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【二ノ章】人助けは趣味である

第二十二話 残された想い

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 突如として光に飲まれ、不思議な浮遊感に包まれた。
 頬を撫でる風にハッとして、反射的に閉じた目を開く。

 ……ここは。

 白亜の壁。草木や花で溢れた庭園。空を茜色に染めあげる、沈みかけの太陽。
 風が運ぶ懐かしい香りが錆び付いた記憶を呼び起こす。

 ……間違いない。これは昔、エルフの城から見たことがある景色だ。

 輝かしい夢を抱き、心を躍らせ、ささやかで幸せな未来を望んでいた、清純な思い出。
 フレンの魔法がこの景色を想起させているのか。以前から多彩な能力を持つ魔法だと思っていたが、こんな現象まで引き起こすとは。
 だけど、どうして今更になってこれを……?

『お父様っ』

 その時。聞こえるはずのない、懐かしい声を聞いた。
 振り向くと、華美なドレスをなびかせる少女が、父と呼んだ男性に抱きついている。
 翡翠の髪に濁りの無い澄んだ瞳。見間違えるはずもない、その姿は。

 ……子供の、私。

 自分で言うのも恥ずかしいが、子供の頃の私は甘えん坊だった。
 いつも誰かに甘えていて、母や、父が王として選ばれた後もべったりとくっついていたこともあった。
 まだ魔術の基礎すら知らない過去の私は、屈託の無い笑顔を浮かべている。
 記憶を俯瞰的ふかんてきに見るというのは初めての経験だが、彼女に触れることは出来ないのだろう。
 証拠に、不意に伸ばした手は透けていて、向こう側が見えている。

『わたし、ここから見る景色がだいすき! お父様もそう思いませんか?』
『うむ、絶景であるな。ここからであれば城下の様子をうかがうことも容易い……っと、しまったな。まだ仕事の空気が抜けきっていないようだ』

 威厳を隠し、親として接しようとする父の姿に目頭が熱くなった。
 涙脆くなってしまった自分には、あまりにも刺激が強い。

『しかし民が流した汗と血の結晶が形として現れていると実感するのは確かだ。余は王としてこの国をより良く、そして民が安心して暮らしていけるよう報いなければならない責務がある。これよりも、ずっとだ』
『今のままではいけないのですか? みんな、とっても幸せそうです』
『その幸福が魔術によって支えられている現状が問題なのだ。いや、依存していると言っても差し支えないだろう。それほどまでに、この国は染まってしまっている』

 そう。父は昔から、魔術が持つ無限の可能性に危機感を抱いていた。
 多様性に富み、試行錯誤を重ねるほど自らの意志とは関係なく、術者は魔に魅せられ、惹かれていく。
 魔術は莫大な利益をもたらすが、人知れず身を滅ぼしてしまう負の側面を持ち合わせていた。
 パラエルも負の側面に魅せられていたのだろう。最後に顔を合わせた時の異常な恐怖を、私は忘れられずにいる。
 寒気に怯えた肩を抱き、うつむく。
 しかし。

『魔術に重みを置き、生活の基盤となっている現状を打破しなければ、我が国は、エルフは破滅の運命を辿るだろう。孤立した繁栄に甘んじるなど、良い国とは言えぬ。――ゆえに変えるのだ』

 ……え?

 記憶の齟齬そごに呆然と呟く。
 知らない。私の記憶はここで途切れている。
 覚えていない。父は一体、幼い私に何を伝えていたのか。
 風に舞う花弁が視界を横切る。
 それはまるで、記憶の隙間を埋める欠片かけらのように見えて。
 不思議そうに首を傾げる幼い私に吸い込まれていく。

『長きに渡る魔術の文明を隠蔽する。そして他種族との交流を図り、技術を取り入れ、新たな革新を起こすのだ。おそらく家臣や貴族からは反発されるだろう。賛同を得られることもなく、ちりとなって消え行くことになろうとも――余は、この国を変える。お前たちが健やかに過ごせるように』
『わたしたちが?』
『そうだ。お前が大きくなった時、背負う国が閉鎖的であっては息苦しいだろう? 愛おしい娘が胸を張って堂々と、優雅に華麗でいられる世を作らなくてはな』

 ……ああ。

 微笑みを浮かべる父に、私の中で何かが弾けた。
 想起された記憶が見せる風景に目を凝らす。
 何気ない家族の会話が、どれだけ愛おしかったのかを思い出し、胸が熱くなる。

 ……どうして忘れていたのだろう。

 父の為にと、魔術に成り代わる新たな技術の調整に時間を掛けていたからか。
 年を重ねていくにつれて幼い記憶を閉じ込めてしまったからか。
 答えは見つからない。でも、残ったものはある。

 ……私には命がある。

 全てを奪われたと勘違いしていた。
 見て、触れて、感じて。当たり前を享受できる幸福な時間があった。
 背負う国はもうない。でも、この命がある限り、誰かが健やかに過ごせるように守ることができる。
 父と母が残してくれた、この命で。

 ……死と引き換えに邪神を消し去る?

 パラエルの言った通り、事の発端は私が原因なのだろう。自覚している分、罪悪感もある。
 ――。神話存在に頼らなければ自分を示せない男に、私は追い詰められていたのか。
 国を滅ぼして力を得て、暴虐の限りを尽くさないように封印まで施したのにわざわざ復活してくるなんて。
 そんな諦めの悪いどうしようもない人に、残された命を使おうとしていたのか。

 ……冷静に考えると、勿体無いですね。

 苦痛も後悔も掻き消す怒りの感情が湧いてきた。
 命を無駄にしようとした自分に対しても、誰が死のうと何の感情も沸かないパラエルに対しても。
 ああ、本当に。どうして気づけなかったのか。
 彼の言った通りだ。ほんの少し正直になっただけで、こんなにも心が軽くなるとは。

 ……縛られる必要はない。使命や義務なんて自分の虚像が生み出した戯れ言でしかない。

 血に濡れた両手を見つめる。ぐっと握りしめ、前を向く。
 未練はない。長い道の上でいつまでも座り込んでいる訳にはいかない。
 未来がある。いくつもの困難が立ちはだかろうと、進むべき道がある。
 つらくても手を借りながら、共に寄り添って歩む人たちがいる。

 ……踏み出そう。最初の一歩を。

 夕焼けに溶ける景色へ歩き出す。
 笑みを交わす二人の間を通り抜け、振り返らず、まっすぐに。

 ……私の命は、まだ始まったばかりなのだから!

 ――吹き抜ける風とともに、視界が光に包まれた。

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