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しおりを挟むどこからどう見ても地面に倒れ伏す男は、この国の公爵家当主であり、クリスタの従兄キシュート・アスタロスだ。
キシュートの美しい銀糸のような髪は薄汚れ、元の色が全くわからないほどになっていて。
馬から落ちた際、キシュートの横顔が見えたことでクリスタも、ギルフィードも辛うじて彼がキシュートであると分かった。
「キシュート兄さん! 何があったの!?」
「クリスタ様! キシュートを運びます!」
慌てふためき、キシュートに声をかけるクリスタの横でギルフィードはテキパキと近場にいた使用人や自分の護衛に指示を出す。
クリスタの顔は青ざめ、倒れた後ぴくりとも動かないキシュートに慌てふためくばかり。
シヴァラもキシュートとは面識があるため、ギルフィードと共にキシュートの体を運び、二人がかりでキシュートに治癒魔法をかける。
キシュートの体には良く見れば至る所に裂傷が走っており、あの時あの場で別れたキシュートの身に何かが起きたことは明白で。
クリスタはキシュートに単独行動をさせてしまったことを悔いた。
──大丈夫だ、と言うキシュートを無理にでも侯爵邸に連れ帰ってくれば良かった。
クリスタがそう悔やんでいると、ギルフィードとシヴァラ二人の治癒魔法によって傷が癒されたキシュートの閉じられた瞼がぴくり、と反応した。
「──キシュート兄さん!」
「キシュート?」
クリスタとギルフィードが心配そうに彼の名前を呼ぶと、自分の名前に反応したのだろうか。
睫毛がふるり、と震えた後にキシュートの瞼がゆるり、と開いた。
「──俺、は……」
ひび割れたキシュートの口からか細い声が零れる。
小さく呟いたキシュートの言葉を聞き、それまで心配そうに彼の横で膝をついていたクリスタが僅かに眉を顰めた。
「キシュート。大丈夫か? 何があった?」
治癒魔法を発動していたギルフィードがキシュートに問う。
その間にクリスタはずり、と歩幅一歩分キシュートから後ずさったのだが、ギルフィードもシヴァラもクリスタの動きには気付かない。
クリスタの行動に気付かないギルフィードとシヴァラは尚も心配そうにキシュートに声を掛け続けており、彼らの問いにキシュートは思い出すように眉を顰めた。
「俺、は……クリスタ達と別れた後……」
「ああ。もう少しタナ国について探る、と言っていただろう? あの場を離れ、どこかの国に入ったのか? 襲われたのはいつだ? クリスタ様の侯爵家に向かう道中か?」
矢継ぎ早に質問を重ねるギルフィードに、痛みに顔を顰めるキシュート。そして、怪我人相手に質問攻めをするな、とキシュートを気遣うシヴァラ。
クリスタは、先程キシュートが呟いた第一声に違和感を持ち、そして今。
クリスタを探すように視線を動かすキシュートの様子にぞわり、と背筋が震えた。
「──クリスタ、無事で良かった……。クリスタの身に危険が迫っている事を一早く知らせたかったんだ」
ふわり、と微笑んだキシュートに。
その表情に。
瞳に確かに灯る恋情の熱に、クリスタは反射的に勢い良く立ち上がり、キシュートから大きく距離を取った。
「──ギル! シヴァラ! その男から離れて……! すぐに拘束して……!」
「……っ!?」
切羽詰まったクリスタの悲鳴のような叫び声に、驚きはしたもののギルフィードとシヴァラは瞬時にキシュートから飛び退き、それと同時に拘束魔法を発動する。
「……クリスタ!?」
ぎゅる、と自分の体を拘束するために現れた白銀の縄のような物を目にしてキシュートが非難めいた声を上げる。
その様子を冷たい目で見下ろしていたクリスタは、戸惑うギルフィードやシヴァラには構わず凍えるような声音で言葉を発した。
「──お前は、キシュート兄さんではないわね。キシュート兄さんはどこ?」
確信を得ているようなクリスタの表情と声音に、キシュートは言葉を続けようとして開いていた口を閉じた。
そして、一度俯いた後ゆっくりと口端を持ち上げて嫌な笑みを浮かべたのだった。
◇◆◇
閃光が迸る室内。
数秒の後、その光は収束してその場には膝から崩れ落ちたヒドゥリオンと、正面で愉悦に表情を醜く歪めたソニアの姿がある。
(──、!? ……何だ!? 手足が、動かん……!?)
ヒドゥリオンは自分の体が思うように動かない事に気付き、驚きに目を見開いた。
体の内側から気力、のような物がどんどん抜け出て行くような不思議な感覚に戸惑う。
そして、手足だけではなく自分の喉、唇すら動かす事が出来ず声を発する事が出来ない事に焦燥感を募らせる。
ヒドゥリオンが目を白黒させている間に、室内の異変に気が付いたのだろう。
廊下からバタバタと慌ただしく近付いて来る足音が聞こえて来る。
ヒドゥリオンの護衛も、魔法士も、そして出産のために立ち会っていた使用人達も意識を失い床に倒れ伏しているのが見える。
赤子を抱いたソニアが興味無さげに倒れている面々に視線を向けて吐き捨てるように呟いた。
「やっぱり、ヒドゥリオン様やクリスタ程の魔力を有する人間は少ないわね。ちょっとばかり頂いただけでこうして死んじゃうなんて……。回復してきたらまたクリスタやヒドゥリオン様から頂かないと……」
ねぇ? と愛らしい笑顔を浮かべ、赤子に笑いかけるソニアの言葉を聞いたヒドゥリオンは、ソニアの口からクリスタの名前が紡がれた事に大きく目を見開いた。
(待て……。魔力を頂いた……? 死んだ……? この者達はソニアの魔術で魔力を奪われたのか……!? それに、クリスタからも奪ったと言うのか!?)
そこでヒドゥリオンは以前、クリスタが突然魔法を発動出来なくなってしまったと告げていた事を思い出した。
(全て、この女が……!? クリスタの魔力を奪ったのも、この女が……!? 許されざる行為だ!)
ヒドゥリオンはぎりっと奥歯を噛み締め、こちらを気にもとめないソニアを睨み付ける。
その視線は憎悪に塗れていて、あれ程愛しいと感じていたソニアに対して今は憎しみや殺意しか感じない。
(この女のせいで……っ、この魔女のような女のせいで私はクリスタを失った……!)
体内から抜け出て行く何か。
それは、自身の魔力なのだろう。
その魔力の行先は間違いなくソニアと、ソニアの腕に抱かれている赤子だ。
(あの女か、若しくはせめて赤子をどうにかしてしまえば……っ)
自身の魔力はまだ全てを奪われてはいない。
残り少ない自身の魔力を暴発させればもしかしたらソニアを。
ヒドゥリオンがそう考え、行動に移そうとしたその時。
近付いて来ていた多くの足音が部屋の扉を開け放ち、人の気配がなだれ込んで来た。
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