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四十四話
しおりを挟む緋色と尋はまだ暫し部屋で話をするだろうと判断した菖蒲は、尋の無事と居所を確認して一旦部屋から退出する事を尋に告げる。
「尋様、お話が長くなりそうですので私は一旦ここで……」
「ああ……」
菖蒲は勢い良く開け放った障子を今度はゆっくり、静かに閉めて退出する。
そこで再び部屋に沈黙が落ちるが、尋ははっと自分の身形を思い出す。
「──っ! すまない緋色……! 俺も部屋に戻り、湯浴みをしたい……。龍体の間は風呂に入る事も出来ないから、数日間湯浴みを出来ていない。着物も着替えたい」
「そうなのですね。分かりました。尋さまがお気になさるのでしたら湯浴みの後にお話させて頂いてもよろしいですか? 尋さまの湯浴みが終わる頃合にお部屋を訪ねますね」
「いや、それだと遅くなってしまう」
緋色は後から部屋に行けばいいのかな、と考え尋に伝えたのだが。
肝心の尋はふるりと首を横に振り、緋色の提案を断った。
え? と目を丸くする緋色の手を取り、尋はその場に立ち上がった。
◇
ざあざあ、と湯の流れる音が聞こえる。
ばしゃばしゃ、と水が跳ねる音がすぐ傍から聞こえ、緋色は何故自分が今ここに居るのか分からず呆然としていた。
「緋色? 先程菖蒲が言っていた緋色の霊力って一体何だ?」
「はっはい……っ!」
緋色はすぐ近くから聞こえる尋の声にびくっと体を跳ねさせ、咄嗟に返事をする。
心許ない衝立一枚隔てた奥。
その向こうには湯浴みをする尋が居て。
緋色は用意された椅子にちょこん、と座り衝立に背を向ける体勢でまるで固まるように硬直していた。
籘原家当主の私室には、湯殿が用意されている。
私室に備え付けられている湯殿とは言え、室内はとても広く、妖怪の力を利用しているのだろうか。
灯りが煌々と室内を明るく照らしている。
大きな背の高い衝立が無ければ、明るい室内のため奥で湯浴みをしている尋の姿がはっきりと見えてしまうだろう。
緋色が状況の把握が出来ず、尋に手を引かれるまま私室に連れてこられ、時間が勿体無いと言う尋に湯殿まで連れてこられた。
湯浴みをしている間も緋色から話を聞ければ時間短縮になる、と尋は考えているらしい。
だが、こんな大きな家の当主である尋は使用人に湯浴みの手伝いをさせる事は慣れているだろうが、緋色には経験の無い事だ。
ぎしり、と気まずさに体をカチカチに硬直させていると先程尋から声を掛けられてしまった。
「──緋色? どうした、大丈夫か?」
ぺたぺた、と床を歩く尋の足音が聞こえ、心配そうに話し掛けて来る。
その足音が自分に近付いているような気がして、緋色は心の中で情けない悲鳴を上げた後、尋の問い掛けに答えるため口を開いた。
「だっ、大丈夫です……っ! そのっ、あの夜っも……っ、先日、お医者様にも……っ、不思議な事を……!」
「榊が……? それにあの夜……。緋色が外に出てしまった時か……。誰かに何か、言われたのか?」
「いえ。えっと……あの夜ですが……、菖蒲さんと、尋さまに助けて頂く前に妖魔に襲われたのですが……」
「──ああ」
あの時か、と尋は湯船に浸かり、鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。
「緋色の足にしがみついていた妖魔だな……」
もっと早くあの場に到着していれば、緋色に痛い思いをさせなかったのに、と尋は自分の不甲斐なさに奥歯を噛み締めた。
だが、衝立の向こうに居る尋の表情を知る事が出来ない緋色は、「はい」と返事を返してその時に起こった不思議な事を尋に話した。
「あの時……、妖魔に恐怖を覚えて……その恐怖で私自身何をどうしたのか覚えていないのですが、妖魔が強く弾かれ、私の足元に転がったのです。……そして妖魔が苦しそうに血? のような物を流してのたうち回っていました」
「──何?」
緋色の言葉に尋は湯船から立ち上がる。
水音が大きく聞こえ、そしてぱちゃぱちゃと湯船に雫が落下する。
尋は立ち上がったまま、緋色に向かって声を掛けた。
「もしかして……攻撃、したのか……?」
「それは……良く分からないのですが……どうやったかも……何も分からなくて……。けど、その後に尋さまが手配して下さったお医者さまからも、怪我の治りが凄く早い、と伝えられました。通常、妖気と言う物が多く体に残るのに私の体には殆ど妖魔の妖気が残っていなかったみたいで……。それを聞いて、昔の事も思い出したのです。子供の頃から怪我の治りがとても早かったのと、大怪我をしても不思議でない場面で不思議と無事だった事を……」
「──なるほど。それが緋色の力なのであれば合点が行くな」
至極あっさりと言葉を返した尋に、緋色は「え?」と戸惑いの声を漏らす。
尋は自分の体に緋色の霊力が残っていた事を、緋色自身は知らなかったのだ、と知り緋色に説明する。
「実はあの夜。緋色に、その……振り払われた……だろう?」
「──ぁっ」
気まずそうな尋の声音に、緋色の声も小さく漏れ聞こえる。
直ぐにでも謝罪して来そうな緋色が言葉を発するより早く、尋は言葉を続ける。
緋色に謝らせたい訳では無い。
寧ろ、籘原の事を全部話さず、緋色を帝都に連れて来た自分が悪いのだ。
「その時……っ、緋色の霊力に弾かれた……気がする。そして、その時の緋色の霊力が俺の体に残っていたんだ」
「え……っ」
「そして、人間の霊力は人体には残らない。……残るのは無機物である物にのみだ。……緋色の霊力が何故そんな力を持っているのかは現状分からない……。ただ、医者の榊が調べるとは言っていたから……、時期に分かるとは思う」
「私の霊力が……」
「ああ、そうだ。その時と……妖魔に襲われた時の事を考えれば、弾かれる時は……緋色が心から拒絶した時、かもしれない」
尋は自分で説明してて若干しゅん、と気持ちが萎むが起きた事は仕方ないのだ。
これは早く部屋に戻り、緋色の霊力をしっかり確認してみたいと考えた尋は、湯船から完全に上がり、ぺたぺたと床を歩く。
そうして周囲をきょろ、と確認するが体を拭くタオルが見当たらず「しまった」と眉を下げる。
「……悪い、緋色」
「──え? な、何でしょうか?」
申し訳無さそうに声を落とす尋の様子に、緋色はつい衝立のある背後に振り向いてしまう。
その時、丁度衝立からひょこり、と半身だけを覗かせた尋が視界に入って。
緋色と目を合わせた尋は、腕だけを衝立から伸ばして申し訳無さそうに緋色に言葉を向けた。
「そっちにあるタオルを取って貰えるか? こちらに持って来るのを忘れてしまって……。……? 緋色?」
「──っ、」
衝立からは尋の顔と肩から下が少し。そして腕くらいしか見えていないのだが、緋色は突然目の前に現れた尋のその姿に驚き、混乱してしまった。
「──ひゃああっ!」
「緋色……っ!? ──うわっ!」
一瞬で茹でタコのように顔を真っ赤に染めた緋色が悲鳴を上げたと同時。
ばちん! と弾かれるようにして衝立ごと尋の体が後方に吹き飛んだ。
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