21 / 23
21
しおりを挟む
息を呑む。
悲鳴を上げないように、ぐっと膝の上で拳を握りしめて堪えた。
おそろしい。ナーバルの魔法具がなかったら一体今頃どんな目に遭っていたことか分からない。
呼吸ができなくなるような感覚に襲われる。だが、気付いたことに気付かれてはならない。相手は秘密裡に事を進めたいはずだ。だから連れていた騎士たちにイジーを攻撃させるようなことは命令しなかった。
「まあ。それは素晴らしいですわ!」
じわじわと背筋を冷たいものが這い上がり、目に涙が溜まっていくのが分かる。かろうじて出した声は震えていなかっただろうか。
私、本当は愛されていなかったのかもしれない。それどころか、こうして危害を加えようとするくらい嫌われていたのかも。
今はそんなことを考えている場合ではないのに、嫌な想像ばかりが頭に浮かんでしまう。
彼の婚約者としてつり合うように今まで頑張ってきたのは何だったのだろう。無駄な努力だったのかもしれない。彼だけが私を愛してくれていると思っていたから、どんなに皇太子妃となる教育がつらくて厳しくても耐えられた。それなのに――
イズは転移の魔法具を使おうとした。
こんな仕打ち、耐えられない。
しかし、直前にその手を止めた。
本当に、めそめそと泣くばかりで良いのだろうか。いや、実際には微笑みを崩さず涙も見せていないが、このままおめおめとやられっぱなしなんて、あんまりだ。ひどすぎる。
今までに感じたことがないくらいの激しい感情が腹の奥底から沸き上がってくる。
私が一体、何をしたって言うのよ。
この年齢まで遡ってしまう前は、婚約者として献身的に尽くしてきたはずだ。彼が愛していると言うから、どんなに辛いことがあっても耐えた。他の貴族令嬢からのやっかみや嫌がらせだって、何も言わずにただただ微笑んで許してきた。だって目の前の元婚約者は、私を助けてくれたから。誰にも必要とされていない私を必要だと言ってくれた。彼だけが家族からも見捨てられて惨めで情けない私を救い上げてくれた。だから全部許した、そして言いたいことがあっても全て飲み込んだ。全部全部、心の中にしまい込んだ。
その結果、数年後の成長したマルクスは他の女性に目移りして大衆の面前で有る事無い事でっちあげてイジーの尊厳をズタボロにし、今まさに理由は分からないけれど明らかな敵意を向けられている。
何としても一矢報いてやらなければ気が済まない。
口を開きかけたそのとき、また視界が歪むような感覚がした。
「イズ、おまえ本当に後で覚えておけよ」
「……え?」
いきなり目の前が真っ暗になる。耳元で恐ろしく低い声が聞こえたかと思うと、ドンッと床に尻餅をついた。
後ろに倒れかかったのをトリスが支えてくれる。ナーバルは声だけ残して霧のように消えてしまった。
どうやらナーバルと暮らしている屋敷に瞬間移動してきてしまったらしい。呆然と周囲を見渡す。
どう見てもイズの部屋ではない。入ったことがないので確信はないがナーバルの部屋だろう。意外にも整理整頓されていて、埃ひとつ落ちておらず清潔感がある。
気付かぬうちに発動させてしまったかと転移の魔法具を見てみるも、使用した形跡はない。首を傾げていると、「あーあ」というトリスの溜息が降ってきた。
「まずいぞ。あいつ相当怒ってる」
「何言ってるの。怒ってるのは私のほうよ」
「頼むから、戻ってきたナーバルにそんな口の利き方しないでくれよ。連帯責任で俺までブッ殺される」
情けない声を出す彼に抗議しようと顔を上げる。だが、その表情を見て、早々に反論する気がなくなってしまった。
「なんて顔してるのよ……」
顔面蒼白のトリスが震える指先を伸ばしてくるので、イズはぎゅっとその手を握った。
「ねぇ……私、そんなに心配かけると思ってなかったの。ただ彼があんまりにもぞんざいな扱いをしてくるから、ちょっと嫌味の一つでも言ってやろうとしただけ。……言い訳にしかならないのは分かってるわ。約束破ってごめんなさい。お願い、許して」
先程までのマルクスにやり返してやろうという威勢はすっかりどこかへ行ってしまった。代わりに、ギリギリまでイズが魔法具を使うのを待ってくれていたであろう二人に申し訳ない気持ちが胸を占める。
「あのローブの女がおまえに近付いてすぐ、毒の魔法を使った。無効化の魔法具を持ってなかったら間違いなく遅効性の毒で数時間後には心臓が止まってた」
イズは無言で頷く。
「イズにも考えがあるだろうからって、すぐに強制転移させようとしたナーバルを止めたのは俺だ。でも怖かった。おまえは何も分かってない。俺たちがどれだけ焦ったか分かるか? 分からないんだろうな、いつまでも。おまえはそういうやつだ。俺は、またおまえが死んだらどうしようって、それが一番怖かった」
「私、ちゃんと分かってるわ」
彼らが自分を少なくとも親しい知り合いくらいに思ってくれているであろうことは分かっている。
「分かってたら、あんなところに留まることはしない。すぐに逃げてほしかった。何のためにナーバルが命削って魔法具作って持たせてやったんだよ。言っとくけどな、まともに作ろうとしたら一つ作るのにも数ヶ月はかかるんだからな
「ごめんなさい……」
抑えたような声で話すトリスの目をじっと見つめながら再び謝ると、「その見た目だと俺がおまえをいじめてるみたいになる」と苦々しげに言われる。
ただ、マルクスにやり返したかっただけだった。入れ替わってからずっと、トリスやナーバルに頼るばかりで自分一人では何もできていない。そんな自分が嫌になった。だが、それは彼らに余計な心労を与えるだけだった。
悲鳴を上げないように、ぐっと膝の上で拳を握りしめて堪えた。
おそろしい。ナーバルの魔法具がなかったら一体今頃どんな目に遭っていたことか分からない。
呼吸ができなくなるような感覚に襲われる。だが、気付いたことに気付かれてはならない。相手は秘密裡に事を進めたいはずだ。だから連れていた騎士たちにイジーを攻撃させるようなことは命令しなかった。
「まあ。それは素晴らしいですわ!」
じわじわと背筋を冷たいものが這い上がり、目に涙が溜まっていくのが分かる。かろうじて出した声は震えていなかっただろうか。
私、本当は愛されていなかったのかもしれない。それどころか、こうして危害を加えようとするくらい嫌われていたのかも。
今はそんなことを考えている場合ではないのに、嫌な想像ばかりが頭に浮かんでしまう。
彼の婚約者としてつり合うように今まで頑張ってきたのは何だったのだろう。無駄な努力だったのかもしれない。彼だけが私を愛してくれていると思っていたから、どんなに皇太子妃となる教育がつらくて厳しくても耐えられた。それなのに――
イズは転移の魔法具を使おうとした。
こんな仕打ち、耐えられない。
しかし、直前にその手を止めた。
本当に、めそめそと泣くばかりで良いのだろうか。いや、実際には微笑みを崩さず涙も見せていないが、このままおめおめとやられっぱなしなんて、あんまりだ。ひどすぎる。
今までに感じたことがないくらいの激しい感情が腹の奥底から沸き上がってくる。
私が一体、何をしたって言うのよ。
この年齢まで遡ってしまう前は、婚約者として献身的に尽くしてきたはずだ。彼が愛していると言うから、どんなに辛いことがあっても耐えた。他の貴族令嬢からのやっかみや嫌がらせだって、何も言わずにただただ微笑んで許してきた。だって目の前の元婚約者は、私を助けてくれたから。誰にも必要とされていない私を必要だと言ってくれた。彼だけが家族からも見捨てられて惨めで情けない私を救い上げてくれた。だから全部許した、そして言いたいことがあっても全て飲み込んだ。全部全部、心の中にしまい込んだ。
その結果、数年後の成長したマルクスは他の女性に目移りして大衆の面前で有る事無い事でっちあげてイジーの尊厳をズタボロにし、今まさに理由は分からないけれど明らかな敵意を向けられている。
何としても一矢報いてやらなければ気が済まない。
口を開きかけたそのとき、また視界が歪むような感覚がした。
「イズ、おまえ本当に後で覚えておけよ」
「……え?」
いきなり目の前が真っ暗になる。耳元で恐ろしく低い声が聞こえたかと思うと、ドンッと床に尻餅をついた。
後ろに倒れかかったのをトリスが支えてくれる。ナーバルは声だけ残して霧のように消えてしまった。
どうやらナーバルと暮らしている屋敷に瞬間移動してきてしまったらしい。呆然と周囲を見渡す。
どう見てもイズの部屋ではない。入ったことがないので確信はないがナーバルの部屋だろう。意外にも整理整頓されていて、埃ひとつ落ちておらず清潔感がある。
気付かぬうちに発動させてしまったかと転移の魔法具を見てみるも、使用した形跡はない。首を傾げていると、「あーあ」というトリスの溜息が降ってきた。
「まずいぞ。あいつ相当怒ってる」
「何言ってるの。怒ってるのは私のほうよ」
「頼むから、戻ってきたナーバルにそんな口の利き方しないでくれよ。連帯責任で俺までブッ殺される」
情けない声を出す彼に抗議しようと顔を上げる。だが、その表情を見て、早々に反論する気がなくなってしまった。
「なんて顔してるのよ……」
顔面蒼白のトリスが震える指先を伸ばしてくるので、イズはぎゅっとその手を握った。
「ねぇ……私、そんなに心配かけると思ってなかったの。ただ彼があんまりにもぞんざいな扱いをしてくるから、ちょっと嫌味の一つでも言ってやろうとしただけ。……言い訳にしかならないのは分かってるわ。約束破ってごめんなさい。お願い、許して」
先程までのマルクスにやり返してやろうという威勢はすっかりどこかへ行ってしまった。代わりに、ギリギリまでイズが魔法具を使うのを待ってくれていたであろう二人に申し訳ない気持ちが胸を占める。
「あのローブの女がおまえに近付いてすぐ、毒の魔法を使った。無効化の魔法具を持ってなかったら間違いなく遅効性の毒で数時間後には心臓が止まってた」
イズは無言で頷く。
「イズにも考えがあるだろうからって、すぐに強制転移させようとしたナーバルを止めたのは俺だ。でも怖かった。おまえは何も分かってない。俺たちがどれだけ焦ったか分かるか? 分からないんだろうな、いつまでも。おまえはそういうやつだ。俺は、またおまえが死んだらどうしようって、それが一番怖かった」
「私、ちゃんと分かってるわ」
彼らが自分を少なくとも親しい知り合いくらいに思ってくれているであろうことは分かっている。
「分かってたら、あんなところに留まることはしない。すぐに逃げてほしかった。何のためにナーバルが命削って魔法具作って持たせてやったんだよ。言っとくけどな、まともに作ろうとしたら一つ作るのにも数ヶ月はかかるんだからな
「ごめんなさい……」
抑えたような声で話すトリスの目をじっと見つめながら再び謝ると、「その見た目だと俺がおまえをいじめてるみたいになる」と苦々しげに言われる。
ただ、マルクスにやり返したかっただけだった。入れ替わってからずっと、トリスやナーバルに頼るばかりで自分一人では何もできていない。そんな自分が嫌になった。だが、それは彼らに余計な心労を与えるだけだった。
0
お気に入りに追加
50
あなたにおすすめの小説
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?
シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。
……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。
婚約破棄? 私、この国の守護神ですが。
国樹田 樹
恋愛
王宮の舞踏会場にて婚約破棄を宣言された公爵令嬢・メリザンド=デラクロワ。
声高に断罪を叫ぶ王太子を前に、彼女は余裕の笑みを湛えていた。
愚かな男―――否、愚かな人間に、女神は鉄槌を下す。
古の盟約に縛られた一人の『女性』を巡る、悲恋と未来のお話。
よくある感じのざまぁ物語です。
ふんわり設定。ゆるーくお読みください。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m

冤罪をかけられた上に婚約破棄されたので、こんな国出て行ってやります
真理亜
恋愛
「そうですか。では出て行きます」
婚約者である王太子のイーサンから謝罪を要求され、従わないなら国外追放だと脅された公爵令嬢のアイリスは、平然とこう言い放った。
そもそもが冤罪を着せられた上、婚約破棄までされた相手に敬意を表す必要など無いし、そんな王太子が治める国に未練などなかったからだ。
脅しが空振りに終わったイーサンは狼狽えるが、最早後の祭りだった。なんと娘可愛さに公爵自身もまた爵位を返上して国を出ると言い出したのだ。
王国のTOPに位置する公爵家が無くなるなどあってはならないことだ。イーサンは慌てて引き止めるがもう遅かった。
嫌われ聖女さんはとうとう怒る〜今更大切にするなんて言われても、もう知らない〜
𝓝𝓞𝓐
ファンタジー
13歳の時に聖女として認定されてから、身を粉にして人々のために頑張り続けたセレスティアさん。どんな人が相手だろうと、死にかけながらも癒し続けた。
だが、その結果は悲惨の一言に尽きた。
「もっと早く癒せよ! このグズが!」
「お前がもっと早く治療しないせいで、後遺症が残った! 死んで詫びろ!」
「お前が呪いを防いでいれば! 私はこんなに醜くならなかったのに! お前も呪われろ!」
また、日々大人も気絶するほどの魔力回復ポーションを飲み続けながら、国中に魔物を弱らせる結界を張っていたのだが……、
「もっと出力を上げんか! 貴様のせいで我が国の騎士が傷付いたではないか! とっとと癒せ! このウスノロが!」
「チッ。あの能無しのせいで……」
頑張っても頑張っても誰にも感謝されず、それどころか罵られるばかり。
もう我慢ならない!
聖女さんは、とうとう怒った。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から「破壊神」と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
婚約破棄された悪役令嬢。そして国は滅んだ❗私のせい?知らんがな
朋 美緒(とも みお)
ファンタジー
婚約破棄されて国外追放の公爵令嬢、しかし地獄に落ちたのは彼女ではなかった。
!逆転チートな婚約破棄劇場!
!王宮、そして誰も居なくなった!
!国が滅んだ?私のせい?しらんがな!
18話で完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる