文具沼への招待

涼格朱銀

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5.エピローグ

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 私は本当に救いようがない馬鹿だと思う。自分で自分が嫌になってきた。
 今日は図書委員会の仕事で、放課後残らなければならない日だった。なのに、忘れて下校してしまうなんて……!
 人間、一度くらいは間違いを犯すという。けど、図書委員の仕事を忘れてサボったのはもうこれで三度目だった。仏ですら許してくれない回数だよ。サイテーだよ。
 今回は途中で気付いて慌てて引き返してきたものの、もう40分は遅刻している。どう顔向けしていいかわからない。でも、とにかく図書準備室に行かなければ。
 なのに。私は準備室の扉の前で、一歩も動けずにいた。本当に嫌になる。どうして私はダメな方に流されて行ってしまうのか。

 ……もう帰ろうか。こうなったら、顔を出しても出さなくても同じじゃん。
 そう思いかけたとき。

「あら、石田さん?」
 後ろから声を掛けられ、私は肩を震わせた。図書委員長の声だった。
 三年の、すごく大人びた人だった。私が図書室で本を借りたときに受付をしていたけど、そのとき使っていた筆記具が、すごく上品でおしゃれだったのを覚えている。子供っぽい私とは全然釣り合わなくて、なんとなく近寄りがたい雰囲気で……
「よかったよかった。とにかく入って、人手が欲しい……というか、ごめん、開けてくれる?」
 言われて私は振り返った。委員長は両手で紙束の詰まった段ボールを持ち、脇に丸めたポスターみたいなのをいくつか抱えていた。……つまり、両手が塞がっているわけだった。
「あ、はい、開けます!」
 慌てて私は準備室の扉を開ける。
「ありがとね。じゃ、入って」
 私はなし崩しに図書準備室に入ることになってしまった。中では1年の男子と女子が1人ずつ、シャーペンで何やら下書きをしている。

 なんとなく、このまま私の遅刻はなかったことになりそうな雰囲気だったが、それじゃやっぱりいけないと思って、私はみんなに頭を下げる。
「あ、あの、すみません。遅刻して……」
 言い終わる前に、荷物を降ろしながら委員長が言った。
「え? ああ、いいよ、そんなの。遅刻とサボりに関しては私はプロだかんね」
「先輩、それ自慢になんない」
 手は止めないまま、女子がツッコミを入れる。それからその子は意外にも、私に話しかけてきた。
「石田さんでしょ? 2組の。私は高橋。よろしくね」
「えっ? ええ、はい、よろしくお願いします……」
 なぜだか敬語になってしまった。
 女子……高橋……さんは、くすくす笑いながら言う。
「石田さん。あなたもう二度と、図書委員の仕事をサボれなくなるよ」
「ひぇっ? なんで……です?」
 うわ。変な声を出してしまった。
「だって、図書委員の仕事はご褒美付きだからね」
「あー、ダメだよ変に期待させちゃ。いつもじゃないから」
 委員長は方眼紙を私に差し出しながら、高橋さんの方にふくれっ面をした。……この人、意外とこういう表情するんだ。
「まあ、今日は外出許可貰ったし、連れてったげるけどね」
「やったー」
 男子が歓声を棒読みっぽくあげる。
「じゃ、石田さんは、この下書きの線に沿って、油性ペンで枠線を引いてね。あと、このあと予定ある?」
「いえ、ないですが」
「そう? じゃあ、次の図書新聞に載せる内容を決める会議……と称して近くの喫茶店でおごったげるから、おいで」
 え? どういうこと?
 私が事態を飲み込めずにいる端で、男子が言う。
「で、もちろん、例の講座付きなんですよね?」
「まあね。おごるんだから、多少はこっちの趣味にも付き合って貰わないとね。タダとは恐ろしいものなのだよ」
 委員長は腕組みし、感慨深げに何度もうなずいた。
「でもあたし、先輩の講座好きー。けっこう影響受けちゃってるんだよねー」
 講座? 影響? 一体何の話?
 呆然としている私の肩を、委員長は軽く二回叩いた。
「とにかく、それ片付けちゃってね。私はもうひと仕事あるのょネ……」
 なんともいえない語尾を残して、委員長は開いたままだった扉から外へぬるっと出て行った。

 私はしばらく扉の方を見つめていたが、ふと我に返って、扉を閉め、それから高橋さんの向かいの席に着いた。机の真ん中に缶があり、ボールペンやらなにやら入っている中に、油性ペンがあるので、それを取り出す。
「これ使ってね」
 高橋さんは右手で字を書いたまま、左手で自分の手元にあった定規を、私の方に押し出した。
「あ、はい。どうも」
 定規を受け取り、仕事を始める。しばらくはみんな無言でそれぞれの仕事をこなしていたが、ふと、高橋さんがまた、作業をしながら話しかけてきた。
「どう? 思っていたのと印象違ったでしょ」
「え、何が……です?」
「三原先輩。最初のミーティングで見たときは、真面目な優等生タイプって感じだったけどさあ。あんなに萌えキャラだったとは思わなかったよ」
「も、萌え?」
「しかも、優しいし面倒見も良いし」
「おごってくれるし?」
 ここで男子が会話に入ってきた。
「そうそう! あー、先輩のエキスをバレー部の三年にも分けてやって欲しいよ。もうバレー部辞めて図書室に入り浸ろうかなあ」
「俺はもう、こっちが部活みたいになってる。残念なのは、そんなに図書委員の仕事ってないんだよな」
「図書新聞を週刊にしたらどうかなあ、月刊じゃなくて。『図書室の利用をもっと増やすために、図書委員はもっと積極的に活動したら良いと思いまーす』とか言って。実はいいんだけどさ。利用者が少ないとかどうでも」
「利用者が増えたら、受付で忙しいからって、部活をサボる理由にはなるんじゃないの?」
「いやー、サボるくらいならもうすっぱり辞める。未練もないし。だいたいあそこの三年はいくらなんでもひどい。おかしすぎるよ。先週だってさあ……」
 そんな話を聞きながら、私は油性ペンで線を引いていく。

 この高校に入って、クラスでもいまひとつ馴染めていなかった私は、今日、はじめて、自分の居場所を見つけたような気がした。
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