7 / 27
7
しおりを挟む──こんこん!
と強めに書斎の扉をノックする。
力強いノックの音に、父親はルーシェが会いに来たと言う事が分かるだろう。
案の定、扉の奥からは「ルーシェか?どうした?」と言う父親の声が聞こえて来て、ルーシェは入室の挨拶をすると扉のドアノブに手を掛け、扉を開けた。
「お忙しい所申し訳ございません、お父様」
「どうしたんだ?──何かあったか?」
ルーシェの顔を見るなり、キョトンとした表情を浮かべていた父親の表情が引き締まる。
ルーシェがこの表情を浮かべている時は、今までの経験上、娘がとてつもない怒りを抱いている時だと言う事を知っている。
怒りを抑えられない程の感情を抱き、今にも爆発しそうなルーシェに、父親は慌てて執務机から腰を上げると書斎のソファにルーシェを案内する。
「ルーシェ、そこまで感情を昂らせる事があったのか?何があった?」
過去、ルーシェは王都内で貴族が平民に対して難癖を付け、酷く罵っている場面に遭遇した事がある。
その時、ルーシェはまだ十歳余り。
権力や立場ある者が、無い者に対して残酷な仕打ちをしている場面に遭遇してしまったルーシェの行動は早かった。
その日、家族で街へ散策に来ていたハビリオン一家は、護衛も数人連れて街へ来ていた。
だが、その護衛が止める暇も無くルーシェはその貴族達の前に躍り出ると平民を庇うように立ち塞がり、貴族数人に啖呵をきってしまったのだ。
十歳程のまだ幼い子供が、大人の貴族相手に刃向かってしまった。
確かに、その貴族達の行いは酷い物で、ルーシェの父親は護衛達に指示をして止めるのと、王都の憲兵に知らせを送ろうとしていたのだが娘が動く方が早かったのだ。
怒りが頂点に達すると、衝動的にルーシェは感情的に動いてしまう悪癖があった。
あの時はまだ家族がすぐ傍にいたのと、護衛を連れていたから言いものの、もし自分達がいない時にルーシェの怒りが爆発したら、と父親は真っ青になった物だ。
子供のくせに、と簡単にねじ伏せられてしまう可能性だってある。
危険な事はしてくれるな、と帰宅後に口酸っぱくルーシェに話した事を今でも鮮明に思い出せる程だ。
そして、貴族女性としてそれはいけないとルーシェ自身も年を重ねるに連れ自分の感情をコントロールする術を得て、そうそう爆発する事も無くなったが、今現在。
久しぶりに父親の目の前でルーシェの怒りが爆発しそうになっている。
ルーシェが十歳の頃に啖呵をきった貴族達は、伯爵家より家柄が下だったのと、幼い少女に滅茶苦茶に言い負かされ情けないのとで外部に漏らす事は無かったが、またそうなってしまいそうな雰囲気をひしひしと目の前のルーシェから感じる。
これはいけない、と父親はルーシェの怒りを発散させなければ、と話を聞く体勢に入った。
父親が真っ直ぐと自分を見詰めてくれ、ルーシェは幾ばくか落ち着きを取り戻すと、父親に向かって唇を開いた。
「──私の婚約者、キアト・フェルマン卿との婚約を解消させて頂きたくお願いに参りました」
「──……は?」
ルーシェの言葉を聞き、しっかりとその内容を頭の中で繰り返した父親はルーシェの言葉が信じられず、ついつい素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ちょ、待ってくれルーシェ。あれだけキアト殿との婚約を喜んでいたじゃないか?何度も会う内に、人柄にも惹かれたと、学園を卒業して結婚出来るのが嬉しい、と卒業を心待ちにしていたじゃないか?何故突然そんな事になったんだ」
キアトは、口下手で寡黙な所もあるが、根はしっかりとした、誠実な男だ。
それはルーシェの父親である自分も分かっている。
それに、口下手ではあるが確かにキアトもルーシェを大切に想っているのがキアトの視線からも伺えて、二人の未来は明るいな。と安心していたのに。
戸惑う父親の言葉に、ルーシェは怒りでわなわなと体を震わせながら、言葉を紡ぐ。
「はい、私もそのつもりでした……。早く学園を卒業したい、と。あの方と早く結婚したい、と願っていたのです……。ですが……っ、他の女性との子供が居る方とこのままあっさりと結婚する事など出来ません……っ、しかも、彼は私にその姿を見られたと言うのに可笑しな誤魔化し方をして、ちゃんとご説明もしてくれず……っ不誠実な態度を取られてしまったのです……っ」
このままでは、信じ合い愛し合い結婚する事は出来ない、とルーシェはキッパリと言い放つ。
「──は、?子供……?」
そんな訳が無いだろう。
父親はその言葉が頭の中に浮かんでくる。
あの悪く言えば愚直で、良く言えば正直者のキアトが、婚約者以外の女性と関係を持ち、子供まで居る、と?
そんな事は有り得ない。
そう、簡単に答えが出る。
ルーシェの見間違いか、勘違いをしているのではないだろうか。
だが、今はルーシェも頭に血が上っていて、冷静に物事を判断出来ないだろう。
「そう」と思い込んだら中々その考えから抜け出す事が出来ないのだ。
悪く言えばルーシェも愚直な人間なのだ。
まあ、似た者同士だからお似合いではあるのだが。
「──分かった……、ルーシェの気持ちは分かったから……一度話し合いの場を設けようではないか」
数日、日を空けて頭に血が上ったルーシェは、落ち着く時間を設けなければいけない。
そう考えた父親は、ルーシェの言葉にこくりと頷きキアトと話す場を設ける事を約束した。
父親の言葉を聞き、安心した表情を浮かべたルーシェは、そこでやっとぎこちないながらも微笑みを浮かべると、父親に対してルーシェも頷き返した。
「──ありがとうございます、お父様。キアト・フェルマン卿も、話し合いの場が欲しいと仰ってましたので、明日にでも連絡が来るかと思います。宜しくお願い致します」
51
お気に入りに追加
1,527
あなたにおすすめの小説
もうすぐ婚約破棄を宣告できるようになるから、あと少しだけ辛抱しておくれ。そう書かれた手紙が、婚約者から届きました
柚木ゆず
恋愛
《もうすぐアンナに婚約の破棄を宣告できるようになる。そうしたらいつでも会えるようになるから、あと少しだけ辛抱しておくれ》
最近お忙しく、めっきり会えなくなってしまった婚約者のロマニ様。そんなロマニ様から届いた私アンナへのお手紙には、そういった内容が記されていました。
そのため、詳しいお話を伺うべくレルザー侯爵邸に――ロマニ様のもとへ向かおうとしていた、そんな時でした。ロマニ様の双子の弟であるダヴィッド様が突然ご来訪され、予想だにしなかったことを仰られ始めたのでした。
失踪した婚約者の連れ子と隠し子を溺愛しています。
木山楽斗
恋愛
男爵令嬢であるエリシアは、親子ほど年が離れたヴォルダー伯爵と婚約することになった。
しかし伯爵は、息子や使用人達からも嫌われているような人物だった。実際にエリシアも彼に嫌悪感を覚えており、彼女はこれからの結婚生活を悲観していた。
だがそんな折、ヴォルダー伯爵が行方不明になった。
彼は日中、忽然と姿を消してしまったのである。
実家の男爵家に居場所がないエリシアは、伯爵が失踪してからも伯爵家で暮らしていた。
幸いにも伯爵家の人々は彼女を受け入れてくれており、伯爵令息アムドラとの関係も良好だった。
そんなエリシアの頭を悩ませていたのは、ヴォルダー伯爵の隠し子の存在である。
彼ととあるメイドとの間に生まれた娘ロナティアは、伯爵家に引き取られていたが、誰にも心を開いていなかったのだ。
エリシアは、彼女をなんとか元気づけたいと思っていた。そうして、エリシアと婚約者の家族との奇妙な生活が始まったのである。
お久しぶりですね、元婚約者様。わたしを捨てて幸せになれましたか?
柚木ゆず
恋愛
こんなことがあるなんて、予想外でした。
わたしが伯爵令嬢ミント・ロヴィックという名前と立場を失う原因となった、8年前の婚約破棄。当時わたしを裏切った人と、偶然出会いました。
元婚約者のレオナルド様。貴方様は『お前がいると不幸になる』と言い出し、理不尽な形でわたしとの関係を絶ちましたよね?
あのあと。貴方様はわたしを捨てて、幸せになれましたか?
【完結】私はいてもいなくても同じなのですね ~三人姉妹の中でハズレの私~
紺青
恋愛
マルティナはスコールズ伯爵家の三姉妹の中でハズレの存在だ。才媛で美人な姉と愛嬌があり可愛い妹に挟まれた地味で不器用な次女として、家族の世話やフォローに振り回される生活を送っている。そんな自分を諦めて受け入れているマルティナの前に、マルティナの思い込みや常識を覆す存在が現れて―――家族にめぐまれなかったマルティナが、強引だけど優しいブラッドリーと出会って、少しずつ成長し、別離を経て、再生していく物語。
※三章まで上げて落とされる鬱展開続きます。
※因果応報はありますが、痛快爽快なざまぁはありません。
※なろうにも掲載しています。
お姉様。ずっと隠していたことをお伝えしますね ~私は不幸ではなく幸せですよ~
柚木ゆず
恋愛
今日は私が、ラファオール伯爵家に嫁ぐ日。ついにハーオット子爵邸を出られる時が訪れましたので、これまで隠していたことをお伝えします。
お姉様たちは私を苦しめるために、私が苦手にしていたクロード様と政略結婚をさせましたよね?
ですがそれは大きな間違いで、私はずっとクロード様のことが――
婚約者と妹が運命的な恋をしたそうなので、お望み通り2人で過ごせるように別れることにしました
柚木ゆず
恋愛
※4月3日、本編完結いたしました。4月5日(恐らく夕方ごろ)より、番外編の投稿を始めさせていただきます。
「ヴィクトリア。君との婚約を白紙にしたい」
「おねぇちゃん。実はオスカーさんの運命の人だった、妹のメリッサです……っ」
私の婚約者オスカーは真に愛すべき人を見つけたそうなので、妹のメリッサと結婚できるように婚約を解消してあげることにしました。
そうして2人は呆れる私の前でイチャイチャしたあと、同棲を宣言。幸せな毎日になると喜びながら、仲良く去っていきました。
でも――。そんな毎日になるとは、思わない。
2人はとある理由で、いずれ婚約を解消することになる。
私は破局を確信しながら、元婚約者と妹が乗る馬車を眺めたのでした。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
婚約者様。現在社交界で広まっている噂について、大事なお話があります
柚木ゆず
恋愛
婚約者様へ。
昨夜参加したリーベニア侯爵家主催の夜会で、私に関するとある噂が広まりつつあると知りました。
そちらについて、とても大事なお話がありますので――。これから伺いますね?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる