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 何故、この場所に居るのか──。

「──っ」

 私は、自分の意識が薄らと遠のくような感覚に何とか頭を横に振って遠のきかける意識を必死に捕まえ続ける。

 ルドイツ子爵邸の、庭園の敷地外。
 柵で隔たれたその向こうに、嫌な笑みを浮かべて私をねっとりと見詰めるイアン様を見付けて、私はじり、と一歩後退る。

「ソニー。君が教えてくれたお陰だよ、ありがとう」
「ううん! おじさん、会えて良かったねぇ!」

 ソニーは私の手を離すと、イアン様の方へと駆け寄り、イアン様が柵の隙間からソニーに何かを手渡している。

 あれ、は……食べ物……お菓子の類だろうか。
 ソニーは嬉しそうにイアン様から受け取ったお菓子を腕に抱えて私と職員さんの居る方向に振り向く。

「──ベルっ、!」
「──奥様っ」

 後ろからアーヴィング様の焦ったような声が聞こえたのと同時に、直ぐ側から職員さんの冷静な声が聞こえ、私の腕が職員さんに強く引っ張られる。

「ソニー。早くこちらにいらっしゃい」
「──……、? はあい」

 職員さんは、いつものように優しくソニーに向かって声を掛けると、私の腕を掴んでいない方の腕をソニーに伸ばしている。
 ソニーは不思議そうな表情を浮かべて、イアン様に「ぼく行くね」と声を掛けると小走りでこちらへと戻って来る。

 イアン様の腕が、柵の奥からソニーに伸ばされていて、職員さんが声を掛けるのが遅ければもしかしたらイアン様はソニーの腕を掴んでいたのかもしれない。
 その事実に遅れて気付いた私は、幼い子をその腕で掴み、何をするつもりだったのだろうか、とイアン様に鋭い視線を向ける。

「──何故、イアン様が……ここに……?」
「? おかしいな……。何故ベルは俺をそんな目で見るんだ……?」

 私の質問に答えず、イアン様は腑に落ちない、とでも言うように首を傾げると探るような視線をこちらに向けて来る。

 イアン様からの視線を受けて、背中にぞわぞわとした悪寒を感じる。
 イアン様から名前を呼ばれる事に強い拒絶感を覚えて、気分まで悪くなってくるような感覚。

 けれど、何故イアン様にここまでの拒絶感を抱けているのだろうか、と疑問にも思ってしまう。
 先程、遠のきかけた意識は今ではしっかりと保っていて。以前のように、イアン様に名前を呼ばれただけで、声を聞いただけで多幸感を胸に抱く事は無い。
 今も尚、魔女の秘薬の効果は切れていないはずなのにどうして、と私が考えていると背後からぎゅうっ、と強く抱き締められる。

「──イアン……! お前っ、どうしてここに……!」
「アーヴィング、様……っ」

 イアン様に対して、鋭い視線を向けて敵意を剥き出しにするアーヴィング様の腕に包まれて、私はほっと安心感に包まれる。
 後ろから私を抱き締めてくれる力強い腕に、私は自分の体を預けると、アーヴィング様を見上げる。

「どうして、ここに来たか、だと? それは勿論ベルを迎えに来たに決まっている。ベルは、俺の妻になる、俺の女になるんだからな……!」
「イアンっ、お前……っ」

 何故、そんなにもイアン様は自信満々にそのような世迷言を口にするのか。
 アーヴィング様は、私を抱き締めていた体勢から解放すると後ろに居たジョマル様に私を頼み、イアン様に一歩、一歩足を近付けて行く。
 私を託されたジョマル様は、邸の使用人を呼ぶと、街の警備隊を呼ぶように声を掛けている。

「最初にベルに目を付けていたのは俺だったのに……っ、それを横からかっさらいやがって……っ」

 ぶつぶつ、と何やら呟きながら恨みの籠った視線をアーヴィング様にぶつけるイアン様の様子に、薄ら寒い何かを感じる。
 イアン様の元へと向かうアーヴィング様の服の裾を咄嗟に私が掴んでしまうと、その行動を見ていたイアン様がぎょろっ、と瞳を見開き、私に視線を向けた。

 その形相が恐ろしくて、私が小さく「ひっ」と声を上げると、私の隣に居た職員さんが掴んでいた腕をそっと撫でてくれて、落ち着かせようとしてくれる。

「──ベル! 何故効いていない……っ、早くこんな邸を出て俺と一緒に王都へ戻ろう!?」
「いっ、嫌です……っ! 何故私が、イアン様と……っ」

 イアン様の言葉に、反射的に私が声を返すと、イアン様は益々眉間に皺を寄せて、焦れた様子で自分の懐に腕を入れると、胸の内ポケットから何かを取り出すような仕草をした。

「──ベルっ、! 職員の女性と、邸に戻れ……!」

 アーヴィング様が焦ったように私にそう声を掛けるが、イアン様が「それ」を取り出す方が早かった。

 イアン様の懐から取り出された物は、小振りな綺麗な硝子瓶で。
 硝子細工が遠目にも見事な品で、その美しさに目を奪われる程。
 だが、その硝子瓶の中に入った液体が何処か不安を煽るような不気味な色で。
 様々な色をいっぺんに混ぜ込めたような、不快になるような、不安を煽るような不思議な色をしている。

 ──あれが、魔女の秘薬だろうか。

 きっと、私とアーヴィング様、ジョマル様は同じ事を同時に考えただろう。
 そう、考えてしまった瞬間。

 私の腕を掴んでいた職員さんの手のひらの感触がふっ、と無くなり。
 「え?」と思った瞬間には、何故か職員さんはいつの間にかアーヴィング様よりも前、イアン様の目の前にある柵の所に居て。



「──あのっ、馬鹿女。こんなモンを作りやがって……」

 職員さんの声が聞こえた瞬間、イアン様の腕の中にあった硝子の小瓶が一瞬で目の前から消え失せた。
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