自称平凡少年の異世界学園生活

木島綾太

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【三ノ章】闇を奪う者

第三十五話 救う戦い

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 複数の足音が鼓膜を打つ。
 目覚めかけた意識を引っ張り上げ、薄くまぶたを開ければ、霞む視界が曇り空を映してくれる。
 まだ夕焼けに染まっていない。気を失ってから、さほど時間は経っていないようだ。
 ここはどこだ。全身をうごめく激痛に呻きながら、上体を起こす。

「──これは」

 燃え盛る炎と立ち上る黒い煙。
 応急処置を施された身体から血を流し、苦悶の表情を浮かべて横たわる人々。
 渋滞を起こした魔導車が列になり、どこからともなく怒号と罵声が響く。
 心臓が跳ねた。呼吸が乱れる。目の前に広がる凄惨な光景が、ぼやけた思考を掻き消した。

「っ、ぐぅ……!」

 痺れて上手く動かせない身体を引き摺って移動する。冷たい汗が額を流れた。

「今、どうなってるんだ……皆は、どこに……っ!」
「──クロト!? 目が覚めたのか!」

 声が聞こえた方に振り向くと、エリックがこちらに走ってきていた。
 どこかホッとした表情を浮かべながら伸ばされた手を掴み、肩を借りて歩く。
 ……くそ。感覚が鈍いと思ったら、左脚が折れてるのか。まともに動けない訳だ。

「エリック、教えてくれ。状況は、どうなってるんだ?」
「お前が時間を稼いでくれたおかげで負傷者を全員避難させる事が出来た。避難が終わってから様子を見に行ったらお前が倒れてて、急いでここまで運んできたんだ」
「そう、か。……迷惑、掛けたな」
「気にすんな、お互い様だろ。……だが、見ての通り渋滞しているせいで救援部隊の到着が遅れてる。動ける奴らで処置はしてるが、薬も道具も人手も足りねぇ」

 不規則な歩みが身体を揺さぶる。全身が鉛のように重いはずなのに、ふわふわとした浮遊感が全身を包んでいた。
 ふと横を向けば、何十人もの負傷者が横たわっている姿が視界に入る。
 胸の奥が冷えていく。絶望に染まった顔がこちらを見つめてくる度に、いつか見た光景がフラシュバックされる。
 言葉にされた訳ではないのに責められているような気がして。
 苦しくてツラい。それでも視線を背けられなくて。
 ──ただひたすらに、向けられた暗い思いを受け止める事しか出来なかった。

「クロト、大丈夫か?」
「……あまり大丈夫じゃないけど、気にしないで。……他の連中はどうした?」
「ハレヴィとリオルは負傷者の救護に行ってて、ルーザーとラティアはまだ目が覚めてねぇ。サイネは渋滞で立ち止めくらってる救援部隊の方に向かって、応急キットを貰って戻ってくるはずだ。……とりあえず、お前をあいつらまで連れていく。サイネが来たら手当てを──」

 言葉が途切れた。どうかしたのかと声を掛ける前に、エリックが向けた目線の先を見る。
 そこにはハレヴィとリオル、そして救急箱を持ったサイネがいた。
 だが、様子がおかしい。全員下を向いて俯いている。よく見れば、サイネとリオルの頬を涙が伝っていた。
 その涙が落ちた先には──。

「……ラティア?」

 ポツリと呟いたエリックの声に押されるように、左脚を引き摺って歩く。
 一歩、一歩。全身をむしばむ痛みなど気にならないほどに。しかし纏まらない思考の鎖が身体を縫い付けようとする。
 そんなことはない、有り得ないでくれ。
 否定したい気持ちばかり溢れてくる。それでも、見開いた視界に映る事実は変わらない。
 生気の感じられないラティアの顔が。心肺蘇生を試みるハレヴィの叫びが。耳に残る静かな嗚咽が。




 ──ラティアが死んだという現実を、無慈悲に突き付けてきた。




「ラティア!! おい、目を覚ましてくれ!」

 ハレヴィの声が響く。応答はない。あるはずがない。
 膝が折れる。真っ白になった思考に取り残され、身体が動かない。
 どうしてこうなった。何を間違えた。……あの時の俺は、何をすればよかった。


 たった二人でも大勢の命を助けられると思って、行動したのが間違いだったのか──違う。


 襲われていたエリックを助けるなんて考えを捨てて、負傷者の治療に向かえばよかったのか……──違う。


 みんなの避難が終わるまで時間稼ぎをして、殺される寸前まで追い詰められる前に撤退すればよかったのか…………──違う。


 違うだろう。そうじゃないだろう。俺は俺の、やるべき事をやってきたはずだ。
 その過程を経た結果がこれなんだ。一人の命が、生命が終わる……それが、俺の行動に対する結果なんだ。
 呆然と振り返る。そこには、大勢の人の血と涙が流れていた。
 じわり、と。胸に刺さる己の無力さが肉を掻き分け、心臓を無理矢理こじ開けようとしていた。
 嫌な想像が止まらない。ラティアの命だけで悲劇が終わるとは思えなかった。
 助けを求める小さな声が聴覚を埋めていく。
 見つめてくる薄れた瞳が視覚を滲ませる。
 胸を抑える手の温もりが触覚を惑わせた。
 咽返むせかえるほどの血の匂いが嗅覚を狂わせる。
 震える指先がラティアの手に触れ、仄かに身体に残る体温を感じる事ができて、なおさら実感してしまう。
 昨日、少しの間しか見れなかった笑顔には、見る者を魅了し、励まし、心を引き寄せる程の輝きがあった。
 彼女は確かに、誰かの笑顔の為に頑張れる人だった。この国の在り方すら、根本からくつがえす事が出来るのではないかと思えるほどに。
 だけど……その笑顔は、もう、二度と見れない。
 俯いた頭の中にまで反響する、気づかない振りをしていた胸の痛みが、その切っ先を心臓へと突き立てようとして──。














『まだ、生きていたい』














「──っ」

 確かに響いた声が波紋のように浸透していく。心臓に辿り着く手前で、無力さを引き抜いた。
 そうだ、迷ってる場合か? 目の前の現実に打ちひしがれている場合か?
 やるべき事はやったのだから全て上手くいくなどと……理想のまま投げ出して、知らない振りを、見ない振りをして終わらせるのか?
 ふざけるな。ダメに決まってるだろ。そもそも、こういう事態に陥った事なんていくらでもあっただろ!
 思考を止めるな。日本に居た時よりもやれる事は増えた。
 手札はある。身体が限界を迎えている? そんなのどうでもいい。
 決意を固めろ。躊躇うな。諦めるな。
 理不尽に、静かに終わりを迎える運命なんて──俺が変えてやる!

「ハレヴィ、どいてくれ」
「何?」
「クロト……?」

 苛立ちが詰まった視線に臆する事なく、俺はラティアの胸の上に手を置く。
 有り難い事に何も言わず退いてくれたハレヴィに頭を下げ、深く息を吸う。
 魔力はほとんど無い。魔剣を手にした時のような、溢れるような魔力を感じないからだ。
 それでも、少しだけ身体に残った魔力なら。一回だけ、魔法を発動させられる。使

「づっ……!」

 激しい頭痛が始まった。脳の中心まで釘で打たれるような痛みと、全身を巡る血流が加速し心臓の鼓動を早め──閉じかけた傷口から血が流れる。

「お前、まさか!?」

 察しの良いエリックに微笑みを返し、再度ラティアの身体に視線を落とす。
 血が視界を染め上げようと関係ない。指先で触れた箇所からラティアの状態を確認し、異常を検知する。
 刺し傷、裂傷、打撲、骨折、注射痕。様々な要因が映し出される中、全身を霞ませる色の濃い黒い影を捉えた。
 鑑定スキルが影の正体を明かす。…………致死毒!? 何故そんな物が……だが、原因が分かった。

「──何を、している」

 黒い影に触れようとして、絞り出すように掛けられた声へ顔を向ける。
 辛そうに肩で息をしながら、ルーザーがこちらを睨みつけていた。

「貴様が、手を出した所で、何も変わらない。失われた命を取り戻すなど、神にでもなったつもりか……?」

 嘲るような笑みを浮かべ、言葉を重ねる。

「所詮人の身で為せる事など、タカが知れている。貴様の行動が、究極的な自己犠牲である事に、変わりはない。他者の意思など、微塵も考慮しない自己中心な考えは、破滅に……導くぞ」
「知る、か……黙ってろ……! 目の前の命に、手を伸ばせない奴が……知ったような口を開くな……!」

 無性に苛立たせてくるルーザーを一蹴する。
 死という結果に抗うことはできない? 確かにそれが自然の摂理。抗えない道理なのだろう。
 だからと言って、まだ生きていたい、と。諦めない意思を見捨てる訳にはいかない。未来を歩もうとする意志に応えてやりたい。
 この身が砕け、散って、擦り切れようが──最後に笑っていられたら勝ちなんだ。
 助けるなんて軽い言葉を、今は掲げない。



 それがこの手で掴む命と、俺自身への決意だ。
 ゆっくりと、深呼吸。身体の端まで染み渡る酸素が、魔素が、少しの活力をみなぎらせた。
 触れた肌から、相手の血管の流れを読み取り、肉体の構造を詳細に把握する。
 全身の隅々まで流れている血液が異物を感知し、反応が最も強い箇所を割り出した。
 さて、気合を入れろ。気をしっかり持てよ。
 死んだ人間は魔力を持たない。魔力の源である心臓が止まっているからだ。
 故に相手の魔力を消費して回復させる方法は使えず、解毒作用の持つ成分を作り出す余裕は無い。蘇生は問題なく出来るが、毒に侵されている状態ではまたラティアの命が奪われてしまう。毒に染まった分の血液を抜き出すとしても失血多量で……という事態もあり得る。
 だから、俺の魔力で健康な状態の血液まで可能な限り解毒させて、毒の濃い部分の血液を俺に移す。
 大事なのは血液魔法の発動に伴って発動する浄化作用が適用されるか、そしてラティアの血液量が足りているかだ。
 後者は俺より出血量は多くないから問題なし。前者は……浄化作用が起きなかったら、毒が俺に移ってしまうのが危険ってくらいか。
 それだけ気を付ければいいだろう……螺旋を描いた血の糸が二本、ラティアの心臓に繋がる。
 ──そして。

「っ!」

 血液の性質を変化させ、毒に蝕まれた血を奪い取る。
 痺れるような、力の抜ける感覚が全身を駆け巡った。思考が乱れる前に血液を操ってラティアの心臓を再び動かす。


 《鼓動蘇生リヴァイブ・セル
 他者の血管を血液魔法で動かし、血流と心臓の鼓動を元通りに復元する事で生命維持を促し生存確率を大幅に上昇させる魔法。


 人体解体新書から魔法構築文を構想し、創造はしていたものの、実践するのは初めてだ。
 血管の流れを全て把握しなくてはいけない現状では処理の影響で脳に凄まじい負担が掛かってしまう。
 視界が白黒に点滅する。体温が失われていき、代わりに黒い影を伴った血が身体を蝕む。心臓を握り潰し、鼓動を停止させようとする。
 マズい、浄化の効きが悪い。作用しているのに、速度が遅い。
 それだけ毒が強いのか? いや、致死毒だか、ら……仕方ない、とはいえ。

「げほッ……!」

 血液の解毒は終わった。青白かったラティアの顔色に熱が戻り、ピクリともしなかった胸が静かに上下している。
 ただ、こっちの状況はよろしくない。
 抑えきれず吐き出した血が身体を支える手を赤く染める。
 じわじわと視界が狭まっていく。暗闇に呑まれていく。
 震えが止まらない。呼吸が出来ない。身体に力が入らない。

「っ、が……ぁあああああああああああッ!!」

 だが、死ぬ訳にはいかない。ここで終わってたまるか。どれだけ醜かろうと、足掻いて、しがみついて身体の奥から叫べ。
 生きたい、と。望み、問われ、“救ってみせる”と応えたのだから──生きる事から目を背けるな!!














『──ふふっ』

 暖かく、慈しむような小さい笑い声に心臓が跳ねる。
 毒に侵されていた身体の重みがふっと消えた。震えが止まり、呼吸が一定のリズムを刻み始める。暗闇に呑まれかけた視界が白んでいき、エリック達の悲鳴が降りかかった。
 振り向こうとして支えられなくなった腕が折れる。転がるように身体を放り出し、仰向けに倒れ込んでしまう。
 そうして、見上げた空には──。

「……虹?」

 曇り空に似つかわしくない、色鮮やかな半透明の煌めき。
 雨上がりにかかるような虹の橋ではない。ドーム状に虹が覆っているのだ。
 何が起きたのか分からず、呆然と見つめた虹から舞い落ちる粒子が肌に触れた。仄かに光量を増したかと思えば、傷を負っていた箇所が再生する。
 ハッとして周りを見れば、倒れていた負傷者が治った身体を起こして喜びを分かち合っていた。

「これは、一体……」
「クロト! お前なにをしたんだ!?」

 エリックが困惑した顔で身体をを揺さぶってくる。ガクガク揺らされて首が取れそう。ただでさえ過剰な情報量を処理していたせいで激痛だった頭痛がさらに酷くなった。

「俺もよく分かってないんだよ、だからあんまり揺らさないで……頭が、痛い」
「わ、わりい。……でも、これはお前が生み出したんだろ? お前が叫んだら突然身体が光り出して、この虹が出てきたんだぜ」
「……俺が、やったのか?」

 実感が無く、赤黒く変色した左腕を持ち上げて胸を抑える。
 突然、声が聞こえて、心臓が震えて……気づいたら虹がかかっていた。
 …………訳が分からない。突発的に色んな事態が起こり過ぎではないだろうか。
 でも、確かに煌めきから零れ落ちてくる温もりは優しく、身体に染み渡っていく。
 その度に心が暖かくなる。なんというか、生きるという活力が湧いてくるのだ。
 ぐっと力を入れて、立ち上がる。負の坩堝るつぼと化していた空間に困惑と驚きが混じり、しかしそれを超えるほどの歓喜が飛び交っていた。

「うわーん! よがっだよぉー!!」
「とても、怖かったです……っ……目を覚まさなくなって、息もしてなくて……!」
「あー……うん? あれ、私って確か気を失って……? っていうか何この惨状? えっ!? なんで二人とも泣いてるの!?」

 自身に何が起きたのか分からず、抱き着いて泣いているサイネとリオルを宥めるラティアがそこにいた。

「……バカな。そんな事が、ありえるのか……」
「突拍子の無い事ばかりやらかす奴だと聞いていたが……これは、凄まじいな」

 呆けた顔でルーザーが、心から感心したようにハレヴィが呟いた。

「これ、魔法なのか? それともスキルか?」
「……分からない。でも、悪い物じゃない、ね」

 虹の粒子を手に取ったエリックの問いに、首を振って答える。
 そんなやりとりをしていると、不意に背後から光が差した。

「あっ……」

 雲の切れ間から夕陽が顔を覗かせている。
 眩しさに目を細めて、手をかざす。視界が遮られる、その一瞬の合間に。
 ──誰かの笑顔が見えた。
 手をどかした次の瞬間には消え去っていたが、そこにあるのは踊るように宙を舞う虹の粒子だけだった。
 幻覚、だったのだろうか。そうだとしても、これだけは伝えておかなくてはいけない。

「──ありがとう」

 誰かに聞かれる訳でもない感謝を。ふわりと舞った粒子を見届けて、静かに目を閉じる。
 同時どこからともなく響いた鐘の音が、今日という一日の終わりを告げた。
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