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──コンコン、と部屋の扉をノックする音にシェリナリアはハッとして顔を上げると、次いで扉の向こう側から聞こえて来た「カイル・クロージックです」と言う言葉にふわりと微笑んだ。

「──っ、いけない。……入って」

シェリナリアは浮かんだ笑みを消すために自分の頬をぺしぺしと手のひらで軽く叩くと、いつものように落ち着いた声音で扉に向かって声を発した。

「失礼致します、皇女様」

シェリナリアの入室を許可する声が聞こえてから、一拍後。
再度カイルの声が聞こえて来て、扉が開かれる。

姿を表したカイルは、室内に用意されたお茶や軽く摘める軽食が用意されているのを見て、軽く目を見張った。
同席を許し、軽食まであると言う事は少し話が長くなるだろう事が伺える。

カイルは戸惑う気持ちを表には出さずに何とか取り繕うと、扉の前で立ち止まる。
背後でパタリ、と扉が閉まった音が聞こえ、室内にはシェリナリアとカイル二人きりとなった。

「カイル、まずは座って頂戴?あなた、仮眠から起きてまだ昼食もまだでしょう?」
「ええ……そう、ですが……」

シェリナリアからソファへ座るように促されて、カイルはちらりとそちらに視線を向けると、シェリナリアにバレないようにそっと室内の様子を伺う。

(──本当に誰も居ない、のか……)

視線を巡らせ、確認しても部屋の隅にもメイドや侍従は居らず、室内には他の人間の気配も無い。

(こんな事、何年ぶりだ……)

まだシェリナリアが幼い頃に、こうして自室で二人きりになった事は数回あるが、シェリナリアが成人を迎えてからは決して長時間シェリナリアと二人きりになった事は無かった。
お互い、無意識にそうなるのを避けていたと言うのもある。
専属護衛と言っても、結局は異性である。
まだ年若い男女が密室で長時間共に過ごすと言う事は周囲から見ればあまり心象がよろしくない。

ましてやシェリナリアはこのアレンバレスト帝国の皇族だ。
皇族が、皇女が専属護衛騎士の男と親しすぎる、と言う印象を抱かせてはいけない、とカイル自身も理解していたし、納得していた。
だから、シェリナリアが同じ専属護衛騎士であるシアナの事をまるで姉のように慕い、自室で何度も談笑している事を知った時も多少羨ましい、とは思ったがカイル自らがシェリナリアと談笑する時間が欲しい、等とは言えず無理矢理自分を納得させて来た。

(──確かに、シアナをいいな、とは思った事はあるが……まさか本当にこうなると戸惑いが隠せない……皇女様は護衛騎士を信用し過ぎでは?)

勿論有り得ないが、万が一カイルが悪事を働いた場合、シェリナリアは逃げる事が出来ない。
カイルの背後には部屋の扉があり、何かあった際シェリナリアはカイルを避けて扉の外へ逃げなければいけないが恐らくカイルが動く方が早い。
悲鳴を上げる前に組み伏せる事は可能だし、外に控えている近衛騎士を呼ぶ前にやはりカイルはシェリナリアを制圧する事も可能である。

「どうしたの?カイル。座って?」
「──っ、失礼致しますっ」

カイルがぐるぐると様々な事を考えていると、ソファに座る気配がないカイルを、不思議そうな表情を浮かべたシェリナリアが再度座るように促す。
シェリナリアに声を掛けられて、カイルは僅かにビクリと体を揺らすと、ぴん、と背筋を伸ばしてそのままソファへと腰掛けた。

カイルが座った事を確認したシェリナリアは、自らカップに紅茶を注ぎ始める。
その様子を見たカイルが、慌てて自分が代わりにやろうと腰を浮かし掛けた所で、シェリナリアに有無を言わさない視線を向けられてしまい、浮かした腰をそのまま再度ソファへと下ろした。

紅茶をカップに注ぎながら、シェリナリアは楽しそうに唇を開いた。

「──ふふ、昔同じような場面があったわね?美味しく紅茶を入れられるようになりたい、と言ってカイルとシアナを部屋に招いて何度も、何杯も紅茶を飲んでもらったわ」
「ああ……ははっ、確かにありましたね。皇女様が自分も立派な大人だ、と仰って美味しい紅茶くらい淹れると」
「ええ、そう……。ふふっ今考えれば紅茶を淹れるのは侍女やメイドの仕事なのに、私は何を思ったのか……暫く彼女達の仕事を奪ってしまったのよね」
「ええ。あの頃、皇女様付きのメイドや侍女達が困ったようにしておりましたね?」
「ええ本当に。彼女達には悪い事をしてしまったわ」

懐かしそうに微笑んでいるシェリナリアを見て、何故かカイルはじりじりと焦燥感に駆られる。
何故今、そんな昔の事を懐かしそうに話しているのか。
何故思い出話を突然し始めたのかカイルには検討もつかないが、何故か嫌な予感がむくむくと自分の胸の中で膨らみ、所在なさげに身動ぎする。

(俺は、嫌な予感程昔から良く当たる……)

「さあ、どうぞ。飲んで」
「──頂戴致します」

シェリナリアに笑顔で勧められ、カイルはそっとカップに手を伸ばした。
カップを自分の口元に運びながら、そっとシェリナリアを観察する。
いつもの様子に見えるが、シェリナリアは何処と無く緊張しているように見える。
そして、笑顔が、いつものシェリナリアとは違い何処か硬い。
何かを誤魔化すように無理矢理笑顔を貼り付けているように感じれてしまい、カイルは歯噛みした。

(シアナにだったら、皇女様はこのような笑顔を見せないだろう……。俺、だからだろうか……)

そうだったら、少し寂しいな。とカイルが思いながら紅茶を一口嚥下して、その紅茶が美味しい、と瞳を僅かに見開いた時、シェリナリアは唇を開いた。

「──さて、カイル。貴方を今日ここに呼んだのは、私が嫁いだ後、ここに留まるか、着いてくるか確認する為なの」
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