1 / 27
1
しおりを挟む麗らかな春の日差しが気持ちのいい午後。
フェルマン伯爵邸の庭園では、その家の次男である男と、その婚約者である女性が穏やかにお茶の時間を楽しんでいた。
「暖かくなって来て、とても過ごしやすくなりましたね、キアト様」
「ああ、そうだな……」
女性──ルーシェ・ハビリオンはこの国の伯爵家の次女である。
そのルーシェの真向かいの席に座り、静かにカップに口を付けているのはルーシェの婚約者である、キアト・フェルマン。
同じくキアトはこの国の伯爵家の次男だ。
家督を継ぐ事の無いキアトは、この国の騎士団に所属し、時々嫡男である兄の仕事の補佐も行っている。
その為、日々忙しいキアトとあまり会う時間は作れないが婚約者として月に数回のお茶の時間は必ず共に過ごしてくれるし、寡黙ながらもルーシェの言葉にはぽつりぽつりと言葉を返してくれる。
キアトが一生懸命言葉を選び、ルーシェと会話をしてくれる優しさに、ルーシェはいつも堪らない気持ちになる。
口下手で、気の利いた言葉を口にする事が殆ど出来ない目の前の男がルーシェは好きだ。
寡黙で、口下手で、だけれど真面目。
一生懸命自分の婚約者と会話をしようとしてくれる姿勢が好ましい。
きっと、この人と結婚したら穏やかで、幸せな日常を送れるのだろうな、と想像出来る。
燃え上がるような熱情は無くとも、ゆったりとじんわりと幸せを感じる事が出来るだろう。
(もうすぐ、学園を卒業する……そうしたら、キアト様と婚姻式があるのね……)
二人の婚姻式は、ルーシェが学園を卒業してからと決まっていた。
四歳年上のキアトは、今年で二十一歳となる。
ルーシェは在学中にキアトと結婚しても別に良かったのだが、学園を卒業した後に婚姻式をした方が慌ただしく無くていいだろう、とキアトに言われルーシェはそれもそうか、とキアトの提案に乗った。
(確かに……学園の卒業までに結婚していたら忙しくて勉学に集中出来なかったかもしれないものね)
キアトを待たせてしまう結果となってしまっていたが、その気遣いも嬉しかったし、ルーシェはその気遣いも自分を慮ってくれている、と考えれてとても嬉しかった。
ルーシェは、ちらりと目の前に座るキアトに視線を向ける。
キアトは視線を受けて、カップから目線を上げるとルーシェに向かって首を傾げたが、ルーシェは「何でもない」と言うように笑顔で首を横に振る。
会話が無くとも、苦ではない。
のんびりとしたこの空間がとても好きで、ルーシェは幸せな気持ちになる。
そんな笑顔のルーシェを見て、キアトも瞳を細めて自分を見てくれる。
滅多に見る事は出来ないが、キアトの口元が微かに笑みの形を作り、キアト自身もルーシェと共にいる時間に僅かでも幸せを感じてくれているのだろう。
のんびりと二人でぽつりぽつりと会話をしながら時間を過ごしていたが、ふと途中でキアトが上空を見上げた。
「──雲行きが怪しくなってきたな。雨が降るかもしれない……そろそろ送ろう」
「折角のお天気だったのに、残念ですね」
「仕方ない……。いくらでも会う時間はあるんだ。ルーシェが雨に濡れて風邪をひいては困る」
キアトがそう言うなり、椅子から立ち上がる。
キアトが立ち上がると周りにいた使用人達が素早く馬車の用意や片付けをし始める。
その様子を見ながら、ルーシェは先程キアトに言われた言葉を幸せそうにじーんと噛み締める。
(風邪をひいたら困るって、私の名前を心配そうに呟きながら、困るって……!)
むずむずと嬉しさでルーシェは自分の口元が震えてしまうのを誤魔化す為にハンカチを口元に当てる。
婚約者として、相手の事を気遣うのは当たり前の事ではあるがその気遣いがとてもこそばゆく、また幸せでルーシェはキアトに向かって微笑むと頷く。
「そうですね。またお手紙を出しますので次のお茶の日にちを決めましょう」
「ああ。そうしよう」
こくり、と頷くキアトに促され共に馬車まで歩いて行く。
馬車に乗る時にすっとキアトから手のひらが差し出され、ルーシェは頬を染めながら礼を述べると馬車に乗り込んだ。
唯一触れ合える事が出来る、このエスコートの時間がルーシェはとても好きだ。
まだ成人前のルーシェは、キアトと夜会等に参加した事は無くダンスを踊った事も無い。
伯爵令嬢として参加する時は身内の男性としかダンスを踊らない為、こうして馬車に乗る時に僅かに触れ合う事しか出来ない。
そうして、ルーシェと触れ合った時に頬を染めて恥ずかしそうに視線を外すキアトの表情が、年上の男性なのに可愛く見えてしまって、その表情を見る事が出来るのが自分だけなのだ、と言う事が知れてルーシェはとても幸せな気持ちになる。
共に馬車に乗り込み、ハビリオン伯爵家に戻る道中、ルーシェとキアトはお茶の時間と同じく、ぽつぽつと会話を続けながら過ごした。
そして、キアトに送り届けてもらった翌日。
送ってもらったお礼と、次のお茶の日取りを決める為にルーシェはキアトに手紙を送ったが、いつもは数日で戻ってくる手紙の返事が、何日経っても来る事はなかった。
78
お気に入りに追加
1,534
あなたにおすすめの小説

もうすぐ婚約破棄を宣告できるようになるから、あと少しだけ辛抱しておくれ。そう書かれた手紙が、婚約者から届きました
柚木ゆず
恋愛
《もうすぐアンナに婚約の破棄を宣告できるようになる。そうしたらいつでも会えるようになるから、あと少しだけ辛抱しておくれ》
最近お忙しく、めっきり会えなくなってしまった婚約者のロマニ様。そんなロマニ様から届いた私アンナへのお手紙には、そういった内容が記されていました。
そのため、詳しいお話を伺うべくレルザー侯爵邸に――ロマニ様のもとへ向かおうとしていた、そんな時でした。ロマニ様の双子の弟であるダヴィッド様が突然ご来訪され、予想だにしなかったことを仰られ始めたのでした。

婚約者様。現在社交界で広まっている噂について、大事なお話があります
柚木ゆず
恋愛
婚約者様へ。
昨夜参加したリーベニア侯爵家主催の夜会で、私に関するとある噂が広まりつつあると知りました。
そちらについて、とても大事なお話がありますので――。これから伺いますね?

私を捨てた元婚約者が、一年後にプロポーズをしてきました
柚木ゆず
恋愛
魅力を全く感じなくなった。運命の人ではなかった。お前と一緒にいる価値はない。
かつて一目惚れをした婚約者のクリステルに飽き、理不尽に関係を絶った伯爵令息・クロード。
それから1年後。そんな彼は再びクリステルの前に現れ、「あれは勘違いだった」「僕達は運命の赤い糸で繋がってたんだ」「結婚してくれ」と言い出したのでした。

お前なんかに会いにくることは二度とない。そう言って去った元婚約者が、1年後に泣き付いてきました
柚木ゆず
恋愛
侯爵令嬢のファスティーヌ様が自分に好意を抱いていたと知り、即座に私との婚約を解消した伯爵令息のガエル様。
そんなガエル様は「お前なんかに会いに来ることは2度とない」と仰り去っていったのですが、それから1年後。ある日突然、私を訪ねてきました。
しかも、なにやら必死ですね。ファスティーヌ様と、何かあったのでしょうか……?

婚約者マウントを取ってくる幼馴染の話をしぶしぶ聞いていたら、あることに気が付いてしまいました
柚木ゆず
恋愛
「ベルティーユ、こうして会うのは3年ぶりかしらっ。ねえ、聞いてくださいまし! わたくし一昨日、隣国の次期侯爵様と婚約しましたのっ!」
久しぶりにお屋敷にやって来た、幼馴染の子爵令嬢レリア。彼女は婚約者を自慢をするためにわざわざ来て、私も婚約をしていると知ったら更に酷いことになってしまう。
自分の婚約者の方がお金持ちだから偉いだとか、自分のエンゲージリングの方が高価だとか。外で口にしてしまえば大問題になる発言を平気で行い、私は幼馴染だから我慢をして聞いていた。
――でも――。そうしていたら、あることに気が付いた。
レリアの婚約者様一家が経営されているという、ルナレーズ商会。そちらって、確か――
貴方に私は相応しくない【完結】
迷い人
恋愛
私との将来を求める公爵令息エドウィン・フォスター。
彼は初恋の人で学園入学をきっかけに再会を果たした。
天使のような無邪気な笑みで愛を語り。
彼は私の心を踏みにじる。
私は貴方の都合の良い子にはなれません。
私は貴方に相応しい女にはなれません。

お姉様。ずっと隠していたことをお伝えしますね ~私は不幸ではなく幸せですよ~
柚木ゆず
恋愛
今日は私が、ラファオール伯爵家に嫁ぐ日。ついにハーオット子爵邸を出られる時が訪れましたので、これまで隠していたことをお伝えします。
お姉様たちは私を苦しめるために、私が苦手にしていたクロード様と政略結婚をさせましたよね?
ですがそれは大きな間違いで、私はずっとクロード様のことが――

どうやらこのパーティーは、婚約を破棄された私を嘲笑うために開かれたようです。でも私は破棄されて幸せなので、気にせず楽しませてもらいますね
柚木ゆず
恋愛
※今後は不定期という形ではありますが、番外編を投稿させていただきます。
あらゆる手を使われて参加を余儀なくされた、侯爵令嬢ヴァイオレット様主催のパーティー。この会には、先日婚約を破棄された私を嗤う目的があるみたいです。
けれど実は元婚約者様への好意はまったくなく、私は婚約破棄を心から喜んでいました。
そのため何を言われてもダメージはなくて、しかもこのパーティーは侯爵邸で行われる豪華なもの。高級ビュッフェなど男爵令嬢の私が普段体験できないことが沢山あるので、今夜はパーティーを楽しみたいと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる