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三十三話
しおりを挟む──ばちんっ
と、痛々しい音が響き緋色に拒絶された事に尋は目を見開き、緋色は叩き落としてしまった事にさぁっと顔色を悪くさせる。
「あっ、ごめんなさ……っ、ごめんなさい……っ!」
おろおろとしつつ、尋から距離を取るように後退りし始めた緋色に。
まるで尋を恐れるような表情を浮かべる緋色に、尋の目は益々見開かれて行く。
「ごめんなさい……っ!」
緋色はそれだけを叫び、くるりと背を向けて尋とは逆方向に走り去る。
緋色に拒絶された、と言う事実に尋は衝撃を受けているようで。
叩かれてしまった自分の腕と、緋色が去って行ってしまった方角を交互に見詰めながら、まるで金縛りに合ったかのようにその場から動けずに硬直してしまっていた。
緋色の姿が見えなくなってしまうまで尋はその場を動く事も出来ず、緋色を追う事も出来ずに呆然としている間に、尋を追って来ていたのだろう。
菖蒲が息を弾ませて尋の所にやって来た。
「尋様……っ! こちらには緋色様はいらっしゃいませんでした……! 芙蓉が奥まで確認しに行っておりますが、恐らく緋色様はあちらにはいらっしゃらないかと──」
ぜいぜいと肩で息をしながら菖蒲がふっ、と尋に視線を向ける。
すると、当の本人である尋は緋色が走り去って行ってしまった方向をぼうっと見詰めているだけで、菖蒲の言葉に反応を示さない。
「尋様……? どうなさいましたか、緋色様は?」
「緋色が……」
そこでようやっと尋から言葉を返されたが、要領を得ない言葉を返されるだけで。
普段の当主として冷静な姿を見慣れている菖蒲は、尋が動揺し混乱しているような姿に違和感を覚えて尋の見詰める先に菖蒲も視線を向けた。
だが、そこは真っ暗な空間が広がるだけで。
「尋様、緋色様とお会いしたのですか? こちらに居たのですか」
「──ああ、緋色が一人で」
曖昧に頷く尋に、菖蒲はさっと顔色を悪くさせ焦ったように尋に詰め寄った。
「緋色様はどちらに……! もう深夜で……っ、辺りは闇にのまれています! この時間帯は我々の力が増すのですよ!?」
「──っ、」
しっかりしてくれ、と喝を入れるような菖蒲の怒声にようやく放心状態から解放された尋はハッとして目を見開いた。
邸とは真逆の方向に走って行ってしまった方角を見詰め、尋は「不味い」と焦りを顕にして駆け出した。
「──くそっ、何故俺はぼうっとしていたんだ……っ」
「緋色様とお会いしたのですよね!? 会話はされたのですか!?」
暗い道を駆け抜けながら尋と菖蒲は会話を続ける。
籘原邸の裏門から出た緋色は、暗く狭い路地を通っている。
普段利用している正門であれば帝都の大通りがすぐ近くにあり、見慣れた街並みだろうが、裏門を出て少し歩くと細い路地が多く存在している。
籘原の仕事柄、表の正門から堂々と入る事が出来ない時もある。
その際は姿を闇に紛れさせ、裏道を通り裏門から邸に戻る事もあるのだが、それが今回は良くない方向に作用してしまった。
路地は多く、緋色がどの方向に向かっているのか。
「……私では緋色様の霊力を辿れません!」
「待ってろ、集中する……!」
菖蒲の言葉に、尋は駆けていた足を止めてその場に立ち止まる。
慣れ親しんだ緋色の霊力を探るように、尋は瞼を閉じて霊力の残滓を探るために集中した。
「──……っ! 菖蒲! そのまま真っ直ぐ走れ! 緋色の霊力はその先だ……!」
緋色の霊力の欠片を察知した尋は、勢い良く閉じていた目を開けて菖蒲に向かって声を上げる。
大分尋の先を走っていた菖蒲が尋の言葉に答えるようにして片手を上げたのを見て、尋も再び駆け出す。
(何故、緋色の霊力が俺に残って……?)
尋は足を動かしながら自分の腕をじっと見詰める。
微かに、今にも消えて無くなってしまいそうだが確かに緋色の霊力が自分の手のひらから感じる事に疑問を抱いたが、先程緋色から拒絶された際に手を払われた事を思い出して、尋は目を見開いた。
「──っ、まさか無意識に緋色は自分の霊力を……?」
思わずその場で足を止めてしまう。
じゃりっ、と靴底から嫌な音が聞こえ、どくどくと逸る自分の心臓の鼓動が嫌に耳に付く。
もし、緋色が無意識の内に尋に対して自分の霊力で攻撃をしていたのであれば。
もし、緋色が無意識の内に自分の身を守るために尋の意識に介入していたのであれば。
「──何だ、この霊力は……?」
攻・守・呪。そのどれにも当てはまらなかった緋色の力の片鱗が見えたような気がして、尋は早鐘を打つように激しくなる心臓の音が耳に嫌に響いた。
◇
叩いてしまった。
心配してくれる人を拒絶してしまった。
「──はっ、……ぅっ」
緋色はぜいぜいと息を荒らげながら駆け続ける。
このまま走っても何処にも行く場所など無い事は分かっている。
けれど、緋色は混乱する思考のまま尋から逃げるように真っ暗な路地を駆け抜けていた。
あんなに心配してくれて、そして緋色の姿が見えない事から必死に探してくれていたのだろう。
それなのに、尋の手を叩き落としてしまった。
緋色は叩いてしまった自分の手をぎゅう、と握り締め、とうとうその場に足を止めてしまった。
ぜいぜいと荒い息を吐き出しながら、ちらりと背後を確認する。
けれど、緋色が見える範囲はただ真っ暗な道がただ続いているだけで。
人が追って来ている気配が無く、そこで緋色は泣き出しそうに表情を歪めた。
逃げ出したのは自分自身なのに、何故追って来ていない事に少なからずショックを受けているのだろうか。
「……どう、しよう……もう邸に戻れない……」
あれだけ良くしてくれた人なのに拒絶するような態度を取ってしまった。
拒絶しておいて、厚かましく邸に戻る事なんて出来やしない。
「……っ、大通り……」
緋色は走り続けて疲れてしまった体に鞭打って、大通りに出ようと足を動かす。
だが、体は鉛のように重くなっていて足を動かす事も億劫だ。
それでも緋色が何とか一歩、二歩、と足を進めていると突然背後から言いようの無い寒気を感じた──。
「──……っ!?」
ぞわり、と背筋を走る悍ましい恐怖。
かくりよの里で妖魔に襲われてしまった時ととても似た感覚。
ここに居てはいけない。
緋色は無意識の内にその場から離れるために駆け出したが、駆け出すなり自分の足元を物凄い速度で何かが横切り、体勢を崩してしまった。
「──あっ!」
何かに足を取られてしまった緋色は、その場に転倒してしまった。
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