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 ──嘘だ、そんな事が……。
 クォンツは頭の中がこんがらがり、自分の父親とウィル、と呼ばれた男が会話をしている様子を瞳を見開いたまま見詰める。

 赤紫の躑躅色の髪色は、アイーシャのそれと同じで、何処か目の前のウィルはアイーシャの顔立ちと似ている。
 まさか、生きていたのか、とクォンツは一瞬喜びに心が沸き立つがそれは有り得ない、と瞬時に考えを切り替える。

(アイーシャ嬢の父親が生きていれば……年齢は四十程になる筈、だ……それなのに……目の前に居るウィルと言う男は精々三十程……っ、年齢が合わない……)

 だが、それでもアイーシャと良く似ているウィルに全く無関係とは思えない。
 遠縁の血縁者か、それとも、とクォンツが考えているとクォンツの父親が視線を向けて来て、名前を呼ぶ。

「クォンツ、お前からもお礼を」
「──っ、はい……。ウィル殿、この度は父のみならず、私の命も救って頂きありがとうございました」

 クォンツは、自分の胸元に手を当てて軽く頭を下げる。
 ウィルはクォンツと父親のその言葉に「いやいや」と手を振って笑うと唇を開く。

「お礼など……本当に良いのですよ。……元々は私も怪我をして……この地で助けられた身。助けを求める人が居るのであれば、私がそうしてもらったように助けるだけです」
「ウィル、殿も……怪我を……?」
「ええ、はい」

 怪我をして、この地で助けられた。
 ウィルはあっさりとそう告げ、クォンツの言葉に頷いた。

「でも……ウィル殿もお怪我はそこまで酷く無かったのですね。今はお元気そうで安心しました……良かったです」
「──……っ、ええ、はい」

 クォンツの言葉に、ウィルは何処か曖昧な態度で笑顔を浮かべて返事をする。
 その態度に、クォンツは若干首を傾げたがそう言えば、と父親の言葉を思い出す。

「そう言えば……、ウィル殿には奥方が居る……、と父が言ってました。……私にも奥方にお礼を告げさせて下さい」
「ああ、それは妻も喜ぶでしょう。どうぞこちらへ」

 クォンツの言葉に、ウィルは悲しそうに笑顔を浮かべると「こちらに」と腕が指し示したのはこの家の玄関扉だった。
 今は外に居るのだろうか、とクォンツが不思議に思っていると、ウィルとクォンツの父親は扉を開けて外へと出て行く。
 クォンツも黙って二人に着いて行き、暫く歩く。

 家から少し離れた場所。
 山中にも関わらず、向かう視線の先には小高い丘のようになっている場所があり、花々が所狭しと咲き誇り、とても幻想的な光景となっている。

 これ程美しい場所であるのなら、きっと奥方もこの場所に足を運ぶだろう、とクォンツが考えていると近付くにつれて、ぼんやりとしか見えていなかった物がくっきりと見えて来て、クォンツはついそこで足を止めてしまった。
 じゃり、とクォンツが足を止めた事に気付いたのだろう。
 先頭を歩いていたウィルは、眉を下げて悲しそうな笑みを浮かべながら。
 クォンツの父親は痛ましい表情を顔に浮かべながら、クォンツが見詰める先の「それ」にじっと視線を向けている。

 クォンツの目の前に現れた「それ」は何処からどう見ても墓標であった。





 クォンツは、小さな墓標の前で手を揃えて目を閉じ祈りを捧げた後、ふっと目を開く。
 そうして、名前も何も刻まれていない墓標に切なさの滲んだ視線を落とすと、ウィルがクォンツの隣にやって来て、ぽつりぽつりと語ってくれた。

「……先程、私も怪我をしたとお話したでしょう? どうやら、私は妻と出掛けて居る最中に事故に会い……転落事故? に巻き込まれてしまい、貴方達と同じように川に流され、ここに辿り着いたようです。……事故の影響か何か……分からないのですが……、私は記憶を失ってしまってましてね……恥ずかしながら妻がいた事も分からず……」
「それ、は……とても大変な……」
「ええ、最初は。……けれど、私の隣に倒れていた女性が私をウィル、と呼んでくれたので、辛うじて名前は分かったのですが……その女性、妻は私にそう話し掛けた後直ぐに息を引き取ってしまって……」

 ウィルから聞かされる言葉に、クォンツは頭の中が真っ白になってしまう。

 アイーシャの両親は、生きていたのだ。
 事故死した、と言うもの亡骸が見つからず、本人達も子爵家に戻らなかった為、捜索は打ち切られ死亡したとして処理されてしまっていたが、父親が記憶を失っていたと言うのであればそれも頷ける。
 十年間、亡くなった妻の墓守をしつつ、一人でこのような山中で暮らして来て、どれだけ孤独だったのだろうか、とクォンツはウィルの心中を思うと何ともやるせない気持ちが込み上げて来る。

 あんたには娘が居て、あんたの帰りを待っているんだ、と説明しても記憶の無いウィルは娘の事も覚えていないし、妻の名前すら知らない状態だ。
 それに、もう一つ大きな疑問が残る。

 本当に、目の前の男はアイーシャの実の父親なのだろうか。
 顔立ちと、髪の毛の色を見ればアイーシャと血縁関係があるのは察せる。
 事故の話しも、ウィルが嘘をついていないのであればアイーシャの父親である可能性は大きい。アイーシャの母親が既に亡くなってしまっている事は辛く悲しい事ではあるが、それでもアイーシャはきっと自分の父親が生きていればどれだけ喜ぶだろうか。

 だが、とクォンツは自分の横に立つウィルをちらりと横目で見遣りぐっ、と唇を噛み締める。



(明らかに……若過ぎる……、童顔だとしてもこれはその範囲を超えている、だろう……!? 何故、こんなにも若々しい……? 当時の資料ではアイーシャ嬢が六歳の頃、父親である・ルドランは三十歳……目の前のウィル殿がちょうどその位の歳だろう……!? まさか、あの事故の日から歳を取っていない、とでも言うのか……!?)
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