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十話
しおりを挟む男の声で「伏せろ」と言われ、咄嗟にその場で体勢を屈めた緋色の頭上から、空気を裂くような鋭い音が耳に届いた一瞬後、背後から悍ましい叫び声が上がる。
だが、緋色はその音を聞いても背後を確認する余裕が無い所か──。
「──っ!」
全速力で走っていた体勢から伏せろ、と言われ屈んだ緋色は体勢を崩してしまい前方に転んでしまいそうになった。
転んでしまう衝撃に備え、緋色が強く目を瞑った瞬間、真正面の「何か」にぼすっと当たってしまう。
まるで大木にぶつかったかのようなびくりともしない何か。だが、大木のような無機質な物体では無くて温もりを感じる。
そして緋色の背中にぐるりと何か──腕、が回って引き上げられ、正面からしっかりと抱き止められた。
「──~っ!」
「芙蓉……! 殺せ!」
《承知しました!》
──そう、「何か」とは間違い無く人で。
先程緋色に伏せろと叫んだ声の主は男性の声だった。
そこまで考えて、男性に抱き止められている現状を悟った緋色は羞恥心よりも先に真っ青になってしまった。
正面から強く抱き締められ、その間にも正面の男性は何度か腕を動かしている。
背後にいる人ならざる物の攻撃を防いでいるのだろうか。
そして、先程男性が叫んだ「芙蓉」と言う名前──。芙蓉に殺せ、と命令をした後、人とは違う、先程緋色の頭に直接響いて来た男性と同じ声が聞こえて二人の関係性が分かる。
緋色を助けるかのように川で人ならざる物と戦っていた白蛇は、目の前に居る男性の部下なのだろう。
それに、と緋色は考える。
(……っ、こんな所に里の人間が来る筈が無い……っ、だとしたら目の前にいる男性と、白蛇さん、は……里の外の人──!)
緋色がその考えに至ったのと同時。
《──……っ!》
人ならざる物の断末魔、だろうか。
聞き取れない程の耳障りな音が周囲に響き、緋色は咄嗟に目を瞑ったのだった。
「──おい、君……。もう大丈夫だ」
恐ろしい断末魔から数秒。
緋色がぎゅう、と強く目を瞑ったままでいると安心させるような柔らかな低い声が頭上から掛かる。
とん、と「もう大丈夫だ」と言うように背中を軽く叩かれて緋色は自分の体勢を思い出してはっと目を見開いた。
「た、大変申し訳ございません──!」
抱き止められていた事を思い出し、緋色は顔色を悪くして慌てて目の前の男から離れる。
「助けて頂いたのに、すぐにお礼を告げれず大変失礼致しました……!」
「いや、危ない所だった。間に合って良かったが……」
緋色は頭を下げたまま、自分の失態でかくりよの里にやって来た外の人間を危険に晒してしまった事を強く悔いていた。
これでは、里の人に酷く怒られてしまう──。
緋色がどうお詫びと、里長への説明、それに朱音にどう謝罪をすれば良いだろうか、と様々な事に頭をぐるぐると混乱させていると、頭上から再び柔らかな声が掛かった。
「ああ、やはり夜にあの建物の中に居たのは君だったか……」
「──え、?」
自分を知っているような口振りに、思わず緋色は下げていた頭を上げて男の顔を見た。
あの夜、とは。
里の人間以外と「目が合った」と感じたのは一人しかいない。
緋色がまさか、と思い顔を上げた先にあった男の姿は。
「──あの時、の……青い瞳をした方だったのですね……」
美しい男性だ、と感じた男──籘原尋だった。
「尋様、先程の妖魔のご報告はどうなさいますか?」
「──そう、だな……」
あれから。
緋色は尋の着ていた上着をかけてもらい、ちょこんと渓流の近くにあった大きな岩に腰掛けていた。
緋色と尋は顔を合わせて里の外れでお互い認識し合っていた事を確認して、尋はすぐに白蛇の芙蓉と妖魔の処理に行ってしまった。
緋色を助けてくれるような行動を取っていた白蛇は、尋の部下だったようで。
白蛇の姿を解くと自分の名を名乗り、白蛇の妖怪なのだ、と説明してくれた。
そして芙蓉も軽く自己紹介をした後、尋の下に向かい今に至る。
未だ緋色は里の結界の外側にいるのだが、先程のように妖魔が襲って来る事は無く、少し離れた場所で妖魔が消滅した場所で何やら会話をしている尋と芙蓉をぼうっと見詰める。
(……何故、こんな時間にこんな所にいたのか、と聞かれてしまうわよね……里の人以外に説明しても大丈夫かしら……。でも、あの方達は危険を顧みず助けて下さった方達だし……。それに……)
先程から尋と芙蓉は襲って来た黒い靄を「妖魔」と言っている。
妖怪でも、魔物でも無く妖魔。
妖魔は妖怪や魔物よりも力が強く、知恵もある。
そんな妖魔をあっさりと倒してしまったあの二人は一体何者なのだろうか、と緋色が考えていると話が終わったのだろうか。
尋と芙蓉が緋色に向かって歩いて来る。
緋色は慌てて岩から降りて二人を待つ。
「立っていて大丈夫か? 足が擦り傷だらけだ、無理して立たなくていい」
「あ、ありがとうございます……! ですが、この里に外からやって来たお二人は里のお客様ですし……それに」
ちらり、と緋色は尋を見てから口を開く。
「朱音様が、貴方様に敬語を使い、敬っておりましたのでとても高貴な方だと……」
「……そんなんじゃない。そんなに畏まらないでくれ。……それより、君は何故こんな時間に、こんな場所にいた……?」
聞かれるとは思っていたが、実際尋にそう聞かれて緋色はどう説明すれば、と瞳を揺らした。
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