18 / 23
18
しおりを挟む
「大変なことになっちまった……」
ソファーの上で膝を抱えて、そんなことを言うトリスには呆れてしまう。
「断ればよかったじゃない。どうして受けちゃったのよ」
「断る前におまえの母親が既に返事を出してた」
「あー……」
そうだった。あの人はイジーへ届いたものを全て執事に検閲させて報告させているのだった。忘れていたわ。気の毒に、と優しく肩を叩く。責めるような言い方をしてしまったが、これに関してはトリスに非はない。
ふと視線を感じたのでナーバルの方を見ると、彼は何とも言えない絶妙な顔をしていた。眉間に皺を寄せてはいるが、怒っているという風ではない。
「なに? 何か言いたいことでもある?」
「いや……、」
そこまで言って言葉を止める。言い淀むなんて珍しい。何か小言でも返ってくるかと思ったが、代わりに話題を変えることにしたらしい。「で、いつなんだ? 王子様とやらがヴォルフハート家に来るのは」
「明日だ」
「万事休すね。諦めましょう」
「体調不良とか言って中止にできないか?」
「そんなこと私のお母様が許すはずないでしょう。王族からのお茶のお誘いだなんて、仮に全身から緑の液体を垂れ流してようが引きずり出してくるわ」
「幻覚のイズでも出して誤魔化すか?」
ナーバルの提案にパッとトリスは顔を上げるが、すぐに「それじゃダメだ」とまた顔を伏せてしまう。
どうしてダメなの?と首を傾げるが、ナーバルはすぐに得心いったようだった。
「魔力探知ができるんだろう? その王子様とやらは。だから幻覚だとバレるのは時間の問題だ。しかしすごいな。おまえらと同じ年齢でそこまで魔法を使えるのは珍しい」
「そうだ。マルクスは魔力操作については誰よりも優れてる。あいつ相手に小細工なんか通用しないんだ」
魔力探知というのは、確か現時点で自身の周辺で魔法が使用されているか否かを判定できるものだっただろうか。幻覚魔法は魔力行使時にしか魔力を使用しないはずだ。使用者の魔力をずっと消費するわけではない。どうして探知できるのかが分からない。
得心がいっていないイズにナーバルが簡単に説明をする。
「幻覚魔法の種類が違うんだ。この前、ミンネにかけたのはイズが言うとおり一度魔力を行使すれば良いもの。状況に応じて変化させる必要がないから、単純な魔法で事足りたんだ。つまり、決められた炎の動きを対象の周囲で繰り返せばいいだけ。対して、今回かけるべきなのは常に対象の動きに合わせて幻覚の動きも変える幻覚魔法。魔法をかける対象であるコイツの所作はもう騎士のそれだから、全体的に上書きさせるような高度な魔法を常にかけ続けないといけないんだ。魔力探知ができるやつが相手なら一発で分かってしまう」
うんうんとトリスは頷いているが、本当に理解しているのだろうか。分かったわと返事をするが、話を聞いていて思いついたことがある。
「それなら、私の顔をイジーに見えるような幻覚をかければいいじゃない。あ、でも声は変えられないわね。いいわ。風邪をひいてるとでも言って黙ってましょうか」
良い提案だわとニコニコしていると、トリスもナーバルも驚いたような顔をしていることに気付く。私、何か変なこと言ったかしら。
「……前にも聞いたかもしれないけど、まだアレのこと好きなのか?」
「アレ? マルクス様のことかしら」
頷く二人を前に少し考える。好きかどうかで考えると、好きではないというのが今の正直な気持ちだろう。あんな手酷い振られ方をしたものの、彼に対する未練は残っていない。確かに婚約破棄されて体が入れ替わってすぐの頃は深く落ち込み、寝る前にはひっそりと何度もベッドで泣いた。
だが、どうしてだろう。いつの間にか元婚約者への気持ちは薄らいでいた。あんなに好きだったのにどうしてかしらと、うーんと頭を抱えて悩んでいると、二人とも変に察したらしい。
「いい。答えなくていいから。なんかその、ごめんな」
「無理すんなよ。まだ辛いんだろう。毎晩泣いてたもんな。いつもオレの部屋までメソメソ泣く声が聞こえてきてた。ひどい男に引っかかったな」
「え? ええ、まあ、そうね」
もうそれ以上思い出さなくていいと気を遣うようなことを言われて、今となってはもうそこまで大袈裟に慰めてもらう必要はないけれど、何か言おうにも止められるので反論すること自体を諦めた。そんなことより泣いていることを知られていたことのほうが恥ずかしい。ナーバルが夜仕事に出るまで我慢すればよかった。壁が薄すぎるわ、あの家。
「おい、ナーバル。気合い入れて魔法かけろよ。イズがこれだけ体張るって言ってるんだからな。リスよりアリより心臓が小さい癖に無茶しやがる……」
「ああ。分かってる。もし泣き出しても表情には出ないように何重にも魔法を重ね掛けしてやるからな」
何も分かっちゃいないが、普段はふざけてばかりの二人が今までになく神妙な顔するので黙っておくことにした。
ソファーの上で膝を抱えて、そんなことを言うトリスには呆れてしまう。
「断ればよかったじゃない。どうして受けちゃったのよ」
「断る前におまえの母親が既に返事を出してた」
「あー……」
そうだった。あの人はイジーへ届いたものを全て執事に検閲させて報告させているのだった。忘れていたわ。気の毒に、と優しく肩を叩く。責めるような言い方をしてしまったが、これに関してはトリスに非はない。
ふと視線を感じたのでナーバルの方を見ると、彼は何とも言えない絶妙な顔をしていた。眉間に皺を寄せてはいるが、怒っているという風ではない。
「なに? 何か言いたいことでもある?」
「いや……、」
そこまで言って言葉を止める。言い淀むなんて珍しい。何か小言でも返ってくるかと思ったが、代わりに話題を変えることにしたらしい。「で、いつなんだ? 王子様とやらがヴォルフハート家に来るのは」
「明日だ」
「万事休すね。諦めましょう」
「体調不良とか言って中止にできないか?」
「そんなこと私のお母様が許すはずないでしょう。王族からのお茶のお誘いだなんて、仮に全身から緑の液体を垂れ流してようが引きずり出してくるわ」
「幻覚のイズでも出して誤魔化すか?」
ナーバルの提案にパッとトリスは顔を上げるが、すぐに「それじゃダメだ」とまた顔を伏せてしまう。
どうしてダメなの?と首を傾げるが、ナーバルはすぐに得心いったようだった。
「魔力探知ができるんだろう? その王子様とやらは。だから幻覚だとバレるのは時間の問題だ。しかしすごいな。おまえらと同じ年齢でそこまで魔法を使えるのは珍しい」
「そうだ。マルクスは魔力操作については誰よりも優れてる。あいつ相手に小細工なんか通用しないんだ」
魔力探知というのは、確か現時点で自身の周辺で魔法が使用されているか否かを判定できるものだっただろうか。幻覚魔法は魔力行使時にしか魔力を使用しないはずだ。使用者の魔力をずっと消費するわけではない。どうして探知できるのかが分からない。
得心がいっていないイズにナーバルが簡単に説明をする。
「幻覚魔法の種類が違うんだ。この前、ミンネにかけたのはイズが言うとおり一度魔力を行使すれば良いもの。状況に応じて変化させる必要がないから、単純な魔法で事足りたんだ。つまり、決められた炎の動きを対象の周囲で繰り返せばいいだけ。対して、今回かけるべきなのは常に対象の動きに合わせて幻覚の動きも変える幻覚魔法。魔法をかける対象であるコイツの所作はもう騎士のそれだから、全体的に上書きさせるような高度な魔法を常にかけ続けないといけないんだ。魔力探知ができるやつが相手なら一発で分かってしまう」
うんうんとトリスは頷いているが、本当に理解しているのだろうか。分かったわと返事をするが、話を聞いていて思いついたことがある。
「それなら、私の顔をイジーに見えるような幻覚をかければいいじゃない。あ、でも声は変えられないわね。いいわ。風邪をひいてるとでも言って黙ってましょうか」
良い提案だわとニコニコしていると、トリスもナーバルも驚いたような顔をしていることに気付く。私、何か変なこと言ったかしら。
「……前にも聞いたかもしれないけど、まだアレのこと好きなのか?」
「アレ? マルクス様のことかしら」
頷く二人を前に少し考える。好きかどうかで考えると、好きではないというのが今の正直な気持ちだろう。あんな手酷い振られ方をしたものの、彼に対する未練は残っていない。確かに婚約破棄されて体が入れ替わってすぐの頃は深く落ち込み、寝る前にはひっそりと何度もベッドで泣いた。
だが、どうしてだろう。いつの間にか元婚約者への気持ちは薄らいでいた。あんなに好きだったのにどうしてかしらと、うーんと頭を抱えて悩んでいると、二人とも変に察したらしい。
「いい。答えなくていいから。なんかその、ごめんな」
「無理すんなよ。まだ辛いんだろう。毎晩泣いてたもんな。いつもオレの部屋までメソメソ泣く声が聞こえてきてた。ひどい男に引っかかったな」
「え? ええ、まあ、そうね」
もうそれ以上思い出さなくていいと気を遣うようなことを言われて、今となってはもうそこまで大袈裟に慰めてもらう必要はないけれど、何か言おうにも止められるので反論すること自体を諦めた。そんなことより泣いていることを知られていたことのほうが恥ずかしい。ナーバルが夜仕事に出るまで我慢すればよかった。壁が薄すぎるわ、あの家。
「おい、ナーバル。気合い入れて魔法かけろよ。イズがこれだけ体張るって言ってるんだからな。リスよりアリより心臓が小さい癖に無茶しやがる……」
「ああ。分かってる。もし泣き出しても表情には出ないように何重にも魔法を重ね掛けしてやるからな」
何も分かっちゃいないが、普段はふざけてばかりの二人が今までになく神妙な顔するので黙っておくことにした。
0
お気に入りに追加
48
あなたにおすすめの小説
仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが
ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。
定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない
そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──
王妃さまは断罪劇に異議を唱える
土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。
そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。
彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。
王族の結婚とは。
王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。
王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。
ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。
妹がいなくなった
アズやっこ
恋愛
妹が突然家から居なくなった。
メイドが慌ててバタバタと騒いでいる。
お父様とお母様の泣き声が聞こえる。
「うるさくて寝ていられないわ」
妹は我が家の宝。
お父様とお母様は妹しか見えない。ドレスも宝石も妹にだけ買い与える。
妹を探しに出掛けたけど…。見つかるかしら?
拝啓 お顔もお名前も存じ上げない婚約者様
オケラ
恋愛
15歳のユアは上流貴族のお嬢様。自然とたわむれるのが大好きな女の子で、毎日山で植物を愛でている。しかし、こうして自由に過ごせるのもあと半年だけ。16歳になると正式に結婚することが決まっている。彼女には生まれた時から婚約者がいるが、まだ一度も会ったことがない。名前も知らないのは幼き日の彼女のわがままが原因で……。半年後に結婚を控える中、彼女は山の中でとある殿方と出会い……。
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる
葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。
アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。
アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。
市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
平民の娘だから婚約者を譲れって? 別にいいですけど本当によろしいのですか?
和泉 凪紗
恋愛
「お父様。私、アルフレッド様と結婚したいです。お姉様より私の方がお似合いだと思いませんか?」
腹違いの妹のマリアは私の婚約者と結婚したいそうだ。私は平民の娘だから譲るのが当然らしい。
マリアと義母は私のことを『平民の娘』だといつも見下し、嫌がらせばかり。
婚約者には何の思い入れもないので別にいいですけど、本当によろしいのですか?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる