病名:ピエロ。

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遥か彼方の待ちぼうけ。

1. venezm`aider

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ピンポーンとインターフォンが鳴った。邦楽の流れるヘッドホンを首から下げ、リビングの時計に目をやる。
午後1時。いつもと変わらない。「はいはーい」と雑に答え、ヘッドホンでぺしゃんこになった髪をいじりつつ玄関へ向かった。
この時間に来るのは彼女しかいない。そうはわかっていたもののドアを開ける前に一言「すみません、どちら様ですかー?」
こちらがからかっている事を悟られぬようになるべく自然な口調で言った。……つもりだったのだが。
「もう先輩!からかわないでくださいよ~!」

その表情すら目に浮かぶような声で例の彼女は答えた。どうやらバレていたらしい。
それもそうか。このネタももう10回は使っている。あー、そろそろ新しいネタを考えなくちゃいけない。
なんて、俺はそんなくだらない事を考えながらドアを開けた。そこには……。
「……白斗先輩のいじわる」
「ごめんごめん、鈴」

いじらしく拗ねている俺の恋人、甘木 鈴(あまぎ すず)が立っていた。

………………

鈴は高校の1つ年下の後輩で今は地元福岡の専門学校で美容師を目指している。
一言で言えば童顔で華奢な女の子だが、何故か鈴は異性同性構わず人を引き寄せた。

大きく澄んだ瞳、笑うとえくぼのできる柔らかな頬、自身の明るさに似たライトブラウンのショートヘア、すらりと伸びる肢体。
多分、鈴は世の中の女の子の欲しがる要素を大体手に入れている、そんな女の子だった。

何故、そんな高嶺の花のような鈴とこんな俺が付き合っているのか。それは、3年前の高校の文化祭まで遡る事となる。
当時、2年生だった俺は友人に誘われ文化祭のステージでバンドのギターを担当していた。その時の俺の姿に鈴が一目惚れしたらしく、その場の勢いで俺に告白したというわけだ。

付き合って3年も経った今では互いが互いをかけがえのない存在だと想っている。特に鈴はその気持ちが強い。
そのため、進学のために上京してなかなか会えない俺に会うために、鈴は月に1回こうして福岡から俺の家へと通っている。
今日もその1日だった。

「先輩、いつも同じイタズラしますね」
「…まぁ、そうだな」
「……私の事、嫌いなんですか?」
淋しそうに鈴が言った。その瞳には悲しみが映っている。
「そんなわけない」
俺は断言した。
「あのな、俺にとって鈴は……」
「くしゅっ!!」
鈴がくしゃみした。言葉が途切れる。

「……こ、こっち見ないでください。恥ずかしいです」
鈴が視線を逸らす。それがとても可愛らしい。
「……とりあえず、部屋に入る?」
「……入る」
少し顔を赤く染めながら、悔しそうに鈴は頷いた。

………………

「ぬくぬく最高~~♪」

さっきまでの態度はなんだったのか。鈴は炬燵に足を突っ込むなり、上機嫌になった。
「……もしかして、寒かったから不機嫌だったのか?」
「それもありますけど、一番はさっきのイタズラが原因ですね……あ、みかんもらいま~すっ」
鈴は炬燵の上にある籠から1つみかんを取って頬張る。

「ん~~、あま~~いっ♪」
……本当に自由だ。まぁ、そんな天真爛漫な所が鈴の長所であり、アイデンティティなのだが。
「で、今回はいつまでここにいるんだ?いつもみたいに明日の朝には帰るのか?」
「そうですねー。そんな感じになりますねー………あ、ない。みかんもう1つください」

「……もう好きなだけ食え」
お前はみかん星人か。
「わぁい、やったー♪」
俺がみかんの入った籠ごと渡すと鈴はそれを宝箱のようにキラキラとした目で見ていた。

「……お前、みかんそんなに好きだったっけ?」
「いいえー。多分人並みです。ただ、今年みかんあんまり食べてなくてー」
「……冬眠前のクマか」
というかここでみかん補充するつもりか。
「がおー!食っちまうぞー!!」
鈴がクマのポーズ(?)をとって威嚇し始めた。
「なんかクマ以外も混ざってないか?」
多分後半は鬼なんかの台詞じゃないか?
「あははーそうですねー。……あれ、先輩髪伸びました?」
「ん?あぁ、そういや最近切ってねぇな」
「……んふふ~、それはよかったです~」
鈴が蟹のように指をチョキにして何かを切るジェスチャーを始める。……うん、大体わかった。
「……じゃ、じゃあ、鈴。髪、切ってくれるか?」
その瞬間、鈴の顔がぱっと明るくなった
「是非っ!先輩の事、かっこよくしますね♪」
「あはは。なんかそれ、俺が普段かっこ悪いみたいな、言い方だな」
「えー、そんなこと、言ってません~」
鈴はそう言うと、くすっと笑った。

─そして、30分後─

「んー、よし。先輩、こんな感じでどうでしょうか」

手鏡越しに見る俺はさっぱりとしていた。俺はそもそもひどいくせっ毛で苦戦すると思っていたのだがそこは美容師志望学生、難なく切っていた。
「まぁ、いつもの俺って感じだな、さんきゅ」
「いえいえ、お礼なんて……あ、お返しはキスでもいいんですよ?」
「調子に乗るな」

パシっと額に軽いチョップを落とす。
「うぅー、上手くいかなかったかー」
「当たり前だ。そんな都合よく物事は進まねぇよ」
これは俺の教訓でもある。
「……わかりましたよーだっ。……でも、その代わり、今日は一緒のベッドで寝ますからね?」

むーっと拗ねた顔をしている。まぁ、その顔はかわいいし、これくらいならいいか。いつもの事だし。

「わかったわかった」
「よしっ、やったー!」
ぐっと横で鈴がガッツポーズをとる。そんな無邪気な姿を見てほっこりとする俺は、やはり鈴に対して甘いのかもしれない。

………………

そして、なんやかんやで夜になった。時計は12時を過ぎている。

「鈴、もう寝るよ。明日早いんだし」
交通機関の関係上、鈴はここを午前8時には出ていた。
「……ねたくない」
「でも……」
「ねたくないの」
その一点張りだった。気づけば、俺のスウェットの袖を握っている。
「明日、私が帰ったらもう白斗先輩と会えない気がするもん」
「……どうして?」
鈴がそう思ってしまう気持ちを悲しくも俺はわからなかった。

「わかんない。多分、女のカンみたいなやつだと思う」
声が少し潤んでいた。今までもこうやって鈴が我が儘なこともあったが、これは初めてだ。

「女のカンか………なら俺はわかんないなぁ」
そもそも鈍感体質の俺は尚更わかるはずがなかった。
「でも、それを今鈴が怖いんだろ?」
「……うん」
「なら、俺は何もできないから横にずっといる。何かあったら絶対助けるからよ」
それが俺の精一杯できることだった。

「……絶対?」
「……あぁ、絶対。だから、ゆっくりでいいから寝ろ。明日は早いから」
「……近くに来てもいい?」
「それで寝れるんならなんだってするぞ」
「えへへ……ありがと、白斗先輩」
鈴は耳元で囁くと遠慮がちに俺の右腕を枕にした。しばらくするとすーすーと静かな寝息がする。

俺はそれを確かめてから、そっと目を閉じた。

……………

「……また、1ヶ月後ですね」
「……そうだな」
「また明日から………淋しくなりますね」
「そうだな………って、それは主に鈴の事だろ」
「そうですけど、先輩だって淋しくはなりますよね?」
「……まぁ、多少は淋しいな」
「ほらほら~、強がらずに私の胸で泣いたっていいんですよ?」
「……鈴」
「せ、先輩……」
「……もう早く行かなくていいのか?電車もうすぐだろ?」
俺は近くの時計を指さした。ばしっ!
「いたっ。おい鈴、なんて事……」
「先輩のいじわる!せっかくいいムードだったのにぃ!!」
手提げカバンで俺を叩くと鈴がは頬をぷぅーっと膨らませてじたばたと怒っている。

「……なんかごめん」
「先輩はわかってないです!ここは『俺、やっぱお前を離したくない』『先輩……』ってなって、それからラブストーリーが始まるのが鉄板じゃないですか!!」
「ラブストーリーっておい…」
お前はドラマのヒロインか。今時そんなクサい台詞、聞いたことないぞ。
「……っていうのは冗談ですけど、それでももう少し、先輩はムードってものを大切に考えてください」
「わ、悪い……」
俺はこういうラブストーリーみたいなのは苦手なんだ。

「……だから、宿題です」
鈴はうんと背伸びして俺の耳元で囁いた。
「次は期待してますからね」
鈴ははにかむとあとは何も言わず、改札へと行ってしまった。そして改札を抜けた後……。
「あ、やばい!あと一分もないじゃん!!」
「……言わんこっちゃない」

相変わらずの鈴が二番乗り場に消えていく。
鈴の乗った列車が行ってしまうのを見届けてから、俺はバイト先へと向かった。

……………

「……ん、鈴?」
バイト先から戻った午後3時。俺のスマホに鈴からの着信があった。
「……もしもし?」
俺はそのまま電話に出た。しかし。

「もしもし先輩、先輩ですよね!?」

今までに聞いたことのない鈴の声。それは明らかに充分なエマージェンシーを醸し出していた。

「鈴、どうした!?」
俺もつられるように早口になる。背中を冷たい汗が伝う感覚がした。
「先輩、助けてください!わ、私……!」

鈴の震える声。それは何かに怯えるように聞こえる。
そしてそれは、次に鈴の紡ぐ言葉によって悪魔のプレゼントへと変わってしまった。
「私、よくわかんない所に閉じ込められているんです!助けてくださいっ」
俺は言葉を失った。早口で伝えられた言葉1つ1つがゆっくりと聞こえる。

俺はその言葉の意味を嫌というほど理解していたのに、しばらくの間、なにもすることができなかった。
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