鹿翁館のミステリー

涼格朱銀

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5.再調査

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 昼飯の後、僕たちは再び、書斎にやってきた。
 ここに来るまでに一応、長家が仮面を付けてホールや廊下、二階の部屋もチェックしたが、食堂のような仕掛けは見つからなかった。やはりこの館の謎は、書斎に集中しているらしい。
 僕が床を掃除したおかげで、雑然とした感じはなくなったものの、やはりどうも、この部屋は不気味である。
 長家は一呼吸置くと、意を決して仮面を付けた。そして、周囲を見回す。その間、僕は仮面を見ていた。長家に何かあるとは思っていなかったが、それでもなんとなく、目を離すべきではない気がしたのだ。ちらっと横目で見ると、梶原も難しそうな顔をしつつ長家を見ていた。
 部屋の真ん中、机のそばから部屋中を見回していた長家は、今度は本棚の回りをゆっくりと歩きながら、本棚を調べ始める。僕と梶原はその場に残り、視線だけ長家を追う。
「今のところ、何も見つかっていない」
 本棚を半分ほど見終えたところで、長家が言った。そして、残りの半分を歩き終えても、結局何も見つからなかったようである。
 長家はその場で一旦仮面を外して、しばらく考え込んでいた。僕らも黙ってそれを見ている。やがて、何か思いついたらしくて、僕らの方に寄ってきた。
 いや、用があったのは僕らじゃなくて、机だったらしい。長家は仮面を付けると、机の表面をじっと見る。置かれてある本やメモ片を避けてたりもしたが、空振りだったらしい。
 すると今度は、引き出しを開けて、中のものを出し始めた。
「なるほど。引き出しの中に謎のメッセージが隠されてるってのは、あるかもしれないな」
 僕は呟いた。
 だが、それも成果なしだった。長家は床に寝転がるようにして、引き出しや机の天井まで確認していたが、それでも何もなかったようである。長家は仮面を外すと机の上に置き、引き出しを元通りにすると、服の埃を払うようにしながら、ため息をついた。
 そして、言った。
「ここまで来て、何もないってこと、ある?」
「まあ、調査が空振りに終わるのは考古学者の宿命とも言えるけどな」
 梶原は乾いた笑いを含んで言った。
 長家は納得がいかない様子で、椅子に飛び込むようにして座る。そして、深刻そうに考え込みながら、言った。
「この椅子、すんごい座り心地いい。持って帰りたいくらい」
「え、そうなの? 座ったことない」
 梶原が食いついた。長家は椅子から立ち上がり、梶原に勧める。
 梶原は勧められるまま椅子に座ると、背もたれに身体を預け、座席を左右に振った。
「おお、こりゃいいね。事務机の椅子なんて安物でいいやと思ってたけど、こういうのっていくらするのかね。むしろ作ってるところがあるのかな?」
「さあね。手頃な値段であるなら、私も仕事場に導入したいね」
 長家が言った。
 梶原はその椅子がよほど気に入ったと見えて、背もたれに身体を預けた姿勢のまま、ぼーっと天井を見上げた。
 そして、ふと、言った。
「天井は見た?」
「見たよ。特に何も無かったけど」
 長家が即答する。
 梶原はなおも天井を見上げ続けていたが、ふと、身体を起こして、机の上の仮面を手に取った。そして、付けてみて、また天井を見上げる。
「おお。このレンズ、そもそも変な映り方するんだね。光がプリズム分光されてるっていうか。というかプリズム分光って正しい言い方なの? なんか変?」
「いや、知らない」
「知らん」
 僕と長家が同時に言う。
 梶原はしばらくそうやって、仮面越しに天井を眺めていたが、我に返ったのか、身体を起こした。
「おおおっ?」
 そして、なにやら声をあげる。
「どうした?」
 僕が聞くが、梶原はすぐに答えなかった。ただ、仮面越しに入り口の辺りをじっと見ている。
 それから無言で仮面を外すと、長家にそれを差し出した。長家がそれを受け取る、梶原は席を立って言う。
「座って、ドアの上の辺りを見てくれ」
 長家は言われたとおり、椅子に座ると、仮面を付け、ドアの辺りを見てみた。
「……ドアの上辺りに白い囲みが見えるね。遠目だからわかりにくいけど、たぶん食堂と同じように、老いた鹿と書かれている」
 僕と梶原は、入り口の扉の側まで寄って、間近で問題の箇所を見上げた。すると、そこには何かを掛けるフックのようなものがあった。
「何か掛けるようなものがある。鹿の仮面を掛けるのかな」
 梶原が長家に向かって言った。
 長家は席を立つと、仮面を外してこちらにやってきた。そして、問題のフックを見上げながら、言った。
「紐か何かある? このままじゃ引っかけられないけど」
「あ、さっきその仮面と一緒に拾ったのがある」
 僕はそう言うと、胸ポケットから紐を取り出した。変色しているが、ほつれているわけでもないから、一応使えるだろう。
 長家は紐を受け取ると、仮面にある2つの穴に紐を通してくくった。そしてそれを、梶原に差し出す。身長的な理由で、僕や長家ではフックまで手が届かないから、この行動は的確だと言える。
 梶原は仮面を受け取ると、フックに仮面を掛けた。
「さて、どうなる?」
 梶原が呟く。
 ……だが、仮面を掛けてしばらく待っても、特に何も変化は起きなかった。僕らは仮面の側を離れ、それぞれ思い思いのところに行って見回してみたが、やはり何もない。
「……どういうこと?」
 梶原が言った。
「ここまで思わせぶりにやっといて、何もありませんでしたはなくない?」
「仕掛けが壊れていたりして」
 長家が言った。……机のカギ穴のことを考えると、それはあり得る気がする。だが、梶原はあの時いなかったからか、納得がいかなかったらしい。
「そんな馬鹿な。いくらボロ屋敷だからって、そんなのありかよ!」
 梶原の心の叫びが、虚しく響く。

 と、その時。梶原の魂の声に呼応したのか、それとも単なる偶然か、何かが動く音がした。そして、カギが外れたときのような乾いた音が書斎に響く。
「お?」
 梶原が忙しく首を振って辺りを見る。
 だが、それから数秒間は、それ以上何も起きなかった。結局思わせぶりなだけで何もないのか? と僕が思い始めたとき、再び何かが動く音が聞こえた。部屋の入り口から向かって左の壁だ。
 見ると、本棚の一部が壁の中へと引っ込んでいく。そして、ある一定のところまで来ると、今度は横にスライドした。
 僕の位置からは、本棚がどいた奥に何があるのかは見えなかったが、少なくともそこから、自然光が漏れているのはわかった。
「おお、すげえ、隠し部屋だ!」
 梶原が叫んだ。そして、真っ先にその奥へと入っていく。
 しばらくして長家が、それに続いて僕もそこへと入っていった。

 その隠し部屋は、ひとつの部屋を本棚で仕切ることによって作られたものだった。書斎よりは縦長で狭いものの、窓が2箇所もあって、息詰まるような書斎よりも開放的だった。隠し部屋のくせに。また、ふたつの窓は開け放たれていて、山の心地良い風が入ってきていた。ただし、その窓は長年開け放たれていたらしく、その間に風雨にさらされていたため、窓枠は腐ってカビが生え、その下の絨毯にも染みとカビが生えている。あまり近づきたくはない。
 ただ、それよりも重要なのは、床の絨毯に散らばっているものだろう。床には鷹の羽根のようなものと、獣の毛のようなものが散乱している。そして、例のオカルト的な計算をしたメモ片。あとは、何かの木片も。とにかくいろんなものが散らばっている。
「あっ、これは……」
 梶原が何かに気付き、床から拾い上げた。どうやら手帳らしい。
 手帳をぱらぱらと繰って、梶原は言った。
「これはラザロ教授の手帳だ」
 それを聞いて、長家が独り言のように言った。
「つまり、教授はこの中に入ったわけか……」
 梶原が手帳を調べている間、僕は床をもう少しよく観察してみることにした。
 しかし、それにしても汚い。書斎の方は、まあ、本や紙片を拾うだけでもなんとかなったが、ここは毛やらなんやらが絨毯に絡まっていてどうにもならない。掃除機が必要なレベルである。
 長家は獣毛を掴んで窓からの明かりに照らしながら、言った。
「何かここで飼ってたのかね? 変な話だけど」
「これだけ広い庭があるんだから、何を飼うにせよ、屋外で飼えばいい気はするけどね」
 と、そのとき、僕は、メモ片のひとつが絨毯の端に挟まっているのに気付いた。カビカビの絨毯を触るのは気が引けたが、めくれるのかどうか、試してる価値はありそうである。
 僕が部屋の角に行き、絨毯に手を掛けるのを見て、長家は僕がやろうとしていることを察したらしい。反対側の角に行って、こちらに合わせながら絨毯をめくってくれた。梶原は手帳から目を離さなかったが、邪魔にならないところへと退避してはくれた。

 その結果は、なかなかに衝撃的だった。絨毯の下から出てきたのは、床に直接、何やら赤黒いもので描かれた魔法陣だった。単純に円を描いて星を描いているだけのものではなく、相当精緻に細かい意匠が施されている。これを描いた奴の本気度が窺える。
 それぞれの頂点には蝋の垂れた跡があり、床にはところどころ焦げた痕が見られることから、ここで実際に儀式が行われたらしい。
 僕と長家は黙りこくって、しばし魔法陣を見下ろしていた。その間、梶原はさすがに魔法陣をチラ見したときは驚いた様子を見せていたが、すぐに教授の手帳を調べる作業へと戻っていた。
「まあ、これで、メモ片の謎は解けたかもね」
 やがて、長家が素っ気なく言った。呆れているのか、圧倒されているのか、心情までは読み取れなかった。
「とはいえ、肝心なことはわかってないよな。教授はこの隠し部屋に入って、それから結局どうしたんだろう」
「その点はわからないが、ある程度、教授の行動について、わかったことがある」
 手帳に目を落としたまま、梶原が言った。僕らは梶原に注目する。
「まず、教授は、当初はこの館を、できれば保存する方向で進めたいと考えていたようだ。館までの道を整備して、記念館にするとか、旅館にするとか、そうした案についていろいろ書いている。その考えが変わってきたのは、例の食堂に飾ってある仮面を調べてからのようだ。あれの出自についていくつかの機関に鑑定を依頼したものの、芳しい返事が返ってこなかったらしいんだが、オカルトに詳しい知人にたまたま見せたところ、それが悪魔崇拝的な代物だということを知ったらしい。そして書斎を調べていくうち、ある本の一冊からメモ片が出てきて、それが例の、秘数術のものだった」
「いやまて。てことは、あのメモ片はもともと書斎には散らばってなかったってことか?」
 僕は思わず口を挟んだ。
「ああ、そうらしいな。……すまんな。そんな気はしてたんだが、確証がなくて言いそびれてた」
 あれだけ部屋に散らばっていたメモ片が、以前からあったかどうかすらうろ覚えだったとは、梶原は探偵には向かないようである。まあ、今となってはどうでもいいことか。
 梶原は続けた。
「教授は、あの館には後ろ暗い秘密があるのかどうかを確認する必要があると考えた。もし、悪魔的な何かがあるなら、もちろん保存なんてもっての他だし、誰にも知られないうちに取り壊してしまおうと考えたようだ。で、どうやら、一人でこっそり書斎を調べる必要が出てきたわけだな」
「なるほど。それで教授の動機はわかった。ただ、結局、なぜ消えてしまったかはわからないな」
 僕は言った。それをきっかけに、三人とも黙りこくってしまう。僕と長家は魔法陣を見下ろし、梶原はメモ帳を呆然と見つめる。
 その時、ふと、僕は思い付きを口にした。
「ところでここって、仮面を持ち込めるのかな」
「え?」
 梶原が聞き返す。
「いや、ここって仮面を掛けたら入れるんでしょ」
「ああ」
「あれを外して、この部屋に持ってこれるのかなって。下手したら閉じ込められる?」
「うーん。外からしか開け閉めできない隠し部屋って、何にしても危なくないか? たぶんあるんじゃないの、中から開け閉めできる仕組みが」
 梶原はそう言うと、書斎から言うところの本棚の裏側にあたる壁を調べ始めた。長家もそれに倣って、先ほど動いた本棚や、その下を調べる。
「ああ、ロック機構みたいなのがあるよ。これを押したら動きが止まるんじゃないかな」
 長家が動いた本棚の足下を指さす。見ると確かに、足で踏むタイプの、車輪止めのようなレバーだかボタンだか、そういうようなものが付いていた。
「じゃあ、試しにそれをセットしてみて。それで、梶原は仮面を外してみてくれ。あ、もちろんみんな書斎に戻っといてね。閉じ込められると良くない」
 二人は言われたとおりにした。長家はロックらしきものをセットして書斎に戻り、長家と僕が書斎にいるのを確かめてから、梶原は仮面をフックから外した。
 しばらく待ってみたが、何も起きない。どうやらロックは成功したようである。
「それで、どうするんだ?」
 梶原が僕に聞く。答えたのは長家だった。
「もちろん、仮面越しに隠し部屋をチェックするんでしょ」
 そう言って、梶原の手から仮面を取り、仮面を付けて隠し部屋へと戻っていく。
 長家は隠し部屋を床から天井まで隅々までじっくりと確認し、それから、魔法陣も角度を変えて何度も見ていた。それから、仮面を外してため息をついた。
「残念。何もない」
 そう言って、僕に仮面を手渡した。
 僕はたぶん、不思議そうな顔をしたのだと思う。長家が言った。
「さっきも私は見落としがあったから、ダブルチェックするに越したことはないでしょ」
 なるほどと重い、僕は眼鏡を外して、仮面を付けてみる。そして、魔法陣や、毛や羽が散らばる床や、窓など、気になっていたところを中心に見てみる。
「確かに何もなさそうだな。……なんかあっても良さそうなもんだと思ったんだが」
「発想は悪くなかったよね」
 僕は梶原にもチェックしてもらおうと思い、梶原を探した。だが、隠し部屋には居なかった。まだ書斎にいるらしい。
 書斎に戻ると、梶原は教授の手帳を繰っていた。
「どうだ、梶原、お前もチェックするか?」
「ん? いや、いいよ。お前らが見て何もないというなら、それを信用するさ」
 梶原は気のない返事をした。
「なんだ。……手帳にまだ、何か気になることがあるのか?」
「いや、今のところ何もないんだけど、何かあるんじゃないかと思えてなあ」
「ふうん」
 僕は何気に手を差し出していた。梶原も、なんとなく僕に手帳を差し出す。
 僕は手帳をざっとめくって、最後に書かれたページを探した。れをやりながら、仮面を付けていたことに気付く。眼鏡がないから、文字がよく見えない。
 ……と、そのとき、メモ帳の空白に、何やら白いものが浮かび上がっているのに気付いた。
 僕は驚きの声をあげ、手帳を梶原に押しつけた。
「どうした?」
 梶原が尋ねる。僕の声を聞きつけて、長家も書斎にやってきた。
 僕は急いで仮面を外すと、長家にそれを渡した。
「仮面越しに見たら、手帳に何か書いているかもしれない」
「わかった」
 長家は仮面を付けると、梶原から手帳を受け取った。そして、ページを繰っていく。そして、何も書かれてない空白のページで手が止まった。
「ああ、確かに。何か書いてある」
 僕と梶原は黙って、そのページを見つめる。もちろん、何も見えない。
「殴り書きされてるけど、これは……ラテン語かな?」
 長家は仮面を外し、それを手帳を僕に手渡した。そして、空いた手でスマホを取り出し、素早く検索を始める。
「ああ、やっぱりラテン語だ。庭の岩って書いてある」
「庭の岩……裏庭のアレか」
 梶原がぼそりと言った。
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