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3.早朝の図書準備室
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図書副委員長で演劇部の部長でもある雪ねえは、陸上部にも仮部員として在籍していて、演劇部の活動の合間を縫って練習に参加していた。日の出ているうちはめいっぱい活動して、日が落ちると寝てしまう。そういうわけで、夜にメールなど送っても返事がくることはない。
図書委員長の件について尋ねることができたのは、陸上部の朝練に参加するため、朝の六時から学校に向かおうとする雪ねえを捕まえたときだった。
「あれ。さっきー、今日は早いんだ」
同じ学校に通っていながら、登下校の時間が全然違う雪ねえを登校中に見かけることはこれが初めてだったが……
……あまりにきっちりした制服姿に、私は戦慄を覚えた。
朝練に向かう運動部の子って、たいがいジャージ姿で登校していたり、スカートの下にジャージを履いていたりしているものなので、雪ねえもそうなんだろうと思っていた。しかし実際の雪ねえはなんということか。靴はピカピカ、白ソックスはキッチリ、ブレザーやスカートにはしわやチリひとつなく、セミショートの髪はサラサラ。これから校庭をぐるぐる走る人とは思えないくらい、完璧な模範生的出で立ちではないですか。
一方で私は、寝グセが取れ切らないまま家を飛び出してきたりして。食パンを咥えて飛び出すという、都市伝説的なことはやらかさないで済んだが。
「……どうしたの?」
雪ねえの声で、我に返る。
「へ? あ、ああ。雪ねえ、おはよう」
「おはよう。というか、本当に早いよね。どうしたの?」
「うん。実は、雪ねえに聞きたいことがあって」
言いながら私は小走りで雪ねえの横に並んで、学校へと向かって歩いて行く。家から学校まで歩いて二十五分という微妙な距離のせいで、私たちには基本的に自転車通学が許可されていなかった。もう少し距離があれば自転車通学可になって、かえって楽に早く学校を行き来できるようになるのに。……それはともかく。
「実はちょっと、図書委員長に用事があるんだけど、どこに住んでいるのかよくわからなくて……」
「え、家まで行くの?」
雪ねえが驚いた顔をする。私は最初、なぜ雪ねえがびっくりしているのか、よくわからなかった。しばらくして理由がわかった。
「あ、家じゃなくて、クラスがどこなのかな、って」
「ああ。そりゃそうだよね。けど、そういうとき『住んでる』って言う? 学校に棲み着いてるわけじゃないんだから」
「間違えただけだよー」
と言いつつ、実のところ私には、上級生は学校に住んでいるものだという謎のイメージが頭の中にあるのだった。雪ねえの家は知っているから、雪ねえにそんなイメージを持っているわけではなかったけど、どこに家があるのか知らない上級生というのは、なんとなく学校の「ヌシ」みたいなもののような気がしたりしなかったり。
「松井君だったら1組だけど、教室で捕まえるのは難しいかも。どういう用事なの?」
「ちょっと渡したいものがあってね」
普通、女子が男子に何か渡したいなどと言い出すと、ほぼ確実に、えーなにー付き合ってんのーとかいう話に行き着く。そしてその後、長々とからかわれることになるのは目に見えているので、そうならないように言い方を工夫する必要がある。けれど、雪ねえはそういう面倒くさいところがないから助かる。
今回も、普通なら女子だろうと男子だろうと(特にバカ弟だったら)絶対食いついてくるであろう私の発言に、雪ねえは何の詮索もしなかった。
「それなら、八時から図書準備室でミーティングするから、そのとき渡したら?」
「あ、それならそうする」
「うん。けど、それはいいとして、さっきー、それまでどうするの?」
「え? あ……」
そういやそうだよ。まだ六時だったんだ。学校に着くのが六時半として、一時間半もある。教室で寝て待つという案が真っ先に浮かんだものの、そうしたら寝過ごすのは確定だろう。
「……図書準備室で待つなら、鍵を開けるけど」
「え? うんうん。そうするー」
さすが雪ねえは気が利く。……ただ、それってよく考えたら、私が寝て待とうとしているのを察したというわけで、そういうのを察せられてしまう私ってどうなんだろうという気がしなくもなかった。
「ほれほれ。そろそろ起きな」
肩を揺すられるのを感じて、私は顔を上げた。
「もうすぐ来るから準備して」
「お……おう」
私は目の前をぼんやりと眺めつつ、とりあえず何か言った。……ここ、どこだっけ。
そのまましばらくぼんやりしていると、やがて、後ろで引き戸が引かれる音がした。
「おはよう。……あれ、三原さん?」
委員長の声がしたので、私はなぜか右手を挙げて応えた。そして力尽きて机に突っ伏す。代わりに雪ねえが解説する。
「何か用があるんだって。……ほれ、目を覚まして」
「寝てない……寝てないっスよー……」
雪ねえに肩を揺すられながら、我ながら何の説得力もない台詞を吐く。中途半端に寝たのが、かえって良くなかったか。六時前に起きたときよりも頭がぼーっとする。
ただ、ここでダウンしてしまっては、何のために早起きしてここに来たんだかわからなくなるので、ここはなんとか無理矢理意識を呼び覚ました……ことにする。
私は、視界に入ってきた委員長に向かって、全力を振り絞って言った。
「……ああそう。それで、委員長。用事があるんれすけど」
なにが「ああそう」かは謎だが、そこは気にしない。委員長も気にしなかったらしく、「何?」とかなんとか、そういう返事をした……と思われる。
そこで私は、足下に置いていたかばんを探って――この辺でようやく少し脳みその動きがマシになってきた――小さな紙袋を取り出した。
「これを父から預かったのです。ぜひ使ってください、って」
委員長は妙な表情をしながら、差し出した紙袋を受け取った。
「中身は……見ていい?」
「どうぞ」
紙袋は特にテープで閉じたりもしていなかったので、口を広げればすぐに中身が見えるはずだった。実際、委員長は、中を覗き込まなくても、すぐにそれが何かは察したらしい。すぐに驚いた顔をこちらに向けた。
「えっ……いいの、これ、頂いても」
「価値のわかる人に使って欲しい、と父は言ってました。……まあ、私は正直、文房具とかよくわからないんで、遠慮なく使ってください」
「さっきーのお父さんって、松井君と知り合いなの?」
雪ねえが尋ねる。
「そういうわけじゃないけど。んー、なんだろ。文房具マニア同士、通じ合うものがあったんじゃないかな? 私もよくわかんないけど」
「いや……しかし、こんな貴重なものをもらうだけというのも気が引けるなあ……」
委員長は紙袋の中身を覗き込んだまま、困ったようにしていた。まあ、いきなり知らない人から超レア物をもらったら戸惑うだろうということは、私にもなんとなくわかる気がする。
しばしの沈黙の後、口を開いたのは雪ねえだった。
「それなら松井君。お礼に三原さんを文房具ツアーにご招待するというのはどう?」
私と委員長は雪ねえの方を向いた。
「ちょうど今日の放課後、図書委員の用事で文房具屋に行くでしょう? そのとき三原さんも連れて行って、松井君が文房具の目利きをレクチャーするの。どう?」
「あ、それいい」
反射的に私は言った。一方、委員長の方は、困ったような顔をした。
「うーん。それは構わないけど、人に教えられるほど詳しいわけでもないんだけどな」
「そこはできる限り、ということでいいんじゃないかな。そんなに堅苦しく考えなくていいよ。それに」
雪ねえは私の頭に手を乗せた。
「この子は制服で堂々と買い物に行けるってだけで満足だから」
さすがに雪ねえはわかっている、というか、バレてる。我が校では制服で街をうろつくのは禁止されている。しかし、学校のお遣いという大義名分があれば、堂々と制服でねり歩けるではないか! ちょっとした不良的気分が味わえ、大人の階段を一歩上れるわけですよ。たぶん。
「うんうん。そうそう。気軽に連れて行っていただければ幸いでございますです」
私は雪ねえの手を乗っけたまま何度も頷く。
「うーん。じゃあ、そうしようか」
委員長はまだ戸惑っている風だったものの、そう言った。
「じゃあ、放課後にここに集合ということで」
「了解しました。……では、そういうことで」
そう言って再び机に突っ伏しようとした私の肩を、雪ねえが揺すった。
「こらこら。寝るなら教室に行きなさいな。会議の邪魔だし」
というわけで、私は図書準備室から追い出されることになった。
図書委員長の件について尋ねることができたのは、陸上部の朝練に参加するため、朝の六時から学校に向かおうとする雪ねえを捕まえたときだった。
「あれ。さっきー、今日は早いんだ」
同じ学校に通っていながら、登下校の時間が全然違う雪ねえを登校中に見かけることはこれが初めてだったが……
……あまりにきっちりした制服姿に、私は戦慄を覚えた。
朝練に向かう運動部の子って、たいがいジャージ姿で登校していたり、スカートの下にジャージを履いていたりしているものなので、雪ねえもそうなんだろうと思っていた。しかし実際の雪ねえはなんということか。靴はピカピカ、白ソックスはキッチリ、ブレザーやスカートにはしわやチリひとつなく、セミショートの髪はサラサラ。これから校庭をぐるぐる走る人とは思えないくらい、完璧な模範生的出で立ちではないですか。
一方で私は、寝グセが取れ切らないまま家を飛び出してきたりして。食パンを咥えて飛び出すという、都市伝説的なことはやらかさないで済んだが。
「……どうしたの?」
雪ねえの声で、我に返る。
「へ? あ、ああ。雪ねえ、おはよう」
「おはよう。というか、本当に早いよね。どうしたの?」
「うん。実は、雪ねえに聞きたいことがあって」
言いながら私は小走りで雪ねえの横に並んで、学校へと向かって歩いて行く。家から学校まで歩いて二十五分という微妙な距離のせいで、私たちには基本的に自転車通学が許可されていなかった。もう少し距離があれば自転車通学可になって、かえって楽に早く学校を行き来できるようになるのに。……それはともかく。
「実はちょっと、図書委員長に用事があるんだけど、どこに住んでいるのかよくわからなくて……」
「え、家まで行くの?」
雪ねえが驚いた顔をする。私は最初、なぜ雪ねえがびっくりしているのか、よくわからなかった。しばらくして理由がわかった。
「あ、家じゃなくて、クラスがどこなのかな、って」
「ああ。そりゃそうだよね。けど、そういうとき『住んでる』って言う? 学校に棲み着いてるわけじゃないんだから」
「間違えただけだよー」
と言いつつ、実のところ私には、上級生は学校に住んでいるものだという謎のイメージが頭の中にあるのだった。雪ねえの家は知っているから、雪ねえにそんなイメージを持っているわけではなかったけど、どこに家があるのか知らない上級生というのは、なんとなく学校の「ヌシ」みたいなもののような気がしたりしなかったり。
「松井君だったら1組だけど、教室で捕まえるのは難しいかも。どういう用事なの?」
「ちょっと渡したいものがあってね」
普通、女子が男子に何か渡したいなどと言い出すと、ほぼ確実に、えーなにー付き合ってんのーとかいう話に行き着く。そしてその後、長々とからかわれることになるのは目に見えているので、そうならないように言い方を工夫する必要がある。けれど、雪ねえはそういう面倒くさいところがないから助かる。
今回も、普通なら女子だろうと男子だろうと(特にバカ弟だったら)絶対食いついてくるであろう私の発言に、雪ねえは何の詮索もしなかった。
「それなら、八時から図書準備室でミーティングするから、そのとき渡したら?」
「あ、それならそうする」
「うん。けど、それはいいとして、さっきー、それまでどうするの?」
「え? あ……」
そういやそうだよ。まだ六時だったんだ。学校に着くのが六時半として、一時間半もある。教室で寝て待つという案が真っ先に浮かんだものの、そうしたら寝過ごすのは確定だろう。
「……図書準備室で待つなら、鍵を開けるけど」
「え? うんうん。そうするー」
さすが雪ねえは気が利く。……ただ、それってよく考えたら、私が寝て待とうとしているのを察したというわけで、そういうのを察せられてしまう私ってどうなんだろうという気がしなくもなかった。
「ほれほれ。そろそろ起きな」
肩を揺すられるのを感じて、私は顔を上げた。
「もうすぐ来るから準備して」
「お……おう」
私は目の前をぼんやりと眺めつつ、とりあえず何か言った。……ここ、どこだっけ。
そのまましばらくぼんやりしていると、やがて、後ろで引き戸が引かれる音がした。
「おはよう。……あれ、三原さん?」
委員長の声がしたので、私はなぜか右手を挙げて応えた。そして力尽きて机に突っ伏す。代わりに雪ねえが解説する。
「何か用があるんだって。……ほれ、目を覚まして」
「寝てない……寝てないっスよー……」
雪ねえに肩を揺すられながら、我ながら何の説得力もない台詞を吐く。中途半端に寝たのが、かえって良くなかったか。六時前に起きたときよりも頭がぼーっとする。
ただ、ここでダウンしてしまっては、何のために早起きしてここに来たんだかわからなくなるので、ここはなんとか無理矢理意識を呼び覚ました……ことにする。
私は、視界に入ってきた委員長に向かって、全力を振り絞って言った。
「……ああそう。それで、委員長。用事があるんれすけど」
なにが「ああそう」かは謎だが、そこは気にしない。委員長も気にしなかったらしく、「何?」とかなんとか、そういう返事をした……と思われる。
そこで私は、足下に置いていたかばんを探って――この辺でようやく少し脳みその動きがマシになってきた――小さな紙袋を取り出した。
「これを父から預かったのです。ぜひ使ってください、って」
委員長は妙な表情をしながら、差し出した紙袋を受け取った。
「中身は……見ていい?」
「どうぞ」
紙袋は特にテープで閉じたりもしていなかったので、口を広げればすぐに中身が見えるはずだった。実際、委員長は、中を覗き込まなくても、すぐにそれが何かは察したらしい。すぐに驚いた顔をこちらに向けた。
「えっ……いいの、これ、頂いても」
「価値のわかる人に使って欲しい、と父は言ってました。……まあ、私は正直、文房具とかよくわからないんで、遠慮なく使ってください」
「さっきーのお父さんって、松井君と知り合いなの?」
雪ねえが尋ねる。
「そういうわけじゃないけど。んー、なんだろ。文房具マニア同士、通じ合うものがあったんじゃないかな? 私もよくわかんないけど」
「いや……しかし、こんな貴重なものをもらうだけというのも気が引けるなあ……」
委員長は紙袋の中身を覗き込んだまま、困ったようにしていた。まあ、いきなり知らない人から超レア物をもらったら戸惑うだろうということは、私にもなんとなくわかる気がする。
しばしの沈黙の後、口を開いたのは雪ねえだった。
「それなら松井君。お礼に三原さんを文房具ツアーにご招待するというのはどう?」
私と委員長は雪ねえの方を向いた。
「ちょうど今日の放課後、図書委員の用事で文房具屋に行くでしょう? そのとき三原さんも連れて行って、松井君が文房具の目利きをレクチャーするの。どう?」
「あ、それいい」
反射的に私は言った。一方、委員長の方は、困ったような顔をした。
「うーん。それは構わないけど、人に教えられるほど詳しいわけでもないんだけどな」
「そこはできる限り、ということでいいんじゃないかな。そんなに堅苦しく考えなくていいよ。それに」
雪ねえは私の頭に手を乗せた。
「この子は制服で堂々と買い物に行けるってだけで満足だから」
さすがに雪ねえはわかっている、というか、バレてる。我が校では制服で街をうろつくのは禁止されている。しかし、学校のお遣いという大義名分があれば、堂々と制服でねり歩けるではないか! ちょっとした不良的気分が味わえ、大人の階段を一歩上れるわけですよ。たぶん。
「うんうん。そうそう。気軽に連れて行っていただければ幸いでございますです」
私は雪ねえの手を乗っけたまま何度も頷く。
「うーん。じゃあ、そうしようか」
委員長はまだ戸惑っている風だったものの、そう言った。
「じゃあ、放課後にここに集合ということで」
「了解しました。……では、そういうことで」
そう言って再び机に突っ伏しようとした私の肩を、雪ねえが揺すった。
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