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しおりを挟む「ルーシェ……」
キアトが馬から降り、ルーシェに話し掛けるとルーシェはそっとキアトから視線を逸らした。
「──……っ、」
「何か、ご用でしょうか」
目線を合わせず、ルーシェに話し掛けられた事など今まで無い。
冷たいルーシェの声音を聞いた事がなかったキアトは、ショックで一瞬頭の中が真っ白になってしまう。
「……っ、そのっ、体調を心配して来て、くれたと知り……っ」
今はそんな事を言いたいのではない。
ルーシェの誤解を最優先で解きたいのに、キアトは自分の口から当たり障りの無い無難な言葉しか出てこない事に更に焦る。
「──ええ、そうですね……。お返事が無かったのでお風邪を召されたのかと心配になり、お見舞いに向かいました」
「あ、ああ……っ。気遣ってくれてすまない、ありがとう……」
「いいえ。お元気そうで何よりですわ」
先程から、ルーシェと全く視線が合わない。
二人のただならぬ様子に、周囲の護衛や使用人も何事だ、と戸惑っているのが手に取る様に分かり、キアトは益々焦り始める。
今までルーシェはキアトと会うと柔らかい微笑みを浮かべて、本当に嬉しそうな表情で会話をしてくれた。
それが、今はルーシェは笑顔を浮かべておらずその瞳は冷たくキアトを見詰めている。
キアトは早くルーシェに説明しなければ、と口を開こうとしたがキアトが口を開くより先にルーシェが言葉を紡いでしまう。
「──申し訳ございません。この後予定がございますのでそろそろ邸に戻りたいのですが……」
「えっ、ああ、忙しい所すまない。……その、きちんと話をしたい……ルーシェの都合のいい日を教えて貰ってもいいだろう、か……」
「そうですわね……お話、しなければなりませんね。今決める事は出来ませんので、改めてお手紙を頂いても宜しいでしょうか」
「あ、ああ。分かった。送ろう」
ルーシェの言葉に、キアトがこくこくと頷くと話はこれで終わりだと言わんばかりにルーシェはキアトに向かって「では」と頭を下げると邸の門をくぐり、邸の入口の方へと歩いて行ってしまう。
ルーシェの後を着いて行く使用人や護衛が、気まずそうにちらちらと何度かキアトに視線を向けて来る。
使用人や護衛達も何が何だか把握出来ていないのだろう。
その後ろ姿をじっと見つめながら、キアトは結局ルーシェと一度も視線が合わなかった事を思い出し、このまま別れて良かったのか、と不安になって来る。
「いや、……だがルーシェはこの後予定がある、と……。無理に引き止めてしまうのは……」
だが。
と、思い出す。
「──俺は、ルーシェに赤子の事を説明した、か……?」
間違い無くしていない。
話した記憶が無い。
ルーシェから向けられる冷たい視線に頭の中が真っ白になり、本来言わなければ説明しなければいけない事を何一つ説明していなかった事を思い出し、キアトは思わずその場に項垂れる。
そう言えば。
「ルーシェ、から……今日は一度も名前を呼ばれていない……?」
いつもは、嬉しそうに微笑みを浮かべながら名前を呼んでくれるのに。
まるで大切な宝物の名を口にするように、大事に大事にキアトの名前を呼んでくれるルーシェが、今日顔を合わせてから目も合わなければ、名前も呼んでくれていない。
「──……失敗、した……?」
さぁっと真っ青になりながら、キアトがぽつりと呟く。
実際、ルーシェの誤解は何一つとして解けていない。
何も説明出来ていないのだから当たり前だ。
「何故俺は、ルーシェの誤解を優先的に解かなかったんだ」
冷たい視線を向けられて傷付いている場合じゃなかった。
へこたれている場合ではなかったのに。
ルーシェはキアトが赤子を抱いている姿を見て、その瞬間キアトの比では無いくらい、傷付いた筈だ。
それなのに、ルーシェから少し冷たく視線を向けられただけで頭の中を真っ白にしている場合では無かったのだ。
「ど、どうすれば……っ。そうだ、ルーシェが言ってた……!話をしなければいけない、と!手紙、手紙だ!手紙を出そう……!直ぐに時間を取って貰わなければ……!」
キアトは口早にそう呟くと、慌てて馬に跨り直し、フェルマン伯爵邸に戻る為馬を駆ける。
急いで邸に帰り、早くルーシェと話す時間を作らなければいけない。
今度こそ、ルーシェの誤解をしっかりと解かなければいけない。
赤子は、自分の子供では無い。あのタイミングではそう誤解してしまうのは当たり前だ。
だから、誤解させてしまった事を謝罪して、自分にはルーシェ以外の女性をそういった目で見た事も無ければ、触れたいとも思った事はない、と説明しなければ。
キアトがフェルマン伯爵邸に戻る後ろ姿を、ルーシェは邸の玄関の付近からじっと見詰めていた。
(あの場で、しっかりと説明してくれれば……。しっかりと謝罪をして頂ければ……けれど、はぐらかすような態度だったわ……)
政略結婚が常な貴族社会だ。
その為、愛人を持つ事は当たり前だと言われている。
だからこそ、しっかりと説明して貰いたかったのだ。
まだ自分の婚約者と結婚前に子供が出来てしまったのならば仕方ない。
仕方ない、とそう思おうとした。
ルーシェとの間に子が出来る前にこのような事が起きるのは良く無いが、キアトがしっかりと説明をして、謝罪をしてくれれば、ルーシェとしては生まれて来た子に罪は無い。
フェルマン伯爵家の子として認めるのは難しいかもしれないが、母親に引き取って貰い、育てて貰うのは構わない、と馬車で帰宅する最中ルーシェはそう覚悟した。
心を決めたのだが。
(はぐらかされてしまえば、どうする事も出来ないわ……)
ルーシェはそう考えると、邸の中へと入り父親の居る書斎へと向かう事にした。
「このまま、婚約を継続する事は出来ないわ……」
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