marionnette Assassin

汐凪吟

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怪物がいた。手には妖しく光る刀を、瞳は獲物を逃がさないというように赫く光っていた。
白く輝いていたであろう髪は血に塗れ、くすんでいる。それが本当にヒトなのかはわからない。


でも、何かに惹きつけられるように目が離せない。
「おい、女。生きているか?」
ついさっきまで獲物を見据えていた瞳がいつの間にか私に向いていた。その瞳からは獣のような色が消え、感情がみえない灰色だけが入り乱れている。


「おい!清凪、聞こえてるか?」 
突然、肩を掴まれる。反射的に言葉を発しようとしたが音になる前に空気に溶けていく。目の前で起きたことを脳が処理しきれていない。目が離せない。


「生きているのか、よか、っ!私を見たことは誰にもいうなよ。もし口を滑らせればお前を殺す」
この人、一瞬顔を強張らせた?この短時間で色々なことが起こりすぎて頭が追いついていかない。


私が上司から逃げている間にこの人は何をやった?なんで私の名前を知ってるの?私の後ろには上司がいたはずだった。なのに、音が聞こえて振り向くと瞬きをする間に上司は消えてあいつになっている。
上司の姿はどこにもない。いや、正確には上司だったものが周りにはあるのだろう。


不正を働いていた上司はきっと方々から恨まれていることだし。でもそんな事よりも目の前にいるあいつから目を離すことができなかった。させてもらえなかったのだ。 


あいつの瞳と目があった瞬間から私の体は縫い留められたかのように動かなくなった。一体あいつは何者なのか。ただこの状況でも一つわかることがある。
あいつは人じゃない。マリオネットだ。ココロを奪われた人形だ。あいつと同じように。


「なんで名前を知ってるかって?対象者の身辺を調べるのは必須だからだ。久遠財閥の久遠 清凪。久遠財閥当主久遠 清の一人娘」


灰色の瞳がせまってくる。白から灰色を経て黒へと移っていく綺麗な瞳。灰色は薄汚れた罪人の色、そう教えられてきた。
けど、この灰色は薄汚れてなんかいなかった。むしろ、優しく包み込むような色をしていて神のように神々しさを醸し出していた。


「おい、俺の顔をそんなに見るな」
そういった彼の顔はほんのりと赤みを帯びている。さっきとのギャップに思わず笑みがこぼれる。
「ふふっ、知ってるだろうけど私は清凪。よろしくね。どうせすぐには返してもらえないだろうし。あなたは?」


「灰。罪人って意味だ。後ろ暗い殺し屋には似合いの名だ。清凪、お前はもうここを去れ。今ならまだ間に合う!表の人間が裏に関わるな。戻れなくなるぞ。これは警告だ。俺みたいになりたくなければ逃げろ!」


「番号、零四九」
この場ににつかわしくない機械音が響いて、灰が即座に膝をつく。
「ぐっ!っ、はい、なんでしょうか。ボス」
「その女を逃すな。久遠財閥の娘はいい材料になる。それに秘密兵器のことが広まると困るからな」


「でもっ、彼女は表の人間です!裏には...」
その瞬間灰の首飾りが赫く焔を纏うように光る。
「黙れ!お前の意見は聞いていない!零四九。お前はただ私から言われたことをやっていればいいのだ」
「はい、ボス。仰せのままに」


「後処理を終えた後に暗部で待機だ。女も連れてこい」
「承知しました」
灰の首には焔に焼かれたような跡ができていた。私は灰の不気味さに、得体の知れなさに黙って立ち尽くすことしかできなかった。

「...。着いてこい」
「っ、はい!」
こうして、私は夜の闇を背負う灰についていくことになった。あんな上司なんかもうどうでもいい。不安と恐怖がほとんどココロを占める中で母と同じ目をした灰についていけることにココロを躍らせている自分がいた。



 満月が辺りを彩っている中半刻ほど歩くと、灰が暗部と呼ぶ場所についた。
「着いたぞ、ここが暗部だ」 
名前からして暗そうな場所をイメージしていたが実際はそこまで暗くなくて助かった。暗かったら目が悪くなっちゃうし、私の能力が役に立たなくなっちゃう。


「お前はここで待っていろ、絶対に何も喋るな」
 コンコン 
 灰がドアをノックする。その音に合わせて私はスキルを発動した。一見地味なスキルだが、情報収集にはうってつけだ。


「入れ」
「失礼します、ボス。あの女の処分はいかがいたしましょう」
「お前に任せる。ただし殺すな。暗部に留めろ。人質として利用しろ。お前のその自慢の顔で女をオトしてもいい」
「承知しました、では...」


あいつ、相変わらず性格がわりぃな。灰がボスに聞こえないような小さな声で言った。
「あぁ、そうだ。もう一つあるんだった。灰、遊びはほどほどにな」
「了解しました。では、御前失礼します」
 


「おい、清凪。いくぞ、着いてこい」 
ボスの部屋から出てきた灰は淡々と話す。
「早くしろ!置いていかれたいのか?」
「待って待って、歩くのが速いよ」
「俺はこれが普通だ。慣れろ。これから毎日一緒に過ごすんだから」


「え?一緒に?」
「仕方ないだろ。命令なんだから。お前だって死にたくないだろうし」 
灰はそういって私の手を強く引いた。でも命令の内容は監視じゃない、私をここに縛りつけることなのは知っている。


私を監視する必要はないはずなのに。灰はずっと足が止まっている私に痺れを切らしたみたいで強く手を引かれた。
半ば強制的に連れてこられた場所は暗部の一室だった。
「今日からここが俺とお前の部屋だ。よろしくな、清凪」


「うん、よろしく。灰燼の暗殺者くん?」
「お前、なんでその名を...。まぁそんなこと気にしたところで意味がない。あと言っておくがあくまで俺たちは監視者と監視対象。それ以上に深く干渉はしてくるな。じゃないとうっかりお前を殺しかねない」


その言葉には彼の生き方が隠れている気がした。諦めのような狂気が...。きっと人とはあまり関わりがないのだろう。
いや、考えるのはやめよう。私が安易に放った言葉がいつ彼の地雷を踏むのかわからない。


「待ってる時に通った人が話してた灰燼の暗殺者の話を聞いてたらあなたの特徴を合致してただけ。それで、私はこの後どうしたらいいの?」
 起こったことの整理ができていると言ったら嘘になるが弱みを握られないように強がることしか今の私にはできない。


「...そうだな。とりあえず」
彼が言い終わる前に通知音らしきものが聞こえた。すると人が変わったかのように瞳に何も見えなくなった。
「ボスからの命令によりお前は鎖で繋がせてもらう」


そう淡々と告げる彼は中身のない人形だ。まるで操られているみたいに。
「いきなりすぎない?」
 この命令のモードみたいなのに入られると話が一気に通じなくなる。まるで操られてるみたいに。


「命令だから大人しく従ってくれ。殺されたいなら別だが」
そういって灰はどこから出したのかわからない鎖を私の両手両足にはめる。すると灰は申し訳そうな顔をした。
こんなに優しい監視者は今まで見た中でいなかった。きっと生きづらかっただろうなぁ。


「灰、あなたは監視者なんでしょ。監視対象を監視するのに感情はいらないでしょう?」
「あぁ、そうだな」
「俺はマリオネットなんだから。感情なんかいらない」 


灰がそう呟いた気がした。すると灰は空気を変えるように咳払いをする。
「ではお前には今日からここで生活してもらう。基本的には俺に従ってもらう。だが、もし命の危険を感じたならそのまま逃げろ。それ以外は特に言うことはない。今日は疲れただろうからもう寝ろ。俺的には頭を整理しておくことを薦めるが。まぁ、おやすみ清凪」


先程の警戒をはらんだ声とは違う灰の声に安心した私を急激な眠気と疲れが襲う。睡眠欲に忠実な私は簡単に意識を手放すのだった。


 一方、清凪と灰が出会った場所には多くの警察官が集まっていた。
「こりゃ、酷いな。また灰燼の暗殺者の仕業か」
「えぇ、そうでしょうね。被害者の顔を残してそれ以外を燃やす、こんな酷いことをするのは灰燼しかいませんからね」


多くの警察官が目を向ける場所には清凪の上司の首と大量の血痕、そして上司の横領、不正の証拠が揃っていた。
「それにしてもこれは過去一やばくないか?灰燼の暗殺者の事件とは何百件と関わってきたがここまで酷いのは見たことないぞ。もしかしたら個人的な恨みがあったのかもな」


「私たちは灰燼じゃないんですから、意味を考えたところでわかりません。しかし、灰燼はどんなに隠蔽工作がされてるものでも容易に引き出してくる。その手腕にはびっくりです。義賊と呼ばれるだけはありますね。身元がわかっていればスカウトに行きたいくらいですよ!」
「警部!現場にある血痕を調べた結果一つは被害者のもの、もう一つは久遠清凪さんのものであると判明しました!」


「久遠?久遠清凪と言えば久遠財閥のご令嬢じゃないか。なんでそんな人の血痕が...」
「まだ詳しいことは調査中ですが結果が分かり次第お伝えします。では、失礼します」
この場に久遠清凪がいただと?久遠財閥の大事な一人娘が行方不明だと?確実に久遠の私兵が動くじゃないか...。まずい、かなりまずい。


このまま見つからなければ俺の首が飛ぶんだろうな。俺は諦めたかのようにその後の報告を聞いていく。要点をまとめると清凪は灰燼が連れ去った可能性が高いということ、件の被害者は横領から不正にまで手を染める悪党だったということだな。


これから俺らは一体どうなることになるのか。久遠財閥の娘が見つからなかったら…。
「頭痛が痛いな」
「警部?何か言いました?なんか寒いんですけど...」
「いや、何でもない」
 


翌日 灰と清凪の部屋
「なんでお前はまた俺を見つけてしまったんだ、清凪。俺と会わなきゃこっちに来ることもなかっただろうに...」

カーテンから漏れる朝日が眩しくて目が覚めた。
「んー、仕事行かなきゃ...。って今何時?八時半!まずい寝坊した!」 
でも部屋がいつもの部屋じゃない。あ、昨日やっと上司が殺されたと思ったら口封じのために連れてこられたんだ、灰に。


「あの上司が殺された?しかも灰燼って有名な強い暗殺者だったよね。私、もう家には戻れないのかなぁ?嘘だよね」
「嘘じゃないぞ。横領から始まり殺人にまで手を出していたお前の上司は上からいずれ日本の政治を脅かすと判断されたんだ。だから命令が下った。そして、その場にいたお前が警察に情報を漏らす事を考え暗部で監視をすることになったんだ。お前には暗部が不要になるその時まで家には帰れない」


灰は淡々と事実だけを説明していた。その言葉から、瞳からは何も感じれない。
「私は家に帰れないの?灰。どうなの!」
今になって頭が回り始めた。


「落ち着けよ、うるさいな。よく考えてみろよ。監視対象が元の家になんか帰れるわけないだろ」
「私を帰さないと久遠財閥が何をするかわからないよ」
つい、感情任せに不満を灰にぶつけてしまう。悪いのは灰じゃないのに。


上司のやっていたことを黙認していた自分なのに。灰は私を逃がそうとしてくれてたのに。こんなの八つ当たりじゃないか。
「久遠財閥の影響は確かに無視できないから、あちらが仕掛けてくる前にこちらから仕掛ける。これに今の状況を書け。ただし暗部の話と俺の話は出すな。こちらが不利になるような情報を書いたらお前はずっと書き直しする羽目になるぞ」


灰はそういってレターセットを出した。言われた通りにするしかない。灰の言葉に大人しく従っている自分に得体の知れない恐怖が芽生える。 


『拝啓 お父様へ 簡単に私の状況をお知らせいたします。私は商談での帰り道に上司に襲われ、逃げ惑っていたところを灰燼の暗殺者に助けられました。今頃お父様は灰燼に私兵を仕向けようとしている事でしょう。それはおやめください。灰燼は私では到底敵わないほど強いです。私が敵わないような相手に兵を向けるのはあまりにも兵が可哀想です。お父様、私は無事に生きております。怪我はありません。だからどうか私の帰りをお待ちください。早まらないでください。 ごめんなさい。こんなことしか書けなくて』


 書き終わった手紙に涙が滲む。
「お父様、お母様...。ごめんなさい」
「書き終わったか?」 
灰はそういって私の手から手紙を取って内容を見る。
「内容も大丈夫そうだな。じゃあ、俺は久遠財閥に行ってくる。お前は大人しくしていろよ。水は置いておいてやる。ただ朝飯は俺が帰ってきてからだ」


灰は喋っている間にも準備をしていく。一分たたずに彼はただの灰から灰燼の暗殺者になった。
「すぐ行くの?」
「お前が親父の失墜を望むならすぐ行かないが?」
「!灰、ありがとう。いってらっしゃい」
「あぁ、行ってくる」 


 灰が暗部の一室から久遠財閥へと向かってから暫くして、水を飲もうとベッドから起き上がると水の入ったペットボトルの下に紙が挟まっていた。
好奇心を抑えきれずに内容を見てみると上杉暗号が使われていて簡単には読めない作りになっていた。順番に解いていくと段々と何が書いてあるのか見えてきた。 


『灰から こんな組織に巻き込んでしまってすまない。国の浄化が終わったらこの組織は解散する。だからその時まで耐えてくれ。俺はできる限りお前に被害が及ばないようにする。だが、ボスからの命令には逆らえない。ボスから命令が来ると俺の意思とは関係なく体が動いてしまう。すまない。俺はお前の味方だ。そもそもあの時お前に拾ってもらえなかったら俺はいなかった。これを読んだあとは暖炉の火の中に入れておけ。決して残しておくな』 


灰は私が手紙を書いてる短時間でこれを書いたのだろうか。レベルが違う。でも、この手紙でわかった。灰を助けなきゃ。囚われのマリオネットを、絶対に。

 
ここが久遠財閥の屋敷か。予想よりも警備が緩い。簡単だな。さっさと当主に手紙を渡そう。俺は意図も容易く屋敷に忍び込む。灰燼は昼間だろうが夜だろうが関係ない。

「...だか..清凪を...い」
清凪の名前が聞こえる。使用人は呼び捨てにはしないだろう。
「ここだな」
  コンコン
「誰だ?」
空気が一気に重くなる。だがこんなの軽い空気じゃ意味がない。


「灰燼の暗殺者だと言えばわかるか?清凪からの手紙だ。受け取れ。じゃあ、私はもう帰る」
「待て、清凪の安全の保証はできるのか?」
「俺がいる間はできるが、上がどう思っているかは知らない。だから今俺を殺したらあいつの安全は保証できない」


スッと首筋に当てられていた冷たいものが離れていく。
「わかってくれて何よりだ。じゃあな」
そう言い残して俺は久遠邸を離れた。
『俺はあいつに恩があるから助ける。好きな奴を裏切ることはしない。その親もな。また二日後に』


「やってくれたな。だがこれほど信用できるものもいないだろうな、恒久家の次男よ。いや今はただの灰か」



 二時間近く経ったところでいきなり空の色が一変した。外からは強い風の音がする。ガタガタと隙間風が部屋に入り込んできて空気を揺らす。


灰を待っている間にどんどん室温は下がっていく。だが窓を閉めるなりどうにかしようとしてもベットに繋がれているせいで動けない。
そんなことをしながら悪戦苦闘していると窓から入ってくる人影が見えた。灰が帰ってきたのだ。


「灰!届けられた?大丈夫だった?」
「別に平気だ。あんな配達で怪我するわけがない」
そう言いながら灰が鎖を外してくれる。
「灰、その首の傷どうしたの?」
あの手紙の一件ですっかり心を寄せてしまった私は灰を心配するのを隠そうともせずに聞く。
「監視対象がご立派に監視役の心配か?余計なお世話だ。お前は手を出さなくていい」

灰は"俺に構うな"と声には出さずに口を動かした。
「わかった。でもこれだけは言わせて。ちゃんと血を拭って綺麗にしてね。後お風呂に入ってきて。これだけは譲れないから!」
「...。了解した」 


めんどくさそうな顔してる。でもこれだけは譲れない。怖いほど整っているこの顔がこんなに汚れているのは我慢できなかった。
お金になりそうな顔してるのに。勿体ない。さて、灰がお風呂に行ったところでやることと言ったら...。
「やっぱり、誘拐された時は相手の懐を探るよね」
そう呟いた後に灰の部屋を見回す。でも部屋には必要最低限というようにベッドと机、それと使われた形跡のないキッチンがあるだけだ。


あのボスの弱みになりそうな物も、灰の弱みになりそうな物もなさそうだ。部屋を探しまくってようやく見つけたのは古びたハンカチと血のついた人形だけだった。
「なんだろうこの人形?見覚えある気がするのに思い出せない」
「っ、お前!その人形に触るな」
いつのまにか灰がお風呂から上がっていたようでドアの前に立っていた。私が言葉を発する間もなく灰に囚われた。影の手が私を捕える。


「...かい?」
「それだけは絶対に触るな。お前であっても...。それは俺の生きる意味だ」 
灰がそう言い放つと影は一瞬で靄となって消え失せた。灰も焦りが滲んだ顔からいつもの無表情へと戻った。
「俺にお前を殺させないでくれ」
灰の本音は空気となって清凪には届かなかった。



 その後暫くは気まずい無言の時間が続いた。灰はずっと喋らないし、この重い空気では私から口を開くことはできなかった。
「...。すまない、清凪。感情、的になってしまった。いつもはこんなことにはならないんだが最近は潜入任務だったり監視任務が多くて気が立っていたんだ」


「私こそごめん。勝手に弱みを探ろうと動いちゃって。
「零四九、今の感情の高ぶりはなんだ?」
「監視対象に私生活について触れられて感情が出てしまいました。申し訳ありません」
「はぁ、またか。いい加減感情の制御をできるようになれと言っているだろう。今から感情の制御の訓練を追加する」


 機械音のため息が部屋にこだまする。
「っ、はい。了解しました」
「まずは幻覚からだ」
眼の前で行われているものが理解できない。目が離せない。傍から見ると灰は何もされてないように見える。
「あぁ、そうだ。そこの女にも同じのを見せてやろう。監視対象が動かなくなればこいつに他の仕事を回せる」
「いい加減にしろ!」


灰の怒鳴る声がこだまする。灰のほうを振り向くと瞳は穏やかな灰色から激情の宿る赤色へと変化した。
「お前は恒久家のみならず本家の人間まで巻きぞいにする気か、黎夜、こたえろ!」
 

「俺は俺のすべきことをやるだけだ、恒久家当主として。だから、出来損ないの奴隷は黙っていろ、灰」
 黎夜といわれたボスの声には怒りが滲んでいる。そして眼の前の景色がガラッと変わる。


そこには父が、あの母が仲良く寄り添っていた。母の心酔しきった目が私を射抜く。
「どうしたの?清凪。そんなところで立ち止まって。はやく歩きなさいな」
「あ、はい。わかりました」
子供の時の記憶、この記憶は...。まさか。嫌だ。見たくない。思い出したくない。やめて。


「母様、危ない!」
私は母様を助けたい一心で母様の前に出る。するとバンと大きな音が耳を劈く。私は恐怖で目を瞑った。
きっとすぐに耐え難い痛みが来る。そう思っていた。けれど、その痛みが私に来ることはなかった。不思議に思って目を開けるとそこのは私と同じくらいの白い髪を持った男の子が血まみれになって倒れていた。
「だいじょ、うぶ?」
「いた、いよぉ、ねぇ、お嬢様?」
 そうかあの男の子は...。


 バンバン
またあの大きな音がした。前はこんなのはなかったはず。警戒して周りを見ると全てが朱く染まっていた。
「父様?母様?みんな?」
誰も返事をしてくれない。みんな、なんで、ねぇ、みんな?返事をしてよ。笑って見せてよ。
「みんな、もう死んだよ、次はお前の番だ。久遠清凪」
その声を皮切りに私はループの沼へと沈んでいった。意識はだめだと叫んでいるのにからだは動いてくれない。
眼の前で父様が、母様が、みんなが殺されていくのを見ていることしかできない。もう嫌だ。見たくない、思い出したくない。


「なら、このまま狂ってしまえばいい。何もかも捨ててしまえばいい。俺はお前を歓迎するぞ、久遠清凪」
このまま狂ってしまったほうが楽なのかもしれない。この言葉のとおりに。
「清凪、諦めるな、あら、がえ。こいつにいいように使われるな」
「黙れ、灰。スキルが解けるだろう」
「お前のスキルなんか解けた方がいい。全部!清凪、こいつのスキル、壊してやれ」


そうだった。ここは現実じゃない。幻想だ。まだ、みんな生きてるんだ。動いて、からだ。
「ときに願いはスキルの絶対を超える」
そうだよね、みんな。その時、全く動かなかったからだが動いた。セカイが音もなく崩れていった。瞬きをする間に眼の前が変化した。


「っ、幻惑のスキルが消えた!おい、黎夜、出て来いよ」
まだ、現実に戻り切れていない頭で何とか状況を確認する。
「出てこいだと、笑わせるな。第一そんなぼろぼろの身体で何ができる?床に這いつくばるだけだろう」
そう言われて灰を見ると身体中が傷だらけだった。膝まであった長い髪は腰辺りにまで切られていた。


綺麗だった髪は血で赤く染まっている。服も所々破けていてまさに満身創痍だ。
「ボロボロだから?それが戦わない理由にはならない。むしろだからこそ本気が出せるものだろう」
ドアの前に漆黒の髪に赤い瞳を持った男性がいたと思うと瞬きの間に灰の間合いギリギリに移動していた。


「礼儀のなってない出来損ないだな。小さい頃に礼儀は教えただろう。俺に会う時はもっと頭を下げろって!」
灰の頭が強制的に下げられて床にガンと音を立ててぶつかった。
「お前は奴隷らしく感情のない人形でいればいいんだよ!なのに主君なんか見つけやがって。俺の支配が弱まるじゃないか!」


その言葉を聞いた私の視界は真っ赤に染まった。意識が研ぎ澄まされていくような遠くなっていくような矛盾した状態に陥る。躊躇ってる場合じゃない。本家の人間としてこの状況をなんとかしないと。父様に言われたことをちゃんと!


「私が主君じゃいけないのですか?第一、貴方は分家の存在。本家の人には逆らえないでしょう。それとも契約違反で代償を支払いますか?」
私がこの言を言うと黎夜は想定外という顔をする。
「な、んで。お前は養子のはずだろう?!だからその契約は使えないはず」


「さて、誰が私のことを養子と言ったのでしょうか?私も家族もそんなことを言った記憶はありません。恒久黎夜、契約の第九条より本家を弑しようとした者には本家の者が望む罰を受けるという条件を満たしたがためにここに宣する。罰は灰に対等な関係として接しなさい」
その言葉を言い終わると同時に力を使い果たして意識が暗闇へと沈んでいった。




 黎明の空の下家族と日の出を待っていた。父様に連れられて山を登って来た。母はもう私のことは見てくれないけど、みんなで夜明けを待つ時間は一つになれた気がして心地が良かった。

「清凪、この空をよく覚えて置くんだよ。この下にはお前が将来守るべきものがたくさんあるのだから。ときには見たくないものを見る必要だってある。そんなときはこの美しい空を思い出しなさい」


「はい、わかりました。父様」
「清さん、こんなことを言うためだけにわざわざ一刻もかけて私は山を登らされたのかしら?」
「そんなわけ無いだろう。これはついでだ。あぁ、清凪まだ言うことがあるんだった。お前の父であり、久遠財閥の当主である私はお前を第一に尊重することはできない。娘は大事だが、一番にはしてやれない。済まないな」


「父様、そんな顔して言わないでください。わかっています。第一に大事なのは民です。私の犠牲だけで民が救えるならやすいものです」


知っていた。父様が私を一番にできないのは。薄々気がついていた。父様にとって私は使い勝手の良い駒だ。
「私はまだ六歳のお前にこんな事を言うだめな父親なんだ」
「そんなことはありません。父様は民を守る立派な久遠財閥のご当主様です」


私は父様が望むことをやるだけだ。
「清さん、まだですか?」
「もう終わった。今行く。清凪は少し遊んでおいで。この山はおもしろいぞ」 そう言って父は去っていった。
私は言われたとおりに山の中腹へと降りるふりをして街へと出た。街には屋敷からじゃ見えないものがたくさんあると母様が言っていた。


母様の言うことだから信じていなかったけどはじめて街に出でみて本当だということを知った。街には笑顔が溢れていた。この街のことをもっと知りたい!
気づくと私は駆け出していた。周りにいる人に街の様子を聞くと笑顔を浮かべて答えてくれる。私はそんな明るい雰囲気の街の中に一人絶望に満ちた顔を見つけた。
「ねぇ、貴方そんな顔してどうしたの?」



私は心のままに彼に話しかけた。
「え、僕?そんなひどい顔してる?」
「うん、してるよ。生きるのに疲れたような顔してる」
「あはは、そうかもね。僕、さっきまで誰かを守る訓練してたから」
「そうなの?じゃあ私の家にゴエイに来てよ、私を守ってよ、貴方、綺麗だし」
こんなに生きる希望が希薄なら、盾になってくれそうだしね。


その子は少し考えるように目を彷徨わせていた。
「久遠家だよ。久遠清凪」
「久遠家...。わかったよ。こんな未熟な僕が守れるかはわからないけど最善を尽くすよ」
「じゃあ、約束ね。私を守って、そして守らせて、ね?」


その子にそっと指を差し出す。
「うん、じゃあ僕は貴方のために頑張るよ」
その時、瞳に光がさした気がした。
「じゃあ帰ろう。久遠邸に」
どちらからともなく私達は歩き出したはずだった。
「危ない!!」


バンと大きな音がした。
眼の前が朱く染まる。
「...え?」
「ぐっ、清、凪、逃げるぞ」
状況がうまく飲み込めない中、彼に手を引かれる。そのまま、私達は彼の影のスキルを駆使して久遠邸に逃げ帰った。


使用人のみんなには目もくれず一目散に医師のいる部屋へと行く。
「先生、この子が撃たれてしまいました。あと、スキルの長時間使用で意識が...」
先生が私にもたれかかってる彼を見て深刻そうな顔をする。
「わかりました。取り合えずベッドに運びましょう」
今にも倒れそうなその子をベッドへと運ぶ。
「ここまでで大丈夫です。お疲れでしょうから部屋でお休みください」


「嫌です!その子は私が見つけた子です。だから、責任を持って最後まで見ます!手伝わせてください!」
その言葉を聞いた先生が目を見開く。でも、次の瞬間には慈しむような目に変わっていた。
「そこまで言うのならわかりました」
「...この子も捕まってしまいましたねぇ」
「先生?捕まったってどういうことですか?」
「いいえ、何でもありません」
「先生、この子の容態はどうなんですか?」
彼に意識を向けると驚きのものが目に飛び込んできた。どんどん、影に飲み込まれていく。

「自己、治癒だ、から、気にする、な」
「やめなさい!これ以上スキルは使わない方がいい。身体がもたなくなるよ」
先生がそう言っても目の前の彼は影に覆われたままだ。
「あぁ、もうあいかわらず手のかかるなぁ」
先生がそう言って手をかざすと影が解かれた。


「お嬢様、悪いんだけど濡れたタオル用意してきてくれない?タオルはすぐそこにあるから濡らしてきて」
「わ、わかりました!」
「な、んで、スキルが」
 急いでタオルを濡らして戻ってくるとすっかり治療を施された彼がいた。

叫び声が聞こえると思ったらそういうことだったのか。先生の治療って容赦ないからなぁ。同情します。
「お嬢様、この子逃げ出すかもしれないから見張っといてもらえない?旦那サマに報告行ってくるから」
「わかりました」


先生が大きな音を立てて部屋のドアから出て行った。
「いっっ、たぁ、なんだあの医者。わざとだろ!」
「先生はいつもあんな感じだから仕方ないよ。ところで身体はどう?ごめんね、私のせいで」
「別になんともない」
「そんな包帯だらけの体で言われても説得力がないよ」
「スキルで治癒すれば…」
「さっき使いすぎで怒られたの忘れたの?」
「……」


「もう、とりあえず寝て!そばにいてあげるから」
「…わかった」
 するとすぐにその子は穏やかな寝息を立てていた。
「清凪、大丈夫か!」
ドアが壊れるような勢いで開けられる。咄嗟にドアの方を見ると心配そうな目をしたお父様がいた。
「お父様、もう少し静かにしてください。さっき寝たばっかになのに起きてしまうではありませんか」
「誰が起きるって、その子はなんだ?」
お父様の目の色が変わる。


「この子は―私が見つけた私の護衛―です。山で遊んでる時に見つけました。その時に怪我をしていたのでこちらに運びました。事後報告で申し訳ありません」
「いや、それは構わないが…。清凪は怪我ないのか?」
「はい、彼が守ってくれたので怪我一つありません」
嘘だ。私が怪我をしたら価値が下がるからと言えばいいのに。家族がくると一気に気分が下がる。本当の愛情はもらえない。


「わかった。あと契約はまだしてないのか?」
「はい、彼が起きたら個人で契約するつもりです」
「なら、私はその子をおこさないように帰るとするよ。何かあったらそこの医者を呼んでくれ」
「え?俺?」


いつのまにか帰ってきていた先生がお父様の後ろで嫌そうな顔をしている。
「俺って、先生は医者じゃないですか?」
「……」
「まだ六歳の子に正論言われてるじゃないか」
「……わかりましたよ!」
明るい雰囲気を残してお父様と先生がドアの向こうへと消えて行った。そんな雰囲気に安心したのか私は瞼が重くなっていくのを感じた。




 ふと、頭を撫でられたような感覚がして意識が浮上する。
「っ、起きたのか、清凪。体は大丈夫そうか?」
「…ん?灰」
「覚えてるか?お前は血筋の契約の力を使ってボスを、黎夜を止めたんだ」
「なんだか、懐かしい夢を見た気がする。小さい時に街に降りて男の子を護衛にスカウトするんだけどその時に襲われちゃって守ってもらったのに個人での契約をした後にいなくなっちゃった子の夢。あの子元気にしてるかな?」


「元気にしてるさ、きっと…」
「あっ、灰!怪我は大丈夫?」
「問題ない。もう治った」
「灰、なんか雰囲気も柔らかくなった?」
何か晴々とした顔してる。
「そうか?あぁ、でも黎夜ときちんと話し合うことができて頭の整理ができたからかもな。お前が倒れた後、お互いに休戦して看病してる間に話してたんだ。お前の契約のおかげで対等に話すことができたからな」


「それは良かったんだけど、いまいち喧嘩?の原因がわからないというか…」
「大丈夫なら説明する」
「もう、大丈夫だよ。契約を当主以外が使ったから反動が来ただけだし」
「俺が言ってるのは心のことだ、黎夜のやつに幻覚見せられただろう?」


「大丈夫だよ、そこまで弱くないし」
「本当か?俺が今からする話はお世辞にもいい話とは言えない、だから…」
「大丈夫、信じて」
「…わかった。まず始めに俺の家について話すか。わかっているとは思うが俺の家は恒久家だ。そこで次男として生まれた。恒久家の者は誰であろうと本家、つまり久遠家の護衛として育てられる。

表からでも裏からでも守れるように幼い頃から訓練される。人が簡単に死んでいくような訓練だ。それを三次試験まで生き抜いたのが黎夜と俺だ。最初は二十人近くいたのにな。

黎夜は無事に最終試験を突破して当主に。俺は死ななかったが、突破はできなかった。それで絶望してる時に護衛の誘いが来たんだ。久遠清凪って女の子から」
「やっぱり、あの子灰だったんだ!」


「そこからはお前の知ってる通り、敵に襲われて怪我してあの医者のばか痛い治療を受けて...。あの治療は思い出したくもない」
心なしか灰の顔が青くなったような気がする。死線を何度も潜り抜けてきた灰がこんなに怯えるなんて、一体先生は何をしたんだろうか。


そう思うと寒気が走ったような気がして、なんのことでしょうと誤魔化す先生の姿が脳裏に浮かんだ。
「そんなことないって言いたいけどそんなことあるかもしれないね」
「…話を続けるぞ、その後契約してすぐいなくなったのには理由があったんだ。お前のハンカチともらった人形も持っていってしまってすまなかった。
家から呼び出しがあったんだ。本家の人間を心配させるような者は恒久家当主の補佐にはなれないって怒られたんだ。」


「ちょっと待って、あなたがあの子だって証拠はあるの?」
「契約者の象徴花がお互いに浮かんでいるはずだ。清凪の場合はカスミソウのはずだ。ほら」
灰はそう言って私の花であるカスミソウが刻まれた腕や肩を見せる。
「本当だ。本当に私の花だ」
「だから言っただろ。話を続けるぞ」
「うん、ごめん。さっきから話を止めちゃって」


「そのあと、補佐にはなれないならお前は恒久家の次男じゃないって言われて黎夜にスキルで従属させられて暗部に入れられてずっと奴隷のように扱われた。
痛みの感覚や感情をなくせと。人形になれと十年間ずっと言われてきた。人形の灰燼と言われ、警察には灰燼の暗殺者と言われた。


そんな中に飛び込んできたのがお前の上司の殺害依頼だった。俺はお前に一目会えるかもと思ってその依頼を喜々として受けた。だが、あいつを殺すタイミングを見計らってたらお前が追いかけられていて、いてもたってもいられずに殺ってしまって巻き込んでしまった。
それはほんとにすまない」


「もう過ぎたことだもん。仕方ないよ。でも、あの上司から救ってくれてありがとう」
「後、手紙を届けに行った時にご当主様に二日後にまた会いに行くと言ってきた。その時に事の顛末を話すつもりだ」


「お父様に…?」
傷物だと言われるかもしれない。捨てられるかもしれない。
「大丈夫だ、お前の父親は残酷な人じゃない。ちゃんと愛情を持っている」
「……そうだよね、大丈夫だよね、きっと」
自分の心を落ち着けるように息に音をのせる。
「大丈夫そうか?」


「うん…。大丈夫だよ、続けて。大丈夫だから」
「わかった、話を少し戻すが、黎夜が当主になってすぐに元政府が倒されて新しい政府へとなった」
「元政府って確か眼鏡の人が代表やってた...」
「あぁ、そうだ。だが、新しい政府には敵が多過ぎた。だから俺は新政府に敵対する者、あるいは国に悪影響をもたらす人物の排除の為に暗部に入れられた。


恒久家で学ばされた技術は何かと役にたつからな。それに黎夜のスキルに囚われたら基本抜け出せないから従うしかないんだ。しかも黎夜は従属させた人のスキルまで使えるから厄介で手が出せなかった。
何よりずっと思考を覗かれていて反抗心を抱くとこのネックレスが赫く光って身を灼くんだ。でも今回のことで血筋の契約がスキルを上回った。


だから黎夜と話をしてきたんだ。最後の任務が終わったら俺は清凪の護衛として生きるから暗部からは抜けさせてもらうって。約束を果たさせてもらうって。
そう言ったら黎夜は『もうお前を止める権限は俺にはねぇよ。任務終わらせてとっととどこにでも行けよ、弟』とか言ってちょっと不貞腐れてたが」


「!弟って…」
「恒久家に戻っていいって事だ」
「よかったね、灰」
嬉しくて笑顔が隠せない。
「別に家に戻るよりもお前の約束の方が大事だった。だから家は関係ない」


なんか灰より私の方が喜んでいる気がするけど気のせいにしておこう。
「後、それから今日と明日の任務は休みになったから」
「!そうなの、じゃあ私を家に送り届けてくれたりは…」


「それはできないな。監視の任務は残ってるから」
一瞬家に帰れる希望が見えたのに次の瞬間には崩れていた。
「まだ、帰れないのかぁ」
自分で出した声なのに予想よりも悲しみが滲んでいてびっくりする。


「お前は、表情がコロコロ変わるな」
「なに?悪い?」
「いや、お前はそのままで良い。わざわざ両親の言いなりに、人形になんかならなくていい」
灰が、笑った?!
「灰……。貴方、笑えたんだね…」
「お前、俺を人形か何かだと思ってるのか?」
「だって灰、全然笑ってないんだもん」
「そうか?そんなに…。いや、でも確かにここにいる間は笑う必要がなかったな」
 グゥー


ちょっと場違いな音が部屋に響く。隣では灰が口元を抑えている。顔の熱が上がっていくのを感じる。
「っなんで、笑ってるの!仕方ないでしょ!灰につれてこられて以来何も食べれてないんだから!」
「わかった、わかったから叩くな。何か適当に作ってやるから寝てろ」
そう言って灰は部屋に備え付けてあるキッチンへと向かっていった。長い事任務で空けていたのなら食材があるとは思えないけど…。でも灰が何を作るか気になって大人しく待つことにした。


 しばらくして…
「なんだかいい匂いがするね、灰♪」
結局私は待てなかった。
「清凪、大人しく待ってることはできないのか?倒れただろう、お前」
「灰だって怪我してたじゃん」
「俺はもうスキルで治してある」
「でも怪我したってことは血も失われてるはずだよね?」


「それはそうだが…」
「じゃあお互い様だよね、手伝うよ!」
灰は諦める様子のない私を見てため息を吐いた。
「……お前の言ってることはもっともだが、料理できるのか?オジョウサマ?」
「家庭科の授業ではやったよ?」
「……じゃあ食パンを一口サイズにして、鍋に入れてくれ」


そう言われて食パンに意識を向けると大量の食パンが置いてあった。
「え?今、物価が上がってて大変なのによくこんなに...」
「危険な仕事な分、給料は無駄にいいからな。正直、食料を買うくらいしか使い道がない」
この人もしかして私の家より裕福...?そんなわけないか、多分。


「早く行動しないとお前が飯にありつけるのが遅くなるぞ」
それは困る。灰にそう言われた瞬間持ちうる力を全て使ってパンを一口サイズに切った。そして魔法をかけたかのようにパン粥ができた。
「ほらできたぞ」
「えー、なんでパン粥…」
「こっちにきてから水すら飲んでないだろお前。その状態で固形物なんか食べさせられるか」


「うん、まぁ確かにそうなんだけど…」
ちょっと残念だな。
「嫌なら食べなくていいぞ」
「食べます!喜んで食べます!」
「美味しい、灰よくこんなの作れるね。ちょっと物足りなさはあるけど」


こんなに料理が上手なら護衛としても料理人としても雇いたいくらいだ。
「あー、美味しかった。ご馳走様でした」
「美味かったなら何よりだ」
「あ、私片付けやるよ。ご飯の準備やらせちゃったし、少し休んでていいよ」
「…流石に片付けは大丈夫……だよな?」
「私そこまで料理下手じゃないよ、だから安心して」
「…信じるぞ。その言葉」
 灰はそう言ってソファがある方へといってしまった。


一方私は食器を片手に夜が深まるまで悪戦苦闘するのだった。
「いい加減にしろ!一体いつまで苦戦してるんだ!」
「う、ごめんなさい。でも食器洗うのに時間がかかったわけじゃなくて水道が私の家と違ってたから眺めてただけで…」
自分が悪いとわかっていながら言い訳を並べる。
「言い訳は朝聞くからもう寝ろ!」
そう言った灰は私をスキルまで使ってベッドに連行した。


「か、灰?わざわざスキルまで使ってベッドに連行しなくてもいいんじゃないかな?」
「お前にそのままいられて床をびしょびしょにされても困るからな」
そう言われて私は自分がびしょびしょなことに気づいた。
「あ、ごめん。気が付いてなかった」
灰がため息を吐いた。
「お前を運ぶついでにスキルで服も乾かしてある程度は綺麗にできる。ほんとは風呂に入りたいだろうが、あそこには狼しかいないから絶対に行くな。喰われるぞ」
灰にすごい剣幕で迫られる。


「わ、わっかりました」
 私はそういうしかなかった。そして、私はベッドで灰は隣のソファで寝て夜を過ごした。部屋の主をベッドで寝させなくていいのだろうか…。



 ――翌日――
 陽の光を感じて目を覚ます。
「んっ、もう朝?」
「おはよう、随分と遅い目覚めだな」
灰の声が聞こえて意識が覚醒する。
「起きたところ悪いが黎夜に呼ばれた。だから少し行ってくる」
「わかった、いってらっしゃい」


 コンコン
「入れ」
「失礼します。何か御用ですか?」
「ついさっき、最後の任務が入った。この任務が終われば自由の身だ、灰」
「内容は?」
「今日はやけにやる気だな。もしかしてあの女の為か?」
「うるさい!」


「まぁ、それは置いておいて。内容は久遠財閥の腐敗を無くすことだ。久遠財閥現当主の妻、久遠清凪、そして一部幹部を消せ。やり方は問わない」
「清凪?と言ったのか?なんであいつまで!あいつは何も悪事は働いてないだろう!なのになぜ!」
自分の主人を殺せと言われていい気分になるような護衛はきっといないだろう。


「落ち着け。俺は消せと言っただけで殺せとは言ってない。要は表舞台から消えればいいんだよ。話はそれだけだ。後期限は一週間以内だ。お前以外のTOP三にも同じ依頼をしてある」
序列第一位の俺にとって他の奴らは敵にならないが清凪にとっては敵になりうる。
「っ、り、了解、しました、次あったら覚えとけよ、黎夜」


「おー、こわいこわい」
「…失礼しました」
「さて、あの人形がどこまで成長できるのか、何を捨てるのか、見ものだな」
「なんでこんなことに…」
部屋へと帰る俺の足取りはとても重く動いてくれない。
「くっそ、どうしたら…」
今までで最大の壁が立ちはだかる。
「…清凪には言おう」
俺は重い足を引き摺って部屋へとたどり着くのだった。
 

 まだ半分夢現の中ガチャとドアの開く音がして灰の綺麗な白の髪が見えた。
「灰、おかえりってどうしたの?そんな暗い顔して」
「清凪、さっき黎夜から最後の任務内容を教えられたんだが…。久遠財閥の現当主の妻と久遠清凪そして一部幹部を消せとのことだ」


「え、わ、わたし?」
「一旦落ち着いて聞いてくれ "殺せ"じゃなくて"消せ"だ。だからお前を殺さずに任務を終わらせる方法はある!」
「ちょ、ちょっと待って、頭が追いつかない…。整理する時間を頂戴」
私は寝起きで回らない頭をフル回転させて灰の言葉を飲み込む。
「うん、もう大丈夫続けて」


「期限は明日からの一週間以内。俺にお前は殺せない。だからこのまま隠れていてくれ。しばらく久遠邸には戻れない」
「…うん、わかったよ。仕方ないのはわかってるし、任務でしょう。でもその代わり条件出してもいい?」
「なんだ?」
「お母様は殺してあげて」
「…こっちとしては楽だが、いいのか?」
「うん、お母様はお父様に狂ってるからお父様からしたら仕事の邪魔になるし、もうあんなのはお母様じゃない。片方だけなんてただ悲しいだけだよ」


返される事のない想いなんてただ虚しいだけだ。
「…そうだな」
「後、もしかしたら今日から他の奴らが襲いにくるかもしれない。黎夜は消せと言った。そしてあいつらは一番楽な暗殺を選ぶだろうから、気をつけろ、清凪」
「やっほーお邪魔しちゃったぁ?」


「?!」
「……とっとと回れ右して帰れ、霊猫。」
猫を大量に引き連れた猫耳?の女の人がいる。音がしなかった。
「なぁにー?つれないなぁ。灰燼。まぁいつものことかぁ」
「そうそう、こいつがつれないのはいつものことだが。今日は少し違うらしいぞ?なぁ、久遠清凪?」
あれ?今度はもう一人…。大柄な男性だ。


「帰れ!狂宴」
「帰っていいのか?俺らはお前に話を聞きに来たんだよ。久遠清凪をどうするのかな」
「わ、私?」
なんかもう頭が...。キャパオーバーしてる気がする。
「ち、ちょっと待ってください!説明、まず説明をください!」

「あぁ、一方的じゃ気持ち悪いよな。俺は暗部序列第二位の狂宴だ。三年前までは一位だったんだが、ランキング選で灰燼にボゴボコにされて二位に落ちたんだ。よろしくな。と言っても返答次第じゃもう会うことはないだろうがな」


悪寒が体に走る。怖い。まだ死にたくないのに。
「やめろ、狂宴。清凪を怖がらせるな」
「なぁにさ、灰燼?今まで誰にも興味がなかったくせに。あ、もしかしてその子のこと好きになっちゃったとか?うちは霊猫、暗部序列は第三位よろしくねぇ。清凪ちゃん」


「よ、よろしくお願いします?」
これから私を殺すかもしれない相手によろしくなんて言うのは変かな?でも思いつかないや。
「あはっ、面白いね、君。ねぇ、灰燼、この子貰っちゃだめ?」


「だめに決まってるだろう!」
「霊猫、灰燼で遊ぶのはそれくらいにしてやれ。いい加減本題に入るぞ」
「わかったよぉ、仕方ないなぁ」
「対象は久遠清凪、久遠穏花、その他久遠財閥幹部の四名だ。だが殺せじゃなくて消せという任務だ。どこか違和感が拭いきれない」
「それは久遠清凪を生かすためだ。それ以外でもそれ以上でもない」


「何故、久遠清凪だけ…」
「清凪は別に悪事を働いているわけじゃない。ただ単に久遠家の腐敗を正すのに少し危険が伴うから一時的に表から消えてもらうだけだ。後、ボスが殺すのは黒の人間だけにしろと言っていただろう」
狂宴がこちらをジロジロを見定めをするように見る。
「俺には別の理由があるような気がしてならないけどなぁ、灰燼?」


ジロジロ見てるかと思ったら急に笑い始めた。正直、怖い。でも狂宴さん?別の理由って私が灰に抱えられてるのと関係あるとか言いませんよね?
「そうそう、うちも別の理由が隠れてる気がしてなんないんだよねぇ。だから説明してよ、灰燼?」
霊猫さんまで……。
「俺もボスも恒久家で久遠家に忠誠を誓ってるからだ。理由はこれだけだ。後俺は六歳の時から清凪の護衛だ」 


「おいおい、それは知らなかったなぁ?もう十年近く一緒にいるのに冷たいなぁ?灰燼さんよ」
「別に教える必要がなかっただけだ」
「んで~?清凪ちゃんは殺さないってことでいい?灰燼がそのまま匿っとくんでしょぉー?」
「俺はそのつもりだが、ボスから任務が出された以上は…」


「そんな堅苦しいこと言うなよ、これで任務は最後なんだからもっと俺らを頼ってくれてもいいんだぞ?」
「そうそう、力では君に到底及ばないけどこれでも二位と三位だよぉ。任せてよ!」
「そこまで言うなら…俺は清凪の様子を見つつ単独行動させてもらう。お前らが協力的な以上清凪の身辺をガチガチに警戒する必要はなくなる」
あれ、これ私いる?


「そこがお前の妥協点か、灰燼。だからお前は人形なんだよ。少しは…」
「まぁまぁ、そこまで強く言わなくてもいいんじゃなぁい?本人が気づかないと意味ないでしょ?」
あぁ、そういうことか。優しいな、この人たちはもう知ってるんだ。なんで暗殺者なんかやってるのかわからないくらいに。確かにこれは灰の問題だね。
「お前ら、何を言ってるんだ?」
「灰燼、人間になりたければ己と向き合うことだな」
「そうだねぇ、んじゃ、うちらは準備してくるよ、最後の割には簡単な任務だから一週間と言わずに二日で片づいちゃいそうだけどね」


そう言って、霊猫さんと狂宴さんは音もなく去っていった。うん、なんだが随分と個性的な人たちだなぁ。
「あれはあいつらがこの世界で生き抜くために身につけた技術だ」
「……ねぇ灰?私ってそんなにわかりやすい?」
「久遠家にいるときはずっとポーカーフェイスで何も見えなかった。でも今は分かりやすすぎて困る」
「まぁ、私が分かりやすいとかは一旦おいておいて。灰は今回の任務どうするの?」


このまま人形なのか。人に戻るのか。
「俺は…正直まだ決めあぐねている。あいつらの言ってることがわからない。俺のどこが人形なのかわからない」
「自分の感情に素直になって、灰」
「俺は隷属してた時と違って十分に素直になっているつもりだが?」
「まだ足りないって言ってるの!もっと人間らしく生きてよ、灰」
ずっと思ってた。初めて会った時も…。上司が殺された時も…。灰は人らしい温もりがなかった。全てを諦めている気がした。諦めてただ従うだけな気がした。


「まぁ、幸いまだ任務が始まるまで時間がある。あいつらが言った意味を考えつつ、やる事をやる。だから少し出かけてくる。後、俺がいなくてももう鎖はつけなくていい。じゃあ、また」
「わかった、またね」
さて、寝よう。眠いし。ちょっと色々なことがありすぎて頭がやられそう。きっと寝てる間に整理できるだろうし。




俺が人形?だったら今行動している自分はなんなんだ?ちゃんと考えて行動はしているのに…。俺は悶々しながら一日早いが久遠邸へと足を運ぶ。昔と変わらずでかい屋敷だな。俺があの時に失敗しなければ…。いや、今はそんなことどうでもいい。目の前ことだけを考えよう。当主の私室の前に立つと中から声が聞こえる。


「灰燼だろう?入れ」
「失礼する」
「約束より一日早いがどうしたんだ?」
「ボスより最後の任務を下された。それがお前に通ずるものだから説明しに来ただけだ。
任務が始まるのは明日からで、久遠穏花及び、久遠清凪、久遠財閥の幹部四名を消せというものだ。久遠穏花は久遠清へと干渉が強すぎていずれ邪魔になる。


これからを担う久遠財閥当主がこんなところで躓かれても困るとの事だ。久遠清凪は幹部から狙われているため、一時的に表から消えてもらう。清凪は深く関わりすぎた。
幹部の四名は前政府と禁止薬を売買そして、殺人だ」
「…。妻は確かにそう言われても仕方のない事をやらかしてきた。もうわかってた事だ。覚悟はできている」
「なんだ、思ってた反応と違うな」


「私だって当主だ。民のために必要な事をやるだけで多少の私情は捨てるしかない」
最愛の人にそこまで言われるほどに堕ちていたのか。それなら確かに清凪の言う通りだな。
「久遠穏花、幹部にはいなくなってもらうが、清凪は今後の状況によっては戻れる。戻れなかったら…俺がもらう。ちゃんと護衛の任も果たす」
これが最善だ。


「……ちょっと待て!今清凪をもらうと言ったな?それはどういう意味で言ってるんだ?!」
「そのままの意味だが?」
「灰くん、それは…」
「表舞台にいれないなら誰がもらっても同じじゃないか?」
まぁ、表舞台にいてももらうかもしれないが。


「灰君には色々お世話になってるけど…。清凪の許可は?私に挨拶に来るよりもあの子の許可をもらう方が先じゃないのか?」
「俺は逃げ道を断つたちなんでな、契約も結んでるし」
「いつのまに…」
「六歳の時に結んでいたが、さっき清凪が寝てる間にさらに制約の強い侍従契約と婚約の契約を結んだ」


「か、灰くん?執着心もそこまでにした方がいいよ、清凪に嫌われたくなければ…ね。そこまでやったんなら私が言うことは何もないよ、というか言えない。清凪を幸せにしてやってくれ」
「言われなくてもやるつもりだ」
清凪は俺がこれからも守る。これだけは誰にも譲れない。
「人間らしくなったな、灰くん」


「そうか、また任務が終わったらくる」
あまり清凪を放置しておくわけにはいかないしな。暗部を出た時には日が南にあったのに今は西に沈みかけている。
「またね、灰くん。今度は正規の手続きで来てくれる事を祈るよ」
「善処はする」


俺はそう言って久遠邸を後にした。日がおちきる前に帰れるように少し急ぐか。夕方から夜は一番影が使える時間だから、この調子なら、半刻あれば着くか。俺はそのまま屋根を走りながら、暗部へと急ぐのだった。



 西日が眩しくて目を覚ますと灰がソファに座っているのが見えた。
「あぁ、起きたのか」
「灰、もう帰ってきてたの?早かったね」
「久遠邸に状況報告に行っただけだ。それ以外に特にやることもなかったしな。まぁ、お前も起きたことだしもう少ししたら飯でも食べるか」


灰にそう言われた瞬間すぐに空腹感を覚える。
「うん、そうだね。寝てただけなのにお腹空いちゃった」
「それだけ寝てれば、いや、やっぱりなんでもない」
そこから暫くは無言の時間が続いた。
「ねぇ、灰」
「なんだ?」
「ちょっと、手合わせしてくれない?」


「は?」
灰の目が見開かれる。
「いや、これから灰が任務でいなくなるでしょう?」
「あぁ、そうだな」
「だから灰が心配しないように実力を知ってもらった方がいいと思って」
ちょっと無理な事を言っている自覚はあるけど灰の実力を知りたいのも本音だ。
「却下だ。仮にも令嬢が怪我したら困る」
「うっ、でも、やってみたいの!無理な事言ってるのは分かってるけど…」


「……手合わせは飯を食べた後にしろ、仕方ないから付き合ってやる」
「やった!じゃあ早くご飯食べよう!」
そう言って私はベッドから飛びあがるように起きる。
「転ぶなよ、お転婆お嬢様」
「私はそんなにどんくさくないもん」
「飯は昨日のあまりがあるから取り敢えずそれを食べろ。足りないなら言ってくれれば作る。だからお前はキッチンに立ち入るなよ、頼むから」


「そんなに私、料理できないと思われてる?」
「思われてるから諦めろ」
なんか悔しいけど邸にいた時もキッチンには入らせて貰えなかったような…。邸に帰ったら聞いてみようっと。
そんな事を考えるうちに目の前にパン粥が並べられる。時間が経っているせいでパンは原型を留めてはいなかったけど美味しさは変わらなかった。


「ねぇ、灰?料理人としても雇われる気ない?」
「ないな。護衛で十分だ」
「そっかぁ、ちょっと残念だな」
「…たまになら作ることも考えてやる」
その言葉と共に灰のため息も聞こえた気がするけど気のせいにしておこう。
「よし、食べ終わったことだし、やろうよ灰?」
「食べてすぐで大丈夫なのか?」
「大丈夫!」


「なら、ここじゃなくて場所を移動しよう」
「どこ行くの?」
正直灰の実力を知りたくてうずうずしてる。自分の技でどこまでできるのかも気になるし。
「影の中だ」
「え?」
そういった灰はスキルを発動したようで私たちは影の中へと沈んでいった。
「影の中って意外と暗くないんだ、灰がはっきり見えるね」
「お前いきなり影の中に連れてこられて感想がそれって、相変わらずだな」


灰が笑ってる。つられて私も笑みが溢れる。
「どうしたんだ、清凪?」
「いや、灰が笑ってると嬉しいなって」
私が思ってる事を口にした瞬間、灰の顔がほんのり赤く染まった気がする。
「いいから、手合わせするなら早くやるぞ」
「そうだね、でも灰せめて武器くれない?」
「すまない、忘れてた。得物はなんだ?」
「んー、とりあえずは軽めの片手剣と短剣四本」
「分かった、刃は潰しておくぞ」


灰はそういって、影で片手剣と短剣四本を作り出した。
「あなたのスキルって便利だよね、いいなぁ」
「まぁ、それはそうだな。得物はこれで大丈夫そうか?」
灰に片手剣と短剣を渡される。
 

「うん、大丈夫そう」
「先にいっておく、俺はスキルを使わない」
「じゃあ私は灰にスキルを使わせられるように頑張るね!」
「どうだかな、俺の持ってる短剣が床についた瞬間に始めるぞ」


 カシャンと音をたてて短剣が床につく。手合わせの始まりだ。
「私からいくよ!」
剣と刀のぶつかり合う音がする。
「お前の実力はそんなものなのか?」
 元から灰に勝てるとは思ってないけど、せめて灰が予想できないような一撃を!
「お前の剣技は綺麗すぎる。その剣技は実戦には向いてない」
「じゃあこれは?」 


スキルを発動して灰の後ろを視る。これならいける!灰からもらった短剣の一つをスキルで後ろから、他の二本を目の前から投げる。
「甘い!」
灰はなんと短剣の一つを足場にして高く飛び上がった。その後は一瞬だった。首に冷たいものが当たっている。
「……降参」
私がそういうと首に当たってたものが離れていった。
「最後のスキルのやつはまぁまぁ、良かったぞ」


「でもまさか時間差を利用するなんて思わなかったよ」
あのスキルの攻撃だけは避けさせない自信があったのに。ちょっと悔しい。
「俺とお前では経験の差があるし、まず相手が違う。でも、令嬢としての範疇は超えている。だから落ち込むことはない」


「うん、分かったよ」
でも悔しいものは悔しい。
「この任務が終わったら手合わせなんかいくらでも付き合ってやるから落ち込むな」
その言葉を聞いてさっきまで沈んでた心が一気に高揚してくる。
「じゃあ約束ね!」


「あぁ、そうだな」
「もう気もすんだし、帰って任務の準備しよう、灰?といっても私は何もできないけど」
すると突然影が体に巻き付く。
「え?何?ちょっと?灰?」  

「あっ、済まない。これは影が勝手に俺の感情を読んだだけだから気にしないでくれ、すぐに解く」
そういう灰の顔は真っ赤になっている。感情を読んだだけってもしかして…。
「おい、顔が赤いぞ。大丈夫か?」
「いや、だって感情を読んだだけって…」


その言葉を聞いた灰はさらに真っ赤になる。
「っ、そんなに顔を赤くしてるってことは俺は自惚れてもいいってことか?」
「え?」
「冗談だ、さてそろそろ部屋に戻るぞ。ほら」


そう言って灰が手を差し出す。その顔はもう赤くはなってなかった。きっと気持ちが昂ってただけだよね。そういうことにしておこう。じゃないと灰の顔がまともに見れなくなりそうだった。そして、私は灰の手を取って部屋に戻ると何もいうことなくベッドにダイブするのだった。


「ごめん、灰。任務の話し合いは明日で。絶対早く起きるから!」
「あぁ、俺も今は話し合える状態じゃない」
「分かった。おやすみ、灰」
「あぁ」 

そうは言ったけど寝れる気しないよ。第一、夕方まで寝てたわけだし…。それにさっきの灰の言葉が気になりすぎる…。そして私は日が白む頃まで悶々とした時間を過ごしたのだった。


 しばらくして日が登りきる頃に灰が口を開いた。
「おい、起きてるか清凪?」
「うん、起きてるよ。結局寝られなかったからね」
「俺はそろそろ任務に行く準備をするが…」
「おっはよ~、灰燼って、清凪ちゃん?!」


「あ、おはようございます。霊猫さん」
「ちょっと、灰燼?まさか清凪ちゃんに手、出してないよね?」
霊猫さんの声いつもみたいに伸びてない…。
「あぁ、もううるさい!護衛が手なんか出すわけないだろう!」
「霊猫、揶揄うのもそこまでにしといてやれ、灰燼じゃなくて清凪さんの方が先に限界がきそうだ。だいぶ、顔が赤いが大丈夫そうか、清凪さん?」


「はい、まだ大丈夫です。狂宴さん」
すると灰のため息が聞こえる。うん、なんか灰も大変なんだね。
「それで?お前らがきたのは任務内容の確認でいいんだよな」
「うん、そぉだよぉ」
「それなら霊猫と狂宴は幹部四名の方に回ってくれ。俺は久遠穏花を殺る」


「待ってくれ、幹部四名に霊猫はいらないだろう。俺だけで十分だ。宴は盛大なものにしたいしな」
「相変わらずの狂人ぶりだねぇ、狂宴。でも最後の任務はうちも参加したいんだよねぇ」
「霊猫はいらん!最後くらいは一人でやる。これは譲らん」


「じゃあ仕方ない、狂宴は幹部四名を一人でやってきていい。霊猫は俺に協力してくれ。久遠穏花にあったことがある俺ではもしかしたら刺激要素になり得ないからな。あの狂いぶりだと何をするかわからない」
「わかったぁ」


「それなら文句はない」
「ん?でもさぁ、幹部の奴らにも手下って者がいるじゃん。そいつらが清凪ちゃん狙ってきたらどうするのさぁ?」
「清凪には…俺の影の中に入っていてもらう。それなら俺が死なない限りは大丈夫だ」
「あ、確かにそれなら安全だねぇ」


この人たちが来ると私抜きでいつも話が進んでるような…。
「では、内容も決まったことだし、俺はとっとと任務に行かせてもらう」
「任務が成功したらまずボスのところに報告に行くようにしろ、狂宴」
「あぁ、分かってる。流石に最後の任務にそんなヘマはしない」


そう言って狂宴さんは前みたいに音もなく去っていった。
「霊猫は先に偵察に行っててくれ。俺は清凪と話をする」
「わかったぁ。変なことはしちゃダメだからねぇ、灰燼?」
「分かっている!」
それを聞いた霊猫さんは狂宴さんと同じように、じゃなくて猫の姿になって部屋を出ていった…。


「清凪」
「ひゃい!」
「ひゃいって…。一回落ち着け」
「あ、ごめん。こんなことを平然と話す灰燼ってやっぱり暗殺者なんだなって思って…」
「確かに灰燼だがそれ以前に灰でもある。俺だって人だ。灰燼になる前はお前と同じだった。人を殺すのに慣れていいことなんて一つもない。だからお前は俺が灰燼に堕ちきらないように、灰を見ていてくれ。俺は、化け物にはなりたくない」


灰の本当の気持ちが伝わってくる。灰だって好きで人を殺してるわけじゃない。人を殺すのに慣れてしまったら、化け物になってしまうのが怖いんだ。そんな灰が、お母様を殺してくれるって言ってるんだ。それなら、私も覚悟を決めて向き合うべきだ。
「分かった、ちゃんと灰を見るから安心して。だから私のお母様をおくってあげて、ね?だから、そんな泣きそうな顔しないで」


「あぁ、そうか。あいつらが言ってたのはこういうことなのか。人形っていうのは…。清凪、俺は今、ちゃんと人になれてるか?」
「うん、なれてるよ。だって泣いてるもん。もうココロのない人形じゃないよ。黎夜にだって操られてない。ちゃんと人の灰だよ」
やっと自分のココロに素直になれたね、灰。今度は私の番だね、そうでしょうお母様。


「もう大丈夫だ。そろそろ行こう。早く行かないと霊猫に怪しまれるからな。手合わせの時みたいに影の中に入れるぞ、清凪」
「分かった、でも灰一つだけ我儘いってもいい?」
「なんだ?」
「――――――」
「分かった。だが、覚悟はあるんだな?」
「もちろん」
強がりでしかない。だってそうじゃないと今にも泣いてしまいそうだから。


「久遠穏花の部屋の前に着いたら教える」
「うん」
「霊猫、今どこにいる?久遠邸前か…。今からそっちに影を経由して飛ぶからどこか隠れれるところにいてくれ。清凪飛ぶから声は出さないようにしてくれ、影の中にいても声は聞こえるから。あぁ、了解だ。飛ぶぞ」
「あ、来た、来たぁ。とっとと任務終わらせて帰りましょ。お金持ちの家って落ち着かないのよ」
 
「そう思うのなら早く歩いてくれ…」
「大丈夫よぉ、久遠穏花の部屋って意外と近いのよ、ほら、もう見えてきた」
「これじゃ、清さんに振り向いてもらえない…。そこの侍女!お前が悪いのよ!お前がこの屋敷に来たから!クビよ、クビ!今すぐ出ていきなさい」
「穏花、少し落ち着きなさい」
「清さん!私に会いに来てくれたの?」
「あぁ、まぁそうとも言えるな」


「嬉しい!ありがとう、清さん。そこの侍女、早くお茶の準備をなさい、清さんを待たせるんじゃないわよ!」
「は、はい!失礼します」
「あれは…。当主様、スキルで縛られてるじゃないか!」
「ところで清さんはなんの御用でこちらに?」
「それは穏花に別れを言うためだ。結婚してから二十年間、よくやってくれた。ありがとう」
「清さん?それは、一体どういう」


「君は!最初は久遠財閥当主の妻として相応しい振る舞いをしてくれた。だが、時が経つにつれて、私が忙しくなるにつれて、妻としての仕事を放棄して社交界にもでず、ずっと家にこもって私の気を引こうとしてるじゃないか!清凪だっているのに、目もくれずに。私だって久遠財閥当主としての仕事があるから穏花に構うことだってできないし、当主である以上家族より大事にすることがある。だから君と同じ想いは私には返せない」


お父様…。私を愛してないように接したのは、跡取りとでしか接しなかったのは、お母様の嫉妬から私を守るためだったのですね。
「どうして、どうしてなの、清さん。私を愛してくれない清さんなんか清さんじゃない!ねぇ、私の清さんを返して!返してよ」
お母様がナイフを持ってお父様の所へと歩いていく。拘束されているお父様が対応できるはずもなく声が漏れる。


「危ない!」
その声を聞いた灰がお父様の前へと飛び出す。
「灰くん?!」
「だっ、誰なの、あなた!」
「清凪、出てきていいぞ」
「分かった」
影から出てくると久しぶりに見るお父様と変わり果てたお母様の姿があった。


「お久しぶりです。お父様、お母様」
「あら、清凪ではありませんか、今すぐにその男と共にそこを退きなさい。私は清さんと話をしているのです!」
お母様がさらに歩みを速める。
「お母様!おやめください。それは愚かなことです」
怖さで足が竦む。まだお母様は怖い。何をされるかわからない。でもすぐ隣には灰がいる。だから立ち向かうことができる。


「お母様、今までありがとうございました。産んでくれたことだけは感謝しています。どうぞ天から今後も見守りください。灰、もう、いいよ。お別れは済んだから」
私がそういうと灰はお父様の方を向く。
「私ももう大丈夫だ」
そういったお父様の顔は悲しんでいたような、諦めていたかのような、でもとにかくたくさんの感情が入り乱れていた。


「霊猫」
「はーい、分かってるわよ。清凪ちゃーん、ちょっとごめんねぇ」
すると視界が猫で覆われる。可愛い、いやいや、そうじゃなくて。その後すぐに絹を裂くような悲鳴が聞こえたと思ったらドサっと音がして視界を覆っていた猫は離れてった。


「いつもの手段でやって大丈夫なのか、御当主様?」
「ちゃんと火葬してやってくれ」
「了解した」
「霊猫、お前が扱える焔でやってくれ。普通の炎だと時間がかかりすぎる」
「おっけー、いくよぉ」
そうしてお母様は土へと還った。
「今度はぜひ穏やかな生をお送りください、お母様」
そう言うのが早いか否や目の前が滲んでいく。お母様が亡くなられたことは確かに悲しい、けど仕方ないと思うくらいには何も思えない。

あの人に母親らしいことをやってもらった記憶もなければ、関わった記憶もない。そんなことより灰の悲鳴をあげてる体を大丈夫だよ、って抱きしめてあげたかった。灰は人間だよって言いたかった。
「清凪、大丈夫か?」
「うん、私は大丈夫だよ。だって、灰の方が辛そうに見えるよ」


こっちに歩いてくる灰の腕を引っ張ってギュッと抱きしめる。灰も好きで人を殺したいわけじゃないだろうに。
「焔で周りからは見えないから泣いても大丈夫だよ」
「いや、この任務の間は灰燼でいなければならないから…」
「灰燼ー、終わったよぉ」


「あぁ、分かった。清凪、帰るぞ」
「お父様!今度会ったら話したい事がたくさんあります!覚悟しておいてください!」
「あぁ、分かった。時間はいくらでもあるんだからゆっくりしてきなさい。たまにはこの家から離れるのもいい経験になるだろう。灰くん、娘を頼んだぞ」
「了解しました。お義父さん」
「ははっ、誰がお義父さんだ......」
暗殺者たちが離れたその場には泣き崩れる久遠清と灰になった久遠穏花が寄り添うように風に吹かれていった。


「ボス、失礼します」
「おっ、お前ら!遅かったな」
「てっきり、お前はまだ宴をやってるのかと思っていたが早かったな」
「いや、別にいつも通りだったぜ。な、霊猫」
「うーん、ちゃんと見てなかったからわかんなぁいや」
「早く報告しろ、三人とも」


「久遠穏花及び、幹部四名の暗殺成功しました。久遠清凪は私が引き続き監視につき、時がきたら久遠家に返します」
「分かった、ではこれにて任務は終了だ。そして、暗部全員に通達する。この時を持って暗部を解散し、希望するものは久遠財閥お抱えの影でまた俺の下で働くこともできる。希望するものは明後日の黎明時に訓練場に集合しろ、以上だ。皆十年間ご苦労だった」
「あぁ、そうだ。灰、復縁状。これにサインして恒久家に戻ってこい」
「それは命令か?」


「いや、お願いだな。お前が戻ってこないとなると恒久家史上最も弱かった代として歴史に名を残すかもしれないが」
「それはお願いじゃなくて脅しって言うんだよ、兄さん」
「そうでもしないとお前は戻ってこないだろう」
「分かった、ただし条件がある。恒久家以前に俺は清凪の護衛だ。だから清凪が最優先だ。それだけは譲らない」
「それでいい!なんで俺は弟相手にこんな交渉しなきゃなんねぇんだ」
「んー?でもさぁ灰燼、その髪と目の色どうするのさ?灰色だととやかく言われるよぉ?」


「それはスキルを使って黒く見せるから問題ない」
か、灰のスキル便利すぎる…。
「狂宴、霊猫、お前らはどうするんだ?くるのか?」
「うちらは入らないよ、新しい場所に何も感じない化け物は不要でしょぉ?灰燼も、人形のままだったらこっち側だったかもねぇ」
「お前らまさか?!」
「そこまでだ、灰。お前はもう人間なんだからこちら側は知らなくていい」
「じゃあねぇ、三人とも」
「っ、待て!」
「やめろ、灰。追いかけるなあいつらの覚悟を揺らがすな」


「…へ、やに戻ります。失礼しました」
「清凪、もう出てきて大丈夫だ」
そう言われて影から出てくるとそこは灰の部屋ではなかった。
「ここはあの二人の部屋だ。霊猫と狂宴の…。二人は夫婦だったんだ。あいつらは自分たちのことを化け物と言ったが、俺にとっては大事だった。親代わりだったんだ。大事な仲間だったのに、なんでこうも俺の大切な人達は自己犠牲の精神が強いんだろうな」
そう言葉を紡ぐ灰は年相応の子供のようで普通ならまだ親の庇護下にある年齢なんだから、強がる必要はないのに…。


「灰、辛いなら泣いたっていいんだよ」
「そうそう、辛いなら無理に我慢する必要はないんだよぉ」
「霊猫、狂宴?!」
「俺たちはずっとお前のことが大事だったんだ。この十年間お前が成長していくのを見るのはまるで我が子の成長を見ているようで楽しかったぞ」
「うちらのけじめにあんたを巻き込むつもりはない。でも、一回くらい母さんとかって呼ばれたかったなぁ」
「そん、な願いならいつだってかなえてあげられたのに、なんでいまなんだよ!母さん」


灰の目には涙がにじんでいる。それなのに霊猫さんと狂宴さんは顔色一つ変わってない。もう、根本的に違うんだ。二人は別れを惜しんではいないんだ。
「…ばか両親」
「そんな声で言われてもなんともないぞ」
灰が狂宴さんに抱きつく。
「なんでみんな、俺の周りからいなくなっていくんだ」
子供みたいに泣きじゃくっている灰からは灰燼の気配は感じられなかった。ただの年相応の子供だった。
「でも全員がいなくなるわけじゃないでしょぉ?清凪ちゃんがいるじゃない」


そう言った霊猫さんに抱きしめられる。これが家族の温もりなんだ…。なんだか、私もつられて涙が出てきた。久遠邸にいたらこの感情は味わえなかった。実の母親にすら抱かなかった感情をこの二人に抱いてしまった。死んでほしくない。でもその気持ちは言葉にすることはきっと二人の覚悟を踏みにじることと同じだ。
「そうだね、ありがとうございます、霊猫さん、狂宴さん。灰をここまで育ててくれて、あとは私が頑張ります」


「あ、そうだ二人は結婚とかしないのぉ?個人契約で護衛のやつと婚約のやつしてるでしょぉ?」
顔に熱が集まるのを感じる。
「おやぁ、清凪ちゃんどうしたんだい?そんな茹で蛸みたいに赤くなっちゃってぇ」
すっかり忘れてた。六歳の時に灰に一目惚れして婚約の契約結んでたんだった。灰もそのことを言われて気付いたようで同じ状態になっていた。
「うちらは二人が結婚するのは全然おっけーだからねぇ」


「そろそろ、行くぞ、霊猫。今日が終わる前に始めるなら移動しないと時間がないぞ」
そう言った狂宴さんは窓を指さした。するとすっかり日が暮れた空がそこにはあった。
「そうだねぇ、そろそろ行かないとかぁ。じゃあ最後に清凪ちゃんちょっといい?」
「はい、なんです…」
頬に暖かいものが一瞬触れた。
「スキルの一部あげるからこの猫たち預かっておいてくれなぁい?」
「え?でも…」


「返品は受け付けないからぁ。じゃあまた会う日までねぇ」
「これで本当にお別れだ。二人とも。もう会うこともないだろう」
そう言って二人は夜の闇へと消えていった。きっともう会うことはない。永遠に。


「スキルの譲渡とは主に死にゆく人からその人の大切な人へと渡される、暗部での最大限の愛情だ」
「死にゆく人…」
「悲しむのはやめよう。そんなの二人は望んでない。せっかくあの人たちが過去を背負って全部持っていってくれるんだから俺たちは前を向こう」
「そうだね、灰」
 の日はきっと二人がやっていたみたいにお互いに寄り添うように同じベッドで眠りについた。
 
 
 
「狂宴、最後はどこに行こうかぁ?」
「そうだなぁ、最後は原点にでも還るか」
「じゃああそこだねぇ」
「行くか、最初の宴の場所に。四人でやったあの場所に」
「後、灰がすぐ回収にこれるように用意しとくねぇ」
「さて、始めるか最後の宴を…」
「うちも参加するよぉ、狂宴」
「では、武器を持て!」
「手加減しないよ?」
「あぁ、お互い全力でやろう。最後の宴だ!」
武器同士が当たって、火花が散る。身体に当たって朱が散る。男女の愉しそうな声がこだまする。そして、やがて焔に包まれて何も聞こえなくなった。その後、霊猫に導かれて一人の足音が響く。
「やっぱりやったじゃないか。最後の宴は愉しかったか?二人とも…。骨は拾っておくからゆっくり休めよ」
二人は泣いている男の子をただただ黙ってみていた。
「休ませてもらうよ。だからうちらの分まで強く生きなよ、灰」
そう霊体の猫が言って天へと還っていった。
 
 

「清凪、そろそろ起きろ。移動するぞ」
灰の声が聞こえて意識が浮上する。
「ん?移動ってどこに?」
「新しい邸だ。今日の朝、兄さんに呼び出されてな。騎士爵をもらって、その時に屋敷ももらった。兄さんは男爵位をもらうって言ってたな。後暗部のものたちには全員瑞宝章が送られることになったとも言ってた」
 その話を聞いて一気に頭が覚醒する。


「そうなの!すごいねみんな大出世じゃん」
「それであまりにも人数が多いから兄さんだけ叙爵式に出るらしい。俺も親族として出なければならないから、いやでも目立つ。それで身辺調査をする奴もいるし清凪が見つかったら間違いなく残党に狙われるだろう。だから結界を張るために賃貸じゃなくて家を買おうと思ってたんだ。そしたら、ちょうどよく邸が渡されてすぐ住める状態らしいから早めに移動して結界を張ろうと思ってるんだ。だから、とりあえず影に入ってくれると助かる」


「それ…。私が起きなかったらどうするつもりだったの?」
「ベッドと清凪の体の間に影を這わせて無理やりでも連れていったな」
「正直今は時間が惜しい。日が登り始める前に邸に着いていたい」
「ん、分かった」
「じゃあ、そろそろ移動するぞ」
 
 そういえば寝ててすっかり忘れてたけど婚約の話ってどうなったんだろう?六歳の時から気持ちは変わってないけど、お父様の許可が得られる気がしないな。あれ?でも灰、お義父さんって呼んでいたような...。
「着いたぞ」


灰の言葉を聞いてから外に出るとそこには新品同然の邸があった。
「おーい、清凪、大丈夫そうか?」
聞き覚えのある声が聞こえる。
「お父様?!」
「いやー、朝起きたら部屋に手紙がおいてあってその場所に来ただけなんだけど、まさか清凪がくるとは…。それで灰くん?なんで私を呼び出したんだ?」


「婚約の許可を得ようと思って呼びました。もう契約をしてるから順番が違うのは知っています。でも挨拶はすべきだと思って。俺の気持ちは十年間変わっていません。だから…」
「また、その話か。言っただろう。契約までしてるんだ。清凪をちゃんと幸せにしてくれれば私は満足だ。まぁ、でも一回二人で話し合いなさい。清凪がぽかんとしてるよ。私は邸を見て回ってるから話し合いが終わったらスキルで呼んでくれ」


そう言ってお父様は邸の中へと消えていった。
「清凪、改めて言わせてくれ。俺をマリオネットじゃなくしてくれてありがとう。そして、俺は六歳の時から君のことが好きだ。一目惚れだった。でも陰ながら護衛をしている中で俺はお前に惹かれていったんだ。でも俺と婚約することでお前は二度と日の下を歩けなくなるかもしれない。影でしか輝けなくなるかもしれない。俺はお前をこっちに堕としてしまうことになっても清凪が欲しい。だから俺と婚約してください」


灰の顔が真っ赤になっている。最初はこの気持ちが憧れなのか本当に好きなのかわからなかった。でもまた出会ってから、灰を知ってから好きになってしまった。この暖かい色をした灰色が、義理堅い性格が、大好きになってしまった。
「うん、私も灰が好き。料理も上手だし気遣いができるし、頼もしい。私は灰がいればどこにいたっていい。表でも裏でも、これからは灰がいるところが私の幸せなんだから。私だって灰のお陰で家から一時的に解放されて自由にできて楽しかった!これからもよろしくね」


もう誰もマリオネットじゃない。灰もちゃんとココロ望んである人になった。ずっといい子にしてる必要はないって灰に気づかせてもらってから自分で考えることの面白さを知れた。その様子を西から猫の目をしたような月と灰色が、東から輝かしい未来が照らしていた。
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