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12月31日23:59の不運
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「いってきまーす」
12月31日の夜。終わりの始まりを告げる鐘が鳴り響くと同時に、黒髪の少年は玄関へと走った。
緑色のマウンテンパーカーを羽織り、首にお気に入りのヘッドホンをかけ、ズボンのポケットにスマートフォンを入れる。
出かける準備は万端だ。
玄関前の鏡で身なりを整える様は、まるで冒険に出立する勇者を彷彿《ほうふつ》とさせる。
せかせかと靴を履く少年の背後で、妙齢の女性が「ふぅ」とため息を吐いた。
「亜蓮、こんな時間にどこに行くの? 『大晦日は家族と過ごすからスケジュール空けておいてね』って言わなかった?」
亜蓮は母の苦言に対し、鬱陶しそうに言葉を返す。
「……母さんこそ、人の話聞いてなかった? 『今日はどうしても外せない用事があるから、年越しは家族と一緒に過ごせない』って前に言っただろ?」
一切母親の方へと振り向かず、亜蓮は靴ひもを結ぶ手を休ませない。
彼の背後で仁王立ちする母親の眉根は、不快そうにピクリと動いた。
反抗期真っただ中の少年の言葉は、どうにも厭味ったらしい。歳のせいで忘れたのか。そんなニュアンスが含まれているのは、彼の言葉だけでなく態度からも見て取れる。
「何よその言い草……それがお腹痛めて産んだ母親への態度? そもそもね、子供がこんな夜遅くに出歩くのは危ないでしょ。あんたに何かあったら――」
「ったく。うるさいな。いい加減子ども扱いすんなって」
亜蓮はスッと立ち上がり、母親の小言を遮った。亜蓮とて、何も母親を毛嫌いしているわけではない。ただ、息子が大学進学を控えた年齢になったにもかかわらず、まるで乳幼児に接するかのような過干渉が煩わしいだけだ。
亜蓮の母は、辟易する息子の表情を見て内心反省するも、「でも……」と引こうとはしない。
「だから大丈夫だって。ちょっと友達と会ってくるだけだから。じゃあ行ってくるよ」
トントン、と爪先を鳴らし、亜蓮は家を飛び出した。強引に夜の街は繰り出した息子に、亜蓮の母親は「行ってらっしゃい。気をつけてね」と見送る。駆け出す息子を見つめる瞳は、どこか誇らしく、そして寂しげに揺らいだ。
♢
「――なーんて言って飛び出したけど、どうすっかなぁ……」
細雪が降る中、亜蓮は公園のベンチに座って独りごちる。鼻頭は赤く染まり、底冷えしながらマウンテンパーカーのジッパーを隙間なく締めた。
友達と会う。そう言って夜の帳が降りた街へと繰り出したものの、彼は1人だ。
いや、正確には約束はしていた。
だが出かけた直後、スマホに『ごめん、やっぱ無理』と連絡が入り、ドタキャンされてしまったのだ。
「はぁ……まただ。なんでいっつもこうなるかな。振り回されるこっちの身にもなれっての」
忌々しげに、黒髪の少年はスマホのトーク画面を眺める。履歴には、親に捕まっただの、この埋め合わせはまたいつかだの、言い訳がましい文が載っていた。
しかし、『この埋め合わせはまたいつか』の『いつか』が来た試しがないのを、亜蓮は知っている。彼の友人はいつもそうだ。直前になって約束を放棄し、調子の良いことを言ってのらりくらりと躱す。
だが、そんな友人を許してしまう自分も自分だと、亜蓮は己の甘さに呆れる。
友人を作って、周りから異物扱いされるのを回避する--それが、学校という狭いコミュニティで生き残っていく術だ。
友人は、亜蓮にとって数少ないゲーム仲間。陽キャが蔓延るクラスの中でも貴重な人材なので、たとえ約束事にルーズであっても、多少目を瞑らざるを得ない。もし他にも同族がいたのなら、友人に対して心を鬼にするところだが。
「まぁ年末なんだし、しゃーねーよな。どうせこうなるだろって分かりきってたんだし」
亜蓮は自分に言い聞かせるように呟くと、『気にすんな。良いお年を』と友人にメッセージを送る。
そしてヘッドホンの電源を入れて耳にかけると、最近流行りのアニソンを流す。耳元を覆う女性の力強い歌声とロックミュージックが、年の瀬で浮かれる世の中から隔絶された自分の孤独を包み込んでくれる。
――さて、これからどうするかな。
勇んで外に出た手前、ドタキャンされたと言って家に帰るのもカッコ悪い。かと言って、誰か知り合いの家に上がり込むのもできない。何故なら、亜蓮にとって友人と呼べる相手など、限りなく0に近いのだ。
亜蓮はベンチから立ち上がると、寒そうにマウンテンパーカーの襟で口元を隠し、俯きながらトボトボと歩き始めた。ヘッドホンをして口を見せず、全てから目を逸らすような様は、まるで人々から姿を隠す忍者そのものだ。
当てもなく彷徨おうと公園の外を出た途端、ヘッドホン越しでも響く大きなクラクションが亜蓮の耳を劈き、ヘッドライトに目を細めた。
誰もこんな時間に外を出歩くはずがない。そんな小さな油断を抱えた大型トラックが、曲がり角を曲がった瞬間に亜蓮と邂逅してしまったのだ。
「まずいっ!!」
亜蓮は慌てて身構えた。だが、こんなナウマンゾウのようなトラックが勢いよく突っ込んできたのだから、無事では済まない。
死を悟った瞬間、トラックの光源とはまた違う、眩い不思議な光が亜蓮を包んだ。
公園の時計塔は、23時59分を指している。
大晦日から新年に切り替わる直前、うだつの上がらない1人の少年の運命は変わってしまったのだった。
12月31日の夜。終わりの始まりを告げる鐘が鳴り響くと同時に、黒髪の少年は玄関へと走った。
緑色のマウンテンパーカーを羽織り、首にお気に入りのヘッドホンをかけ、ズボンのポケットにスマートフォンを入れる。
出かける準備は万端だ。
玄関前の鏡で身なりを整える様は、まるで冒険に出立する勇者を彷彿《ほうふつ》とさせる。
せかせかと靴を履く少年の背後で、妙齢の女性が「ふぅ」とため息を吐いた。
「亜蓮、こんな時間にどこに行くの? 『大晦日は家族と過ごすからスケジュール空けておいてね』って言わなかった?」
亜蓮は母の苦言に対し、鬱陶しそうに言葉を返す。
「……母さんこそ、人の話聞いてなかった? 『今日はどうしても外せない用事があるから、年越しは家族と一緒に過ごせない』って前に言っただろ?」
一切母親の方へと振り向かず、亜蓮は靴ひもを結ぶ手を休ませない。
彼の背後で仁王立ちする母親の眉根は、不快そうにピクリと動いた。
反抗期真っただ中の少年の言葉は、どうにも厭味ったらしい。歳のせいで忘れたのか。そんなニュアンスが含まれているのは、彼の言葉だけでなく態度からも見て取れる。
「何よその言い草……それがお腹痛めて産んだ母親への態度? そもそもね、子供がこんな夜遅くに出歩くのは危ないでしょ。あんたに何かあったら――」
「ったく。うるさいな。いい加減子ども扱いすんなって」
亜蓮はスッと立ち上がり、母親の小言を遮った。亜蓮とて、何も母親を毛嫌いしているわけではない。ただ、息子が大学進学を控えた年齢になったにもかかわらず、まるで乳幼児に接するかのような過干渉が煩わしいだけだ。
亜蓮の母は、辟易する息子の表情を見て内心反省するも、「でも……」と引こうとはしない。
「だから大丈夫だって。ちょっと友達と会ってくるだけだから。じゃあ行ってくるよ」
トントン、と爪先を鳴らし、亜蓮は家を飛び出した。強引に夜の街は繰り出した息子に、亜蓮の母親は「行ってらっしゃい。気をつけてね」と見送る。駆け出す息子を見つめる瞳は、どこか誇らしく、そして寂しげに揺らいだ。
♢
「――なーんて言って飛び出したけど、どうすっかなぁ……」
細雪が降る中、亜蓮は公園のベンチに座って独りごちる。鼻頭は赤く染まり、底冷えしながらマウンテンパーカーのジッパーを隙間なく締めた。
友達と会う。そう言って夜の帳が降りた街へと繰り出したものの、彼は1人だ。
いや、正確には約束はしていた。
だが出かけた直後、スマホに『ごめん、やっぱ無理』と連絡が入り、ドタキャンされてしまったのだ。
「はぁ……まただ。なんでいっつもこうなるかな。振り回されるこっちの身にもなれっての」
忌々しげに、黒髪の少年はスマホのトーク画面を眺める。履歴には、親に捕まっただの、この埋め合わせはまたいつかだの、言い訳がましい文が載っていた。
しかし、『この埋め合わせはまたいつか』の『いつか』が来た試しがないのを、亜蓮は知っている。彼の友人はいつもそうだ。直前になって約束を放棄し、調子の良いことを言ってのらりくらりと躱す。
だが、そんな友人を許してしまう自分も自分だと、亜蓮は己の甘さに呆れる。
友人を作って、周りから異物扱いされるのを回避する--それが、学校という狭いコミュニティで生き残っていく術だ。
友人は、亜蓮にとって数少ないゲーム仲間。陽キャが蔓延るクラスの中でも貴重な人材なので、たとえ約束事にルーズであっても、多少目を瞑らざるを得ない。もし他にも同族がいたのなら、友人に対して心を鬼にするところだが。
「まぁ年末なんだし、しゃーねーよな。どうせこうなるだろって分かりきってたんだし」
亜蓮は自分に言い聞かせるように呟くと、『気にすんな。良いお年を』と友人にメッセージを送る。
そしてヘッドホンの電源を入れて耳にかけると、最近流行りのアニソンを流す。耳元を覆う女性の力強い歌声とロックミュージックが、年の瀬で浮かれる世の中から隔絶された自分の孤独を包み込んでくれる。
――さて、これからどうするかな。
勇んで外に出た手前、ドタキャンされたと言って家に帰るのもカッコ悪い。かと言って、誰か知り合いの家に上がり込むのもできない。何故なら、亜蓮にとって友人と呼べる相手など、限りなく0に近いのだ。
亜蓮はベンチから立ち上がると、寒そうにマウンテンパーカーの襟で口元を隠し、俯きながらトボトボと歩き始めた。ヘッドホンをして口を見せず、全てから目を逸らすような様は、まるで人々から姿を隠す忍者そのものだ。
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誰もこんな時間に外を出歩くはずがない。そんな小さな油断を抱えた大型トラックが、曲がり角を曲がった瞬間に亜蓮と邂逅してしまったのだ。
「まずいっ!!」
亜蓮は慌てて身構えた。だが、こんなナウマンゾウのようなトラックが勢いよく突っ込んできたのだから、無事では済まない。
死を悟った瞬間、トラックの光源とはまた違う、眩い不思議な光が亜蓮を包んだ。
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