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しおりを挟む翌朝。
私は、アーヴィング様と結婚してから初めて夫婦の寝室では無く、私は自室で朝を迎えた。
未だに、昨夜のアーヴィング様の態度が信じられなくて、冷たい視線と口調を思い出すだけでじわり、と涙が滲んで来てしまう。
「──あ、そう言えばガウン……」
いつもは夫婦の寝室で寝起きしている為、普段使用している物をこの自室には持って来ていなかったんだった、と思い出して私は一晩経った今でもこの状況が嘘では無く、現実なのだと突き付けられる。
私がベッドから起き上がり、さてどうしようか、と考えるとタイミング良く私室の扉がノックされる。
「──奥様、お支度のお手伝いに参りました」
「……入って」
使用人の声音も、何処か緊張を孕んでおり硬い。
家令のシヴァンにでもアーヴィング様の状態を共有されたのだろうか。
いつもはハキハキと明るい使用人の声音も、何処か暗くて私は苦笑してしまう。
失礼致します、と口にして入室してきた使用人は手早く私の支度を終えると、言いにくそうに唇を開いた。
「──奥様のお支度が終わりましたら、旦那様が寝室に、と仰っておりました……」
「──分かったわ。ありがとう」
私は使用人ににこり、と笑みを返すとアーヴィング様が待っているだろう寝室へと向かった。
いつもは、私が声を掛けるまで寝台から決して起きる事が無かったアーヴィング様。「お一人でも起きれるのね」と私は小さく呟くと寝室へと続く廊下を足早に歩き、寝室の扉の目の前へとやって来た。
緊張感からか、若干乱れてしまった息を整え、覚悟を決めて扉をノックすると、聞き慣れたアーヴィング様の声が扉の奥から返って来る。
けれど、その声は見知らぬ人間に向けているような冷たい声音で、私は唇をきゅっ、と噛むと扉の取っ手に手を当てて開いた。
「──おはようございます」
「ああ、おはよう。……呼び出してすまない」
ちらり、とアーヴィング様から視線を向けられるが、それも直ぐにすっとそらされてしまう。
室内には、家令であるシヴァンさんの姿があり、シヴァンさんが眉を下げながら同じく挨拶の言葉を掛けてくれる。
「奥様、おはようございます」
「ええ、おはよう。シヴァンさん」
私も眉を下げてシヴァンさんに言葉を返すと、自分の家令と親しげに言葉を交わす私を、訝しげに見詰めるアーヴィング様と目が合う。
ぱちり、と視線が合ってしまい、アーヴィング様は気まずそうに私から視線を外しながら、躊躇うように唇を開いた。
「──ベル嬢、と言ったね……。すまない、私は昨夜貴女の記憶を無くし、一晩経った後も貴女を思い出す事が出来なかった。……本当に、私と貴女は婚姻関係なのだな……」
「いえ……アーヴィ……旦那様も、突然の事で戸惑っていらっしゃるでしょう……」
アーヴィング様は、私に確認するように言葉を紡いだが、私の返答を特に必要としていないような気がする。
本当に私との婚姻が事実なのかお調べになったのだろう。
私は、アーヴィング様の言葉に否定も肯定もせずにアーヴィング様を気遣う言葉しか返す事が出来ない。
昨夜、アーヴィング様の名前を呼んだら、不快感を顕にされていたので、不用意にアーヴィング様のお名前を呼ばす、「旦那様」とお呼びすると、アーヴィング様がぴくり、と肩を震わせた。
アーヴィング様は、深く溜息を吐き出すとやや間を置いて俯いていた顔を上げ、私の顔を見てしっかりと言葉を紡いだ。
「申し訳無いが、私には貴女の記憶が無い。貴女と結婚した事も覚えていないし、貴女を愛していた記憶も無い……。だが、婚姻関係にある事は理解している。貴女を愛していた記憶は無いが、婚姻している事実は本物だ。侯爵夫人としての仕事のみ、貴女には行って頂きたい」
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