自称平凡少年の異世界学園生活

木島綾太

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【二ノ章】人助けは趣味である

第十三話 新しい日常

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 カンッ、カンッ、カンッ、カンッ──!

 熱せられ、赤々と燃える鉱石を鉄床に乗せ、大きく構えた金槌を振るう。
 何度も。
 何度も何度も。
 火花が散り、頬を掠めていく。
 火に強い素材で作られた着流しに、額を伝う汗が落ちる。
 いつも以上に神経を磨り減らす作業に、呼吸が乱れそうになる。

「……っ」

 薄く延ばされた鉱石を、再度炉の中に焚べた。
 轟々と燃え盛る火炎は瞬時にしてすべてを呑み込んでいく。
 こうして鍛冶場に入り浸るようになってから、どれだけ鉄を打っただろう。
 最初は精錬した精製金属インゴットを鍛冶場に運び込む依頼の為だけに訪れた場所だった。
 だが、この鍛冶場独特の空気、だろうか。
 鉄と汗と、燃え上がる炉の白い炎。
 そして一心不乱に槌を振るい、生き生きとした表情を見せる職人の姿に、俺は思わず息を止めていた。
 腰に下げた、直すと決めた剣が、僅かに震えた気がしたのだ。

「……ふっ」

 鉄のハサミで熱した刀身を取り出し、挑むように叩く。

 ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ──!

 話によれば、鍛冶場を利用する学生などいないらしく、利用者の大半は学園専属の鍛冶職人のみ。
 本来であれば、鍛冶のかの字も知らない俺が利用するなどおこがましいことだ。
 そうだとわかっていても、俺は剣を打ちたかった。
 何人もの職人にダメだ、出て行けと言われたが、それでも頼み込んだ。
 そして。

「もっと強く打つのじゃ、力を込めろ!」
「はいっ!」

 後ろで作業を見守る親方に見初められ、俺は直接指導されることになった。
 学園専属職人では最年長であり、ドワーフである親方の指導は、正直に言って厳しい。
 知識と経験を同時に教え込む実践型にはかなり骨が折れた。
 おかげで短期間の内に、いくつかの鍛冶関連スキルが増えたが、これからを考えると損はないだろう。

「お主の力はその程度か! 教え込んだものを全て使え!」
「はいッ!」

 親方の真剣な視線と怒号を浴びせられ、金槌を握る手に力が入る。
 鍛冶では一切のミスが許されない。
 一つのミスで、どんな名刀も駄作になってしまう。
 ここ数日で何本か剣を作り上げたが、どれもこれもが芯が曲がってまともに振れなかったり、切れ味が鈍くなってしまった。

『鍛冶師としての技術を高めろ。所詮、スキルは技術と知識の補完に過ぎないのじゃ。過信はするな』

 親方がよく言っている言葉だ。
 それで完成度が高くなっているとしても、スキルに頼りっぱなしはできない。
 実践により高めた技術と経験をフル活用し、思い描いた剣の形を、柄から先を形成する。
 今の俺にノーミスで最後まで、なんてのは無理なことだろうが、挑戦するには丁度いい緊張感だ。
 自分に出来る最大限を打ち込み、最高の武器を作りあげる。
 量産品以下の性能だとしても、これこそが俺自身の力で作成した、俺だけの武器だ。

「……よし!」

 静かに横たわる新たな相棒の姿を眺め、鍛冶の成功を確信する。
 柄には貰った片手剣のものを使用し、折れた刀身はつぶして、持ち込んだ黒鉱石のほとんどと混ぜ合わせたため、量産されている片手剣よりも若干黒く、そして長い。
 力強い印象を受ける全貌に、思わず感動した。
 ようやく、こいつを使ってやれる。
 途方も無い喜びが、胸にこみ上げてきた。

「……うむ。多少粗は目立つが、武器として最低限の能力を保持している。よくやったのぅ。もう少し鍛えれば、お主も立派な鍛冶職人になれるじゃろう」

 白い顎髭を撫でながら、親方はそう言った。
 親方が打った武器のことで褒めてくれるなんて、今まで一度もなかったのに。
 これで少しは認められたのだろうか。

「ありがとうございます! まだまだダメな所ばかりで、こいつを強くしてやれないけど、いつか最強の剣に仕上げたいと思ってます!」
「ふむ……。お主の強みは素直な向上心とおごりの少なさ、そして愚直なまでに知識を習得しようとするそのじゃ。鉄のように鍛えやすい男など、久しぶりに見させてもらったぞ」

 親方は人とドワーフのハーフで、鍛冶一筋で生きてきた生粋の鍛冶職人だ。
 いろんな人を見てきたからこそ人をその気にさせるセリフの言い回しが多く、何度か調子に乗りそうになったが、それが罠だと気づくのも修行だと思い、日々精進してきた。
 公共の鍛冶場を利用したり、図書館から鍛冶について書かれた本を読み漁るなど。
 そんな俺の姿を知っていたからか、親方は自前の工房で剣を打たせてくれた。
 結果として、ここ数日で随分と鍛冶の技術も上がって、根性も付いてきたと思う。

「お主を見下していた彼奴あやつらの中にも、一週間程度でここまで腕を上げた者はいなかった。彼奴らでもこれを見れば、お主の腕を素直に賞賛するじゃろう」
「そういえば、最初は当たりが強かったけど、だんだんと態度が柔らかくなってたような……」
「お主の存在が、それだけ彼奴らに強く影響しているからじゃろう。腑抜けた顔をしておった奴も、最近は張り切っておるからのぅ」

 豪快に笑いながら、親方は肩を叩いてくる。
 ハーフだからか人と変わらない身長差で、しかもその身体は筋肉の塊のような外見で叩いてくるのだ。
 ぶっちゃけ、叩かれる度にめちゃくちゃ肩が痛い。

「さて……、もうすぐ夕餉ゆうげの時間じゃ。今日も儂の家で食べていくといい。お主がいれば、レインも喜ぶ。先に行け、儂はやることがあるからのぅ。片付けもよい」
「はい。それじゃお先に上がります」

 新生片手剣──名付けるなら、黒鉄くろがねのロングソードとでも言おうか。
 鞘に納めた獲物を、背中に背負う。新たな重みと共に、汗だくの額を拭って親方の家へ歩き出した。



 茜色に染まる夕焼けの空。
 露店で賑わいを見せる大通りメインストリートから少し外れた所にある、親方が営む鍛冶屋と並列して建てられた、レンガ造りの大きな民家。
 それが親方の家だ。
 俺は剣を担ぎ直し、木製のドアを叩く。

「はーいっ。よいしょ……」

 しばらくして、中から小さな女の子が出てくる。
 年齢は十歳。大きな目と長い水色の髪をリボンで束ねていて、ニルヴァーナの制服を着た子だ。
 料理中だったのかエプロンを着けている姿で現れ、俺を見るなりパッと明るい笑顔を浮かべる。
 そう、この子が親方の孫、レインちゃんだ。

「クロトお兄さん、お帰りなさい!」
「あははっ。ただいま、レインちゃん。今日も世話になるよ」
「はい! お風呂はもう沸いてるので、早めに入っちゃってくださいね」
「うん、そうする」

 さも当然のように挨拶を交わし、家に入る。
 ここ最近は親方の家で夕食を済ませることが多く、鍛冶で汗だくになった身体を洗う為にお風呂までいただいていることが多い。
 初めて来た時は、さすがのレインちゃんも俺を警戒していたが、今ではこんなに懐いてくれている。
 というか、もはや家族のように扱われている気がする。
 親方も俺とレインちゃんが仲良くしてると、嬉しそうに頷いてるし。

「でも、疲れてるからって、お風呂場で寝ないようにしてくださいよ?」
「…………あー。うん、善処する」

 浴室前でくるりと身体を回し、頬を膨らませ、怒ったような顔で注意してくるレインちゃんに、目をらしながら頰をく。
 実はここに来た初日、俺は風呂場で溺れかけたのだ。
 初めての鍛冶場作業で疲れてたこともあり、ついウトウトしていたら、浴槽にプカプカ浮いていたと後で教えてもらった時は、全身の血の気が引いた。
 あんなショッキングなことをもう一度やろうとは思わない。
 起きたら、レインちゃん泣いてたし。
 ……常識的に考えて、会って数分とはいえ自分が知ってる人が死にかけてたら、そりゃ泣くよな。
 それに親方から教えられたのだが、レインちゃんの両親は既に他界しているそうな。
 だからレインちゃんは、赤ん坊の頃からずっと親方に育てられてきた。
 その際に、家事を任せっきりにしていて申し訳ないとか、ちゃんと女の子らしく育てられているかとか。
 親方の悩みを打ち明けられた時はどうしようかと思ったけど、レインちゃんに直球で聞いたら。

『お爺ちゃんが頑張ってるんですから、私も頑張らないと。家族なんだから当たり前です。それに、今はお兄さんもいますから。……私、とっても嬉しいんです。お爺ちゃんはもちろんですけど、こうして気軽に話せる人がいて、笑い合える時間が。だから、お爺ちゃんとお兄さんが悩む必要なんてないですよ』

 親方と俺、思わず号泣。
 レインちゃんは純粋で優しい子やでぇ……。

「その後は夕食です。今日は商店街でいっぱい買い込んだので豪華ですよ!」
「おー、いいね! レインちゃんのご飯、楽しみにさせてもらうよ」
「はい!」

 そして台所に向かったレインちゃんを見送り、俺は浴室に入る。
 着ていたものを洗濯用の魔道具に放り込み、いざゆかん──!



「そういえばお兄さん。その剣は……?」
「それ? 折れた片手剣を苦労の末にようやく直したんだよ。長く苦しい戦いだった……」
「わあっ、おめでとうございます! これでお兄さんも魔法で倒れることがなくなるんですね!」
「お、おう。……俺の魔法、血が無くなると一瞬で終わるからな」
「噂ぐらいには聞いておったが、お主も難儀しとるのぅ」
「出血に耐性があっても、耐えられないものはありますから……」

 食後の穏やかな時間。
 台所で洗い物を手伝っていると、レインちゃんが壁に立て掛けた剣に気づいたようなので教える事に。
 なのに、なぜか俺の心にダイレクトダメージが……。
 しかも無邪気な笑顔で、無意識で言ってくるからかなりこたえる。
 こんな時に心配してくれる親方の優しさが身に染みます。

「授業とかで魔法の理解は深めてるけど、それで改善策が見つかるかどうか……。それが分からない限り、どうにもならないよ」
「でもその欠点が改善出来たら、お兄さんの魔法、すごく強くなりますよね?」
「どうだろうね。血があれば武器は作れるけど、逆に言えば血がなかったら使いものにならないからさ。それに魔力量も平均だし、改善したとしてもなぁ……っと、これで最後かな」
「あっ、そうですね。お手伝い、ありがとうございます」
「気にしない気にしない。晩御飯ご馳走になってるんだから、これくらい当たり前だよ」

 タオルで手を拭きながら、にこりと笑うレインちゃんに親指を立てる。
 むしろこれくらいのことでしかお礼できないからね、仕方ないね。
 ほぼ一人暮らしの生活で磨いてきた家事能力が火を噴くぜ。
 今度は食材持ってきて、一緒に料理でもしようかな?

「──うむ、実に良い!」

 ……こんな風にだが、俺とレインちゃんが会話をしていると、親方のテンションが非常に高い時がある。
 いい笑顔で親指を立てているその姿は、普段の威厳すら感じられない。
 レインちゃん曰く、俺が来るまではあんなはっちゃけた様子を見せたことはないとのこと。
 一体親方に何があったっていうんだ?

「うむうむ、それでこそ未来の……む? クロトよ、そろそろ帰る時間ではないか?」

 お茶を啜り、聞き逃したくなかった部分を自らさえぎった親方に言われ、壁に掛けられた時計を確認する。
 時刻は八時半を回っており、確かに帰るにはちょうどいい時間になっていた。
 別に寮住まいではないから門限は無いが、最近ずっと鍛冶と剣の作成に全力を注いでいたためか、特に疲れている。
 睡眠欲求が沸々と湧き上がってきた。
 明日は授業と依頼を受けようと思っているので、早めに寝ておきたい。

「んー……、それじゃ帰ります。いろいろあって疲れたので」
「うむ、外は月が出ているとはいえ夜道じゃ。気をつけて帰るんじゃぞ」
「はい。それじゃあレインちゃん、またね」
「気をつけてくださいね、お兄さん」

 玄関まで送りに来てくれたレインちゃんに手を振り、外に出る。
 昼間の喧騒をどこに置いてきたのか、寝静まった大通りに乾いた靴音だけが響く。
 結晶灯の淡い光と月光が照らす道を進み、何気なく空を見上げる。
 この世界でも幻想的な美しさを放つ大きな月。
 満月で、いつもより大きく見えるその姿に、足を止めて見惚れてしまった。
 ふと目をつむり、深呼吸すれぱ、今までの生活が想起される。
 バイトやトレーニング、『ファンタジー・ハンター』と恋愛相談、そして問題解決に明け暮れていた日本ではありえなかった新しい刺激。
 考えたこともなかった新鮮な日常を、俺は猛烈に楽しんでいる。

「……明日も晴れればいいな」

 そんな希望的観測を持って、俺は家路へと急いだ。
 明日もきっと、いい日になる。
 ダンジョン攻略禁止令から二週間目の夜は、涼しい風が吹いていた。



『スキル』
 《鍛冶師スミス:初級》
 =《武具理解》《一心入魂》《簡易的修理》
 《装飾細工師アクセデザイナー:初級》
 =《凝り性》《裁縫上手》《高速修繕》
 《鑑定:初級》
 =《素材看破》《解読術》《熟考理解》
 《トラップ解除:中級》
 =《早解き》《安全第一》《罠利用》《罠摘出》
 《各耐性系》
 =《出血耐性》《炎耐性》《雷耐性》
 《身体補助系》
 =《俊足》《強靭》《器用》
 《魔力操作》
 《アイテムピッチャー》

「……お前、新しいスキル覚えすぎだろ。こんな大量のスキル、久しぶりに見たぞ」
「前に拝見した時より増えてますね……」

 清々しい平日の朝。
 節約の為に食費を削り、パンと牛乳だけを食べる俺に、暇だからと俺のデバイスを見ていたエリックと、つられて覗いたシノノメがぼやく。
 普通、他人に自分のデバイスを見せるのは悪用される可能性があるのでご法度らしいのだが、既に何度も見せていることだし、特になんとも思わない。
 それでもユニーク系スキルは隠しておけと言われたので、素直に非表示設定にしている。

「いろんな依頼やってると自然に覚えてたりするからな、あのバケモノを倒した時に習得したスキルもあるし。ちなみに依頼で獲得したスキルポイントは貯めてるから使ってないんだ」
「それでこの習得量ですか……。やはりユニーククラスの影響もあるのでしょうか?」
「可能性はあるな。スキルのこともあるし、正直成長したら一番化けるのはクロトだろ。……いつか追い抜かれそうだぜ」
「冗談やめろよ、この前の戦闘学の授業で目に物見せてやろうと思ったのにさ……。あの防御スキル、卑怯だろ」

 食べかけのパンを口に放り込み、咀嚼しながら牛乳パックを手に取る。
 以前、身体がなまらないようにと参加した戦闘学の授業で、偶然エリックと組んだのだが……。

「これでもガーディアンを目指してるからな、隠し球の一つや二つは持っておくもんさ」
「ユニークアクティブスキル、《ディバイド》だっけ。魔法、物理、スキルにいたるすべての能力を半減、もしくはそれ以下まで下げるっていう……」
「フロウさんだけが持っている固有スキルですね。私もかなり苦戦しました」

 学園ランキング上位に食い込むシノノメでさえ、剣技のみの全力を持ってしても、ディバイドを破ることは出来ないのだ。
 当たる寸前の剣速でさえ半減させるのだから、居合中心の技が多いシノノメにはつらいらしい。
 さらにいやらしいことに、エリックは自分の防御の隙間を縫って反撃してくるスキルを持ってる。
 スキルが物を言う世界だからといって、切り返す瞬間を反撃で潰してくるのは、チート性能と言われても仕方ない。

「戦闘に直接関係してくるスキルも無いのに、エグい連携してくるお前に言われたくねぇよ。まあ、組み合わせ次第でスキルはこうなるってことだ。口で言うよりかは良い経験になったろ?」
「つい勢い余って血の剣ぶっ壊してくれた人の言葉は重みがあるな、ほんと」
「うぐっ!? い、いや、あれは不可抗力だって!」

 牛乳を飲みながら半目で睨むと、エリックはバツが悪そうに首を掻いた。
 あろう事かこいつ、連撃の速度を上げたら手加減も忘れて本気で打ち込んできやがったのだ。
 なんとか反応はできたものの、打ち所が悪かった剣は粉々になり。

「まさか壊れると血を回収できなくなるなんてな……。新発見だった」
「ほら、欠点が見つかったと思えばな、もし何かあった時に対処できるだろ? 俺はそういうのも考慮してお前に」
「後日また病院で輸血パックのお世話になったんですが? 今日を生きる為に必死な俺に対して悪魔の所業だと思うんですが?」
「すみませんでした」

 流れるようにエリックは頭を下げた。
 この間のバケモノ事件で俺に使ってくれたポーションの代金をエリックに弁償した上、さらに追い討ちをかけるように、医療費やボス部屋を埋めている瓦礫がれき撤去費用をギルドから請求されたので、サイフの中身がとても寂しい。
 出せる分だけは出したが、それでも返し切れていない分は借金という形で返済している。
 食費を削っているのはそれが理由だ。

「しかし、学園長も厳しいよな。ただの学生に借金払わせるなんてよ」
「壊した後のことを考えなかった俺の責任だし、特待生としての仕事が増えただけだと思えば良いし、なんともないし。……うん、なんともない」

 フレンから借金の話をされた時は目の前が真っ暗になったが、あまり苦しいとは思っていない。依頼をやっていけば、お金なんて簡単に集まるだろうし。
 ちなみに二人も借金については知っていて、何割か負担しようとしてくれた。
 けれど結局は俺の注意不足が原因だったということで、全部俺が払うという結論に。
 エリックはそれで納得してくれたが、シノノメは心苦しいのか、会う度にお金を払おうとしてくれる。
 気遣いはありがたいけど、なんかヒモ生活送ってるヤツみたいに思われるのは嫌だ。
 なので、ずっと断っている。

「このまま順調に生活していけば、問題なく借金は返済できるはずなんだ。この食生活も、それまでの辛抱なんだ……!」
「栄養偏ってるじゃねぇか、いつか倒れるぞ?」
「おいおい、この組み合わせを馬鹿にするなよ。世の中にはあんぱんと牛乳で一ヶ月を過ごすヤツだって居るんだからな?」
「居てたまるかそんなの」
「いや、居るんだって。だってあんぱんと牛乳っていうのはだな──」

 俺がいかにあんぱんと牛乳のコンビネーションが素晴らしいかを二人に熱弁しようとするが。

「あ、先生が来たみたいですね」
「なぬ? ……じゃあ、あとで話すとしよう」
「しなくていいっつの」

 エリックの呆れながら席に座り、シノノメも窓際の席に座る。
 ランクも違い、実力差もあるのだが、こうした他愛ない話が出来ている時点で、俺は二人と良い関係を築いていると言えるだろう。
 未だ他のクラスメイトは、男子しか声をかけてきてくれないが。
 ……やばいな、これじゃ日本の高校生活の再来になってしまう。
 なんとか女子とのコミュニケーションを取る有効策を考えないと。

「授業中に考えるか……」

 相変わらず大きな帽子を被り、元気に出席を取るミィナ先生を見ながら、俺は机に突っ伏した。



 それは突然だった。

「アカツキ・クロトッ! ここで会ったが百年目ですわ! ──私と勝負しなさい!」

 先ほど行われた魔法学の授業も終わり、次の授業はどうしようかと荷物をまとめていると、俺の名前を叫びながら教室に突っ込んできた女子にいきなり宣戦布告を言い渡された。
 授業終わりの騒がしさが一瞬で消失し、生徒全ての視線がこちらに集約される。
 なんなんだ、こいつ。明らかに不審人物だろ。
 それにここで会ったが……って、親のかたきみたいに言われたことに激しくツッコみたい。

「えっと、誰だ?」
「私のことなどどうでもよいのです!」
「いや、よくねぇだろ」

 円滑なコミュニケーションを取ろうとしたのに……。
 こいつも人の話を聞かない系統の人間──いや、耳が長い。エルフなのか。
 同じエルフでも、接し方が先生とだいぶ違うんだな。
 なぜか怒っている様子の金髪ドリルツインテールに指をさされ、少し後ずさる。

「おっ? ありゃあ、ルナ・ミクスじゃないか。おいクロト、一体あいつに何したんだ?」
「何もしてないっての、そもそも初対面だ。……なんだ、有名人なのか?」

 俺の隣で授業を受けていた同じクラスの男子に、ドリルツインテールことルナ・ミクスの情報を聞く。

「そりゃそうさ。なんたって魔法適性に風と光、水の三種類を持ってるんだから有名になるって。Bランクの冒険者で学園ランキング三桁台上位だし、美形で実力もあるから男子女子からの人気も高い」
「ほー……」

 その情報を聞いて、ふんす、とでも言いたげな様子で胸を張るルナ。

「ただ、高圧的な態度が多いから友達は少ないらしい。それに普段の言動から男よりも女が好きで、家に何人もの女子を連れ込んでいるという噂が後を絶たなくてな」
「……非生産的だな」

 なんか、いろんなところで損してそうだな。
 あれだけ顔が良けりゃ男からはモテモテだろうに、まさかそっちの気があるとは。
 その愛が相手に受け入れられなかったら悲惨ひさんだぞ。

「ある意味、アリっちゃアリだけどな。そして学園ランキング二桁台のシノノメにあらゆる要素、っていうか胸の大きさで負けてるからか、勝手にライバル認定したりしてる。けど当の本人が天然でスルーしまくってて、ぶっちゃけ一人遊びしてるようにしか見えない痛い子って評価を受けてるのが現状だ」
「…………なんか、むなしいな」

 確かに。見れば見るほど、ルナの胸はぺったんこだというのが分かる。
 残念ながら胸囲に関してはシノノメのストレート勝ちだろう。
 全体的に小柄で、特徴的なのはヘアメイクくらいだから、全体的に女性的で清楚な雰囲気を漂わせるシノノメに勝てる要素は少ない気がする。
 あくまで俺の個人的な見解だが。

「な、なぜ可哀想なものを見るような目を向けてくるのですか!? あとそこの人! そんな戯言を言いふらさないでください!」
「あー、その……世界は広いから、時間が経てば、いい相手が見つかると思うよ。きっと」
「なんですか、その苦し紛れのフォローは!?」

 いきなりけなされたルナは恥ずかしそうに顔を赤くしながら、ツインテールを揺らす。
 今更だけど、ツン系金髪ドリルツインテールとか狙いすぎでしょ。

「先程から黙って聞いていれば好き勝手に言ってくれますね……!」
「好き勝手に言ったのはこいつだけど?」
「えっ」
「その人は関係ありません! さあ、私と勝負しなさい!」

 隣の男子を指し、責任を転嫁しようとする俺に怒りが頂点に達したのか、眉を吊り上げながら大声を上げる。
 なるほど、こいつは俺が最も苦手とするタイプの女子だ。
 だがしかし、そんな態度をとってくる女子など腐る程見てきた俺に死角はない。
 このタイプは基本無視するのが一番だが、もっと効果的な方法がある。
 その為にこの誘いを受けよう。

「まあ、別に構わないけど……」
「決まりですね。では昼の一時に校庭で。……逃げようなんて思わないことです」
「今すぐじゃないのか?」
「あなたのような欲望の塊みたいな人物でも予定があるのでしょう? ですから時間を決めたまでです。では、失礼」
「……ああ、待った。最後に一つだけいいか?」

 意外に常識的な事を言って、足早に教室から出ようとするルナを引き止める。

「──なんです?」

 首だけをこちらに向け、殺気を込めた目を向けてくるルナを見つめる。
 周囲の生徒の注目を感じるが、これだけは言わなければいけないと決めたことだ。
 それは。

「──お前が女性しか愛せないという性癖を持っていようと、体型とか容姿とかで絶対に勝ち目のない相手をライバルにするその根性に敬意を表して、俺は真正面からぶつかってやるからな! 覚悟しておけよ!!」
「……うっ、うわああああああああああん! 覚えてなさあああああああああああああああいっ!」

 顔を真っ赤にして、目の端に涙を浮かべながら、ルナは教室から走り去っていった。
 ついさっきまで静まっていたはずの教室に、気まずい空気が流れる。
 ……わざと皆に聞こえるように大声で宣戦布告したのだが、どうやらルナに精神的なダメージを与えてしまったようだ。

「…………さて、次の授業なんだっけ?」
『鬼かお前は!』

 何事もなかったように時間割を確認していると、教室にいる全員からツッコまれた。
 そんなノリのいいヤツらに囲まれて、俺は幸せです。



 昼食という名のパンの耳も食べ終わり、約束の時間になった。
 俺は家から持ってきたロングソードを背負い、念の為になけなしのポーションをポケットに忍ばせた状態で校庭に立つ。
 周りにはここで決闘する事を知ったギャラリーがちらほら歩いており、時折こちらをちらっと見てくる。
 俺はその視線を受け流しながら、ルナが来るのを待った。
 ……状況が状況じゃなかったら、デートの待ち合わせみたいだな。
 懐かしいなぁ。確か高校の時に一度だけ女子から遊びに誘われたけど、あの時は一時間くらい前に待ち合わせ場所に行って、時間が過ぎても誰も来なくて、結局騙されたと気づいて一人寂しくラーメン食べて帰ったっけ?
 やっぱりいろんな技術を持ってても、顔が良くないと世の中ダメなんだな、って痛感させられたよ。
 それを聞いた俺の恋愛相談で彼氏・彼女持ちになった連中が全員ブチ切れて、三ヶ月間ほど女子連中と剣呑な雰囲気になってしまったけど……、まあどうでもいいか。

「あら、なかなか準備が早いのですね」

 黒歴史を思い出して勝手に意気消沈していると、ルナに声をかけられた。
 振り向いて確認したルナの姿は先ほどとは違い、制服の上に金属製のプレートを身に付け、腰に高価そうなレイピアを差していた。
 見るからにスピードを重視したタイプのように見える。
 てっきり魔法主体で攻める人だと思ってたので、想像と違って少し戸惑った。

「そういうそっちは、ちょっと遅刻気味なようだけど?」
「ふんっ、立会人の教師を探すのに手間取っただけですわ。……それにしても意外ですわね。あなたのことだから、てっきり時間に遅れてくると思ってましたのに」
「さっきも散々欲望の塊だとかののしってきたけど、俺ってどんな風に思われてんの? 同年代だからって待ち合わせで女を待たせるわけにはいかないだろうよ。……で、決闘の具体的なルールはなんだ?」

 俺の発言に目を丸くしながらも、ルナは意を決したように答えた。

「ルールは魔法使用あり、制限時間三分の一対一。立会人には、我が学園の大型農園を担当しているコムギ先生にお願いしています」
「やあ、どうもどうも。よろしくだべ」

 麦わら帽子を揺らし、似非訛りで喋るコムギ先生は朗らかに笑い、握手を求めてくる。
 俺はその手を取り、握り返す。
 やはり農作業をしているからか、ごつごつとした手のひらは硬く、そして力強い。
 俺もまた、鍛冶のせいで手にマメができるようになったが、さすがにここまで硬くなるほどではないので、コムギ先生の農業への熱意がひしひしと伝わってくる握手だ。
 すると。

「……うんうん、やっぱ良い眼をしてるべ。ミィナ先生が気に入る理由も分かるなぁ」

 まっすぐ見つめられて、そんな事を言われ……。

「え? 先生が?」
「んだ。よく話すけんど、二言目には君の話題になるなぁ。確か、“普段はお調子者で悪ノリしやすい性格だけど、根は真面目で優しい生徒”だとかな?」

 ……ど、どうしよう。俺、今すごい気色悪い顔してないか?
 変にニヤついてて、お茶の間にお見せできないような顔になってそうだ。
 だってまさか先生にそんな評価を受けているとは思わなかった。
 それを聞かされればこんな顔にもなる。
 でも、先生の授業は数回しか受けてないんだよな。
 そんなに見られるようなことしてたかな?

「親睦を深めるのはそれくらいにして、さっさと始めてしまいましょう」
「おっ、わかった。そんじゃ魔法障壁張るべ」
「ええ。──たかがDランク程度に、負けませんから」

 こいつぅ……。人がせっかく良い気分になってるっていうのに、どうして下げようとしてくるんだ。
 少々カチンときたので、イラつきを込めて言葉を返す。

「そうだな、俺はこれから依頼を受けようと思ってたんだ。こんなことに大切な時間を使ってられないからな、とっとと負かしてやる」
「威勢が良いですわね。その減らず口を叩けないようにしてあげますわ」

 好きに言ってろよ、絶対に勝ってやる。
 互いにある程度離れた位置で向かい合う。
 ルナはレイピアを抜き放ち、レイピアを持つ左手を前に出して構える。
 その様子を観察して、重みより速さを優先しているという点では、やはり俺と似ているスタイルだと感じた。
 ……ずっと凝視して変態と思われるのも嫌だし、俺も準備しますかね。
 視線をルナから外し、いつものように手を噛み切り、流出する血液を自らの想像へと変換させる。

「《カーディナル・アート》」

 無詠唱魔法という詠唱系スキル補正無視の特性を持つ血液魔法──特殊属性は名称が無いのでそう名付けた──は、本来であればこんな風に言う必要はない。
 ないのだが、俺なりに武装を形成しやすいように、そしてなによりもカッコよさを求めるために、適当に組み合わせた魔法名詠唱を口にすることにした。
 そして体内の魔力を消費し、想像から形成された武器を構える。
 同時にロングソードを引き抜いた俺を見て、ルナは困ったようにつぶやく。

「……剣と、槍?」

 そう。
 俺は初お披露目であるロングソードを右手に、血で創りだした穂先が十字の槍を左手に構えている。
 エリックとかシノノメはこれを見ると『ああ、なるほど』と納得してくれるが、初めて見る人は互いのリーチの違いから、異質な組み合わせだと言うことが多い。
 だが、これはエリックのスキルを押し切るために使った戦術の応用だ。
 余裕ぶっこいてるヤツ相手には過剰かもしれないが……、Bランクだから容赦しなくてもいいよね!
 増え始めたギャラリーのざわめきを聴覚からシャットアウトし、集中力を高める。

「ルールは確認したべ? それじゃ、始め!」

 コムギ先生の合図と同時に走り、距離を詰める。
 槍の創作に魔力をほとんど費やしているので、魔力操作はしない。
 格上相手に舐めてるのかとふざけてんのか、などと怒られそうだが、ただでさえ特殊属性で燃費が悪い上に、俺自身の魔力量が少ないのだから仕方が無いのだ。

「甘いですわ!」

 ルナもさすがBランクといったところか。構えていたレイピアを高速で、俺のの位置に突いてきた。
 予測した位置にあらかじめロングソードを近づけ、あえて身体からぎりぎりの位置で防ぐ
 刃で滑らせるように流し、姿勢を低くして踏み込み、上段から振りおろした。
 しかし、引き戻されたレイピアでそれを後ろに受け流される。
 姿勢を崩した横っ腹に放たれた鋭い突きを、槍の柄で逸らす。

「反応が早い……!」
「気ぃ抜くなよっ!」
「っ!」

 構え直したロングソードを真横に薙ぐ。
 それをルナはレイピアの腹で受け止めるが、衝撃までは殺しきれず後ろに吹き飛ばされた。
 なんとか踏ん張って体勢を立て直そうとしているところに、すぐさま距離を詰めて槍の連突と剣の連撃を繰り出す。
 レイピアと槍、その先を埋めるように剣が交差し、火花が散り、高速化していく。

「なんて器用な……!」
「それが取り柄なもんでねっ!」

 何度目かの衝突を繰り返し、槍でレイピアごと身体の軸をずらし、ガラ空きの懐に剣を袈裟懸けに切り上げた。
 が、ルナは驚異的な反応速度で一歩下がり、それを避けてみせる。
 その一連の動作の中でレイピアを突き出そうとしていたが、持ち手を変えた槍の石突でルナの身体を押し出す。
 右腕を捉えていたはずの一撃を止められたルナは、瞬時に軽やかなステップを踏んで後ろに下がる。
 そして、ギャラリーの大歓声を浴びながら、信じられないものを見るような目でこちらを見つめてきた。

「で、デタラメ過ぎますわ! なぜ当たらないのですか!? こちらはスキルの補正込みで、精度や速度が上がっているというのに……!」
「いや、だってお前の攻撃、読みやすいからな」
「なんですって!?」

 自然とこぼれた本音に、ルナは驚愕した。
 俺はある程度の距離を取り、舐めてかかってきた相手を見返す。

「お前の剣はまっすぐで速いけど、目の動きに忠実すぎる。それじゃ狙ってる場所が丸分かりで、不測の事態に陥った時どうすればいいかわからなくなっちまう」
「!」

 シノノメは扱う武器が刀ということもあってそうでもないが、エリックなんかは大剣スキルの補正に頼ってる様子が節々に出ていたりする。

「はっきり言っちまえば、スキルに頼りすぎてるんだ。技術とか経験とかをスキルで補ってる感じがして、戦ってて分かりやすい」
「……」

 自分でも自覚しているのか、ルナは悔しそうに下唇を噛み、俯く。
 よし、精神攻撃が効いてる。さらに畳み掛けてあげよう。

「モンスター相手なら十分だろうけど、人間を相手にするならダメだ。だからこそ、集中を途切らせないほうがいい。それでいて自然体でないと、剣筋はにぶったままになるぞ。お前のはスキル補正とやらに手助けされてたり、自分の執念だとかが混じりすぎててダメだ」

 なお、これはその場の勢いで口走っているだけである。

「……なぜ、あなたなのですか」
「ん?」

 俺の言葉を聞いて、睨んでくるルナは、絞り出すような声で。

「私ではなく、なぜシルフィリア様はあなたなどに……!」

 ……シルフィリア、“様”?
 先生のこと、だよな?
 わざわざそう呼んでるとなると、もしかしてエルフの間には階級制度みたいなものがあるのだろうか。
 あるいはあいつの性癖的な趣味でそう呼んでいるのか?
 そういや、異種族の常識とか全く分からないな。
 また今度、図書館の依頼受けた時に調べてみよう。

「何の話だか皆目見当もつかないけど、こういう時に自分を乱れさせるなよ。──じゃないと、この程度の技に騙されたりするからな」
「お黙りなさいっ!」

 両手を前にかざしたルナを前に、俺は全神経をとがらせる。
 そして、一歩。静かに踏み出し、身構えるルナに近づく。
 力なく、亡霊のような歩みで、ゆっくりと。
 その歩みは、誰も気づくことなく、進んでいく。
 まるで時が止まったかのように思える静寂の中を、たった一人で。
 相手のありとあらゆる注意を見抜くことにより、音を、息を、気配すらも偽り、と相手に誤認させる。
 常に全体を見回し、周囲の意識と隙を伺い、全ての不意を打つという点からとてつもない集中力を必要とする、騙しの技。
 両親に、それ暗殺技っぽくね? とまで言わしめた奇襲用移動技法。

 暁流練武術無級──“深華月みかづき”。

 一息で、ルナの死角に音もなく忍び寄る。
 エリックやシノノメも騙せた程の技だ。
 ルナ自身も、これを見ている第三者でさえも、この動きにはついてこれない。
 まだ目の前に立っていると誤認し、前だけを見つめる無防備な背後に回り込み、

「──速攻で魔法使ってりゃ、戦局は変わってたかもな」
「ぇ……」

 一閃。
 詠唱の隙を突かれ、気絶したルナを抱きとめる。
 こうして、決闘はルナの気絶負けという形で終わりを告げた。



「──っていうことがあったんだけど、あいつ一体何が目的だったのかね?」
「目的は分からないけど、何でクロトくんは自分より実力が上の生徒に喧嘩しかけられてるのかしら?」

 ところ変わって、学園長室。
 決闘の後、気絶したルナの介抱はコムギ先生に頼み、俺は野次馬が集まってくる前にあの場から離れることに。
 その足で依頼掲示板に赴き、俺でも出来そうな依頼を探していたのだが、なんと気絶から復活したルナが追いかけてきた。
 どうやら決闘で負けたのが人並みに悔しかったらしい。
 鬼の形相で迫ってくる追跡者から逃れるために、俺は学園中を走り回ることになった。
 おかげで依頼を受けることも出来ず、偶然通りかかった学園長室に逃げ込むことに。
 大逃走劇を繰り広げ、扉に背を預けて休む俺に経緯を聞かされたフレンは、資料に目を通しつつ呆れたように呟く。

「日々真面目に依頼をこなして授業を受け、ダンジョンにも行かず落ち着いて生活してると思ってたのに、いろんなことに巻き込まれすぎじゃない?」
「…………何でだろうね、ほんと。ともかく匿ってくれて助かったよ、フレン」
「私としては、放置してた方が面白そうだったんだけどね」
「ははっ、面白くない冗談だな。……冗談、だよな?」
「……冗談よ。そんなに驚くことないでしょ? クロトくんの気が済むまでここにいていいわよ」

 おかしいな。普段は校内の全トイレ清掃とかの無茶振りしかしてこない悪魔のフレンが、今は純白の羽を携えた天使に見える。
 ここにミィナ先生がいれば天使コンビの誕生だな。
 何その天国。

「……そういえば、その剣は?」
「フレンから貰った剣を直したんだよ。前より長くなったけど、使い勝手はさらに良くなったと思う」
「あら、そうなの? なら、大切に使ってあげなさい。そのも喜ぶわ」
「もちろん。ふっふっふ、いつかこの剣を最強にしてみせるのさ……! ところで何か手伝える事ある? これから依頼受ける気にもなれないから暇なんだよ」
「それじゃこの書類にハンコを押してもらえる? 目は通したから、ハンコを押すだけでいいわ」

 どんっ、と。
 執務机の上に積み重なった書類を応接用のテーブルに置き、フレンは笑みを浮かべた。
 確かに手伝える事はないかと言ったが……、その、多すぎないだろうか?

「あの、これ山のように高いんだけど。今日中に終わるの?」
「私はいつも終わらせてるわよ? ──最終点検込みだと徹夜になるけど」

 俺は選択をミスった気がした。
 しかし手伝うと言った手前、取り消すのも気が引ける。
 NOと言えるような人間になりたいが、これも一つの経験として考えればいい。
 もしかしたら事務処理のスキルを覚えるかもしれないのだから。
 ……何に使うんだよそんなスキル。

 ぺたん、ぺたん、ぺたん、ぺたん……。

 俺は差し出されたハンコを、黙々と書類に押しつける。
 教師や生徒からの苦情や施設の改善を求める申請書、市民と自警団──日本で言う警察のような組織──から寄せられた感謝状、ギルドの資金運用費、各国のやんごとなきお偉方からの推薦状。
 多種多様な書類群に、一心不乱にハンコを押し続ける。
 ……というか、こういう書類は俺が見ても大丈夫なのだろうか。
 後で口封じされそうで怖いんですが。

「やっぱり二人だと効率が違うわね。どんどんやっちゃっていいからね?」
「はいよ。……いつもこんな量の仕事をこなしてるのか?」
「誰かさんが資源採取も兼ねてるダンジョンの一部を崩落させなかったら、もう少し減ってたかも?」
「ほんとごめんなさいその話はかんべんしてくだせぇ……」

 平謝りする俺に、フレンはごめんごめん、などと軽く笑う。
 今日は上機嫌なのか、かなり意地が悪いような気がする。
 といっても、フレンが望んでいるのは生徒とのこういうやりとりだと聞いた。
 前に理事長っていないの? 的な質問をした時に教えてもらったのだが、フレンはある程度生徒と気軽に触れ合える立場でありたいと思い、わざと理事長ではなく学園長と名乗っているそうだ。
 昔、知人に生徒と身近に接したい場合、どうしたらいいかを相談したら、

『じゃあ理事長とかの最上級職業じゃなくて、学園長で通し続けたらいいんじゃね?』

 と、提案された意見を参考にしているらしい。
 誰に言われたのか、それについての詳しい話を聞いてみたかったが、聞くにはまだ早いと思って言わなかった。
 だって、そのことを話してる時のフレンの顔が明らかに恋する乙女だったもの。
 そういう顔してる人に、気軽に聞いてはいけないことだと思うんですよ。
 女性同士だったら話は別だけど。
 そんなことを考えつつ、適度に軽口を叩きあいながらも手を休めず、書類を三割ほど片付けた辺りで。

「そうだ、フレンに聞きたい事があるんだ」
「んー、何?」

 フレンはペンを走らせ、耳だけをこちらに向ける。
 ここに来たのはルナから逃げるためというのもあるが、本当は聞きたい事があったからだ。

「ルナがミィナ先生をシルフィリア様って呼んでたんだけどさ、何で?」

 何気なく聞いた質問に、フレンは走らせたペンを止めて顔を上げる。
 その表情は焦っているように見えて、完全に目が泳いでいた。
 まるで教えていいのかどうかを迷っているようだ。
 聞いたらマズい事だったのだろうか?

「えぇっと、その…………、シルフィはね?」
「うん」
「エルフの中でも高位種族、ハイエルフっていう血筋の子孫なの。それは由緒正しく歴史のある家系でね」
「うん」

 なぜかしどろもどろに話し始めるフレンとは相対的に、だいぶ慣れてきたハンコ押しのスピードを上げる。
 この調子ならすぐに終わりそうだな。

「一般的なエルフよりも身分が高くて、そこに存在しているだけで周りのエルフから崇拝されるような人なの」
「ふむ」
「ぶっちゃけていえば、今もその威厳を保つエルフの王族なのよ」
「……ふ、む?」

 今度は俺のハンコを押す手が止まった。

「…………王族? ロイヤルな人?」
「そうよ。大昔に栄えていたエルフの統治する王国で、かなり高い地位に就いていた王族だった。その真実を知ってる人は、ごく少数しかいないけどね」

 何てこった。
 今までセクハラまがいの視線を向けていた相手は、俺みたいな小市民なんかよりずっと偉いお方だったなんて。
 バレないようにガン見してきたつもりだったけど、バレてたらどうしよう。
 いや待て、逆に考えるんだ。
 そういう立ち位置に居たからこそ、そういった視線にも慣れていると……!
 だとすれば俺の犯罪行動も微粒子レベルで許される……、わけないだろバカか俺は。
 ルナと同じくらいの変態じゃねぇか。

「あれ、でもその話し方だとその王国ってもう……」
「クロトくんが思っている通り、滅亡したわ。……これ以上はあまり話したくないわ。気になるなら、自分で調べて」

 苦々しい面持ちで、悔しそうにフレンは俯いた。
 どうもこれ以上は詮索しないほうが良さそうだ。
 俺は何とかその場の空気を和らげ、六時の鐘が鳴る頃にはハンコ押しの仕事を最後まで完了し、帰路に着いた。
 先生の過去に一体何があったかなんて、俺には分からない。
 けれど、あのフレンがあんな顔をする程の暗い過去があったのは確かみたいだ。
 もしかしたら、あの男性恐怖症も、それに関係しているのかもしれない。
 フレンに男性恐怖症克服を依頼されてる以上、俺は全力を尽くす。
 明日は授業を受けずに、図書館に行こう。
 調べれば、何か分かるかもしれない。



 翌日。
 ニルヴァーナにおいて最多の蔵書量を誇る図書館にて。

「さて、ここからエルフに関する情報が載った本を探さないと。でも、無事に探しきれるかどうか……」

 依頼で数回訪れた事があるこの図書館は、民間人から学生まで様々な人が利用する公共施設だ。
 だからこそ、ルールをきちんと守らないと大変な目にあう可能性が高いので気をつけなければならない。
 なぜかと言うと、ここは図書館とは思えないくらい危険な場所だからだ。
 前に蔵書点検をした際、閲覧するとずっと付きまとってくる呪いがかかった本や、閲覧するだけで狂気に飲まれるという冒涜的な本が発見された。
 興味本位で覗いてしまえば、それだけで命の危険が迫る。
 ほんと、何で俺はそんな危険な依頼を何度も受けてしまっているんだ。
 金払いがいいからとか、ふっと沸いた好奇心で受けなければよかったと後悔しているが、鑑定スキルなどを習得しているだけで自分の身の安全は保証できる。
 それに危険なのは点検が済んでいない奥の方なので、入り口側の本棚はほとんど安全だ。
 しかし今回調べようとしているのは、古き時代のエルフの歴史。
 図書館は奥に行けば行くほど暗く、迷路のように入り組んでおり、そして大昔の書物を多く保管されている。
 だから必然的に、俺が向かうのは奥の方という話になるのだ。
 さすがに俺一人だと迷ったり憑かれたりして危険なので、みちづ……いけに……司書を連れていく必要がある。
 ちなみにこれもルールの一つに載っている事項だ。

「そうだ、あいつに手伝ってもらうか」

 蔵書点検の依頼用紙を確認しながら歩き出す。
 どうやら今回は最奥区画レッドゾーンの点検を行うようなので、比較的俺の探したい関連書物はそこにあると思う。
 だが、常に気を配らないと、ほんの一瞬で本に憑かれる可能性が高い場所だ。
 特に書き手や読み手の悪感情を多く溜め込み、モンスター化したモンスターブックには要注意しなければならない。
 魔法やスキルを覚えているモンスターブックもいるので、乾燥したあの空間で火属性魔法でも使われたら大惨事になる。
 ふと顔を上げ、汎用魔法で浮遊効果が付与されたゆっくりと飛び交う本を眺めながら、中央カウンターへ進む。
 そして円形に広がるカウンターの一部を担当し、依頼を通して知り合い、もはや友人とも呼べる間柄になった一人の女性に声をかける。

「おはよう、リード」
「……あ、クロトさん。こんばんわ、です」
「いや、もう朝なんだけど」
「……そうでしたか? 徹夜で読書してたので、時間が分からなくなっちゃいました」

 開いていた本を閉じ、少し眠そうな笑顔で挨拶を返してくれたのは、ここで働いている猫人のリード。
 三度の飯より本が好き、みたいな性格の持ち主で、仕事中だろうと休憩中だろうと、どんな環境下でも本を手放そうとしないマイペースなヤツだ。
 けれど依頼の際には自ら望んで付いてきてくれたり、呪いのかかった本をスキルで黙らせるなど意外とアクティブな行動をする。
 そして点検し終わった本を嬉々とした表情で読み漁ろうとする根っからの読書マニアでもあるので、ブックマイスターな彼女がいれば、この図書館で探しものに困ることはない。
 あと、目の下に隈ができてること以外はスタイル抜群の茶髪猫耳美少女なので目の保養になる。
 これ重要。

「……今日は、どうなさいましたか?」
「えっと、蔵書点検の依頼を受けに来たのと、ちょっと調べものをな」
「……なるほど、だから私に声をかけてくれたんですね。……分かりました、それでは早速参りましょうか?」

 納得して耳をペタンと垂れさせ、首を傾げるリードに頷き、カウンター裏に置いてある携帯結晶灯を持ち出してから移動する。
 途中すれ違う職員から無事に帰れるようにとお祈りをしてもらったり、遭難した時の為にコンパスと携帯食料を渡された。
 ここで長年働いている人でも行きたがらない地獄の区画とか……、シャレにならない。

「……結構前から思ってるんですけど、結構な頻度でこの依頼を受けてますよね。ちゃんと授業受けてるんですか?」
「人を学校サボってる不良みたいに言うなよ。これでも根は真面目な生徒なんだぞ?」
「……すみません、気になったので。……でもこの間来てくれた生徒さん達は、“知り合いに何かと女性が多いフツメン”、“だけど変態的な行動のせいで、同年代の女子があまり寄りつかないフツメン”、“クロト×エリックの妄想を開拓させてくれた最高の人材”とおっしゃっていましたよ?」
「あとでそれ言ったヤツらシメるから、全員分の特徴を教えてくれ」

 俺はこの世界でも、腐ったヤツに目をつけられる運命らしい。

「……最近は図書館の利用者が増えてきた代わりに、私の読書タイムが減ってきてちょっと悲しいです。もう少し人が少なくなってくれればいいんですけど、世の中そうもいきませんよね」
「いやいやいや。仕事、仕事ですよー?」
「……分かってますよ。同僚にしっかりしなさいとか言われましたし。……それに、今はまだ本に触れていたいから、私はこの仕事を続けてますしね」

 半目で微笑むリードを横目で見つつ、徐々に暗くなっていく通路を進む。
 四度目の蔵書点検の時に教えてくれたのだが、本当は司書ではなく絵本作家を目指していたそうだ。
 幼少期に読んだ『月の神様と愉快な仲間たち』という、大昔に実際に起きた大戦を題材にした絵本に感動し、衝撃を受けたことからその道を目指そうとした。
 しかし自分が孤児で、さらに孤児院の仲間から学が無いから無理だと笑われ、落ち込み、当時は諦めかけていたらしい。
 そこに身元を引き取ってくれた家族から、“自分を笑い者にしたヤツらをこっちが笑い者にしてやるくらいの自信を持て”と励まされ、立ち直り、学が無い自分を変えるために、あえて学校に通わずバイトで働き始めたのがこの図書館だとか。
 最終的には本を読めば知識も増えて、いろんな経験に生かせると考えて読み漁っていたら、いつの間にか本の虫になってしまったというオチだったのには、苦笑するしかなかった。
 ただ、読書効果のおかげか絵を描く技術は高く、前に俺の似顔絵を描いてもらったが、かなり上手い方だと思う。
 けれども、その絵は鏡合わせかと思うほど俺によく似ていた。
 こういうのはもう少し美化されたりするんじゃないのかと期待していたのだが、リード曰く、

『……目立った特徴があまり無いので美化なんてできないです。というか、美化する必要性を感じないほど普通の黄金比を保ってます』

 つまり、イケメンでもなければブスメンでもない、ありきたりな面構えをしていると。リードはそう言いたかったらしい。
 …………くそったれ。
 過去を思い出して若干へこみながら、手元の結晶灯を点灯させてその光量を増幅させる。
 乱雑に放置されていく本につまずかないよう足元を照らして、気をつけながら歩く。
 時々置いてある面白そうな本に飛びつこうとするリードの首根っこを掴み、ずんずんと進む。

「……あっ、そろそろ最奥区画ですよ?」
「うん、こんな光景見れば嫌でも分かる。マジで魔境だな、この辺は」

 クモの巣が張り巡らされ、コウモリが居座っているこの区画は、何度も言っているが危険でいっぱいだ。
 幽霊屋敷も真っ青なビックリポイントやラップ音、ポルターガイスト……といってもモンスターブックのイタズラなどだが、そんな現象が頻繁に起こっている。
 今も目の前から飛来してきた本を、血で創作した虫取り網で捕獲した。
 表紙にネクラロリコンとふざけた名前が書かれているが、気にしてはいけない。

「……予算が無くて各区画の自動展開型魔法障壁が設置できないので、時々モンスターブックが中央区画イエローゾーンの境界線に侵入してくるんですよね。……私の《呪い弾きカース・リフレク》がないともっと酷いことになってたかもしれません」
「リード様々だよ、ほんと。さっさと終わらせよう」
「……了解です」

 それぞれ点検用紙を持ち、結晶灯の明かりを頼りに書物を調べることに。

「……世界三大謎ダンジョンの歴史、魔法媒体研究所爆破記録、『黄金の蜂蜜酒』醸造過程記録書、古代文明を発展させた謎の二人組に関する文献、世にも奇妙な海賊王の大冒険、ですか」

 前半三つのあるあるネタと厄ネタと冒涜的なナニカはどうでもいいけど、後半二つは読んでみたいな。

「……ここの本棚、ジャンルが混ぜ混ぜになってますね。こういうのはちゃんとジャンルごとにまとめておかないと、他のジャンル本同士が一冊の本を巡って喧嘩しあい、その憎しみからモンスターブックになっちゃうこともあります」
「何その昼ドラみたいなモンスター誕生の秘密」
「……この蔵書量ともなれば、本が意思を持つなんてザラですからね。中には独自のコミュニケーションを持ってたりするのもいますので」
「これも?」

 さっきからやかましく飛び回っている何冊かの本に指をさす。

「……よくある光景ですね。ツンデレとクーデレの喧嘩のようなものです」
「もうそれただの日常風景じゃない?」
「……ですが、少々騒ぎすぎですね。図書館ではお静かにしてもらわないと。――反省してもらいましょうか」

 行ってきます、と言って、リードは暗闇へと溶け込んでいった。
 猫人だからか暗くても昼間のように明るい視界を保てるため、結晶灯を持っていく必要はない。
 というか持っていかれたら俺が困る。
 いくら眼が良くても、周りが暗闇だったら厳しい。
 徐々に後ろから呪い弾きを駆使した大乱闘の音が聞こえる中、俺は黙々と作業をこなしていく。
 見るからに怪しげな装飾が施された金ぴかな書物はそっとしておき、まるで遊んでと言わんばかりにちょっかいかけてくる本を軽く小突いたり。
 そうこうしている間に点検も終わり、本をシバいてきたリードが手を払いながら歩み寄ってきた。

「……すみません、ちょっと手こずってました。まさか阻害魔法持ちだとは思わなくて。今から取り掛かります」
「気にするな、リードの分もやっておいたから。あとはこれを提出して終了だ」
「……これで仕事終わりですね、わぁい」

 手伝おうと伸ばしていた両手を広げ、同時に欠伸あくびをする姿にほっこりとしながら、帰ろうとして。

「って、忘れてた。調べたいものがあったんだ」

 一番の目的に気づいた。

「……そういえばおっしゃってましたね? 調べたいことがあるって。一体何をお探しなんですか?」
「異種族に関する文献、かな。特にエルフ関連」
「……ああ、そうですか。…………絵にしても綺麗な方が多いですからね、仕方ないですね」
「待って待って。何が仕方ないの? 何を勝手に察しちゃってるの? そして何で露骨に俺から離れてってるの? ちょっと、いや、かなり傷つくんだけど」
「……違うんですか? てっきり今からあそこに向かうのかと思って」
「あのさぁ、確かにそういったコーナーがあったけども! そういうのじゃないから! 断じてないから!」

 天然成分多めであるリードに小声で叫びながら、俺は思い出していた。
 あれは確か、三度目の蔵書点検で訪れた時だ。
 あのコーナーを初めて見つけた時の衝撃はとても素晴らしいもので、思わずピンク色のカーテンで仕切られた向こう側へ入り込んでしまいそうになった。
 その直後に、珍しく真面目に仕事をしていたリードからチョップをくらって説教されたけど。
 でも、公共施設にそんなコーナーが設けられてるなんて誰も思わないって。
 大体いろいろはっちゃけ過ぎなんだよここ。どういう職場環境してるんだ?

「……あそこって館長のお気に入りで、品揃えに力を入れ過ぎてるせいで装置が設置できないとか、そんな噂が流れてるんですよね」
「あのセクハラ館長、そんなことしてたのかよ。今度会ったら本物の地獄を見せてやる」
「……クロトさんもあの館長とさほど変わらないと思いますけどね。……でも、もしそうなった時は私も混ざっていいですか? 同僚も入れて」
「どうせならここの職員全員でやろう。その方が楽しい」

 結晶灯で怪しく照らされた一画で、職員合同の館長フルボッコ大会の開催が決定した。

「まあ、あの変態館長の処遇はそんなものでいいとして、本探すの手伝ってくれないか?」
「…………ふむ。絵本の参考になるかもしれませんし、構いませんよ」
「おっけ、そんじゃ行こう。さっき見たけど、ここから少し先に種族の歴史を多くまとめてる場所があったんだ」

 双方同意の下に、この区画にしては珍しく埃のない綺麗な状態で整頓された本棚に近づく。
 俺の背丈の三倍以上は高いにも関わらず、それらはすべて均等に並べられていた。
 周りの本棚は整頓も掃除もされていないにもかかわらずだ。
 ……モンスターブックの仕業か?
 こんな深い場所に来る人などあまりいないし、その可能性は高いかもしれない。
 まあ、それはともかく、だ。

「こりゃあ、調べるのは骨が折れそうだな」
「……やっぱり帰っていいですか? そろそろお昼の時間ですし」
「お前がいなくなったら俺が呪い憑かれて大変な目にあうじゃないか。あとで昼飯おごってやるから。ほら、俺が上を調べる。リードは下を頼む」
「……久しぶりにパンと水以外の高カロリー食が食べられるかもしれませんね。なら、張り切っていきましょう」
「聞いてて悲しくなってくるからやめて!? 俺も似たような食生活してるけど!」



「……見つかりました」
「でかしたっ! さすが司書やってるだけはあるな。リードに頼んで正解だったぜ!」
「……クロトさん、ドワーフとノームの鍛冶技術がまとめられた資料読んでただけで、探してもいなかったですよね?」
「うっ!? ……いや、そのですね、俺も鍛冶師なりたてだからそういうのに興味があって、たまたま目にかかった本に吸い込まれる手が伸びていってしまいまして……正直すいませんでした」

 数冊の古ぼけた表紙の本を抱えながら睨んでくるリードに謝罪し、はしごから降りる。
 欲望に負けた部分は多々あったものの、これでようやく問題解決に進めるはずだ。

「……昼食代は高くつくと思ってください」

 転移石で座標を設定している俺を尻目に、リードはそんな恐ろしいことを口走った。
 自分だけ楽しようとすればそれなりに大きな代償が返ってくる。
 それがよく分かる発言だった。
 こいつが選んだ店には絶対に入りたくない。
 借金で薄くなった俺のサイフがさらに薄くなってしまう……!
 貸し出しのサインを書いた用紙を無表情で受け取るリードに対し、俺は冷や汗をかきながら転移石を発動させた。



 アカツキ・クロトの現借金総額、百十五万メル。
 依頼によって得た報酬金が二十五万メルに対し、その日の昼食代におよそ十万メルを消費。
 残金十五万メルをギルド銀行口座へ振り込み、残りの借金返済額は百万メルとなりました。
 残りも頑張って返済しましょう。
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ただのFランク探索者さん、うっかりSランク魔物をぶっとばして大バズりしてしまう~今まで住んでいた自宅は、最強種が住む規格外ダンジョンでした~

むらくも航
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Fランク探索者の『彦根ホシ』は、幼馴染のダンジョン配信に助っ人として参加する。 配信は順調に進むが、二人はトラップによって誰も討伐したことのないSランク魔物がいる階層へ飛ばされてしまう。 誰もが生還を諦めたその時、Fランク探索者のはずのホシが立ち上がり、撮れ高を気にしながら余裕でSランク魔物をボコボコにしてしまう。 そんなホシは、ぼそっと一言。 「うちのペット達の方が手応えあるかな」 それからホシが配信を始めると、彼の自宅に映る最強の魔物たち・超希少アイテムに世間はひっくり返り、バズりにバズっていく──。 ☆10/25からは、毎日18時に更新予定!

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