に何かおかしいって感覚は一つも無いよ」
唐突に捲し立てられ、頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
この間の口論について謝ろうとしたのに、イレーネはグルグルと俺の周りを回りながら、首を傾げて。
「い、いや、どこも悪くないなら、いいんだけど」
「そうか……詳しくは、聞かない方がいいか?」
「──うん。そうしてもらえると、助かるかな。まだ確信がある訳じゃないから、こっちでもう少し調べてみる……」
視線を泳がせながら手を組み、不安そうな表情を浮かべて俯く。
……どうしてこんなに心配してくれるのか。その理由が《異想顕現》にあるのは分かるが、逆に言えばそれだけしか俺には分からない。
イレーネだからこそ何か察するようなことがあって、きっと俺という存在が、どういう状況に置かれているかを俺が理解していないんだ。
知らないものばかりで、謎だらけで。
不明瞭な足場に立っているから、不安と焦りは津波のように押し寄せてきて。
でも……知らない、分からないをそのままにして、思考と行動を放棄するのは間違っている。
漠然としたゴールがどこにあるかなんて聞く暇があるなら、走り回って自分で探す方が手っ取り早い。どんなに滑稽で、嘲笑されようと。時間が掛かろうと走り続けている限り、誰かに手を取られたりしながら、いつかは辿り着くのだから。
──気味悪がって目を背けるのはやめよう。使う使わないにしろ、俺が持っている力なんだから向き合うべきだ。
「……ありがとな」
「へ? い、いきなりなに?」
ようやく目を合わせてくれたイレーネに、頬を緩めて。
「色んな人に迷惑かけて、心配させて、不安にさせて……怖い思いをさせてるなって気付けたからさ。本当はこの間のことを謝ろうと思って、気絶したからここに来たんだけど。現状をどうにかするだけで必死になって、周りをちゃんと見れてなくて。イレーネのそんな様子を見てると、なんだか自分が逃げてるみたいで情けなくなっちゃってさ」
「それは、違うよ。私の方こそ、思わせぶりなこと言って君を……」
「そうさせるほどに俺の状態が異常なんだろ? でも、イレーネは俺の知らない所で気を回してくれてさ。それが、なんだか嬉しくて……でも、ちょっと頑固で諦めが悪いのが俺の性分だから。簡単には変わらないし、変えられないかもしれない」
だからこそ。
「これからも苦労させると思うけど、改めてよろしく頼むよ」
「──ぷっ」
伸ばした手を掴みながら、イレーネは吹き出して笑う。
口をいっぱいに広げて、眦に涙を浮かべながら、心からの笑顔を見せてくれた。
辛気臭い顔をしてるより、その方がイレーネには合ってるな。
「あはは! もう、そんなこと言われたら頑張るしかないじゃん! はー……色々考えてたけど、全部吹っ飛んでったなぁ……」
「気分は晴れた?」
「そりゃあもうばっちりよ。道は一つじゃない、変えられないはずがないわ。私は私に出来ることを、貴方の為にやる──もう二度と、過ちは繰り返させない」
イレーネの瞳の奥に、覚悟が灯る。
心の内を読むなんて真似は出来ないけど、それだけは確かに伝わってきた。
「っ、いってぇ」
鈍痛が響く。頭を押さえて、呻きながら上体を起こす。窓から差し込む仄かな光に目を細めながら、吸い込んだ淀んだ空気に咽た。
咄嗟に口を抑えて、昨日のことを思い出す。
確か、セリスの傍に突然現れた不審者に驚く暇もなく蹴られて……そこからの記憶が無い。気を失っていたのか?
「何が起きたってんだ……そうだ、セリス!」
ハッと顔を上げ、視線を向けた先で。
「──よお、寝坊助」
聞きたくて仕方がなかった、もう二度と耳にすることも無いかもしれないと思っていた、家族の声がした。
薄暗い部屋の中。こちらを見つめる水色の瞳に、何か言おうとして、喉奥に詰まった言葉が出てこない。代わりに、震えながら伸ばした両手で頬と手に触れる。
血色の悪い顔は熱を帯び、枯れ木のように痩せ細った指は柔らかく、命を巡らせていた。
俯いた視界が潤み、込み上げた涙が溢れ出す。ぽつり、ぽつりと、黒ずんだ染みを作っていく。
「っ、セリス……よかった……! 本当に、よかった……ッ!」
「大袈裟だねぇ、まだ神様の元へ逝く時じゃなかったってだけだろう? ガキみたいにメソメソしてんじゃないよ」
弱々しく、でも芯のある声で。セリスは笑う。
ああ、いつものセリスだ。孤児院で子ども達と一緒に出迎えてくれた時と同じだ。もうあの場所は燃えてしまったけど、変わらない物が確かにあったんだ。
これまで胸の中で燻っていた感情が溢れて、絡まって、ぐちゃぐちゃになって。
「だって、もう助からないって……このまま死んじまう、って。気付けたことが、言いたいことが山ほどあったのに、伝えられずに終わっちまうって……」
「……アタシもだよ。本音も言えないまま、自分の気持ちも吐き出せないままなんて嫌さ」
力無く頬に添えられた右手を取りながら。
左手は優しく絡め合い、放さないようにしながら。
囁くような揺れた声で。
「笑ってくれよ、エリック。いつもみたいに、外の世界を話す時みたいに。泣いてばっかで下を向いてちゃ、顔が良く見えないだろう?」
「きっと、酷い顔してるぜ。散々泣いたし、洗ってねぇし」
「お互い様だろ、そんなの。今更気にするようなことじゃないさ」
添えた手が、ゆっくりと、顔を上げさせる。部屋に差し込む光が強くなった気がした。
お互いの顔が良く見える。頬を流れる大粒の雫、煤で汚れた額や赤らんで腫れた目元。そして、生気の宿った目と目が合った。
自然と笑みが浮かぶ。嗚咽混じりに、喜色に染まった声音が弾む。
肩を抱き合い、身を寄せ合って。温もりを分かち合うように。
静かな笑い声が室内に響き合った──。
「オルレスさん、どうします? すっごい良い雰囲気なのに、出ていくのが忍びないんですけど。きっとこのまま見続けてたらイケるとこまで突っ走りますよ、あの二人」
「ううむ、それに関しては僕も同意見なのだけど、医者としてセリス君の容態を確認しておかないといけないからね」
『では何事も無かったかのように振る舞いながら、というのはどうでしょう?』
……ピタッと。笑顔のまま静止した顔を、止まった涙の代わりに吹き出した冷や汗を垂らしながら。錆び付いた歯車が回るように騒がしい方へ向ける。
──開け放たれた扉から顔だけを出した三人が、じっとこちらを見つめていた。
「…………いつから、そこに居た?」
「エリックが目を覚ました辺りから、ずっと」
昨日、無謀な発言を残して姿を消した友人が、気まずそうに隠れた二人の代わりに、包帯だらけの指先をくるくる回しながら宣う。
つまり最初から全部、見られていたと……そうかぁ……。
呆けた思考が羞恥に染まる。身体の芯から指先まで、燃え上がるように熱くなった。
あまりの事態にセリスと共に顔を隠して項垂れる。くそっ、恥ずかし過ぎる……!
「……あと何時間くらい待てばいい?」
「「そういうのいいからッ!!」」
頼むから、変な気遣いを回さないでくれ!
「じゃあ、姉弟揃ってイチャイチャしてた光景には触れないでおいて、本題を話そうか」
「かしこまってる癖に言い方に遠慮が一つもねぇ……」
「もっと弄ろうか?」
「勘弁してくれ……」
目の前で顔を赤らめて視線を逸らす二人に、先生が用意してくれた書類を差し出す。
ちなみにイレーネと話し終わって目を覚ました後、膝枕しながら怪我を治してくれた先生が青ざめた顔で平謝りしたり、いくら待っても戻ってこないから怒っていたカグヤを宥めたり。
ユキがセリスに突っ込んでダウンさせたり、子ども達が全員押しかけてきて部屋がパンクしたりと色々あった。
まあ、死ぬか生きるかの瀬戸際を反復横飛びしてたセリスが快復した訳だし、はしゃぎ回るのも無理はない。今は分校側の生徒達とカグヤ、タロスとイヴの協力もあってなんとか落ち着いている。
それ以外の面子はセリスを眠らせていた部屋に集まって、今後について話し合うことに。
「さて、まずどれから伝えるべきか……山ほどあるけど、オルレスさん」
「うん。セリス君の容態についてだが、クロト君が持ってきてくれた特効薬のおかげで魔力による拒絶反応も無く、腹部の刺し傷も問題なく癒えている。後で医療機関で詳しく調べる必要はあると思うが、僕からしてみれば彼女は至って健康体だと判断できる」
「ああ。身体は重くないし、視界も狭くない。何より空気が上手い……こんなの久しぶりだよ」
「セリス……!」
「《ニルヴァーナ》に帰ってからでいいから払えよ、薬の代金」
「クロト……!」
セリスがパッと笑って、エリックが肩を落とした。
「次に俺から。昨日、《ディスカード》の火を消して回り、地上に出てからルシアと一旦別れて、シルフィ先生に救援を要請し……冒険者ギルドや警察と連携してユキを取り戻しに《デミウル》本社にカチコミを仕掛けた」
「マジでやったのか、お前」
「カラミティの《デミウル》襲撃の混乱に乗じて、な。そのおかげで特効薬を見つけられたし、ユキを連れ出せたんだけど、ナンバーズとかいう構成員に追われてね。逃げる為に地下整備通路に飛び込んで、命からがら《ディスカード》に戻ってきたって訳だ」
首から吊り下げた左腕を右手で撫でながら、なんともないように振る舞うがエリックの頭は重い。前に言ったけど責任とか負い目とか別に考えなくてもいいのに。
ただ、さすがにカラミティと手を組んで《デミウル》を崩壊させましたとは口が裂けても言えない。
でも多分、先生には嘘だとバレてる。ジトッとこっちを見つめる視線が痛いもの。
「ま、まあユキも無事に戻ってきて、晴れて一件落着、と言いたいところだけど……大切なのはこれからだ」
「クロトさんの言う通りです。《ディスカード》がこのような状態になってしまった上に、セリスさんや子ども達の帰る場所もありません」
「《デミウル》が派手に動いたから《ディスカード》の存在が明るみになるのも時間の問題だろうね。元々、こういった地下施設は上層の居住区の安全性が確立できないから、かなり昔の政策で埋め立てが決定されていたんだ。たとえどんな理由であれ、そんな物がこうして現存しているなんて厄介なネタにしかならない」
恐らく《ディスカード》が残された理由にも何らかの企業の思惑が絡んでいると思うが、俺達には関係ないし、ぶっちゃけどうでいい。騒ぎ立てるのは構わないが他所でやってくれ。
しかし故郷が無くなる可能性を並べられて良い感情を抱く人なんて中々いない。それは眼前で険しい表情を浮かべる二人にも言えることだ。
そんな彼らに先程渡した書類を確認させる。エリックには見覚えがあるのだろう。目を見開き、俺と先生の間に視線を泳がせる。
「おい、これって」
「セリスと子ども達の分も含めた学園の編入手続き書だ。知ってるよな?」
「ああ……でも、なんでだ?」
困惑するのも無理はない。現にセリスに至っては首を傾げ、書類を横にしたり縦にしたり回している。破くなよ?
「まず今年の学園はどっかのバカが悪評を広め過ぎたせいで入学者数も減少し、挙句には生徒を退学させまくり、復学の意志がない生徒分の定員が空いてるから出来る限り引き込みたいってのが理由の一つだな」
「もう一つは私が学園長に皆さんを推薦しました。孤児院からの編入生というのはエリックさんを含めていくつか前例がありますし、地上の常識などは適宜指導していけば問題ないと判断しましたので」
「あとは病み上がりのセリスを放置していくなんてありえないとか、オルレスさんが言ってたけど《ディスカード》を追われた子ども達がどうなるか不安だし……他にも諸々の理由を全部詰め込んで《ニルヴァーナ》で新しい生活を送ればいいじゃん、って話になった」
入学金とか学費とか話してない部分は《ニルヴァーナ》に戻った後、学園長から直接告げられる予定だ。とにかく、いま必要なのは子ども達の親代わりである二人の承諾だけ。
それさえ聞ければとんとん拍子に話が進んでいくのだが、セリスはともかく、エリックの表情が優れないな。不安、心配、恐れ……色々な感情が混ざり合ってるように見える。俺と先生は前もって相談していたとはいえ、エリックにとってはいきなり過ぎる話だしな。
別に子ども達が《ディスカード》で一生を過ごすことを悪いと言うつもりはない。これからの《グリモワール》の環境に甘んじて停滞を選ぶというのなら、仕方ないと割り切ってやろう。
だが、どんな経緯であれ、手元にやってきたチャンスには喰らいついた方が良いと思う。
現在を変えたい、変わりたいと望む人なら尚更だ。恐怖よりも前へ進むことを覚えた人ほど、掴む物は多い。
そういう状況で選んだから今がある訳だし、十分に理解しているだろう──力強い眼差しに変わったエリックに、俺は頷いて。
「そうそう。言い忘れてたけど、子ども達には既に編入の話を伝えてるから外堀は埋まってると思ってくれ。元々憧れと興味はあっただろうから、すっごいキラキラした目で期待してたよ」
「もはや拒否権無しじゃねぇか!? いや、する気はねぇけど、もう少し考える時間とかないのかよ!?」
「うん。でもね、俺だって頑張って交渉したよ、学園長相手に。そしたらアイツは“全員を特待生として編入させる?”とか言い出しやがった。──いいのか? あの子達を特待生なんて学園のパシリにする気か? 自分で言うのもアレだけど最近は依頼の内容に容赦が無くなってきたから下手すると俺よりもキツイ状況にさせちまう可能性があるし、ガルド程にアホな教師は居ないけど良心も手加減する気も無い奴は平気な顔してユニークモンスター倒してこいとか言いやがるし、そもそもなんで便利屋みたいな扱いなんだ最早ただの雑用係と変わらないだろう──」
「先生! 一般の生徒としてアイツらの編入手続きをお願いします!!」
「あっ、はい。では、そのように連絡しておきますね」
こいつ、即決しやがった……! 当時の俺が流されるままに選ぶしかなかった特待生という道を無視して!
その後、デバイスを取り出して学園長と話す先生、オルレスさんに自分の状態をより詳しく聞くセリスを尻目に。
「エリック、セリスの傍を離れたくない気持ちは分かるけど、ちょっと一緒に来てもらっていいか?」
「一言多いっつーの……どこまでだ?」
「ついて来れば分かるよ」
恥ずかしそうに言いながら、首を傾げるエリックを連れて外に出る。
異臭は無いが、赤黒く乾いた道を無言で歩きながら、目的地を目指す。ガレキと煤の混じった廃虚を越えて、辿り着いた場所を見て。息を呑む音が、後ろから響く。
元々は公園として機能していたはずの空き地には、昨夜ルシアと協力して作った、盛られた土に不格好な十字架が刺さった急造の墓標が並んでいた。意識を朦朧とさせながらの作業だった為、見た目が悪いのは許してほしい。
「こんなのいつの間に……お前がやったのか?」
「いや、俺だけじゃなくて……ああ、いたいた。おーい、ルシア」
「……ん」
数十以上の墓が乱立する墓所を見渡し、一人黙々と作業をしているルシアの姿を見つける。さすがにカラミティとしての恰好はしていなかった。黒い無地の眼帯は相変わらず着けているが。
土で汚れた手を拭いながら振り向いた彼女の顔色は、あまり良くない。昨日はあれだけ派手に動いていたし、恐らく休まずに住民の遺体を探し回っていたのだろう。
その証拠に、彼女の周囲には作った覚えのない墓が追加されていた。
「遺体を野ざらしにする訳にはいかないって彼女に言われてね。一人でやるには大変だと思って少しだけ手伝ったんだ。……生きてる人は、やっぱりいなかった?」
「……うん。ルガー達も、やられてた。怪我した人を背負って地上へ逃げようとして、撃ち抜かれたみたいで……でも最期まで、自分の身体で庇い続けてたのが分かったよ。覆い被さるように、重なって死んでたから」
「…………そっか」
新しい居場所を得られたはずの彼らまで、亡くなってしまった。親しくない間柄の存在だとしても、知り合いの訃報を聞かされるのは、心が締めつけられる。
互いに無言になり、ルシアは息を吐きながらペンダントが下げられた墓の前に座り込んだ。
「──なあ、クロト。俺にこの光景を見せる為に、ここまで連れてきたのか?」
エリックの震える声が頭を揺らす。何を言えばいいのか分からず、かろうじて絞り出した当たり前の疑問に頷きながら。
「そう、だね。まずは勝手に墓を作ったことを謝りたかった。別れを言わせられないまま、埋めてしまったからさ……後は、エリックにだけは真実を伝えておこうと思ったんだ」
「真実……?」
「ああ。長くなるけど、これから話すことは全部──本当の話だ」
セリスに使った特効薬が本当はエリクシルだったこと。
……《デミウル》の外道な計画にユキが巻き込まれていたこと。
…………救出の過程で、ユキの父親をこの手で殺めてしまったこと。
カラミティ関連はエリックにとって無関係で必要ない話なので、一切話題には出さなかった。共犯者ともいえるルシアも近くにいたからだ。
それ以外の全てを打ち明けていく中、エリックの表情を暗くなり遂には俯いてしまった。
「……知っていてほしかったんだ。ユキの家族であるエリックに、俺が背負う罪を、奪ってしまった闇を。言い訳するつもりはないし、親殺しの贖罪がしたくて話した訳でもない。──散々、こんな話をした後に言うのもなんだけど、後悔はしてないんだ。最期に託されたからには、中途半端に放り投げたりはしないよ。でも、もし俺の取った行動が巡り巡ってユキが知った時、何をしようと黙ってみていてくれ。その後は、エリックの役目が……」
「──もういい、もういいだろッ!」
そう言いながら、バッと上げられたエリックの顔は悲痛に歪んでいた。
肩を掴まれ、紡ごうとした言葉を遮られる。全身を奔る痛みに呻きながら、荒い呼吸を繰り返すエリックを見つめる。
「お前が俺達の為を思ってやってくれたことには感謝してる……どうすりゃ恩を返し切れるのかも分かんねぇくらいな。そんな重荷をお前に背負わせなくちゃいけないほど、俺は頼りねぇヤツだ。力不足で弱っちい、肝心な時に動けない、情けなくて不甲斐ないクソ野郎だよ。救われて守られて、無力な俺に腹が立ってる……だけどよ、俺だって守りたいんだ。家族だけじゃねぇ──お前もだ、クロト」
「……」
「大切な気持ちを気づかせてくれたお前を、見送ったことを悔やんだ。なんで声を掛けてやれなかったんだって、仲間の後ろ姿を眺めてるだけで止められなかったって、何度も思い出して繰り返して……ようやく納得できる答えを得られた」
掴んだ手を放し、ぐっと握りしめながら。
「俺が出来ることなんて結局限られてる。なら、突き詰めていくだけだ。クロトもセリスもアイツらも──俺の大切なものを全部まとめて護ってみせる。どれだけ困難で苦しくても、今度こそ。お前だけにツラい思いをさせない為にも、もう迷わねぇ。お前が選んだ道を、一人で歩かせはしない」
まっすぐ見据えた目の奥に、今までのエリックには無かった揺るがない信念が宿っていた。燃えるように熱く、決して絶えることの無い強い想いが。
心の奥で抱え込んでいた物がゆっくりと解けていく気がした。
自分本位で物事を進めて、周りの人達を置いていって。俺の行動が全て正しいとは言わないけど、出来る限りの最善を尽くしてきたつもりだった。
でも、その結果に積もっていく感情がどうしても消化し切れなくて、胸の中をぐるぐると回ってる。
外野の立場に居る俺が衝動的に出しゃばった真似をして、今があるのだとしても。
行動への後悔が無くても、事が過ぎた後に降りかかってくる不安を怖がって、逃避したい思考が無かったとは言わない。
だから、積み重ねた清算が果たされる時に目を背けず、逃げ出さない為に事実を明かした……この世界で出来た初めての親友に。
でも、これじゃ自分勝手過ぎるよな。心のどこかで決めつけて、押し付けていたのかもしれない。
俺が動かないと、こいつは壊れてしまうって。度重なる不運に折れてしまう、と。
──この程度のことで挫けるようなヤツじゃないって、分かっていたのに。
その結論に至った瞬間、頬が緩んだ。張り詰めていた線が和らいで、漏れ出した笑みが浮かぶ。
ああ、なんだかやっと戻ってきた感じがする。こういうめんどくさい思考の迷路も含めて、自分らしさなんだ。
「──じゃあ、一緒に背負ってもらおうかな。さすがに色々あって、無理し過ぎて潰されそうだ」
「ああ、任せろ!」
快活な、いつもの調子に戻ったエリックと一緒に空を見上げる。
偽りの空は、これまでの不機嫌な表情をどこかに吹き飛ばして。
久々に顔を見せた太陽の日差しを輝かせていた──。
肩を寄せ合い、毛布に身を包ませた子ども達。事情を説明し、着いてきてくれた分校の生徒達は壁に背中を預けて。ずっと気を張ってくれていたカグヤさんやオルレスさんも横になった途端、糸が切れたように眠りについた。
怪我の処置、食事の用意を手伝ってくれたタロス。不思議な雰囲気を漂わせるイヴという魔導人形も、今はスリープ状態に移行していた。
エリックさんはセリスさんの傍を離れようとはせず、どんなに声を掛けても頑なに耳を貸さず、食事を摂らずに看病し続けている。
故郷を焼かれ、家族を失いかけ、壮絶な仕打ちを受けて。
既に限界が近いというのに、細い糸で保っている意識を手放すまいとしている。
どこか虚ろで自責の念で押しつぶされそうな姿は、まるで昔の自分を見ているようで──いっそ魔法で眠らせてしまおうとも考えましたが、さすがに強引過ぎる。
割れた窓から崩れた街を見つめながら、一瞬でもそう思ってしまった自分に驚き……同時にクロトさんなら間違いなく、躊躇わずにやるという確信があった。
攫われたユキを助けに行くと言ってからもう何時間も経っている。日付けも変わり、街を照らすのは鋼鉄と化した特殊な鉱物が映す地上の灯りだけ。
未だに連絡は無く、こうしてただ待つだけというのはもどかしく、二人が無事に帰って来られるように祈ることしか出来ない。
「けほっ……。血の匂いが、濃いですね」
肺の底に溜まる異臭に、ここまでの道中で見た凄惨な光景が想起させられる。
必要な物資を背負い、《ディスカード》への階段を下りた先で。一目見て脳裏に浮かんできた言葉は、“惨状”だった。
以前降り立ったガレキの街の姿はどこにもなく、建物は火に焼かれ、赤黒く染められ、咽るほどの鉄錆にも似た生々しい異臭を放つ液体──血が街の全域に広がっていた。
周囲には企業の私兵と思われる亡骸が。その傍には四肢を失い身体を抉られ苦悶に歪んだ表情の老人達が横たわっていた。
半信半疑でついてきた生徒の中には想像を絶する光景に気を悪くする者もいて、それでも目を背ける訳にはいかず。灰と血溜まりの道を進み、この建物に辿り着いて……結果はこの通り。
この血の匂いについては恐らく、発生した火災を静める為にクロトさんが地底湖を血の湖に変化させて操り、雨のように降らせたのが原因でしょう。
他に手が無かったから仕方がない、と言えばそれまでのこと。しかし、《ディスカード》全域にまで影響を及ぼす程の魔法を行使する魔力量などクロトさんには無かったはずです。
第二位階への到達──憶測ではありますが、それが関係していると見て間違いない。このまま放置しては魔法の制御が効かず常に暴走する危険が付きまとう。
手遅れになる前に根本的な部分から手を加えなくては、ああ、でも学園長からの話もエリックさんに伝えなくてはいけませんしそれが何より最優先……なんにせよ、全ては彼が戻ってきてからの話で──ゴトッ──すから……?
「物音……?」
振り返って廊下を見回すが、風で倒れるような物も、魔物の仕業かと気配を魔法で探っても反応は無い。しかし確かに音がした。
妙な胸騒ぎを抱えながら、子ども達の眠る部屋へ戻る。静かに開いた扉を後ろ手に閉じて、特に変化がないことを確認し、エリックさんが居る別室の扉へ手を掛けた。
逸る鼓動を抑えながら、ガチャリと開けた扉の先で──仮面を付けた黒衣の男が、倒れ伏すエリックさんの傍に立っていた。いや、正確にはベッドで眠るセリスさんの口に、容器に入った謎の液体を流し込んでいた。
一瞬で思考が白み、全身の肌がざわつく。そして強張った身体が、指先が反応した瞬間、魔法を全身に巡らせる。
「あっ、先せ」
男がこちらに気づき、口を開こうとしたが、遅い。
音も無く眼前に踏み込み、固く握り締めた拳を鳩尾に叩き込む。鈍い音が右腕に伝わる。
浮ついた身体を掴んで窓から放り投げ、自分も後を追う。もんどり打って転がり、うつ伏せに倒れた男に近づく。カラカラと音を立てて倒れた仮面を踏みつけ、砕く。
先ほど何を言い掛けたのかは分からないが、エリックさんとセリスさんの元へ現れた以上、《デミウル》の刺客である可能性が高い。まさかこの場所を突き止めてまで殺しに来るとは……。
今すぐにでもセリスさんに飲ませた得体の知れない物、おそらく毒物の類であろうが、それを処置しなくてはならない。魔法で対応できればいいが、彼女の容態を悪化させてしまうだけだ。何の毒か分かれば、手元にある材料だけで重症化する前に解毒薬を作るのも難しくはない。
故に、この男に詳細を吐かせなくてはならな…………ん?
「これは……」
男の腰に佩いた長剣に、どこか見覚えがあった。それどころか着ている黒衣も、色は違えど彼が着ている制服にそっくりだ。さらにさっき砕いたはずの仮面の欠片がどこにも無く、代わりに赤黒い液体となり地面の染みと化している。
とてつもなく嫌な予感がした。急速に顔の温度が冷えていくのが分かる。
い、いやいやいや。まさか、そんな訳ないじゃないですか……もしそうだとしたら、私はとんでもない過ちを犯して……。
耳元で声を掛けてみる。反応なし。
震える手でピクリとも動かない彼の身体を揺すってみる。反応なし。
一つ、深呼吸して。いざ、意を決して仰向けに返す。
「ひぅ!?」
ひきつった悲鳴が喉奥から溢れる。想像していた通りではあった。
確かに目の前に居るのはクロトさん本人だ。──異常な程に青白い顔で満面の笑みを浮かべ、気を失っていることに目を瞑れば、いつもの彼だった。
「なんで腹パンされたんだろ……エリックは死んだ魚みたいな目で起きてたから気絶させて、ちゃんとユキはベッドに寝かせてたし、エリクシルも飲ませたから問題は無いはずなのに」
魔導列車で訪れてからしばらく行かなかった白い空間で、膝を抱えて座りながら、気を失う前の出来事を思い出す。
ルシアのおかげで《ディスカード》まで降りられたのだが、ガレキ市場の遺体を放っておく訳にはいかない、と。
辛そうに顔を歪めながら遺体を運ぶ彼女を見ていられず、俺も手伝い──ユキもぐっすり眠っていたので丁度良かった──住人のほとんどを埋葬してから。他の場所にも遺体があるかもしれないと探しに行った彼女と別れて、避難先であるルシアの家に向かった。
時間で言えば夜中の零時を過ぎた辺りで。
もはや両手の感覚が鈍すぎてユキの重みくらいしか分からなかったが、適当な部屋から入ればいいやと跳び込んだ先にエリックがいた。
なんでまだ起きてんだ? そんな純粋な疑問が頭の中で右から左へ流れていき、気づけば流れるような動きで後頭部を蹴り抜いていた。
精神的にボロボロなのに肉体的にも追い詰めてどうするんだっての。
白目を向いて倒れたエリックを放置してユキを毛布で包んでベッドに寝かせ、そしてエリクシルを飲ませてたら──殴られてサッカーボールみたいにぶっ飛んで、そこで意識が途切れた。
おかしい、これのどこに怪しい要素が……待てよ。
「……そういえば仮面つけたままだったな。事前に連絡入れるのも忘れてたし、突然現れた不審者が得体の知れない液体を寝てる人に飲ませてたら、そりゃ正当防衛も許されるか。そんな状況に直面したら誰だってそーする、俺だってそーする」
結論、全面的に俺が悪い。起きたらエリックと先生に謝ろう。
納得して頷きながら立ち上がり、周囲を見渡し──項垂れた様子のイレーネを発見。
近づいていくと勢いよく顔を上げ、俺の顔をじっと見つめながら。
「…………えっ。な、なんともないの……? 使ったんだよね、あのスキル」
「お、おう。《異想顕現》のことだよな? まあ、仕方なく……もう使う気はないけど。それがどうかしたか?」
「身体の調子は? 変な声が聞こえたりとか、幻覚が見えるとか、異常はない?」
「使った直後は確かにだるかったけど、特に何かおかしいって感覚は一つも無いよ」
唐突に捲し立てられ、頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
この間の口論について謝ろうとしたのに、イレーネはグルグルと俺の周りを回りながら、首を傾げて。
「い、いや、どこも悪くないなら、いいんだけど」
「そうか……詳しくは、聞かない方がいいか?」
「──うん。そうしてもらえると、助かるかな。まだ確信がある訳じゃないから、こっちでもう少し調べてみる……」
視線を泳がせながら手を組み、不安そうな表情を浮かべて俯く。
……どうしてこんなに心配してくれるのか。その理由が《異想顕現》にあるのは分かるが、逆に言えばそれだけしか俺には分からない。
イレーネだからこそ何か察するようなことがあって、きっと俺という存在が、どういう状況に置かれているかを俺が理解していないんだ。
知らないものばかりで、謎だらけで。
不明瞭な足場に立っているから、不安と焦りは津波のように押し寄せてきて。
でも……知らない、分からないをそのままにして、思考と行動を放棄するのは間違っている。
漠然としたゴールがどこにあるかなんて聞く暇があるなら、走り回って自分で探す方が手っ取り早い。どんなに滑稽で、嘲笑されようと。時間が掛かろうと走り続けている限り、誰かに手を取られたりしながら、いつかは辿り着くのだから。
──気味悪がって目を背けるのはやめよう。使う使わないにしろ、俺が持っている力なんだから向き合うべきだ。
「……ありがとな」
「へ? い、いきなりなに?」
ようやく目を合わせてくれたイレーネに、頬を緩めて。
「色んな人に迷惑かけて、心配させて、不安にさせて……怖い思いをさせてるなって気付けたからさ。本当はこの間のことを謝ろうと思って、気絶したからここに来たんだけど。現状をどうにかするだけで必死になって、周りをちゃんと見れてなくて。イレーネのそんな様子を見てると、なんだか自分が逃げてるみたいで情けなくなっちゃってさ」
「それは、違うよ。私の方こそ、思わせぶりなこと言って君を……」
「そうさせるほどに俺の状態が異常なんだろ? でも、イレーネは俺の知らない所で気を回してくれてさ。それが、なんだか嬉しくて……でも、ちょっと頑固で諦めが悪いのが俺の性分だから。簡単には変わらないし、変えられないかもしれない」
だからこそ。
「これからも苦労させると思うけど、改めてよろしく頼むよ」
「──ぷっ」
伸ばした手を掴みながら、イレーネは吹き出して笑う。
口をいっぱいに広げて、眦に涙を浮かべながら、心からの笑顔を見せてくれた。
辛気臭い顔をしてるより、その方がイレーネには合ってるな。
「あはは! もう、そんなこと言われたら頑張るしかないじゃん! はー……色々考えてたけど、全部吹っ飛んでったなぁ……」
「気分は晴れた?」
「そりゃあもうばっちりよ。道は一つじゃない、変えられないはずがないわ。私は私に出来ることを、貴方の為にやる──もう二度と、過ちは繰り返させない」
イレーネの瞳の奥に、覚悟が灯る。
心の内を読むなんて真似は出来ないけど、それだけは確かに伝わってきた。
「っ、いってぇ」
鈍痛が響く。頭を押さえて、呻きながら上体を起こす。窓から差し込む仄かな光に目を細めながら、吸い込んだ淀んだ空気に咽た。
咄嗟に口を抑えて、昨日のことを思い出す。
確か、セリスの傍に突然現れた不審者に驚く暇もなく蹴られて……そこからの記憶が無い。気を失っていたのか?
「何が起きたってんだ……そうだ、セリス!」
ハッと顔を上げ、視線を向けた先で。
「──よお、寝坊助」
聞きたくて仕方がなかった、もう二度と耳にすることも無いかもしれないと思っていた、家族の声がした。
薄暗い部屋の中。こちらを見つめる水色の瞳に、何か言おうとして、喉奥に詰まった言葉が出てこない。代わりに、震えながら伸ばした両手で頬と手に触れる。
血色の悪い顔は熱を帯び、枯れ木のように痩せ細った指は柔らかく、命を巡らせていた。
俯いた視界が潤み、込み上げた涙が溢れ出す。ぽつり、ぽつりと、黒ずんだ染みを作っていく。
「っ、セリス……よかった……! 本当に、よかった……ッ!」
「大袈裟だねぇ、まだ神様の元へ逝く時じゃなかったってだけだろう? ガキみたいにメソメソしてんじゃないよ」
弱々しく、でも芯のある声で。セリスは笑う。
ああ、いつものセリスだ。孤児院で子ども達と一緒に出迎えてくれた時と同じだ。もうあの場所は燃えてしまったけど、変わらない物が確かにあったんだ。
これまで胸の中で燻っていた感情が溢れて、絡まって、ぐちゃぐちゃになって。
「だって、もう助からないって……このまま死んじまう、って。気付けたことが、言いたいことが山ほどあったのに、伝えられずに終わっちまうって……」
「……アタシもだよ。本音も言えないまま、自分の気持ちも吐き出せないままなんて嫌さ」
力無く頬に添えられた右手を取りながら。
左手は優しく絡め合い、放さないようにしながら。
囁くような揺れた声で。
「笑ってくれよ、エリック。いつもみたいに、外の世界を話す時みたいに。泣いてばっかで下を向いてちゃ、顔が良く見えないだろう?」
「きっと、酷い顔してるぜ。散々泣いたし、洗ってねぇし」
「お互い様だろ、そんなの。今更気にするようなことじゃないさ」
添えた手が、ゆっくりと、顔を上げさせる。部屋に差し込む光が強くなった気がした。
お互いの顔が良く見える。頬を流れる大粒の雫、煤で汚れた額や赤らんで腫れた目元。そして、生気の宿った目と目が合った。
自然と笑みが浮かぶ。嗚咽混じりに、喜色に染まった声音が弾む。
肩を抱き合い、身を寄せ合って。温もりを分かち合うように。
静かな笑い声が室内に響き合った──。
「オルレスさん、どうします? すっごい良い雰囲気なのに、出ていくのが忍びないんですけど。きっとこのまま見続けてたらイケるとこまで突っ走りますよ、あの二人」
「ううむ、それに関しては僕も同意見なのだけど、医者としてセリス君の容態を確認しておかないといけないからね」
『では何事も無かったかのように振る舞いながら、というのはどうでしょう?』
……ピタッと。笑顔のまま静止した顔を、止まった涙の代わりに吹き出した冷や汗を垂らしながら。錆び付いた歯車が回るように騒がしい方へ向ける。
──開け放たれた扉から顔だけを出した三人が、じっとこちらを見つめていた。
「…………いつから、そこに居た?」
「エリックが目を覚ました辺りから、ずっと」
昨日、無謀な発言を残して姿を消した友人が、気まずそうに隠れた二人の代わりに、包帯だらけの指先をくるくる回しながら宣う。
つまり最初から全部、見られていたと……そうかぁ……。
呆けた思考が羞恥に染まる。身体の芯から指先まで、燃え上がるように熱くなった。
あまりの事態にセリスと共に顔を隠して項垂れる。くそっ、恥ずかし過ぎる……!
「……あと何時間くらい待てばいい?」
「「そういうのいいからッ!!」」
頼むから、変な気遣いを回さないでくれ!
「じゃあ、姉弟揃ってイチャイチャしてた光景には触れないでおいて、本題を話そうか」
「かしこまってる癖に言い方に遠慮が一つもねぇ……」
「もっと弄ろうか?」
「勘弁してくれ……」
目の前で顔を赤らめて視線を逸らす二人に、先生が用意してくれた書類を差し出す。
ちなみにイレーネと話し終わって目を覚ました後、膝枕しながら怪我を治してくれた先生が青ざめた顔で平謝りしたり、いくら待っても戻ってこないから怒っていたカグヤを宥めたり。
ユキがセリスに突っ込んでダウンさせたり、子ども達が全員押しかけてきて部屋がパンクしたりと色々あった。
まあ、死ぬか生きるかの瀬戸際を反復横飛びしてたセリスが快復した訳だし、はしゃぎ回るのも無理はない。今は分校側の生徒達とカグヤ、タロスとイヴの協力もあってなんとか落ち着いている。
それ以外の面子はセリスを眠らせていた部屋に集まって、今後について話し合うことに。
「さて、まずどれから伝えるべきか……山ほどあるけど、オルレスさん」
「うん。セリス君の容態についてだが、クロト君が持ってきてくれた特効薬のおかげで魔力による拒絶反応も無く、腹部の刺し傷も問題なく癒えている。後で医療機関で詳しく調べる必要はあると思うが、僕からしてみれば彼女は至って健康体だと判断できる」
「ああ。身体は重くないし、視界も狭くない。何より空気が上手い……こんなの久しぶりだよ」
「セリス……!」
「《ニルヴァーナ》に帰ってからでいいから払えよ、薬の代金」
「クロト……!」
セリスがパッと笑って、エリックが肩を落とした。
「次に俺から。昨日、《ディスカード》の火を消して回り、地上に出てからルシアと一旦別れて、シルフィ先生に救援を要請し……冒険者ギルドや警察と連携してユキを取り戻しに《デミウル》本社にカチコミを仕掛けた」
「マジでやったのか、お前」
「カラミティの《デミウル》襲撃の混乱に乗じて、な。そのおかげで特効薬を見つけられたし、ユキを連れ出せたんだけど、ナンバーズとかいう構成員に追われてね。逃げる為に地下整備通路に飛び込んで、命からがら《ディスカード》に戻ってきたって訳だ」
首から吊り下げた左腕を右手で撫でながら、なんともないように振る舞うがエリックの頭は重い。前に言ったけど責任とか負い目とか別に考えなくてもいいのに。
ただ、さすがにカラミティと手を組んで《デミウル》を崩壊させましたとは口が裂けても言えない。
でも多分、先生には嘘だとバレてる。ジトッとこっちを見つめる視線が痛いもの。
「ま、まあユキも無事に戻ってきて、晴れて一件落着、と言いたいところだけど……大切なのはこれからだ」
「クロトさんの言う通りです。《ディスカード》がこのような状態になってしまった上に、セリスさんや子ども達の帰る場所もありません」
「《デミウル》が派手に動いたから《ディスカード》の存在が明るみになるのも時間の問題だろうね。元々、こういった地下施設は上層の居住区の安全性が確立できないから、かなり昔の政策で埋め立てが決定されていたんだ。たとえどんな理由であれ、そんな物がこうして現存しているなんて厄介なネタにしかならない」
恐らく《ディスカード》が残された理由にも何らかの企業の思惑が絡んでいると思うが、俺達には関係ないし、ぶっちゃけどうでいい。騒ぎ立てるのは構わないが他所でやってくれ。
しかし故郷が無くなる可能性を並べられて良い感情を抱く人なんて中々いない。それは眼前で険しい表情を浮かべる二人にも言えることだ。
そんな彼らに先程渡した書類を確認させる。エリックには見覚えがあるのだろう。目を見開き、俺と先生の間に視線を泳がせる。
「おい、これって」
「セリスと子ども達の分も含めた学園の編入手続き書だ。知ってるよな?」
「ああ……でも、なんでだ?」
困惑するのも無理はない。現にセリスに至っては首を傾げ、書類を横にしたり縦にしたり回している。破くなよ?
「まず今年の学園はどっかのバカが悪評を広め過ぎたせいで入学者数も減少し、挙句には生徒を退学させまくり、復学の意志がない生徒分の定員が空いてるから出来る限り引き込みたいってのが理由の一つだな」
「もう一つは私が学園長に皆さんを推薦しました。孤児院からの編入生というのはエリックさんを含めていくつか前例がありますし、地上の常識などは適宜指導していけば問題ないと判断しましたので」
「あとは病み上がりのセリスを放置していくなんてありえないとか、オルレスさんが言ってたけど《ディスカード》を追われた子ども達がどうなるか不安だし……他にも諸々の理由を全部詰め込んで《ニルヴァーナ》で新しい生活を送ればいいじゃん、って話になった」
入学金とか学費とか話してない部分は《ニルヴァーナ》に戻った後、学園長から直接告げられる予定だ。とにかく、いま必要なのは子ども達の親代わりである二人の承諾だけ。
それさえ聞ければとんとん拍子に話が進んでいくのだが、セリスはともかく、エリックの表情が優れないな。不安、心配、恐れ……色々な感情が混ざり合ってるように見える。俺と先生は前もって相談していたとはいえ、エリックにとってはいきなり過ぎる話だしな。
別に子ども達が《ディスカード》で一生を過ごすことを悪いと言うつもりはない。これからの《グリモワール》の環境に甘んじて停滞を選ぶというのなら、仕方ないと割り切ってやろう。
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現在を変えたい、変わりたいと望む人なら尚更だ。恐怖よりも前へ進むことを覚えた人ほど、掴む物は多い。
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「そうそう。言い忘れてたけど、子ども達には既に編入の話を伝えてるから外堀は埋まってると思ってくれ。元々憧れと興味はあっただろうから、すっごいキラキラした目で期待してたよ」
「もはや拒否権無しじゃねぇか!? いや、する気はねぇけど、もう少し考える時間とかないのかよ!?」
「うん。でもね、俺だって頑張って交渉したよ、学園長相手に。そしたらアイツは“全員を特待生として編入させる?”とか言い出しやがった。──いいのか? あの子達を特待生なんて学園のパシリにする気か? 自分で言うのもアレだけど最近は依頼の内容に容赦が無くなってきたから下手すると俺よりもキツイ状況にさせちまう可能性があるし、ガルド程にアホな教師は居ないけど良心も手加減する気も無い奴は平気な顔してユニークモンスター倒してこいとか言いやがるし、そもそもなんで便利屋みたいな扱いなんだ最早ただの雑用係と変わらないだろう──」
「先生! 一般の生徒としてアイツらの編入手続きをお願いします!!」
「あっ、はい。では、そのように連絡しておきますね」
こいつ、即決しやがった……! 当時の俺が流されるままに選ぶしかなかった特待生という道を無視して!
その後、デバイスを取り出して学園長と話す先生、オルレスさんに自分の状態をより詳しく聞くセリスを尻目に。
「エリック、セリスの傍を離れたくない気持ちは分かるけど、ちょっと一緒に来てもらっていいか?」
「一言多いっつーの……どこまでだ?」
「ついて来れば分かるよ」
恥ずかしそうに言いながら、首を傾げるエリックを連れて外に出る。
異臭は無いが、赤黒く乾いた道を無言で歩きながら、目的地を目指す。ガレキと煤の混じった廃虚を越えて、辿り着いた場所を見て。息を呑む音が、後ろから響く。
元々は公園として機能していたはずの空き地には、昨夜ルシアと協力して作った、盛られた土に不格好な十字架が刺さった急造の墓標が並んでいた。意識を朦朧とさせながらの作業だった為、見た目が悪いのは許してほしい。
「こんなのいつの間に……お前がやったのか?」
「いや、俺だけじゃなくて……ああ、いたいた。おーい、ルシア」
「……ん」
数十以上の墓が乱立する墓所を見渡し、一人黙々と作業をしているルシアの姿を見つける。さすがにカラミティとしての恰好はしていなかった。黒い無地の眼帯は相変わらず着けているが。
土で汚れた手を拭いながら振り向いた彼女の顔色は、あまり良くない。昨日はあれだけ派手に動いていたし、恐らく休まずに住民の遺体を探し回っていたのだろう。
その証拠に、彼女の周囲には作った覚えのない墓が追加されていた。
「遺体を野ざらしにする訳にはいかないって彼女に言われてね。一人でやるには大変だと思って少しだけ手伝ったんだ。……生きてる人は、やっぱりいなかった?」
「……うん。ルガー達も、やられてた。怪我した人を背負って地上へ逃げようとして、撃ち抜かれたみたいで……でも最期まで、自分の身体で庇い続けてたのが分かったよ。覆い被さるように、重なって死んでたから」
「…………そっか」
新しい居場所を得られたはずの彼らまで、亡くなってしまった。親しくない間柄の存在だとしても、知り合いの訃報を聞かされるのは、心が締めつけられる。
互いに無言になり、ルシアは息を吐きながらペンダントが下げられた墓の前に座り込んだ。
「──なあ、クロト。俺にこの光景を見せる為に、ここまで連れてきたのか?」
エリックの震える声が頭を揺らす。何を言えばいいのか分からず、かろうじて絞り出した当たり前の疑問に頷きながら。
「そう、だね。まずは勝手に墓を作ったことを謝りたかった。別れを言わせられないまま、埋めてしまったからさ……後は、エリックにだけは真実を伝えておこうと思ったんだ」
「真実……?」
「ああ。長くなるけど、これから話すことは全部──本当の話だ」
セリスに使った特効薬が本当はエリクシルだったこと。
……《デミウル》の外道な計画にユキが巻き込まれていたこと。
…………救出の過程で、ユキの父親をこの手で殺めてしまったこと。
カラミティ関連はエリックにとって無関係で必要ない話なので、一切話題には出さなかった。共犯者ともいえるルシアも近くにいたからだ。
それ以外の全てを打ち明けていく中、エリックの表情を暗くなり遂には俯いてしまった。
「……知っていてほしかったんだ。ユキの家族であるエリックに、俺が背負う罪を、奪ってしまった闇を。言い訳するつもりはないし、親殺しの贖罪がしたくて話した訳でもない。──散々、こんな話をした後に言うのもなんだけど、後悔はしてないんだ。最期に託されたからには、中途半端に放り投げたりはしないよ。でも、もし俺の取った行動が巡り巡ってユキが知った時、何をしようと黙ってみていてくれ。その後は、エリックの役目が……」
「──もういい、もういいだろッ!」
そう言いながら、バッと上げられたエリックの顔は悲痛に歪んでいた。
肩を掴まれ、紡ごうとした言葉を遮られる。全身を奔る痛みに呻きながら、荒い呼吸を繰り返すエリックを見つめる。
「お前が俺達の為を思ってやってくれたことには感謝してる……どうすりゃ恩を返し切れるのかも分かんねぇくらいな。そんな重荷をお前に背負わせなくちゃいけないほど、俺は頼りねぇヤツだ。力不足で弱っちい、肝心な時に動けない、情けなくて不甲斐ないクソ野郎だよ。救われて守られて、無力な俺に腹が立ってる……だけどよ、俺だって守りたいんだ。家族だけじゃねぇ──お前もだ、クロト」
「……」
「大切な気持ちを気づかせてくれたお前を、見送ったことを悔やんだ。なんで声を掛けてやれなかったんだって、仲間の後ろ姿を眺めてるだけで止められなかったって、何度も思い出して繰り返して……ようやく納得できる答えを得られた」
掴んだ手を放し、ぐっと握りしめながら。
「俺が出来ることなんて結局限られてる。なら、突き詰めていくだけだ。クロトもセリスもアイツらも──俺の大切なものを全部まとめて護ってみせる。どれだけ困難で苦しくても、今度こそ。お前だけにツラい思いをさせない為にも、もう迷わねぇ。お前が選んだ道を、一人で歩かせはしない」
まっすぐ見据えた目の奥に、今までのエリックには無かった揺るがない信念が宿っていた。燃えるように熱く、決して絶えることの無い強い想いが。
心の奥で抱え込んでいた物がゆっくりと解けていく気がした。
自分本位で物事を進めて、周りの人達を置いていって。俺の行動が全て正しいとは言わないけど、出来る限りの最善を尽くしてきたつもりだった。
でも、その結果に積もっていく感情がどうしても消化し切れなくて、胸の中をぐるぐると回ってる。
外野の立場に居る俺が衝動的に出しゃばった真似をして、今があるのだとしても。
行動への後悔が無くても、事が過ぎた後に降りかかってくる不安を怖がって、逃避したい思考が無かったとは言わない。
だから、積み重ねた清算が果たされる時に目を背けず、逃げ出さない為に事実を明かした……この世界で出来た初めての親友に。
でも、これじゃ自分勝手過ぎるよな。心のどこかで決めつけて、押し付けていたのかもしれない。
俺が動かないと、こいつは壊れてしまうって。度重なる不運に折れてしまう、と。
──この程度のことで挫けるようなヤツじゃないって、分かっていたのに。
その結論に至った瞬間、頬が緩んだ。張り詰めていた線が和らいで、漏れ出した笑みが浮かぶ。
ああ、なんだかやっと戻ってきた感じがする。こういうめんどくさい思考の迷路も含めて、自分らしさなんだ。
「──じゃあ、一緒に背負ってもらおうかな。さすがに色々あって、無理し過ぎて潰されそうだ」
「ああ、任せろ!」
快活な、いつもの調子に戻ったエリックと一緒に空を見上げる。
偽りの空は、これまでの不機嫌な表情をどこかに吹き飛ばして。
久々に顔を見せた太陽の日差しを輝かせていた──。
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ダンジョン配信 【人と関わるより1人でダンジョン探索してる方が好きなんです】ダンジョン生活10年目にして配信者になることになった男の話
天野 星屑
ファンタジー
突如地上に出現したダンジョン。中では現代兵器が使用できず、ダンジョンに踏み込んだ人々は、ダンジョンに初めて入ることで発現する魔法などのスキルと、剣や弓といった原始的な武器で、ダンジョンの環境とモンスターに立ち向かい、その奥底を目指すことになった。
その出現からはや10年。ダンジョン探索者という職業が出現し、ダンジョンは身近な異世界となり。ダンジョン内の様子を外に配信する配信者達によってダンジョンへの過度なおそれも減った現在。
ダンジョン内で生活し、10年間一度も地上に帰っていなかった男が、とある事件から配信者達と関わり、己もダンジョン内の様子を配信することを決意する。
10年間のダンジョン生活。世界の誰よりも豊富な知識と。世界の誰よりも長けた戦闘技術によってダンジョンの様子を明らかにする男は、配信を通して、やがて、世界に大きな動きを生み出していくのだった。
*本作は、ダンジョン籠もりによって強くなった男が、配信を通して地上の人たちや他の配信者達と関わっていくことと、ダンジョン内での世界の描写を主としています
*配信とは言いますが、序盤はいわゆるキャンプ配信とかブッシュクラフト、旅動画みたいな感じが多いです。のちのち他の配信者と本格的に関わっていくときに、一般的なコラボ配信などをします
*主人公と他の探索者(配信者含む)の差は、後者が1~4まで到達しているのに対して、前者は100を越えていることから推察ください。
*主人公はダンジョン引きこもりガチ勢なので、あまり地上に出たがっていません
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