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八幕 せんにんざくら
三.
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***
一月某日――謀反の起こる約ひと月前。
「陛下、折り入ってお伺いしたい旨がございます」
棕滋は私的に上帝陛下への謁見を願い、その願いはそう時間のかからないうちに叶うこととなった。
「其方にはいつも我が媛が世話になっている。幸いにしてここには誰もおらぬ。楽にせよ」
琅果の父――皇木照咲・夜白は棕滋のただならぬ眼差しを受け、人払いをする。誰もおらぬ――そう告げた瞬間、周囲の者たちは何も言わずにそそくさとその場を後にした。
恐らく彼は、自分が何の話をしに来たのかを理解しているのだろう――棕滋はそう直感した。
「堅苦しいのは朕も嫌いだ。五家当主と同等の振る舞いを許す」
「はっ、有難く」
棕滋は拱手をし、最敬礼をした後で、上帝の前へと歩み寄った。
「さて、其方――ここ最近面白い研究をしておったな」
そう切り出したのは上帝だ。
「はい。せんにんざくらについて、調べておりました」
「ふっ、せんねんざくらではなく、か?」
「お戯れを」
貴方様ならばご存じなのでしょうと、皆まで言わずとも彼は理解している。
「千年桜の巫女については、どこまで知った?」
「……全て」
「左様か」
上帝――夜白は、それだけ言うと目の前に置かれた急須から、自らの湯呑み茶碗へと茶を注いだ。芳馥たる香が室内に広がる。冷ますための数秒を経て、夜白はそれをくいと喉に流し込む。
「全てか」
「はい」
千年桜の巫女――それは、そのまま千年桜の声を届ける役割を果たす者のことだ。だが、そもそも精霊族は皆一様に植物の声を聞くという能力を備えている。その上でなぜ改めて「巫女」などと言われる存在が必要になったのか。それは千年桜のその特異性にこそある。
千年桜は限られた者に対してしか話しかけない。声を聴くこと自体は誰にでもできるが、彼女が選んだ者に対してのみ、その胸襟を開いた。
巫女は千年桜の声を聴き、その言を上帝に進言する。とはいえ、上帝が千年桜の意思を必ずしも汲む必要はない。その証拠として、巫女は一世代に一人いるとは限らず、巫女が不在の時代も何度もある。しかしそれでも上帝は千年桜の言葉を聞かざるを得ない。なぜならば、彼女の言葉を無碍に扱えば、必ず災厄が降りかかるからだ。そのため、実質的に上帝に決定権はなく、千年桜が「そうしろ」と言ったならばそれに従うことが通例となっていた。故に、現在の精霊界の統治には千年桜の意思が強く反映されている。
巫女に選ばれるのは常に少女ではあったが、しかしそこに何か法則性があるわけではなかった。たまたま、本当に偶然に彼女と同調した者がいた際に、千年桜は少女に話しかけるのだ。千年桜の声は、少なくともこの桃李京の中にあっては全ての者に届く。そして彼女は、その者と自分だけの持つ特別な周波数に声を乗せ、「あなたが巫女だ」と天啓を下すのだった。
だから、公主という地位にありながら、巫女という役割を与えられることになったのも、本当に、ただの偶然だったのだ。
琅果は、生まれ落ちたその瞬間に彼女の声を聴いた。産声を上げてから、母の乳房に吸い付くより前、父母に名を呼ばれるその前に、千年桜に選ばれたのだ。琅果にとって千年桜は母であり、姉であり、友であり、また自分自身だった。それだけ二人は多くを語り合った。
琅果という字ですら、これは千年桜に与えられたものだ。瑕瑾なき美しき果実を抱きし娘――そのような意味があるのだと彼女から――琅果を通して――聞いた。
琅果が千年桜に信愛の情を抱くのは当然であり、政務に多忙にして碌に相手をしてくれない実父、実母よりも千年桜を家族と思うのは仕方のないことであった。しかし――
「千年桜――正式には千人桜」
棕滋は差し出された手元の茶碗を見る。自身の顔に波紋が広がるのが見えた。
「その意味するところは、千人の巫女の命を求める桜。そうですね?」
夜白は何も言わない。しかし、それが答えだ。
――その裏切りを、彼女は知っているのだろうか。
「朕が帝などでなければ、あの娘を好きな世界へ逃がしてやれるものを――……」
退室する直前、夜白が独り言ちたその言葉を、棕滋は確かに聞いてしまった。
とはいえ、巫女が贄として求められるのは、その多くが子を産んだ直後である――と文献には記されている。そのほとんど全てが、産褥による予後不良という形で片付けられてきたのだ。千年桜――否、千人桜の凶悪性、そして巫女の悲運が市民の間で全く語られて来なかったのはここに理由がある。
何より、千人桜は陰気を吸い取り陽気という形で排出する。それは精霊族にとっては掛け替えのない恩恵であり、その能力があればこそ、彼女は長きに亘ってこの世界から愛され続けているのだ。その桜を維持するために、一つの時代に一つの生贄など安いものだと、そう割り切るべきなのかもしれない。だが、それでも――と、棕滋は頭を振った。
いや、ここは寧ろ良い方に考えるべきだ。幸いにして琅果は未だ元服も済まない子供である。爛瀬という婚約者はあれど、彼と実際に婚姻をして、子を成すにはまだ最低でも十数年の猶予があるだろう。その間に別の方法を考えれば良いのだ。千人桜が贄を求めずとも満足できるような、別の方法を。
そう思い至った矢先である。上帝から内々に呼び出されたのは。それは、先の謁見から僅か五日後のことだった。
夜白と二人きりの室内。棕滋はただ静かに彼の言葉を待つ。
「千年桜より、天啓が下った」
「はっ」
「贄を差し出せ、と」
「は……?」
曰く、琅果を通すことなく、直接夜白に伝えてきたとのことだ。千年桜は知っているのだ。我々が、琅果をここから逃がそうとしていることを。
「いや、しかし、それはあまりに突然では……」
「あぁ」
「それに、そもそも千人桜の戯言を必ずしも聴き入れる必要はないと……!」
棕滋は必死にそう主張する。しかし、夜白は静かに首を横に振るだけだった。僅かの沈黙の後、夜白は悲痛な面持ちで言葉を口にする。
「曰く、次の満開までに此れが叶わぬ場合、数千年の時の中で吸い上げた呪いを、全て吐き出す――と」
棕滋は絶句する。つまり、これまでの上帝が願いを聴き入れなかった際に起きた災厄は、全て千人桜の自作自演だったというわけだ。
「陛下、如何なされますか」
とても残酷なことを問うてしまったと思う。しかし、それを聴かずにはいられなかった。
「朕は皇帝である。ならば、することは決まっていよう――……」
その言葉を否定する術を、棕滋は知らない。なぜならそれが当然の帰結だからだ。互いにこれ以上はどうすることもできないとして、口を閉ざす。あぁ、しかし、あと一つ。
「陛下。先日のお言葉は、勅命として受け取ってもよろしいでしょうか」
夜白は微笑む。それは、父親の顔だった。
「許す」
一月某日――謀反の起こる約ひと月前。
「陛下、折り入ってお伺いしたい旨がございます」
棕滋は私的に上帝陛下への謁見を願い、その願いはそう時間のかからないうちに叶うこととなった。
「其方にはいつも我が媛が世話になっている。幸いにしてここには誰もおらぬ。楽にせよ」
琅果の父――皇木照咲・夜白は棕滋のただならぬ眼差しを受け、人払いをする。誰もおらぬ――そう告げた瞬間、周囲の者たちは何も言わずにそそくさとその場を後にした。
恐らく彼は、自分が何の話をしに来たのかを理解しているのだろう――棕滋はそう直感した。
「堅苦しいのは朕も嫌いだ。五家当主と同等の振る舞いを許す」
「はっ、有難く」
棕滋は拱手をし、最敬礼をした後で、上帝の前へと歩み寄った。
「さて、其方――ここ最近面白い研究をしておったな」
そう切り出したのは上帝だ。
「はい。せんにんざくらについて、調べておりました」
「ふっ、せんねんざくらではなく、か?」
「お戯れを」
貴方様ならばご存じなのでしょうと、皆まで言わずとも彼は理解している。
「千年桜の巫女については、どこまで知った?」
「……全て」
「左様か」
上帝――夜白は、それだけ言うと目の前に置かれた急須から、自らの湯呑み茶碗へと茶を注いだ。芳馥たる香が室内に広がる。冷ますための数秒を経て、夜白はそれをくいと喉に流し込む。
「全てか」
「はい」
千年桜の巫女――それは、そのまま千年桜の声を届ける役割を果たす者のことだ。だが、そもそも精霊族は皆一様に植物の声を聞くという能力を備えている。その上でなぜ改めて「巫女」などと言われる存在が必要になったのか。それは千年桜のその特異性にこそある。
千年桜は限られた者に対してしか話しかけない。声を聴くこと自体は誰にでもできるが、彼女が選んだ者に対してのみ、その胸襟を開いた。
巫女は千年桜の声を聴き、その言を上帝に進言する。とはいえ、上帝が千年桜の意思を必ずしも汲む必要はない。その証拠として、巫女は一世代に一人いるとは限らず、巫女が不在の時代も何度もある。しかしそれでも上帝は千年桜の言葉を聞かざるを得ない。なぜならば、彼女の言葉を無碍に扱えば、必ず災厄が降りかかるからだ。そのため、実質的に上帝に決定権はなく、千年桜が「そうしろ」と言ったならばそれに従うことが通例となっていた。故に、現在の精霊界の統治には千年桜の意思が強く反映されている。
巫女に選ばれるのは常に少女ではあったが、しかしそこに何か法則性があるわけではなかった。たまたま、本当に偶然に彼女と同調した者がいた際に、千年桜は少女に話しかけるのだ。千年桜の声は、少なくともこの桃李京の中にあっては全ての者に届く。そして彼女は、その者と自分だけの持つ特別な周波数に声を乗せ、「あなたが巫女だ」と天啓を下すのだった。
だから、公主という地位にありながら、巫女という役割を与えられることになったのも、本当に、ただの偶然だったのだ。
琅果は、生まれ落ちたその瞬間に彼女の声を聴いた。産声を上げてから、母の乳房に吸い付くより前、父母に名を呼ばれるその前に、千年桜に選ばれたのだ。琅果にとって千年桜は母であり、姉であり、友であり、また自分自身だった。それだけ二人は多くを語り合った。
琅果という字ですら、これは千年桜に与えられたものだ。瑕瑾なき美しき果実を抱きし娘――そのような意味があるのだと彼女から――琅果を通して――聞いた。
琅果が千年桜に信愛の情を抱くのは当然であり、政務に多忙にして碌に相手をしてくれない実父、実母よりも千年桜を家族と思うのは仕方のないことであった。しかし――
「千年桜――正式には千人桜」
棕滋は差し出された手元の茶碗を見る。自身の顔に波紋が広がるのが見えた。
「その意味するところは、千人の巫女の命を求める桜。そうですね?」
夜白は何も言わない。しかし、それが答えだ。
――その裏切りを、彼女は知っているのだろうか。
「朕が帝などでなければ、あの娘を好きな世界へ逃がしてやれるものを――……」
退室する直前、夜白が独り言ちたその言葉を、棕滋は確かに聞いてしまった。
とはいえ、巫女が贄として求められるのは、その多くが子を産んだ直後である――と文献には記されている。そのほとんど全てが、産褥による予後不良という形で片付けられてきたのだ。千年桜――否、千人桜の凶悪性、そして巫女の悲運が市民の間で全く語られて来なかったのはここに理由がある。
何より、千人桜は陰気を吸い取り陽気という形で排出する。それは精霊族にとっては掛け替えのない恩恵であり、その能力があればこそ、彼女は長きに亘ってこの世界から愛され続けているのだ。その桜を維持するために、一つの時代に一つの生贄など安いものだと、そう割り切るべきなのかもしれない。だが、それでも――と、棕滋は頭を振った。
いや、ここは寧ろ良い方に考えるべきだ。幸いにして琅果は未だ元服も済まない子供である。爛瀬という婚約者はあれど、彼と実際に婚姻をして、子を成すにはまだ最低でも十数年の猶予があるだろう。その間に別の方法を考えれば良いのだ。千人桜が贄を求めずとも満足できるような、別の方法を。
そう思い至った矢先である。上帝から内々に呼び出されたのは。それは、先の謁見から僅か五日後のことだった。
夜白と二人きりの室内。棕滋はただ静かに彼の言葉を待つ。
「千年桜より、天啓が下った」
「はっ」
「贄を差し出せ、と」
「は……?」
曰く、琅果を通すことなく、直接夜白に伝えてきたとのことだ。千年桜は知っているのだ。我々が、琅果をここから逃がそうとしていることを。
「いや、しかし、それはあまりに突然では……」
「あぁ」
「それに、そもそも千人桜の戯言を必ずしも聴き入れる必要はないと……!」
棕滋は必死にそう主張する。しかし、夜白は静かに首を横に振るだけだった。僅かの沈黙の後、夜白は悲痛な面持ちで言葉を口にする。
「曰く、次の満開までに此れが叶わぬ場合、数千年の時の中で吸い上げた呪いを、全て吐き出す――と」
棕滋は絶句する。つまり、これまでの上帝が願いを聴き入れなかった際に起きた災厄は、全て千人桜の自作自演だったというわけだ。
「陛下、如何なされますか」
とても残酷なことを問うてしまったと思う。しかし、それを聴かずにはいられなかった。
「朕は皇帝である。ならば、することは決まっていよう――……」
その言葉を否定する術を、棕滋は知らない。なぜならそれが当然の帰結だからだ。互いにこれ以上はどうすることもできないとして、口を閉ざす。あぁ、しかし、あと一つ。
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