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──こんこん!
と強めに書斎の扉をノックする。

力強いノックの音に、父親はルーシェが会いに来たと言う事が分かるだろう。

案の定、扉の奥からは「ルーシェか?どうした?」と言う父親の声が聞こえて来て、ルーシェは入室の挨拶をすると扉のドアノブに手を掛け、扉を開けた。

「お忙しい所申し訳ございません、お父様」
「どうしたんだ?──何かあったか?」

ルーシェの顔を見るなり、キョトンとした表情を浮かべていた父親の表情が引き締まる。
ルーシェがこの表情を浮かべている時は、今までの経験上、娘がとてつもない怒りを抱いている時だと言う事を知っている。
怒りを抑えられない程の感情を抱き、今にも爆発しそうなルーシェに、父親は慌てて執務机から腰を上げると書斎のソファにルーシェを案内する。

「ルーシェ、そこまで感情を昂らせる事があったのか?何があった?」



過去、ルーシェは王都内で貴族が平民に対して難癖を付け、酷く罵っている場面に遭遇した事がある。
その時、ルーシェはまだ十歳余り。
権力や立場ある者が、無い者に対して残酷な仕打ちをしている場面に遭遇してしまったルーシェの行動は早かった。

その日、家族で街へ散策に来ていたハビリオン一家は、護衛も数人連れて街へ来ていた。
だが、その護衛が止める暇も無くルーシェはその貴族達の前に躍り出ると平民を庇うように立ち塞がり、貴族数人に啖呵をきってしまったのだ。

十歳程のまだ幼い子供が、大人の貴族相手に刃向かってしまった。
確かに、その貴族達の行いは酷い物で、ルーシェの父親は護衛達に指示をして止めるのと、王都の憲兵に知らせを送ろうとしていたのだが娘が動く方が早かったのだ。
怒りが頂点に達すると、衝動的にルーシェは感情的に動いてしまう悪癖があった。

あの時はまだ家族がすぐ傍にいたのと、護衛を連れていたから言いものの、もし自分達がいない時にルーシェの怒りが爆発したら、と父親は真っ青になった物だ。
子供のくせに、と簡単にねじ伏せられてしまう可能性だってある。
危険な事はしてくれるな、と帰宅後に口酸っぱくルーシェに話した事を今でも鮮明に思い出せる程だ。

そして、貴族女性としてそれはいけないとルーシェ自身も年を重ねるに連れ自分の感情をコントロールする術を得て、そうそう爆発する事も無くなったが、今現在。
久しぶりに父親の目の前でルーシェの怒りが爆発しそうになっている。


ルーシェが十歳の頃に啖呵をきった貴族達は、伯爵家より家柄が下だったのと、幼い少女に滅茶苦茶に言い負かされ情けないのとで外部に漏らす事は無かったが、またそうなってしまいそうな雰囲気をひしひしと目の前のルーシェから感じる。

これはいけない、と父親はルーシェの怒りを発散させなければ、と話を聞く体勢に入った。




父親が真っ直ぐと自分を見詰めてくれ、ルーシェは幾ばくか落ち着きを取り戻すと、父親に向かって唇を開いた。

「──私の婚約者、キアト・フェルマン卿との婚約を解消させて頂きたくお願いに参りました」
「──……は?」

ルーシェの言葉を聞き、しっかりとその内容を頭の中で繰り返した父親はルーシェの言葉が信じられず、ついつい素っ頓狂な声を上げてしまった。

「ちょ、待ってくれルーシェ。あれだけキアト殿との婚約を喜んでいたじゃないか?何度も会う内に、人柄にも惹かれたと、学園を卒業して結婚出来るのが嬉しい、と卒業を心待ちにしていたじゃないか?何故突然そんな事になったんだ」

キアトは、口下手で寡黙な所もあるが、根はしっかりとした、誠実な男だ。
それはルーシェの父親である自分も分かっている。
それに、口下手ではあるが確かにキアトもルーシェを大切に想っているのがキアトの視線からも伺えて、二人の未来は明るいな。と安心していたのに。

戸惑う父親の言葉に、ルーシェは怒りでわなわなと体を震わせながら、言葉を紡ぐ。

「はい、私もそのつもりでした……。早く学園を卒業したい、と。あの方と早く結婚したい、と願っていたのです……。ですが……っ、他の女性との子供が居る方とこのままあっさりと結婚する事など出来ません……っ、しかも、彼は私にその姿を見られたと言うのに可笑しな誤魔化し方をして、ちゃんとご説明もしてくれず……っ不誠実な態度を取られてしまったのです……っ」

このままでは、信じ合い愛し合い結婚する事は出来ない、とルーシェはキッパリと言い放つ。

「──は、?子供……?」

そんな訳が無いだろう。

父親はその言葉が頭の中に浮かんでくる。

あの悪く言えば愚直で、良く言えば正直者のキアトが、婚約者以外の女性と関係を持ち、子供まで居る、と?
そんな事は有り得ない。

そう、簡単に答えが出る。

ルーシェの見間違いか、勘違いをしているのではないだろうか。
だが、今はルーシェも頭に血が上っていて、冷静に物事を判断出来ないだろう。

「そう」と思い込んだら中々その考えから抜け出す事が出来ないのだ。
悪く言えばルーシェも愚直な人間なのだ。

まあ、似た者同士だからお似合いではあるのだが。



「──分かった……、ルーシェの気持ちは分かったから……一度話し合いの場を設けようではないか」

数日、日を空けて頭に血が上ったルーシェは、落ち着く時間を設けなければいけない。
そう考えた父親は、ルーシェの言葉にこくりと頷きキアトと話す場を設ける事を約束した。

父親の言葉を聞き、安心した表情を浮かべたルーシェは、そこでやっとぎこちないながらも微笑みを浮かべると、父親に対してルーシェも頷き返した。

「──ありがとうございます、お父様。キアト・フェルマン卿も、話し合いの場が欲しいと仰ってましたので、明日にでも連絡が来るかと思います。宜しくお願い致します」
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