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ヒドゥリオンはかつてないほど、クリスタに怒りを覚えていた。
怒りに頭の中が支配され、考えがぐちゃぐちゃになる。
頭の中が怒りで真っ赤に染まり、温室に向かいながらヒドゥリオンは足音荒く怒りに眦を吊り上げながら進む。
先日、自分のせいでクリスタに怪我をさせてしまい、大きな傷跡を残してしまった。
だからその申し訳なさや、後ろめたさ。それらで例えギルフィードがこの国に長く残ろうとも。
自分の女にベタベタと他の男が触れようとも、許して来た。
クリスタを引き倒し、背中を開けた時に見たあの酷い傷跡。
クロデアシアの第二王子が治癒魔法を掛けてはいると聞いていたが、あの傷跡を完全に治す事も消す事も難しいだろう、と治癒魔法の使い手が言っていた。
正式な治癒魔法の使い手がそう言うのであれば、専門職では無いあの第二王子がクリスタを完全に癒す事は不可能だろう。
一国の王妃の背中に、消せない醜い傷跡を負わせてしまったのは自分のせいだ。
だから、多少他の男にだらしのない所は目を瞑った。
自分がソニアばかり構うからそれが面白く無いのだろう、と。
今までは誰も彼もに傅かれ、この国の王妃として頭を下げさせることに慣れていた。
だが、今クリスタにはソニアと言う王女が現れてしまった。
自分の地位を脅かす存在に焦るのは分かる。
あれは、この国の王妃と言う地位に執着している。
(地位に執着しているからこそのこのような暴挙か……! 確かに、クリスタに子が居ない今、ソニアが懐妊したとあっては……もし生まれて来る子が男児であれば……王妃としての地位は崩れる……。だからこそ、懐妊を無かった事にしようなどと……!)
そもそも、あのような地位に固執する女を婚約者としたのが間違いだったのだ。
国の事を考えず、自分の事を愛しもせず、権力に酔う女を自分の妻にした事が間違いだった。
そして、クリスタの醜悪さを見抜く事が出来ずクリスタに同情し、哀れだと思い情けを掛けようとした事が間違いだった。
(そうだ──、クリスタが怪我を負ったあの日。私にまだ求められている、と確信を得たはずだ……。だからこそクリスタは強気に出た……! だから私とソニアの子を……!)
ヒドゥリオンは、先程自分にこの庭園で起きた事を説明してくれた年若い侍女の話を思い出す。
思い出して、そして怒りに強く拳を握り締めた。
「王妃などと言う身分、あの女には不相応だ……! この国の王たる私の血を継いだ子を殺そうとしたなど、許せるはずがない……!」
自分の執務室に駆け込んで来て、涙ながらに訴えるあの侍女の姿を、少し前に起きたあの光景を思い出す。
尊い王の血筋をその手に掛けようとした事は重罪だ。王妃と言えども処刑されてもおかしくない事だ。
「……っ! 温室、あそこか……!」
ヒドゥリオンはクリスタ気に入りの温室を視界に入れ、入口の扉を破壊するために魔力を自分の両手に込めた。
◇◆◇
「──っ!? クリスタ様、失礼します!」
「え? あっ、きゃあっ!」
ぴくり、と反応したギルフィードが一瞬訝しげに眉を顰めたが、次の瞬間顔色を真っ青にしてクリスタを引き寄せ、守るように自分の腕の中にクリスタを閉じ込める。
「侍女もこちらに!」
「はっ、はい……!」
常に無いギルフィードの緊迫した様子と、叫び声に反応した侍女達がバタバタとギルフィードに駆け寄る。
そして、ギルフィードがクリスタを抱き締めていないもう片方の腕を前方に差し出した、次の瞬間。
──ガシャン!
と、けたたましい音を立てて温室の入口の扉が吹き飛んだ。
爆風によって、粉々に割れた硝子がクリスタ達を襲うが、クリスタの顔に傷が付いてしまわないようギルフィードは自分の胸に深く抱き込む。
破片がギルフィードや、侍女の頬や肌を傷付け、血が滲む。
砕け散った硝子を踏み締めてこの温室にやって来た男が姿を現し、ギルフィードはその男を真正面から見返した。
「──これは、国王陛下。随分乱暴な訪問の仕方ではありませんか……」
「クロデアシアの第二王子。お前に用は無い。クリスタを離して、私に寄越せ」
「はっ。冗談でしょう? そのような怒り心頭、と言った様子の国王にクリスタ王妃をそのままお渡しする事は出来ません。王妃に危害でも加えてしまいそうです」
ギルフィードは、クリスタを自分の腕の中から離し、背後に居る侍女達に託す。
クリスタの顔を深く抱き込んでいたお陰か、クリスタに怪我は無いようでほっと安心する。
ギルフィードはクリスタとヒドゥリオンの間に盾となるよう、自分の体を置いたまま侍女達にこの場を離れるよう、小さく手で指示をする。
(攻撃魔法の制約が効いている今の状況では……防御魔法を発動するだけしか出来ない……。くそっ、俺は防御魔法はそんなに得意じゃないのに……キシュートが居てくれればまだ何とかなった可能性があったのに……!)
自分の力で、どれだけ荒れ狂う目の前のヒドゥリオンを足止め出来るだろうか、とギルフィードが考えていると、背後からぽつりとクリスタの声が発された。
「国王陛下は、何故こんな事を……。一体私が何をしたと言うの……」
「何をした、だと!? つい先程の事すらお前は覚えていないのか!? それとも、先程の事は気にする程の事では、無いと!? 気にする事の無い些事だとでも言うのか……!?」
クリスタは、じっとある一点を見詰めたまま放心したように立っている。
クリスタの見詰める先には、先程まで確かに睡蓮の咲き誇る綺麗な池があった。
池の上に掛けられた小ぶりの橋に立ち、皆で池に咲く睡蓮を見たばかりだ。
だが、今はその跡形も無くなっていて。
ヒドゥリオンの放った魔法で先程池の水は蒸発し、睡蓮はボロボロに千切れ、花弁がぼとぼと地面に落ちてしまっている。
皆で渡っていた橋までもが壊れ、吹き飛んでおり美しかった温室の景色が一変してしまっている。
「──聞いているのか、王妃!」
ヒドゥリオンの怒声に、クリスタは疲れたように、何処か吹っ切れたように小さく零した。
「もう、嫌……」
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