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二十七話
しおりを挟むカフェから戻った緋色は、その日夕食の時間になっても夕食には応じず、自分の部屋でぼうっと放心したように過ごしていた。
折角菖蒲が夕食の時間だ、と声を掛けに来てくれたのに断ってしまった。
(けれど……今は胃がとてももやもやしていて……食べられそうに無いわ……)
日が沈み、暗くなった部屋の中で緋色は足を抱えて縮こまる。
(朱音様が言っていた言葉……本当なのかしら……でも、何故朱音様は籘原のそんな話を知っているの……?)
緋色は里長に言われた言葉よりも、朱音に言われた言葉に衝撃を受けていて、そればかりを帰宅してからぐるぐると考え続けてしまっている。
今までは里長の言葉一つに傷付き、動揺してしまっていたのに。
今は朱音の言葉が気になって気になって仕方ない。
里長に名無しと呼ばれ蔑まれても以前のように胸を抉るような痛みを感じない。
(今は、私の名前を呼んでくれる人がいるもの……。名無し、と呼ぶ人はこの邸には居ないから……。それに、私にはちゃんと力もあったもの……だから、今までのように名無しだと、存在が罪だと里長から言われても以前のような痛みは感じないわ)
それでも、あれだけの敵意を向けられてしまえば辛い気持ちにはなるが、以前のように悲観的な気持ちにはならない。
(そうだわ……朱音様が言っていた事が本当なのか……尋さまに直接お聞きするのが一番よ……。尋さまご本人に聞かないで、考えていても仕方ないわ……)
夕食を断ってしまった事で、心配を掛けているだろう。
もしかしたら明日、様子を見に来てくれるかもしれない。
緋色は、尋が来てくれたら朱音が言っていた事の真偽を確認しよう、と決める。
(深刻にならずに、ただ質問してみれば良いだけ……そうよ……。普段の会話のようにお聞きして……。そうしたら尋さまもすんなりご説明してくれるかも……)
そうと決まれば、今日は早めに床に就こうと考えた緋色は縮こまっていた姿勢から立ち上がろうとした。
その時、ちょうど緋色の部屋の障子の奥から考えていた尋の声が聞こえた。
「──緋色? 具合はどうだ……? 部屋に入っても大丈夫か?」
「……っ、尋、さま!?」
心配そうな尋の声に、緋色は慌てて立ち上がり障子を開ける。
するとそこには、眉を下げて心配そうにしている尋の姿があって。
緋色は部屋の中に尋を招いた。
部屋に入った尋は、緋色の顔色を見てほっと安心するように表情を緩めた。
「──良かった。顔色はそこまで悪くないな。カフェから戻った後、具合が悪くなってしまったようだが、大丈夫か? 夕食を食べられない程だ。寝た方が良いか?」
矢継ぎ早に質問され、布団に横になっていた方が……と心配する尋に緋色は慌てて否定する。
「だ、大丈夫です尋さま……! その、大分落ち着いて来ましたし、ご心配お掛けしてごめんなさい……」
ちょこん、と正座をした緋色がしゅんと小さくなり尋に謝罪する。
大丈夫だ、と言う緋色を注意深く見ていた尋は自分の腕をすっと伸ばした。
「──熱は? 無さそうだな、良かった」
緋色の額に触れた尋は、熱が無さそうな事にほっとして暖かい笑みを浮かべる。
額に触れられた緋色は、尋が触れる所がかぁっと熱くなるような不思議な感覚がして、狼狽えてしまう。
だが、緋色に熱が無いと言う事にほっとした尋は緋色の様子に気付いておらず、言葉を続ける。
「帝都にやって来てから、緋色は少し頑張り過ぎかもしれないな。頑張る、と言う事は良い事ではあるが、無理は禁物だ。明日一日はゆっくり休んだ方が良い」
「だ、大丈夫です、本当に……! 勉強の速度も、霊力の訓練も尋さまが配慮して下さっていて、全然苦ではありませんし……」
「だが……体調を崩してしまっただろう? 頭では大丈夫、と思っていても体に負担が掛かっていたのかもしれない」
「ほ、本当に……! 大丈夫なのですっ、今日はその……ちょっと、特別だったんです……」
なおも食い下がる緋色に、尋は目を細める。
──それならば、やはり何かがあったのか。
菖蒲が席を外したほんの少しの時間に緋色が体調を崩してしまう程の何かが。
そう考えた尋は、緋色を真っ直ぐ見詰めて優しく問い掛けた。
「菖蒲がカフェに戻ったら、緋色の具合が悪そうになっていた、と聞いた。……飲み物だけで、何かを食べた訳では無いだろう? それに、飲み物だって緋色がいつも飲んでいる物だと聞いている。……だから飲食で具合が悪くなったんじゃない……。まさか、誰かに会ったか? 誰かに何かを言われた……?」
尋の視線が鋭くなり、どこかぴりっとした緊張感を孕む。
緋色の肩がぴくり、と跳ねた事に気付いた尋は一体誰が緋色に接触したのだ、と考えを巡らせる。
(籘原の分家か……? 爺共は黙らせている……。それに緋色に接触するな、と忠告しているから無理に接触してくる筈は無い……。この間の、藤倉……あれ、か……?)
これは誰が緋色に会い、緋色を具合が悪くなる程傷付けたのか徹底的に調べなければ、と尋が考えていると、ごくり、と喉を鳴らした緋色が尋の目をしっかりと正面から見返した。
「──緋色、?」
緋色は何だか覚悟したような表情で。
恐る恐る、と言った様子で尋に問い掛けた。
「その……。籘原の、当主さまは……愛する人を別に妻として迎える、と言うのは本当でしょうか……」
「──……っ、!?」
──なぜ、それを緋色が。
動揺した尋の様子に、言葉で答えは無くともその態度が雄弁に語っている。
朱音が言っていた事は、本当なのだ。
緋色は、何故かそれが本当だった、と言う事を知り胸が抉られる程、痛んだ。
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