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【二ノ章】人助けは趣味である
第十六話 健全な休日の過ごし方《後編》
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ある日、近所に住むお婆ちゃんは言っていた。
『世の中、何が起こるか分かったもんじゃない。急に車にはねられてぽっくり逝っちまうかもしれないし、ロクでもない詐欺にあったりしちまうかもしれん。……じゃが、それさえも楽しんでしまおうと思えば、余生も案外、楽しめるかもしれんのう』
人生の大先輩だったお婆ちゃんは、俺に大切なことをたくさん教えてくれた。
スーパーのタイムセールで荒れ狂う主婦達から獲物を掠め取り、レジに到達するまでどう生き残るかを。
縁側でお茶菓子を食べながらゆっくりとお茶を飲む時間が、どれだけ穏やかなことであるかを。
……だが、そんな博識で余裕のあるおばあちゃんでも、教えてもらえなかったことがある。
それは──、
「私の知ってる料理だけで作ってみましたが、どうですか?」
「美味……! 非常に美味ッ……!」
『キュイ!』
それは同年代の少女と一緒に、手作り弁当を食べるということ!
偉大なるおばあちゃんでも、年には勝てないのだ。
しかし、まさか異世界でまた和食を食べられるとは思わなかった。
学園食堂のメニューに『日輪の国風日替わり定食』があったので、まさか和食では!? と思っていたが、ここまでとは……。
特にだし巻き卵は絶妙な柔らかさとほんのり甘めな味付けがされていて、止めようにも箸が止まらない。
ソラもだし巻き卵を両手で持って、もぐもぐと頬張っている。
「シノノメって料理得意なんだねぇ……。普段から料理してるの?」
「休みの日や時間がある時はやってますよ。それに週に一回、寮の食堂に人を集めて食事会を開いたりしてます」
「へー、なんか意外だな。女子寮ってどこかギスギスしてたり、ドロドロしてる雰囲気があると思ってたんだけど、楽しそうでいいなぁ」
俺なんて夜は一人だし、ご飯は砂糖と塩と水で済ませてるし、余った時間は爆薬の精製とかルーンエンチャントの練習に費やしてるのに。
「そういう空気になったことはありませんし、実際楽しいですよ。もしよろしければ、アカツキさんも参加します?」
「女子集団の中に、ポツンと男一人だけとか胃が痛くなりそうだから遠慮しとく。それ以前に女子寮って男子禁制でしょ? この短期間で何度も職員会議の議題に上がるのは勘弁したい」
「……ふふっ。分かってますよ、冗談です」
『キュフ』
一足早く食べ終えたソラは満足そうに鳴いて、ふわふわと浮かんで俺の胸元に潜り込む。
ソラの行動を横目で追っていたシノノメは、どこか懐かしむような表情になると。
「──元々、小さい頃から料理には興味があって、実家のお手伝いさんや板前さんから教えてもらってました。信じられないと思いますけど、初めて包丁を握った時は手が震えてしまって、まともに食材を切ることもできなかったんですよ? 指を切るなんていつものことでしたし、泣いてしまうこともありました」
ですが、と付け加えて。
「初めて作った料理を食べて、“美味しい”と言ってくれた人がいたんです。不恰好で形は歪だったのに、美味しいと。それが嬉しかった……」
……その気持ちはよく分かる。
俺が料理を始めたきっかけはシノノメとは違うけど、やっぱり誰かに美味いって言ってもらえるのは嬉しいんだよね。
あー、俺も家にキッチン欲しいな。食材も調理器具も無いけど。
あ、水はあるか。
「……なんだか、しんみりさせちゃいましたね」
「いや、そんなことはないよ。俺は学園で顔を合わせるシノノメのことしか知らないから、今日はシノノメの知らなかったことが分かって嬉しいよ」
「嬉しい、ですか?」
俺の言葉に、シノノメは目を見開く。
「学園では真面目でしっかりしてて、大人っぽいとか、綺麗だなって思ってたんだ。でも、今日は違った。シノノメの服装とか仕草とか、学園では気づけなかったことに気づけて、それがすごく可愛いなって分かったんだ。……意外と可愛い物が好きっていうのもね」
「そ、それはその……」
「誰がどう聞いても当たり前のことでさ、こんな話をしてもピンとこない人のほうが多いと思うけど……俺にとって、初めての友達だからさ」
「だから、私のことを知れてよかった……と?」
「うん」
頷いた俺に、シノノメは恥ずかしそうに頬を染めたまま俯いた。
家庭的な女の子の照れ顔、最高だと思います。
こんな可愛い女の子と一緒に休みを楽しんでるなんて、俺は幸せ者だと思う。
さらば、日本のむさ苦しい男友達。
俺はここで新しい出会いを求め、これからも楽しく生きていくだろう。──借金はあるけど。
……今もそうだが、最近はどんなことをしていても、借金を抱えている事実が徐々に心の余裕を無くそうとしてきている。
気の持ちようだとわかってはいるが、そろそろ心が折れそうなのかもしれない。
いつの間にか空になっていた弁当箱が俺の心を表しているように見えて、なんだか複雑な気持ちになる。
…………なんで美味しいご飯を食べてるのに、こんなネガティブな思考になるんだ。
「「ごちそうさまでした」」
シノノメが食べ終わるのを待って、二人で手を合わせる。
久しぶりに栄養価の高い食事を摂ることが出来た。
これに関しては、心から感謝しないといけないな。
「シノノメ、今日はお弁当作ってくれてありがとう。おかげで元気が湧いてきたような気がするよ」
「それはよかったです。……あっ、頬にご飯粒がついてますよ?」
「えっ、どこ?」
「ほら、ここに」
指摘され、拭おうとしたが、横からすらりとした白い手が伸びてきて、頬を撫でる。
突然のことで身体が固まった。そんな俺にシノノメは気にする素振りも見せず、ただ意地の悪そうな笑みを浮かべて、
「取れましたよ」
「あ、ああ、ありがとう」
指先に付いた米粒を口に入れた。
……ナニコレ。すっごい恥ずかしい。
通行人の方々が戦慄したような目で俺達を見て、顔を赤くして小走りに去っていった。
これはさっきの俺に対するシノノメなりの悪戯なのだろうか。
確かに人前でこんなカップルみたいなことをされるのは、精神的にキツイものがある。
けど、そんなことやって自爆してたら意味無いよね?
顔、赤いよ。
「……大丈夫? 風邪ひいた人みたいな顔になってるけど」
「べ、別に恥ずかしくなったわけじゃありませんからね? おお、落ち着いたのでしたら、次の場所に行きましょう!」
言い訳するように捲し立て、勢いよく立ち上がり、シノノメは俺の手を取って歩き出す。
なんだか微妙な空気の中、元気にはしゃいでいたソラの声だけが耳に残っていた。
公園を出て数時間が経った。
歩き回って気づいたのだが、ニルヴァーナの主要な施設以外──魔力結晶のみを扱う店や親方の鍛冶屋など──は大通りから枝分かれするように広がっていて、そこからさらに入り組んだ道の先にあったりする。
シノノメが先行してくれているからこそ迷わずに済んでいるが、これが一人になったら迷子になるのは確実だろう。
後で地図を確認しながら、一人で歩く必要がありそうだ。
そして、今。
金銭的な意味でもお世話になった図書館の前に、俺とシノノメは立っていた。
「──このように、ニルヴァーナの至る所に抜け道がありますから、急ぎの用事がある時は覚えておくと便利ですよ」
「確かに商店街の脇道を通ってこの道に出れば、図書館まで行けるってのは助かるな、学園も近いし。シノノメもよく使うのか?」
「商店街の週末タイムセールが学園の下校時間と重なっているので、間に合わない時は使ってますね。……それで、どうしてここに?」
いつもの調子を取り戻したシノノメは図書館の中から鬼の形相で走り去っていく自警団の一人を見送り、不思議そうに首を傾げる。
さっきの人、きっと最奥区画を調査してたんだろうなぁ……。
あそこでの出来事が彼のトラウマにならないことを祈りつつ、俺は開いたままの扉に手を掛ける。
「何日か前に図書館に不法侵入して、本を盗んだ奴がいた、ってのはシノノメも知ってる?」
「はい。確か……自警団の調査が入るということで、学園に図書館関連の依頼が貼られなくなりましたよね」
「そうそう。俺も依頼で最奥区画に行ったことがあるから興味はあるし、何よりどういう本が盗まれたのか気になってたんだ」
『キュイキュイ!』
「ソラ、ちょっと静かにしてくれ」
空中を移動する本を初めて見た為か、胸元でペチペチと手を叩いてはしゃぐソラを大人しくさせる。
そうしながらいつもより混雑した円形のカウンターに着くと、自警団と話をしていたリードがこちらに気づいた。
手を振ると、いつもの眠そうな顔を二倍以上眠そうにした顔で近寄ってきて、
「……そぉい」
「だわらぁ!?」
その姿からは考えられないほど俊敏に動いたかと思うと、風を切る鋭い右ストレートが眼前に飛び込んできた。
完全に油断していたが、なんとか受け流すことに成功、ってかコイツいきなり何しやがる!
「……クロトさんじゃないですかあ。どうしてここに…………そういえば、犯人はよく現場に戻ると言いますよねぇ?」
「会って早々暴力で次に言うことがそれか? お前、盗難にあってから執拗に俺を犯人に仕立て上げようとしてるよな、わざわざ連絡まで寄越してくるし。失礼なこと言ってんじゃないよ、っていうかお前もう何日も寝てないんだろ。呂律おかしいって何だよ身構えるな近寄るなその手に持つ物は何!?」
「……自警団から支給された特殊合金製の手錠。生半可な力で壊せると思わないことです」
「それ知ってる、知ってるよ。冒険者のスキルとか魔力とか身体能力を封印するルーン加工が施された、民間人にとってはとても危ない代物だって」
「……学生ではありますが、冒険者であることに変わりはないですからねぇ」
目の据わったリードがじりじりと距離を詰めてくる。
アカン、コイツやる気だ。
「……別に犯人じゃなくたってもいいんですよ、誰でもいいんですからぁ。だから、大人しく捕まってくださいよぉ……!」
「問題発言してんじゃねえよ! って、ちょっと待て、待て! おいっ、図書館来て数分しか経ってないのに濡れ衣で牢屋にぶち込まれるのは勘弁だって! ちょ、お前っ、目がマジ過ぎ……来るな、こっち来……いやあああああああああっ! 助けてシノノメェッ!!」
「何をやってるんですか……」
為す術もなく押し倒された俺を、心底呆れた様子でシノノメは見下ろしていた。
「……すみません。ちょっと気が動転してました」
「ちょっとどころじゃなかったんですけど」
「まあまあ。リードさんもこうして謝ってますから、そろそろ許してあげましょう?」
正気を取り戻したリードに給湯室まで連れて来られた。
道中の職員や自警団の視線が痛いほど刺さってきたが、気にすることでもないだろう。
俺は謝罪の意味を込めて目の前で正座するリードを見下ろし、シノノメは電気ポットな見た目の魔道具を使ってお茶の準備をしていた。
「……はあ、分かったよ。リード、もういいよ。ほら、立って立って」
「……はい」
お茶を淹れたシノノメと俺、正座で足が痺れたのか、覚束ない足取りで歩くリードをテーブルの向かい側に挟んで座る。
テーブルの上のカゴに入ったクッキーを口に放り、お茶を啜る。
「早速で悪いけど、聞きたいことがあるんだが……ってか、聞いてもいいのか? こっちは完璧に無関係なシノノメもいるし、図書館側として守秘義務があるんなら、無理に言う必要も無いんだけど」
「……いえ、大丈夫です。クロトさんも知っておいたほうが良いと思いますから。……ええと、シノノメさんもよろしいですか?」
「私も構いませんよ」
「……そうですか」
お茶を静かに飲んでいたシノノメは優しく微笑む。
……なんだろう、厄介事に首を突っ込ませてるみたいで罪悪感が半端じゃない。
心臓が絞られたような錯覚を感じていると、リードは周りをキョロキョロと確認して。
「……まず最初に言っておきますが、盗まれた本は最奥区画に保管していた本だけです。問題は、なぜ最奥区画の本が狙われたのか、です」
「だよなぁ。あんなモンスターと呪いだらけの所に盗みに行くなんて、物好きな変態ぐらいしかいないだろうし」
「……盗まれた本の名前も分かりますし、自警団の調査のおかげでどんな人物が盗んだのか、特徴の目星は付いてます」
盗まれてから数日しか経ってないのに凄いな。フィクションの警察より優秀じゃないか、自警団。
「その特徴というのは?」
「……足跡などの痕跡から考えるに男性で、その大きさから大柄な体格であり、単独犯。漂っていた魔力の残滓から土属性魔法の使い手であることが判明したぐらいですかね」
本当に優秀だな!
「もうそこまで分かるんだったら犯人も特定出来るんじゃないのか?」
「……だったら楽でしたよ。私も、自警団も」
「何かあったんですか?」
シノノメの問い掛けに、リードは困ったような顔でクッキーを口に放り込み、お茶で流す。
「……盗まれた場所から多数の魔力反応が検出されたんです」
「別に珍しいことじゃないだろ? モンスターブックの巣窟なんだから」
「……クロトさんの言う通り、魔力反応はモンスターブックの物です。恐らく犯人と戦闘になり、魔法を使ったのでしょう」
「でしたら、どうして犯人の適性属性が分かったのですか?」
「……なぜ断定したのかは、自警団の調査で一番反応が多かった人間寄りの魔力で、それが土属性だったからです。いえ、問題はそこではありません。……盗難にあってからというもの、モンスターブックの大半が最奥区画からいなくなっていました。いや、消え去っていた、という表現の方が適切かもしれません」
「──まさかモンスターブックまで盗まれたっていうのか?」
確かに最奥区画は結界装置が無いからセキュリティはザルだ。やろうと思えば盗みに入ることは出来るだろう。
だが、あそこから膨大な量の書物、しかもモンスターブックを運ぶとなると話は別だ。
しかも最近はモンスターブック対策として、区画ごとに個人の魔法による障壁を展開しており、魔力結晶を利用して疑似的な結界装置としていたらしい。その結界は人を通すが、モンスターを弾くように設定してあるので、モンスターブックを持ったままでは結界を通ることは出来ないそうだ。
結界を解除しようにも、その権限と方法は館長しか知らないし、発動元の魔法陣を見つけて破壊しようにもその場所は絶対にバレないように隠されている。
ならば、一体どうやって盗み出したのか。
「……それと関連しているかもしれませんが、私とクロトさんが最後に点検した場所の本が数冊盗まれていました」
「あそこから? でもあそこに置いてあったヤツなんて、訳分からん酒の醸造の仕方とかしょうもない物しかなかっただろ」
「……まさに盗まれたのが、その『黄金の蜂蜜酒』醸造過程書です。他にもエルフの秘儀や魔力触媒を利用した魔法陣の描き方など。所謂、世に出してはならない禁書の類が抜き出されていました」
「禁書、ですか……」
厄ネタばかりで吐きそう。
「……あの系統の本は一部のマニアの間では高値で取引されますが、この図書館から盗んだ以上、どこかのオークションで売り払っても足が付くのは間違いないです」
「だろうな。しかも最奥区画のことを知っていて尚且つ侵入出来るってことは、十中八九、犯人はニルヴァーナに長く住んでいる人物……自警団もそこまでは考えてるんだろ?」
リードは眠そうに揺れながら、軽く頷いて肯定の意を示した。
俺は額に手を添えて、テーブルに肘を置く。
推理は得意分野ではないし、そもそも頭の出来も良くはない。
しかし暇な時は、よく小学生探偵マンガとバリツが得意な紳士が主人公の小説を読み漁っていた。
多少は脳のシワも増えて柔らかくなっているのだから、何か思いつくはずだ。この事件に関する、重要な繋がりを。
消えたモンスターブックと盗まれた禁書。
犯人はリードと同じ呪いを弾く力か、それとも別種の力を持っているのか。
考えろ、考えろ。
必ずどこかに繋がりがあるはずだ。
魔法陣、呪い、酒の醸造…………酒?
そういえば黄金の蜂蜜酒は本来の用途だと、邪神かその使徒だったかを召喚する為に必要な要素のはずだ。
しかし、この世界では人の限界以上の知覚を得るだけの道具に過ぎない。そもそも効力が強すぎて並みの人間なら廃人になってしまう劇薬だったから、禁書認定されて最奥区画に保管されていたのだ。
だが、もしその劇薬に耐えられる人間が盗み、醸造し、飲用していたとすれば……?
さらに今の時代では廃れてしまった特定条件下でのみ発動する高度な魔法陣の描き方に、モンスターブックは言い換えてしまえば、呪いの力を持つ魔力触媒だ。
既に盗難から数日が過ぎている今、もしかしたら犯人がどこかで触媒を用いた魔法陣を描いていてもおかしくない状況という事になる。
その正体や犯人の目的が何であれ、もしニルヴァーナや市民に危害が及ぶようなものであれば、起動の鍵を持つ犯人が確保の間際に自棄になって発動させる可能性も十分に有り得るだろう。
ならば自警団が容易に確保へ踏み込めないのも理解出来る。
こんな陳腐な推測だが、なかなか理に適っているのではないだろうか。
──もっとも、推測通りなら事態は想像しているよりも深刻なことになっているはずだが、俺が行動を起こしてどうにかなるわけではないので口には出さないでおこう。
触らぬ神に祟り無しだ。……もう手遅れのような気もするけど。
「……アカツキさん、どうかしましたか?」
「いや、ちょっと頭痛がね? 俺ってばデリケートなメンタルしてるからよくこうなるんだよ」
「……どの口でそんなことが言えるのか、私はその神経を疑いますよ。とにかく私が知ってるのはここまでです。これ以上の情報は伝えられてませんし、知っていたとしても話すことは出来ません。……意味は分かりますね?」
「ああ。教えてくれてありがとうな、リード」
「……私とアカツキさんの仲ですから、構いませんよ」
あれ、お前そんなこと言うキャラだっけ?
少し前に見せたバーサークっぷりはどこに行ったの?
猫耳を揺らしながらテーブルを指で叩いて微笑むとかちょっと可愛いじゃないか。
くそぅ、不覚にも萌えてしまった。
「ところでこんな事態になってるわけだけど、あの館長はまだ出張から戻ってきてないのか?」
「……一応、連絡をしたら三日ほど前に帰ってきましたよ。ですが、『いいかい? この稀覯本は僕が調達してきた物なんだから勝手に触らないようにね! あと野暮用が出来たからこれからすぐに出掛けちゃうけど、また留守番頼んだよ! ぐふふ、帰ってきたら早速アレを使ってアーンなことやこんなことを…………ふへへへ、えへへへへへへ……!』と言って立ち去っていきました」
「何してんのアイツ」
「み、見かけたことはありませんが、なかなか個性的な方なのですね、館長さん」
「アレを個性的の一言で済ませられたら、職員も過労で倒れるほど苦労はしないだろうけどな」
「……そういえば、アカツキさんに館長から伝言を頼まれてたような気が……?」
「…………はあ? あの変態が、わざわざ俺に?」
「……ええと、確か……」
リードは思い出そうと腕を組み、首を傾げて。
そして、一息。抑揚を抑えた声音で。
『“邪悪の金と破邪の銀”。対極を為す二つの叡智に気をつけろ』
「──金と銀? 対極の叡智? 何だそれ。新しいナゾナゾか?」
「……さあ? 私はとにかくアカツキさんに伝えるようにと言われただけですので、詳しいことは何とも」
「ふぅん……。分かった、後で心当たりがないか思い出してみる」
「……是非そうしてください。癪ですが、館長が意味の無い伝言を言ったことは今までありませんから、必ずアカツキさんの力になるはずです。……良い方向に転ぶかは分かりませんが」
「保証はないの?」
「ないです」
こいつ、普段は一拍置いてから話すくせに、今回に限って即答しやがった。
「……まあ、どんなことになるかはアカツキさん次第ということで。そろそろお帰りになった方が良いと思いますよ? あまり暗い時間に出歩くと、警戒態勢中の自警団と鉢合わせることになるかもしれません。知らないと思いますが、自警団は補導してからの拘束が長いので無駄に時間を浪費する羽目になりますよ」
「うわっ、それは確かに面倒だな」
「では早々に片付けて帰りましょうか」
使っていたコップをトレイに乗せて、シノノメは給湯室に歩いて行った。
俺も手伝うか。そう思って後をついていこうとすると、右手をリードに掴まれた。
「どうした?」
「……いえ、シノノメさんの居ない今だからこそ言っておこうかと」
「まだ言ってないことがあったのか? ってか、なんで放課後の教室に残されたヒロインと主人公の場面みたいことになってんだよ。このまま熱く青い恋愛が始まっちゃいそうな感じなの?」
「……なるほど。すると、この状況では私が主人公、クロトさんがヒロインということになりますね」
「なんで俺がヒロイン役だよ、ふざけんな! で、言いたいことってなんだよ?」
いつになく真面目な顔をしたリードは、手を引いて身体を押し付けてくる。
おっと、平均以上はあるお胸に腕が触れてますけど。俺はもうちょっと力強く引かれてもいいと思っていますが?
「……率直に訊ねますが、シノノメさんとは一体どのようなご関係で?」
「どうもこうも、ただの仲の良いクラスメイトだよ。それ以上でもそれ以下でもないって」
「……そうですか…………そう、ですか」
事実を伝えると猫耳を嬉しそうに揺らしながら、そしてどこかほっとした様子で胸を撫で下ろし、リードは手を離した。
どうしてこいつは今になって可愛らしい表情を取るようになったのか。そんな疑問を抱きながら、片付けが終わったシノノメと共に図書館を出た。
「──それではクロトさん、シノノメさん。お二人とも、気を付けて帰ってくださいね」
「おう。お前も休める時はちゃんとしっかり休めよ?」
「読みたい本があったら借りに来ますので、その時はよろしくお願いしますね?」
見送りに来てくれたリードに手を振り、学園の方向に歩き出す。
程なくして舗装された道路に設置された結晶灯が、茜色の空に淡い燐光を放ち始めた。
うぅむ、何度見ても幻想的だな。点灯してから数分で消えそうになるウチのボロ結晶灯とは大違いだ。
「今日はいろんなとこ歩き回ったから疲れたなあ……。シノノメは大丈夫? 足とか痛くなってない?」
「心配無用です。これでも鍛えてますから」
人気の無い道路を並んで歩くシノノメは小さくガッツポーズをとる。可愛い。
それからしばらく無言のまま歩き、待ち合わせ場所だった時計の下を通り過ぎようとして。
「それじゃ俺、こっちに家があるから、今日はここで解散ということで」
「アカツキさん」
制服の袖を掴まれ、呼び止められた。
あらやだ、なんだか既視感を覚えるわ。
具体的に言うと、つい数十分くらい前に同じようなことをされた気がする。
「どうした?」
「その、色々あって渡しそびれた物がありまして……。こんな時間になってしまいましたが、これを」
そう言って差し出したのは、質素な装飾が施された紙袋だった。
手渡されたそれは確かな重量感があり、揺らすと微かに金属同士の擦れる音がする。
紙袋を縛っているリボンの解き、中身を掌に乗せたそれは、
「これって……」
アクセサリー用の金具に紐を通し、アメジストをはめ込んだペンダントだった。
「その……クロトさんにはこの間の攻略で迷惑を掛けしましたし、よく無茶をされるので、気休めではありますが、お守りを、と……」
段々と尻すぼみになっていくシノノメの前で、そのペンダントを身に着ける。
結晶灯の光を一巡させる宝石を眺め、初めての女子からのプレゼントということで緩んだ頬を戻さず。
「──ありがとう、カグヤ。大切にするよ」
「っ……! はい!」
今日一番の華やかな笑顔を浮かべるカグヤに、俺は今、猛烈に幸せを実感している。
今まで生きてきて、こんなにも精神が菩薩な女子と交友を深めたことがあっただろうか。
女子の罰ゲームで玩具のように弄ばれていた俺が、この世界に来てからはエルフの美人教師、小悪魔美女系の学園長、清楚な黒髪美少女の同級生、猫耳眼鏡のブックマスター、小動物系の可愛い妹系少女と親しい関係を持っているなんて。
確実に、俺の人生に何か変化が起きている。
これは来てるのでは? もしや都市伝説としか思ってなかった『モテ期』が到来しているのでは? 最高かよ。
しかし残念なのは、そんな女性達との間に恋が芽生えるとは思えないことくらいか……とはいえ、このまま何事もなく終われば気持ちの良い一日になりそうだ。
その後はお互いどことなく恥ずかしくなって、また無言のまま歩き、カグヤを女子寮まで見送った。
後は我が家であるボロ小屋にいざ帰ろうと振り向いた──その時。
「あらあら、お二人は随分と親密な関係なのですね。ええ、それでこそ私のライバルというものですわ、シノノメ・カグヤ。それと──アカツキ・クロト」
うん、どうせ何か起きるんじゃないかと思ってたんだ。
だけど、もう少しくらい余韻に浸らせてくれてもいいじゃないか。
可愛い同級生と甘酸っぱい空間を展開してたのに、邪魔したのがまな板ドリルツインテールとか笑えないだろ。
儚く砕けてしまった幻想を吐き出すように溜め息をつくと、いつの間にか目の前に仁王立ちで佇む少女──迷彩色の服で身を包んでいる──は俺を一瞥し、鼻で笑った。
「今日一日、あなた方の後をついていましたが……まさか、私服さえ用意出来ないほど困窮した生活を送っているとは思いませんでしたわ」
「お前に借金を背負うこの身の苦労を理解する機会なんて、一生無いだろうな。……で、わざわざストーキングしてまで何の用だよ、ルナ」
「ストーキングではありません。ライバルの情報をより詳しく調査する為の優秀な手段と言ってほしいですわね」
行動も言葉も何もかもが犯罪なのにインテリな雰囲気を醸し出すルナは、貴族のように高らかと笑う。
あまり言いたくはないけど、もしかして他のエルフも基本こんなのばかりなのか?
今までずっとミィナ先生としか関わってないから感覚がマヒしてるな。
「……実はギルドにて耳寄りな噂を耳にしましてね? なんでもニルヴァーナの地下に新しいダンジョンが発見されたそうで、調査に向かう人員を募集しています。参加した方には多額の報酬が支払われるとの事。毎日の日銭を稼ぐことすら困難である貴方にとって、まさにうってつけの情報でしたから? 良い機会ですし、伝えようと思っていたのです」
「俺を嫌ってる割にはそんなこと教えてくれんのか。何なのお前、ツンデレ?」
「私を負かした相手が毎日無様に水を啜るだけの生活を送っているなんて、見てるだけで心がいた……おほん、高貴な身である私の品性までも疑われてしまうではありませんか。それに……私はまだ敗者として貴方に何も言われていないのです」
「……そういや、決闘の時のペナルティ決定権、まだ使ってないな」
「ええ、そういう事です」
数週間前の決闘結果を覚えている記憶力の良さに驚けばいいのか、それとも数週間も負けた事実を根に持っている執念の強さに呆れたらよいのか。
どちらにせよ俺に対して当たりが強過ぎる。顔を歪めてまで嫌悪感を表現する必要はないだろう。
しかし、こちらとて借金地獄から抜け出したい気持ちはある。
この情報は有効に使うべきだろう。
さらに新ダンジョンとなれば話題性は十分。新モンスターの情報に新素材などが発見されれば、高額のレートで売れるはずだ。
何より見習い鍛冶師として、どんな素材が見つかるのかは気になる所。
ならば──。
「まあ、貴方がどうなろうと私の知ったことではありませんが、負債を無くす為に多少の労力を割いても良いと思ったのですよ。男など対話するにも値しないのですが、今回は力をお貸ししましょう」
「分かった。だったら明日、そのダンジョンの攻略に行くから手伝ってくれ。攻略メンバーは誰でもいいけど、数人連れてきてくれよ。俺も手伝ってくれそうな奴に声を掛けておくから」
「…………」
「おい、なんでそこで黙る? まさかお前、友達がいない訳じゃ……」
「い、いますから! 貴方に言われずとも、少し声を掛けるだけで集まってくれる人くらいいます! ……たぶん」
俯いて震えた声を発するルナに、明日への不安を覚えた。
本当に大丈夫だろうか……。
『世の中、何が起こるか分かったもんじゃない。急に車にはねられてぽっくり逝っちまうかもしれないし、ロクでもない詐欺にあったりしちまうかもしれん。……じゃが、それさえも楽しんでしまおうと思えば、余生も案外、楽しめるかもしれんのう』
人生の大先輩だったお婆ちゃんは、俺に大切なことをたくさん教えてくれた。
スーパーのタイムセールで荒れ狂う主婦達から獲物を掠め取り、レジに到達するまでどう生き残るかを。
縁側でお茶菓子を食べながらゆっくりとお茶を飲む時間が、どれだけ穏やかなことであるかを。
……だが、そんな博識で余裕のあるおばあちゃんでも、教えてもらえなかったことがある。
それは──、
「私の知ってる料理だけで作ってみましたが、どうですか?」
「美味……! 非常に美味ッ……!」
『キュイ!』
それは同年代の少女と一緒に、手作り弁当を食べるということ!
偉大なるおばあちゃんでも、年には勝てないのだ。
しかし、まさか異世界でまた和食を食べられるとは思わなかった。
学園食堂のメニューに『日輪の国風日替わり定食』があったので、まさか和食では!? と思っていたが、ここまでとは……。
特にだし巻き卵は絶妙な柔らかさとほんのり甘めな味付けがされていて、止めようにも箸が止まらない。
ソラもだし巻き卵を両手で持って、もぐもぐと頬張っている。
「シノノメって料理得意なんだねぇ……。普段から料理してるの?」
「休みの日や時間がある時はやってますよ。それに週に一回、寮の食堂に人を集めて食事会を開いたりしてます」
「へー、なんか意外だな。女子寮ってどこかギスギスしてたり、ドロドロしてる雰囲気があると思ってたんだけど、楽しそうでいいなぁ」
俺なんて夜は一人だし、ご飯は砂糖と塩と水で済ませてるし、余った時間は爆薬の精製とかルーンエンチャントの練習に費やしてるのに。
「そういう空気になったことはありませんし、実際楽しいですよ。もしよろしければ、アカツキさんも参加します?」
「女子集団の中に、ポツンと男一人だけとか胃が痛くなりそうだから遠慮しとく。それ以前に女子寮って男子禁制でしょ? この短期間で何度も職員会議の議題に上がるのは勘弁したい」
「……ふふっ。分かってますよ、冗談です」
『キュフ』
一足早く食べ終えたソラは満足そうに鳴いて、ふわふわと浮かんで俺の胸元に潜り込む。
ソラの行動を横目で追っていたシノノメは、どこか懐かしむような表情になると。
「──元々、小さい頃から料理には興味があって、実家のお手伝いさんや板前さんから教えてもらってました。信じられないと思いますけど、初めて包丁を握った時は手が震えてしまって、まともに食材を切ることもできなかったんですよ? 指を切るなんていつものことでしたし、泣いてしまうこともありました」
ですが、と付け加えて。
「初めて作った料理を食べて、“美味しい”と言ってくれた人がいたんです。不恰好で形は歪だったのに、美味しいと。それが嬉しかった……」
……その気持ちはよく分かる。
俺が料理を始めたきっかけはシノノメとは違うけど、やっぱり誰かに美味いって言ってもらえるのは嬉しいんだよね。
あー、俺も家にキッチン欲しいな。食材も調理器具も無いけど。
あ、水はあるか。
「……なんだか、しんみりさせちゃいましたね」
「いや、そんなことはないよ。俺は学園で顔を合わせるシノノメのことしか知らないから、今日はシノノメの知らなかったことが分かって嬉しいよ」
「嬉しい、ですか?」
俺の言葉に、シノノメは目を見開く。
「学園では真面目でしっかりしてて、大人っぽいとか、綺麗だなって思ってたんだ。でも、今日は違った。シノノメの服装とか仕草とか、学園では気づけなかったことに気づけて、それがすごく可愛いなって分かったんだ。……意外と可愛い物が好きっていうのもね」
「そ、それはその……」
「誰がどう聞いても当たり前のことでさ、こんな話をしてもピンとこない人のほうが多いと思うけど……俺にとって、初めての友達だからさ」
「だから、私のことを知れてよかった……と?」
「うん」
頷いた俺に、シノノメは恥ずかしそうに頬を染めたまま俯いた。
家庭的な女の子の照れ顔、最高だと思います。
こんな可愛い女の子と一緒に休みを楽しんでるなんて、俺は幸せ者だと思う。
さらば、日本のむさ苦しい男友達。
俺はここで新しい出会いを求め、これからも楽しく生きていくだろう。──借金はあるけど。
……今もそうだが、最近はどんなことをしていても、借金を抱えている事実が徐々に心の余裕を無くそうとしてきている。
気の持ちようだとわかってはいるが、そろそろ心が折れそうなのかもしれない。
いつの間にか空になっていた弁当箱が俺の心を表しているように見えて、なんだか複雑な気持ちになる。
…………なんで美味しいご飯を食べてるのに、こんなネガティブな思考になるんだ。
「「ごちそうさまでした」」
シノノメが食べ終わるのを待って、二人で手を合わせる。
久しぶりに栄養価の高い食事を摂ることが出来た。
これに関しては、心から感謝しないといけないな。
「シノノメ、今日はお弁当作ってくれてありがとう。おかげで元気が湧いてきたような気がするよ」
「それはよかったです。……あっ、頬にご飯粒がついてますよ?」
「えっ、どこ?」
「ほら、ここに」
指摘され、拭おうとしたが、横からすらりとした白い手が伸びてきて、頬を撫でる。
突然のことで身体が固まった。そんな俺にシノノメは気にする素振りも見せず、ただ意地の悪そうな笑みを浮かべて、
「取れましたよ」
「あ、ああ、ありがとう」
指先に付いた米粒を口に入れた。
……ナニコレ。すっごい恥ずかしい。
通行人の方々が戦慄したような目で俺達を見て、顔を赤くして小走りに去っていった。
これはさっきの俺に対するシノノメなりの悪戯なのだろうか。
確かに人前でこんなカップルみたいなことをされるのは、精神的にキツイものがある。
けど、そんなことやって自爆してたら意味無いよね?
顔、赤いよ。
「……大丈夫? 風邪ひいた人みたいな顔になってるけど」
「べ、別に恥ずかしくなったわけじゃありませんからね? おお、落ち着いたのでしたら、次の場所に行きましょう!」
言い訳するように捲し立て、勢いよく立ち上がり、シノノメは俺の手を取って歩き出す。
なんだか微妙な空気の中、元気にはしゃいでいたソラの声だけが耳に残っていた。
公園を出て数時間が経った。
歩き回って気づいたのだが、ニルヴァーナの主要な施設以外──魔力結晶のみを扱う店や親方の鍛冶屋など──は大通りから枝分かれするように広がっていて、そこからさらに入り組んだ道の先にあったりする。
シノノメが先行してくれているからこそ迷わずに済んでいるが、これが一人になったら迷子になるのは確実だろう。
後で地図を確認しながら、一人で歩く必要がありそうだ。
そして、今。
金銭的な意味でもお世話になった図書館の前に、俺とシノノメは立っていた。
「──このように、ニルヴァーナの至る所に抜け道がありますから、急ぎの用事がある時は覚えておくと便利ですよ」
「確かに商店街の脇道を通ってこの道に出れば、図書館まで行けるってのは助かるな、学園も近いし。シノノメもよく使うのか?」
「商店街の週末タイムセールが学園の下校時間と重なっているので、間に合わない時は使ってますね。……それで、どうしてここに?」
いつもの調子を取り戻したシノノメは図書館の中から鬼の形相で走り去っていく自警団の一人を見送り、不思議そうに首を傾げる。
さっきの人、きっと最奥区画を調査してたんだろうなぁ……。
あそこでの出来事が彼のトラウマにならないことを祈りつつ、俺は開いたままの扉に手を掛ける。
「何日か前に図書館に不法侵入して、本を盗んだ奴がいた、ってのはシノノメも知ってる?」
「はい。確か……自警団の調査が入るということで、学園に図書館関連の依頼が貼られなくなりましたよね」
「そうそう。俺も依頼で最奥区画に行ったことがあるから興味はあるし、何よりどういう本が盗まれたのか気になってたんだ」
『キュイキュイ!』
「ソラ、ちょっと静かにしてくれ」
空中を移動する本を初めて見た為か、胸元でペチペチと手を叩いてはしゃぐソラを大人しくさせる。
そうしながらいつもより混雑した円形のカウンターに着くと、自警団と話をしていたリードがこちらに気づいた。
手を振ると、いつもの眠そうな顔を二倍以上眠そうにした顔で近寄ってきて、
「……そぉい」
「だわらぁ!?」
その姿からは考えられないほど俊敏に動いたかと思うと、風を切る鋭い右ストレートが眼前に飛び込んできた。
完全に油断していたが、なんとか受け流すことに成功、ってかコイツいきなり何しやがる!
「……クロトさんじゃないですかあ。どうしてここに…………そういえば、犯人はよく現場に戻ると言いますよねぇ?」
「会って早々暴力で次に言うことがそれか? お前、盗難にあってから執拗に俺を犯人に仕立て上げようとしてるよな、わざわざ連絡まで寄越してくるし。失礼なこと言ってんじゃないよ、っていうかお前もう何日も寝てないんだろ。呂律おかしいって何だよ身構えるな近寄るなその手に持つ物は何!?」
「……自警団から支給された特殊合金製の手錠。生半可な力で壊せると思わないことです」
「それ知ってる、知ってるよ。冒険者のスキルとか魔力とか身体能力を封印するルーン加工が施された、民間人にとってはとても危ない代物だって」
「……学生ではありますが、冒険者であることに変わりはないですからねぇ」
目の据わったリードがじりじりと距離を詰めてくる。
アカン、コイツやる気だ。
「……別に犯人じゃなくたってもいいんですよ、誰でもいいんですからぁ。だから、大人しく捕まってくださいよぉ……!」
「問題発言してんじゃねえよ! って、ちょっと待て、待て! おいっ、図書館来て数分しか経ってないのに濡れ衣で牢屋にぶち込まれるのは勘弁だって! ちょ、お前っ、目がマジ過ぎ……来るな、こっち来……いやあああああああああっ! 助けてシノノメェッ!!」
「何をやってるんですか……」
為す術もなく押し倒された俺を、心底呆れた様子でシノノメは見下ろしていた。
「……すみません。ちょっと気が動転してました」
「ちょっとどころじゃなかったんですけど」
「まあまあ。リードさんもこうして謝ってますから、そろそろ許してあげましょう?」
正気を取り戻したリードに給湯室まで連れて来られた。
道中の職員や自警団の視線が痛いほど刺さってきたが、気にすることでもないだろう。
俺は謝罪の意味を込めて目の前で正座するリードを見下ろし、シノノメは電気ポットな見た目の魔道具を使ってお茶の準備をしていた。
「……はあ、分かったよ。リード、もういいよ。ほら、立って立って」
「……はい」
お茶を淹れたシノノメと俺、正座で足が痺れたのか、覚束ない足取りで歩くリードをテーブルの向かい側に挟んで座る。
テーブルの上のカゴに入ったクッキーを口に放り、お茶を啜る。
「早速で悪いけど、聞きたいことがあるんだが……ってか、聞いてもいいのか? こっちは完璧に無関係なシノノメもいるし、図書館側として守秘義務があるんなら、無理に言う必要も無いんだけど」
「……いえ、大丈夫です。クロトさんも知っておいたほうが良いと思いますから。……ええと、シノノメさんもよろしいですか?」
「私も構いませんよ」
「……そうですか」
お茶を静かに飲んでいたシノノメは優しく微笑む。
……なんだろう、厄介事に首を突っ込ませてるみたいで罪悪感が半端じゃない。
心臓が絞られたような錯覚を感じていると、リードは周りをキョロキョロと確認して。
「……まず最初に言っておきますが、盗まれた本は最奥区画に保管していた本だけです。問題は、なぜ最奥区画の本が狙われたのか、です」
「だよなぁ。あんなモンスターと呪いだらけの所に盗みに行くなんて、物好きな変態ぐらいしかいないだろうし」
「……盗まれた本の名前も分かりますし、自警団の調査のおかげでどんな人物が盗んだのか、特徴の目星は付いてます」
盗まれてから数日しか経ってないのに凄いな。フィクションの警察より優秀じゃないか、自警団。
「その特徴というのは?」
「……足跡などの痕跡から考えるに男性で、その大きさから大柄な体格であり、単独犯。漂っていた魔力の残滓から土属性魔法の使い手であることが判明したぐらいですかね」
本当に優秀だな!
「もうそこまで分かるんだったら犯人も特定出来るんじゃないのか?」
「……だったら楽でしたよ。私も、自警団も」
「何かあったんですか?」
シノノメの問い掛けに、リードは困ったような顔でクッキーを口に放り込み、お茶で流す。
「……盗まれた場所から多数の魔力反応が検出されたんです」
「別に珍しいことじゃないだろ? モンスターブックの巣窟なんだから」
「……クロトさんの言う通り、魔力反応はモンスターブックの物です。恐らく犯人と戦闘になり、魔法を使ったのでしょう」
「でしたら、どうして犯人の適性属性が分かったのですか?」
「……なぜ断定したのかは、自警団の調査で一番反応が多かった人間寄りの魔力で、それが土属性だったからです。いえ、問題はそこではありません。……盗難にあってからというもの、モンスターブックの大半が最奥区画からいなくなっていました。いや、消え去っていた、という表現の方が適切かもしれません」
「──まさかモンスターブックまで盗まれたっていうのか?」
確かに最奥区画は結界装置が無いからセキュリティはザルだ。やろうと思えば盗みに入ることは出来るだろう。
だが、あそこから膨大な量の書物、しかもモンスターブックを運ぶとなると話は別だ。
しかも最近はモンスターブック対策として、区画ごとに個人の魔法による障壁を展開しており、魔力結晶を利用して疑似的な結界装置としていたらしい。その結界は人を通すが、モンスターを弾くように設定してあるので、モンスターブックを持ったままでは結界を通ることは出来ないそうだ。
結界を解除しようにも、その権限と方法は館長しか知らないし、発動元の魔法陣を見つけて破壊しようにもその場所は絶対にバレないように隠されている。
ならば、一体どうやって盗み出したのか。
「……それと関連しているかもしれませんが、私とクロトさんが最後に点検した場所の本が数冊盗まれていました」
「あそこから? でもあそこに置いてあったヤツなんて、訳分からん酒の醸造の仕方とかしょうもない物しかなかっただろ」
「……まさに盗まれたのが、その『黄金の蜂蜜酒』醸造過程書です。他にもエルフの秘儀や魔力触媒を利用した魔法陣の描き方など。所謂、世に出してはならない禁書の類が抜き出されていました」
「禁書、ですか……」
厄ネタばかりで吐きそう。
「……あの系統の本は一部のマニアの間では高値で取引されますが、この図書館から盗んだ以上、どこかのオークションで売り払っても足が付くのは間違いないです」
「だろうな。しかも最奥区画のことを知っていて尚且つ侵入出来るってことは、十中八九、犯人はニルヴァーナに長く住んでいる人物……自警団もそこまでは考えてるんだろ?」
リードは眠そうに揺れながら、軽く頷いて肯定の意を示した。
俺は額に手を添えて、テーブルに肘を置く。
推理は得意分野ではないし、そもそも頭の出来も良くはない。
しかし暇な時は、よく小学生探偵マンガとバリツが得意な紳士が主人公の小説を読み漁っていた。
多少は脳のシワも増えて柔らかくなっているのだから、何か思いつくはずだ。この事件に関する、重要な繋がりを。
消えたモンスターブックと盗まれた禁書。
犯人はリードと同じ呪いを弾く力か、それとも別種の力を持っているのか。
考えろ、考えろ。
必ずどこかに繋がりがあるはずだ。
魔法陣、呪い、酒の醸造…………酒?
そういえば黄金の蜂蜜酒は本来の用途だと、邪神かその使徒だったかを召喚する為に必要な要素のはずだ。
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だが、もしその劇薬に耐えられる人間が盗み、醸造し、飲用していたとすれば……?
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既に盗難から数日が過ぎている今、もしかしたら犯人がどこかで触媒を用いた魔法陣を描いていてもおかしくない状況という事になる。
その正体や犯人の目的が何であれ、もしニルヴァーナや市民に危害が及ぶようなものであれば、起動の鍵を持つ犯人が確保の間際に自棄になって発動させる可能性も十分に有り得るだろう。
ならば自警団が容易に確保へ踏み込めないのも理解出来る。
こんな陳腐な推測だが、なかなか理に適っているのではないだろうか。
──もっとも、推測通りなら事態は想像しているよりも深刻なことになっているはずだが、俺が行動を起こしてどうにかなるわけではないので口には出さないでおこう。
触らぬ神に祟り無しだ。……もう手遅れのような気もするけど。
「……アカツキさん、どうかしましたか?」
「いや、ちょっと頭痛がね? 俺ってばデリケートなメンタルしてるからよくこうなるんだよ」
「……どの口でそんなことが言えるのか、私はその神経を疑いますよ。とにかく私が知ってるのはここまでです。これ以上の情報は伝えられてませんし、知っていたとしても話すことは出来ません。……意味は分かりますね?」
「ああ。教えてくれてありがとうな、リード」
「……私とアカツキさんの仲ですから、構いませんよ」
あれ、お前そんなこと言うキャラだっけ?
少し前に見せたバーサークっぷりはどこに行ったの?
猫耳を揺らしながらテーブルを指で叩いて微笑むとかちょっと可愛いじゃないか。
くそぅ、不覚にも萌えてしまった。
「ところでこんな事態になってるわけだけど、あの館長はまだ出張から戻ってきてないのか?」
「……一応、連絡をしたら三日ほど前に帰ってきましたよ。ですが、『いいかい? この稀覯本は僕が調達してきた物なんだから勝手に触らないようにね! あと野暮用が出来たからこれからすぐに出掛けちゃうけど、また留守番頼んだよ! ぐふふ、帰ってきたら早速アレを使ってアーンなことやこんなことを…………ふへへへ、えへへへへへへ……!』と言って立ち去っていきました」
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「み、見かけたことはありませんが、なかなか個性的な方なのですね、館長さん」
「アレを個性的の一言で済ませられたら、職員も過労で倒れるほど苦労はしないだろうけどな」
「……そういえば、アカツキさんに館長から伝言を頼まれてたような気が……?」
「…………はあ? あの変態が、わざわざ俺に?」
「……ええと、確か……」
リードは思い出そうと腕を組み、首を傾げて。
そして、一息。抑揚を抑えた声音で。
『“邪悪の金と破邪の銀”。対極を為す二つの叡智に気をつけろ』
「──金と銀? 対極の叡智? 何だそれ。新しいナゾナゾか?」
「……さあ? 私はとにかくアカツキさんに伝えるようにと言われただけですので、詳しいことは何とも」
「ふぅん……。分かった、後で心当たりがないか思い出してみる」
「……是非そうしてください。癪ですが、館長が意味の無い伝言を言ったことは今までありませんから、必ずアカツキさんの力になるはずです。……良い方向に転ぶかは分かりませんが」
「保証はないの?」
「ないです」
こいつ、普段は一拍置いてから話すくせに、今回に限って即答しやがった。
「……まあ、どんなことになるかはアカツキさん次第ということで。そろそろお帰りになった方が良いと思いますよ? あまり暗い時間に出歩くと、警戒態勢中の自警団と鉢合わせることになるかもしれません。知らないと思いますが、自警団は補導してからの拘束が長いので無駄に時間を浪費する羽目になりますよ」
「うわっ、それは確かに面倒だな」
「では早々に片付けて帰りましょうか」
使っていたコップをトレイに乗せて、シノノメは給湯室に歩いて行った。
俺も手伝うか。そう思って後をついていこうとすると、右手をリードに掴まれた。
「どうした?」
「……いえ、シノノメさんの居ない今だからこそ言っておこうかと」
「まだ言ってないことがあったのか? ってか、なんで放課後の教室に残されたヒロインと主人公の場面みたいことになってんだよ。このまま熱く青い恋愛が始まっちゃいそうな感じなの?」
「……なるほど。すると、この状況では私が主人公、クロトさんがヒロインということになりますね」
「なんで俺がヒロイン役だよ、ふざけんな! で、言いたいことってなんだよ?」
いつになく真面目な顔をしたリードは、手を引いて身体を押し付けてくる。
おっと、平均以上はあるお胸に腕が触れてますけど。俺はもうちょっと力強く引かれてもいいと思っていますが?
「……率直に訊ねますが、シノノメさんとは一体どのようなご関係で?」
「どうもこうも、ただの仲の良いクラスメイトだよ。それ以上でもそれ以下でもないって」
「……そうですか…………そう、ですか」
事実を伝えると猫耳を嬉しそうに揺らしながら、そしてどこかほっとした様子で胸を撫で下ろし、リードは手を離した。
どうしてこいつは今になって可愛らしい表情を取るようになったのか。そんな疑問を抱きながら、片付けが終わったシノノメと共に図書館を出た。
「──それではクロトさん、シノノメさん。お二人とも、気を付けて帰ってくださいね」
「おう。お前も休める時はちゃんとしっかり休めよ?」
「読みたい本があったら借りに来ますので、その時はよろしくお願いしますね?」
見送りに来てくれたリードに手を振り、学園の方向に歩き出す。
程なくして舗装された道路に設置された結晶灯が、茜色の空に淡い燐光を放ち始めた。
うぅむ、何度見ても幻想的だな。点灯してから数分で消えそうになるウチのボロ結晶灯とは大違いだ。
「今日はいろんなとこ歩き回ったから疲れたなあ……。シノノメは大丈夫? 足とか痛くなってない?」
「心配無用です。これでも鍛えてますから」
人気の無い道路を並んで歩くシノノメは小さくガッツポーズをとる。可愛い。
それからしばらく無言のまま歩き、待ち合わせ場所だった時計の下を通り過ぎようとして。
「それじゃ俺、こっちに家があるから、今日はここで解散ということで」
「アカツキさん」
制服の袖を掴まれ、呼び止められた。
あらやだ、なんだか既視感を覚えるわ。
具体的に言うと、つい数十分くらい前に同じようなことをされた気がする。
「どうした?」
「その、色々あって渡しそびれた物がありまして……。こんな時間になってしまいましたが、これを」
そう言って差し出したのは、質素な装飾が施された紙袋だった。
手渡されたそれは確かな重量感があり、揺らすと微かに金属同士の擦れる音がする。
紙袋を縛っているリボンの解き、中身を掌に乗せたそれは、
「これって……」
アクセサリー用の金具に紐を通し、アメジストをはめ込んだペンダントだった。
「その……クロトさんにはこの間の攻略で迷惑を掛けしましたし、よく無茶をされるので、気休めではありますが、お守りを、と……」
段々と尻すぼみになっていくシノノメの前で、そのペンダントを身に着ける。
結晶灯の光を一巡させる宝石を眺め、初めての女子からのプレゼントということで緩んだ頬を戻さず。
「──ありがとう、カグヤ。大切にするよ」
「っ……! はい!」
今日一番の華やかな笑顔を浮かべるカグヤに、俺は今、猛烈に幸せを実感している。
今まで生きてきて、こんなにも精神が菩薩な女子と交友を深めたことがあっただろうか。
女子の罰ゲームで玩具のように弄ばれていた俺が、この世界に来てからはエルフの美人教師、小悪魔美女系の学園長、清楚な黒髪美少女の同級生、猫耳眼鏡のブックマスター、小動物系の可愛い妹系少女と親しい関係を持っているなんて。
確実に、俺の人生に何か変化が起きている。
これは来てるのでは? もしや都市伝説としか思ってなかった『モテ期』が到来しているのでは? 最高かよ。
しかし残念なのは、そんな女性達との間に恋が芽生えるとは思えないことくらいか……とはいえ、このまま何事もなく終われば気持ちの良い一日になりそうだ。
その後はお互いどことなく恥ずかしくなって、また無言のまま歩き、カグヤを女子寮まで見送った。
後は我が家であるボロ小屋にいざ帰ろうと振り向いた──その時。
「あらあら、お二人は随分と親密な関係なのですね。ええ、それでこそ私のライバルというものですわ、シノノメ・カグヤ。それと──アカツキ・クロト」
うん、どうせ何か起きるんじゃないかと思ってたんだ。
だけど、もう少しくらい余韻に浸らせてくれてもいいじゃないか。
可愛い同級生と甘酸っぱい空間を展開してたのに、邪魔したのがまな板ドリルツインテールとか笑えないだろ。
儚く砕けてしまった幻想を吐き出すように溜め息をつくと、いつの間にか目の前に仁王立ちで佇む少女──迷彩色の服で身を包んでいる──は俺を一瞥し、鼻で笑った。
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「……そういや、決闘の時のペナルティ決定権、まだ使ってないな」
「ええ、そういう事です」
数週間前の決闘結果を覚えている記憶力の良さに驚けばいいのか、それとも数週間も負けた事実を根に持っている執念の強さに呆れたらよいのか。
どちらにせよ俺に対して当たりが強過ぎる。顔を歪めてまで嫌悪感を表現する必要はないだろう。
しかし、こちらとて借金地獄から抜け出したい気持ちはある。
この情報は有効に使うべきだろう。
さらに新ダンジョンとなれば話題性は十分。新モンスターの情報に新素材などが発見されれば、高額のレートで売れるはずだ。
何より見習い鍛冶師として、どんな素材が見つかるのかは気になる所。
ならば──。
「まあ、貴方がどうなろうと私の知ったことではありませんが、負債を無くす為に多少の労力を割いても良いと思ったのですよ。男など対話するにも値しないのですが、今回は力をお貸ししましょう」
「分かった。だったら明日、そのダンジョンの攻略に行くから手伝ってくれ。攻略メンバーは誰でもいいけど、数人連れてきてくれよ。俺も手伝ってくれそうな奴に声を掛けておくから」
「…………」
「おい、なんでそこで黙る? まさかお前、友達がいない訳じゃ……」
「い、いますから! 貴方に言われずとも、少し声を掛けるだけで集まってくれる人くらいいます! ……たぶん」
俯いて震えた声を発するルナに、明日への不安を覚えた。
本当に大丈夫だろうか……。
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