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五十三話
しおりを挟む「──ひっ」
ひゅっ、と息を吸い込みか細い悲鳴を上げる。
緋色はまるで弾かれたかのように再び勢い良く振り返りその悍ましいモノから離れよう、と駆け出した。
声なのか、それとも違う音、なのか。
背後から嗤う声のような物が聞こえて来て、緋色は恐怖心に心を塗り潰されながらひたすらに足を動かす。
緋色が逃げ出そうとしても背後に居る朱音のようなモノはケタケタ笑うだけで追って来る気配が見られない。
(逃げられない、と分かっているのか……っそれとも朱音様は今動く事が出来ないのか……っ!)
そんな事を考えてしまうが、緋色は自分で自分の考えを一蹴する。
そんな事、考えなくても分かる。明らかに前者、だ。
(私を待っていた、と言っていた……それに私では結界から逃げ出す事も出来ない、って……)
そこまで考えた緋色は力を無くしたかのように突然ぴたり、と立ち止まる。
離れた所から緋色が慌てふためき、恐怖に戦き、逃げ惑う姿を楽しんでいた朱音は緋色の突然の行動に訝しげに表情を歪めた。
《何……? もう諦めたの? もっと逃げてくれないとつまらないのに》
「──っ、朱音様、ですよね?」
朱音と思わしき妖魔の声が緋色の頭に響いた瞬間、緋色はくるりと振り返り朱音と真っ直ぐ対峙する。
大分距離があるお陰か恐れによって足が震えているが今はまだ逃げ出す程の恐怖心に心が支配されていない。
きっと、朱音はやろうと思えば一瞬で緋色の側にやって来る事は可能だろう。
だが、緋色に恐怖を植え付けるため、絶望させるために敢えてゆっくり近付き、会話を楽しんでいるように思える。
緋色は手の中にいた子蛇を自分の肩に移動させる。
無いとは思うが、小さな体だ。
万が一朱音に攻撃された場合、手の中に居ては子蛇を潰してしまう可能性がある。
子蛇は小さな体を精一杯伸ばし、しゅるしゅると緋色の肩に移動する。
子蛇が無事移動した事を見届けて、再び緋色が朱音に向かって口を開こうとしたが、朱音が声を発する方が早かった。
《名無し。名無しには私の結界をどうこうする力は無いでしょう? だから早く諦めなさいな。諦めて自分の命を私に捧げてくれればそれだけで事は済む。籘原本家の人達を犠牲にはしたくないでしょう?》
「──犠牲!? 犠牲って一体どう言う事ですか……っ。先にこの屋敷を調査している芙蓉さんや菖蒲さん達をどうするつもりですか……!? それに、朱音様は先日私を助けたい、と籘原の家の事を危険を鑑みず、教えに来て下さったのに……! 一体どうして!?」
《あの時の言葉を本気で信じているの? 可哀想に、名無し。名無しは里でまともな教育を受ける機会が無かったから頭も悪いのね。哀れな子だこと。私が名無し如きを心配すると本気で思っているの? 親からも捨てられ、籘原の当主である尋さまからも裏切られているから真実を教えてあげただけ。必要とされたと思っていたのに、結局お前は生贄としての価値しか無かったのよ、ただの使い捨ての道具》
愉しそうに言葉を続ける朱音は、「ああでも……」と嗤う。
《救ってあげたかったのは本当かもしれないわ。だって、死ねば全てから解放されるじゃない? 辛い事も悲しい事も、全てから解放されるから。だから私は全部教えてあげたの。この藤倉の当主から聞き出した本家の秘密を。名無しは馬鹿みたいに自分に出来る事がある、と思って尋様に着いて来たのでしょう? だから全部教えて、騙されていたって事に気付いて、絶望して死ねば良いと思ったの》
「──何故、そんな惨い事を……」
何故、朱音はそれ程まで緋色を目の敵のように接するのか。
緋色の何が気に食わず、死んでくれと思うのか。
朱音の考えが分からず、緋色は戸惑い、言葉に詰まる。
そうしている内に少しずつ、少しずつ緋色に近付いて来ていた朱音が目、と思われる部分をにたり、と歪めた。
嗤っているかのような怖気の感じる笑顔に、緋色は咄嗟に半歩後ろに下がる。
すると、緋色が下がったと同時に緋色の耳元でひゅん、と風を切るような音が聞こえ、すぱりと頬が切れた。
「──っ、」
《あら……? 何で……? まだこの体に慣れていないから手元が狂ったのかしら……? ──ああ、それともそこに居る小汚い蛇のせい?》
風を切る音を出したのは目の前に居る朱音だろうか。
だが、そんな事をどうやって、と緋色が考えるより先に緋色の肩に乗っていた子蛇がべちゃり、と地面に強く叩き付けられた。
「──っ子蛇ちゃんっ!」
《なに、これ? そこそこ強い妖力を感じるけど……でも大した事無いわね。名無しへの攻撃を逸らしたのだもの。その分、この汚い蛇には名無しに当たらなかった分の攻撃を受けてもらわないと──》
「やっ、止めて……!」
子蛇は、自分を守ろうとしてくれたのだ。
害意から守ってくれたせいで、逆に朱音に目を付けられてしまった。
何か見えない力のような物で子蛇が畳に押し付けられていて。
苦しそうに尻尾がぴたぴたと畳を叩いている。
助けたくても、どうすれば良いのか。
どうしたら霊力で攻撃が出来るのか。
子蛇が苦しみ、体が痙攣し始めている。
緋色は無我夢中で子蛇に手を伸ばして助け出そうとするが、見えない壁のような物があって子蛇に手が届かない。
(邪魔っ! 見えない何かが、邪魔──!)
壊れろ! と緋色が心の中で叫んだ瞬間、頭の中で「パリン」と何かが割れる、澄んだ音が聞こえ、緋色の手が子蛇に届いた。
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