朽ちし桜と舞う巫女に、春よ呪詛の嘔を詠め

十和井ろほ

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六幕 夢魘の日々

四.

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「ねぇ、話は終わった?」
 会話が途切れたのを確認して、雪晃が二人の間に割って入る。
「……お前さ、聞いてなかったの?」
「う~ん、だって、難しそうな話だったし」
「大体、お前が妖族と神族が気になるって言ってここまで来たのに」
「そうよ。でもほら、百聞は一見に如かずって言うでしょう? だからね、話を聞くよりも実際に会いに行った方が速いかなぁ、って思って」
「は?」
 あまりの言葉に絶句する。
「お前、まだ探しに行くつもりなのか?」
「もちろん。だって、ここまで来たんだもの。せっかくなら探したいじゃない。ねぇ、椋杜。椋杜は琅果たちがどこに行ったのか、心当たりは……」
「ありません」
 即答だった。
「本当に? でも、こっち側に来たことは確かなのよね? だって、椋杜のさっきの話だと、三人は青龍門から西側に向かって行ったんでしょう?」
 なんだ、聞いていたんじゃないか。聞いていないと言いながら、ちゃんと役に立ちそうな情報は拾っているところが意外と食えないと、爛瀬はその強かさに素直に感心する。
「それは確かですが、その先のことは知りません」
「ねぇ、椋杜。知ってる? 椋杜はね、嘘を吐く前に、軽く唇を噛むのよ?」
 こんな風に――と言いながら、雪晃は自身の上下の唇を歯で軽く挟んだ。
「公主様の気のせいでしょう。俺は嘘は吐いてません」
 そう言いながらも、雪晃がやったように直前に唇を噛む瞬間を爛瀬は見る。なるほど、やはり彼は嘘を吐いているのかもしれないと、漠然とそう思う。
「椋杜も気になってるんじゃない? 実際のところ、検問はちゃんとできなかった・・・・・・・・・・んでしょう?」
「それはっ……」
 今や青龍門の門番としての責務を果たすことこそが生き甲斐――いや、生きる意味となっている椋杜にとって、その言葉は耳に痛かったのだろう。長い耳が少しだけピクリと揺れた。
「本当に入れて良かったのか、本来なら精霊界から排除しなければいけない存在なのか、ちゃんと・・・・見極めたいんじゃない?」
「雪晃、いい加減その辺に……!」
「いや、良い。公主様の仰ることは御尤もです。ですが、それは我が身の不徳の致すところであり、今後精進すべき課題。それを理由に公主様を危険に晒すわけには参りません。戻りましょう」
「そう。ふ~ん、そう。つまり、貴方は神族に怖気づいたのね?」
 だって、さっき言ってたじゃない? ――そう言いたげな雪晃の蠱惑的な笑みに、椋杜は何も返さない。ただ黙って拳を握り、「戻りますよ」と彼女の手を引いて行った。



「ねぇ、ここ……何だか気味が悪いわ……」
 戻ることに不満はあれど、椋杜の腕に抱き着きながらの帰途はそれなりに嬉しかったようで、胸のときめきを隠す気もなく上機嫌で歩いていた雪晃ではあるが、ある地点で突然声を沈ませてそう告げる。抱き着く腕の力を更にぎゅっと強め、椋杜の陰に隠れるようにして周囲の様子を伺う。爛瀬もその言葉を受けて意識してみれば、確かに何か嫌な気配は感じる。しかし、見た目には何か変わったものがあるわけではなく、その原因は結局分からなかった。
「御身の安全を第一に考え、なるべく人目に付かない道を選びましたので、多少不気味に感じるところはあるかもしれません。とはいえ、西部は南部と違って治安は大変良いことで有名ですから、さほど心配する必要はないでしょう」
 その瞬間、爛瀬は直感する。この近辺に琅果がいるのだ――と。雪晃は余所見をしていて気が付かなかったようだが、一瞬、椋杜が唇を噛むのを爛瀬は見た。
「そう、なのね……。ねぇ、ここってもしかして、あの辺りじゃないの?」
 縋るように椋杜の腕を掴みながら、雪晃は相変わらず周囲を警戒したままだ。
「あの辺り、って?」
「ほら、昔からよく聞かされてるでしょ? 呪いの屋敷――」
 言われて思い出す。そう、確かにあの呪いの屋敷は西部にあり、なおかつ誰も寄り付かないことを理由にその一帯ごと白讃家の私有物となったはずだ。そして確信する。琅果はそこにいるのだ、と。
 もし仮に、椋杜が本当に琅果たちの居所を知っていたとして、ならば敢えてこのような道を選んだ理由はなんだろうか? いや、こちらが気付かないと踏んで、本当にただ人目を避けるためだけに選んだことも十分に考えられる。しかし、本当にそうなのか? ――爛瀬は思案する。
「呪いの屋敷って、白讃家の私有物、なんだよな? やっぱり、勝手に入ったら罰則があったり……?」
「あぁ。完全に不法侵入だ。馬鹿なことはやめておけ」
 椋杜の声音からは相変わらずその考えが読めない。しかし、一切こちらを見る素振りも見せないことがかえって怪しいように感じてしまう。
「じゃあ、中には入らないから、外観だけでも見てみたい……んだけど……」
「確かに周囲の私道は解放されているから、外観だけなら見られないことはないかもしれない。だが、あそこは鬱蒼とした密林……のような森林に囲まれていて、屋敷は見えない。行くだけ無駄だ」
「そうよ、そうよ。そんな怖いところに行くのはやめましょう?」
 その言葉に便乗するように、椋杜の陰から雪晃がひょっこりと顔を出す。手はやはり、変わらず椋杜の袖を掴んだままだった。
「なぁ、椋杜。最近、颱良と会った?」
「会ってない」
 これも即答である。しかし、嘘を吐く前の仕種――と雪晃が言っているもの――は確認できなかった。
「そうか」
「何が言いたい。さっさと戻るぞ」
 そう言って一歩を踏み出す椋杜の背中を見て、爛瀬はつい口走る。
「椋杜さ、何で、わざわざこの道選んだんだ?」
「どういう意味だ?」
「だってさ、そこ・・、なんだろ?」
 その問いを、椋杜は黙殺した。それは肯定と取って良いのだろう。
「それって、つまり……?」
 爛瀬の言葉の意味を改めて確認しようとして、雪晃が椋杜の腕を離した瞬間――

 ――アオォォォ……ン……!

 どこからともなく遠吠えが聞こえてきた。何事かと椋杜も爛瀬も臨戦態勢に入る。雪晃だけが何が起きたか分からずに、ただあたふたと狼狽していた。
 この桃李京において、動物を飼うことは基本的に禁じられている。許されて畜産や農耕のための牛馬や山羊、あるいは愛玩用の小型の犬か猫、兎が精々。つまり、このような大きな犬・・・・の鳴き声がこの場で聞こえることはまず有り得ない。
 そう遠くない場所から、タッタッタッと何かの足音が近付いてくる。決して小さくはない。なるべく殺生はしたくないが、背に腹は代えられないと椋杜と爛瀬は霊気からそれぞれ槍とやや幅広の刀――柳葉刀を造り出す。遠吠えも足音も、聞こえてきたのは前方数ベイト。見えてくるのは巨大な四肢の影。あと数秒もすれば接敵することになるだろう。そう思って身構えた矢先、ふわりと、暖かい春の香を含む風が吹いた。途端に自身の中から戦意が削がれていくような気がして、思わず力が抜ける。このままではいけないと改めて気を引き締め、武器を握る手に力を入れる。いざ――と腰を落としたその時。

「ほら、ダメだよ、戻っておいで」

 男性の声がした。そしてそれと同時にこれまで近付いてきていた影は確実に遠ざかって――元の場所へと戻っていく。四足の獣の後ろに、やけに細身の人影が見えた。獣は「くぅん」という甘えた声を出しながら、その影に擦り寄る。

「あたしのせいで本当にごめんね! 怪我しなかった? 大丈夫?」

 そして直後に聞こえてくる――その声・・・
 ドクンと、心臓が大きく脈打つ。
 気付いて欲しい。気付かないで欲しい。相反する二つの想いが同時に湧き上がる。

 細い人影に、とても小柄な人影が歩み寄る。
 忘れもしない、その小さな体。

「大丈夫だよ。僕もこの子も」
「良かったー! ……棠鵺君、ちょっとごめん」

 瞬間、花弁のように柔らかかったその声が、硝子の破片の如き鋭さを帯びた。
 小柄な影はこちらを向き、瞬間的に霊気を放つ。そして力強く地面を踏みしだき――

「会いたかったよ、爛瀬。……――死んで」

 凄まじい速度で飛び掛かって来た。


 *


 ドスン、という鈍い音と共に周囲に砂塵が舞う。
「避けるな!!」
 その拳が肉ではなく地を穿ったことで、琅果は目標を逃したと知る。一瞬、拳から赤い液体が流れ出るも、それは瞬時に溢れ出る霊気によって止血された。目標を見失うことなく、即座にその視界に捕らえ、再び拳を振り上げる。
「避けるに決まってるだろ!」
 突然の出来事に狼狽しつつも、爛瀬は必死に応戦する。かといって、琅果と違ってこちらは相手を傷つけるつもりは一切ない。殺意を隠そうともせずに殴りかかってくる相手に、刀も手放し、腕だけでひたすらその攻撃を受け止める。
「ろ、琅果……!」
「うるさい、黙ってて!」
 後ろから、雪晃の情けない声が響いた。しかしそれすらも琅果は一蹴する。爛瀬を助けようと椋杜が割って入ろうとするも、その隙すら与えてはくれない。
「琅果、話を……!」
 小さくも重い拳を受け止めながら、爛瀬は必死に話しかける。しかし彼女に彼の声は届かない。
 足元に小さな穿孔。普段ならば足を取られることなど有り得ないだろうそれが、今は命取りだった。ほんの一瞬、態勢を崩したその時を、彼女は見逃してはくれない。僅かに浮いた腕、そこから見える脇腹――そこに、彼女の膝が食い込んだ。
「ぐっ……!」
 爛瀬の体が宙に浮く。次の瞬間、凄まじい蹴りと共にその体は近くの塀に打ち付けられた。

 この精霊界に於いて、最も単純で、最も優れた霊力を持ちし血族――それが皇木家だ。
 だから永きに亘り玉座に君臨し続けた。だから誰からも認められてきた。異を唱える者もなく、数千年の治世を敷いた。精霊族の中でもとりわけ小さな体に溢れんばかりの霊力を秘めた、怪力乱神とも言うべき血筋。そして、その長い歴史の中でも抜きん出て才能に溢れた皇女、それが琅果だった。

 痛みですぐには態勢を整えることができない爛瀬に、琅果は容赦なく襲い掛かる。椋杜と雪晃が止めようとするが、それも全て無駄に終わった。振り払われた二人は地に膝を着き、立つことすらままならない。あぁ、いよいよか、しかしそれも仕方ない――と、爛瀬は朦朧とする意識の中で瞳を閉じる。
 しかし、どれだけ待っても思ったような衝撃は来ない。恐る恐る目を空ければ、そこには大きな黒い壁があった。
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