鹿翁館のミステリー

涼格朱銀

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6.結末

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 僕らはキッチンの勝手口から、裏庭へとやってきた。先ほど来たときより日は高いところにあったが、この時間帯における地上の灼熱地獄っぷりを考えると、ここはずっと過ごしやすい。アダムス氏とやらがここに家を建てたのも、実はこんなところが理由なのかもしれない、などと、僕はふと思った。
「さて、裏庭にやってきたものの……どうする?」
 梶原が裏庭を見渡しながら言った。その意味はわかる。この庭には無造作に置かれた岩が6つある。このうち、どれが正解なのか、ということだろう。
「そりゃもちろん、鹿の翁に聞くべきじゃないの? あ、こいつ悪魔なんだっけ? 山羊ならわかるけど、鹿の悪魔ってのもどうなんだか」
 長家はなにやらぶつぶつ言いながら、仮面を付けた。
「あー、ここからじゃわからん。とりあえずいっこずつ確認しよう」
 そう言って、仮面を付けたまま庭を歩き出した。僕らも付いていく。
 一つ目、二つ目は空振りだった。三つ目は唯一木の下にあるやつで、見た目からすると本命っぽかったが、これもダメ。
「ああ、これだ」
 長家の反応があったのは四つ目だった。それは平べったくて大きい岩で、三人がかりでもとても動かせそうにない岩だった。これの裏に何かあるということなら、どうにもならない。
「矢印が書いてあって、21とある。この場合の21ってのは何かな。メートルじゃないだろうけど」
 長家は、僕らには見えない矢印が指している方角なのだろう、北北西に腕を伸ばしながら言った。
「こういう場合は、だいたい歩数なんじゃないの?」
 梶原が言う。僕は長家に尋ねた。
「旧約聖書の時代には、どういう単位を使ってたの?」
「えーと、まあ、調べた方が早いか」
 長家はスマホを取り出して調べる。
「キュビットだってさ。1キュビット0.444メートル。てことは、21かける0.4で……9メートルってとこ?」
「しかし残念なことに、我々にはいま、メートルで正確に測量する方法がないのだよ。結局、歩幅で行くしかないと思わないかい? どうせ1キュビットって、だいたい1歩に近いしさ」
 梶原は芝居がかった調子で言う。その態度は気に入らないが、言っていることには一理あった。
 結局、長家が矢印の方角に向かって、少し飛び跳ねるような形で21歩進んでみることになった。そこは、荒れ果てた芝生のど真ん中だった。特に何の変哲もないが、誤差のことも考えて、その前後を三人で調べてみる。長家は仮面を付けて探した。
 僕はその周囲の枯れた芝生を、靴の裏で擦っていた。たいがいはそうしたところで何の変化もなかったが、あるとき唐突に、明らかに人工的な、直線の割れ目が芝生に走っているのを見つけた。
「たぶんここだ」
 僕が声を掛けると、二人とも集まってきた。そして、三人がかりでその周辺の枯れ草や土をどけてみる。
 現れたのは、だいたい一辺2キュビットくらいの正方形の切れ目だった。見るからに地下室だか地下通路だか、あるいは排水溝か何かへの入り口の蓋に見えるが、それにしても大きい。
「どうやって開ける? さっきみたいに仮面を置いたら自動で開いたりしないかね?」
 長家は一応、鹿の仮面を通して蓋の周辺を見たが、何も無かったらしい。仮面を外して、言った。
「そこの物置にスコップがなかった? あれを使うしかないかもね」
 他に案もないので、僕が物置まで行って、スコップを取りに行くことにした。スコップは錆び付いているが、まあ、使えないこともないだろう。2つあったので、2つとも持っていき、1つは梶原に渡す。そして、お互い、平行となる辺にの隙間にスコップを差し入れると、同時に持ち上げようとしてみる。
 何回目かの挑戦で、蓋は開いた。中は真っ暗でよく見えないが、奥へと降りるためのはしごが見えた。
「懐中電灯か何か欲しいな」
 中を覗き込みながら、僕が言う。すると、呆れたような声で梶原が言った。
「はあ? 持ってるだろ」
「持ってるのか? 用意がいいな」
 僕は穴から目を離し、梶原を見上げた。
 すると、梶原は無言で、自分のスマホを取り出し、突きつけた。
「ボケてるんじゃないよ。スマホは人類史上類を見ない超高級懐中電灯だろうが。ついでに通話や撮影も出来るぞ」
 僕は2秒ほど、突きつけられた梶原のスマホを見つめていた。が、やがて、言われたことを理解し、おおと声をあげた。
「そうか。写真撮影の時のストロボがライトになるのか。そりゃ便利だな」
「マジかよこいつ。本当に現代人かよ」
 いや、真面目な話、スマホが懐中電灯になるなんて、今まで一度も考えたことがなかった。
 僕は早速自分のスマホを取り出すと、懐中電灯モードをオンにして、穴の中にかざしてみた。穴の中はコンクリートか何かできっちり塗り固められていて、丈夫そうな造りだった。穴の底は、目測で5メートルほど。スマホのライトなんてそんなに役に立つのか疑問だったが、意外と明るく照らせるもんである。ただ、光の直進性が強いので、広い範囲は照らせない。
「そのままその辺を照らしておいてくれないか。まず俺が降りる」
 梶原がそう言って、はしごに足を掛けようとした。僕は邪魔にならないように位置を変えつつも、はしごで降りた先の地面の辺りを照らし続ける。
 梶原は足の位置を確かめながら、慎重に中へと降りていく。そして、穴の中に付くと、自分のスマホで中を照らし始めた。だが、僕の位置からでは、中がどうなっているのかは全く見えない。
「危険がないか確認する。少し待っててくれ」
 そう言うと、梶原は穴の中へと消えてしまった。断続的に足音や物音だけが聞こえる。
 と、その時、息を呑む音が聞こえた。
「おいおい、大丈夫か?」
 反射的に僕は言っていた。
「あ、ああ。大丈夫だ。ちょっとアレだが、おそらく危険はないよ。幽霊も悪魔もいない。怪物は……うーん」
 いや、そこで言い淀まれると心配になるんだが。
「まあ、たぶん降りてきて大丈夫だよ。ただ、無理強いはしない。嫌だったら待っていてくれ」
「よし。行く」
 梶原の言葉が終わらない内に、長家はさっさとはしごを降り始めてしまった。
 僕は……穴の中に入ること自体はどうとも思わなかったが、万一の時、地上に一人いた方がいいんじゃないか? ということは少し思った。
 ただ、よく考えると、それは過剰に心配しすぎな気もした。この穴の入り口はかなり大きいから、いきなり土砂が崩れてきて入り口が埋まるということはまずないだろう。だいたい、崩れそうな土砂もない。かなり広い、枯れた芝生の真ん中である。入り口を塞いでいた落とし蓋についても完全にどけてあるから、何かの拍子で閉まってしまう心配もない。
 そう自分に言い聞かせて、はしごを下りることにする。しかし、下りながらも、やっぱり安全確保の人員が必要なんじゃないか? という心配は、ずっと頭から離れなかった。

 下りてみると、そこは、コンクリートで塗り固められた、地下壕のようなところだった。実際に見たことはないが、テレビ番組か何かで見たナチスの地下壕と雰囲気が似ている。天井の高さは十分にあるし、下りた先にあった通路も、人がすれ違える程度には広い。通路を数歩進むと、部屋らしきところに出るようである。梶原と長家は、その中にいた。
 スマホで足下を照らしながら、僕もその部屋に入ってみる。そして、梶原が息を呑んだものの正体を見た。

 その地下部屋は四畳半くらいの、地下の空間としては結構広いスペースを持った、コンクリートの部屋だった。天井付近の壁を見ると、通気口なんかもきちんと作ってある。
 しかし問題なのは、床の方だった。コンクリートの床には、先ほど隠し部屋で見たような魔法陣が描かれ、星の頂点にはそれぞれ、小さくなった蝋燭が立っている。
 そして、その魔法陣の中には、四本足の動物の骨が横たわっていた。頭部の骨はなく、代わりに、背中のあたりに翼と思しき骨が散らばっている。そしてその周囲には、おびただしい量の獣毛と、大きな羽根。それからその周辺には、何やら灰のようなものが積もっていた。
 また、床や壁には、何かで引っ掻いたような跡や、赤黒いものがこびりついている。
 僕らはしばし、無言でそれらを見続けた。
 と、思い出したように長家が仮面を取り出し、仮面を通して部屋を探る。
「……どうする?」
 僕は言った。梶原が答えた。
「……まあ、警察に連絡するのは、ここから人間の血液やら骨やらが検出されてからでいいと思う。動物の争った痕跡が見つかったと大騒ぎされても、あっちも困るだろうし。まずは、ここの骨やらなんやらを採取して、検査機関に調べてもらうとしよう」
 梶原は穴の入り口の方へと向かった。
「道具を取ってくるよ。その後、悪いけど、サンプル採取を手伝ってくれ」
「いいさ。そのために来たんだしさ」
 梶原ははしごを登っていった。僕はそれを見送ると、改めてスマホをかざして、部屋を眺める。

 部屋を見た感じの印象としては、この四本足の翼の生えた動物が、この部屋で暴れたように見える。また、骨の状態からすると、死体のまま放置されたわけではなく、焼かれて骨だけになったようである。散らばっている灰は、その時のものなのかもしれない。
 しかし、仮にこの部屋できれいに骨だけ残るほど高温で焼かれたのだとしたら、床や壁、天井に、焼かれた跡や煤が残っていないのはおかしい。
 あと、もうひとつ、肝心なことは、教授がどうなったか、である。教授はここに来たのだろうか。来たとして、何をしたのだろう。この動物と戦ったのか。あるいは、まさかとは思うが、こいつを召喚でもしたのか。いずれにしても、教授の痕跡らしきものは何もなかった。
 ふと、長家の方を見ると、彼女はまだ仮面を被って、スマホで部屋の壁や天井を照らしながら見回していた。
「長家さん、何かあった?」
 僕が声を掛けると、長家は仮面を外して、首を横に振った。


 その後、僕らは日が傾くまで働いて、獣毛や羽根、灰、こびりついた赤黒いものなどを採取した。
 そして、暗くなる前に館を引き上げて、大学前で解散した。
 一週間後、採取したサンプルの簡易検査結果が出たということで、梶原からメールがあった。壁などに付着していた赤黒いものは血液だったが、骨になっていた動物のものと断定された。灰に関しても同様。つまり、ラザロ教授があそこで謎の動物相手に血まみれの乱闘をした末に灰になるまで焼かれた、というわけではなかった、ということらしい。
 骨になっていた動物については、シカ科の動物だろうとされたが、詳細は不明とされた。翼と思しき骨や羽根についてはイヌワシの一種だろうとされたが、詳細は不明。
 あとは、隠し部屋にあった獣毛と地下室の獣毛を比較したところ、DNAがほぼ一致したということで、詳細は分からないが、隠し部屋で毛をまき散らしていた動物が、どういうわけか地下室に行って死んだらしい、ということだった。
 また、地下室の獣毛からは、二匹分のDNAが検出されたらしい。つまり、あの地下室には、少なくとも二匹のシカ科がいたらしい、ということになる。

 結局のところ、僕らが一日かけてごちゃごちゃ調べた結果は、まあ、館の秘められた一側面を暴くという成果はあったものの、肝心の教授の消息についてはさっぱりわからないまま、というものだった。まあ、素人探偵のやることなんか、こんな程度だろうと言える。
 僕はしおしおと日常に戻り、長家もフロリダへと帰っていった。

 ただ、この件が全くの無意味だった、ということもなかった。僕は長家の言っていたボルヘスとかいう名前に興味を惹かれ、休日に図書館に行って彼の作品を読んでみた。もちろん日本語訳で、であるが。
 すると、なかなか僕と波長の合う作風だったようで、気に入って何冊もAmazonで取り寄せてしまった。中でもピエール・メナール版「ドン・キホーテ」の評論はお気に入りで、何度も読んでは笑わせてもらっている。ウソを書くのがうまい人、という長家の評はなかなか当を得ている。

 ちょっと面白かったのは、彼の著作に『幻獣辞典』というのがあって、これがまた、本当に神話に登場する幻獣なんだか、それともボルヘスによる創作なんだかわからない、ウソくさい内容なわけだが、その中でペリュトンという幻獣が紹介されていた。アトランティス大陸に住んでいたとされる幻獣で、旅先で死んだ旅人が幻獣となった姿だそうなのだが、これが、鹿と鳥を合わせたような姿だそうなのである。
 地下室の骨は、イギリスからはるばるやってきて客死したアダムス一家の誰かの化身だったのだろうか。それとも、ラザロ教授がペリュトンに変化した姿だったのだろうか。そうやって想像を膨らませると、なかなか興味深いが、それが真相かと言われたら、卑しくも史学の学士の称号を持つ者としては、その証拠はない、と言うしかない。
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