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【三ノ章】闇を奪う者
第四十四話 瓦解する日常《前編》
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子ども達の魔力訓練と並行して、初日以降はエリックとカグヤも含めたメンバーでまだ見ぬ未開の領域を見ようと《ディスカード》の探索を続けて一週間。
しかし探索では特に目立った進展はなく、主にやった事と言えばガレキ市場で下働きをするルガー達を煽りながらの食材調達、魔力操作の訓練としてモンスターと連続で戦ったくらいだ。
途中、セリスからは企業の手下が徘徊していたら気を付けるように、と注意されたのでモンスター以外の気配にも警戒を強めた。子ども達の話から推測するに武装した兵士のような恰好をしているようだが、今回の探索中にその姿を見掛けることも気配を感じることも無かった。
ちなみにシルフィ先生も本当なら孤児院の方に来たかったらしいが、今後の学園行事での対応を分校側と話し合う必要があり、休める時間が取れないと嘆きながら書類を睨みつけていた……お疲れ様です。
孤児院ではエリックの授業を補佐したり、カグヤやタロスも手伝ってくれたおかげで子ども達は魔力の使い方にすっかり慣れたようだ。まさか魔力操作の練度が学園の生徒と同等レベルになるとは思わなかったが。魔力量も高水準な才能の塊が多くてびっくりだよ。
おかげで俺の立場が危ない。今は慕ってくれてるけど、途端に冷めた対応とかされたら心が折れる。だ、大丈夫だ。まだ魔法に関しては何も教えていないから、その点では俺の方が勝ってる! ……十歳前後の子ども達に張り合う十七歳の時点で絵面が酷いけど。
そういえば、イヴは途中から子ども達に混ざって授業を受けていたな。どうやら“学ぶ、学習する”という行為が新鮮に感じるみたいだ。『今日は? 今日は?』って手を引いてきて、楽しそうに仄かに笑うんだよ。可愛い。
一週間もこんな生活をしていると学園行事で《グリモワール》に滞在していることを忘れそうになる。未だに俺の監視が解けないのが原因なのだが、そろそろ終わってもいいのではないだろうか。
孤児院へ向かう傍ら、これまでの出来事を思い出しながら浮かんできた疑問をタロスに投げかける。
『さすがに《ディスカード》での行動をそのまま報告する訳にはいきませんので、程々に誤魔化して伝えていますが、もしかして怪しまれているのでしょうか』
「怪しんでるって……別に長期間ではないけどさ、こんなにも監視を続けるか? 依頼の時、ちょっと派手に動き回っただけの平凡な一般人の何を疑ってるんだよ、軍の連中は。……ちなみにどんな風に伝えてるの?」
『《グリモワール》に存在する主要区画への観光や国立図書館にてご学友と自主的な勉学に励んでいる、と』
「場所以外はあながち間違ってないから嘘ではないね」
『ん。クロト、わるいこと、してない』
「ほらー、イヴだってこう言ってるんだよ? こんなにも清廉潔白、品行方正を地で突き進む真人間なんだから監視解いてくれたっていいのに」
『ちょっと何を仰っているのか分かりません』
『あたま、大丈夫?』
「さすがに自分で言ってて寒いと思ったけど辛辣じゃない?」
冷たい視線を向けてくる魔導人形の二人に思わず真顔になる。冗談なのにまともに受け止められてしまった。
「……魔導人形とは、あそこまでユニークな対応をするようなものだったかな。それとも僕の認識がズレているのだろうか」
「タロスはともかくイヴは最初からあんな感じだったらしいっすよ」
「二人以外の魔導人形と馴染みがないのでよく分かりませんが、そんなに違いますか?」
「企業が発表した魔導人形のコンセプトが“奉仕を至上の目的とする新たな隣人”であり、人への奉仕を一番の目的としているんだ。主人と決めた者への忠誠心が高く、そして裏切らない。さらに独自の情報網を有していることから、企業抱えの魔導人形は秘書やそれに近い役職の補佐として仕えている。──それはタロスだって例外では無いはずだし、普通ならこんな風に一個人の元に居続けることはできないんだ。主人を敬い、絶対に従うように設定されているはずだからね」
「なるほど。軍に仕えている程の魔導人形が監視としてここにいるのがそもそも不思議、ということですね」
「日中はほとんどクロトに付き合ってるし、軍への定期報告とやらも最低限しかしてないって言ってたよな? 考えてみれば、確かにおかしいな」
「それに、だ。奉仕対象への距離が近く、あそこまで容赦無く物を言う魔導人形を僕は見たことがない。人間のような、同じ生物としての対応……タロス自身が彼の言動をラーニングして、自分なりに近しい存在になろうとしているのか……? ふむ、実に興味深い」
弁明してもらおうと思ってエリック達を見たら、何やらオルレスさんと難しい話をしている。くそぅ、味方がいないじゃないか。こうなったら無理矢理にでも話を変えるしかない。
「そ、そうだ。今日はありがとうございます、オルレスさん。急に連絡したのに、わざわざ時間を作ってくれて」
「ん? ああ、構わないよ。しばらく休暇を取っていなくて、同僚からちゃんと休むようにしつこく言われていたからね……。そんな時に君から連絡が来て、渡りに船だとばかりに応じたのさ」
同僚とのやりとりを思い出したのか、オルレスさんは肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
授業の合間に俺が提案する形でエリックと相談したのだ。現在、セリスの身体がどうなっているのかを知りたいと。リーク先生と話した内容をそのまま伝える訳にはいかないので、遠回しに情報を共有する為に。
血液魔法が使えれば簡単なのだが、魔力に反応して状態が悪化してしまう恐れがある。目に魔力を込めるか鑑定スキルで観察しても、分かるのは魔力量だけで詳しい情報は得られない。
知識不足な俺達が見た目で判断しても仕方がないから、本職の医師かシルフィ先生を連れてきて診てもらうしかない──最も先生は多忙なので声が掛けづらく、幸いにもオルレスさんの連絡先を知っていたので連絡を取ってみた所、快く承諾してもらったのだ。
……よくよく考えてみたら、折角の休日なのに往診みたいな真似をさせてしまってるな。
「事前にクロトから聞いてなかったら驚いてたぜ。リーク先生が結婚してたのは知ってたけど、まさか……」
「こんな感じだとは思わなかった、かい?」
「まあ、正直な話、想像よりも若く見えるなぁ……と」
「はははっ、別に取り繕わなくてもいいさ。僕自身、もう少し身長があれば大人らしさが出る気がするのに、なんて思う時があるからね。妻と出掛けるといつも姉弟か親子かと間違えられてしまう」
「それは大変ですね……私の友人にも背の低い方がいまして、どうにかして身長を伸ばそうと足首と手首を紐で括って、馬で引っ張ってましたよ」
『それはひょっとして拷問でもされていたのでは……?』
「実際の所、無理に引っ張っても姿勢が改善されたりするだけで、骨が成長する訳じゃないから意味ないよ。というか骨に衝撃を与えるだけなら普通の運動でいいのに、なんでわざわざ痛い方を選んでるんだその人。ドMなの?」
『バカなの?』
うーん、純粋であるが故の無慈悲な一言。出会った頃に比べて表情が柔らかくなってきたのに真顔で言ってる辺り、本気でバカだと思ってそうだ。
賑やかに雑談を交わしながら人気の無い裏路地に入り、《ディスカード》への階段を降りていく──その途中で。
頬を撫でる風が、妙に熱いように感じた。それどころか周囲の温度が高い気がする。
今までこんなことがあったか? 沸々と湧き上がってくる違和感が心臓の鼓動を加速させる中、タロスが困惑した声を上げる。
『……え』
「タロス、どうかした?」
『た、多数の熱源反応を感知しました! これは──《ディスカード》内の各地で火災が発生しています!』
「「なっ!?」」
「っ!」
叫ぶ声に背中を押されるように階段を駆ける。反響する靴の音に混じって、小さく、だが確かに火の粉が弾ける音が耳を突く。
次第に熱気は増していき、頬を汗が伝う。拭う暇もなく漏れ出した光へと飛び出す。
そして──見慣れた灰色の景色を呑み込むような炎の海が、そこにあった。立ち昇る黒煙は渦を巻き、偽りの空を埋め尽くしていて。より強く感じる熱気は痛みを伴い、肺に熱を送り込む。かろうじて形を保っていた廃虚が崩れ落ち、巻き起こった熱風が炎の勢いを強めた。
「…………何が、起こったんだ」
呆然と呟く。その疑問に答える者は、誰もいない。
遅れて到着したエリック達もこの惨状を見て言葉が出ないようだ。
ズキリ、と。脳裏に思い出される記憶──激痛に呻く人の声、ガレキから覗き見える血に濡れた腕──が鋭い刃物のように突き刺さる。だがその痛みが、空白に染まりかけた思考に色を残した。
この際、人為的か、自然現象かはどうでもいい。一番大切なのは出来ないと決めつけ、動こうともしないことだ。
「ここに居てもしょうがない。エリック、孤児院に行こう!」
「……っ、そうだ。アイツらが無事かどうかも分からねぇんだ、こんな所でじっとしてる場合じゃねぇ!」
「タロス、悪いけど周囲の生体反応の確認も並行してやってほしい。何が起こるか分からないし、カグヤはイヴを守ってやってくれ」
「『わ、分かりました!』」
「オルレスさんは……」
「ついていくよ。一応、仕事道具は全部持ってきたからね。多少の怪我なら処置も可能だ」
「すみません、お願いします。──よし、急ごう!」
燃え盛る教会を何の感慨もなく眺めながら、耳元に付いている通信機で連絡を取る。
「──アルファ部隊から本部へ報告。実験体F-03の身柄を確保しました。回収部隊を要請します」
『了解した。至急、部隊を送ろう。……見事な手際だ、ルーザー』
「ありがとうございます」
「ぐっ……づぅ……!」
頭を踏みつけた異種族の子どもが呻く。耳障りだ。黙らせる為に腹を蹴り上げる。
グシャ、と。確かに骨を折る感触がつま先に響いた。
「がっ……!?」
「キオ!」
他の隊員が拘束した子ども達がキオと呼んだ少年は派手に転がった。悶絶する少年に何人かが駆け寄ろうとするが、縄で手足を縛られては自由に動くこともままならないだろう。
F-03の確保と同時にこの《ディスカード》内に残存する異種族を掃討する為、私が率いるアルファ部隊を含め、三つの部隊に以前より仕掛けていた燃料に火を点けさせた。
結果として火の手は《ディスカード》全体に広がり、F-03が潜伏する教会の制圧に貢献。修道女の恰好をした妖精族は無力化し、教会内に置き去りにした。襲い掛かってきた子ども達も今はまとめて転がしている。
「ふんっ、貴様らにはまだ利用価値がある。すぐに殺さないだけありがたいと思え」
「ふざけんな! お前、セリス姉ちゃんを刺しただろ!」
「だからどうした? あんな痩せ細った女が長く生きられると思っているのか。明らかに何かの病に侵されているというのに、今までよく生きていられたものだ。その生命力だけは称賛してやろう」
それに修道女が教会で、神の前で死ねるのだ。奴にとって本望だろう。
もう話すことは無い、大声で喚かれてもうっとおしいだけだ。隊員に合図を送り、猿轡を噛ませる。
……まもなく回収部隊が到着する。F-03の他に実験体として子どもを何人か連れていくか。《ディスカード》の環境で生き残っていた個体だ、良い実験結果を得られるだろう。
この間の失態を挽回するのに十分な成果を──。
「──お前、ルーザーか」
憎悪を、怒りを孕んだその声が響いた時。思考は途絶え、背筋が凍りついた。
私だけではない。拘束を続けていた隊員達も動きを止めて声がした方へ顔を向ける。
そこに居たのは。
「アカツキ・クロトォ……!」
私に恥を掻かせ、顔に泥を塗り、築き上げた信頼を失墜させた男だった。
ああ、そうか、そうだったのか。セリスが言っていた企業の連中ってのは、こいつらのことだったんだな。
心臓が、目の奥が、頭が。炎に当てられるよりもずっと熱い。でも、そうでもしないと暴走させてしまいそうだ。
「みんな、来て……くれた、んだ」
子ども達は何も出来ないことに悔しそうに涙を流し、ルーザー達を強く睨みつけている。中には酷く痛めつけられていて、頭から血を流し、骨を折られている子もいた。キオに至っては今にも意識を失ってもおかしくないのに、それでもなお、他の子ども達を守る為に立ち上がろうとしている。
「ク、ロト……兄、ちゃん」
「遅れてごめんな? よく耐えたな、すごいぞ」
しかし限界が近かったのだろう。血を吐いて、膝から崩れ落ちたキオを優しく抱き留める。
呼吸は浅く、荒い。殴られて腫れた痣は青黒く変色しており、ナイフで裂かれたような傷も多い。
早急に血液魔法で応急処置を施し、オルレスさんに預ける。
「……セリス、姉ちゃん。まだ、きょう、かいの……中に」
「見当たらないと思ったら、そういうことか。エリック、ここは俺に任せて、カグヤと一緒にセリスを助けに行け」
「お前、なに言って」
「さっさと行け。──二度は言わない」
恐らくこの場で最も怒りを抱いているのはエリックだろう。家族が非道な扱いを受け、故郷ごと帰る家は燃やされ、それを引き起こしたのは同年代の知り合い。様々な感情が渦巻いているのが手に取るようにわかる。
……人のことを言えた義理ではないが、そんな奴に正常な判断が出来るとは思えない。エリックには悪いがこの場からいなくなってもらおう。
有無を言わさず押し付けた水属性の爆薬を握り締め、顔を歪ませながらエリックは駆け出した。
「き、貴様ら!」
「待て!」
「《アクセラレート》」
威圧をかけたにもかかわらず、無謀にも二人に対して隊員が銃を構えた。止めようとルーザーが手を伸ばしたが、遅い。
間合いを詰めて、鞘に入れたままのロングソードを側頭部に向けて叩きつける。引き延ばされた時間につれて、ヘルメットを砕いた感触が手の平に伝わった。
そのまま水平に吹き飛ばされ、ピクリとも動かなくなった隊員を見て、誰かが引き攣った悲鳴を上げる。
麻袋を背負うルーザーを除いて六人。たった今、潰したヤツを引けば残りは五人。
「──お前さえ口が利けるなら、残りの連中は必要ないな」
「ふざけるな! たかが一人に何が」
堂々と啖呵を切ってみせた隊員の腕を取り、肘からへし折り、襟を掴んで力任せに頭から地面にぶん投げる。これで二人目。
既に二人が落ちたというのに怯むことなく接近戦を挑んできた三人目と四人目。三人目の脇腹にロングソードを叩き込み、体勢が崩れた所で頭を掴み、顔面を膝で蹴り上げる。
血を撒き散らして倒れ伏す味方の影に隠れて、奇襲しようとした四人目の可変兵装を奪い取り、その柄で胸を殴る。身動きが止まった一瞬、ロングソードで脳天と顎に一撃ずつ入れて鼻っ柱を真正面から殴り飛ばした。
「おい動くな! 動いたら」
分が悪いと判断したのか、子ども達を人質にしようとした五人目の顔面に可変兵装とロングソードを投げる。かろうじて避けたものの、大きく身体を逸らしてしまう。
その眼前に踏み込んで頭突きをかまし、無防備になった腹に固く握りしめた拳をぶち込む。装備の砕ける音と、くぐもった悲鳴を溢し、そのまま倒れ込んだ。
「う、嘘だろ、高密度ジルレリアスーツを、素手で……」
六人目。狼狽えた様子で視線を背けてしまった彼の背後に“深華月”で回り込み、素早く首に両腕を回す。
突然の衝撃に動転したのか、パニック状態になり暴れ回る。腕を外そうと足掻き、力任せに引き剥がそうと爪を立てるが、その程度の反抗に意味は無い。
必死の抵抗も次第に弱まっていき、ついには力なく両腕をだらりと落とした。
「馬鹿な……! 我が社の精鋭部隊が、一分足らずで!?」
意識を失った六人目を唖然とした表情で佇むルーザーの前へ投げ飛ばす。一切の受け身を取らず転がった彼を見てようやく頭が再起動したのか、魔導銃を構えてこちらに向けてきた。
「これで落ち着いて話せる。そうだろ? ルーザー」
「貴様……! これだけのことをしておいて、何をほざいている!?」
「それだけのことを子ども相手に仕出かした脳無し共に、振るった暴力をそのまま返してやっただけだろ。火の中に投げてやってもよかったのに譲歩したんだ、感謝しろよ。──さあ、答えてもらおうか。どうしてこんなマネをした?」
スーツを殴った反動で血だらけになった右手で血液魔法を使い、回収したロングソードを構える。
「……っ」
「言えないのか? じゃあ質問を変えてやる。その麻袋の中身、入ってるのは白髪の子どもか?」
「……そうだ。この実験体だけはなんとしても連れていく。たとえ貴様がどんな手を下そうとも!」
やはりユキはセリスの推測通り企業の、《デミウル》の問題に関わっていたのか。実験体……恐らくリーク先生が言っていた魔物と人を融合させる研究とやらに巻き込まれたのだろう。──自分達の勝手で何人の人生を狂わせてきたんだ。
「F-03さえいれば計画は進む。貴様が邪魔立てしようが我々ファラン家が追い求めた力が手に入るのだ! ……そうすれば、父上も私を見てくれる。もっと、もっと必要としてくれるはずだ!」
ルーザーは鬼気迫る表情でそう言った後、苦しげに俯いた。
親に振り向いてもらいたい、必要とされたい。その為の手柄が欲したが故に行動を起こした。生存競争の激しい国だ、実子だろうと手駒の一つとしか見てもらえないのだろう。──こんな手段しか選べなかったのか。
「…………たった、それだけのことで。一人の為だけに、《ディスカード》全域をこんな有様にしたのか。ここに住んでる人達の日常を、幸福を、平穏を顧みず、ただ排他すべき存在だから何をしても構わないと思ったのか?」
「好きなように言わせていれば……! 私にはもう、この手しか残されていなかったのだ。貴様に私の心情が推し図れるものか!!」
慟哭にも聞こえる叫びが胸に響く。
思わず唇を噛む。子ども達に比べれば小さな痛みだ。だけど、どうしようもない苛立ちと怒りがかき混ぜられて、視界が潤む。
「お前の心情も父上とかいう奴も研究のことも、正直どうでもいい。でも、なんで人を知ろうとしない? どうして自分の方が正しいと言って押し付ける? 人の役に立とうとする思いをもっと多くの、色んな人に向けられなかったのか……?」
誰かの特別でありたいと願うのは間違いじゃない。人と向き合い、歩み合い、言葉を交わし、心を学ぶ。そんな単純で簡単なことで、人は誰かの特別になれる。
たったされだけなのに。貴族が、《グリモワール》に住む人達が古くから持っている固定観念が、この町をこんなことにさせたのか。
──蓄積されて歪んだエゴの塊が心根に居座ってやがる。もう、限界だ。
「ふざけるな……ふざけるなっ!」
「っ、ふざけてなど……!」
「お前が欲しがってたモノを、ここに居る人達は築き上げていた! 繋がりが無くても、本物だと言える強い思いを! お前は親の為にと自分に言い訳を重ねて、結局は操り人形として働き悪戯に幸せを奪った。変われなかったんだ、気付く機会があったはずなのに疑う自分を信じられなくて楽な方に逃げたんだ! 自分の意思すら捨てて人の道を踏み外した馬鹿の癖に、偉そうな口を叩くなッ!!」
「黙れぇええええええええッ!」
魔導銃の銃口が光ると同時に駆ける。空気を裂く銃弾の嵐が眼前に散らばった。
真正面から受けてしまえば蜂の巣、かといって避けたら子ども達に被害が及ぶ。スキルが反応した銃弾で致命傷になり得るものを認識し、着弾地点をずらして全て受ける。鉛玉ではないにしろ、確かな質量を持ったそれは皮膚を裂き、激痛が全身を襲う。文字通り風穴が空いた身体でも脚は止めない。
驚愕に顔を歪ませたルーザーが後ろに跳躍しながら魔導銃を投げ捨てる。ズタボロになった左腕でそれを払いのけて肉薄し、強く踏み込んでロングソードを振るう。
狙うは身体の中心。キオのケガで特に酷かった箇所だ。
「がッ……!?」
確かに骨を砕く感触が伝わり、ルーザーは苦悶の声を上げる。しかし麻袋から手を放さず、よろめきながら腰に付いていた手榴弾のような物を取り出し地面に叩きつけた。
直後。勢いよく煙幕が噴き出して視界を白く曇らせる。毒ではないようだが吸い込んでしまい、咽る衝撃が全身を苛む鈍痛を再び呼び起こし、思わず膝をつく。
そして複数人の足音が近づいてきていることに気付き、煙幕を張った理由が分かった。
逃げるつもりだ。ルーザーの目的はあくまでもユキの捕獲だけで、それ以上の仕事を熟そうとする気が無かった。
時間稼ぎをしていたんだ。ルーザー自身がエリック達を見逃したのも戦力を分散させる為で、呼んでいた応援が来るまでの間に部隊が壊滅したというのに。
「ルーザー様、ご無事ですか!?」
「がふっ……見れば、分かるだろう! 他の隊員達も、連れていけ……さっさと引き上げるぞ!」
「はっ! 連中はどうしますか?」
「放って、おけ。……《ディスカード》の出入り口は、既に包囲している。地上に出ることなど不可能だ」
白煙の向こう側でルーザーの声が聞こえる。
ダメだ、ユキが連れていかれてしまう。こんなことになるなら、有無を言わさず麻袋を奪えばよかった。さっきの問答でわずかでも、少しでも。ルーザーに期待していた俺が馬鹿だった……!
震える脚に鞭を打ち、立ち上がろうとして倒れ込む。想像以上に深刻なダメージが溜まっていた。左腕と右脚は今にも千切れそうで、腹から止めどなく溢れる血が池を作る。血液魔法で治しても、すぐに動くことは厳しい。
滲んだ視界の奥に立つ影が離れていく。手を伸ばしても届かない。
無力だった。判断を誤った。希望を持ってしまった。
何事もなく過ごしていた日常は一瞬で崩れ去り、どこまでも深い溝の中に落ちていく。
煉獄のように燃え盛る──闇の底へと。
「──ッ!!!」
声にならない叫びが、身体の芯を揺らす。
影はこちらを一瞥することもなく、そのまま立ち去っていく。
あとに残ったのは、心の中に燻る黒い感情だけだった。
しかし探索では特に目立った進展はなく、主にやった事と言えばガレキ市場で下働きをするルガー達を煽りながらの食材調達、魔力操作の訓練としてモンスターと連続で戦ったくらいだ。
途中、セリスからは企業の手下が徘徊していたら気を付けるように、と注意されたのでモンスター以外の気配にも警戒を強めた。子ども達の話から推測するに武装した兵士のような恰好をしているようだが、今回の探索中にその姿を見掛けることも気配を感じることも無かった。
ちなみにシルフィ先生も本当なら孤児院の方に来たかったらしいが、今後の学園行事での対応を分校側と話し合う必要があり、休める時間が取れないと嘆きながら書類を睨みつけていた……お疲れ様です。
孤児院ではエリックの授業を補佐したり、カグヤやタロスも手伝ってくれたおかげで子ども達は魔力の使い方にすっかり慣れたようだ。まさか魔力操作の練度が学園の生徒と同等レベルになるとは思わなかったが。魔力量も高水準な才能の塊が多くてびっくりだよ。
おかげで俺の立場が危ない。今は慕ってくれてるけど、途端に冷めた対応とかされたら心が折れる。だ、大丈夫だ。まだ魔法に関しては何も教えていないから、その点では俺の方が勝ってる! ……十歳前後の子ども達に張り合う十七歳の時点で絵面が酷いけど。
そういえば、イヴは途中から子ども達に混ざって授業を受けていたな。どうやら“学ぶ、学習する”という行為が新鮮に感じるみたいだ。『今日は? 今日は?』って手を引いてきて、楽しそうに仄かに笑うんだよ。可愛い。
一週間もこんな生活をしていると学園行事で《グリモワール》に滞在していることを忘れそうになる。未だに俺の監視が解けないのが原因なのだが、そろそろ終わってもいいのではないだろうか。
孤児院へ向かう傍ら、これまでの出来事を思い出しながら浮かんできた疑問をタロスに投げかける。
『さすがに《ディスカード》での行動をそのまま報告する訳にはいきませんので、程々に誤魔化して伝えていますが、もしかして怪しまれているのでしょうか』
「怪しんでるって……別に長期間ではないけどさ、こんなにも監視を続けるか? 依頼の時、ちょっと派手に動き回っただけの平凡な一般人の何を疑ってるんだよ、軍の連中は。……ちなみにどんな風に伝えてるの?」
『《グリモワール》に存在する主要区画への観光や国立図書館にてご学友と自主的な勉学に励んでいる、と』
「場所以外はあながち間違ってないから嘘ではないね」
『ん。クロト、わるいこと、してない』
「ほらー、イヴだってこう言ってるんだよ? こんなにも清廉潔白、品行方正を地で突き進む真人間なんだから監視解いてくれたっていいのに」
『ちょっと何を仰っているのか分かりません』
『あたま、大丈夫?』
「さすがに自分で言ってて寒いと思ったけど辛辣じゃない?」
冷たい視線を向けてくる魔導人形の二人に思わず真顔になる。冗談なのにまともに受け止められてしまった。
「……魔導人形とは、あそこまでユニークな対応をするようなものだったかな。それとも僕の認識がズレているのだろうか」
「タロスはともかくイヴは最初からあんな感じだったらしいっすよ」
「二人以外の魔導人形と馴染みがないのでよく分かりませんが、そんなに違いますか?」
「企業が発表した魔導人形のコンセプトが“奉仕を至上の目的とする新たな隣人”であり、人への奉仕を一番の目的としているんだ。主人と決めた者への忠誠心が高く、そして裏切らない。さらに独自の情報網を有していることから、企業抱えの魔導人形は秘書やそれに近い役職の補佐として仕えている。──それはタロスだって例外では無いはずだし、普通ならこんな風に一個人の元に居続けることはできないんだ。主人を敬い、絶対に従うように設定されているはずだからね」
「なるほど。軍に仕えている程の魔導人形が監視としてここにいるのがそもそも不思議、ということですね」
「日中はほとんどクロトに付き合ってるし、軍への定期報告とやらも最低限しかしてないって言ってたよな? 考えてみれば、確かにおかしいな」
「それに、だ。奉仕対象への距離が近く、あそこまで容赦無く物を言う魔導人形を僕は見たことがない。人間のような、同じ生物としての対応……タロス自身が彼の言動をラーニングして、自分なりに近しい存在になろうとしているのか……? ふむ、実に興味深い」
弁明してもらおうと思ってエリック達を見たら、何やらオルレスさんと難しい話をしている。くそぅ、味方がいないじゃないか。こうなったら無理矢理にでも話を変えるしかない。
「そ、そうだ。今日はありがとうございます、オルレスさん。急に連絡したのに、わざわざ時間を作ってくれて」
「ん? ああ、構わないよ。しばらく休暇を取っていなくて、同僚からちゃんと休むようにしつこく言われていたからね……。そんな時に君から連絡が来て、渡りに船だとばかりに応じたのさ」
同僚とのやりとりを思い出したのか、オルレスさんは肩を竦めて苦笑いを浮かべる。
授業の合間に俺が提案する形でエリックと相談したのだ。現在、セリスの身体がどうなっているのかを知りたいと。リーク先生と話した内容をそのまま伝える訳にはいかないので、遠回しに情報を共有する為に。
血液魔法が使えれば簡単なのだが、魔力に反応して状態が悪化してしまう恐れがある。目に魔力を込めるか鑑定スキルで観察しても、分かるのは魔力量だけで詳しい情報は得られない。
知識不足な俺達が見た目で判断しても仕方がないから、本職の医師かシルフィ先生を連れてきて診てもらうしかない──最も先生は多忙なので声が掛けづらく、幸いにもオルレスさんの連絡先を知っていたので連絡を取ってみた所、快く承諾してもらったのだ。
……よくよく考えてみたら、折角の休日なのに往診みたいな真似をさせてしまってるな。
「事前にクロトから聞いてなかったら驚いてたぜ。リーク先生が結婚してたのは知ってたけど、まさか……」
「こんな感じだとは思わなかった、かい?」
「まあ、正直な話、想像よりも若く見えるなぁ……と」
「はははっ、別に取り繕わなくてもいいさ。僕自身、もう少し身長があれば大人らしさが出る気がするのに、なんて思う時があるからね。妻と出掛けるといつも姉弟か親子かと間違えられてしまう」
「それは大変ですね……私の友人にも背の低い方がいまして、どうにかして身長を伸ばそうと足首と手首を紐で括って、馬で引っ張ってましたよ」
『それはひょっとして拷問でもされていたのでは……?』
「実際の所、無理に引っ張っても姿勢が改善されたりするだけで、骨が成長する訳じゃないから意味ないよ。というか骨に衝撃を与えるだけなら普通の運動でいいのに、なんでわざわざ痛い方を選んでるんだその人。ドMなの?」
『バカなの?』
うーん、純粋であるが故の無慈悲な一言。出会った頃に比べて表情が柔らかくなってきたのに真顔で言ってる辺り、本気でバカだと思ってそうだ。
賑やかに雑談を交わしながら人気の無い裏路地に入り、《ディスカード》への階段を降りていく──その途中で。
頬を撫でる風が、妙に熱いように感じた。それどころか周囲の温度が高い気がする。
今までこんなことがあったか? 沸々と湧き上がってくる違和感が心臓の鼓動を加速させる中、タロスが困惑した声を上げる。
『……え』
「タロス、どうかした?」
『た、多数の熱源反応を感知しました! これは──《ディスカード》内の各地で火災が発生しています!』
「「なっ!?」」
「っ!」
叫ぶ声に背中を押されるように階段を駆ける。反響する靴の音に混じって、小さく、だが確かに火の粉が弾ける音が耳を突く。
次第に熱気は増していき、頬を汗が伝う。拭う暇もなく漏れ出した光へと飛び出す。
そして──見慣れた灰色の景色を呑み込むような炎の海が、そこにあった。立ち昇る黒煙は渦を巻き、偽りの空を埋め尽くしていて。より強く感じる熱気は痛みを伴い、肺に熱を送り込む。かろうじて形を保っていた廃虚が崩れ落ち、巻き起こった熱風が炎の勢いを強めた。
「…………何が、起こったんだ」
呆然と呟く。その疑問に答える者は、誰もいない。
遅れて到着したエリック達もこの惨状を見て言葉が出ないようだ。
ズキリ、と。脳裏に思い出される記憶──激痛に呻く人の声、ガレキから覗き見える血に濡れた腕──が鋭い刃物のように突き刺さる。だがその痛みが、空白に染まりかけた思考に色を残した。
この際、人為的か、自然現象かはどうでもいい。一番大切なのは出来ないと決めつけ、動こうともしないことだ。
「ここに居てもしょうがない。エリック、孤児院に行こう!」
「……っ、そうだ。アイツらが無事かどうかも分からねぇんだ、こんな所でじっとしてる場合じゃねぇ!」
「タロス、悪いけど周囲の生体反応の確認も並行してやってほしい。何が起こるか分からないし、カグヤはイヴを守ってやってくれ」
「『わ、分かりました!』」
「オルレスさんは……」
「ついていくよ。一応、仕事道具は全部持ってきたからね。多少の怪我なら処置も可能だ」
「すみません、お願いします。──よし、急ごう!」
燃え盛る教会を何の感慨もなく眺めながら、耳元に付いている通信機で連絡を取る。
「──アルファ部隊から本部へ報告。実験体F-03の身柄を確保しました。回収部隊を要請します」
『了解した。至急、部隊を送ろう。……見事な手際だ、ルーザー』
「ありがとうございます」
「ぐっ……づぅ……!」
頭を踏みつけた異種族の子どもが呻く。耳障りだ。黙らせる為に腹を蹴り上げる。
グシャ、と。確かに骨を折る感触がつま先に響いた。
「がっ……!?」
「キオ!」
他の隊員が拘束した子ども達がキオと呼んだ少年は派手に転がった。悶絶する少年に何人かが駆け寄ろうとするが、縄で手足を縛られては自由に動くこともままならないだろう。
F-03の確保と同時にこの《ディスカード》内に残存する異種族を掃討する為、私が率いるアルファ部隊を含め、三つの部隊に以前より仕掛けていた燃料に火を点けさせた。
結果として火の手は《ディスカード》全体に広がり、F-03が潜伏する教会の制圧に貢献。修道女の恰好をした妖精族は無力化し、教会内に置き去りにした。襲い掛かってきた子ども達も今はまとめて転がしている。
「ふんっ、貴様らにはまだ利用価値がある。すぐに殺さないだけありがたいと思え」
「ふざけんな! お前、セリス姉ちゃんを刺しただろ!」
「だからどうした? あんな痩せ細った女が長く生きられると思っているのか。明らかに何かの病に侵されているというのに、今までよく生きていられたものだ。その生命力だけは称賛してやろう」
それに修道女が教会で、神の前で死ねるのだ。奴にとって本望だろう。
もう話すことは無い、大声で喚かれてもうっとおしいだけだ。隊員に合図を送り、猿轡を噛ませる。
……まもなく回収部隊が到着する。F-03の他に実験体として子どもを何人か連れていくか。《ディスカード》の環境で生き残っていた個体だ、良い実験結果を得られるだろう。
この間の失態を挽回するのに十分な成果を──。
「──お前、ルーザーか」
憎悪を、怒りを孕んだその声が響いた時。思考は途絶え、背筋が凍りついた。
私だけではない。拘束を続けていた隊員達も動きを止めて声がした方へ顔を向ける。
そこに居たのは。
「アカツキ・クロトォ……!」
私に恥を掻かせ、顔に泥を塗り、築き上げた信頼を失墜させた男だった。
ああ、そうか、そうだったのか。セリスが言っていた企業の連中ってのは、こいつらのことだったんだな。
心臓が、目の奥が、頭が。炎に当てられるよりもずっと熱い。でも、そうでもしないと暴走させてしまいそうだ。
「みんな、来て……くれた、んだ」
子ども達は何も出来ないことに悔しそうに涙を流し、ルーザー達を強く睨みつけている。中には酷く痛めつけられていて、頭から血を流し、骨を折られている子もいた。キオに至っては今にも意識を失ってもおかしくないのに、それでもなお、他の子ども達を守る為に立ち上がろうとしている。
「ク、ロト……兄、ちゃん」
「遅れてごめんな? よく耐えたな、すごいぞ」
しかし限界が近かったのだろう。血を吐いて、膝から崩れ落ちたキオを優しく抱き留める。
呼吸は浅く、荒い。殴られて腫れた痣は青黒く変色しており、ナイフで裂かれたような傷も多い。
早急に血液魔法で応急処置を施し、オルレスさんに預ける。
「……セリス、姉ちゃん。まだ、きょう、かいの……中に」
「見当たらないと思ったら、そういうことか。エリック、ここは俺に任せて、カグヤと一緒にセリスを助けに行け」
「お前、なに言って」
「さっさと行け。──二度は言わない」
恐らくこの場で最も怒りを抱いているのはエリックだろう。家族が非道な扱いを受け、故郷ごと帰る家は燃やされ、それを引き起こしたのは同年代の知り合い。様々な感情が渦巻いているのが手に取るようにわかる。
……人のことを言えた義理ではないが、そんな奴に正常な判断が出来るとは思えない。エリックには悪いがこの場からいなくなってもらおう。
有無を言わさず押し付けた水属性の爆薬を握り締め、顔を歪ませながらエリックは駆け出した。
「き、貴様ら!」
「待て!」
「《アクセラレート》」
威圧をかけたにもかかわらず、無謀にも二人に対して隊員が銃を構えた。止めようとルーザーが手を伸ばしたが、遅い。
間合いを詰めて、鞘に入れたままのロングソードを側頭部に向けて叩きつける。引き延ばされた時間につれて、ヘルメットを砕いた感触が手の平に伝わった。
そのまま水平に吹き飛ばされ、ピクリとも動かなくなった隊員を見て、誰かが引き攣った悲鳴を上げる。
麻袋を背負うルーザーを除いて六人。たった今、潰したヤツを引けば残りは五人。
「──お前さえ口が利けるなら、残りの連中は必要ないな」
「ふざけるな! たかが一人に何が」
堂々と啖呵を切ってみせた隊員の腕を取り、肘からへし折り、襟を掴んで力任せに頭から地面にぶん投げる。これで二人目。
既に二人が落ちたというのに怯むことなく接近戦を挑んできた三人目と四人目。三人目の脇腹にロングソードを叩き込み、体勢が崩れた所で頭を掴み、顔面を膝で蹴り上げる。
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「貴様……! これだけのことをしておいて、何をほざいている!?」
「それだけのことを子ども相手に仕出かした脳無し共に、振るった暴力をそのまま返してやっただけだろ。火の中に投げてやってもよかったのに譲歩したんだ、感謝しろよ。──さあ、答えてもらおうか。どうしてこんなマネをした?」
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「……っ」
「言えないのか? じゃあ質問を変えてやる。その麻袋の中身、入ってるのは白髪の子どもか?」
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「F-03さえいれば計画は進む。貴様が邪魔立てしようが我々ファラン家が追い求めた力が手に入るのだ! ……そうすれば、父上も私を見てくれる。もっと、もっと必要としてくれるはずだ!」
ルーザーは鬼気迫る表情でそう言った後、苦しげに俯いた。
親に振り向いてもらいたい、必要とされたい。その為の手柄が欲したが故に行動を起こした。生存競争の激しい国だ、実子だろうと手駒の一つとしか見てもらえないのだろう。──こんな手段しか選べなかったのか。
「…………たった、それだけのことで。一人の為だけに、《ディスカード》全域をこんな有様にしたのか。ここに住んでる人達の日常を、幸福を、平穏を顧みず、ただ排他すべき存在だから何をしても構わないと思ったのか?」
「好きなように言わせていれば……! 私にはもう、この手しか残されていなかったのだ。貴様に私の心情が推し図れるものか!!」
慟哭にも聞こえる叫びが胸に響く。
思わず唇を噛む。子ども達に比べれば小さな痛みだ。だけど、どうしようもない苛立ちと怒りがかき混ぜられて、視界が潤む。
「お前の心情も父上とかいう奴も研究のことも、正直どうでもいい。でも、なんで人を知ろうとしない? どうして自分の方が正しいと言って押し付ける? 人の役に立とうとする思いをもっと多くの、色んな人に向けられなかったのか……?」
誰かの特別でありたいと願うのは間違いじゃない。人と向き合い、歩み合い、言葉を交わし、心を学ぶ。そんな単純で簡単なことで、人は誰かの特別になれる。
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──蓄積されて歪んだエゴの塊が心根に居座ってやがる。もう、限界だ。
「ふざけるな……ふざけるなっ!」
「っ、ふざけてなど……!」
「お前が欲しがってたモノを、ここに居る人達は築き上げていた! 繋がりが無くても、本物だと言える強い思いを! お前は親の為にと自分に言い訳を重ねて、結局は操り人形として働き悪戯に幸せを奪った。変われなかったんだ、気付く機会があったはずなのに疑う自分を信じられなくて楽な方に逃げたんだ! 自分の意思すら捨てて人の道を踏み外した馬鹿の癖に、偉そうな口を叩くなッ!!」
「黙れぇええええええええッ!」
魔導銃の銃口が光ると同時に駆ける。空気を裂く銃弾の嵐が眼前に散らばった。
真正面から受けてしまえば蜂の巣、かといって避けたら子ども達に被害が及ぶ。スキルが反応した銃弾で致命傷になり得るものを認識し、着弾地点をずらして全て受ける。鉛玉ではないにしろ、確かな質量を持ったそれは皮膚を裂き、激痛が全身を襲う。文字通り風穴が空いた身体でも脚は止めない。
驚愕に顔を歪ませたルーザーが後ろに跳躍しながら魔導銃を投げ捨てる。ズタボロになった左腕でそれを払いのけて肉薄し、強く踏み込んでロングソードを振るう。
狙うは身体の中心。キオのケガで特に酷かった箇所だ。
「がッ……!?」
確かに骨を砕く感触が伝わり、ルーザーは苦悶の声を上げる。しかし麻袋から手を放さず、よろめきながら腰に付いていた手榴弾のような物を取り出し地面に叩きつけた。
直後。勢いよく煙幕が噴き出して視界を白く曇らせる。毒ではないようだが吸い込んでしまい、咽る衝撃が全身を苛む鈍痛を再び呼び起こし、思わず膝をつく。
そして複数人の足音が近づいてきていることに気付き、煙幕を張った理由が分かった。
逃げるつもりだ。ルーザーの目的はあくまでもユキの捕獲だけで、それ以上の仕事を熟そうとする気が無かった。
時間稼ぎをしていたんだ。ルーザー自身がエリック達を見逃したのも戦力を分散させる為で、呼んでいた応援が来るまでの間に部隊が壊滅したというのに。
「ルーザー様、ご無事ですか!?」
「がふっ……見れば、分かるだろう! 他の隊員達も、連れていけ……さっさと引き上げるぞ!」
「はっ! 連中はどうしますか?」
「放って、おけ。……《ディスカード》の出入り口は、既に包囲している。地上に出ることなど不可能だ」
白煙の向こう側でルーザーの声が聞こえる。
ダメだ、ユキが連れていかれてしまう。こんなことになるなら、有無を言わさず麻袋を奪えばよかった。さっきの問答でわずかでも、少しでも。ルーザーに期待していた俺が馬鹿だった……!
震える脚に鞭を打ち、立ち上がろうとして倒れ込む。想像以上に深刻なダメージが溜まっていた。左腕と右脚は今にも千切れそうで、腹から止めどなく溢れる血が池を作る。血液魔法で治しても、すぐに動くことは厳しい。
滲んだ視界の奥に立つ影が離れていく。手を伸ばしても届かない。
無力だった。判断を誤った。希望を持ってしまった。
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煉獄のように燃え盛る──闇の底へと。
「──ッ!!!」
声にならない叫びが、身体の芯を揺らす。
影はこちらを一瞥することもなく、そのまま立ち去っていく。
あとに残ったのは、心の中に燻る黒い感情だけだった。
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