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とある日。いつものように起きてリビングに行くと、朝ごはんを用意して並べているはずのナーバルの姿がなかった。キッチンを覗いてみるが、そこにもいない。
不審に思って彼の寝室にも行ってみる。ドアを叩いても応答がなく、仕方なく中に入ってみるとベッドの上にもどこにもいない。
首を傾げつつ再びキッチンに戻って残っている食材を確認した。卵とベーコンとパン。あと林檎。
ナーバルのことだから、そのうち帰ってくるだろう。それまでにやるべきことをやっておかなくては。
慣れない手つきでフライパンを取り出し、卵もベーコンも焼いてそれをパンの上に乗せる。完成だ。
我ながらよくやったと頷いてダイニングテーブルまで持っていく。メシも一人で作れないやつはダメだというのはナーバルの言葉だ。お料理なんかしたことないと言えば、あーだこーだと文句を言いながらも道具の使い方から分かりやすく教えてくれた。
たまには彼の分も作っておこうかなと思い再び立ち上がった矢先、玄関先で物音がする。
帰ってきたのかしらと出迎えに向かった。
「おかえり、ナーバル」
「ああ」
少し疲れた様子だった。今日も夜通し出かけていたようだった。イズには夜の外出は隠しているようだったのに、もうその努力はやめたのだろうか。
汚れてしまっている外套を受け取って、ひとまず洗い場に持っていく。戻ってくると転々と服が落ちているので拾い上げてまた洗濯物の山に投げた。
服の持ち主はリビングのソファーで寝転がって目を閉じている。全裸だったので慌てて大きめのタオルを上からかけた。
まったく、信じられないわ。どうしてこんなにズボラなのかしらとプンプンと怒りながら、洗濯済みの彼の洋服を適当に投げつける。
「どこに行ってたの?」
そう聞いても答えはない。しかし聞いてはいるようで、しばらくして少しだけ目を開けた。それ以上の反応がないので、仕方なく朝食を持ってテーブルに置く。二つあるうちの一つのソファーを占領されているので、反対側に腰かける。どこから持ってきたのかも分からないような薄汚れたそれにそのまま座るのは気が引けたので、以前比較的まともそうな布を用立ててきて上から被せていた。
ボルドーなのか、血の色なのか、所々シミがついたようなソファーをよくも今まで平然と使ってきたものだ。ナーバルとはそのあたりの衛生観念が合わないので諦めている。彼の言い分では、多少汚れていても最低限使えればいいだろうということらしい。
「おまえ、昨晩どこに行ってた?」
朝食が冷めてしまって勿体ないと思いつつも何杯目かの紅茶を入れてきて飲んでいると、ナーバルは口を開いた。思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
「ちょっと、外の空気が吸いたくて」
「嘘は言うな。早く本当のことを言え」
怒られるだろうとは思っていたが、想像以上に彼は怒り心頭のようだった。ナーバルこわい、と言えば、「怖いだァ?」とチンピラのような絡み方をされる。こういうところはトリスによく似ている。
「出かけるときは一言必ずオレに声をかけろって言ってたよな。オレだってそんなガキに言い聞かせるようなこと言いたくない。でもおまえときたら記憶はないし危機感もないし土地勘もない。そんな状態であんな治安の悪いところに出かけて死にたいのか? バカがアホ面下げて街まで行った背中を見かけたオレの気持ち考えてことあるかよ。こっちの心臓を止める気か、バカ」
「ご、ごめんなさい……」
「埃より軽い謝罪なんか聞きたくもない。どこに、何しに行って、どんなトラブルを持って帰ってきたんだって聞いてんだよ」
トラブルを抱えて帰ってくること前提で話が進んでいるらしい。確かにトラブルといえばトラブルだ。
「えっと、自分の家に行ってたの。私自身の家に」
「は? 何で?」
驚いた顔をしていたが、一旦飲み込むことにしたらしい。続けろと言われる。
「私が今この体に入っているということは、きっと向こうにはトリスタンがいると思ったから様子を見に行ったの」
「まあ、その可能性はあるな。オレの方はまず記憶喪失と仮定して調べてたけど。で、どうだったわけ?」
「トリスタンだった。入れ替わってたの」
ふーんと彼は起き上がり、考え込むように眉間の皺に触れる。
「それで夜な夜なヤツに会うために抜け出してたってのか。危ないだろう、おまえもアイツも何考えてるんだ。揃いも揃ってバカかよ。何でオレに相談しなかったんだよ。赤ん坊みたいなおまえら二人が知恵絞ってどうにかなるとでも思ったのか? このカラッカラの頭にチューリップの種でも詰めてんのかよ」
今日は一段と言葉のひとつひとつが鋭い。同い年のはずなのにナーバルからしてみればイズもトリスも赤ん坊並の知能ということらしい。それは言い過ぎだ。しかし反論すると彼のお説教が長引くことは既に身をもって知っている。
「ごめんなさい」
「次からちゃんと相談してくれ。あの後の仕事にも身が入らなくて、こんな時間がかかっちまった」
驚くべきことに仕事に行っていたらしい。夜遊びではなかった。誰だ、夜の外出はそういうお店に行くに決まっているという偏見を植えつけたのは。連れてってくれてもいいのにと言えば、おまえは知らなくていいのと言う。もしかして夜も働いているということは本当に子守の稼ぎでは生活していけないのかも。この家の財政はそんなに悪いのか。うーん、と悩み始めたイズの額をナーバルは小突く。
「余計なことを考えなくていい。変に行動力があるやつが変に気を遣うとろくなことにならないからな」
変と二回も言われた。ふくれっ面してるとブサイクと揶揄われる。これはもうお説教終わりの合図だ。
でもどうにか生活を楽にする方法を考えなくてはとイズは今心に決めた。ただでさえ育ち盛りの二人に加えて、トリスへの賄賂(食料支援)もしなくてはいけないし、彼だけに負担を背負わせるわけにはいかない。一体いつ寝ているのか分からないくらい、彼はずっと働き詰めだ。
次はオレもついていくからなとナーバルが念押ししてくる。素直に頷けば話は終わったとばかりに起き上がって朝食に手をつけ始めた。ちょうど、彼にも本当のことを言うべき頃だと思っていたのだ。一緒に生活しているのだから、いずれ隠し事は明らかになってしまうだろうとは思っていた。
「うわ、なんだこれ。焦げてるぞ、ヘタクソ」
静かになったと思ったら早速ぐちぐち文句を言い出した。黙るとか気を遣うとかができないのかしら。
「今日はうまくいったほうよ」
「本当に不器用なんだなぁ」
しみじみと言われて顔が真っ赤になる。せっかく作ったのに、失礼な人ね!と怒りながら彼のために新しく紅茶を煎れると、そっちは及第点だったらしい。私が作ったんだから、ごはんも紅茶も一級品よと言いたくなる。しかしナーバルに隠し事をしていた罪悪感が沸いてきて仕方なく反論するのはやめておいた。
「おまえ、お嬢様だったんだな。しかも公爵家。舌は肥えてるはずなのに何でこうもメシを不味く作れるかね」
「行けば分かるわよ」
きっと公爵家令嬢とは思えない生活に彼も度肝を抜かれるであろう。
「そのときになって謝っても遅いんだから」
「一体何に対して謝るんだよ」
怪訝な顔をしながらも散々文句を言っていた朝食を完食していた。ナーバルの食材を無駄にしないという強い意志を感じる。複雑な気持ちだが、脳内で本当はおいしかったけれど素直にそうと言えなかったという変換をしておいた。男の子は生意気なくらいがかわいいと昔仲が良かった侍女も言っていた。遠目で見れば、かわいいと思えないこともない。
ここは年長者としての余裕を見せつけてあげましょうとお皿を下げる。お子様の相手をするのも楽じゃないわねと思っていると、口からそのまま思ったことが出ていたようで背後からは特大の舌打ちが返ってきた。
不審に思って彼の寝室にも行ってみる。ドアを叩いても応答がなく、仕方なく中に入ってみるとベッドの上にもどこにもいない。
首を傾げつつ再びキッチンに戻って残っている食材を確認した。卵とベーコンとパン。あと林檎。
ナーバルのことだから、そのうち帰ってくるだろう。それまでにやるべきことをやっておかなくては。
慣れない手つきでフライパンを取り出し、卵もベーコンも焼いてそれをパンの上に乗せる。完成だ。
我ながらよくやったと頷いてダイニングテーブルまで持っていく。メシも一人で作れないやつはダメだというのはナーバルの言葉だ。お料理なんかしたことないと言えば、あーだこーだと文句を言いながらも道具の使い方から分かりやすく教えてくれた。
たまには彼の分も作っておこうかなと思い再び立ち上がった矢先、玄関先で物音がする。
帰ってきたのかしらと出迎えに向かった。
「おかえり、ナーバル」
「ああ」
少し疲れた様子だった。今日も夜通し出かけていたようだった。イズには夜の外出は隠しているようだったのに、もうその努力はやめたのだろうか。
汚れてしまっている外套を受け取って、ひとまず洗い場に持っていく。戻ってくると転々と服が落ちているので拾い上げてまた洗濯物の山に投げた。
服の持ち主はリビングのソファーで寝転がって目を閉じている。全裸だったので慌てて大きめのタオルを上からかけた。
まったく、信じられないわ。どうしてこんなにズボラなのかしらとプンプンと怒りながら、洗濯済みの彼の洋服を適当に投げつける。
「どこに行ってたの?」
そう聞いても答えはない。しかし聞いてはいるようで、しばらくして少しだけ目を開けた。それ以上の反応がないので、仕方なく朝食を持ってテーブルに置く。二つあるうちの一つのソファーを占領されているので、反対側に腰かける。どこから持ってきたのかも分からないような薄汚れたそれにそのまま座るのは気が引けたので、以前比較的まともそうな布を用立ててきて上から被せていた。
ボルドーなのか、血の色なのか、所々シミがついたようなソファーをよくも今まで平然と使ってきたものだ。ナーバルとはそのあたりの衛生観念が合わないので諦めている。彼の言い分では、多少汚れていても最低限使えればいいだろうということらしい。
「おまえ、昨晩どこに行ってた?」
朝食が冷めてしまって勿体ないと思いつつも何杯目かの紅茶を入れてきて飲んでいると、ナーバルは口を開いた。思わずごくりと喉を鳴らしてしまう。
「ちょっと、外の空気が吸いたくて」
「嘘は言うな。早く本当のことを言え」
怒られるだろうとは思っていたが、想像以上に彼は怒り心頭のようだった。ナーバルこわい、と言えば、「怖いだァ?」とチンピラのような絡み方をされる。こういうところはトリスによく似ている。
「出かけるときは一言必ずオレに声をかけろって言ってたよな。オレだってそんなガキに言い聞かせるようなこと言いたくない。でもおまえときたら記憶はないし危機感もないし土地勘もない。そんな状態であんな治安の悪いところに出かけて死にたいのか? バカがアホ面下げて街まで行った背中を見かけたオレの気持ち考えてことあるかよ。こっちの心臓を止める気か、バカ」
「ご、ごめんなさい……」
「埃より軽い謝罪なんか聞きたくもない。どこに、何しに行って、どんなトラブルを持って帰ってきたんだって聞いてんだよ」
トラブルを抱えて帰ってくること前提で話が進んでいるらしい。確かにトラブルといえばトラブルだ。
「えっと、自分の家に行ってたの。私自身の家に」
「は? 何で?」
驚いた顔をしていたが、一旦飲み込むことにしたらしい。続けろと言われる。
「私が今この体に入っているということは、きっと向こうにはトリスタンがいると思ったから様子を見に行ったの」
「まあ、その可能性はあるな。オレの方はまず記憶喪失と仮定して調べてたけど。で、どうだったわけ?」
「トリスタンだった。入れ替わってたの」
ふーんと彼は起き上がり、考え込むように眉間の皺に触れる。
「それで夜な夜なヤツに会うために抜け出してたってのか。危ないだろう、おまえもアイツも何考えてるんだ。揃いも揃ってバカかよ。何でオレに相談しなかったんだよ。赤ん坊みたいなおまえら二人が知恵絞ってどうにかなるとでも思ったのか? このカラッカラの頭にチューリップの種でも詰めてんのかよ」
今日は一段と言葉のひとつひとつが鋭い。同い年のはずなのにナーバルからしてみればイズもトリスも赤ん坊並の知能ということらしい。それは言い過ぎだ。しかし反論すると彼のお説教が長引くことは既に身をもって知っている。
「ごめんなさい」
「次からちゃんと相談してくれ。あの後の仕事にも身が入らなくて、こんな時間がかかっちまった」
驚くべきことに仕事に行っていたらしい。夜遊びではなかった。誰だ、夜の外出はそういうお店に行くに決まっているという偏見を植えつけたのは。連れてってくれてもいいのにと言えば、おまえは知らなくていいのと言う。もしかして夜も働いているということは本当に子守の稼ぎでは生活していけないのかも。この家の財政はそんなに悪いのか。うーん、と悩み始めたイズの額をナーバルは小突く。
「余計なことを考えなくていい。変に行動力があるやつが変に気を遣うとろくなことにならないからな」
変と二回も言われた。ふくれっ面してるとブサイクと揶揄われる。これはもうお説教終わりの合図だ。
でもどうにか生活を楽にする方法を考えなくてはとイズは今心に決めた。ただでさえ育ち盛りの二人に加えて、トリスへの賄賂(食料支援)もしなくてはいけないし、彼だけに負担を背負わせるわけにはいかない。一体いつ寝ているのか分からないくらい、彼はずっと働き詰めだ。
次はオレもついていくからなとナーバルが念押ししてくる。素直に頷けば話は終わったとばかりに起き上がって朝食に手をつけ始めた。ちょうど、彼にも本当のことを言うべき頃だと思っていたのだ。一緒に生活しているのだから、いずれ隠し事は明らかになってしまうだろうとは思っていた。
「うわ、なんだこれ。焦げてるぞ、ヘタクソ」
静かになったと思ったら早速ぐちぐち文句を言い出した。黙るとか気を遣うとかができないのかしら。
「今日はうまくいったほうよ」
「本当に不器用なんだなぁ」
しみじみと言われて顔が真っ赤になる。せっかく作ったのに、失礼な人ね!と怒りながら彼のために新しく紅茶を煎れると、そっちは及第点だったらしい。私が作ったんだから、ごはんも紅茶も一級品よと言いたくなる。しかしナーバルに隠し事をしていた罪悪感が沸いてきて仕方なく反論するのはやめておいた。
「おまえ、お嬢様だったんだな。しかも公爵家。舌は肥えてるはずなのに何でこうもメシを不味く作れるかね」
「行けば分かるわよ」
きっと公爵家令嬢とは思えない生活に彼も度肝を抜かれるであろう。
「そのときになって謝っても遅いんだから」
「一体何に対して謝るんだよ」
怪訝な顔をしながらも散々文句を言っていた朝食を完食していた。ナーバルの食材を無駄にしないという強い意志を感じる。複雑な気持ちだが、脳内で本当はおいしかったけれど素直にそうと言えなかったという変換をしておいた。男の子は生意気なくらいがかわいいと昔仲が良かった侍女も言っていた。遠目で見れば、かわいいと思えないこともない。
ここは年長者としての余裕を見せつけてあげましょうとお皿を下げる。お子様の相手をするのも楽じゃないわねと思っていると、口からそのまま思ったことが出ていたようで背後からは特大の舌打ちが返ってきた。
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