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【三ノ章】闇を奪う者

第二十六話 お国事情に疎いのは仕方がないのです

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 閉じた瞼の裏が白い。
 うっすらと開けた目で朝日の光を受けてしまい、反射的に細める。
 ここ最近で見慣れてしまった天井に驚くこともなく、視界の右半分を埋め尽くす重量感のある物体に意識が集中する。

「すぅ……すぅ……」
「……」

 またか。寝息と共に揺れる物体に窒息されかけながらもそんな感想が出るあたり、この環境にも大分慣れてきたのだろう。
 首を少し動かして、上を見る。
 そこには俺の所属するニルヴァーナ学園の二年七組の担任教師、ミィナ・シルフィリアの寝顔があった。
 すやすやと眠り、何か良い夢でも見ているのか艶やかな小ぶりの唇の端を上げ、微笑んでいる。
 普段の凛々しさはどこに行ったのか。しかし無意識に幼さを表面に出したこの顔を独り占めできるのは役得だ。
 このまま見ているのもいいかと思ったが、壁に掛けられた時計を見るにそろそろ朝ご飯の準備をしなければ。
 よし、ここから抜け出して……抜け……出し……っ!
 ベッドの端に手を伸ばして引き剥がせ……ないっ!

「んんっ……」
「もにゅ!?」

 それどころか引き寄せられた。腕力強すぎませんかね!? エルフって腕力ひ弱な種族だったと思うのですが!?
 顔が埋まるほどの柔らかさを持った暴力的な甘い匂いとか女性の武器だと思いますけど肌着一枚越しのこの感触はアカンですよ誰か助けて窒息するぅ!
 遠ざかる意識が闇に落ちていく中、俺は地獄と天国を垣間見た気がした──。
















 ガルドに憑依したパラエルが降ろしたツギハギの邪神、シュブ・ニグラトとの死闘から一週間が経った。
 まさか異世界で早々に神話存在なる生物と戦わせられる羽目になるとは思わなかったが、こうして五体満足で生き残っているのは鍛えていたおかげだ。
 無茶をして病院に叩き込まれたりもしたけど……うん、いつものことだから慣れてしまった。
 だが、これでようやくニルヴァーナ全体に広がっていた不安も消え去り、シルフィ先生の抱えていたトラウマも解決。
 フレンの依頼も経過次第とはいえ達成扱いになったので、肩の荷が下りてほっとしている。








 ただし自宅が全壊したのは許されない。
 ボロ小屋だったとはいえ、機能性を考慮した間取りと井戸と隙間風の酷い壁と井戸とか気に入ってたのに全てがゴミくずへと変貌した。
 いくら何でも酷いとしか言えないクラスチェンジである。火事よりマシだが、下方修正とかふざけるな。
 依頼報酬で新しい家屋を建築してくれるらしいが、いくらトンデモファンタジーな異世界だろうと建築に時間が掛かるのは当たり前のこと。
 その間の寝床はどうしようかと思い、廃屋と化した小屋で寝よう思ったがさすがに衛生上の問題があるので却下。
 だったら野宿でもしようかと提案すれば満場一致で止められた。
 エリックの寮部屋に泊めてもらう話も出たが既にルームメイトがいるということで、エリックは良くてもその人に迷惑を掛ける訳にもいかないと苦渋の思いで断念。
 さて、どうしよう。仕方がないからホテルに泊まろうかな。だけどお金が無い……。
 そんな悩みを読んだかのように、フレンはその場で言い放った。

「じゃあシルフィの家に泊めてもらえば?」
「えっ」
「じゃあお願いします」
「えっ」

 終始困った様子ではあったが、フレンに何か耳打ちされてから人が変わったように歓迎してくれた。
 図らずして、まさか現役教師と同棲生活をすることになるとは夢にも思わなかったよ。
 しかも先生の家にその場に居た全員を集めて視線を向けられる中、真実を伝えることになるとは。
 リンチされる覚悟で話したのに、記憶喪失も嘘ですとか話したのに疑うことなく『へー、そうなんだ』みたいな感じで全員納得してるし。
 事情を聞いたところ、出会った当初から俺に対する違和感がバリバリあったそうで、先生以外は記憶喪失云々は嘘だろうと予想していたらしい。
 そもそも俺が言い出したことではないと、フレンになぜ記憶喪失という設定にしたと追及したら“面白そうだったから”の一点張りで、詳しく理由を話そうとしなかった。
 ……実際、その設定が無かったら国外追放されていてもおかしくなかったわけで、助けられたのは事実。
 しかし話を聞くに、どうもフレンは初めて出会った時から俺を雰囲気で違う世界の人間だと気づいていたようだ。
 その観察眼を一体どうやってつちかってきたのか気になる所だが、聞くのはやめた。
 一瞬、悲しそうに目を伏せた姿に躊躇ためらったわけではない。なんとなく、今ではないと悟ったからだ。
 微妙になった空気を変える為、今度はエリックやカグヤにどうして怪しさ満点の俺に近づいてきてくれたのかを聞いてみた。
 なんでも悪意を感じなかったとか、騙して悪い事をするような人間に見えなかったからだそうだ。
 優しすぎでは? 涙が出たよ。
 そして、その日は先生と、驚きだがフレンによる手料理を頂いた。シチュー、美味かったです。












 それからはいつも通りの日常に戻った。
 変わった所と言えば、登下校の時に先生と一緒にいることが多くなったことくらいか。
 クラスメイトには羨ましさと悔しさの混じったような目で睨まれたし、ルナに関してはレイピア持ち出して斬りかかってきたから投げ飛ばした。
 特訓していたのか、決闘の時よりも動きのキレが良くなってたな。
 この一週間で色々あったが、周りの目を気にせず、ありのままの自分をさらせる環境になったのはありがたいことだ。
 ……ああ。でも一つだけ、困っていることがある。
 当然だが、先生の家にはベッドが一つしかない。もちろん先生はそこで寝るからいいとして、俺の寝床をどうするかという話である。
 そこで提案したのが、毛布を一枚借りてソファで眠ることにしようというものだ。
 当初、先生は真っ赤になった顔で一緒にベッドで……などと言いかけていたが、さすがに危機感を覚えた。
 スタイル抜群の絶世の美女と一つ屋根の下、どれくらいかも分からない期間、過ごさなければならないのだ。
 その、ね? 常識的に考えて付き合ってもいない男女が同棲してる時点で危ういのに……ね?
 忍耐力に自信が無いわけではない。でも、万が一というものがある。
 なのでボロ小屋ベッドよりも柔らかいソファで眠ることにして、身を預け、翌日──気づいたら先生に抱きしめられていた。
 どうやら寝相がとんでもなく悪いそうで、気づけば床で寝てることがあるなど。
 思わずお前マジかよ、と。
 これが毎日続くのかよ、と。
 理性と精神を削り取っていく新生活は、思った以上に大変で困難で過酷で……結局、流されるがままに過ごし続け……。

「ふあぁ……よくねむれましたぁ。……あれ、クロトさんは……?」
「先生、下です。潰されてます」

 そして、今に至る。








『スキル』
 《召喚士:初級》
 =《契約召喚》《世話上手》《戦術指示》
 《各耐性系》
 =《出血耐性》《炎耐性》《雷耐性》《氷耐性》
 《身体補助系》
 =《俊足》《強靭》《器用》《不屈》
 《大物殺し》

「……やはりユニーククラスというのは興味深いな」
「どうかしました?」

 研究室の掃除を依頼され、いつ作成したかすら定かではない爆薬の処理を行う俺のデバイスを、勝手に盗んで見ているリーク先生が呟く。

「いやなに、君のクラス特性は元研究者としての探求欲を刺激するのでな」
「だからって解剖したいとか言ったらこの爆薬投げつけますからね」
「クロトさん、この書類はどこに保管しますか?」
「うわ、なんだこれ……爆薬、じゃねぇな。薬品……?」
「カグヤ、それは向こうの部屋の奥側にある棚の二段目に。エリック、処理に困ってるなら俺が片付けるから溜まったゴミを焼却炉に持っていってくれ」

 手伝ってくれているカグヤとエリックに指示を出して、俺も作業を進める。
 魔力を分解する薬品を慎重に流し込み、爆薬の効果を無効化して爆破瓶の中身をバケツに入れておく。
 これで暴発の心配も無くなり、徐々に気化──魔素マナになっていくのを待つだけ。
 なお、この薬品はリーク先生の自作だそうだ。人体に影響は無いらしいが、真偽のほどは不明。

「先生、人のデバイス見てる暇があるならエリックが持ってきたゴミを片付けてくださいよ」
「ゴミと言うな。そのフラスコの中身は一口含めばたちまち身体の機能を活性化させ、一時的に超人的な力を与える霊薬だぞ」
「聞くからにヤバい薬でしょうが……絶対副作用ありますよね?」
「心配するな。服用して、効果が切れてから一時間、全身の筋肉痛に悩まされるだけだ」
「……それ、俺でも作れますか?」
「素材とレシピは渡してやるから自分でやってみろ…………む、この記事は」

 ローリスクハイリターンの効果を得られる霊薬作成に心を動かされ、渡されたレシピに目を通す。
 ……うっわ、ポーションより五倍くらい工程が多い。
 だけどこれさえあれば、いざという時の切り札になるはずだ。素材も貰ったから試しに作ってみるか。

「『魔科の国グリモワールの研究所が壊滅、犯人は逃走中の模様』……全く、ニルヴァーナの事件が解決したと思ったら今度は向こうでか」
「何か気になる記事でもありました?」
「いや、グリモワールの連中はともかく、私たちには関係の無い話だ。考えるだけ時間の無駄だろう」
「だったら爆薬と薬品を選別してください。俺はともかく二人が危ないんで」
「わかったわかった。……優秀な助手でもいれば、掃除に苦労することもないのだがな」

 気怠けだるそうにしながらも背を伸ばし、爆薬の山に手を付ける姿を見ているとエリックが戻ってきた。
 同時にカグヤも別室から出てきて書類整理を再開。
 この調子で片付ければ午前中で終わるか……などと思っていると、

『アカツキ・クロトくん。この放送が聞こえているなら至急、学園長室へ来るように』

 悪魔の声が校内放送で響き渡った。なんだろう、呼び出されるような問題は起こしてないはずだけど。
 とりあえずリーク先生の了承を得てから学園長室に向かうことにした。
 ……後ろから爆発音が聞こえた気がしたが、気のせいだろう。




「来てくれてありがとう。早速だけど本題に入るわね? ──君に依頼を頼みたいのよ」
「帰っていい?」
「ダメです」
「ですよね」

 開幕のセリフに嫌な予感がしたので戦略的撤退の意思を見せるが、執務机に頬杖を突きながらにこやかな笑顔を浮かべるフレンはどうとも思わなかったらしい。
 異世界人であることを話した時、もっと言えば初めて出会ったから抱いていたフレンの評価が『優しく美人で権力のあるミステリアスお姉さん』から『今まで出会った人の中で一番裏がありそうなヤバい人』へチェンジしようとしているので、あまり軽々と首を縦に振りたくないのだ。
 だが、依頼をこなさないと学費を稼げない。特待生に課せられた制度でこんなにも苦しめられるとは。
 フレンも決して悪人ではないと理解はしているし、ある程度の分別は出来る。
 しかし不安と気味悪さと下心に挟まれ、ある意味財布の中身を管理されているとも言える俺の心情を察してほしいのも事実。
 何より最も大きな懸念の一つが、その依頼でシルフィ先生と同じ状況になってしまうのではないか、というものだ。
 つまり──。

「あー、嫌だぁ……また神話存在と戦う羽目になるのは嫌だぁ……」
「そんな遠回しな死刑宣告する訳ないでしょ」

 そういうことである。だからと言って断れないのだが。
 頭を抱える俺にさも当然の如く、そして呆れの混ざった声音でフレンは一枚の紙を手渡してきた。
 恐る恐る手に取り、覗いてみる。
 見るとそれはなんてことない、学園の年間行事予定表だった。
 これがもし身に覚えのない借金の明細書だったら気絶していたかもしれない。
 内心と共にほっと息を吐いて、フレンが指で示す部分に注目する。

「……国外遠征? こんな行事があったのか」
「ええ。詳しい説明は省くけど、要は生徒の実力試しみたいなものね。二ヶ月に一度、参加者は高等部の中から選出した生徒数人と引率の教師一人が一週間の期間、その国に出向いて冒険者ギルド支部が出す特別な依頼をこなすのよ」

 へー、そんな事するのか。

「今回の遠征先は魔科の国グリモワール。分校側の要望もあってあちらの生徒と合同で活動することになってるから、そんなに大人数を送らなくていいって話よ」
「すると、向こうと合わせて大体十人くらいか。んで、俺はその中の一員として参加する、と?」
「そうね。けど、それじゃあ君の肩身が狭くなるだけ。ただでさえ有って無くても構わないような特待生という立場上、未だに君の存在を不審がる生徒も少なくない。特に上級生──三年生はね」
「正式な戸籍も貰ったけど……一月ひとつき前、唐突に現れた正体不明の人間と一緒に行動を共にしてくれる物好きはいないよねぇ……」

 同年代や下級生辺りなら誰とでも仲良くなれる自信はあるが、この学園の上級生……と言っても一部の生徒の話だが、妙にプライドが高い。

 曰く、積み重ねてきた時間と攻略した迷宮の数が違う、とか。

 曰く、お前らより自分の方が技術もスキルも上回っている、足手まといは要らないとか。

 曰く、あんな殺人級爆薬の実験体になりたくない、とか。

 最後の一つは俺を見るなり恐怖に顔を歪ませた錬金術師アルケミストの三年生から直接聞いたので、あながち嘘ではないのだろう。
 実力を疑うのは当然ではあるし、仲良しこよしで生きていけないのは確かだが、学園を卒業してからもあんな態度を貫いていると孤立するのではないか。
 その心配を口にするほどお人好しではないけど、そんな生徒と一緒に行動できるかと言われれば…………うん、ちょっと困る。
 だからといって贅沢は言えないのだが、フレンには何か考えがあるのか、不敵に微笑んでいた。

「いつもは私がくじ引きだったり“どれにしようかな”だったり、占いで決めてるんだけど──今回は特別に、君が遠征メンバーを選んでいいわよ」
「俺が? っていうか、いつもそんな雑に選んでたの?」

 選出された人が不憫すぎる。内気な人とか唯我独尊な人で固められたらチームワークはおろか、意思疎通もままならないぞ。

「ウチには優秀な生徒がたくさんいるから選出に時間が掛かるし、職員会議で話し合っても中々決まらないからね。でも意外と上手くやれてるのよ?」
「言いたいことは多々あるが、まあいいや。本当に誰でもいいのか?」
「ええ。さすがに引率の教師はこっちで決めるけど……っていうか、シルフィで決定してるからね」
「それは別に構わないけど……何か問題が?」

 むしろ先生が引率してくれるなんて心強い。
 あの死闘から目に見えて違いが分かるほどに先生は変わった。
 魔術を魔法として、魔法を魔術として。
 二つの比率を均等に分けることで互いの損失を無くし、さらに融合させることで先生だけが扱える高度な術式として組み立てる。
 魔術の自由度を、魔法の安定さを両立させて突き詰めた理想の体現。
 思い描いた想像を発現させる純粋な力。
 従来の魔法技術と区別する為にも術式魔法イグジストと名付けた──が、使いこなせるのは先生だけだ。
 だって魔術オリジナルを扱えるのは先生だけで、元から減少したとはいえ相応の魔力が必要になるし、そもそも身体の魔力を分割してから魔法と魔術を並列発動してルーン文字の構築文で連結融合させるってなにそれ?
 通常の魔法でさえ頭が破裂しそうな情報量だってのに、何の苦もなく、いとも容易くやってのけるとか。頭の出来の違いに涙が出そうだよ。
 ……自己憐憫もほどほどにしよう。俺は俺、先生は先生だ。
 ともかく、今回の行事は生徒が主体として動くので積極的に手を貸してくれるわけでは無いだろうが、先生がいれば不測の事態におちいったとしても大抵の問題はどうにかなる。
 なのにフレンは何か懸念を抱いているらしく、腕を組んで口をへの字に曲げていた。

「……言い訳がましい口上を並べずに率直に聞くけど──君、魔科の国グリモワールの政治、文化に風習その他諸々について……全くの無知よね?」
「うん」

 即答。項垂れるフレン。何とも言えない沈黙が流れ始めた。
 知ろうとしなかった俺も悪いと思うけど、これについては理由がある。
 まず第一に、借金。
 地球に居た時ですら身近に聞くことのなかったこの単語が、まさか自分に関係してくるとは思わなかったのだ。
 金銭関係のトラブルは何もかも崩壊させるというのはよくある話で、創作物であろうと現実でも最終的に待ち受けているのは破滅である。
 俺はそうなりたくない。絶対に嫌だ。
 その一心で行ったのが第二の原因、ギルドの依頼と学園掲示板に張り付けられた依頼の達成。
 最初はダンジョンには行けないのでアルバイトでもしようかと思ったが、履歴書に嘘を書くのは元アルバイターとしての心が許さなかった。
 だからこそ生活の糧としての依頼受注は必然的な決断だったのだが、この選択が生活を苦しめていくことになるとは思わなかった。
 とにかくこの第一、第二の原因により劇的に睡眠時間が減少。
 眠気を晴らす為に真面目に授業を受けているフリをして爆睡、目覚めの合図は授業終わりのチャイム。
 さらに効率を求めたことで、今では立ったままは当然として歩いた状態での睡眠も可能となった。
 授業の内容に関しては……必要な部分しか覚えてない。
 そんな真面目系不真面目な生活を送らざるを得なかった俺が、国家事情なんて知ってるとでも?

「……やっぱりシルフィに頼んで正解だったわ」

 俺もそう思う。




「──というわけで、先ほど話題になっていたグリモワールに遠征することになりました」
「随分とタイムリーな……とはいえ、いつまでもニルヴァーナに居座っていては視野も広がらんだろう。良い経験になるだろうさ」

 煤けた壁。割れた窓。鼻に残る焦げた匂い。
 ちょっと離れただけなのに見るも無残な変貌を遂げた研究室。
 戻ってきて、なるべく元通りになるまで掃除をした俺は学園長に伝えられた用件をリーク先生に話した。
 なお、後ろにまとめた長髪や、白衣の端が焦げているのはきっと幻覚ではないはずなのだが、意にも介さずコーヒーをすすっている。

「なんか今回は分校の方で人員を数人用意してるみたいで、こっちからは二、三人選べばいいとか言ってたんですよ。なので……」

 ちらり、と。視線を向ける。
 リーク先生もマグカップに口をつけたまま顔を向け、ああ、と納得したように目を細めた。

「彼らを連れていく、というわけか」
「エリックさん大丈夫ですか? ポーション飲みますか?」
「おぉ……スキル無かったら危なかったぜ……」

 視線の先にはリーク先生印のポーションを片手に、呻くエリックを介抱しているカグヤがいた。
 ちなみに何が起きたかなんて研究室の全容を見れば大体分かるので、追及はしない。
 ……カグヤがほぼ無傷で、エリックが重傷だから……範囲指定の爆薬が暴発したんだろうな。
 わかるよ。俺も全く同じことをしたから。

「七組の面子に声掛けようかとしたんですけど、もう既に他国の遠征メンバーに選ばれてたんです。だからまだ暇そ……予定が入ってなくて、尚且つ気心知れた奴らと組んだ方が苦労しないだろうと思って」
「今、暇そうな奴と言いかけなかったか?」
「空耳では?」

 肩をすくめて目を逸らし、コーヒーをあおる。

「ふむ……まあ、そういうことならカグヤはもちろん、エリックがいれば安心だろう」
「俺たちが、どうしたって……?」

 机にもたれかかったまま、ボロ雑巾なエリックがこちらに顔を向ける。
 ポーションを飲んだおかげで、顔色が若干良くなっていた。
 だが爆発の衝撃が抜けていないのか、身体を大きく動かすのは厳しいようで腕や足がプルプルと震えている。
 その姿に笑いを抑えながら二人に今回の遠征について詳細を説明した。

「グリモワールに遠征、ですか……。私は構いませんが、エリックさんはどうしますか?」
「俺もいいぜ。久しぶりに地元の様子を見ておきたいしな」
「よかった、二人がいれば心強い。準備に丸一日貰って──明後日あさっての朝にグリモワール行きの特急魔導列車が出るから、その日に出発することになる。二人ともよろしく頼むよ」
「おう。そんじゃ、今日はひとまず授業受けますかね。先に行ってるぜ」
「ああ、手伝ってくれてありがとう」

 飲みかけのポーションが入ったフラスコを揺らしながら、エリックは立ち上がる。
 ……まだフラつきながら歩いている辺り、ダメージが抜けきっていないらしい。

「それでは私も失礼します」
「カグヤもありがとな。おかげで早く終わらせることができたよ」
「いえいえ、礼には及びません。……昼休み、屋上で待ってますからね」
「うん、楽しみにしてる」

 笑いかけながら研究室を出ていくカグヤを見送り、細く息を吐く。
 俺が正体を明かして以来、カグヤは毎日お弁当を作って持参して来てくれる。
 何でも俺の食生活に危機感を抱いたらしく、せめてお昼だけは、と親切にしてくれているのだ。
 同年代の少女からお弁当を頂く機会など今まで無かったのに、異世界に来てから随分と恵まれているように感じる。
 中学・高校の同級生なんて俺の悪口を言うか、下駄箱に画鋲がびょうを敷き詰めたり、机をグラウンドに投げ捨てたりする奴らばかりだったので、なんだか新鮮な気持ちだ。
 ……っと、いつまでもここにいるのは先生の邪魔になるな。
 残ったコーヒー飲んだら、俺も授業受けに行きますか。

「それじゃ先生、俺も戻ります。あと、普段から掃除する習慣を付けたほうがいいですよ」
「ふむ……この一ヶ月でだいぶ馴染んでいるじゃないか?」
「……まあ、それなりに。っていうか人の話を聞けよ」
「ちっ、この程度では誤魔化せんか」

 整った顔を歪ませ、リーク先生はそっぽを向く。
 その状態で器用にれ直したコーヒーに角砂糖を突っ込んでいる。
 シュガーポットの中身全部とか入れ過ぎでは? 

「とにかく、また掃除の依頼なんて頼んだらシルフィ先生に言いつけますからね。リーク先生の研究室が汚いので丸ごと焼却してくださいって」
「やめんか! お前が言ったらあいつが本気にするだろ!?」
「だから掃除する習慣を身に付けろって言ってるんですよ! この部屋、他の生徒になんて言われてるのか知ってます? ゴミ部屋、もしくは危険物廃棄部屋ですよ!? 悪く言われたくなかったらこれを期に生活環境を改善してください!」
「出来たら苦労はしないッ!」
「威張るな!」

 束ねられた霊薬のレシピを持って、研究室の扉を雑に閉める。
 まぁったくもう、この学園の教師はズボラな奴らばっかりかよ! 教師陣の依頼も溜まった書類処理やら備品整理やら夜食作れとかだし。
 そのせいで広まったあだ名が『学園の便利屋』だぞ。どうしてこうなった?

「なんか、朝からドッと疲れたなぁ……」

 固まった肩のこりを揉みほぐしながら、教室に向けて歩く。
 そんな時。ふと、窓から見上げた空は──ねずみ色の雲に覆われていた。










「相変わらず騒々しい連中だな……」

 舌に残る甘ったるい感触を流し込み、静まった研究室で呟く。
 今回の件は、依頼に対する姿勢・態度を評価する為の依頼だった。
 元々、特待生という立場は教師と生徒の中間のようなものだ。
 校則に明記されているとはいえ、前例が無い以上、事情を知らない人にとっては半端者の居場所という認識が強い。
 不安定な立場であるが故に、教師の中ではクロトを備品のように扱き使う連中もいる。
 ガルドのように学園長を嫌う者にとってクロトの存在は目障り極まりないらしい。
 自覚が無くとも危うい綱渡りを強制されているアイツを保護する為にも、こうして小さなことでも実績を積ませる必要がある。




 しかし、当の本人はどこ吹く風、といった様子。
 自分がどんな視線を向けられているのかは気になるが、気にするだけ損だから無視する、と。
 たくましい精神をしているものだ。
 そんな奴だからこそ、多くの人に好かれるのだろう。
 特に仲の良いあの二人と一緒にいると、ちょっとした事でさえ予想外の方向に事態は傾いていく。
 つい先ほどの暴発も予想していなかった。
 評価を目的とした依頼だったので、事前に片付けやすいように爆薬とポーションを大きく分別していたはずなのだが、どうやらいくつか混じっていたらしい。
 これは私の落ち度だ。反省しよう。
 …………ああ。そういえば、連中は遠征に向かうのだったか。
 たったそれだけのはずだというのに、こうも波乱の予感がするのは何故だろう。
 しかも。

「学費免除の責務があるとはいえ、クロトをグリモワールにか。──学園長め、一体なにを考えている……?」

 記憶の片隅に残る過去が、痛みを伴って現れる。
 見る角度によりあらゆる側面を見せる魔導国家。
 人の欲が生み出した犠牲。大地の命を擦り減らす技術。
 魔の力に魅了され、利用され、季節が移ろっていくほど狂わされた景色。

「……七年、か」

 学園長にスカウトされ、ニルヴァーナに居を構えたあの日から。
 私は、変われただろうか。
 開け放たれた窓から、気分屋な空が覗いていた。
 不安を煽る灰色は心を蝕み、自然と瞼を重くさせる。
 悪戯いたずらに多くの命をもてあそび、悪と呼ばれ侮蔑され、受け入れたまま生きて死んでいた私は。
 ──人を、子を、助けられているのだろうか。




 声に出さない自問は、未だに胸の奥を締め付けていた。
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ある中管理職
ファンタジー
 勤続10年目10度目のレベルアップ。  人よりも貰える経験値が極端に少なく、年に1回程度しかレベルアップしない32歳の主人公宮下要は10年掛かりようやくレベル10に到達した。  すると、ハズレスキル【大器晩成】が覚醒。  なんと1回のレベルアップのステータス上昇が通常の1000倍に。  チートスキル【ステータス上昇1000】を得た宮下はこれをきっかけに、今まで出会う事すら想像してこなかったモンスターを討伐。  探索者としての知名度や地位を一気に上げ、勤めていた店は討伐したレアモンスターの肉と素材の販売で大繁盛。  万年Fランクの【永遠の新米おじさん】と言われた宮下の成り上がり劇が今幕を開ける。

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