この恋は無双

ぽめた

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閑話

*甘く苦い

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 あれは、僕が十二歳になったばかりの事だったと思う。



 アスヴァルド国内の小さな街の宿。
 魔術師ギルドから受けた仕事が済んだ後の出来事。



 サークは窓の近くに置かれた椅子に腰掛け、テーブルの上に何やら小さな箱と陶器の器を置いた。
 箱から細長い棒を一本取り出して咥え、魔術でその尖端に小さな炎を点しながら吸い込み始める。
 ふーっと息を吐くと、白い煙が漂い独特の臭いが部屋の中を満たした。

 寝巻きに着替えてもう眠る準備を済ませ、ベッドの上に座っていた僕は、見慣れないサークの行動を不思議に思って眺めていた。

 僕の視線に気がついて、サークは小さく肩を竦める。

「煙かったか?」

「ん、ちょっと」

 むせる程では無いけれど、何となく臭いが気になったので頷くと、サークは窓を少し開けてくれる。

「何?それ」

「煙草」

「たばこ」

 聞いた事もない物だ。

 疑問が顔に出ていたのだろう僕に、サークは説明を始めてくれた。

「普通は葉巻とかパイプとかキセルなんだけどな。
 持ち歩くには手入れの道具もけっこう嵩張るから、小型化した新しいもん作ったら売れるんじゃねえかって商人ギルドが思いついたらしい」

「ふぅん?」

 はまきにぱいぷ。きせる。どんな物なんだろう。

「これは乾燥させた葉っぱを丸めた紙に詰めて、片方に特殊な加工した綿を入れて、葉が直に口に当たんねえようにしてある。
 綿の開発だの、繊維の細さとか量の調整するのに、商人ギルドより魔術師ギルドの連中の方が得意だろうってんで、共同で作ってるんだと。
 これはその試作品。試して感想送れって送ってきやがったんだが、指定してきた返答期限が短かすぎてな。
 今日やった仕事して、家に戻って試すだと間に合わねぇから持ってきた」

 不満そうにしているけれど、魔術師ギルドからの頼まれ事をきちんとこなす意外な真面目さは、いかにもサークらしいなと思った。

 話しながらも少しずつ、白い棒は細い煙をたなびかせて短くなっていく。
 灰になった尖端は、陶器の器にとんと軽く打ち付けて落としていた。

 言葉を切ったサークは、吸い口を咥えてから息を吸い、ふうーっと長く白い煙を吐き出した。

「たばこって、味とかするの?」

「あー……なんか果物の葉も混ぜてるかもな。
 すこし甘い気がする。
 吸ってみたいか?」

「え、いいの。僕も」

「別にいいんじゃね」

「うーん……興味はあるけど……」

 どちらかと言えば、煙草を吸っているサークの姿に興味があったりする。

 何しろ格好いいのだ。

 椅子に長い脚を組んで座り、煙草を吸う仕草がいつもより色気がある気がして、なんだか目を奪われてしまう。

「俺は昔吸ってたから慣れてるけど、初めてだと噎せるだろうしな……」

 悩むように呟いていたサークが、突然言葉を切った。

「これならわかるか」

「え」

 煙草を咥えて吸い込みながら、立ち上がったサークは僕に近づいてくる。

 顔の下半分が掌で隠されて、煙が入らないようにか薄く瞼を閉じたサークに、なぜかどきりと心臓が跳ねた。

 ベッドに並んで座ったサークは、ふうっと煙を吐き出した。
 たばこを持たない方の手が、僕の後頭部に回される。

「わかる、って?」

 ぐっと近づいた顔にうろたえながら、確かに強く煙が香るなと思った、その時。

 サークの唇が、僕の唇に触れた。

「っ!?」

 驚いて身を引こうとしたけれど、サークの手は僕の頭をしっかりと固定していて離れられない。

 みるみるうちに顔が熱くなってくる。

 だ、だってこれ、き、キス……してるよね!?

「んんっ……!」

 混乱している僕の唇に、サークの熱い舌が割って入ってきて、僕の舌を絡めとる。
 艶めかしく口の中を舐めあげられて、もうわけがわからない。

 それなのに、強ばった身体からなぜか少しずつ、力が抜けていった。

 ……気持ちいい。

 たばこの少し苦い香りと、僅かに花のような香り。
 それがサークの匂いとまじって、頭がくらくらして酔いそうなくらいで。

 息が上手く出来なくて、いつの間にか閉じてしまっていた目を開けると、金色の瞳が至近距離でぶつかってきた。

 みっ、見られてる。
 気持ちいいなんて考えていたのも、全部?
 ずっと見てたの!?

「んっ、んんんっ!」

 ものすごく恥ずかしくなって、慌ててもがいて離れた一瞬に、大きく息をつく。

 潤んだ視界で見上げると、もう一度たばこに口を付けて煙を吐き出し、ぎゅっと吸殻を握り潰したサークが告げる。

「知りたいんだろ。
 教えてやる」

 聞いた事のない、どこか迫力のある低い声にびくりと身が竦んだ。

 魔術を使って、手が傷つかないようにでもしたのだろう。火を握りつぶしたのに熱がる様子もなく、吸殻を床に投げ捨てた。

 今度は両手で僕の顔を両脇から掴み、また深く口付けてくる。

 さっきよりも少し乱暴に舌がねじ込まれ、僕はあっという間に思考を奪われた。

 たばこと花の匂い。
 絡みつく舌と舌。

「ふっ……う、んっ」

 苦しくて顔をずらしても、唇が追ってきてすぐにまた僕を蹂躙していく。
 つうっと涎が溢れ、唇の端から落ちたのがわかった。

 水音を立てて繰り返される執拗なキスに、僕の腰がじんじんと甘く痺れていく。

 ぞくぞくと快感が背中をのぼってくる。

 こわい。

 このまま身を任せていたら、どうにかなってしまいそうだ。

「っ、んっ……はっ……や、やめ……
 も、わかった、からっ……」

 やっとの事で唇を離して、力の入らない震える腕でサークの胸を押し返しながら訴えた。

 お互いの荒い息遣いだけが部屋に響く。
  
 僕の顎をくいっと掴んで上向けさせ、じっと見つめてきたサークがにやりと笑った。

「イイ顔」

「な……」

「トイレ行くか?それともしばらく出かけて来てやろうか」

「……ど、いうこと……」

 まだとろんとした頭では意味が分からず首を傾げると、ぷっと吹き出された。

「まだ知らねぇか。んじゃあいい」

 ぽんぽんと頭を撫でられて、サークはベッドから降りて吸殻を拾い、入れ物に捨ててから何事も無かったように椅子に腰掛けて、新しいたばこを取り出して検分し始める。

 ……たばこの味は、わかったような。わからなかったような。

 サークの意図もわからないままで、どきどきとうるさい胸に手を当てて、僕は大きく息をついた。

 その夜は当然、すぐに眠れるはずがなかった。





 星が瞬く深夜。
 宿のベランダに一人出て、僕はふうっと長く白煙を吐き出した。

 その日取った宿は、夜になると食堂が酒場になる店だった。

 夕食を食べた後、カウンターに積まれて売られていた煙草の箱が目に入り、気まぐれで一箱買い求めた。

「別に美味いものでもないよな」

 指先で紫煙を上げる、細い筒状の煙草を見つめながら、そんな呟きが漏れた。

 煙草の味を教えられたのは、まだ僕がサークへの恋心を自覚する前の事だった。

 なぜ僕に、いきなりあんなに執拗なキスをして来たのか、未だに理由は分からない。

 本当に煙草の味を教えるだけのつもりだったんだろうか。

 ーーお前があんまりにも無邪気な可愛い顔して見てくっから、ついな。

 そんな揶揄う声が、しんと静まる夜の中で聞こえた気がした。

「……意地悪なんだから」

 左耳のピアスを弄りながらまた吸い口に口をつけ、煙を吸い込みながらぼやく。

「ほんと、悪い大人だよね。
 僕がなんにも知らないからって、いつも好き放題して。
 なにがトイレ行くか、だよ……
 まだそういうの経験してなかったんだから、意味が分かるわけないだろ」

 いつものようにちょっかいをかけたつもりが、歯止めが効かなくなった。そんな所だろうか。

「……僕のこと、あの頃は無意識にでも……好きだと思ってくれてたから、あんな事したの?」

 サークからの答えは無い。

 僕の隣どころか、世界の何処にも……今は居ないのだから、確かめようもない。

 込み上げた寂しさで強く吸い込んだ煙草の尖端が激しく燃え、ジジジと音を立てて灰に変わっていく。
 浅く吸った時よりも濃い煙が吐き出され、夜風に散った。

「これが売ってるのを見なかったら、ずっと忘れてただろうな」

 後になってどうしようもなく恥ずかしくて、だけどサークの様子はいつもと変わらないから、言及することももう出来なくて。

 普段通りのサークと同じにならなきゃとふるまって、必死に思い出さないようにした。記憶に蓋をして、忘れる努力をしたのだ。

 けれど今日、無事に商品化されたらしい小型の煙草を見た瞬間、長年閉じていたはずの蓋が突然開いた。

 気がついた時にはカウンターの向こうに居たバーテンに小銭を払い、煙草の箱は僕の手の中におさまっていた。

「捨てるのも勿体ないから吸ってみるけどさ。
 ……せっかく思い出したし、一箱だけね」

 いつも欲しいとは思わない。
 苦い味しかしないし、喉も肺も苦しくて、美味しくなんてないけれど。

 煙草の味で呼び覚まされる、サークの深いキスの感触を手繰る為だけに、苦い煙を吸い続ける。

「もう僕は子供じゃないんだ。
 サークが戻ってきたら、された事千倍にしてお返ししてあげる」

 貴方の唇と吐息を思い出すだけで疼く身体の意味も十分、理解っているから。

「あんまり僕に悪戯したせいで、もうサークにしか反応しないんだよ?
 どうしてくれるの」

 愛しいひとを取り戻すと決めて始めた旅の途中。

 路地裏に立つ女性に誘われたり、今夜のような宿の酒場で甘い声をかけられたりは何度かあった。
 けれど僕の興味が引かれることはなかったし、身体が疼いたりなど勿論なかった。

「こんな味を教えてくれた責任、取ってもらうからね」

 吸殻を灰皿に押し付けて呟く僕の唇には、薄い笑みがのぼっていた。

 不変の愛の味を、今度は僕が教えてあげる。





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