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しおりを挟む王都に戻って数日。
いつものように王妃の執務室で仕事をしていたクリスタの下に、ヒドゥリオンの侍従がやって来た。
一枚の上質な書類が金色のトレーに乗せられている。
恭しくクリスタに向かって両手でトレーを捧げるようにして侍従が待機しており、クリスタはトレーから書類を受け取る。
「ありがとう、戻って良いわ」
「──はっ」
クリスタの言葉を聞き、侍従は深々と頭を下げてから執務室から退出した。
その後ろ姿を見詰めた後、クリスタは手元の書類に視線を落とす。
──離婚申請書。
「ふふっ。まさかこれを見る事になるとは思わなかったわ」
神殿に提出する申請書だ。
例え王族だとしても、この国では離婚に関しては一国民と同じ方法で神殿に書類を提出する方式だ。
婚姻も、離婚も神のお膝元である神殿が全て一括で管理する権利があり、またその権限を持っている。
「王妃殿下……」
クリスタに心配そうに声を掛ける侍女達に、クリスタは微笑みかける。
「安心して頂戴。私が王妃でなくなっても、貴女達は安心して次の仕事に就けるよう、手配するわ」
「そんな……! 次の仕事など……っ、私たちは王妃殿下以外に仕えるつもりはございません……!」
「ご実家に戻られた後も、変わらず着いて行きます!」
「だけど、貴女達にも家族が居るわ。離婚された私に着いて来てしまえば、この先この国での生活に弊害しか生まれない。私に着いて来るのはお止めなさい」
自分を慕い、着いて来てくれると言う気持ちは嬉しい。
けれど、それを許してしまえばこの国で生き辛くなってしまうのは目に見えている。
誰かが後ろ盾になってくれると言う事も期待出来ない以上、侍女達まで巻き込んでしまうのは避けなければ、とクリスタは侍女の言葉を断ろうとするが、一度こう、と決めた事を覆す彼女達でも無かった。
ナタニアが侍女を代表するかのように一歩前に進み出て、クリスタに向かって口を開く。
「王妃殿下。私たちは長年王妃殿下と共に過ごさせて頂き、王妃殿下がどれ程この国のために献身しているかをこの目でしっかりと見て来ました。それなのに……王妃殿下をこのように廃そうとする国など、こちらから願い下げです」
「──ナタニア夫人」
「それに、主人も私と同じ考えですわ」
ふふ、と笑みを見せるナタニアを見た後、クリスタは後ろにいる侍女二人に視線を向ける。
すると二人の侍女も力強く頷き、笑っている。
彼女達の決意は固い。
それが分かったクリスタは「仕方ないわね」と困ったように笑い、書類を自分の執務机に置いて引き出しから鍵付きの小箱を取り出す。
ヒドゥリオンの署名の隣に王印がしっかりと押されているのを確認し、クリスタも署名を行い、小箱から自分の印を取り出す。
署名の隣にしっかり印を押し付け、持ち上げて印に掠れも、ズレも無い事を確認したクリスタはその書類をナタニアに差し出した。
「これを、国王陛下に」
「かしこまりました、王妃殿下」
深く頭を下げ、トレーに書類を乗せたクリスタはぐるりと自分の執務室に視線をやった。
神殿で正式に申請が受理されるのには数日掛かるだろう。
そして、王族の離婚だ。
神殿から改めて神官が遣わされる筈である。
双方、納得の上での離婚なのか。どちらかが不正を働いていないかなど、神官が確認した上で正式に離婚が成立する。
神官が遣わされれば、王城で働く貴族達には気付かれるだろう。
クリスタは自分の執務机を手の一撫でする。
ここで長年色々な仕事をして来たのだ。
少しだけ感傷に浸った後、クリスタはぱっと顔を上げて侍女達に指示を出した。
「申し訳ないけれど、数日後にはここを出なくてはいけないわ。部屋の片付けをお願いしてもいいかしら?」
全ては、これからだ。
これから、王城を出た後は自分の身は自分で守る事になる。
暗殺などに気をつけねばならないが、頼みの綱である魔法は今クリスタには使えない。
再び魔法が使えるようになるまで、護衛を雇った方が良いかもしれない。
クリスタはそう考えながら、期日が迫っている処理しなければならない仕事だけ片付けて行く事にした。
◇◆◇
ヒドゥリオンは、自分の執務室で机に置かれた一枚の書類に視線を落とし、何とも言えない気持ちに悩まされていた。
「……これで、あっさりと私達の関係は無くなるのか……」
この紙切れ一枚だけで、他人に戻ってしまう。
「……っ、先程書類を届けたばかりだと言うのに……っ。クリスタはあっさりと署名と印を……」
美しい筆跡でクリスタの署名がなされ、その横に印が押されている。
クリスタが王妃となる際にも同じ印がクリスタの署名の隣に押されていたのをヒドゥリオンはしっかりと覚えている。
あの時は湧き上がる幸福感に、胸中がいっぱいになっていたというのに、今はどうだろうか。
ヒドゥリオンの心はぽっかりと穴が空いてしまったかのように寒く、侘しさを感じる。
まるで、大切な何かを失ってしまったかのような喪失感に苛まれ、ヒドゥリオンは自分の頭を抱えた。
「もう少し、考えれば……」
「これ」が本当に最適な方法だったのだろうか。
国民の前で正式に発表してしまったらもうクリスタは二度と自分の下に戻って来ないような、そんなどこか確信めいた予感がして。
ヒドゥリオンはその書類を震える手で持ち上げ、中心部に手を置き、破り捨ててしまおうか、と考えた。
ぐっ、と指先に力を込めた所で、執務室の扉がノックされると同時に開いた。
「ヒドゥリオン様。そろそろ休憩致しませんか?」
「──ソニア」
ソニアの顔を見た瞬間、ヒドゥリオンは書類をぱさり、と机に置いた。
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