自称平凡少年の異世界学園生活

木島綾太

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【三ノ章】闇を奪う者

第三十話 美術館の警護《前編》

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 不思議な魔導人形オートマタとの邂逅の後、微妙に冷たい空気が漂う会議室に戻った俺は、サウスさんに依頼についての注意事項を語られた。
 最近は“企業”が所有する研究所が襲撃され壊滅するなどの被害が出ており、その襲撃者の行方は未だ不明だという事。
 襲ってくるとは言い切れないが、襲ってこないとも限らないので十分に注意するようにとの事。
 一番に警戒すべきは美術館だろうか。重要な物が置いてあるイメージが強い。
 かといって護送中のアーティファクトを狙う可能性もあるので、断定は出来ない。
 あくまで注意しておくだけでも意識は変わるだろう。


 その後はすぐに解散となり、ようやく弛緩した空気が漂い始めた。
 ちなみに軍からの監視が付くという話があったが、その監視を行う人物がタロスだった。
 タロスは学園側。分校側はサウスさんが担当するらしい。
 そして魔科の国グリモワールに滞在する間、宿泊する宿に分校の生徒が案内してくれた。
 なんとルーザーを除いた生徒全員で。
 かなりの大所帯で移動する事になったが、道中は賑やかなものだった。
 彼らはエリックやシルフィ先生などの他種族に対する偏見が無く、心から楽しそうに会話を交わしていた。
 俺もカグヤも大分打ち解けてる事ができたので、ひとまずグリモワールでの交友関係に軋轢が生じるような事が無くて良かったと思っている。
 特にラティアはグリモワールで絶大な人気を誇る劇団『ナルパラディス』のトップスターで、カグヤとエリック、シルフィ先生も知っているほどの有名人だと教えてもらった。
 なんでそんな人が分校に居るのか。聞いてみた所、冒険者としての生活を役作りの参考にしたいらしい。後は『ナルパラディス』の劇団員として色んな人を──それこそ年齢や種族を問わずスカウトしまくって演劇に登場させて、《グリモワール》の異種族排斥の空気を変えたいのだとか。
 人間だから、異種族だから……なんて区別なく、誰もが夢を掴めるような環境を作り上げたい、という思いで活動しているそうだ。あくまで本職は役者のはずなのにBランクまで上り詰めるとかバイタリティ溢れすぎてませんか?
 しかも俺が全然知らなかった事に対してもショックを受けず、

『君のように私を知らない人っていうのは、きっとたくさんいるハズよ。心に私を刻み込む為にも、もっと多くの人に知ってもらう必要があるだけでもやる気が湧いてくるわ! 腕が鳴るわねッ!!』

 などと意気込みを語ってくれました。やっぱりどの世界でも役者はすげぇんだなって。
 元演劇部所属の身としては共感できる部分が多く、会話に花が咲いてしまった。
 意外と近い場所に宿があった事とラティアとばかり絡んでしまったので、警護班のメンバーとは短い時間しか話せなかったが、とりあえずコミュニケーションには困らないだろう。
 宿で別れた後は夕食に出たグリモワールの名物に舌鼓を打ち、翌日の依頼に関して全員で復習を行ってから就寝した──。








 ゴエティア美術館。古代文明の発掘品──アーティファクトや名だたる芸術家の絵画を数百点ほど展示している美術館であり、グリモワール有数の名所だ。
 “企業”が解析の終えた危険性の無い第三級、第二級のアーティファクトを展示しているのだが、美術品も含めてどれもこれも高価な品物である事に変わりはない。
 そして……厳重なセキュリティが備わっていても、数多くの警備員が配備されていても。
 身の程を知らないコソ泥は、無謀な策を張り巡らせ、闇に潜んで牙を研いでいるのだ。








「──っていう噂が第三区域全体に広がってる、って感じかな」
「ほほぉ、なるほど……」

 大仰な仕草で噂を語るサイネに、俺は相槌を返す。
 場所は美術館内、メインホール。見取り図を広げて先導するカグヤの後ろを、レビル、コランダ、サイネ、殿に俺を置いて歩いている。
 まだ開館前なので客の姿は見られず、代わりに警備員や従業員が忙しく動き回っていた。
 なんでも最近は研究所だけでなく、美術館や宝石店の強盗事件が昼も夜も関係無しに頻繁に発生しているので、いつ襲撃されるか気が気でないと神経質になっているらしい。
 確かに通り掛かる彼らには疲労の色が見られる。ちゃんと休んでおいた方が良いと思うが、そうもいかないのが現状なのだろう。
 適度に挨拶をしながら、俺は前を歩く三人を見る。
 いつもと比べるとちょっと無愛想気味だが、話し合いの主導権を握っているカグヤ。
 サバッとした姉御肌な性格でカグヤと連携を取っているコランダ。
 美術館に来る途中は控えめな性格だと思っていたが、今は熱心に意見を言っているレビル。
 この三人が真面目に侵入経路や警備箇所の確認を行っているので、俺とサイネは何もする事が無くなってしまった。
 なので仕方なく漏れ聞こえる内容から個人的に怪しい箇所を目視でマークし、サイネに美術館の話を聞いていたのだ。

「ではこのホールにサイネさんを……」
「それだとこっちが手薄にならないかい? 警備員を数人配備してもらえばいいと思うよ」
「い、いや、そこはアカツキくんがいいんじゃないかな。幅広く動けるし」
「そう、ですね…………クロトさん」
「私くらいの身体なら余裕で通れるね、ここ」
「となると、要注意しておいた方がいいね……うん?」

 サイネと一緒に天井の通風孔を確認していたら声を掛けられた。
 眉根を寄せたカグヤは髪留めの鈴を鳴らしながらトコトコ走り寄ってくる。なんだこの可愛い生物。

「あの、少し聞きたい事があって……ここの人員について決めかねていて」
「ふむ……」

 差し出された各フロアの見取り図には、所々に印が付けられていた。
 恐らくそこから侵入されると三人は踏んでいるのだろう。
 出入口、天窓、展示品の搬入口、通風孔……強硬策としても、奇策としても、どれもあながち無いとは言い切れない。
 しかし、しかしだ。
 仮に今日、襲ってくるのだとしたら、しっかりと“歓迎”したい。
 俺は持参した荷物の中身を思い出しながら、カグヤの見取り図に改善点と案を書く。

「そこは警備員と連携して警備を固めた方がいいかもね。デバイスで連絡を密に取りながら、お互いの情報を把握するようにしよう。……見取り図ってこれ一枚だけ?」
「いえ、予備がもう一枚あります。どうぞ」
「ありがとう。……サイネと一緒に他のフロアを再確認してきてもいいかな? カグヤ達には今まで通り見回りを続けてほしいんだけど」
「──分かりました。では開館前にメインホールで合流しましょう」
「了解……サイネ、ちょっと手伝ってくれ」
「いいよー」

 笑顔で答えてくれるサイネを引き連れ、俺はメインホールを後にした。




「いいのかい? あの二人に別行動させて」
「こ、こう言っちゃ失礼だけど、サイネは意外といい加減な所もあるから、相手をするのは大変だと思うよ」
「いえ、クロトさんなら大丈夫ですよ。恐らく、何らかの策を講じるつもりなのでしょう。一人で準備をするには開館時間に間に合わないので、サイネさんを同行させたのでしょうから」
「……妙にクロトを買ってるんだねぇ。何か理由があるのかい?」
「ぼ、冒険者ランクはD。でもBランクのルーザーが放った投擲を防いだ実力を持っている。……か、彼は一体、何者?」
「……それはきっと、これから分かると思います」




「さて、と……許可は貰ってないけど、色々やっちゃおうか」
「何をするの?」
「美術館の緑化」

 俺の言葉に首を傾げるサイネを尻目に、荷物を漁り、目当ての物を取り出す。
 それはルーン文字を書く“刻筆”、植物の種、土属性の爆薬“豊穣”とエレメントオイルの四つだ。

「サイネ、見取り図を広げて」
「ほい」

 まず最初の工程として、侵入されそうな場所全てにルーン文字を書きます。
 内容は『成長促進』『外敵感知』『範囲連結』。
 次はサイネにも手伝ってもらって、種をルーン文字の上に置きます。
 これはコムギ先生から頂いた特殊な植物の種だ。どんな植物かは……後で分かるだろう。
 そしてエレメントオイルを一滴、ポトリと垂らします。
 ジワリと種全体を湿らせたら、後は放置。
 最後に、にもう一度ルーン文字を書きます。
 内容は『起点』『成長促進』『魔素収束』。
 後は『発動』『指示』を右と左の手の平にそれそれ書き記す。これで細工は終わりだ。

「よし、なんとか間に合った。これで間違いはないはずだから、三人と合流しようか」
「うわー、何が起きるのかちょっと分かっちゃったかも……こんな事よく思い付いたね?」
「教えてくれた人がよかったのさ。……ところで、一つ聞いてもいいか?」

 苦笑を浮かべていたサイネに向き直り、指を一本立てる。

「今回の依頼って、? 学園側に伝えられてないけど、たぶんデバイスか可変兵装マルチ・ウェポン絡みで」
「……な、なんで分かるの?」
「サイネのデバイス。雑誌に載ってた従来の第五世代とは違う形状をしてるし、レビルとコランダも同じ物を持ってたから、もしかしたら……と思ってさ」

 曇った空の下。国立公園内にあるゴエティア美術館の周りは、人の姿が多く見られるようになってきた。
 雑踏に掻き消されないように、俺はサイネを見据えて言葉を並べる。

「で、どうなんだ?」
「……秘密にしてた訳じゃないけど、クロトくんの言う通りだよ。私達はデバイスに搭載される予定の新機能実験の為にこの班に選ばれたの」
「やっぱりデバイスか。一応把握しておきたいんだけど、その新機能って何なんだ?」

 メインホールに戻った俺は、まだカグヤ達が来ていない事を確認する。

外魔素流用魔法アウターマギアって言って、デバイスを介して適性外の属性魔法を扱えるようにする機能だよ」
「それ凄くない? もしかしたら特殊属性の人も他の属性を使えるようになるかもしれないって事だろ?」
「かもしれない、っていうか企業で実験した時点で使えたよ。だけど実戦での検証をしてなかったから、こうして私達にこのデバイスが配備されたの」

 サイネは第五世代よりも分厚く、折り畳み型になったデバイスを見つめる。

「魔素を集めやすい秘積結晶に接続したスロット盤に凝縮加工した七属性の魔力結晶を配置するんだ。このスロットには多属性に適応した魔法陣が彫られていて、魔力を流しながらその上をなぞると魔法が発動する仕組みになってるんだよ」
「すげぇ」

 画期的すぎる。俺も欲しい。

「でしょ? それに他にも試してほしいっていうのがあってね。例えばこれ」

 楽しそうに笑いながら、サイネはポケットから空の容器を取り出した。
 手ごろな小瓶くらいの大きさの容器で、表面には蝋燭の火のような絵が描かれている。

「このアブソーブボトルは大気中から特定の魔素の抽出が可能でして、そしてなんとボトルを装填した可変兵装に抽出した属性を付与することができます! 私が自作し愛用している可変兵装、ヴァリアント・ローズにも使用できるのです!」
「おお! ちなみにヴァリアント・ローズとは?」
「これだよ!」

 サイネは腰のベルトに取り付けていた、長剣と銃が複合化されている武装を展開した。
 全体的に赤を基調としたカラーリングにグリップの部分が拳銃のようになっている可変兵装を、サイネはうっとりとした表情で眺めている。
 もちろん俺も。……だってかっこいいじゃん。

「いいでしょぉ……この流れるような剣先への輝きを補助する武骨なグリップの存在がたまらなく好きでねぇ……近接と遠距離をカバーする為に導き出した黄金比も素晴らしいと思わない……?」
「わかる。俺も似たような物を作ったけど、それぞれの特性を潰す事なく両立させる難しさときたら……っ」
「だけど、胸の内に秘めたロマンを形にした時の高揚感と」
「自分が作り上げたと実感できる重みを手にした時の感情の昂りは」
「「何物にも代え難い、最高の一瞬……!」」

 俺とサイネは目を合わせ、がっしりと握手を交わす。
 この日、この時、この瞬間。
 燃え滾るような情熱を抱いた俺達は、心を通わせた──しかし。

『ゲハハハハハハハハハッ!!』

 汚らしい笑い声と同時に響き渡る、爆音にも似た乾いた音が意識を引き戻した。

「まさか本当に来たの……!?」
「今の声、外から聞こえたぞ」
「っ、行こう!」

 周囲の警備員が慌てふためく中、俺はサイネと顔を見合わせ、メインホールから外に出る。
 逃げ惑う人々の波に逆らうように悠々と歩みを進める武装した集団が向かってきていた。手にしている武装のほとんどは、魔銃と呼ばれる物だ。
 あれが噂の襲撃犯だろうか。だとすれば、俺とサイネの二人で鎮圧するのは難しいな。
 彼我の戦力差について思考していると、主導者と思しきスキンヘッドの男はこちらの存在を確認して立ち止まった。

「ルガーのアニキ! 中からひょろい女とぱっとしねぇ男が出てきました!」
「んなもん見りゃ分かんだよ、バカたれ! ……どうやら学園と分校のガキどもが警備してるって情報は合ってたらしいな」
「でも人数が足りませんよ。あと三人くらい……」
「余計な事をペラペラ喋ってんじゃねぇ!」

 ルガーと呼ばれたスキンヘッドが隣にいた取り巻きを叱り付ける。
 そのやりとりを見ながら、俺はサイネと一緒に前へ出た。

「開館前に仕掛けてくるなんて、随分とせっかちじゃない?」
「ハッ! 余計な人死なんて出したかねぇのはお互い様だろぉ? さっさとそこをどけよ。じゃないと、死なない程度で痛い目に遭ってもらうぜ……?」

 そう言って、ルガーがライフルのような魔銃を構える。
 統率の取れた集団だ。トップの動きに合わせて全員がこちらに銃を構えた。
 数的不利、戦力も無い。後ろ手にデバイスを操作してカグヤに連絡は送ったが、奴らが痺れを切らして突撃してきたら押し切られる。
 ──だが。

「まあ、もっとも? 先に侵入した俺らの仲間が中を滅茶苦茶にしてるだろうけどな! ハーハッハッハ!!」
「なっ……!」
「いや、それはないよ」
『……は?』

 ルガーの顔が固まった。横にいるサイネも集団も、その場にいる全員が呆然と口を開く。
 アホ面を晒す集団から目を離し、俺はその場でうずくまり、足下に描かれたルーン文字の上に爆薬をセットする。

「さっきの爆発音はお前の仲間が暴れてる音じゃない。俺達が細工したルーン文字の発動した音だ。だから美術館に被害が及ぶような事にはなってない」
「そんな馬鹿な話があるわけ……」
『うわあああああああああッ!』

 図ったように、美術館から数々の野太い悲鳴が上がった。
 聞こえの良くないサウンドを聞きながら、余った植物の種を爆薬の周りに散りばめる。

「今のは、アイツらの声……!」
「悪いけど、下準備有りなら俺の方に軍配が上がるよ。アンタらが考えた捻りの無い計画程度なら簡単に覆せる──さて、仕上げだ」

 男の子なら一度はやってみたかった仕草。
 両手をパンッと音を鳴らして合わせ、ルーン文字の上に勢いよく乗せる。
 静かに爆薬が爆ぜ、途端に周囲の魔素が反応。茶色の光芒が舞い、ルーン文字に収束する。
 そして──メキリ、メキリッ。
 種が割れ、芽が出て、根が地面を這う。凄まじい成長速度で育つが大地を揺らし、その巨体を現した。
 突然の事態に狼狽うろたえるルガー達に手をかざし、

「トレント、その巨体を以てして彼らを捕らえよ!」
『──!』

 “指示”を出す。震わせた巨体からは想像も出来ない速度で接近したトレントは、枝を振り回して強盗団を絡め取っていった。
 身動きが取れなくなった者はパニックに陥り、魔銃を撃って応戦する者もいるが、樹木であるトレントに効く訳もなく、次々と無力化されていく。
 しかし相手もただやられるだけでなく、ルガーの指示で火属性の魔法詠唱を始める者がいた。

「サイネ! 詠唱してるヤツを頼む!」
「…………ハッ! う、うん、わかった!」

 ポカンとした表情で突っ立っていたサイネに声を掛ける。我に返ったサイネはデバイスを取り出して、スロットを指でなぞった。
 アウターマギアの実験対象はルガーに殴られていた出っ歯の三下。
 詠唱するよりも遥かに早く、構えたデバイスに風属性の魔素が収束し、圧縮された空気の球が放たれる。
 それは空間を捻じらせ、一直線に、吸い込まれるように三下の鳩尾に入っていき──数十メートルほど吹き飛ばした。
 バウンドしながら転がっていく三下を見たその場の全員が、一斉に手を止める。
 ようやく止まった三下の安否が気になるが、ピクピクと痙攣しているので生きてはいるらしい。……とても辛そうだが。

「……後で威力調整した方がいいね、それ」
「……大人しくヴァリアント・ローズ使いまーす……」

 控えめに可変兵装を展開し、トレントと共に強盗団に突っ込んでいくサイネを見送る。
 ……初めて彼女の戦いを見るが、中々参考になる戦い方だ。
 装填したアブソーブボトルで作り出した魔法弾を撃ち、発生した推進力で
 風属性が主体かと思ったが、どうやら光属性の魔素を混ぜ合わせた魔法の弾丸を利用して、行動速度を格段に上昇させているらしい。赤い軌跡を描きながら魔銃を斬り捨てている。
 加速としてだけでなく、鉛の弾丸も撃っている。加速用と通常の弾倉を素早く切り替えているようだ。
 ヴァリアント・ローズも凄まじい性能だがサイネの技量も同年代からしてみれば卓越している。
 複雑な可変兵装を手足のように扱い、即座にその場での適切な対応を行動に移す。
 俺と似ている戦闘スタイルなので非常に為になる……って、もうルガーしか残ってないじゃん。
 サイネもトレントも強いなぁ。

「さあ、大人しく投降しなさい」
「クッ……こんな奴ら相手に……! こうなったら!」

 苦渋の決断だったのだろう。ルガーは顔を歪ませ、魔銃をサイネに投げ付ける。
 トレントが寸前で防いだとはいえ怯んでしまったサイネの隙を突いて、懐から大振りのナイフを取り出し、こちらに走ってきた。
 なるほど。確かに無理に強い相手と戦う必要は無い。
 弱い奴がいればそいつを狙うのは自然な流れだ。

「うおおおおおおおおおおおおおおっ!」




 ──だからと言って、舐められるのは癪だが。




 魔力強化を全身に施し、振り下ろされた腕を左手で取り、空いた右手を後ろに引く。
 向かってくる力を保持させたまま、こちらから加える力の両方を合わせたイメージを描く。
 動きを止められたルガーが拳を振り抜こうとしていた。しかし、遅い。
 目線で無防備な腹部を捉える。鳩尾を狙って、広げた脚から、腰を限界まで捻り上げ、関節の全てを駆動させ、引き絞った右腕を突き出す。
 風を切る音と腹部にめり込む鈍い打撃の感触が突き抜け、ルガーは錐揉きりもみしながら吹き飛んだ。


 暁流練武術初級──“円芯撃えんしんげき”。


 これは俺が得意とする技の一つで、直接母さんに教えてもらって習得したものだ。
 力を限界まで溜めて、円の動きで放つ正拳突きであり、特別な事は何一つしていない。ただ、身体の関節部をかなり捻じるので身体が柔らかい人じゃないと負荷が掛かって骨折する。本当に。
 それはともかく。“円芯撃”に限った話ではないが、衝撃というものは地に足をつけた状態であれば幾分か地面に逃げる──脳筋母さんの発言なので事実かどうかは不明──ので威力は減衰するのだとか。
 確かにルガーは地面に足をついていた。しかし“円芯撃”にはもう一つの効果がある。


 それは鎧通し。ゲーム的に説明すれば防御貫通だ。


 人体の弱点、ツボ……言い方は色々あるだろうが、その一点に狙いを定めた一撃は肉体の内部に凄まじい衝撃を走らせる。
 さらに付け加えると、鎧通しの力は身体の外に逃げない。必然的に逃げ場の無い衝撃の全ては技を受けた対象の全身をくまなく浸透してめぐり、反射する。
 つまり減衰無しの最大威力が叩き込まれたという事は──。

「ア……ガッ……」

 ルガーの意識を刈り取るには、十分過ぎるほど強烈な一撃だった、という事になる。
 ……力加減、間違えたかもしれない。




「……これは、凄いねぇ」
「ととと、トレントが何でこんなところに!?」
「ああ……やはり」

 私は出入り口で魔物に指示を出しているクロトさんを確認し、ぽつりと思わず口にしてしまった

「やはり、ってどういう意味だい?」
「……私よりもクロトさんの方が班を率いる立場の人間として相応しい、と思ったのです。ハイス校長に選ばれたので渋々班長として行動しましたが、人に指示を出させるという行為が、どうも私の性分に合わないようでして……」

 “菊姫”の柄に手を置き、ため息を漏らす。

「で、でも、カグヤさんなりに頑張っていたじゃないか。そんなに、気落ちするような事でも……」
「実際に成果を出したのはクロトさんとサイネさんです。私はコランダさんとレビルさんの力をお借りして、人数でも勝っているのに……この様です」

 趣旨は理解していた。行動も起こしていた。
 しかし、それでも──届かなかった。
 自分が情けなくなる。冬の迷宮で抱いた決意が根底から覆されるような現実に胸が痛くなった。
 刀と舞しか取り柄の無い私が出来る事。
 ひたすら研鑽を積み、手を伸ばして、後少しで届くはずだった高みが、また離れていく。




 ……痩せ細り、けれど頬に触れた確かな温もり。


 ……弱々しく、けれど優しく語りかけてくれた声。


 ……床に伏せ、けれどいつくしむように抱きしめてくれた愛。


 …………もう触れる事の出来ない過去は、遠くへ行ってしまった。




 ──幼い頃の光景と彼の背中が重なる。
 静かに伸びる面影が、身体を重く、縛り付けていた。
 顔を下げて、暗い気持ちで立ち尽くしていると、不意に暖かい感触が頭を撫でた。
 目線を上げる。コランダさんが優しい瞳を私に向けて、ゆっくりと髪をくように撫でていた。

「そんなしょげた顔するんじゃないよ。アンタは自分の精一杯で私らを引っ張ってくれた。そういう意識を持てた事が、何よりも大切なんじゃないかい?」
「う、うん、僕もそう思うよ。確かに不器用で、ちょ、ちょっと真面目過ぎるかもって思ったけど……君の努力しようとした気持ちが伝わってきたから……」
「コランダさん、レビルさん……」
「さっ、そんな辛気臭い顔してないで行くよ。あの二人を待たせちゃいけないだろう、班長さん?」
「……はいっ」

 二人から励まされ、深呼吸を一つ。気持ちを入れ替える。
 そうだ。彼が離れていくなら、また追い付けばいい。抱いた決意を捨ててしまうなんて、勿体無いにも程がある。
 私はまだ──諦めない。
 一歩、踏み出す。縛り付けていた影が、少し薄らいだ。

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