婚約破棄された公爵令嬢ですが、元婚約者の護衛騎士と入れ替わってしまいました

パピの木

文字の大きさ
上 下
11 / 23

11

しおりを挟む

 ノートヴォルトは返事もせず演奏を始めてしまった。
 背中にチェロの膨らみのある音を受けつつ、努めて冷静に、何事もなかったかのように、静かに扉を開け、外に出るとそっと閉めた。
 数歩だけ冷静を装い続け歩いた後、トイレまで全力疾走した。

 コンサートホールの控室など誰も来ないだろうが、廊下の先にあるトイレの個室に駆け込むと、深呼吸する。

 反則だ。あの顔は反則。どうしよう、だめだ、かっこいい、顔だけはかっこいい。
 落ち着け。6年間気にしたこともなかったじゃない。
 吸って、吐いて、はいゆっくりー
 なんで今になって。
 なんで今更こんなことに!?
 待って、落ち着け、先生のデスクを思い出すんだ。あのだらしなさ。
 ローブだってよれよれだし、いつ洗ってるかわかんないし。
 シャツも不思議なにおいしたし。
 シャツ…先生のシャツを着てしまったんだ。
 ちがうちがうちがう、おちつけーー。

カチャリ。

 個室の鍵を開け、誰もいないとわかっているトイレの様子を隙間から伺う。

 よし、誰もいない。

 無駄に手を洗い、無駄に顔を洗うと、ポケットのハンカチはびしょびしょになってしまった。

「いいのは顔だけ。そう、他はダメ。日常生活が壊滅的すぎる。大丈夫。練習に集中しよう、集中」

 そもそも顔がいいからって急になんなんだ。
 私も頭が緩いな。
 宮廷魔術師にキャーキャー言ってる最前列女子と変わらないじゃない。
 あの女子たち、あの魔術師並に先生が整ってると知ったら……

 廊下を歩いて戻り控室の扉を開けると、教授は演奏の終わり部分を弾いていた。
 邪魔しないようにグラスハープに戻り、びしょびしょのハンカチは鞄の上に広げた。

 練習しよう。

 指先に魔力を巡らし、自分の動揺が流れていないか確認する。
 よし、大丈夫そう。
 乱れた魔力で演奏なんかしたら何言われるか分からない。

 真ん中のグラスの淵に指を置き、すっと撫でると透明な音が鳴った。

 そのまま譜面の初めから弾き始める。
 比較的軽快に始まったのも束の間、メロディは急に不穏になる。
 悲し気な響きが続き、こと切れてしまいそうな高音が続いた後、長い低音が命の灯を消してしまうように余韻を響かせ終わる。

「ラストの高音、全く出来ていない」

「わあぁっいつの間に前に!?」

(目は暗い緑だったんだ)

「…ラストの高音」

「はい、すみません。これ3和音じゃないですか。左手はずっと低音だし、親指がうまく当たらないんです」

「配置を変えるんだ。使う和音ごとに並べておけば出来る」

「そんな簡単に言い切らないで下さいよ」

「出来る。出来ないと思われるからこそやる意味がある」

 そう言うと教授は高音のいくつかのグラスの配置を変えた。
 そしてコールディアの隣に立つと、弾いて見せる。
 グラスが赤く光り、透明な音が重なった。

「これなら指も届く」

「あれ…どうして光り方が違うんですか」

 コールディアがすっとグラスを撫でると、淡く青く光る。
 だが今教授が鳴らした時は赤だった。

「マギアフルイドは保持する魔力量で発色が変わる」

「そうだったんですね。以前見た演奏は私の青に近い色だったんで、皆そういうものかと思ってました」

 それからいつも通りの指導が始まった。
 コールディアもいつしか没頭し、教授の表現を再現しようと夢中になった。

 この無心に譜面にのめり込む時間は好きだった。
 初見で音符を追うだけだった演奏に徐々に色が付き、情景が広がり、物語が膨らむ。
 この楽しいだけではない苦悩する練習の先にある1つの世界を想像すると、興奮にも似たある種のゾーンに入る。その感覚がたまらなかった。

 その世界に到達するために、ノートヴォルトからの厳しい指導が入る。

――違う、丁寧に繋ぐんだ。音を1個ずつブツ切れで並べるんじゃない。

――スタッカートはもっと切って。君のはターアータンタン。欲しいのはターアータッタ。コモンには無理でも魔奏なら出来る。違いを魅せるところだ。

――まだ弱い、もっと強くていい。流す魔力を少しだけ上げて…やりすぎだ、魔律が変わってしまう。

 指摘される度に魔力量、指の動き、グラスへの当て方…それらを調節し応えようとする。
 時間はあっという間に1時間を過ぎ、小休憩を挟んで1度合わせることにした。

 椅子に座って、指を閉じたり開いたりして動かす。
 魔力をずっと纏わせていると熱を持ったような感覚になるので、手をひらひら振って冷ますようにするのが休憩時の癖だった。

 パタパタしながら、チェロを鳴らす教授を眺めそうになり、やっぱり目を逸らした。

「先生、なんで髪を結ったんですか」

「髪? 弦に挟まる」

「…なるほど」

 結局チェロを準備する教授をちらちら眺めつつ、短い休憩を終えるとまたグラスハープの前に立つ。

(いつも猫背なのに、チェロの時は姿勢いいんだ)

 猫背は伸ばしても猫背だろうと思っていたが、思いのほか伸ばした背筋はまっすぐで、チェロを構えた様子は優美と言えた。
 そしてそのまま視線は自然と弦を押さえる左手にいってしまう。

 ピアノの時にもつい見てしまうこの手元が、実は彼女は昔から好きだった。
 男性の手なのにすらっと伸びていて指先が美しい。
 それこそ魔法のように動くあの指先で生み出される音が好きで、その音を生む手も好きなのだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された貧乏令嬢ですが、意外と有能なの知っていますか?~有能なので王子に求婚されちゃうかも!?~

榎夜
恋愛
「貧乏令嬢となんて誰が結婚するんだよ!」 そう言っていましたが、隣に他の令嬢を連れている時点でおかしいですわよね? まぁ、私は貴方が居なくなったところで困りませんが.......貴方はどうなんでしょうね?

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでのこと。 ……やっぱり、ダメだったんだ。 周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間でもあった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、第一王子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表する。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放。そして、国外へと運ばれている途中に魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※毎週土曜日の18時+気ままに投稿中 ※プロットなしで書いているので辻褄合わせの為に後から修正することがあります。

婚約破棄された悪役令嬢。そして国は滅んだ❗私のせい?知らんがな

朋 美緒(とも みお)
ファンタジー
婚約破棄されて国外追放の公爵令嬢、しかし地獄に落ちたのは彼女ではなかった。 !逆転チートな婚約破棄劇場! !王宮、そして誰も居なくなった! !国が滅んだ?私のせい?しらんがな! 18話で完結

「役立たず」と言われ続けた辺境令嬢は、自由を求めて隣国に旅立ちます

ネコ
恋愛
政略結婚の婚約相手である公爵令息と義母から日々「お前は何も取り柄がない」と罵倒され、家事も交渉事も全部押し付けられてきた。 文句を言おうものなら婚約破棄をちらつかされ、「政略結婚が台無しになるぞ」と脅される始末。 そのうえ、婚約相手は堂々と女を取っ替え引っ替えして好き放題に遊んでいる。 ある日、我慢の限界を超えた私は婚約破棄を宣言。 公爵家の屋敷を飛び出した途端、彼らは手のひらを返して「戻ってこい」と騒ぎ出す。 どうやら私の家は公爵家にとって大事で、公爵様がお怒りになっているらしい。 だからといって戻る気はありません。 あらゆる手段で私を戻そうと必死になる公爵令息。 そんな彼の嫌がらせをものともせず、私は幸せに過ごさせていただきます。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

完膚なきまでのざまぁ! を貴方に……わざとじゃございませんことよ?

せりもも
恋愛
学園の卒業パーティーで、モランシー公爵令嬢コルデリアは、大国ロタリンギアの第一王子ジュリアンに、婚約を破棄されてしまう。父の領邦に戻った彼女は、修道院へ入ることになるが……。先祖伝来の魔法を授けられるが、今一歩のところで残念な悪役令嬢コルデリアと、真実の愛を追い求める王子ジュリアンの、行き違いラブ。短編です。 ※表紙は、イラストACのムトウデザイン様(イラスト)、十野七様(背景)より頂きました

転生者はチートな悪役令嬢になりました〜私を死なせた貴方を許しません〜

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームの世界でした。何ですか?このライトノベル的な展開は。  しかも、転生先の悪役令嬢は公爵家の婚約者に冤罪をかけられて、処刑されてるじゃないですか。  冗談は顔だけにして下さい。元々、好きでもなかった婚約者に、何で殺されなきゃならないんですか!  わかりました。私が転生したのは、この悪役令嬢を「救う」ためなんですね?  それなら、ついでに公爵家との婚約も回避しましょう。おまけで貴方にも仕返しさせていただきますね?

ヒロインに悪役令嬢呼ばわりされた聖女は、婚約破棄を喜ぶ ~婚約破棄後の人生、貴方に出会えて幸せです!~

飛鳥井 真理
恋愛
それは、第一王子ロバートとの正式な婚約式の前夜に行われた舞踏会でのこと。公爵令嬢アンドレアは、その華やかな祝いの場で王子から一方的に婚約を解消すると告げられてしまう……。しかし婚約破棄後の彼女には、思っても見なかった幸運が次々と訪れることになるのだった……。 『婚約破棄後の人生……貴方に出会て幸せです!』  ※溺愛要素は後半の、第62話目辺りからになります。 ※ストックが無くなりましたので、不定期更新になります。 ※連載中も随時、加筆・修正をしていきます。よろしくお願い致します。 ※ 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。

処理中です...