婚約者を寝取られた公爵令嬢は今更謝っても遅い、と背を向ける

高瀬船

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1巻

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   第一章


 公爵令嬢エレフィナ・ハフディアーノは、自分の婚約者――この国の第二王子コンラット・フォン・イビルシスと、伯爵令嬢ラビナ・ビビットが熱く口付けている場面を見てしまった。
 エレフィナは婚約者のコンラットに手紙で学園の使われていない教室へ呼びだされた。
 用事でもあるのだろうか? と思い、赴いた先の教室で、二人の男女が重なり合い抱擁しながら教室に備え付けられているソファに沈み込む姿に唖然とした。
 コンラットに押し倒されながら口付けを受けるラビナが、ふと瞼を上げ空き教室の入口にいるエレフィナに視線を向ける。
 驚愕に大きく目を見開くエレフィナの瞳をしっかり見つめ返し、ラビナは嘲笑を浮かべ、自ら積極的に口付けを返し始めた。
 そんなラビナに興奮しているのだろう、コンラットは益々ラビナに口付けを繰り返す。
 ──やられた!
 エレフィナは苦しそうに顔を歪め、見ていられないとばかりに踵を返して教室から離れた。


 エレフィナは苛立ちを表すかのようにカツカツ足音を立てながら、ふ、と思いを馳せる。
 今、この学園内で自分は孤立しているのだ。
 婚約者であるコンラットとは昔から反りが合わない。そのためか、コンラットは仮にも公爵令嬢であるエレフィナをぞんざいに扱う節があった。
 いくら平等を謳う王立学園といっても、貴族の令息、令嬢たちはある程度節度を持って過ごしていた。
 それが、ガラリと変わったのはあの女性──ラビナがコンラットに纏わりつくようになってからだ。
 ラビナは伯爵令嬢であり、エレフィナの公爵家に比べ、地位も爵位も何もかもが劣っていた。
 それでも、平等を謳う学園のルールに乗っ取り、エレフィナは爵位を振り翳すような態度も、偉ぶることもしなかった。
 それを勘違いしたのだろう。温情をかけられている、ということが分からずにラビナはエレフィナに対して無礼な振る舞いを繰り返すようになり、そしてあること無いことエレフィナの悪い噂を流してコンラットに取り入ったのだ。
 初めはラビナの品のない行為に眉をひそめていた生徒たちも、ラビナの巧みな話術に嵌りエレフィナの噂を信じる者が一人二人と増えていった。今ではほとんどの生徒が第二王子に見放されたエレフィナを悪、第二王子に寵愛されるラビナを善、と見なしている。
 その事実にエレフィナは軽く目眩を覚え、よろよろと廊下を壁伝いに歩き、項垂れる。

(あのお馬鹿さんな第二王子のことですわ……体を繋げたラビナさんを婚約者とする、と騒ぎそうで……お父様に何と説明しようかしら)

 ラビナの目的は明確だ。
 この国の第二王子コンラットと既成事実を作り、婚約者であるエレフィナを追い出して自分がその後釜に収まりたいのだろう。
 わかっていたのに、防げなかった。

(だって、学園の誰に見られるかも分からない、あんな場所で事に及ぶとは思わないじゃない……!)

 コンラットに言われた言葉がエレフィナの脳裏を過ぎる。
 ──お前は頭も硬いし体も固い。
 色事に興味がある、健全な若い男としては正常なのかもしれない。
 昔から成長するにつれ、女性らしい体に育ってゆくエレフィナの体を色のこもった目で舐めまわすように見ていたコンラットだ。自分の欲望に抗えなくなって、悶々としていた所にラビナが擦り寄って来たのだろう。
 あっさり同年代の少女の体と欲に屈服したコンラットに憤りを感じる。

(貞操観念がゆるゆるの女性より全然いいじゃないの!)

 エレフィナは憤慨するが、その貞操観念ゆるゆるなラビナに婚約者を奪われた自分が惨めに思えてくる。
 確かに、コンラットとは良好な関係が築けていたとは言えない。
 けれど、自分たちの婚約には政治的な役割がある。
 愛や情など必要ないのだ。この婚約は政略的な意味合いの方が大きいのだから。

(政略結婚の意味をわかっていらっしゃるのかしら?)

 頭の緩い二人について、今更つらつら考えても後の祭りだ。
 破棄されるだろう婚約を思い、エレフィナは溜息をついた。そして胸中で「明日は学園に行きたくないですわ」と呟き現実逃避をした。


   ◇◆◇


 空き教室の扉の前から姿を消した女──エレフィナの姿を思い出し、ラビナは愉悦に浸る。歪んだ笑みを隠すことができなかった。
 自分に覆いかぶさり、愛の言葉を囁き続ける男はラビナの表情に気付きもしない。

(ああ、やっと目障りなあの女を排除できる! 公爵令嬢だからって、私より可愛くも美しくもないくせに、偉そうにしていて昔から気に食わなかった!)

 ラビナは醜悪に歪む自分の顔をコンラットに見られないよう気を付けながら胸中で毒づく。

(どうして家柄しか取り柄のない女がこの国の王子様の婚約者になれて、私は年の離れた、不細工で何の取り柄もない冴えない男と婚約しなくちゃいけないのよ)

 ラビナは、学園を卒業したらその冴えない男と結婚することが決まっている。
 だからラビナは、卒業前に見目麗しい第二王子を手に入れてやろう、と決めていたのだ。
 幼い頃に参加した王家主催のガーデンパーティーで、ラビナは目の前の男コンラットと婚約者のエレフィナを見た。
 そのガーデンパーティーは、コンラットとエレフィナの婚約発表の場でもあった。
 だがラビナはそこでコンラットへ一目で恋に落ちた。落ちてしまったのだ。
 なぜ、爵位だけの可愛くもないつんと澄ました女が婚約者になるのか。自分のような可愛い女の子と結婚した方が王子様も絶対に嬉しいはずなのに。
 ラビナは幼いながらも、生家の爵位の差に打ちのめされ、生まれついた家柄が自分より良い、というだけで全てを得ているエレフィナを憎悪した。
 だから、この学園での三年間、全てをかけて準備していた。
 ここは平等を重視した学園だ。
 この学園の中でだけは公爵令嬢への無礼な振る舞いも、本来であれば近くに寄ることも出来ない王子への接近も許された。
 一年目は目立たないことからこつこつ噂を流し、多くの友人を作り、信頼関係の構築に費やした。
 二年目からはエレフィナ自身を貶めるような噂を流し、そしてコンラットに軽い接触を図る。
 三年目にはエレフィナを排除し、自身の立場を確立するため、コンラットに取り入り、エレフィナを疎外するよう働きかけた。
 この三年間の行動が、これほど上手く実を結ぶとは思わなかった。
 この結果は、ラビナの見目とエレフィナの見目の印象が真逆なことと、普段からコンラットがエレフィナをぞんざいに扱っていたことが大きく味方したのだろう。
 庇護欲を誘う見た目のラビナと、冷たく鋭い印象のエレフィナ。
 ラビナがエレフィナに嫌がらせをされた、と涙を流しながら訴えれば、男たちは簡単に信じてくれた。
 最初は冷ややかな視線を送っていた女生徒たちも、エレフィナのよくない噂に踊らされ、表立って味方はしないまでもラビナを応援するようになった。
 ──全てうまくいっている。
 ──これでこの男は、もう自分のモノだ。
 ラビナは眼前の整った顔にうっとり目を細め、コンラットの背に腕を回した。

「コンラットさまぁ、大好きです。本当に大好きなんです」

 ぎゅう、とコンラットに抱きつき、いじらしい女性を演じる。
 するとコンラットはでれっとだらしなく相好を崩し、ラビナを抱きしめ返した。

「ああ、ラビナ……ラビナ。なんて可愛いんだ……」

 コンラットは、自分に甘えるように擦り寄るラビナに何度も口付け、その甘い唇を味わった。
 二人が縺れ込んだソファには、ラビナが初めてだということを証明するように赤い染みが散らばっている。
 その情景をコンラットは視界に捉える。これで、ラビナを自分の婚約者とすることを誰も止めることはできまい、とほくそ笑んだのだった。


   ◇◆◇


「ただいま帰りましたわ」

 エレフィナは、学園での授業が終わると帰宅した。
 公爵家の使用人たちがパタパタと出てくる。

「お嬢様、お帰りなさいませ」

 頭を下げる使用人たちの向こう、玄関ホールの大階段から長身の青年がゆったり階段を降りてきた。

「フィー、お帰り」

 青年は微笑み、エレフィナの愛称を低く、優しい声音で呼んだ。
 こそばゆいような、くすぐったいような、そんな感情を抱きつつ、エレフィナは自分と同じアッシュグレーの髪色と、澄んだ空のようなスカイブルーの瞳を見て自然と微笑んだ。

「エヴァンお兄様! ただいま帰りましたわ!」

 嬉しそうに顔を綻ばせ、両腕を広げて待っているエヴァンにエレフィナは勢いよく抱き付いた。
 エヴァンはしっかりエレフィナを抱き止め、嬉しそうに笑う。

「お兄様、お父様はご在宅ですか? 相談したいことがあるのですが……」
「父上かい? 在宅中だよ、一緒に行こうか」

 エヴァンは妹のエレフィナを大層可愛がっているのだが、彼が妹を溺愛するには、辛く悲しい理由がある。


 幼い頃、母親のローズマリーを亡くして毎日毎日泣き暮らす幼いエレフィナを守ってあげないと、妹も母の元へ行ってしまいそうだとエヴァンは思った。
 大好きな母親だけでなく、可愛い妹まで自分の前からいなくなってしまったら、と考えると恐ろしく、耐えらない。
 だから、エヴァンは妹と常に一緒にいるようになった。
 エレフィナが悲しめば一緒に涙を流し、エレフィナが笑えば自然と笑顔が浮かぶ。
 自分を元気付けてくれるのは、可愛い妹だけ。
 その可愛い妹の婚約者、この国の第二王子に、エヴァンは何度はらわたが煮えくり返る思いをしたか、最早覚えていない。
 ──妹を悲しませることは許さない。妹をないがしろにすることも許さない。妹の表情を曇らせる存在も許さない。
 兄、エヴァンはエレフィナが学園でどんな仕打ちを受け、辛い思いをしているか知っている。だから、エレフィナが学園を卒業するその時を首を長くして待っているのだ。


 二人で父親が仕事をしている書斎に向かいながら、エヴァンは常にない慌てた様子だったエレフィナに顔を向けた。

「父上に相談事かい? 俺も付いて行って聞いても構わない?」
「ええ、大丈夫ですわ。公爵家の今後に関して相談したいので、お兄様も一緒に聞いてくださいませ」

 エレフィナの言葉に、エヴァンは眉をひそめた。

「学園で何か困ったことでもあったのか? あのどうしようもない婚約者のこと? それとも頭も股も緩い阿婆擦あばずれ女のことかな?」
「──っ! お兄様、なぜそれを……!」

 見目麗しい紳士然とした兄の口から、そんな汚い言葉が出てくるとは思わなかったエレフィナは驚きにぎょっと目を見開いた。

「大事な妹に何かあってからでは遅いだろう?」

 だから学園に、公爵家の「犬」を、ちょっとね……?
 と言って、イタズラが成功した時のようにエヴァンがウインクをした。
「犬」――公爵家直属の情報収集部の者を自分の影として遣わしていた、と事も無げに告げる兄に、エレフィナはあんぐりと開いた口が塞がらない。

「驚いた顔も可愛いなんて、俺の妹は天使みたいだなぁ」

 エヴァンはほけほけと笑う。エレフィナは自分へ呆れるほどの愛情を注いでくれる兄に驚くと同時に嬉しく思った。
 孤立無援の学園での辛い日々も、こうして家に帰れば愛情を注いでくれる家族がいるから耐えられる。
 残り少ない学園生活も何とか乗り切ろう、とエレフィナは気合いを入れた。
 エヴァンはそんなエレフィナの様子を優しく見つめた後、ふと真顔になる。
 自分がエレフィナと同い年の双子だったら、一緒に学園に通い、エレフィナに降りかかる災いを全て取り除いてやれたのに。
 自分が学園の教師だったら、毎日エレフィナの側にいて守ってあげられたのに。
 そんなことをつらつら考えていたエヴァンは、ああそうだった、と一つ思い出した。

(まあ、でも来週からアルヴィスが講師として学園に行くから……フィーのことはあいつに見ていてもらおう……)

 よく似た面持ちの兄妹はそれぞれ違うことを考えながら、父親の書斎へ足を進めるのであった。


 書斎に辿り着いたエレフィナとエヴァンは、扉をノックした。

「お父様、今よろしくて?」

 エレフィナが書斎の扉越しに話しかけると、扉の向こうからガタガタと物音が聞こえてきた。
 物音が落ち着いたすぐ後、扉が勢いよく開け放たれた。

「フィー! どうしたんだい? 父様に用事かな?」
「お父様!」

 開け放たれた扉から勢いよく出てきたその男性は、とても二人の子供がいるとは思えない程若々しい。その端整な顔立ちはしっかり子供二人に受け継がれている。
 エレフィナとエヴァンと同じアッシュグレーの髪の毛は、短く切りそろえられている。二人のスカイブルーとは違うローズピンクの目にはエレフィナしか入っていないようだ。

「父上、俺もいるんですけど?」

 エレフィナの横に立っているエヴァンが冷たい声を出す。
 敢えてエヴァンの姿を無視していたような、いつもの父親の態度にエヴァンは嘆息し、入りますよ、と告げてすたすた室内に入り込んだ。

「あっ! こらエヴァン! エレフィナより先に入るんじゃない!」
「……お父様、早く中に入りましょう?」

 エレフィナが苦笑いしつつ声をかける。途端、ぱっと笑顔になった父親はエレフィナの手を引いて書斎に迎え入れた。


「……さて、エレフィナ。それで私に話とは何かな?」

 書斎のソファに三人は各々腰を下ろした。自分の向かい側に座るエレフィナに、二人の父であるエドゥアルドはそう告げる。
 エドゥアルドは優しく目を細め、エレフィナの言葉を待つ。背筋をしゃんと伸ばしたエレフィナは、ふうっと息を吐くと、真っ直ぐエドゥアルドを見つめたまま口を開いた。

「お父様、恐らく近々……コンラット様から婚約破棄をされると思います」

 凛と言い放つ娘の言葉に、エドゥアルドは理解できないというようにきょとん、と瞳を丸めた。

「……? なぜ、私の可愛いエレフィナがあの男に婚約破棄されるんだ? 年々、ローズマリーに似て清く美しく成長しているエレフィナと婚約していること自体が幸運なのに、婚約破棄? これ以上美しくなりようがないほど美しいのに、まだその美貌を、輝きを成長させているエレフィナを振るのか? あの青二才が?」

 エドゥアルドは青筋を立て、王族だからといって何でもできると思うなよ、と低く呻いた。エレフィナは落ち着くよう宥めるが、エヴァンは父親に同意するように頷く。

「父上の仰る通りだよ、フィー。フィーほど美しく清らかな女性は他にいない。それなのに、なぜ婚約破棄されるんだ?」
「お兄様、それが……」

 エレフィナはもごもごと口ごもる。
 あの場面を見てしまったのだ。決定的なあの場面を。それを説明しなくてはならないが、直接的な言葉を告げるのは羞恥が勝る。
 エレフィナは恥ずかしそうに頬を染め、視線を逸らしながら小声で伝えた。

「その、えっと……見てしまったのですわ。コンラット様と、ラビナさんが口付けをしている場面を……その後、恐らく……」

 最後はかあっと顔を真っ赤にし、蚊の鳴くような声になったエレフィナの言わんとしていることを察した二人は、ぎちっと音が鳴るほど拳を握りしめた。

「いいだろう……我が公爵家への侮辱……受けて立つ」
「今だけの幸福に酔い痴れていればいい」

 父親と兄が、聞いたこともないほど低い声音で呟くのを聞いて、エレフィナは「こうなると思ったわ……」と眉間に皺を寄せ、溜息を零した。


 コンラットとラビナの逢瀬を目撃した翌日。
 エレフィナは学園に向かうため、公爵家の馬車に乗り込んだ。
 エレフィナを可愛がってくれるたった二人の家族に想いを馳せる。こうなることがわかっていた。
 父エドゥアルドは怒り狂い、王家に抗議してやる! と息巻いていたし、兄のエヴァンは、エレフィナを裏切ったコンラットだけでなく、奪ったラビナにも「思い知らせてやる」といい笑顔を浮かべて呟いていた。
 一体何を思い知らせるつもりなのか。エレフィナは深く考えることをやめた。
 この婚約は、王家からの打診で成立したものだ。
 当時から可愛く頭がいいと評判だったエレフィナは、数多くの良家から縁談を申し込まれていた。
 そこを、どうしてもと王家が強く望んだのと、国のためになるのであれば、とエレフィナが頷いたから父エドゥアルドは泣く泣く頷いたのだ。
 エドゥアルドは常々「エレフィナはお嫁に行かなくていい。公爵家でみんなと暮らそう」と言っていた。
 この言葉も恐らく、コンラットの態度があまりにも目に余るため、エレフィナを励ましてくれていたのだろう。
 エレフィナをぞんざいに扱い、婚約者エレフィナがいるにもかかわらず他の令嬢と体の関係を持ったコンラットの罪は重い。
 学園内にエレフィナの味方は皆無といえど、学園を卒業したら。
 狭い箱庭の中での数年間など、これからの長い人生に比べればちっぽけな時間だ。
 そして、学園内では咎められなかった愚かな行為も、外に出たらどうなるのか。
 きっと、コンラットはありもしないエレフィナの罪をでっち上げ、婚約破棄しようとしているのだろう。
 それが、学園の外に知られたら。
 王族の傲慢な行いを、国民はどう思うだろうか。
 国に尽くしている貴族はどう思うだろうか。
 エレフィナのハフディアーノ公爵家は、この国の筆頭貴族である。
 そのことを忘れ、色事にふけるコンラットも、お馬鹿さんなあのラビナも、なぜ咎められないと思っているのだろうか。

「……ああ、もう」

 エレフィナは、頭が痛い、とばかりにかぶりを振り、馬車の揺れに身を任せた。


 学園に到着したエレフィナはいつものように教室に向かい、自分の席に座る。
 最近見慣れた風景となってしまったが、同じクラスのコンラットとラビナが朝からべたべた体をくっつけ、まるでキスでもするのではないか、という距離で顔を寄せ合っている。
 エレフィナはどこか冷めた表情で二人をちらり、と一瞥した後、そのまま教室の前方に視線を戻した。
 他の生徒たちが、エレフィナについてヒソヒソ話している。
 中にはあからさまにエレフィナを馬鹿にする言葉も聞こえる。
 教室に入った時、ラビナの勝ち誇ったような笑みが向けられ、エレフィナは朝から疲れてしまった。

(……婚約破棄の件は、午前の授業が終わった後、昼食の時間かしらね)

 まさか、学園に到着して早々言い出しはしないだろう、とエレフィナが踏んでいた通り、コンラットからちらちら視線を向けられることはあっても、午前の授業が終わるまで話しかけられはしなかった。
 だが、午前中の授業が終了し、昼休みになった途端。
 コンラットが勢いよく自分の席から立ち上がり、つかつかと足音荒くエレフィナに近付いてきた。その後にはラビナが嬉しそうに続く。

「エレフィナ・ハフディアーノ!」

 突然教室に響き渡るコンラットの大声に、生徒たちの視線が集中した。
 廊下で友人と談笑していた生徒たちも、何事だ、とエレフィナたちを見やる。

「……コンラット様、何でしょうか?」

 久しぶりに婚約者に話しかけられたような気がする。
 いったいいつぶりだろうか、とエレフィナは思い出そうとしたが、どうでもいいことだわ、と思考を中断した。
 表情一つ変えず、しれっと返事をするエレフィナの態度が気に入らないらしく、コンラットは面白くなさそうに顔をしかめ、言葉を続けた。

「──お前は! なんの罪もないラビナ・ビビットを長期間にわたり虐げ、さらには彼女を危険な目に遭わせようとした! 私は、そのような恐ろしい女を未来の王子妃とは認めない! お前との婚約は破棄させてもらう! そして、私は心優しく、心根まで美しいラビナを未来の王子妃とする!」

 長々と続くコンラットの言葉に、エレフィナはどんどん気持ちが白けていくのを感じた。
 半眼になりつつ言葉を返す。

「……お言葉ですが、コンラット様」
「何だ! お前に発言は許可していないぞ! この魔女め!」
「コンラットさまぁ、そんなに怒鳴ってはエレフィナさんが可哀想です。ほら、怒られたことがない公爵令嬢様だから、怖がって震えていますわ」

 コンラットの隣で、撓垂しなだれかかるようにラビナが体を押し付け、告げる。
 エレフィナは、自分を小馬鹿にしたようなラビナの物言いにカチンと来たが、ここで何を言っても無駄だ。エレフィナはラビナの存在を無視することにした。

「……コンラット様、よろしいのですか? ここで、このように宣言なさっても」
「はっ、何だ? お前は周りを気にしているのか? 惨めな自分を見られたくない、とでも言うのか?」

 嘲笑を浮かべ、ラビナを抱き寄せるコンラットにエレフィナは胸中で嘆息した。

(私の希望ではなくて、大勢の目がある場所で不用意な発言をしてもいいのか? という意味だったのだけれど……)


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