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【二ノ章】人助けは趣味である
第十四話 身近な新発見
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「……ふーむ」
物置小屋のような外見である我が家の一室。
簡素なベッド、簡素な勉強机、簡素な丸いテーブルが置かれた質素な部屋で。
淡い燐光を放つ結晶灯が照らす古ぼけた本の表紙を眺め、掠れた文字をなぞる。
物は時代の流れと共に劣化していくものだが、持ってきたほとんどの本が、その例に逆らうことなく見事ボロボロになっていた。
開けば古本特有のにおいが鼻につき、色褪せたページが目に映る。
長年の歴史が綴られた書物は、細部が擦れて消えているなど目に余るものがあるが、かろうじて読める状態ではあった。
しかし、象形文字とくさび形文字の集合体みたいな文字の意味がよく分からない。
「そりゃそうだよね、時代が変われば使う文字だって変わるよねー……」
椅子の背もたれに背中を預け、時代の流れの悲しさに深くため息をつく。
もはや一種の解読文に変わり果てている文面を再度確認し、今日から徹夜かな、などと考える。
一応、解読術を習得しているので、熟考理解と併用すればある程度の文章は問題なく読めるだろう。
ただ一つ問題があるとすれば……。
「それを覚えきる記憶力があるかどうか、だな」
徹夜作業には慣れているが、こればっかりは手の付けようがない。
興味があることにしか働かないニートな脳みそに、過度な情報は厳禁だ。
「とりあえず読み進めていくか。歴史は一応得意教科だったし、なんとかなるだろ」
不安な部分もあるが、とにかく読んでみよう。
読んでも覚えられなかったらノートに写せばいい。
よーし、徹夜作業スタートだ!
「──で、結局睡魔に勝てず、もうここで作業したらいいんじゃね? みたいなこと考えて寝落ちしてきた、と。……単刀直入に言うけどバカじゃないの? ってかバカじゃないの?」
「あのイレーネに二回も言われた! すげぇショックなんですけど!」
「“あの”って付けないで! これでも世界で崇められてる立派な神様なんだからね!? クロトくんも少しは私を敬ってよ!」
「お前、信者に彫られたり描かれてる自分の木彫り像とか絵画とか見たことあんのか? 髪の色と瞳は変わってないけど、幼児体型じゃなくてボンッ、キュッ、ボンッのナイスバディになってるんだぞ? 実物がこんなちんちくりんなのに、随分とまあ誇張されて……って、や、やめろぉ! 俺何も悪くねぇだろ、そんな恨みがましい視線向けて噛みついてくるな!」
「貧相な体で悪かったわね! こちとら神様だから成長してもずっとこのままなのよ!? 私だっておっきくなろうと努力したのに、したのにぃ……!」
涙目で噛みついてくるイレーネを避けながら、俺は落ち着くようにと説得を試みる。
「落ち着け、とにかく落ち着け、さっさと落ち着け! そんな理由で争ったとしても後に残るのは虚しさだけだぞ!?」
「だからといって来るタイミングが最悪だったじゃないのおおおおお! うわあああああああああん!!」
「それについては悪かったってさっきも言ったろ!」
だって寝落ちして起きたら、なぜか示し合わせたように風呂からあがったばかりで、半裸になった状態の幼女が突っ立ってたなんて誰が想像できる!?
精神世界だとしても心臓に悪いわ!
かろうじて服を大急ぎで着たから良いものの、それですら結構ヒラヒラしてて危ないのに……!
「ううっ、クロトくんに見られたぁ……。コウトにすら見られたことないのに」
「いやいやいや、普通こんな場面に出会うことなんてそうそう無い……待てよ、父さんは母さんが呆れるほどの特級フラグ建築士だが、まさかイレーネにまでその毒牙が!?」
「なんか納得しかけてるみたいだけど違うわよ!? コウトはただのラッキースケベだったし、あの時はまだ恥じらいを持ってたからか、すぐに目を逸らしてくれてたもの」
道を歩く女性のボディラインを凝視して、聞いてもいないのに看破したスリーサイズを教えてくる父さんが恥じらいを持ってたってどういうことだ……?
父さんは元からあの性格じゃなかったのか!?
「意外だと思うかもしれないけど、コウトよりクロナの方が酷かったわ。ここに初めて来た時なんか、全裸を見られた上にここの特徴を利用されて、着せ替え人形にされたのよ……?」
「……」
悲痛な表情から連続で語られた衝撃の真実に、俺は無言で後ずさる。
母さんが俺の知る以上に変態だったとは。
どうりで俺が小さい時、女の子用の服を着せようとしてきたわけだ。
確かにスカートやらワンピースを持って近寄ってくる時は、なんか危ない目つきになってたような気がする。
その度に父さんがどこかへ連れてったっけ。
──あれっ、もしかして俺、幼少期かなり危険な目にあってないか?
思えばあの年頃の男子には必要のない、髪の結び方とかメイクの仕方をなぜか教えられた記憶がある。
まさか、母さんはろ、ロリ……いや、よそう。
俺の勝手な判断で母さんの印象を悪くしたくない。
「と、とりあえず一回クールダウンしよう。じゃないと余計疲れるハメになるから、な?」
「……うん」
「ほら、ここ座れ。濡れたままだと髪の毛痛めちゃうだろ? 乾かしてあげるから」
「…………うん」
相変わらず精神面が弱いイレーネを椅子に座らせ、濡れて鈍い銀色になった髪の毛をタオルで優しく拭いて水気を抜く。
身体は既に拭いていたとはいえ、髪の方までは手をつけておらず、濡れてからだいぶ時間が経っているため念入りにする。
イレーネは髪が長いので、手入れをちゃんとしないとすぐボサボサになってしまう。
しかも、ここは昼夜の概念がない。
なので、この女神の生活リズムが狂いに狂っており、ロクに寝ようともせず、死んだ魂の道案内などで連日徹夜をしている時がある。
その過酷なワーカーホリック生活が災いしてか、肌や頭髪のダメージが凄まじい。
本人は神だから問題ないと言っていたが、見た目は年頃の女の子の身だしなみ意識がそれってどうよ……? という心配が高まり、少しお節介ではあるが、ここに来る度にちょちょいと手入れをさせてもらっている。
髪は女の子の命だから、大切にしないとね。
タオルからドライヤーに変えて、地肌から乾かすように手櫛を差し込んでかき上げる。
「……くすぐったい」
「これくらい我慢しろよ、もうちょっとだから」
風を送り続けたおかげで、濡れ鼠だった銀髪はすっかり乾き、まばゆいばかりの光沢を放っていた。
少し手を加えるだけでこんなにも綺麗になるのに、本人が面倒くさがって手入れをしなかったら勿体ないよな。
これで最後はおかしな部分を櫛で整えれば終わりだ。
右に偏ってるのを修正して、全体的なバランスを考えて、絡まらないように梳いて……。
「よし、これなら変に寝癖がつくこともないぞ」
「ありがとう。けど、やっぱり髪の手入れって時間かかるわね。もういっそのこと断髪した方がいいのかしら」
「全世界のロングヘアーを愛する者への挑戦的な発言だな」
そんな暴挙をこの俺が許す訳がないだろう。
切ろうものなら連日ここに押しかけて、子守唄を眠るまで歌ってやるからな。
適当に生み出した椅子に座って防衛策を考えながら、現実では俺の下敷きになっているであろう本を想起させ、それを手にしながら。
「止めとけ、お前はそれが一番似合ってるよ」
「むぅ……、二人にも同じこと言われたのよね。そんなに似合ってる?」
「どうするかは本人の意思だけど、俺は長い方がいいと思うぞ。ショートでもロングでもいけるだろうが、イレーネは元が綺麗だからロングの方が見栄えがいいと思うし、別に髪を結ったりしてもいいわけだしな。もしあれだったら結い方、教えるぞ?」
俺の意見に、イレーネは少し照れくさそうに頬をさすりながら。
「……そ、それはまた今度で。それより、クロトくんは何読んでるの?」
「エルフに関する歴史がまとめられた書物……、なんだけど、残念なことに知りたい部分が掠れてて読めないんだよ。古代に統治していたエルフの王国、それにまつわる逸話や詳細とか」
ふーん、と。背伸びしながら横からひょこっと覗き込んでくるイレーネに見やすいように傾ける。
「でも、こんな文字がずうっと並んでるし、なんて書いてあるのかさっぱり分からなくてな。スキルを併用して筆跡鑑定しながら読んでも断片的な情報しか得られなくて……」
「あー、エルフの古代文字かあ。その辺の歴史はまだ解明されてないから教科書にも載ってないし、仕方ないよね」
いつの間にか俺の膝の上でくつろいでいたイレーネが、困り顔で見上げてきた。
……こいつ、寝なくていいのか?
「これ読んで何も分からなかったら後はもう強行手段を取るしかないな。……あれをやるとなると、胸が痛くなるけど」
「な、何をする気かは聞きたくないけど、その辺りの歴史なら直に見てるから、私が教えてあげるわよ?」
「…………あ、そっか。お前、神様だっけ?」
「あれ、もしかして私、神様だと思われてないの?」
その問いかけに黙っていると、神様が肩を掴んで揺さぶってきた。
しかし意外や意外、情報源がこんな近くにいたなんて。
まあ、自分の歳を忘れるくらい長生きなら、豊富な知識は持ってるか。
少し不機嫌になったイレーネを宥めて、情報を聞き出す。
「確か、クロトくんのいる学園──ニルヴァーナは昔から盛んだった魔法研究の名残りが影響しているから、元々は魔法を主体とした授業体系をとっていたのよ」
「魔法学の授業が割と多いのはそれが理由か。今じゃ冒険者の育成に戦闘やら錬金術やらも取り込んで、普通の学校と同じように常識的な知識も教えてるけど。……で、もっと詳しく頼む」
「えっと、さっきは魔法研究が盛んだとか言ったわよね。でも昔の時代には魔法適性なんてものは発見されていなかったから、魔法よりも一般的な技術となる前の技術が主流だった。……クロトくんも想像はついてるんじゃない?」
「まあ、大体は」
うん、と頷いて、イレーネは少し息を吸って。
「その技術は、魔術、と呼ばれていたわ。魔法よりも制約が多くて不便だけど、汎用性が高いから、国ではよく研究されていたのよ。……魔術はね、大気中を漂う魔素を構成している羅列したルーン文字を、魔力を用いることで意図的に並び替え、どんな人でも八属性やそれ以外のもの──いわば時や空間といった概念を操れるようになるっていうトンデモなの」
知識としてある魔術とは大分異なるが、それでも驚異的な技術であることに変わりはなかった。
凄まじいな、それ。適性外の魔力を行使したら、この間の俺みたいな惨状になるのに。
しかも時と空間か……なんかこう、胸が熱くなるワードが飛び出してきたな。
「……あれ? じゃあなんで今は魔術を教えてないんだ? そんなに便利なものなら役に立つと思うんだけど」
「元々、エルフは古来より高い魔力を保有して生まれるからなんともないけど……、消費魔力がバカみたいにでかいのよ。クロトくんなら初級魔術で一気に枯渇して倒れるわね」
そりゃダメだな、使い物にならんわ。
改めて自分の魔力の少なさに落胆していると。
「そういうデメリットを無くそうとさらに研究を重ね、ついに魔術適性とは系列の異なる潜在的な魔法適性を発見したの。それから後世に残る魔法技術は進化を続けるんだけど……、まあそれは置いといて。で、なぜそんな便利技術が後世に伝わっていないかというと──その魔術こそが、王国崩壊の原因だからなのよ」
とんでもない爆弾発言を聞かされた。
「……どういうこと?」
「さっきも言ったとおり、魔術は魔法と違って様々な概念を操れるのは分かるわよね? 一定量の魔力があれば、時、空間、重力、天候、呪いでさえも手足のように扱える。……人は誰でも、過ぎた力を持てば子供のように試そうとするのよ。たとえそれが、魔術でも許されない最大の禁忌だとしても」
「…………つまりなんだ、王国が滅んだのはマッドなヤツらが魔術を研究し尽くし、行き過ぎた成果を見せようと王国内で使用したが、それはなんか禁忌に触れるようなもので、制御しきれず暴走して王国を凄惨な状況へと追いやり、ついには滅ぼしてしまった、っていうことなのか?」
「簡単に言えば、そうなるかな。ちょっと補足するとすれば、少数の王族──ハイエルフはまだ生き残っていて、その血筋は途切れていないこと。その魔術の呪いは、とある人物により仮面へ封印されたこと。しかし、それでもなおこの世に存在し続けているということよ。自分の存在意義のために、本能の赴くままにね」
…………封印された、ね。
でも、呪いとやらはまだ消滅していないのか。
大勢の人を殺してまで、自分の存在を確かめる為に。
「もう嫌な予感しかしないが改めて聞きたい。……その魔術の禁忌ってのは、具体的になんなんだ?」
聞く必要はないのかもしれない。
けれど、知っておかなければならないと感じた。
問いかける俺を見て。
イレーネは苦虫を噛み潰したような顔で。
「……自分自身の身体や知識や魂、そのすべてを魔術によって変換し、自らの存在をそうでなければならないと信じ込ませ、対象としたものと一つになるために、有象無象を無差別に喰らって吸収する。エルフの歴史の中でも最悪と恐れられ、大地に破滅をもたらすモノよ」
──魔術の呪い、か。
踏み入れてはならない禁忌へと足を滑らせた者は、人ではなく異形なるモノとなり、理性を失い、一つになることだけを望む。
もしそんな魔術が普及していたらと思うと、背筋がぞっとする。
イレーネは禁忌に触れるような魔術の記録は王国と一緒に消滅したと言ってたから、危険な魔術を知る者はこの世に数えるほど──というか、長寿の種族くらいしか知らないそうだが……。
「──では、被告人の罪状を確認する。被告人アカツキ・クロトは、自分はモテない人間だと言いつつ依頼先において数々の女性と友好的な関係を築き、その者と食事に行くなどかなり積極的な対応をとっている姿が確認されました」
「なるほど。依頼の達成は建前で、本命は依頼主と親密な関係を持つため、か。……チッ」
そして、頭がアレなヤツがそれを使って、王国を滅ぼした。
それで何をしたかったのかなんて見当もつかない。
もし先生が王国崩壊から逃れた王族だとすれば、何か聞けるのかもしれないけど。
「昨日は学園ランキング上位者のルナ・ミクスとの決闘で言葉責めを駆使したえげつない戦い方を披露。この悪質な手口によりルナ・ミクスはアカツキ・クロトに対し、『正々堂々の精神を根っこの部分から変えなければならない』と対抗心を抱いた」
「あえてゲスな戦い方で決闘し、ライバル的存在として自分の価値を高めたというわけか。……チッ」
……地雷だよな、確実に。
嫌だなぁ、聞きたくないし言わせたくないし思い出させたくない。
でも男性恐怖症を克服させるには原因が何かを知り、細かく分析しないと。
「さらには学校での依頼では飽き足らず、ギルドに貼られる依頼にまで手を伸ばそうとしており、ギルド役員の女性と電話でよく語り合うなど幅広くうらやま……おっほん、憎たらしいコミュニティを築いています。これは、由々しき事態です! みなさん、こんなヤツを許せますか!?」
「許せん! 許せんぞおおおおおっ!」
「女性と歓談して過ごすなんて……、もう我慢ならん、八つ裂きにしてやる!」
「何か弁明してみろよ、納得できたらそれを遺言にしてやるぜ……!」
…………。
「では皆の衆、被告人の判決を言い渡そうではないか! さあ、ご一緒に!」
『有罪、有罪っ、有罪ィィイイイイイイイイッ!』
「うるせえええええええええええっ! 話があるとか言って人を簀巻きにして強制連行しやがって! 何されんのかと思ったら非モテ裁判実行だぁ!? そこになおれお前ら! 散々人を酷評しやがって、この屋上から叩き落としてやるッ!」
朝っぱらから騒がしい我がクラスの非モテ軍団に対し、俺は縛られていた縄を血のナイフで解いて突っ込んだ!
「いいか、お前ら。俺はこう見えてかーなーり忙しい人間だ。借金返済とか学費免除とか借金返済とか……。挙げれば挙げるほど、キリがないくらいな」
『……』
まずリーダー格をしばき倒して縛り上げ、それを人質に正座させた非モテ軍団を前に、俺は淡々と語り出す。
「確かに、俺には依頼の関係上、なぜか友好関係に女性が多い。しかし、だからと言って依頼主が女性の依頼ばかりを受けてるわけではない」
「だ、だがお前は」
「黙れ思春期煩悩変態妄想ヘタレ童貞。こっからは俺のターンだ。それでも口を開くのならさらに縛るぞ」
「な、ならもっと、もっと強く頼む……っ!」
何か反論しようとするリーダー格に冷たく言い放ったのだが、むしろご褒美になってしまったようだ。
もうこいつ手遅れじゃないかな……。
「この手のつけようがないドMの扱いは後にするとして、だ。これで今年度十二回目にあたる非モテ裁判というわけだが、お前ら、この前俺が言ったこと忘れてるだろ?」
「この前?」
正座する軍団の一人がぽつりと呟く。
人のこと言えないけど、こいつら物覚え悪いな。
「年相応に彼女が欲しいけどどうすればいいか分からないから、モテてるかモテそうなヤツらに制裁を下そうとするお前らに言ったはずだ。“そんなにあいつらが羨ましいなら、俺がお前らを彼女持ちにしてやる”って」
だからわざわざこいつら全員分の性癖、好みのスタイル、好きなタイプ、気になるあの子などを聞き出した。
それを踏まえて、俺は学校中を駆け回り、バトルジャンキーが多い教室や割とおとなしい人が多い教室、報道クラブなどといった場所に赴き、情報を集めていたのだ。
同じ依頼を繰り返し受けるのは、依頼主とある程度仲良くなっておくことで得た情報を用いて、恋愛相談をスムーズに進めることが出来るから。
まだ街を詳しく知らないため、さらに情報を得ることは出来なかったが、まだ焦る必要はない。
これは、ゲームではないのだ。
面白半分でカップル成立などさせてたまるか。
俺は俺の出来る限りで、こいつらの根性を見定め、この上ない幸せに導いてみせる。
「お前ら──好きな女子・女性の情報、欲しくはないか?」
『!』
「俺はここ数日で、およそ十三人ほどの詳しい情報を得ている。学園の教師や生徒だけじゃなく、ギルドでも情報を集めた。そして、今後非モテ軍団二十五人に彼女を作れるようするために、残り十二人分の女子情報か、それ以上のものが必要とされるが、それにはお前らの協力が必要不可欠だ」
「なんだと……?」
踏みつけられたリーダー格が、ハァハァ言いながらこちらを見てくる。
せっかくこいつ用の女子情報を持ってるのに、なぜか教えたくないという気持ちが強まった。
「恋のキューピットとして動き出すには相手の心を射抜く矢がまだ足りない。だが、これが完全に射抜けるように洗練されていけば、お前らが俺の要求に臨機応変に対応出来るようになれば……。あとは言わなくても分かるな?」
俺の言葉に、非モテ軍団は納得したように深く頷いた。
こいつらは基本的にイケメンが多い。
というか、俺を除いたクラスのほとんどが美男美女だ。
それに加えて、個人個人が伸ばすべき長所を持っている。
人間性は……まあ、こういう行動を取りやすいところ以外は十分だ。
だからこそ、俺はその様子を見て、両手を大きく広げ、鼓舞するように。
「自らが得たいもののために情報が欲しいか!?」
『イエス!』
「自らが得たいもののために時間をかけられるか!?」
『イエス、イエスっ!』
「自らが得たいもののために自力で相手を魅了し、その恋を成就させたいか!?」
『イエス、イエスっ、イエスッ!』
ヒートアップしていく軍団に向かって、さらに追い討ちをかけるように。
「ならばその想い、途切れることなく、一つのことに集中させろ! お前らにはそれが出来る! 妬むな、蔑むな、さすれば与えられん! さあ──恋をしようじゃないか!」
『イエエエエエアアアアアアアアアアアァァァ!』
立ち上がった軍団が狂ったように声を張り上げたと同時に。
「──お前達、こんな所で何をしている!」
見回りに来た生徒指導の先生が、屋上の扉を勢いよく開けてきた。
赤と黒のジャージに竹刀を担いだ特徴的な見た目。
ガルドとは違い、生徒に一方的な暴力を振るうことを良しとしない高潔な心。
しかし場合によっては生徒へ真摯に、勇敢に、人生の先輩として立ち向かう姿勢を持つ。
調子に乗っている生徒のストッパーとして一役買っていることから、対非モテ軍団矯正用ヒト型汎用先生、通称“ジャージ竹刀”と呼ばれている先生だ。
学園教師陣や生徒からも、決して本名を呼ばれない人でもある。
「げぇっ、またジャージ竹刀に見つかった!?」
「全員、散開して迎撃するんだ!」
「捕まるなよ! 捕まったら俺達に明日は無いッ!」
「そう易々と俺から逃げられると思うなよ、今日こそ全員捕まえてやるからな!」
『やれるもんならやってみやがれえええええ!』
ジャージ竹刀VS非モテ軍団による大乱闘が始まった。
一部校内での魔法・スキルは使用禁止にもかかわらず、詠唱やスキルを叫ぶ声が轟く。
戦力差は一対二十五。
数の暴力を感じるが、相手は元Aランク冒険者。
Cランクの生徒が束になって向かっていっても、無様に返り討ちに遭うだけだ。
事実、校舎に響いていた悲鳴と怒号は次第に小さくなっている。
おそらく軍団が次々と気絶させられてるのだろう。
俺は見つかる前に迷わず手すりから飛び降り、真下にある自分の教室へ逃げ込んだので、その被害を受けることはなかった。
「ふっ、また世界を縮めてしまったな……。集まった情報を渡そうと思ったんだが、先生が来ちまったし、帰ってきてから教えてあげよう」
「そりゃ無理だな。あいつら今日の夜までずっと反省文書かされるはずだから、誰も戻ってこないはずだぜ。……ったく、朝っぱらからデケェ声出して何してんだか」
「若気の至りだよ、きっと」
「お前もだっつの」
もはや窓から人が入ってくることに誰も反応しない教室で、エリックが呆れながら声をかけてきた。
そういやこいつは非モテ軍団に入ってないんだよな。
……そうか。あいつらはどうしようもないくらい女慣れしてないヤツらの集まりだけど、エリックは素の状態でモテるし、そのせいか女子の対応もしっかり出来るから入団の必要性皆無なのか。
やはり世の中イケメンが勝ってしまうんだな。
「あの人、また窓から入ってきたよ?」
「非モテ軍団も彼も、何がしたいんだろうね……」
「単に目立ちたいだけでしょ。昨日、隣のクラスのルナさんと決闘したらしいし」
「ふーん……。そういえば、結局あの人のこと私達何も知らないよね」
「シノノメさんにでも聞いてみる?」
「まだ来てないみたいだし、あとで聞こうよ」
あの軍団を見た後だからか、なぜか妙にキラキラして見えるガールズトークを尻目に席につく。
ひそひそ話のつもりなんだろうけど、丸聞こえなんだよね。何かするって気にもならないけど。
ホッと一息ついて、放置されたままだった鞄から教科書を取り出していると。
「そういやお前、大声であんな風に言ってたが本当に出来るのか?」
エリックが興味深そうに尋ねてきた。
真下に教室があったからか、俺の声も筒抜けだったらしい。
「あー、さっきのこと? もちろん出来るよ。あいつらがどこまで本気になれるかで気合の入れ方が変わるから、かなり成功率は変わるだろうけどな」
「生半可な気持ちでくっつかせたくないってことか?」
「当たり前だろ。もしかしたら将来結婚するかもしれない可能性があるってのに、遊びで付き合わせてたまるかよ。お互いの意識を友達感情から純愛感情に変えて、覚悟を決めた上で告白できたら合格だ」
「な、なかなか本格的なんだな……」
「頼まれた以上、出来る限りのことはやってやるってだけだよ?」
人として当然の行動である。
そのせいで何回か病院送りにされたことはあるけど。
「だとしても、話したことのない相手にそんな熱心になるヤツも珍しいと思うけどな。……お前、記憶無くす前、絶対お人好しとか呼ばれてたんじゃないか?」
「俺がお人好しかどうかの判断は他人に任せるよ、わかんないし。……でもまあ、実はこれ、ジャージ竹刀に依頼で頼まれたからやってんだよ。あいつらへの対策ってことで」
「……は?」
欠伸をしながら、ポカンと口を開いたエリックに向かって、ジャージ竹刀に頼まれた経緯を話す。
日に日に悪化していく非モテ軍団の嫌がらせ行為。
ジャージ竹刀は今まで通りの方法で一時的な鎮圧を行っていたが、非モテ軍団の中には腕の立つ生徒も多く、周囲に及ぶ被害が尋常ではなくなってきたのだ。
これ以上の被害を抑えるべく、どうすればいいか頭を捻り、そして苦難の末に考案した依頼を特待生の俺に提出した。
その内容は、『学園内に残存する非モテ軍団の解体』。そして、『解体方法に関してはなるべく穏便な方法を取ること』。
あの人、あろうことか考えるのが一番難しい部分を全部俺に丸投げしやがった。
確かにあの軍団が起こす騒動は目に余る。
だからといって、こちらも暴力で解決していいはずもない。
ならば、どうすればいいか。
簡単な話、その軍団を構成する要素──原点を取り除けばいい。
つまり、非モテ軍団をモテるようにする。
そうすればあいつらの報復行動も徐々に減っていくだろう、という結論だ。
「……っとまあ、大体の流れはこんな感じだ。せっかくここの校則に『生徒及び教師間の交際を可能な限り自由とする』、なんてものがあるからな。利用しない手はないだろ?」
「……確かに。いい案だと思うぜ」
一瞬、俺の言葉に悲しそうな顔で笑い、エリックは寝るわと言って机に突っ伏した。
なんだろう、こいつも恋の悩みを持ってるのか?
やっぱり世の中って、イケメンを中心に回っているのかもしれない。
「アカツキさん。話があるのですが、よろしいですか?」
ホームルーム終了後。
掲示板へと向かうエリックを見送り、今日はどの授業を受けようか迷っていると、ミィナ先生が話しかけてきた。
あのバケモノ事件以降も、先生とは記憶喪失の件や生活で困っていることはないか、などの話題で話すくらいの交流はある。
ただ、顔を会わせる度に『無茶してませんか?』と真顔で心配されるのはなぜだろう。
これでも平和的な生活を送っていると思うのだが。
とりあえず手招きしている先生に小走りで駆け寄る。
「何かあったんですか?」
「特待生依頼です。魔法学のリーク先生はご存知ですよね? 早急に手伝って欲しい事があるから研究室に来てくれ、と伝えられまして……」
「……あー」
また特待生依頼か。
フレン、ジャージ竹刀に次いでこれで三件目だ。
まだまだ少ないが、これから徐々に増えていくんだろうなぁ……。
「しかし、リーク先生から依頼が来るとは。…………俺、生きて帰れますかね」
「だ、大丈夫です。私も時々手伝わされますが、なんとかなってるので!」
「それ、先生だからなんとかなってるんじゃ……?」
俺の縋るような視線に、ミィナ先生はそっと目を逸らした。
リーク先生の授業自体、『考えるな、感じろ』が基本の大雑把なものだ。
魔法学なのに座学が少なくて、戦闘学並みに身体を酷使する。
この前は珍しく座学中心だったが、普段はグラウンドで授業を行う。
そこでスパルタなしごきを受けるのだが、十分も耐えれば良い方と言われている。……ちなみに、俺は五分も経たずに倒れた。
しかし、授業の効果は凄まじいようで、魔法と肉体の両方に特化したスキルを習得しやすくなり、魔力をより深く理解出来るようになったと言う人が増えたそうだ。
肉体派ウィザードを目指す人なら、受講しても損はない。
俺は魔力操作から派生するスキルを習得しようとして、操作しきれず暴走しかけてしまったが。
いやぁ、リーク先生が回復してくれなかったら病院送りでしたね。
「えっと、まあ、そういうことでして……。今からよろしいですか?」
「それは別にいいですけど、どうせ依頼も授業と似たようなものなんですよね、きっと。……ポーション持っていこうかな」
なるべく準備はしていった方が良いな、家に在庫あったっけ? などと思案する俺に、先生は柔らかい笑顔で。
「その依頼のことなんですが──今回は、私も同行します。条件として男女の二人組みで来て欲しいとのことで、リーク先生が、せっかくだからと私を指名しまして。……あの、私が勝手に指名されただけですので、他に頼れる人がいるというのであれば、無理に私でなくても」
「構いませんから喜んで行きましょう!」
不安は空の彼方へと吹き飛んだ。
研究室とプレートに書かれている扉を豪快に開け放ち、中に入る。
ミィナ先生の視線が突き刺さってくるが、物珍しいものはないかと中を眺めてみた。
学校の理科室にあるようなフラスコや試験管。
ホルマリン漬けの何か。
あまり見かけたことがない器具。
そして、なぜか部屋の隅に置かれている大量の爆薬。
まさに研究室という内装をしているが、動線の邪魔にならないように器具が置かれている辺り、これでも整理はしているらしい。
「──ふむ、来たか」
部屋の中でも一際大きな机に寄り掛かり、窓の外を見つめる女性が振り向いた。
白衣を軽く羽織り、背中に流れる黒髪を雑に束ねているが、それでもため息が出るほど整った容姿を持つ女性。
鋭い目付きとその風貌からガサツな印象を受けるが、この人こそが魔法学担当のリーク先生だ。
魔科の国から学園長にスカウトされた元研究者であり、魔法研究や錬金術が趣味。
趣味が合うことから、ミィナ先生と非常に仲がいい。
ガルドとの決闘を見てから俺に──詳しく言えば、俺の魔法に興味を持ったらしく、その関係から授業以外でもよく話す。
そして、この印象と姿からは考えられないが既婚者であり、悲しいことにまな板である。
「おい、クロト。今、失礼なことを考えなかったか?」
「いえ、何も」
とても男勝りな性格をしていて、授業もずっとこんな感じだ。
しかも勘が鋭いのか、人が考えてることを大体の予想で当ててくる。
肝が冷えるのでやめて欲しい。
「……まあいい。それより早速来てくれたことだ、依頼の説明をしよう」
睨みを利かせた視線を外し、リーク先生は俺とミィナ先生に座るよう指示すると、魔力保存用の試験管を用意しながら話し出した。
「男女の魔力は属性に左右されず、混じりやすい性質を持っているというのは知っているな?」
「魔科の国の魔法研究所により証明された特性、ですね。リーク先生も研究所の一員だと聞きました」
「そうだ。では完全に混じり合い、一つの魔力となるには時間がかかるのも理解しているな?」
「はい。検証結果では確か……、約五分程でしたか?」
「うむ、一時的体循環による属性適合理論から算出された時間だ。それで──」
一方的に続いていてく教師同士の魔法談義。
俺、ここまで一言しか喋ってないんだが。
ついでに言うと会話内容がさっぱりわからない。
もしかしてあれか、俺に話しても理解出来ないから、話が解る先生を指名したってことだろうか。
だとしたら俺が来る必要って……?
……考えても仕方ない。暇だから、持ってきていたノートに家計簿でも書いておこう。
「──なるほど。確かにその理論が正しいのであれば、アカツキさんの力が必要ですね」
「だろう? 彼の魔法は特殊属性の中でも、非常に実用性が高いものになるかもしれない。だからこそ、これはじっくり調べたいと思ったのさ。今日はその前準備で、検査とサンプル収集を行いたいから、ミィナも呼んだというわけだ」
書き終わってさらに暇になったので、置いてあったティーポットで三人分の紅茶を淹れようとしていると、ミィナ先生がじぃっと見つめてきた。
向かいに座るリーク先生も、何か確信を持った表情で頷いている。
あれ、なんか話まとまってた?
「説明したところで……ミィナはいつも頼んでるように、こいつに各属性の魔力を込めてくれ。量は控えめで、半分くらいでいい」
「わかりました」
「頼むぞ。それでクロト、君からは──」
頭に疑問符しか浮かんでこない俺に向けて。
「倒れない程度に血を採血させてもらう。ああ、安心していい。輸血パック分の金は経費で落とすからな。いや、もしこれが成功すれば、輸血の必要も無くなるかもしれない。それは君にとって悪い話ではないはずだ」
ごめんなさい、俺でも理解出来るような説明で簡潔に教えてください。
どこからか取り出した注射器を片手に、普段とは打って変わって、ニコニコと笑いながら迫ってくるリーク先生。
正直に言おう、悪魔にしか見えない。
ミィナ先生に助けを求めようにも、そそくさと別室に移動して作業を始めていた。
研究室と別室は完全防音仕様になっているから、騒いでも声は届かない。
味方が近いようで遠くなった。
「……何をそんなに怯えているんだ? さあ、腕を出せ」
「怯えるわ! その注射器デカ過ぎるだろ、病院のより三倍は太いじゃないか、どんだけ摂るつもりだよ! しかもどういう流れで俺の血が必要になったんだ!?」
綺麗な女性に迫られるとか羨ましいシチュエーションだけど、凶器持って近づいてくるシチュエーションはノーセンキュー!
やられるならミィナ先生からの方が数倍マシだ。
壁に追い詰められた俺の叫びに、首を傾げたリーク先生は考え込むと、ハッと顔を上げ。
「そうか、私がナース服ではないから不満なのか? それとも私にミィナほどの色気がないからか? すまない、残念ながらナース服は持ち合わせていないんだ。夫との夜はまだそこまで発展していないからな。だから代わりと言ってはなんだが、私の身体で……」
「誰も夫婦の営み経過なんざ聞いてないから! しかも人妻のくせに露骨に胸と腰を強調させて近づくるな、思春期の男子には過激すぎるわ!」
「こうして誘惑すると、あいつは喜ぶんだがな……」
「知らんがな!」
ちくしょう、普段なら喜んでガン見するのに、人妻だから罪悪感が……っ!
しかもこの人、スレンダーだがスタイルはいい。
顔も髪も整えれば、かなりの美人になるだろう。
だから──すみません、名前も知らないリーク先生の旦那さん。
あなたの妻は今、こうして学園の生徒に色仕掛けをしていて、俺は耐え切れずチラッチラッっと見てしまっています。
さらに言えば、なぜかこの人は本気で落ち込んで、体育座りし始めました。
フォローはしておくので、あとで慰めてあげてください。
「……すまない、取り乱したな」
「いや、話を聞いてなかったこちらが悪かったので。……すみませんでした」
あれから数分後。
なんとか平常心を取り戻したリーク先生を座らせ、先ほどの説明を聞く。
どうやら先生は俺の血液──正確に言えば、血液魔法の性質を見抜いていたようだ。
授業では体内の魔力を感じ取ったり、魔法関連スキルの習得ぐらいで、実際に魔法は使っていない。
なのにどこで見抜いてたんだろう? と聞いてみると、
『どこでって……ガルドとの決闘の最中でだが?』
さも当然のように言ってくれたよ、この人。
しかし見るだけでは理解を深められないため、血液魔法の詳しい検査を特待生依頼と称して、ミィナ先生に伝えたそうだ。
ミィナ先生を同行させたのは個人的理由らしいが。
とにかく、これで依頼の内容を十分の一くらいにまとめてくれたそうなので、さすがに俺でも理解出来た。
その結果、全面的に俺が悪いということに気づいてしまったので、今こうして謝罪している。
「……あれは魔法に精通した者同士が話す知識だから、君がついていけないのも無理はない。それに、説明不足だったのも事実だ。受講してくれる生徒達も大分体力がついてきたから、来月からは座学中心の授業になっていく。その時にでも学んでくれればいい」
「はい、そうします」
「あと、久しぶりに興味を惹かれる対象が見つかったから研究者心が騒いだというか、ミィナとあれだけ話し込んで興奮していたからというか……。ともかく、あの暴走行動は忘れてくれ」
「絶対──いや、確約はできませんけど、忘れます。でも、なんというか、その」
「もういいさ……、悪いのは私だ」
リーク先生はそう言うと、落ち着いた様子で紅茶を呷った。
「それ、軽く冷ましても淹れたばかりだから結構熱いんですよ」
「ぶふっ!? そ、それを早く言え! 喉が焼けるかと思ったぞ!」
「目の前で淹れたの見てましたよね!? あんたどんだけ動揺してるんだよ!」
「動揺もするだろう!? 自制心が効かなかったとはいえ、生徒に向けて、あ、あんな行動を……っ! それに口が滑って言わなくていいことも言ってしまった……! こんなの、恥ずかしくて死にそうだ!」
めんどくさい、この人すごくめんどくさいよ!
口調は強気なのに羞恥の基準が乙女ってどういうことだ!
「とりあえず落ち着いて! もう採血はしたんだから、次は何するんですか!?」
「あ、ああ。それじゃミィナを呼んできてくれ」
「そう言うと思って、待機してましたよ」
タイミング良く別室の扉が開かれ、ミィナ先生が出てきた。
机の上に液体化している魔力が入った試験管を置くと、チラチラと俺の方を見ながら、額の汗を拭って椅子に……。
…………研究室って、外より涼しいんだよね、冷房がしっかり効いてるから。
なのに、先生の顔が妙に赤いのはなんでだろう?
「──先生、見てましたね? 俺達のやりとりを」
「っ!?」
「ななななんのことですかアカツキさん! 別に私はいつの間にかリーク先生が過激な行動をしようとしてたから今後のために学んでおこうと思って見てたわけじゃありませんよ!」
「見たことは否定しないんですか……」
「ま、まあ校則で教師と生徒の自由恋愛は認められてますしむしろ推奨されてるのでこういうのもアリなんですねとか、結婚してるのに度胸あるなぁとかちょこっとやましい気持ちもあって覗いたのは謝ります! けど仕方ないじゃないですか! 私だって女ですからそういうのは気になりますよ!」
「なんか余計なことまで口走ってませんか?」
だが、思わぬ所で情報を入手したな。
少なくとも、男性恐怖症のせいで女性趣味に目覚めたとかそういうのはないみたいだ。
男に関心があるのなら克服するのに時間はかからないかもしれない。
ともかく女同士の掛け合わせが好きという可能性はなくなった。
……だが、恋が実らないってのは想像している以上に残酷だ。あいつ、どうやって先生を誑しこむつもりだったんだ?
あと、関係ないけど、先生が顔真っ赤にして首を振る動作が凄く可愛い。
写真に収めておきたいくらいだ。
というか俺、その場のノリでこんなこと聞いてるけど、絶対怒られるよね。
半殺しにされるのは覚悟しておこう。
「でもリーク先生は私より酷いですよ!」
「ほう、具体的には?」
「毎日会う度に抱きついてきては身体をまさぐってきますし、隙を見つけては研究で使う魔力試験管に魔力を溜めさせようとしてきますし、それに乗じて胸を触ったりお尻を撫でたりするセクハラをしてきたりするんですから!」
試しに問いかけただけなのに、なぜか饒舌に話し始めるミィナ先生。
ストレスでも溜まってたのか。
「おおおおおあああああああああぁぁぁぁぁ……!」
それを聞いたセクハラ先生は、真っ赤にした顔を覆ってうなだれ、女性にあるまじき悲鳴を上げていた。
だからあんたの羞恥のラインはどこなんだよ。
「その他にも色々やってくるんですよ! この前だってお昼ご飯の唐揚げに勝手にレモンかけてきたんです! だから仕返しにお酢をかけましたっ!」
「へー……。でもその話だと、仲のいい親友同士がふざけ合ってるように聞こえますね。微笑ましいと思いますよ。……それと唐揚げにレモンは戦争が起こります、確実に」
「その胸が羨ましいんだから仕方ないじゃないかあああああ! 胸さえあれば……、胸さえあればあいつはもっと甘えてくるはずなんだよおおおおおおおおおおお!」
「別に旦那さんはそんなこと気にしてないと思いますよ。世の中には好きになった人の胸が好きという人もいますし。それに、旦那さんが甘えることのできる唯一の人物は自分しかいないと考えれば、悲観的になることもないと思います」
……この事態を引き起こした俺が言うのもアレだが、基本弄られやすい人が多いな、この学園。
「ふぅ……。アカツキさんに話したら、なんだか気分がスッキリしました」
「……そうだな。こうして共有の相手に本音を話すっていうのも、悪くない」
「俺でよければ愚痴ぐらいいつでも聞きますよ。新しい紅茶注ぎますね」
「ああ、頼む」
「お願いします」
数分後、どこか晴れやかな表情で微笑み合う教師二人に和みつつ、茶葉を変えた紅茶を差し出す。
二人は紅茶をゆっくりと口に含み、一息ついて。
「「……そういえば、何か忘れてるような……」」
俺は二人に本来の目的を教えた。
生徒の賑やかな喧騒が響く学園食堂。
窓際のテーブルでちびちびと砂糖水を飲みながら、俺は同席しているエリックとシノノメに最近の出来事を話した。
「──まあ、こんなことがあった後、検査を手伝うことになって一週間も研究室に入り浸る羽目に……。魔力が枯渇しては、気絶して起こされてを繰り返される毎日でした」
「どうりでこの頃お前の姿見かけねぇなと思ったけど、そんな理由があったのか」
「過酷な労働環境で働く人の気持ちがよく分かった気がするよ」
「それは、大変でしたね……」
美人教師と一室で二人っきり。
などという甘々な場面なんて、現実においては幻想に過ぎないと、俺は今回の体験で理解した。
魔法で気絶寸前まで抜き取った血液を、魔力が込められた試験管に数滴垂らして観察。
途中経過と結果をまとめて、リーク先生に提出。並行作業しても三日もかかってしまった。
さらにその間、実験してから放置していた試験管が暴発。
幸いにも爆薬に引火することはなかったが、俺が黒焦げになった。
あれ、痛かったなぁ……。
「あの人、旦那が仕事でグリモワールにいるから家に帰っても暇だって理由で、俺を巻き添えにして徹夜したんだよ」
「夜になっても研究室の照明が消えてなかったのは、アカツキさんと先生が原因だったんですね」
「先生が授業に行ってる以外の時間も、ずっと研究室に篭りっぱなしでさ。家に帰れなかったし、鍛冶の練習にも行けなかった……」
「それはきっついわ……。けど、そんなに頑張ったんなら報酬はかなり弾んでくれたんじゃねぇか? ……なあ、何貰ったんだ?」
興味ありげなエリックの疑問に、答えとしてデバイスを手渡す。
向かいに座るシノノメと共に、スキル欄を開いたデバイスを覗き込んで、二人は固まった。
『スキル』
《錬金術師:初級》
=《爆薬精製》《ポーション精製》《フルーティテイスト》
《ルーン操術師:初級》
=《高速刻印》《能力付与》《属性付与》
《高速事務作業》
《魔法感知》
《魔法解析》
《アクセラレート》
《コンセントレート》
報酬として習得した新スキル。
その量を見て、二人は声を出せずにいるようだった。
「見ての通りアルケミストとルーン操術師の補助スキルに、メイジの汎用と専用スキルを二つ習得させてもらった。事務作業はなんか勝手に覚えてたけど……。あとは錬金術用の道具に、爆薬とポーションのレシピを貰ったよ」
「事務作業は置いとくとして、これだけ支援型クラスのスキル持ってれば、ダンジョン攻略がすげえ楽になるな」
「さすがですね……」
「いやぁ、検査の合間に個人授業って形で教えてもらったらね、いつの間にか習得しててさ」
しかし肉体的にも精神的にも疲弊している身体にとって、授業は毒薬でしかなかった。
俺がユニーククラスであることは伝えていたが、まさかあんなことになるとは……。
『授業時間をこんなに削ってまで手伝ってもらってるんだ。これくらいのことはしてやらないとな』
そう言って、リーク先生はフラスコ爆薬を片手に笑っていた。
でも深夜から朝まで、ってのは新手の拷問だろ。
睡魔をコーヒーで抑えるのも限度がある。
あの人、なんで徹夜になるとテンション上がるんだよ。昼間よりずっと生き生きとしてたぞ。
「せめてもう少し仮眠とか休憩時間を増やして欲しかったけど、疲れただけで報酬がこれなら儲けものだと思う。検査のおかげで、血液魔法の詳しいことも解ったし、新しい魔法も作れたからさ」
「新しい魔法?」
「そうそう。思った以上に簡単で、この場でも出来るんだ。ちょっと見てなよ」
借りてきた二つのコップに水を入れ、それぞれに塩と砂糖を投入する。
「当然の話になるけど、人やモンスターは血液自体に魔力が宿っていて、そこから魔力だけを抽出して魔法へ使用する……ってのは、二人も知ってるよね?」
問い掛けに、二人は興味深そうに頷いた。
「でも俺の場合は血液に魔力が宿ってるんじゃなくて、魔力が生成される源である体内器官──心臓の血液を体内に循環させて、武器を作る時だけ体外に放出してるんだ。だから俺は心臓以外の肉体が魔力慣れしてなくて、逆に魔力を阻害する壁が薄くて損失が少ないから《魔力操作》との相性が良いらしいよ」
「へぇ、なるほどな……ん? 流しちまうところだったけどよ、それ、ヤバくねぇか?」
「ヤバいよ? だって心臓から血液を抜いてるって事になるんだから、そりゃ血液魔法で作った剣を壊されたら死にそうにもなるよね」
何気なく言い放つと、二人は急に黙り込んで俯いた。
特にエリックは血の剣を破壊した経験があるので、気に病んでいるのだろう。
「この間の事を気にしてないって言ったら嘘になるけど、お互い何も知らなかったし、それに今はこうして何ともないんだから、過ぎた事をいつまでも悔やんでるなよ。シノノメもそんなに気にするな」
「あ、ああ……悪いな」
「……分かりました」
「うん。んで、話を戻すけど」
俺は十分に掻き混ぜた塩水と砂糖水を二人の前に差し出す。
「多種多様でまだ把握しきれていない事も多い血液魔法ですが、解った事もあります。例としてこうして塩水と砂糖水を作ります。ちなみに何かを混ぜた液体じゃないと、この魔法は成功しない」
「へー……」
「ということは、特定条件下で使用可能な魔法なんですね」
「そうなるのかな。それで次に魔法で血のスプーンを作って、さらによく掻き混ぜておく。あ、ここがポイントで、混ぜながらスプーンを経由して魔力を込めます。すると……」
「「すると……?」」
向こう側まではっきりと見えていた透明な砂糖水が、一瞬にして赤黒く変色する。
スプーンを抜き、塩水も同様にかき混ぜる。
数秒ほどで血液と化した液体が入った二つのコップを、呆然と見ていた二人の前に差し出す。
「新魔法、《レッド・リカバリー》。砂糖や塩を溶かした水を、ってか水じゃなくてジュースとかでもいいんだけど、それに魔力を与えることで血液に変換させる魔法なんだ。しかもこの血には回復効果があって、これを飲めば表面の傷はもちろん内臓の損傷まで治る上に、他人の血液に適応して吸収されるから、貧血気味の人が飲めばすぐに元気百倍になれるんだよ!」
「その反面、見た目はかなりグロいってことか……。じゃあこの魔法さえ使えれば、もう輸血パックに涙を流す必要は無くなったのか?」
「その通り。これでようやく治療費とか輸血代金への支出を抑えられるようになったわけだ。……ああ、ちなみに一度血液に変えると二度と元の液体に戻せなくなるから、それはサービスだと思ってぐいっと飲んでくれ」
「「えっ」」
二人は目線を俺からコップに移すと、冷や汗をかきながら目を逸らした。
「いやその、あんま大したケガとかしてねぇし、貧血気味でもないから、遠慮したいなーって思ってるんだけど……」
「私は別に構いませんが、その、飲むには少し、心の準備が……」
「大丈夫。元が水と砂糖と塩だから、血液とはある程度違う味になってるし、血液魔法の構築文に浄化のルーン文字があって細菌とか血中の毒素とか取り除かれてるし、飲んだ瞬間に身体に適応した血液に変化するから問題ないよ?」
「「……でも」」
「外見がゲテモノだろうと、味が普通なら意外と飲めるもんだよ?」
まだ言い訳をしようとする二人にコップを持たせる。
波打つ表面に二人の顔が浮かんでいるが、その顔色は悪い。
「さあ──どうぞ召し上がれ」
「「…………」」
──当然と言えば当然なのだが、結局二人は飲まなかった。
見た目を変える方法でも考えようかなぁ……。
アカツキ・クロトの借金総額、百万メルから変動無し。
頑張って返済しましょう。
物置小屋のような外見である我が家の一室。
簡素なベッド、簡素な勉強机、簡素な丸いテーブルが置かれた質素な部屋で。
淡い燐光を放つ結晶灯が照らす古ぼけた本の表紙を眺め、掠れた文字をなぞる。
物は時代の流れと共に劣化していくものだが、持ってきたほとんどの本が、その例に逆らうことなく見事ボロボロになっていた。
開けば古本特有のにおいが鼻につき、色褪せたページが目に映る。
長年の歴史が綴られた書物は、細部が擦れて消えているなど目に余るものがあるが、かろうじて読める状態ではあった。
しかし、象形文字とくさび形文字の集合体みたいな文字の意味がよく分からない。
「そりゃそうだよね、時代が変われば使う文字だって変わるよねー……」
椅子の背もたれに背中を預け、時代の流れの悲しさに深くため息をつく。
もはや一種の解読文に変わり果てている文面を再度確認し、今日から徹夜かな、などと考える。
一応、解読術を習得しているので、熟考理解と併用すればある程度の文章は問題なく読めるだろう。
ただ一つ問題があるとすれば……。
「それを覚えきる記憶力があるかどうか、だな」
徹夜作業には慣れているが、こればっかりは手の付けようがない。
興味があることにしか働かないニートな脳みそに、過度な情報は厳禁だ。
「とりあえず読み進めていくか。歴史は一応得意教科だったし、なんとかなるだろ」
不安な部分もあるが、とにかく読んでみよう。
読んでも覚えられなかったらノートに写せばいい。
よーし、徹夜作業スタートだ!
「──で、結局睡魔に勝てず、もうここで作業したらいいんじゃね? みたいなこと考えて寝落ちしてきた、と。……単刀直入に言うけどバカじゃないの? ってかバカじゃないの?」
「あのイレーネに二回も言われた! すげぇショックなんですけど!」
「“あの”って付けないで! これでも世界で崇められてる立派な神様なんだからね!? クロトくんも少しは私を敬ってよ!」
「お前、信者に彫られたり描かれてる自分の木彫り像とか絵画とか見たことあんのか? 髪の色と瞳は変わってないけど、幼児体型じゃなくてボンッ、キュッ、ボンッのナイスバディになってるんだぞ? 実物がこんなちんちくりんなのに、随分とまあ誇張されて……って、や、やめろぉ! 俺何も悪くねぇだろ、そんな恨みがましい視線向けて噛みついてくるな!」
「貧相な体で悪かったわね! こちとら神様だから成長してもずっとこのままなのよ!? 私だっておっきくなろうと努力したのに、したのにぃ……!」
涙目で噛みついてくるイレーネを避けながら、俺は落ち着くようにと説得を試みる。
「落ち着け、とにかく落ち着け、さっさと落ち着け! そんな理由で争ったとしても後に残るのは虚しさだけだぞ!?」
「だからといって来るタイミングが最悪だったじゃないのおおおおお! うわあああああああああん!!」
「それについては悪かったってさっきも言ったろ!」
だって寝落ちして起きたら、なぜか示し合わせたように風呂からあがったばかりで、半裸になった状態の幼女が突っ立ってたなんて誰が想像できる!?
精神世界だとしても心臓に悪いわ!
かろうじて服を大急ぎで着たから良いものの、それですら結構ヒラヒラしてて危ないのに……!
「ううっ、クロトくんに見られたぁ……。コウトにすら見られたことないのに」
「いやいやいや、普通こんな場面に出会うことなんてそうそう無い……待てよ、父さんは母さんが呆れるほどの特級フラグ建築士だが、まさかイレーネにまでその毒牙が!?」
「なんか納得しかけてるみたいだけど違うわよ!? コウトはただのラッキースケベだったし、あの時はまだ恥じらいを持ってたからか、すぐに目を逸らしてくれてたもの」
道を歩く女性のボディラインを凝視して、聞いてもいないのに看破したスリーサイズを教えてくる父さんが恥じらいを持ってたってどういうことだ……?
父さんは元からあの性格じゃなかったのか!?
「意外だと思うかもしれないけど、コウトよりクロナの方が酷かったわ。ここに初めて来た時なんか、全裸を見られた上にここの特徴を利用されて、着せ替え人形にされたのよ……?」
「……」
悲痛な表情から連続で語られた衝撃の真実に、俺は無言で後ずさる。
母さんが俺の知る以上に変態だったとは。
どうりで俺が小さい時、女の子用の服を着せようとしてきたわけだ。
確かにスカートやらワンピースを持って近寄ってくる時は、なんか危ない目つきになってたような気がする。
その度に父さんがどこかへ連れてったっけ。
──あれっ、もしかして俺、幼少期かなり危険な目にあってないか?
思えばあの年頃の男子には必要のない、髪の結び方とかメイクの仕方をなぜか教えられた記憶がある。
まさか、母さんはろ、ロリ……いや、よそう。
俺の勝手な判断で母さんの印象を悪くしたくない。
「と、とりあえず一回クールダウンしよう。じゃないと余計疲れるハメになるから、な?」
「……うん」
「ほら、ここ座れ。濡れたままだと髪の毛痛めちゃうだろ? 乾かしてあげるから」
「…………うん」
相変わらず精神面が弱いイレーネを椅子に座らせ、濡れて鈍い銀色になった髪の毛をタオルで優しく拭いて水気を抜く。
身体は既に拭いていたとはいえ、髪の方までは手をつけておらず、濡れてからだいぶ時間が経っているため念入りにする。
イレーネは髪が長いので、手入れをちゃんとしないとすぐボサボサになってしまう。
しかも、ここは昼夜の概念がない。
なので、この女神の生活リズムが狂いに狂っており、ロクに寝ようともせず、死んだ魂の道案内などで連日徹夜をしている時がある。
その過酷なワーカーホリック生活が災いしてか、肌や頭髪のダメージが凄まじい。
本人は神だから問題ないと言っていたが、見た目は年頃の女の子の身だしなみ意識がそれってどうよ……? という心配が高まり、少しお節介ではあるが、ここに来る度にちょちょいと手入れをさせてもらっている。
髪は女の子の命だから、大切にしないとね。
タオルからドライヤーに変えて、地肌から乾かすように手櫛を差し込んでかき上げる。
「……くすぐったい」
「これくらい我慢しろよ、もうちょっとだから」
風を送り続けたおかげで、濡れ鼠だった銀髪はすっかり乾き、まばゆいばかりの光沢を放っていた。
少し手を加えるだけでこんなにも綺麗になるのに、本人が面倒くさがって手入れをしなかったら勿体ないよな。
これで最後はおかしな部分を櫛で整えれば終わりだ。
右に偏ってるのを修正して、全体的なバランスを考えて、絡まらないように梳いて……。
「よし、これなら変に寝癖がつくこともないぞ」
「ありがとう。けど、やっぱり髪の手入れって時間かかるわね。もういっそのこと断髪した方がいいのかしら」
「全世界のロングヘアーを愛する者への挑戦的な発言だな」
そんな暴挙をこの俺が許す訳がないだろう。
切ろうものなら連日ここに押しかけて、子守唄を眠るまで歌ってやるからな。
適当に生み出した椅子に座って防衛策を考えながら、現実では俺の下敷きになっているであろう本を想起させ、それを手にしながら。
「止めとけ、お前はそれが一番似合ってるよ」
「むぅ……、二人にも同じこと言われたのよね。そんなに似合ってる?」
「どうするかは本人の意思だけど、俺は長い方がいいと思うぞ。ショートでもロングでもいけるだろうが、イレーネは元が綺麗だからロングの方が見栄えがいいと思うし、別に髪を結ったりしてもいいわけだしな。もしあれだったら結い方、教えるぞ?」
俺の意見に、イレーネは少し照れくさそうに頬をさすりながら。
「……そ、それはまた今度で。それより、クロトくんは何読んでるの?」
「エルフに関する歴史がまとめられた書物……、なんだけど、残念なことに知りたい部分が掠れてて読めないんだよ。古代に統治していたエルフの王国、それにまつわる逸話や詳細とか」
ふーん、と。背伸びしながら横からひょこっと覗き込んでくるイレーネに見やすいように傾ける。
「でも、こんな文字がずうっと並んでるし、なんて書いてあるのかさっぱり分からなくてな。スキルを併用して筆跡鑑定しながら読んでも断片的な情報しか得られなくて……」
「あー、エルフの古代文字かあ。その辺の歴史はまだ解明されてないから教科書にも載ってないし、仕方ないよね」
いつの間にか俺の膝の上でくつろいでいたイレーネが、困り顔で見上げてきた。
……こいつ、寝なくていいのか?
「これ読んで何も分からなかったら後はもう強行手段を取るしかないな。……あれをやるとなると、胸が痛くなるけど」
「な、何をする気かは聞きたくないけど、その辺りの歴史なら直に見てるから、私が教えてあげるわよ?」
「…………あ、そっか。お前、神様だっけ?」
「あれ、もしかして私、神様だと思われてないの?」
その問いかけに黙っていると、神様が肩を掴んで揺さぶってきた。
しかし意外や意外、情報源がこんな近くにいたなんて。
まあ、自分の歳を忘れるくらい長生きなら、豊富な知識は持ってるか。
少し不機嫌になったイレーネを宥めて、情報を聞き出す。
「確か、クロトくんのいる学園──ニルヴァーナは昔から盛んだった魔法研究の名残りが影響しているから、元々は魔法を主体とした授業体系をとっていたのよ」
「魔法学の授業が割と多いのはそれが理由か。今じゃ冒険者の育成に戦闘やら錬金術やらも取り込んで、普通の学校と同じように常識的な知識も教えてるけど。……で、もっと詳しく頼む」
「えっと、さっきは魔法研究が盛んだとか言ったわよね。でも昔の時代には魔法適性なんてものは発見されていなかったから、魔法よりも一般的な技術となる前の技術が主流だった。……クロトくんも想像はついてるんじゃない?」
「まあ、大体は」
うん、と頷いて、イレーネは少し息を吸って。
「その技術は、魔術、と呼ばれていたわ。魔法よりも制約が多くて不便だけど、汎用性が高いから、国ではよく研究されていたのよ。……魔術はね、大気中を漂う魔素を構成している羅列したルーン文字を、魔力を用いることで意図的に並び替え、どんな人でも八属性やそれ以外のもの──いわば時や空間といった概念を操れるようになるっていうトンデモなの」
知識としてある魔術とは大分異なるが、それでも驚異的な技術であることに変わりはなかった。
凄まじいな、それ。適性外の魔力を行使したら、この間の俺みたいな惨状になるのに。
しかも時と空間か……なんかこう、胸が熱くなるワードが飛び出してきたな。
「……あれ? じゃあなんで今は魔術を教えてないんだ? そんなに便利なものなら役に立つと思うんだけど」
「元々、エルフは古来より高い魔力を保有して生まれるからなんともないけど……、消費魔力がバカみたいにでかいのよ。クロトくんなら初級魔術で一気に枯渇して倒れるわね」
そりゃダメだな、使い物にならんわ。
改めて自分の魔力の少なさに落胆していると。
「そういうデメリットを無くそうとさらに研究を重ね、ついに魔術適性とは系列の異なる潜在的な魔法適性を発見したの。それから後世に残る魔法技術は進化を続けるんだけど……、まあそれは置いといて。で、なぜそんな便利技術が後世に伝わっていないかというと──その魔術こそが、王国崩壊の原因だからなのよ」
とんでもない爆弾発言を聞かされた。
「……どういうこと?」
「さっきも言ったとおり、魔術は魔法と違って様々な概念を操れるのは分かるわよね? 一定量の魔力があれば、時、空間、重力、天候、呪いでさえも手足のように扱える。……人は誰でも、過ぎた力を持てば子供のように試そうとするのよ。たとえそれが、魔術でも許されない最大の禁忌だとしても」
「…………つまりなんだ、王国が滅んだのはマッドなヤツらが魔術を研究し尽くし、行き過ぎた成果を見せようと王国内で使用したが、それはなんか禁忌に触れるようなもので、制御しきれず暴走して王国を凄惨な状況へと追いやり、ついには滅ぼしてしまった、っていうことなのか?」
「簡単に言えば、そうなるかな。ちょっと補足するとすれば、少数の王族──ハイエルフはまだ生き残っていて、その血筋は途切れていないこと。その魔術の呪いは、とある人物により仮面へ封印されたこと。しかし、それでもなおこの世に存在し続けているということよ。自分の存在意義のために、本能の赴くままにね」
…………封印された、ね。
でも、呪いとやらはまだ消滅していないのか。
大勢の人を殺してまで、自分の存在を確かめる為に。
「もう嫌な予感しかしないが改めて聞きたい。……その魔術の禁忌ってのは、具体的になんなんだ?」
聞く必要はないのかもしれない。
けれど、知っておかなければならないと感じた。
問いかける俺を見て。
イレーネは苦虫を噛み潰したような顔で。
「……自分自身の身体や知識や魂、そのすべてを魔術によって変換し、自らの存在をそうでなければならないと信じ込ませ、対象としたものと一つになるために、有象無象を無差別に喰らって吸収する。エルフの歴史の中でも最悪と恐れられ、大地に破滅をもたらすモノよ」
──魔術の呪い、か。
踏み入れてはならない禁忌へと足を滑らせた者は、人ではなく異形なるモノとなり、理性を失い、一つになることだけを望む。
もしそんな魔術が普及していたらと思うと、背筋がぞっとする。
イレーネは禁忌に触れるような魔術の記録は王国と一緒に消滅したと言ってたから、危険な魔術を知る者はこの世に数えるほど──というか、長寿の種族くらいしか知らないそうだが……。
「──では、被告人の罪状を確認する。被告人アカツキ・クロトは、自分はモテない人間だと言いつつ依頼先において数々の女性と友好的な関係を築き、その者と食事に行くなどかなり積極的な対応をとっている姿が確認されました」
「なるほど。依頼の達成は建前で、本命は依頼主と親密な関係を持つため、か。……チッ」
そして、頭がアレなヤツがそれを使って、王国を滅ぼした。
それで何をしたかったのかなんて見当もつかない。
もし先生が王国崩壊から逃れた王族だとすれば、何か聞けるのかもしれないけど。
「昨日は学園ランキング上位者のルナ・ミクスとの決闘で言葉責めを駆使したえげつない戦い方を披露。この悪質な手口によりルナ・ミクスはアカツキ・クロトに対し、『正々堂々の精神を根っこの部分から変えなければならない』と対抗心を抱いた」
「あえてゲスな戦い方で決闘し、ライバル的存在として自分の価値を高めたというわけか。……チッ」
……地雷だよな、確実に。
嫌だなぁ、聞きたくないし言わせたくないし思い出させたくない。
でも男性恐怖症を克服させるには原因が何かを知り、細かく分析しないと。
「さらには学校での依頼では飽き足らず、ギルドに貼られる依頼にまで手を伸ばそうとしており、ギルド役員の女性と電話でよく語り合うなど幅広くうらやま……おっほん、憎たらしいコミュニティを築いています。これは、由々しき事態です! みなさん、こんなヤツを許せますか!?」
「許せん! 許せんぞおおおおおっ!」
「女性と歓談して過ごすなんて……、もう我慢ならん、八つ裂きにしてやる!」
「何か弁明してみろよ、納得できたらそれを遺言にしてやるぜ……!」
…………。
「では皆の衆、被告人の判決を言い渡そうではないか! さあ、ご一緒に!」
『有罪、有罪っ、有罪ィィイイイイイイイイッ!』
「うるせえええええええええええっ! 話があるとか言って人を簀巻きにして強制連行しやがって! 何されんのかと思ったら非モテ裁判実行だぁ!? そこになおれお前ら! 散々人を酷評しやがって、この屋上から叩き落としてやるッ!」
朝っぱらから騒がしい我がクラスの非モテ軍団に対し、俺は縛られていた縄を血のナイフで解いて突っ込んだ!
「いいか、お前ら。俺はこう見えてかーなーり忙しい人間だ。借金返済とか学費免除とか借金返済とか……。挙げれば挙げるほど、キリがないくらいな」
『……』
まずリーダー格をしばき倒して縛り上げ、それを人質に正座させた非モテ軍団を前に、俺は淡々と語り出す。
「確かに、俺には依頼の関係上、なぜか友好関係に女性が多い。しかし、だからと言って依頼主が女性の依頼ばかりを受けてるわけではない」
「だ、だがお前は」
「黙れ思春期煩悩変態妄想ヘタレ童貞。こっからは俺のターンだ。それでも口を開くのならさらに縛るぞ」
「な、ならもっと、もっと強く頼む……っ!」
何か反論しようとするリーダー格に冷たく言い放ったのだが、むしろご褒美になってしまったようだ。
もうこいつ手遅れじゃないかな……。
「この手のつけようがないドMの扱いは後にするとして、だ。これで今年度十二回目にあたる非モテ裁判というわけだが、お前ら、この前俺が言ったこと忘れてるだろ?」
「この前?」
正座する軍団の一人がぽつりと呟く。
人のこと言えないけど、こいつら物覚え悪いな。
「年相応に彼女が欲しいけどどうすればいいか分からないから、モテてるかモテそうなヤツらに制裁を下そうとするお前らに言ったはずだ。“そんなにあいつらが羨ましいなら、俺がお前らを彼女持ちにしてやる”って」
だからわざわざこいつら全員分の性癖、好みのスタイル、好きなタイプ、気になるあの子などを聞き出した。
それを踏まえて、俺は学校中を駆け回り、バトルジャンキーが多い教室や割とおとなしい人が多い教室、報道クラブなどといった場所に赴き、情報を集めていたのだ。
同じ依頼を繰り返し受けるのは、依頼主とある程度仲良くなっておくことで得た情報を用いて、恋愛相談をスムーズに進めることが出来るから。
まだ街を詳しく知らないため、さらに情報を得ることは出来なかったが、まだ焦る必要はない。
これは、ゲームではないのだ。
面白半分でカップル成立などさせてたまるか。
俺は俺の出来る限りで、こいつらの根性を見定め、この上ない幸せに導いてみせる。
「お前ら──好きな女子・女性の情報、欲しくはないか?」
『!』
「俺はここ数日で、およそ十三人ほどの詳しい情報を得ている。学園の教師や生徒だけじゃなく、ギルドでも情報を集めた。そして、今後非モテ軍団二十五人に彼女を作れるようするために、残り十二人分の女子情報か、それ以上のものが必要とされるが、それにはお前らの協力が必要不可欠だ」
「なんだと……?」
踏みつけられたリーダー格が、ハァハァ言いながらこちらを見てくる。
せっかくこいつ用の女子情報を持ってるのに、なぜか教えたくないという気持ちが強まった。
「恋のキューピットとして動き出すには相手の心を射抜く矢がまだ足りない。だが、これが完全に射抜けるように洗練されていけば、お前らが俺の要求に臨機応変に対応出来るようになれば……。あとは言わなくても分かるな?」
俺の言葉に、非モテ軍団は納得したように深く頷いた。
こいつらは基本的にイケメンが多い。
というか、俺を除いたクラスのほとんどが美男美女だ。
それに加えて、個人個人が伸ばすべき長所を持っている。
人間性は……まあ、こういう行動を取りやすいところ以外は十分だ。
だからこそ、俺はその様子を見て、両手を大きく広げ、鼓舞するように。
「自らが得たいもののために情報が欲しいか!?」
『イエス!』
「自らが得たいもののために時間をかけられるか!?」
『イエス、イエスっ!』
「自らが得たいもののために自力で相手を魅了し、その恋を成就させたいか!?」
『イエス、イエスっ、イエスッ!』
ヒートアップしていく軍団に向かって、さらに追い討ちをかけるように。
「ならばその想い、途切れることなく、一つのことに集中させろ! お前らにはそれが出来る! 妬むな、蔑むな、さすれば与えられん! さあ──恋をしようじゃないか!」
『イエエエエエアアアアアアアアアアアァァァ!』
立ち上がった軍団が狂ったように声を張り上げたと同時に。
「──お前達、こんな所で何をしている!」
見回りに来た生徒指導の先生が、屋上の扉を勢いよく開けてきた。
赤と黒のジャージに竹刀を担いだ特徴的な見た目。
ガルドとは違い、生徒に一方的な暴力を振るうことを良しとしない高潔な心。
しかし場合によっては生徒へ真摯に、勇敢に、人生の先輩として立ち向かう姿勢を持つ。
調子に乗っている生徒のストッパーとして一役買っていることから、対非モテ軍団矯正用ヒト型汎用先生、通称“ジャージ竹刀”と呼ばれている先生だ。
学園教師陣や生徒からも、決して本名を呼ばれない人でもある。
「げぇっ、またジャージ竹刀に見つかった!?」
「全員、散開して迎撃するんだ!」
「捕まるなよ! 捕まったら俺達に明日は無いッ!」
「そう易々と俺から逃げられると思うなよ、今日こそ全員捕まえてやるからな!」
『やれるもんならやってみやがれえええええ!』
ジャージ竹刀VS非モテ軍団による大乱闘が始まった。
一部校内での魔法・スキルは使用禁止にもかかわらず、詠唱やスキルを叫ぶ声が轟く。
戦力差は一対二十五。
数の暴力を感じるが、相手は元Aランク冒険者。
Cランクの生徒が束になって向かっていっても、無様に返り討ちに遭うだけだ。
事実、校舎に響いていた悲鳴と怒号は次第に小さくなっている。
おそらく軍団が次々と気絶させられてるのだろう。
俺は見つかる前に迷わず手すりから飛び降り、真下にある自分の教室へ逃げ込んだので、その被害を受けることはなかった。
「ふっ、また世界を縮めてしまったな……。集まった情報を渡そうと思ったんだが、先生が来ちまったし、帰ってきてから教えてあげよう」
「そりゃ無理だな。あいつら今日の夜までずっと反省文書かされるはずだから、誰も戻ってこないはずだぜ。……ったく、朝っぱらからデケェ声出して何してんだか」
「若気の至りだよ、きっと」
「お前もだっつの」
もはや窓から人が入ってくることに誰も反応しない教室で、エリックが呆れながら声をかけてきた。
そういやこいつは非モテ軍団に入ってないんだよな。
……そうか。あいつらはどうしようもないくらい女慣れしてないヤツらの集まりだけど、エリックは素の状態でモテるし、そのせいか女子の対応もしっかり出来るから入団の必要性皆無なのか。
やはり世の中イケメンが勝ってしまうんだな。
「あの人、また窓から入ってきたよ?」
「非モテ軍団も彼も、何がしたいんだろうね……」
「単に目立ちたいだけでしょ。昨日、隣のクラスのルナさんと決闘したらしいし」
「ふーん……。そういえば、結局あの人のこと私達何も知らないよね」
「シノノメさんにでも聞いてみる?」
「まだ来てないみたいだし、あとで聞こうよ」
あの軍団を見た後だからか、なぜか妙にキラキラして見えるガールズトークを尻目に席につく。
ひそひそ話のつもりなんだろうけど、丸聞こえなんだよね。何かするって気にもならないけど。
ホッと一息ついて、放置されたままだった鞄から教科書を取り出していると。
「そういやお前、大声であんな風に言ってたが本当に出来るのか?」
エリックが興味深そうに尋ねてきた。
真下に教室があったからか、俺の声も筒抜けだったらしい。
「あー、さっきのこと? もちろん出来るよ。あいつらがどこまで本気になれるかで気合の入れ方が変わるから、かなり成功率は変わるだろうけどな」
「生半可な気持ちでくっつかせたくないってことか?」
「当たり前だろ。もしかしたら将来結婚するかもしれない可能性があるってのに、遊びで付き合わせてたまるかよ。お互いの意識を友達感情から純愛感情に変えて、覚悟を決めた上で告白できたら合格だ」
「な、なかなか本格的なんだな……」
「頼まれた以上、出来る限りのことはやってやるってだけだよ?」
人として当然の行動である。
そのせいで何回か病院送りにされたことはあるけど。
「だとしても、話したことのない相手にそんな熱心になるヤツも珍しいと思うけどな。……お前、記憶無くす前、絶対お人好しとか呼ばれてたんじゃないか?」
「俺がお人好しかどうかの判断は他人に任せるよ、わかんないし。……でもまあ、実はこれ、ジャージ竹刀に依頼で頼まれたからやってんだよ。あいつらへの対策ってことで」
「……は?」
欠伸をしながら、ポカンと口を開いたエリックに向かって、ジャージ竹刀に頼まれた経緯を話す。
日に日に悪化していく非モテ軍団の嫌がらせ行為。
ジャージ竹刀は今まで通りの方法で一時的な鎮圧を行っていたが、非モテ軍団の中には腕の立つ生徒も多く、周囲に及ぶ被害が尋常ではなくなってきたのだ。
これ以上の被害を抑えるべく、どうすればいいか頭を捻り、そして苦難の末に考案した依頼を特待生の俺に提出した。
その内容は、『学園内に残存する非モテ軍団の解体』。そして、『解体方法に関してはなるべく穏便な方法を取ること』。
あの人、あろうことか考えるのが一番難しい部分を全部俺に丸投げしやがった。
確かにあの軍団が起こす騒動は目に余る。
だからといって、こちらも暴力で解決していいはずもない。
ならば、どうすればいいか。
簡単な話、その軍団を構成する要素──原点を取り除けばいい。
つまり、非モテ軍団をモテるようにする。
そうすればあいつらの報復行動も徐々に減っていくだろう、という結論だ。
「……っとまあ、大体の流れはこんな感じだ。せっかくここの校則に『生徒及び教師間の交際を可能な限り自由とする』、なんてものがあるからな。利用しない手はないだろ?」
「……確かに。いい案だと思うぜ」
一瞬、俺の言葉に悲しそうな顔で笑い、エリックは寝るわと言って机に突っ伏した。
なんだろう、こいつも恋の悩みを持ってるのか?
やっぱり世の中って、イケメンを中心に回っているのかもしれない。
「アカツキさん。話があるのですが、よろしいですか?」
ホームルーム終了後。
掲示板へと向かうエリックを見送り、今日はどの授業を受けようか迷っていると、ミィナ先生が話しかけてきた。
あのバケモノ事件以降も、先生とは記憶喪失の件や生活で困っていることはないか、などの話題で話すくらいの交流はある。
ただ、顔を会わせる度に『無茶してませんか?』と真顔で心配されるのはなぜだろう。
これでも平和的な生活を送っていると思うのだが。
とりあえず手招きしている先生に小走りで駆け寄る。
「何かあったんですか?」
「特待生依頼です。魔法学のリーク先生はご存知ですよね? 早急に手伝って欲しい事があるから研究室に来てくれ、と伝えられまして……」
「……あー」
また特待生依頼か。
フレン、ジャージ竹刀に次いでこれで三件目だ。
まだまだ少ないが、これから徐々に増えていくんだろうなぁ……。
「しかし、リーク先生から依頼が来るとは。…………俺、生きて帰れますかね」
「だ、大丈夫です。私も時々手伝わされますが、なんとかなってるので!」
「それ、先生だからなんとかなってるんじゃ……?」
俺の縋るような視線に、ミィナ先生はそっと目を逸らした。
リーク先生の授業自体、『考えるな、感じろ』が基本の大雑把なものだ。
魔法学なのに座学が少なくて、戦闘学並みに身体を酷使する。
この前は珍しく座学中心だったが、普段はグラウンドで授業を行う。
そこでスパルタなしごきを受けるのだが、十分も耐えれば良い方と言われている。……ちなみに、俺は五分も経たずに倒れた。
しかし、授業の効果は凄まじいようで、魔法と肉体の両方に特化したスキルを習得しやすくなり、魔力をより深く理解出来るようになったと言う人が増えたそうだ。
肉体派ウィザードを目指す人なら、受講しても損はない。
俺は魔力操作から派生するスキルを習得しようとして、操作しきれず暴走しかけてしまったが。
いやぁ、リーク先生が回復してくれなかったら病院送りでしたね。
「えっと、まあ、そういうことでして……。今からよろしいですか?」
「それは別にいいですけど、どうせ依頼も授業と似たようなものなんですよね、きっと。……ポーション持っていこうかな」
なるべく準備はしていった方が良いな、家に在庫あったっけ? などと思案する俺に、先生は柔らかい笑顔で。
「その依頼のことなんですが──今回は、私も同行します。条件として男女の二人組みで来て欲しいとのことで、リーク先生が、せっかくだからと私を指名しまして。……あの、私が勝手に指名されただけですので、他に頼れる人がいるというのであれば、無理に私でなくても」
「構いませんから喜んで行きましょう!」
不安は空の彼方へと吹き飛んだ。
研究室とプレートに書かれている扉を豪快に開け放ち、中に入る。
ミィナ先生の視線が突き刺さってくるが、物珍しいものはないかと中を眺めてみた。
学校の理科室にあるようなフラスコや試験管。
ホルマリン漬けの何か。
あまり見かけたことがない器具。
そして、なぜか部屋の隅に置かれている大量の爆薬。
まさに研究室という内装をしているが、動線の邪魔にならないように器具が置かれている辺り、これでも整理はしているらしい。
「──ふむ、来たか」
部屋の中でも一際大きな机に寄り掛かり、窓の外を見つめる女性が振り向いた。
白衣を軽く羽織り、背中に流れる黒髪を雑に束ねているが、それでもため息が出るほど整った容姿を持つ女性。
鋭い目付きとその風貌からガサツな印象を受けるが、この人こそが魔法学担当のリーク先生だ。
魔科の国から学園長にスカウトされた元研究者であり、魔法研究や錬金術が趣味。
趣味が合うことから、ミィナ先生と非常に仲がいい。
ガルドとの決闘を見てから俺に──詳しく言えば、俺の魔法に興味を持ったらしく、その関係から授業以外でもよく話す。
そして、この印象と姿からは考えられないが既婚者であり、悲しいことにまな板である。
「おい、クロト。今、失礼なことを考えなかったか?」
「いえ、何も」
とても男勝りな性格をしていて、授業もずっとこんな感じだ。
しかも勘が鋭いのか、人が考えてることを大体の予想で当ててくる。
肝が冷えるのでやめて欲しい。
「……まあいい。それより早速来てくれたことだ、依頼の説明をしよう」
睨みを利かせた視線を外し、リーク先生は俺とミィナ先生に座るよう指示すると、魔力保存用の試験管を用意しながら話し出した。
「男女の魔力は属性に左右されず、混じりやすい性質を持っているというのは知っているな?」
「魔科の国の魔法研究所により証明された特性、ですね。リーク先生も研究所の一員だと聞きました」
「そうだ。では完全に混じり合い、一つの魔力となるには時間がかかるのも理解しているな?」
「はい。検証結果では確か……、約五分程でしたか?」
「うむ、一時的体循環による属性適合理論から算出された時間だ。それで──」
一方的に続いていてく教師同士の魔法談義。
俺、ここまで一言しか喋ってないんだが。
ついでに言うと会話内容がさっぱりわからない。
もしかしてあれか、俺に話しても理解出来ないから、話が解る先生を指名したってことだろうか。
だとしたら俺が来る必要って……?
……考えても仕方ない。暇だから、持ってきていたノートに家計簿でも書いておこう。
「──なるほど。確かにその理論が正しいのであれば、アカツキさんの力が必要ですね」
「だろう? 彼の魔法は特殊属性の中でも、非常に実用性が高いものになるかもしれない。だからこそ、これはじっくり調べたいと思ったのさ。今日はその前準備で、検査とサンプル収集を行いたいから、ミィナも呼んだというわけだ」
書き終わってさらに暇になったので、置いてあったティーポットで三人分の紅茶を淹れようとしていると、ミィナ先生がじぃっと見つめてきた。
向かいに座るリーク先生も、何か確信を持った表情で頷いている。
あれ、なんか話まとまってた?
「説明したところで……ミィナはいつも頼んでるように、こいつに各属性の魔力を込めてくれ。量は控えめで、半分くらいでいい」
「わかりました」
「頼むぞ。それでクロト、君からは──」
頭に疑問符しか浮かんでこない俺に向けて。
「倒れない程度に血を採血させてもらう。ああ、安心していい。輸血パック分の金は経費で落とすからな。いや、もしこれが成功すれば、輸血の必要も無くなるかもしれない。それは君にとって悪い話ではないはずだ」
ごめんなさい、俺でも理解出来るような説明で簡潔に教えてください。
どこからか取り出した注射器を片手に、普段とは打って変わって、ニコニコと笑いながら迫ってくるリーク先生。
正直に言おう、悪魔にしか見えない。
ミィナ先生に助けを求めようにも、そそくさと別室に移動して作業を始めていた。
研究室と別室は完全防音仕様になっているから、騒いでも声は届かない。
味方が近いようで遠くなった。
「……何をそんなに怯えているんだ? さあ、腕を出せ」
「怯えるわ! その注射器デカ過ぎるだろ、病院のより三倍は太いじゃないか、どんだけ摂るつもりだよ! しかもどういう流れで俺の血が必要になったんだ!?」
綺麗な女性に迫られるとか羨ましいシチュエーションだけど、凶器持って近づいてくるシチュエーションはノーセンキュー!
やられるならミィナ先生からの方が数倍マシだ。
壁に追い詰められた俺の叫びに、首を傾げたリーク先生は考え込むと、ハッと顔を上げ。
「そうか、私がナース服ではないから不満なのか? それとも私にミィナほどの色気がないからか? すまない、残念ながらナース服は持ち合わせていないんだ。夫との夜はまだそこまで発展していないからな。だから代わりと言ってはなんだが、私の身体で……」
「誰も夫婦の営み経過なんざ聞いてないから! しかも人妻のくせに露骨に胸と腰を強調させて近づくるな、思春期の男子には過激すぎるわ!」
「こうして誘惑すると、あいつは喜ぶんだがな……」
「知らんがな!」
ちくしょう、普段なら喜んでガン見するのに、人妻だから罪悪感が……っ!
しかもこの人、スレンダーだがスタイルはいい。
顔も髪も整えれば、かなりの美人になるだろう。
だから──すみません、名前も知らないリーク先生の旦那さん。
あなたの妻は今、こうして学園の生徒に色仕掛けをしていて、俺は耐え切れずチラッチラッっと見てしまっています。
さらに言えば、なぜかこの人は本気で落ち込んで、体育座りし始めました。
フォローはしておくので、あとで慰めてあげてください。
「……すまない、取り乱したな」
「いや、話を聞いてなかったこちらが悪かったので。……すみませんでした」
あれから数分後。
なんとか平常心を取り戻したリーク先生を座らせ、先ほどの説明を聞く。
どうやら先生は俺の血液──正確に言えば、血液魔法の性質を見抜いていたようだ。
授業では体内の魔力を感じ取ったり、魔法関連スキルの習得ぐらいで、実際に魔法は使っていない。
なのにどこで見抜いてたんだろう? と聞いてみると、
『どこでって……ガルドとの決闘の最中でだが?』
さも当然のように言ってくれたよ、この人。
しかし見るだけでは理解を深められないため、血液魔法の詳しい検査を特待生依頼と称して、ミィナ先生に伝えたそうだ。
ミィナ先生を同行させたのは個人的理由らしいが。
とにかく、これで依頼の内容を十分の一くらいにまとめてくれたそうなので、さすがに俺でも理解出来た。
その結果、全面的に俺が悪いということに気づいてしまったので、今こうして謝罪している。
「……あれは魔法に精通した者同士が話す知識だから、君がついていけないのも無理はない。それに、説明不足だったのも事実だ。受講してくれる生徒達も大分体力がついてきたから、来月からは座学中心の授業になっていく。その時にでも学んでくれればいい」
「はい、そうします」
「あと、久しぶりに興味を惹かれる対象が見つかったから研究者心が騒いだというか、ミィナとあれだけ話し込んで興奮していたからというか……。ともかく、あの暴走行動は忘れてくれ」
「絶対──いや、確約はできませんけど、忘れます。でも、なんというか、その」
「もういいさ……、悪いのは私だ」
リーク先生はそう言うと、落ち着いた様子で紅茶を呷った。
「それ、軽く冷ましても淹れたばかりだから結構熱いんですよ」
「ぶふっ!? そ、それを早く言え! 喉が焼けるかと思ったぞ!」
「目の前で淹れたの見てましたよね!? あんたどんだけ動揺してるんだよ!」
「動揺もするだろう!? 自制心が効かなかったとはいえ、生徒に向けて、あ、あんな行動を……っ! それに口が滑って言わなくていいことも言ってしまった……! こんなの、恥ずかしくて死にそうだ!」
めんどくさい、この人すごくめんどくさいよ!
口調は強気なのに羞恥の基準が乙女ってどういうことだ!
「とりあえず落ち着いて! もう採血はしたんだから、次は何するんですか!?」
「あ、ああ。それじゃミィナを呼んできてくれ」
「そう言うと思って、待機してましたよ」
タイミング良く別室の扉が開かれ、ミィナ先生が出てきた。
机の上に液体化している魔力が入った試験管を置くと、チラチラと俺の方を見ながら、額の汗を拭って椅子に……。
…………研究室って、外より涼しいんだよね、冷房がしっかり効いてるから。
なのに、先生の顔が妙に赤いのはなんでだろう?
「──先生、見てましたね? 俺達のやりとりを」
「っ!?」
「ななななんのことですかアカツキさん! 別に私はいつの間にかリーク先生が過激な行動をしようとしてたから今後のために学んでおこうと思って見てたわけじゃありませんよ!」
「見たことは否定しないんですか……」
「ま、まあ校則で教師と生徒の自由恋愛は認められてますしむしろ推奨されてるのでこういうのもアリなんですねとか、結婚してるのに度胸あるなぁとかちょこっとやましい気持ちもあって覗いたのは謝ります! けど仕方ないじゃないですか! 私だって女ですからそういうのは気になりますよ!」
「なんか余計なことまで口走ってませんか?」
だが、思わぬ所で情報を入手したな。
少なくとも、男性恐怖症のせいで女性趣味に目覚めたとかそういうのはないみたいだ。
男に関心があるのなら克服するのに時間はかからないかもしれない。
ともかく女同士の掛け合わせが好きという可能性はなくなった。
……だが、恋が実らないってのは想像している以上に残酷だ。あいつ、どうやって先生を誑しこむつもりだったんだ?
あと、関係ないけど、先生が顔真っ赤にして首を振る動作が凄く可愛い。
写真に収めておきたいくらいだ。
というか俺、その場のノリでこんなこと聞いてるけど、絶対怒られるよね。
半殺しにされるのは覚悟しておこう。
「でもリーク先生は私より酷いですよ!」
「ほう、具体的には?」
「毎日会う度に抱きついてきては身体をまさぐってきますし、隙を見つけては研究で使う魔力試験管に魔力を溜めさせようとしてきますし、それに乗じて胸を触ったりお尻を撫でたりするセクハラをしてきたりするんですから!」
試しに問いかけただけなのに、なぜか饒舌に話し始めるミィナ先生。
ストレスでも溜まってたのか。
「おおおおおあああああああああぁぁぁぁぁ……!」
それを聞いたセクハラ先生は、真っ赤にした顔を覆ってうなだれ、女性にあるまじき悲鳴を上げていた。
だからあんたの羞恥のラインはどこなんだよ。
「その他にも色々やってくるんですよ! この前だってお昼ご飯の唐揚げに勝手にレモンかけてきたんです! だから仕返しにお酢をかけましたっ!」
「へー……。でもその話だと、仲のいい親友同士がふざけ合ってるように聞こえますね。微笑ましいと思いますよ。……それと唐揚げにレモンは戦争が起こります、確実に」
「その胸が羨ましいんだから仕方ないじゃないかあああああ! 胸さえあれば……、胸さえあればあいつはもっと甘えてくるはずなんだよおおおおおおおおおおお!」
「別に旦那さんはそんなこと気にしてないと思いますよ。世の中には好きになった人の胸が好きという人もいますし。それに、旦那さんが甘えることのできる唯一の人物は自分しかいないと考えれば、悲観的になることもないと思います」
……この事態を引き起こした俺が言うのもアレだが、基本弄られやすい人が多いな、この学園。
「ふぅ……。アカツキさんに話したら、なんだか気分がスッキリしました」
「……そうだな。こうして共有の相手に本音を話すっていうのも、悪くない」
「俺でよければ愚痴ぐらいいつでも聞きますよ。新しい紅茶注ぎますね」
「ああ、頼む」
「お願いします」
数分後、どこか晴れやかな表情で微笑み合う教師二人に和みつつ、茶葉を変えた紅茶を差し出す。
二人は紅茶をゆっくりと口に含み、一息ついて。
「「……そういえば、何か忘れてるような……」」
俺は二人に本来の目的を教えた。
生徒の賑やかな喧騒が響く学園食堂。
窓際のテーブルでちびちびと砂糖水を飲みながら、俺は同席しているエリックとシノノメに最近の出来事を話した。
「──まあ、こんなことがあった後、検査を手伝うことになって一週間も研究室に入り浸る羽目に……。魔力が枯渇しては、気絶して起こされてを繰り返される毎日でした」
「どうりでこの頃お前の姿見かけねぇなと思ったけど、そんな理由があったのか」
「過酷な労働環境で働く人の気持ちがよく分かった気がするよ」
「それは、大変でしたね……」
美人教師と一室で二人っきり。
などという甘々な場面なんて、現実においては幻想に過ぎないと、俺は今回の体験で理解した。
魔法で気絶寸前まで抜き取った血液を、魔力が込められた試験管に数滴垂らして観察。
途中経過と結果をまとめて、リーク先生に提出。並行作業しても三日もかかってしまった。
さらにその間、実験してから放置していた試験管が暴発。
幸いにも爆薬に引火することはなかったが、俺が黒焦げになった。
あれ、痛かったなぁ……。
「あの人、旦那が仕事でグリモワールにいるから家に帰っても暇だって理由で、俺を巻き添えにして徹夜したんだよ」
「夜になっても研究室の照明が消えてなかったのは、アカツキさんと先生が原因だったんですね」
「先生が授業に行ってる以外の時間も、ずっと研究室に篭りっぱなしでさ。家に帰れなかったし、鍛冶の練習にも行けなかった……」
「それはきっついわ……。けど、そんなに頑張ったんなら報酬はかなり弾んでくれたんじゃねぇか? ……なあ、何貰ったんだ?」
興味ありげなエリックの疑問に、答えとしてデバイスを手渡す。
向かいに座るシノノメと共に、スキル欄を開いたデバイスを覗き込んで、二人は固まった。
『スキル』
《錬金術師:初級》
=《爆薬精製》《ポーション精製》《フルーティテイスト》
《ルーン操術師:初級》
=《高速刻印》《能力付与》《属性付与》
《高速事務作業》
《魔法感知》
《魔法解析》
《アクセラレート》
《コンセントレート》
報酬として習得した新スキル。
その量を見て、二人は声を出せずにいるようだった。
「見ての通りアルケミストとルーン操術師の補助スキルに、メイジの汎用と専用スキルを二つ習得させてもらった。事務作業はなんか勝手に覚えてたけど……。あとは錬金術用の道具に、爆薬とポーションのレシピを貰ったよ」
「事務作業は置いとくとして、これだけ支援型クラスのスキル持ってれば、ダンジョン攻略がすげえ楽になるな」
「さすがですね……」
「いやぁ、検査の合間に個人授業って形で教えてもらったらね、いつの間にか習得しててさ」
しかし肉体的にも精神的にも疲弊している身体にとって、授業は毒薬でしかなかった。
俺がユニーククラスであることは伝えていたが、まさかあんなことになるとは……。
『授業時間をこんなに削ってまで手伝ってもらってるんだ。これくらいのことはしてやらないとな』
そう言って、リーク先生はフラスコ爆薬を片手に笑っていた。
でも深夜から朝まで、ってのは新手の拷問だろ。
睡魔をコーヒーで抑えるのも限度がある。
あの人、なんで徹夜になるとテンション上がるんだよ。昼間よりずっと生き生きとしてたぞ。
「せめてもう少し仮眠とか休憩時間を増やして欲しかったけど、疲れただけで報酬がこれなら儲けものだと思う。検査のおかげで、血液魔法の詳しいことも解ったし、新しい魔法も作れたからさ」
「新しい魔法?」
「そうそう。思った以上に簡単で、この場でも出来るんだ。ちょっと見てなよ」
借りてきた二つのコップに水を入れ、それぞれに塩と砂糖を投入する。
「当然の話になるけど、人やモンスターは血液自体に魔力が宿っていて、そこから魔力だけを抽出して魔法へ使用する……ってのは、二人も知ってるよね?」
問い掛けに、二人は興味深そうに頷いた。
「でも俺の場合は血液に魔力が宿ってるんじゃなくて、魔力が生成される源である体内器官──心臓の血液を体内に循環させて、武器を作る時だけ体外に放出してるんだ。だから俺は心臓以外の肉体が魔力慣れしてなくて、逆に魔力を阻害する壁が薄くて損失が少ないから《魔力操作》との相性が良いらしいよ」
「へぇ、なるほどな……ん? 流しちまうところだったけどよ、それ、ヤバくねぇか?」
「ヤバいよ? だって心臓から血液を抜いてるって事になるんだから、そりゃ血液魔法で作った剣を壊されたら死にそうにもなるよね」
何気なく言い放つと、二人は急に黙り込んで俯いた。
特にエリックは血の剣を破壊した経験があるので、気に病んでいるのだろう。
「この間の事を気にしてないって言ったら嘘になるけど、お互い何も知らなかったし、それに今はこうして何ともないんだから、過ぎた事をいつまでも悔やんでるなよ。シノノメもそんなに気にするな」
「あ、ああ……悪いな」
「……分かりました」
「うん。んで、話を戻すけど」
俺は十分に掻き混ぜた塩水と砂糖水を二人の前に差し出す。
「多種多様でまだ把握しきれていない事も多い血液魔法ですが、解った事もあります。例としてこうして塩水と砂糖水を作ります。ちなみに何かを混ぜた液体じゃないと、この魔法は成功しない」
「へー……」
「ということは、特定条件下で使用可能な魔法なんですね」
「そうなるのかな。それで次に魔法で血のスプーンを作って、さらによく掻き混ぜておく。あ、ここがポイントで、混ぜながらスプーンを経由して魔力を込めます。すると……」
「「すると……?」」
向こう側まではっきりと見えていた透明な砂糖水が、一瞬にして赤黒く変色する。
スプーンを抜き、塩水も同様にかき混ぜる。
数秒ほどで血液と化した液体が入った二つのコップを、呆然と見ていた二人の前に差し出す。
「新魔法、《レッド・リカバリー》。砂糖や塩を溶かした水を、ってか水じゃなくてジュースとかでもいいんだけど、それに魔力を与えることで血液に変換させる魔法なんだ。しかもこの血には回復効果があって、これを飲めば表面の傷はもちろん内臓の損傷まで治る上に、他人の血液に適応して吸収されるから、貧血気味の人が飲めばすぐに元気百倍になれるんだよ!」
「その反面、見た目はかなりグロいってことか……。じゃあこの魔法さえ使えれば、もう輸血パックに涙を流す必要は無くなったのか?」
「その通り。これでようやく治療費とか輸血代金への支出を抑えられるようになったわけだ。……ああ、ちなみに一度血液に変えると二度と元の液体に戻せなくなるから、それはサービスだと思ってぐいっと飲んでくれ」
「「えっ」」
二人は目線を俺からコップに移すと、冷や汗をかきながら目を逸らした。
「いやその、あんま大したケガとかしてねぇし、貧血気味でもないから、遠慮したいなーって思ってるんだけど……」
「私は別に構いませんが、その、飲むには少し、心の準備が……」
「大丈夫。元が水と砂糖と塩だから、血液とはある程度違う味になってるし、血液魔法の構築文に浄化のルーン文字があって細菌とか血中の毒素とか取り除かれてるし、飲んだ瞬間に身体に適応した血液に変化するから問題ないよ?」
「「……でも」」
「外見がゲテモノだろうと、味が普通なら意外と飲めるもんだよ?」
まだ言い訳をしようとする二人にコップを持たせる。
波打つ表面に二人の顔が浮かんでいるが、その顔色は悪い。
「さあ──どうぞ召し上がれ」
「「…………」」
──当然と言えば当然なのだが、結局二人は飲まなかった。
見た目を変える方法でも考えようかなぁ……。
アカツキ・クロトの借金総額、百万メルから変動無し。
頑張って返済しましょう。
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