この恋は無双

ぽめた

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七章

白金の魔術師ピート・ウィスクドール

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 深い森の中でひとり夜営をしていたオレは、焚き火に枝をくべながらふと目を上げた。

「やあ、君が魔術師狩り?思っていたより子供なんだなぁ」

 炎の明かりが届く範囲まで、両腕を広げ悠々と足を進めてくるのは三十代中ばほどに見える、軽薄そうな男だった。

「……ランドールの白金持ちか」

「へぇっなんでわかるの?」

「白々しいよウィスクドール」

 芝居がかった言い方に、じろりと睨み付けてやる。

「なあんてね。確認くらいさせてよ。
 ああこれ手土産。毒なんか入れてないから安心して」

 人懐っこくにこにこと笑いながら、倒木に腰かけたオレの膝の上に布包みをぽんと置いて、当然のように焚き火を挟んで対面の地べたにあぐらをかいた。

 眉をしかめながら持ち上げてみれば、ふわりと甘い香りがする。

「評判のパウンドケーキだよ。朝から並んで買ったんだ。
 僕の記憶が確かなら、甘いもの好きだろ?タリュス君」

「……あんたも相変わらずだな」

 膝に片方の肘をついて顎を乗せ、あくまでも朗らかに微笑む男。
 ランドール国付きの白金の魔術師、ピート・ウィスクドール。
 この国での最後の目的である。

 彼とは幼い頃に一度会っていた。
 アズヴァルドのあの家で暮らし始めた頃、ティムト国付き白金の魔術師アッシュ・アスタロッドと共に、十日程滞在していた事がある。

 掴み所のない物言いで、随分とからかわれた記憶が残っていた。

「ずいぶんと見目が変わったねえ。
 子供の成長はあっという間だ、年は取りたくないもんだよ」

「……国の命令で捕らえに来たんだろう」

「んん、協力要請だけどまあ実質そうだね。ランドールの魔術師は俺が最後だし。
 君に全国の同士がやられて、かろうじて隠れてた奴らも皆、本拠地に収集かけられててさ。
 ランドールは王太子が加護を失った上に、君を娶るから国を出る、廃嫡でも何でもしろって言い出して大騒ぎになってるよ。
 僕が君を探しに出るから待てって国王が引き留めてるけど、あの王太子の様子じゃ大した時間稼ぎにならないね。
 ちっさい時から思ってたけど、君の美貌はまるで劇薬だ」

「馬鹿じゃないのか。
 元々あまり賢くなさそうに見えたけど、そこまで酷いのか」

「そういうご趣味の人もいるってことだよ。
 それか君が目覚めさせちゃったんだろう。お気の毒さま。
 ああそれと、聖女からも君の捜索要請を受けたな。
 つくづく罪作りな男になったもんだ」

 肩をすくめてから、ごそごそと肩掛け鞄を漁って今度は携帯用の水筒をぐびりと煽る。
 中身は昔と変わりないなら酒だろう。

 相変わらず忙しないなと思いながら布包みを開けると、チョコレート色をしたパウンドケーキのいい香りが広がった。

 聖女ジュリア。「タリュス」へ告白してきた、必死な顔を思い出す。
 神の決めた伴侶だという証拠なのだろう、一面に咲き誇ったアイリスの花畑。

 オレの捜索を頼むあたり、諦めてはいないのだ。彼女も案外意地が強い。

 ……早く諦めればいいのに。

 大量に人を殺めたオレを、神が許すはずがないんだから。
 どいつもこいつも、馬鹿みたいだ。
 オレが何をしたのか、なんにも知らないで。

 取り出したナイフで数枚に切り分け、パウンドケーキを差し出すと、ウィスクドールは嬉しそうに受け取った。

「ありがとう。あんまりにも評判で買えないから、まだ食べたことないんだ。
 甘いものは僕も好きだよ」

「毒味に決まってるだろう」

「疑り深いねえ。毒なんて効かないんだろどうせ」

「……なんで」

「イグニシオンのとこにいたんなら、そういう魔術師の塔で教わる教育は一通り習ってるよね?」

 確かに一部はその通りだ。

 魔術の道具として扱う薬の中には毒素の強いものもある。
 調合中の耐性をつけるために、日常から弱い毒を飲むんだと教わった。

 けれどそういう危険な薬の調合は彼だけが行っていたので、ウィスクドールが言うように毒を飲む訓練をオレはしてこなかった。

「おかげで僕は酒が好きなのにあまり酔わないから、つまらないんだ。
 君はどう?付き合わない?」

「……いらない」

 酒を呑んだのは星祭りの夜が最後だ。

 胸を高鳴らせた思い出まで甦ってきたけれど、今は胸を辛く締め付けるだけだった。

「こんな所まで酒盛りしに来たわけじゃないだろ」

 さめた目で返しながらパウンドケーキにかじりつく。

 口一杯に広がる久しぶりの甘さにほんの少しだけ弛んだ心が、ウィスクドールの邪悪にも見える笑顔で再び引き締まる。

「僕は器用だから、魔術師って職に拘りはない。
 だからこれは純粋な好奇心なのさ」

 ざわりと周囲の木々が枝葉を揺らす。
 両膝に肘をついて、組んだ指の上に顎を乗せたウィスクドールから一瞬で濃密な魔術が展開されて、オレの周囲を取り囲んだ。

「勝負だ、魔術師狩り。
 奪えるものなら奪ってみな」

 オレも座ったままで護りの壁を生み出した。

 どんっと空気が震え、腕を伸ばした程の先にある境界線で、バチバチと銀の煌めきが迸る。

 四大精霊を一度に組み込んで、しかも無詠唱。
 ピート・ウィスクドールの別名、無音の詠い手に相応しい技だ。

「いいよ。奪えなきゃ壊すだけだから」

 でなければ自分を餌にして釣った意味がない。

 気配も消さず、焚き火の煙も風に散らさないで、ここにいるのをわざと知らせてやったのだから。

 互いの魔力の圧がぶつかって、竜巻のように暴風が吹き荒れる。
 焚き火の枝も吹き散らされて闇に包まれたので、光の精霊に呼び掛けて小さな光球を周囲に幾つか浮かべ、光源を確保する。

 不思議な淡い光球に照らされて、ウィスクドールがぱちんと指を鳴らした。
 十指全ての指に嵌めた指輪の宝石がとりどりに輝きだす。

「そんなにしてたら邪魔じゃないのか」

 オレの軽口には応えずに、光の糸を紡ぐようにウィスクドールの指が踊ると籠のように魔術が構築されていく。

「出し惜しみなしだ、僕のとっておきだよ」

 にまりと笑うウィスクドールの傍らに、四大精霊の姿がぼんやりと浮かぶ。

 血の契約に縛られ、精霊王にまみえたオレに向かって、力を振るわざるを得ない彼らの表情は暗い。
 その事に怒りの感情がわいてくる。

「潰してやる」

 ウィスクドールの組み上げた魔術の籠。
 例えるならサーカスの様に次々と、ともすれば心踊るような華やかさまである鮮やかな技だ。

 それをオレは力任せに壊していく。
 人間ならばみとれている内に、あっという間に呑まれてしまうだろうが関係ない。

 炎の輪を作るサラマンデル。
 高く水飛沫を上げて虹を生み出すウンディーネ。
 軽やかに花吹雪を散らすシルフィ。
 サーカスの天幕を構築し対象を閉じ込めるノーム。

 持てる魔力を全力で叩きつけていくと、契約の文言がシャボン玉が割れるように細かな虹の粒子になり、虚空に弾けて消えていく。

 最後の契約を打ち消した瞬間、ぐらりとウィスクドールの体が傾き、地面に崩れ落ちた。

 オレも魔力が空になるまで使いきった為に視界が回る。
 どうにか傍らに手をついて倒れるのを堪え、激しくなる鼓動を静めようと大きく呼吸を繰り返す。
 全身からは冷たい汗が吹き出し、こめかみから顎先へ伝う。

「…………動かない、か」

 乾いた唇で呟く。
 騙し討ちが好きなこいつの事だ、疲弊したふりをして何か仕掛けてくる可能性があるから油断はできないが。

 しばらく様子をみてみたが、やはり起き上がる気配はない。
 本当に全力を出しきって、契約を壊された負荷で気絶しているようだ。

 オレは溜め息をひとつついて、落としてしまったパウンドケーキを拾い上げる。
 布包みごと落ちたので中身は無事だ。
 ひとつ残ったウィル・オ・ウィスプの弱い光の球が漂うのを眺めながら、甘いケーキにかじりつく。

「……置いてったら、死ぬかな」

 まだ日付が変わるには時間があるが、気温はどんどん下がってくる。
 焚き火を消し飛ばしてしまった為に周囲の空気も冷えてきた。

「……あ」

 ひらり、と白い粒が空から舞い降りてきて、目をあげる。

 漆黒の夜空から小さな雪の粒が降ってきていた。

「面倒だな……」

 人里近くでこんなに激しくぶつかり合えば、被害が出ると思って山の中を選んだのだが。

 昏倒したウィスクドールをどうするかまでは考えていなかった。

 残りのケーキを食べ終わる頃には、少し魔力も回復したので立ち上がる。
 魔人族の郷から距離は取ったけれど、早くこの場から立ち去らなければ。ルーナ達に気づかれてまた追いつかれてしまう。
 夜営道具を片付けて背負い、さてこの男をどうしようかと思案すると、小さく内側から声がした。

『ピートさんをどうするつもり』

 両膝を抱えてうずくまり、つめたい視線を向けてくる「タリュス」。

『寝かせたままにしたら凍死する』

「だろうな。しょうがないから近くの町の教会にでも転がしておくさ」

『この人は、助けるんだ?』 

「魔人族以外は殺す理由がない」

『今さら綺麗事言っても、その手が汚れた事実は変わらないよ』

 しばらくはめそめそと泣くだけだったのに、今日はやたらとオレを責めてくる。

 ふんと鼻を鳴らし、ノームの力を借りてウィスクドールの体を地面ごと持ち上げた。
 オレが歩き出すのに合わせて地面がぼこぼこと盛り上がって、ウィスクドールを移動させていく。

「そうだな、オレが起こした事を母も父もその目に焼き付けただろうしな。
 今度こそ見放されただろ」

 ……それでいい。それがいい。

 あの二人が大事に綺麗に育んだ子供は、もういない。

『……あのふたりは……そんなこと……』

 未練がましく希望を口にする「タリュス」に嗤って言ってやる。

「確かめればいい。どうせ次の目的地に行けば解ることだ」

『まだ、つづけるの』

「ああ勿論。ウィスクドールから朗報を聞いたからな。
 魔術師が一同に介しているなら好都合だ」

『もうやめて……もう十分でしょ……』

「お前が望んだんだろう」

 降り始めた雪を眺めながら。

「汚れ仕事はオレが引き受けたんだ。
 黙って綺麗なふりをして眺めていればいいんだよ、お前は」

 純白の羽根が舞う夜空に落ちたオレの呟きは、自嘲の響きだった。




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