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六十三話
しおりを挟むバタバタ、と慌ただしく尋の部下である他の妖怪達も広間の中に駆け付ける気配を感じる。
畳に横たわり、ぴくりとも動かない朱音を警戒はしつつ、「終わったのだ」と言う安心感が緋色の胸中を満たす。
自分の肩を力強く抱き、しっかりと支えてくれる尋の頼もしさにほっとしていると、芙蓉と菖蒲が人型に戻り、二人に駆け寄った。
「お二人ともご無事で……!」
「本当に良かった、良かったですわ緋色様……! 緋色様のお姿が見えなくなってしまった時はどうしようかと……!」
顔面蒼白のまま、芙蓉は緋色と尋を労るような言葉をかけ、菖蒲は尋に支えられ辛うじて立っている緋色に抱き着く。
菖蒲の突然の行動に、「ひゃあ!」と驚きの声を上げ緋色は体勢を崩してしまう。
ぐらり、と傾いた緋色の体を慌てて尋も支えようとしたが、尋自身も消耗が激しかったのだろう。普段ならば難無く支えてくれる尋も、菖蒲が緋色に抱き着いたため二人分の体重を支え切る事が出来ず、そのまま三人で畳に倒れてしまった。
「──~っ、菖蒲!」
「も、申し訳ございません尋様っ! わ、私あの女を拘束してきますわっ!」
まさか自分の主を緋色共々畳に倒してしまうとは思わなかったのだろう。
菖蒲は慌てて二人の上から立ち上がり、逃げるように芙蓉と共に朱音の下に向かった。
朱音は自力で起き上がる事も出来なくなってしまったのだろう。
その状態を見て、そして芙蓉と菖蒲が朱音を拘束し始めた光景を見て尋は若干気を緩めると、自分の上に倒れ込んで来た緋色に心配そうに声を掛けた。
「緋色。大丈夫か? どこか打ったりはしていないか?」
畳に背を付けたまま、自分の胸元に顔を埋めたままの緋色を心配して声を掛けた尋は、労るように緋色の後頭部を優しく撫ぜた。
尋の優しい気遣いに緋色はそろそろと胸元から顔を上げて、気恥ずかしそうにはにかむ。
「大丈夫、です……申し訳ございません、尋さま。巻き込んでしまいました……。尋さまこそお怪我はございませんか?」
「ああ俺は大丈夫だ。緋色を支えられずすまない。起き上がれるか?」
普段の緋色であれば、尋の上に乗っかったままなど有り得ない。
倒れ込んだ後にすぐ謝罪と同時に立ち上がるのに、と尋が訝しげに緋色を見詰める。
倒れた時にやはりどこかを痛めてしまったのだろうか。そう心配した尋が緋色に声を掛けるより先に、申し訳なさそうに緋色が口を開いた。
「それ、で……ごめんなさい。本当は直ぐにどかなくちゃいけないんですけど……あ、足に力が入らなくて……」
「──っ、やっぱり怪我をしたのか!?」
緋色の言葉に、尋は跳ね起きる。
上半身だけ起こした体勢で、緋色の肩を掴んで慌てふためきながら言葉を続けた。
「痛みの程度は!? 足を動かす事も出来ない程か……!? 骨折していなければ良いが……っ」
矢継ぎ早に尋から問いかけられ、緋色は目を白黒させながら首を横にぶんぶん振る。
「い、痛みはないですっ! そのっ、体力? 霊力? が切れてしまったのか、立ち上がる事が出来なくて……! 申し訳ございませんっ」
「霊力切れ──。俺よりも霊力が多い緋色が……?」
それ程、無理をさせてしまったのか、と尋は自分の不甲斐なさを恥じ入るが待てよ、と考える。
通常、霊力の調整は子供の頃から学び自然と身に付くものだ。
だが、緋色はかくりよの里で名無しとして過ごしていたために帝都にやって来てから霊力の調整方法を学び始めた。
まだ、どのように自分の力を使いこなすか学んでいる最中だった。それなのに今回、短時間で緋色の霊力が必要な場面が多数あったため、感情の昂りによって多くの霊力の放出があったのだろう。
まだ自分の霊力に慣れていない時期はそのような事が多々起こる。
尋自身も、幼い頃は良く龍神の力に耐えきれず体調を崩していた、と聞いた事はある。
「──そうか、霊力の調整がまだ上手く出来なかったんだな……。それ以外に体に異変は無いか? 気分が悪いとか、手足の感覚が無い、とかは大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……大丈夫ですので、そろそろ……」
「緋色、無理をしていたら駄目だ。少しでも違和感があれば──」
先程からみるみると緋色の顔が赤くなっていく。
また何か我慢をしているのか、と尋が眉を寄せた時に緋色が羞恥に耐えきれなくなったかのように、蚊の鳴くようなか細い声で呟いた。
「あの、その……下ろして下さい……」
「──え。……っ、すまない!」
そこで尋は自分達の体勢を思い出し、慌てて緋色を自分の上から畳に下ろし、立ち上がる。
先程まで、尋も大分消耗していたのだが今は驚く程に体が軽い。
その事に疑問を持ちながら緋色に「立ち上がれるか?」と尋は自分の手を差し出してそこではっと目を開いた。
伸ばした自分の手の甲には龍神の力を使用した為、一部分の龍化が解けていない。
青く輝く鱗が手の甲に出現している様を思い出して緋色の目の前から手を引っ込めようとしたが、畳に座り込んで居る緋色が手を取ろうとしている時点で緋色の視界に奇っ怪な鱗は目に入ってしまっている。
──気色悪い、と思われたら。
どくり、と尋の心臓が嫌な音を立てるが当の本人である緋色はキラキラとした目で尋が差し出してくれた手を見詰め、笑いかけた。
「尋さまの龍神のお姿はまだ見た事が無いですが、瞳と同じで青い鱗なのですね。とても綺麗……」
緋色は笑顔を浮かべたまま、躊躇いも無く尋の手を取り、キラキラとした笑顔を尋に向ける。
気色悪い、気味が悪い、恐れ、そのどれにも当てはまらない緋色の態度に、嘘の無い緋色の言葉に尋は無性に泣きたくなった。
飾り気の無い、心から出た言葉。
それがどれだけ嬉しくて、救われたか緋色は理解していない。
さも当然、と言うように尋の手を取り身動ぎしない尋を不思議そうに見上げている。
「──ああ、ありがとう……」
尋は何とか声を震わせる事無くそれだけを告げると、緋色の手を強く引き上げる。
「──わっ」
尋に強く引き上げられた勢いのまま、緋色はそのまま尋の胸元に飛び込むような形ですっぽりと腕の中に収まってしまう。
慌てて離れようとする緋色を、一瞬だけ尋は強く抱き締めた後、「悪い」と言って緋色の体を離した。
緋色と繋いだままの手から、緋色の優しい霊力がじわりじわり、と尋の体に流れて来ているようで暖かな霊力が尋の体を温める。
それにより、霊力を消耗し、龍神の力を抑え込む力が弱まっていた尋の体を緋色の霊力がゆっくりと、だが確実に修復している事にまだ二人は気付いていない。
芙蓉と菖蒲に拘束された朱音は、暗く掠れた視界でそんな二人の姿を見てぎりっ、と奥歯を噛み締める。
「……っ、名無しめ……っ、ただの──贄……っ、湖──」
拘束され、芙蓉と菖蒲に引き摺られる形で広間の入口付近に連れて来られていた朱音の怨嗟に濡れたぶつぶつと呟く声が、尋の耳に届いた。
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