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「──待っ……!」

 ヒドゥリオンは慌てて扉に向かって声を掛けるが、無情にもヒドゥリオンの制止の言葉が口から出るよりも前に扉は開かれてしまった。

 そして、扉から入って来たクリスタが手元の書類から室内に視線を上げて、ぱちりと目が合う。

「……お取り込み中だったのですね、大変失礼致しました」
「王妃、これは違う……。ソニアが怪我をしてしまったからであって……」

 ヒドゥリオンは慌てて言い訳のような言葉を並べ立てるが、クリスタからすれば室内で二人きり抱き合っていた事には違い無い。
 だがクリスタはいつもの様に顔色を一切変える事無く、ふっとヒドゥリオンから顔を逸らして口を開いた。

「建国祭の準備に必要な物のリストです。陛下の署名が必要なので、ご署名後に補佐官に戻して頂ければ大丈夫です」

 クリスタは早口でそれだけを言い終え、室内にあるソファとテーブルの前まで歩いて来て持参した書類をテーブルに置いた。

「それでは失礼致します」
「王妃……」

 クリスタはくるりと振り返り、ヒドゥリオンに背を向けて扉に向かって歩いて行ってしまう。
 ぽつりと呟いたヒドゥリオンの小さな声はクリスタに聞こえていなかったようで、クリスタは一度も振り返る事無く扉を開けて部屋から出て行ってしまった。

 ソニアを胸に抱いたまま、ヒドゥリオンはクリスタの出て行ってしまった方をじっと見詰める。

「……本当に何も感じないんだな……」
「ヒドゥリオン様?」
「ん? ああ、何でもないよソニア。もうすぐ使用人がやって来るだろう。ソファに座って待っていなさい……」

 眉を下げて微笑むヒドゥリオンに、ソニアはむうっと不機嫌そうな表情を浮かべて自身もヒドゥリオンと同じようにクリスタが出て行ってしまった扉を見やる。

「何だか……私が言うのも烏滸がましいのですが……王妃殿下は、何とも思わないのでしょうか……」
「ソニア? どうしたんだ、急に?」
「私は、ヒドゥリオン様をお慕いしております。もし、ヒドゥリオン様が他の女性と親密そうにしていたら……私だったらきっと辛くて、悲しくて我慢出来ません」

 ぐっ、と唇を噛み締めるソニアにヒドゥリオンは眉を下げて何と言葉を返せばいいのか、と口篭る。
 そしてソニアを抱き締めていた腕をそっと離し、ソニアの頭を優しく撫でる。

「うーん……。私と、王妃は幼少期に婚約を結んだからな……。政略的な婚姻だ……。だが、政略的でも何でも……私は王妃を大事には思っているのだが……」
「でも、一方的に思うだけでは誰がヒドゥリオン様に愛情を返してくれるのですか……。思うだけではいつかは限界が来てしまいます。……でも、でも……これからは私が……っ」
「ソニア……」

 頬を染め、ヒドゥリオンの胸元からきゅっと唇を引き結んだソニアが真剣な眼差しで見詰めて来る。

 ヒドゥリオンはソニアの暖かい気持ちに触れ、何だか無性に泣き出しそうになってしまう。
 真っ直ぐ自分を見詰め、愛情を示してくれるソニアがとても愛おしく感じて。
 ヒドゥリオンは悲しげだった表情から一転、嬉しそうに表情を綻ばせ、ソニアの唇に自分のそれを重ねた。



 クリスタが退出する前にテーブルに置いて行った書類は、まるで強い力が加わったかのように両端がくしゃり、と歪んでいた。
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