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しおりを挟む「な、んで……」
アイーシャが信じられない物を見た、と言うように呆然とした様子で小さく呟くと使用人のルミアが素早くアイーシャの元へとやって来て、そっと耳打ちしてくれる。
「お嬢様……申し訳ございません。ケティング侯爵子息が、お嬢様が別邸に立たれた後何度も子爵邸にお越しになっていて……」
「……侯爵家の方ですものね。使用人の皆ではお帰り下さいと強く言えないのも分かるわ……」
ルミアから告げられた言葉でアイーシャはベルトルトが何故この邸に居るのかを悟ると、疲れたように溜息を吐き出した。
今日のように、まだ日も高い時間帯に邸に戻って来てしまった事で邸で待っていたベルトルトと顔を合わせてしまった。
恐らく、長時間の滞在はしていないだろう事からもっと遅くに邸に帰宅していれば顔を合わせる事は無かっただろう。
「アイーシャ、良かった。ここ数日会えずに居たから……」
「……以前お話した通り、私とケティング卿の婚約のお話は──」
「ちょ、ちょっと待ってアイーシャ! 君も長旅だったんだろう? 玄関から場所を移動しないかい?」
さっさと話しを終わらせ、帰宅を促したかったアイーシャの心情を察したのだろう。
ベルトルトは慌てたように口を挟み、場所を移動しないかと提案した。
(……確かに、このままここで話を続けるのは……ルミアに同席してもらって、応接室でベルトルト様と話をしましょう……)
「分かりました。場所を移動しますが……話が終わりましたら直ぐにご帰宅下さい」
「あ、ああ……」
アイーシャはベルトルトに向かってそう告げると、応接室へとベルトルトを案内する。
自分の目の前を歩くアイーシャの後ろ姿を見詰めながら、ベルトルトは自分の胸元をそっと震える手で触れる。
触れた場所には、小さな小さな小瓶が入っており、その硬い小瓶に指先が当たるとベルトルトはごくり、と喉を鳴らした。
アイーシャとベルトルトが応接室に入り、使用人のルミアも入室する。
部屋の外には男性使用人も控えていて貰い、何かベルトルトが不審な行動を取ればルミアに合図を送り、直ぐにルミアが外に居る男性使用人が入室してくるようお願いをした。
アイーシャとベルトルトはお互い向かい合ってソファーに座り、ルミアがお茶を用意する。
ルミアに入れて貰ったお茶のカップをアイーシャは持ち上げ、一口カップからお茶を飲み込むとそわそわとした様子のベルトルトにちらり、と視線を向けた。
「──それで……ケティング卿……本日はどのような御用で……? エリシャは、訳あって王城におります。……エリシャにお会いになりたいのであれば、王城に登城し、面会の許可を取って下さい」
「いや……違うんだ、僕は、アイーシャに会いたくて……」
弱々しくそう呟くベルトルトに、アイーシャは眉を寄せる。
「私に、ですか……? 何故でしょうか? 私とケティング卿の婚約については破棄して頂くようお願いしている最中ですが」
「そっ、それが……! アイーシャ一人だけでそうやって決めてしまっているけど、僕はアイーシャとの婚約を破棄するのを認めていない……!」
ソファから腰を浮かせてそう言い募るベルトルトに、アイーシャは益々眉を寄せる。
散々、エリシャとの仲を見せ付けておいて今更それは無いだろう、と流石にアイーシャも苛立ちを覚える。
「ケティング卿はエリシャがお好きなのですよね? それならば、エリシャと婚約を結び直せばよろしいのでは無いでしょうか」
今となっては、エリシャは魅了魔法や信用魔法、果てには何やら国で禁忌とされる消滅魔術の魔法まで取得していたらしいので、刑罰を受けるのは確かだが、それが分かる以前から目の前の婚約者だった男はエリシャに惹かれ、エリシャを好いているように見えた。
そうでなければ、曲がりなりにも自分の婚約者であるアイーシャを頭から否定しエリシャとばかり行動を共になどしないだろう。
「ぼっ、僕の婚約者はアイーシャだけだ……! エリシャとは、確かに……っそのっ、お互い惹かれ合ってしまっていたけど、気の迷いと言うか……っ」
「──気の迷い……?」
ベルトルトの勝手な言い分に、アイーシャは苛立ちが募って来る。
気の迷いで、何年間も自分は苦しんだのだろうか、と怒りを込めた視線をベルトルトに向けると、ベルトルトは自分の失言に気付いたのだろう。
あっ、と小さく声を出して瞳を揺らし狼狽えている。
「気の迷いでも、何でも……私達の婚約はもう……」
アイーシャがベルトルトの顔を見たく無い、と言うように視線を逸らし、俯いた所で。
ベルトルトはちらり、と同席していたルミアの方へと視線を向ける。
ルミアも、外に居る男性使用人を呼ぼうかとベルトルトとアイーシャから視線を逸らしている。
(今の内に……っ、)
二人の視線が、自分から一瞬だけ逸れた瞬間。
ベルトルトは自分の懐に入っている小瓶の蓋を開けると、自分に一番適性のある水魔法と風魔法を組み合わせ発動させる。
この時の為に、この瞬間の為にベルトルトは父に言われ魔法の発動を気取られぬよう、発動の瞬間を分からないように邸で必死に静かに発動が出来るように訓練をしてきた。
アイーシャとルミアが見ていない内に、極限まで小さく小さく圧縮させた透明な雫を、アイーシャの飲んでいたカップへと混入させた。
ベルトルトは体内にあった殆どの魔力を全て水魔法と風魔法を発動させる為に使用させた為か、顔色が真っ青になり極度の疲労状態へと陥った。
「──え、?」
ベルトルトの様子が何やらおかしい事に気付いたアイーシャは、ばっと顔を上げると突然顔色が悪くなっているベルトルトに視線を向け、狼狽える。
「な、だ、大丈夫ですか……ケティング卿」
「ご、ごめん大丈夫……。アイーシャと、婚約を破棄なんてしたくなくて……破棄した時の事を考えたら辛くて……」
ベルトルトは小さく声を出して自分の目元を手のひらで覆うと、指の隙間からアイーシャの様子を窺った。
アイーシャは、ベルトルトが突然そのような事を言い出した事に気まずさを感じているのだろうか。
(きっと、気にしてはいるはずだ……)
突っぱねるような冷たい事を口にしながら、気まずさは感じている筈。
手持ち無沙汰になって、カップに口を付けるかもしれない、と考えていたベルトルトの思惑通り、アイーシャはベルトルトから視線を逸らしたままカップに口を付けた。
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